秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

産経新聞出版

2490/西尾幹二批判050—古事記には男性天皇だけ?

 「彼らには学問上の知識はあるが、判断力はなく、知能は高いが、知性のない人たちなのだ。
 彼らの呪いのヴェールを破り、裸形の現実をありのままに見るようにならない限り、これからの日本も世界も浮かばれないだろう。
 以上、西尾幹二・全集第11巻「後記」の実質的に最後の文章。2015年。
 特定の者たちへの罵倒の言葉は相変わらずだ。だが、西尾は上の「彼ら」の中に、なぜ自分を含めていないのか。
 F. Turner やR. Pipes の本を「試訳」しつつ、西尾幹二の書や文章も見ている。
 とりわけ、全集の「自己編集」ぶりと長い「後記」での自己賛美ぶりは、ひどい。
 と感じつつ、予定の草稿を掲載していこう。
 ——
  「山ほど」ある中から、便宜的に、手元に資料があるものから再開する。  
 月刊諸君!2006年4月号、p.50以下。
 皇位継承につき、男系男子限定論に立って女系天皇容認論とその論者を批判するものだ。
 もともとはと言えば、西尾幹二にとって男系でも女系でも本質的な問題ではなく、ただ<産経文化人>の一人たる位置を占めたいがための主張であるような気もする。
 女系天皇容認論者として田中卓・所功・高森明勅の三人を挙げているが(小林よしのりの名はない)、この三人はいっとき以降、産経新聞や少なくとも月刊正論(産経)には寄稿者として登場しなくなった。西尾幹二は、「ごほうび」ではないだろうが(いや、そうであるかのごとく)、「正論メンバー」にとどまり続け、2020年には国家の行方(産経新聞出版、編集担当・瀬尾友子)を出版してもらっている。
 また、上が「邪推」だったとかりにしても、西尾幹二における独特の歴史観・宗教観・現実感覚がこの問題についても背景にあると考えられるが、今回では立ち入らない。
 簡単に記せば、神道や仏教への自分の「信仰」を何ら語らないにもかかわらず、(西尾が男系男子限定を語るとじつは「解釈」する)<日本の神話>への「信仰」だけは、なぜ語るのか?、なぜこの人には「神話信仰」だけはあるのか?、だ。不思議な思考過程・思考方法がこの人物にはある。
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  上の文章に内在的な論点に限る。容易に気づいた点だ。
 第一に、西尾はこう田中卓を批判する。p.57。
 「田中卓氏は前掲論文で皇室には『氏』がないという特色を理解せよ、というが、それはダメである。
 『氏』がなくても系図が意識されている。
 現代は古代社会ではない。
 西尾は得意げに書いているようだ。
 『氏』うんぬんの論争の意味を秋月は知らない。しかし、上のような「反駁」の<方法>はおかしい。
 なぜなら、西尾は「現代は古代社会ではない」とするその「現代」の日本人であるにもかかわらず、「古代社会」に作られた(8世紀)または生まれた(史実を反映しているとすると内容はもっと前にさかのぼる)「神話」の内容を根拠にして、男系男子限定論を主張しているではないか。
 一方では「古代社会」でないのだからと主張し、一方では西尾が想念する「古代社会」にズッポりとはまっている。思考「方法」、評価の「基準」に一貫性がない。
 ついでに言えば、「神代」-「人代」の区別はなく、神代の「神」につながることこそ天皇家の世界に唯一の特質だと西尾は語るが、この辺りでは、この人は、上に少し触れたが、「神話」と史実、「信仰」と現実を完全に相対化している、または区別していない。「認識論」上の問題を胚胎している。
 そんな「哲学」的問題をこの人は無視するのだろうが、指摘されるべきは、西尾のような「神話信仰」が「現代」の日本人にいかほど理解されるかどうかだ。単純な理性・非理性、科学・非科学の問題に持ち込んではならない。
 なお、別の2019年の発言によると、神話信仰または神話それ自体が「日本的な科学」らしい(月刊WiLL2019年4月号)。こんな言葉の悪用、言葉「遊び」をしてはならない。
 また、水戸光圀・大日本史は「記紀神話」を歴史とせず、そこでの「神代」は除外された、と西尾幹二自身が上の中で書いている(p.54、「日本的な科学」の精神を持っていなかったわけだ)。
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  第二に、決定的間違いがある。西尾幹二は古事記も日本書紀もきちんと読んでいないと何回か書いてきたが、ここでもそれが暴露されている。
 天照大御神が女性神だったとしても、このことは女系天皇容認論の直接的論拠にはなり得ないだろう。
 この点はよいのだが、西尾は、女系天皇の実例があるのなら、それを「明証」せよ、との論脈で、つぎのように諭すように?明記した。p.56。
 「『古事記』に出てくる天皇はすべて男性ではないか」。
 ああ、恥ずかしい。
 日本書紀(720年)より先に成立し献上されたらしい古事記は(だが8世紀)、前者より前の時代までしか対象としていないが、最後に言及されている天皇は、推古天皇だ(明治に作られた皇統譜では第33代とされる)。
 西尾は、推古天皇も(じつは)男性だったと「明証」できるのだろうか。本居宣長がそう書いていたのだろうか。
 『古事記』の最後の部分を捲らないで上のように執筆して、活字にすることのできる人物に、「神話」信仰を説き、皇位継承者論議に加わる資格はないだろう。
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  ついでに。 
 第一。女系天皇容認論者(田中卓・所功・高森明勅)に対する一般的言葉は「迂闊」というだけだ(p.55)。
 2002年の小林よしのり批判、2006-7年の八木秀次批判に比べると、はるかに優しい。小林、八木への批判の仕方は(ニーチェにも似た?)西尾の精神・「人格」を示していると思うので、「人格」なる抽象的なものが全てまたはほとんどを決めるとは全く考えていないが、別に触れる(対八木についてはすでに紹介しているが反復する)。
 第二。いわゆる奈良時代の天皇は、天武と淡路廃帝(淳仁天皇)を除いて、元明は持統の実妹、その他は持統天皇の血を引く、その意味では女系天皇だ(元正は女性天皇・元明の娘なのでまさに女系だと表現してよいだろう。但し、これら2名は草壁皇子・文武・聖武への「中継ぎ」だと<解釈>されもする)。
 天武の血を引く男子だが母親は持統とその子孫ではなかった者は少なくなく、上の淳仁のほかにも、例えば、大津皇子(大伯皇女の弟)、長屋王がいた。大津(二上山に墓)は持統により殺されたともいう。
 抽象論・観念論好きの西尾幹二は、こんな瑣末な?ことにはきっと興味すらないのだろう。
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2479/高森明勅のブログ②—2021年11月12日。

  内親王だった女性と某民間人の結婚をめぐるマスコミの報道姿勢についてこう書く(もともとはテレビ放送予定の発言内容だったようだ)。
 ①「その人物は早い段階で弁護士に相談したが、法的に勝ち目がないと言われていたことを、自ら語っている。にも拘らず、…ご婚約が内定した後に、にわかに“金銭トラブル”として週刊誌で取り沙汰されるようになった。この間の経緯は、不明朗な印象を拭えない」。
 ②「一次情報にアクセスできず、又しようともせずに、真偽不明のまま無責任なコメントを垂れ流して来たメディアの責任は大きい」。
 ③「『週刊現代』の記者が当該人物の代理人めいた役割を果たしていたことは、ジャーナリズムにとってスキャンダルと言ってよい事実だが、その記者に直撃取材をしたメディアはあるのか」。
 ④「上皇后陛下の半年間に及ぶ失声症、皇后陛下の今もご療養が続く適応障害に続いて、眞子さまも複雑性PTSDという診断結果が公表された。名誉毀損罪、侮辱罪で相手を訴えることも事実上できず、言論による反論の自由すらない皇室の方々に対して、いつまで一方的な誹謗中傷を続けるのか」。
 上のうちほとんど無条件で共感するのは、③だ。
 この『週刊現代』の人物は、母親の元婚約者とかに「食い込んで」いたようで、要所要所で感想を聞いたりして、『週刊現代』(講談社)に掲載したようだ。但し、法職資格はなく、「法的」解決のために動いた様子はない。
 この記者(講談社の社員?)の氏名を同業者たち、つまりいくつかの週刊誌関係者、同発行会社、そしてテレビ局や新聞社は知っていたか、容易に知り得る立場にあったと思われる。
 一方の側の弁護士は氏名も明らかにしていたように思うが、この記者の個人名を出さなかったのは、本人が「困る」とそれを固辞したことの他、広い意味での同業者をマスメディア関係者は「守った」のではないか
 そう感じているので、「その記者に直撃取材をしたメディアはあるのか」(上記)との疑問につながるのはよく分かる。
 (『週刊現代』の記事は個人名のあるいわゆる署名記事だったとすると上の多くは適切ではなくなるかもしれないが、その他のメディアがその氏名情報を一般的視聴者・読者に提供しなかったことの不思議さ、「その記者に直撃取材をしたメディアはあるのか」という疑問の正当性に変わりはないだろう。)
 マスメディアは一般に、大臣等の政治家の名前を出しても、各省庁の幹部の名を出さない(情報公開法の運用では、たしか本省「課長」級以上の職員の氏名は「個人情報」であっても隠してはならないはずだが。公開することの「公益」性を優先するのだ)。
 個人情報の極め付けかもしれない氏名を掲載または公表すべきか、掲載・公表してよいか否かの基準は、今の日本のマスメディアにおいて曖昧だ、またはきわめていいかげんだ、と思っている。
 立ち入らないが、例えば災害や刑事事件での「死者」の氏名も個人情報であり、警察等の姿勢どおりに安直に掲載・公表したりしなかったりでは、いけないはずなのだが。
 災害や刑事事件には関係のない『週刊現代』の記者の氏名の場合も、その掲載・公表には<本人の同意>が必要だ、という単純なものではない筈だ。
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  高森の上の④も気になる。「誉毀損罪、侮辱罪で相手を訴えることも事実上できず、言論による反論の自由すらない皇室の方々…」というあたりだ。
 天皇は民事裁判権に服さない(被告にも原告にもなれない)という最高裁判決はあったと思う。但し、皇族についてはどうかとなると、どいう議論になっているかをよく知らない。
 しかし、かりに告発する権利が認められても、いわゆる親告罪である名誉毀損罪や侮辱罪について告訴することは「事実上できず」、反論したくとも、執筆すれば掲載してくれる、または反論文執筆を依頼するマスメディアは今の日本には「事実上」存在しないだろう。
 そういう実態を背景として、相当にヒドい言論活動があるのは確かだ。
  「上皇后陛下の半年間に及ぶ失声症」の原因(の一つ)は、高森によると、花田紀凱だ。
 「皇后陛下の…適応障害」が少なくとも継続している原因の一つは、おそらく間違いなく西尾幹二だ。
 「仮病」ではないのに「仮病」の旨を公的なテレビ番組で発言して、「仮病」なのに病気を理由として「宮中祭祀」を拒否している、または消極的だとするのは、立派に「名誉毀損罪」、「侮辱罪」の構成要件を充たしている。
 告訴がないために免れているだけで、西尾幹二は客観的にはかなり悪質な「犯罪者」だ(これが名誉毀損だと思えば秋月を告訴するとよい)。
 『皇太子さまへの御忠言』刊行とテレビ発言は2008年だった。その後10年以上、西尾幹二が大きな顔をして「評論家」を名乗る文章書きでおれるのだから、日本の出版業界の少なくとも一部は、相当におかしい。この中には、西尾の書物刊行の編集担当者である、湯原法史(筑摩書房)、冨澤祥郎(新潮社)、瀬尾友子(産経新聞出版)らも含まれている。
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2477/西尾幹二批判048—根本的間違い(4-2-2)。

 西尾幹二の思考はじつは単純なので、思い込みまたは「固定観念」がある。
 その大きな一つは「共産主義=グローバリズム」で<悪>、というものだ。
 典型的には、まだ比較的近年の以下。この書の書き下ろし部分だ。引用等はしない。
 西尾・保守の真贋(徳間書店、2017)、p.16。
 そして、その反対の「ナショナリズム」は<善>ということになる。日本会議(1997年設立)と根本的には差異はないことになる。
 この点を重視すると、西尾の「反米」主張も当然の帰結だ(「反中国」主張とも矛盾しない)。
 さらに、EU(欧州同盟)も「グローバリズム」の一種とされ、批判の対象となる(英国の離脱は単純に正当視される)。
 ①2010年/月刊正論4月号。同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010年)所収。
 項の見出しは「EUとアメリカとソ連が手を結んだ『歴史の終わり』の祝祭劇」。
 「フクヤマの『歴史の終わり』…。これをそのままそっくり受けてEUの理念が生まれ、1992年に…EUが発足します」。
 ②2017年/月刊Hanada2月号。同・保守の真贋(上掲)、所収。
 「EUは失敗でした。
 共産主義の代替わり、コミンテルン主導のインターナショナリズムが名前を変えてグローバリズムとなりました。
 それがEUで、国家や国境の観念を薄くし、ナショナリズムを敵視することでした。」
 何と、西尾幹二によると(ほとんど)、「コミンテルン主導のインターナショナリズム」=「グローバリズム」=「EU」なのだ。
 それに、1992年のEU発足以前に、EEC(欧州経済共同体)とかEC(欧州共同体)とか称されたものが既にあったことを、西尾は知って上のように書いているのだろうか。
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 前回にいう後者Bについて。
 さて、「反共」とともに、またはそれ以上に、「反米」を主張すべきだ、という西尾幹二の基本的論調の間違いの原因・背景の第二の二つ目(B)と考えられるのは、こうだ。
 独特な、または奇抜な主張をして、または論調を張って、「保守」の評論者世界の中での<差別化>を図っていた(いる)と見られる、ということ。
 既出の言葉を使うと、文章執筆請負業の個人経営者として、「目立つ」・「特徴」を出す・「角を立てる」必要があった、ということだ。
 ソ連圏の崩壊は「第三次世界大戦」の終結だったとか、EUの理念はコミンテルン以来のものだ旨(今回の上記)の叙述とか、すでに「特色のある」、あるいは「奇抜な」叙述に何度か触れてきている。
 西尾幹二は<保守派内部での野党>的な立場を採りたかった、あるいはそれを「売り」=セールスポイントにしたかったようで、古くは小泉純一郎首相を「狂気の首相」、「左翼ファシスト」と称した。
 前者は書名にも使われた。2005年/西尾・狂気の首相で日本は大丈夫か(PHP研究所)。
 後者は、以下に出てくる。個別の表題(タイトル)は、その下。
 2010年/月刊正論4月号。同・日本をここまで壊したのは誰か(上掲)、所収。
 「左翼ファシスト小泉純一郎と小沢一郎による日本政治の終わり」。
 また、安倍晋三首相に対しても厳しい立場をとった。
 同・保守の真贋(2017年)の表紙にある、これの副題はこうだ。書物全体で安倍晋三批判を意図している、と評してもよいだろう。
 『保守の立場から安倍政権を批判する』
 さらに、つぎの点でも多くの、または普通の「保守」とは一線を画していた。<反原発>。この点では、竹田恒泰と一致したようだ。
 (もっとも、ついでながら、天皇位の男系男子限定継承論だけは、頑固に守ろうとしている。
 何度かこの欄で言及した岩田温との対談で、西尾はこう発言している。月刊WiLL2019年4月号=歴史通同年11月号。
 「びっくりしたのは、長谷川三千子さんがあなたとの対談で女系を容認するような発言をしたことです。あんなことを、長谷川さんが言うべきではない。」)
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 上のような調子だから、西尾の「反米」論が多くのまたは普通の「保守」派と異なる、「奇抜」なものになるのもやむを得ないかもしれない。
 既に引用・紹介したうち、「奇抜」・「珍妙」ではないかと秋月は思う部分は、例えば、つぎのとおり。
 ①2008年12月/日本が「一つだけナショナリズムの本気で目覚める契機」になるのは、「アメリカが、尖閣諸島や竹島、北方領土などをめぐって、中国、韓国そしてロシアの味方」をして「日本を押さえ込もうとしたとき」だ。
 ②2009年6月/「中国の経済的協力を得るためには、日本の安全でも何でも見境なく売り渡すのが今のアメリカ」だ。中国が「米国の最大の同盟国になっている」。アメリカは韓国・台湾・日本から「手を引くでしょう」が、「その前に静かにゆっくりと敵になるのです」。
 ③同/「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国の対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあ」る。「ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきている」。
 ④2009年8月/安倍首相がかつて村山・河野両談話を認めたのは「敗戦国」だと言い続けないと国が持たないと「勝手に怯えたから」で、「そういう轍のような構造に、おそらく中国とアメリカの話し合いで押し込められたのだろう」。
 ⑤2013年/やがてアメリカが「牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
 以上、かなり、ふつうではない、のではなかろうか。上の⑤によると、今年か来年あたりにはアメリカが「襲撃」してきて、日本には「悲劇的破局の光景」がある
 どれほど「正気」なのか、レトリックなのか、極端なことを言って「特色」を出したいという気分だけなのか、不思議ではある。
 しかし、2020年のつぎの書物のオビには、こうある。
 西尾・国家の行方(産経新聞出版、編集責任者は瀬尾友子)
 「不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成」。
 上に一部示したような「洞察」が適正で、「予言」が的中するとなると(皮肉だが)大変なことだ。
 上の2020年書の緒言は、国家「意志」を固めないとして日本および日本人を散々に罵倒し、最後にこう言う。どこまで「正気」で、レトリックで、どこまでが<文筆業者>としての商売の文章なのだろうか
 「一番恐れているのは…」だ。「加えて、米中露に囲まれた朝鮮半島と日本列島が一括して『非核地帯』と決せられ」、「敗北平和主義に侵されている日本の保守政権が批准し、調印の上、国会で承認してしまうこと」だ。
 「しかし、事はそれだけでは決して終わるまい。そのうえ万が一半島に核が残れば、日本だけが永遠の無力国家になる」。「いったん決まれば国際社会の見方は固定化し、民族国家としての日本はどんなに努力しても消滅と衰亡への道をひた走ることになる」だろう。
 「憲法九条にこだわったたった一つの日本人の認識上の誤ち、国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義の行き着くところは、生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為にすぎなかったことをついに証拠立てている」。
 以上。
 「生きる意志」を持ち出したり「感傷」的美化を嫌悪している点は、今回の最初の方にある「祝祭劇」という語とともに、ニーチェ的だ。これは第三点に関係するのでさて措く。
 さて、西尾の「洞察と予言」が適切だとすると、将来の日本は真っ暗だ。というよりも、「民族国家」としては存在していないことになりそうだ。
 どんなに努力しても「消滅と衰亡への道をひた走る」のであり、「余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義」は「単純な自殺行為」に行き着くのだ。
 日本が「消滅と衰亡への道」を進んで「自殺」をすれば、さすがに西尾幹二は「洞察と予言」がスゴい人物だったと、将来の日本人(いるのかな?)は振り返ることになるのだろう。これはむろん皮肉だ、念のため。
 ——
 第三点へとつづける。

2376/西尾幹二批判026—同2019年著①。

 一 岡本裕一郎・いま世界の哲学者が考えていること(ダイアモンド社、2016)にいつかまた触れたいが、「はじめに」では、①「IT(情報通信)革命」、②「 BT(生命科学)革命」が社会や人間を根本的に変えようとしている、③「資本主義や、宗教からの離脱過程」が方向変換しつつある、④「環境問題」もある、なんていうことが書いてある。
 そして、<哲学は今、何を問うているのか>と問い、目次・構成にそった形で、序章の最後にこの書で扱う対象をこう要約している〔ここではさらに要約)。
 ①哲学は今、何を解明しているか、②IT は何をもたらすか、③BT・バイオテクノロジーは何を…、④資本主義にどう向き合うべきか、⑤宗教は今の私たちにどんな影響をもつか、⑥私たちの「環境」はどうなっているのか。
 こういう、哲学と「現代」の問題・世界に関心をもつと、つぎの西尾著は<別世界>の中にあるようだ。国家、民族、自由と民主主義、「共産主義」等々への関心を私が失った、というのでは、全くないけれども。
 --------
  西尾幹二・国家の行方(産経新聞出版、2019)を、だいぶ遅れて入手した。
 上の書よりも後に編まれたものだが、対象は<旧態依然>としている。だが、産経新聞や雑誌・月刊正論、その他の<いわゆる保守>派にはお馴染みの、あるいは得意な?主題かもしれない。私にだって、十分に馴染みはある。
 それにしても、書物の「オビ」の宣伝文句・惹句というのは面白い。
 この西尾著のオビは、こう書いている。なかなかすごいのではないか。
 「日本はどう生きるのか。
 民族の哲学・決定版
 不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成。」<以上、表>
 「自由、平等、平和、民主主義の正義の仮面を剥ぐ。
  <中略>
 今も力を失わない警句。」<以上、裏>
 誰が発案したのか知らないが、産経新聞出版の担当者はなかなかゴマすりが(依然として?)、あるいは宣伝が(L・コワコフスキによると「嘘つき」だが非難に値しない?)、なかなか上手い。
 さて、産経新聞上の「正論」欄101篇(1985-2019)を収録して、「国家の行方」という表題にしている。
 1989-91年以降の90年代の日本の新聞や「論壇」の状況に興味はあるが、なかなか辿れないので、少しは役立つような気がする。
 この1985-2019年の34年間ほどの西尾幹二が寄稿した「正論」を全て収載しているような書き方をしている。しかし、この点は怪しいのではないか。つまり、2019年時点での加筆・修正は行っていないとしても、割愛して収載対象から除外した個別の「正論」欄文章はあるのではないか。
 こんなことを書くのも、西尾幹二全集を西尾は実質的には個人・自主編集しているようで(むろん出版社の国書刊行会に事務的な「手伝い」編集者・担当者はいる)、各巻の出版の時点で、かつての文章二つ以上を併せて一つにしたり、また、刊行・出版の時点で「加筆・修正」したと明記してあるものまであるからた。
 西尾幹二全集は、決して主題ごとに、この人物の「過去の」、「歴史となっている」文章を〔主題ごとに可能な限り時代・時期順に)そのまま掲載・収載している「全集」ではない。各巻の「しおり」にではなく、本体そのものに西尾以外の人物による「ヨイショ」文章が同じ(またはそれ以上の活字の)大きさで付いているのも、目を剥くことだが。
 かつまたついでに書けば、①最初の新聞・雑誌投稿時点、②それらを単行書としてまとめた時点(の加筆・修正)、かつその時点での概括、③「全集」出版時点での西尾による概括・論評(ほぼ「自賛」)等の種別が少なくともあって、この「全集」は、はなはだ読みにくい。三島由紀夫全集のように(第三者による)詳細な<索引(可能ならば人物・事項別)>を付けるつもりなどはきっとないのだろう。全集収載の諸文章の初出・加筆の年次別の詳細な一覧をまとめるだけの「誠実さ」をこの人は持っているのかどうか。<全巻完結>とだけ大々的に?宣伝させるのだろう。
 元に戻ると、このような西尾の自分の「過去の」文章に対する対応をその「全集」編集の仕方で少しは知っているために、上の書でも、きっと今の時点で<まずい>とあるいは表向き主題に合わないと西尾が判断する「正論」欄文章は、その旨を明記することなく(この点が重要だ)、除外しているのではないかと、天の邪鬼に、あるいは疑心暗鬼に想像してしまうわけだ。
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  ここまで一気に書いたら、もう長くなった。
 冒頭の「はしがき」にあたるものと、2019.03.01付産経新聞に掲載した文章で成る「おわりに」だけを読み終えた。
 全体としてのこのような書自体と、上の二つの論考?について、すでに言いたいこと、書きたいことが山ほど?ある。
 この人が書いていることは、しょっちゅう(少なくとも主要主張または重点レベルで)変わり、決して一貫していない。かつまた、政治(・国際政治)・外交、日本政府の政策について、元来はこれらに「ただの」シロウトの、文学部卒・文芸評論家が、これほどに偉そうに、<上から目線>で、国際政治(アメリカ政治・外交を含む)・日本の政治や政策について、何やら長々と?語っていること、そしてまとめてこういう書物を刊行できること自体に、西尾がこの著の冒頭では論難している「日本国家」と日本社会の退廃を十分に感じとることもできる。
 さらには、元来の学者・研究者から離れて、新聞・雑誌出版業界に「こき使われて」、こんな文章を書くための準備に日々を費やして、もっと重要で基礎的なことの「入力」を忘れてしまった、つまりは<文章執筆請負自営業者>になり果てて、思想・哲学も、そして元来は研究対象だったはずのドイツの「哲学」・「歴史学」等の状況を平行して把握しておくことも忘れてしまった人物の<悲哀>を、あるいは西尾の好きな言葉では「悲劇」を、十分に感じさせる書物だ。
 その意味では、時代的・歴史的意義をやはりもつ(決して好意的・肯定的評価ではないが)。
 回を改めて、つづけよう。
 ——

1349/日本共産党の大ウソ・大ペテン17。

 今回は「休憩」して、若干のメモを残すにとどめる。
 1 不破哲三・レーニンと「資本論」7ー最後の三年間(新日本出版社、2001)p.90-196(とくにp.120-2)、レーニン全集第33巻(大月書店、1959/1978の26刷)のとくにp.79-109。この二つを比較・確認しつつ読んだ。
 不破、そして志位和夫、そして日本共産党の<大ウソ>・<大ペテン>は明らかだ。
 何回かあとに詳しく述べる予定だ。
 気になること。兵本達吉・日本共産党の戦後秘史(産経新聞出版、2005)も関係文献で、「28項」の「ロシア革命は何であったか?」はネップにも分かりやすく言及している。
 しかし、p.443で兵本は、レーニンは「1922年秋頃」になるとトーンに「明らかな変化」を見せ、「我々は、社会主義に対する我々の見地全体が根本的に変化したことを、認めなければならない」と書いた、としている。この発言または文章は「市場経済を通じて…」論に有利であるかにも見えるが、進んで引用・紹介しそうなものなのに、不破哲三の上掲書には引用・紹介されていない(と思われる)。レーニンのいつの、(全集掲載ならば)レーニン全集各巻のどこに載っているのだろうか。1922年秋の11月にはコミンテルン大会でのレーニン生前最後の演説があったりするが、稲子恒夫・ロシアの100年(既出)の年表類でも上の旨の発言・文章は確認できない。
 2 ソ連について触れようとしつつ、いつから「共産党」になったのか、ソ連はいつ結成されたのかと迷うことがある。つぎのようにメモしておく。
 ①「ロシア社会民主労働党」から「ロシア共産党(ボルシェヴィキ)」への名称変更-1918.03.
 ②「共産主義インターナショカル(コミンテルン)」<第三インター>結成大会-1919.03(→最後の第7回大会は1935.07-08)
 ③「ソヴィエト社会主義共和国連邦」結成-1922.12. 
 *1924.01、レーニン死去
 ④「ロシア共産党(ボ)」から「全連邦共産党(ボルシェヴィキ)」への改組-1925.12.
 3 日本共産党、不破哲三らの書いていること、主張していることは時期により大きくまたは微妙に異なっているので、いつの時期の文章か、とりわけいずれの綱領(改定)に関する報告等であるのか、に意識・留意しておかなければならない。以下もメモ。
 現在の日本共産党(宮本→不破→志位)は1961年綱領から出発していると理解しているので、それを含めてその後、以下の8つの綱領があったことになる。
   ①日本共産党1961年綱領 1961.07第08回党大会
   ②1973年、同・一部改定 1973.11第12回党大会
   ③1976年、同・一部改定 1976.07第13回臨時党大会
   ④1985年、同・一部改定 1985.11第17回党大会
   ⑤1994年、同・一部改定 1994.07第20回党大会
   ⑥ 2004年、同・全面改定 2004.01第23回党大会
   *④と⑤の間に<ソ連崩壊>があった。
以上。
 
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  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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