秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

産経新聞

2477/西尾幹二批判048—根本的間違い(4-2-2)。

 西尾幹二の思考はじつは単純なので、思い込みまたは「固定観念」がある。
 その大きな一つは「共産主義=グローバリズム」で<悪>、というものだ。
 典型的には、まだ比較的近年の以下。この書の書き下ろし部分だ。引用等はしない。
 西尾・保守の真贋(徳間書店、2017)、p.16。
 そして、その反対の「ナショナリズム」は<善>ということになる。日本会議(1997年設立)と根本的には差異はないことになる。
 この点を重視すると、西尾の「反米」主張も当然の帰結だ(「反中国」主張とも矛盾しない)。
 さらに、EU(欧州同盟)も「グローバリズム」の一種とされ、批判の対象となる(英国の離脱は単純に正当視される)。
 ①2010年/月刊正論4月号。同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010年)所収。
 項の見出しは「EUとアメリカとソ連が手を結んだ『歴史の終わり』の祝祭劇」。
 「フクヤマの『歴史の終わり』…。これをそのままそっくり受けてEUの理念が生まれ、1992年に…EUが発足します」。
 ②2017年/月刊Hanada2月号。同・保守の真贋(上掲)、所収。
 「EUは失敗でした。
 共産主義の代替わり、コミンテルン主導のインターナショナリズムが名前を変えてグローバリズムとなりました。
 それがEUで、国家や国境の観念を薄くし、ナショナリズムを敵視することでした。」
 何と、西尾幹二によると(ほとんど)、「コミンテルン主導のインターナショナリズム」=「グローバリズム」=「EU」なのだ。
 それに、1992年のEU発足以前に、EEC(欧州経済共同体)とかEC(欧州共同体)とか称されたものが既にあったことを、西尾は知って上のように書いているのだろうか。
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 前回にいう後者Bについて。
 さて、「反共」とともに、またはそれ以上に、「反米」を主張すべきだ、という西尾幹二の基本的論調の間違いの原因・背景の第二の二つ目(B)と考えられるのは、こうだ。
 独特な、または奇抜な主張をして、または論調を張って、「保守」の評論者世界の中での<差別化>を図っていた(いる)と見られる、ということ。
 既出の言葉を使うと、文章執筆請負業の個人経営者として、「目立つ」・「特徴」を出す・「角を立てる」必要があった、ということだ。
 ソ連圏の崩壊は「第三次世界大戦」の終結だったとか、EUの理念はコミンテルン以来のものだ旨(今回の上記)の叙述とか、すでに「特色のある」、あるいは「奇抜な」叙述に何度か触れてきている。
 西尾幹二は<保守派内部での野党>的な立場を採りたかった、あるいはそれを「売り」=セールスポイントにしたかったようで、古くは小泉純一郎首相を「狂気の首相」、「左翼ファシスト」と称した。
 前者は書名にも使われた。2005年/西尾・狂気の首相で日本は大丈夫か(PHP研究所)。
 後者は、以下に出てくる。個別の表題(タイトル)は、その下。
 2010年/月刊正論4月号。同・日本をここまで壊したのは誰か(上掲)、所収。
 「左翼ファシスト小泉純一郎と小沢一郎による日本政治の終わり」。
 また、安倍晋三首相に対しても厳しい立場をとった。
 同・保守の真贋(2017年)の表紙にある、これの副題はこうだ。書物全体で安倍晋三批判を意図している、と評してもよいだろう。
 『保守の立場から安倍政権を批判する』
 さらに、つぎの点でも多くの、または普通の「保守」とは一線を画していた。<反原発>。この点では、竹田恒泰と一致したようだ。
 (もっとも、ついでながら、天皇位の男系男子限定継承論だけは、頑固に守ろうとしている。
 何度かこの欄で言及した岩田温との対談で、西尾はこう発言している。月刊WiLL2019年4月号=歴史通同年11月号。
 「びっくりしたのは、長谷川三千子さんがあなたとの対談で女系を容認するような発言をしたことです。あんなことを、長谷川さんが言うべきではない。」)
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 上のような調子だから、西尾の「反米」論が多くのまたは普通の「保守」派と異なる、「奇抜」なものになるのもやむを得ないかもしれない。
 既に引用・紹介したうち、「奇抜」・「珍妙」ではないかと秋月は思う部分は、例えば、つぎのとおり。
 ①2008年12月/日本が「一つだけナショナリズムの本気で目覚める契機」になるのは、「アメリカが、尖閣諸島や竹島、北方領土などをめぐって、中国、韓国そしてロシアの味方」をして「日本を押さえ込もうとしたとき」だ。
 ②2009年6月/「中国の経済的協力を得るためには、日本の安全でも何でも見境なく売り渡すのが今のアメリカ」だ。中国が「米国の最大の同盟国になっている」。アメリカは韓国・台湾・日本から「手を引くでしょう」が、「その前に静かにゆっくりと敵になるのです」。
 ③同/「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国の対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあ」る。「ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきている」。
 ④2009年8月/安倍首相がかつて村山・河野両談話を認めたのは「敗戦国」だと言い続けないと国が持たないと「勝手に怯えたから」で、「そういう轍のような構造に、おそらく中国とアメリカの話し合いで押し込められたのだろう」。
 ⑤2013年/やがてアメリカが「牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
 以上、かなり、ふつうではない、のではなかろうか。上の⑤によると、今年か来年あたりにはアメリカが「襲撃」してきて、日本には「悲劇的破局の光景」がある
 どれほど「正気」なのか、レトリックなのか、極端なことを言って「特色」を出したいという気分だけなのか、不思議ではある。
 しかし、2020年のつぎの書物のオビには、こうある。
 西尾・国家の行方(産経新聞出版、編集責任者は瀬尾友子)
 「不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成」。
 上に一部示したような「洞察」が適正で、「予言」が的中するとなると(皮肉だが)大変なことだ。
 上の2020年書の緒言は、国家「意志」を固めないとして日本および日本人を散々に罵倒し、最後にこう言う。どこまで「正気」で、レトリックで、どこまでが<文筆業者>としての商売の文章なのだろうか
 「一番恐れているのは…」だ。「加えて、米中露に囲まれた朝鮮半島と日本列島が一括して『非核地帯』と決せられ」、「敗北平和主義に侵されている日本の保守政権が批准し、調印の上、国会で承認してしまうこと」だ。
 「しかし、事はそれだけでは決して終わるまい。そのうえ万が一半島に核が残れば、日本だけが永遠の無力国家になる」。「いったん決まれば国際社会の見方は固定化し、民族国家としての日本はどんなに努力しても消滅と衰亡への道をひた走ることになる」だろう。
 「憲法九条にこだわったたった一つの日本人の認識上の誤ち、国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義の行き着くところは、生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為にすぎなかったことをついに証拠立てている」。
 以上。
 「生きる意志」を持ち出したり「感傷」的美化を嫌悪している点は、今回の最初の方にある「祝祭劇」という語とともに、ニーチェ的だ。これは第三点に関係するのでさて措く。
 さて、西尾の「洞察と予言」が適切だとすると、将来の日本は真っ暗だ。というよりも、「民族国家」としては存在していないことになりそうだ。
 どんなに努力しても「消滅と衰亡への道をひた走る」のであり、「余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義」は「単純な自殺行為」に行き着くのだ。
 日本が「消滅と衰亡への道」を進んで「自殺」をすれば、さすがに西尾幹二は「洞察と予言」がスゴい人物だったと、将来の日本人(いるのかな?)は振り返ることになるのだろう。これはむろん皮肉だ、念のため。
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 第三点へとつづける。

2473/西尾幹二批判046—根本的間違い(続4-1)。

 (つづき)
 六 1 ソ連崩壊により時代は新しくなり、「反共」とともに、またはそれ以上に、「反米」を主張すべきだ(但し、既述の2002年時点での重要な例外がある)、という西尾幹二の間違いの原因・背景の第一は、<日本会議>とその基本的見解だ、と考えられる。第一という順番に大した意味はない。
 「新しい歴史教科書をつくる会」が1996年末に発足したのを追いかけるように、翌1997年5月日本会議が設立された。
 「つくる会」と日本会議は、したがって前者の会長の西尾幹二は、椛島有三を事務局長(現在は事務総長)とする日本会議と、2006年に「つくる会」が(当時の西尾によると)同会に潜入していた日本会議グループによって実質的にに分裂する直前までは、友好関係にあった。
 その日本会議は設立宣言の一部でこう謳った(今でも同サイト上に掲載されている)。 
 「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時 代に突入している」。
 「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」という一文によって明記されているわけではないが、<マルクス主義の誤りは「余すところなく」暴露された>とあるのだから、「マルクス主義」についてもはや研究・分析する必要はない、という意味も込められている、と見られる。
 そして、日本会議の運動は実際に、「反共」ではなく「日本」・「民族」を正面に掲げるものだった。すなわち、資本主義と社会主義(・共産主義)の対立から<諸国・諸民族>の対立へ、という基本的図式で時代の変化を理解する、というものだ。
 この点が、1990年代半ば以降の(<日本文化会議>が存在した時期とは異質な)日本の「保守」派の少なくとも主流派の主張または基調となる。産経新聞や月刊正論の基調も、今日までそうだと感じられる。反中国ではあっても、「反共」の観点からするのと、「中華文明」に対する<日本民族>の立場からするのとでは大きく異なる。なお、余計ながら、月刊正論(産経)の近年の結集軸はさらに狭まって、<天皇・男系男子限定継承>論(への固執?)だろう。
 「反共」意識が強くて<親英米派>の中川八洋は少数派だったと見られる。というよりも、「保守」の人々の多くが大組織と感じられた?日本会議に結集した、または少なくとも<反・日本会議>の立場をとらなかったために、中川八洋は少数派に見えた(見えている)のかもしれない。
 西尾幹二もまた主流派の輪の中にいたのであり、既述のように、西尾会長時代の「つくる会」と日本会議は友好・提携関係にあった。
 「つくる会」の分裂後の2009年の対談書で西尾は、「残された人生の時間に彼ら(=日本会議)とはいっさい関わりを持たないでいきたいと思います」とまで発言した。
 しかし、世界情勢の理解という点では、日本会議(派)と基本的には何ら変わらなかった。
 例えば、月刊正論2009年6月号。
 1991年のソ連崩壊により「世界中に…民族主義の炎が燃え広がったわけですから、日本の保守政権も…軍事的、政治的、外交的に自立への道を歩みだすチャンスであったのに、実際にはまるで逆の方向、隷属の方向に進んでしまいました」。
 また、例えば、月刊正論2018年10月号
 「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても、対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうという課題は依然として残って」いる、という点で渡部昇一と一致しました。
 このような状況・時代の認識において、西尾幹二は基本的なところで日本会議(派)と共通したままだ。
 西尾が「産経文化人」としてとどまっておれるのも、日本会議と共通するこうした基本的な理解+<天皇・男系男子継承>論の明確な支持、による、と考えられる。
 ついでながら、西尾の日本会議に対する意識は、2009年段階での「残された人生の時間…いっさい関わりを持たないでいきたい」から、近年ではまた?変化しているようだ。
 2019年1月時点で公にされたインタビュー記事で、「つくる会」の分裂に関して、こう発言している。 
 2019年1月26日付、文春オンライン(今でもネット上で読める)。
 「日本会議の事務総長をしていた椛島(有三)さんとは何度か会ったこともあり、理解者でもあった。
 だから、この紛争が起きてすぐに私が椛島さんのところへ行って握手をして、『つくる会』事務局長更迭を撤回していれば、問題は回避できたかもしれない
 それをしなかったのはもちろん私の失敗ですよ。
 しかしですね、私は『つくる会』に対して…だけが目的の組織ではないという思い、もっと大きな課題、…を目ざす思想家としての思いがある。
 だから、ずるく立ち回って妥協することができなかった。そこが私の愚かなところ。」
 以上が、関係する全文の範囲。
 「この紛争が起きてすぐに私が椛島さんのところへ行って握手をして」おけばよかったかもしれない、と発言しているのは全くの驚きだ。
 かつまた、そうするのは「ずるく立ち回って妥協する」ことで、そうできなかったのは自分の「思想家としての思い」と合理化、自己正当化し、「愚かなところ」と卑下?しているのは、 じつに興味深い。
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 第二の原因・背景へとつづく。

2457/西尾幹二批判038—皇太子妃問題②。

 本来の予定では、西尾幹二個人編集の同全集第17巻・歴史教科書問題のつぎの重要な特徴を書くことにしていた。すなわち、一定時点以降にこの問題または「つくる会」運動(分裂を含む)に関して西尾が自ら書いて公にした文章を(「後記」で少し触れているのを除き)いっさい収載していない、という「異常さ」だ。
 いつでも書けることだが、再度あと回しにして、新しい「資料・史料」に気づいたので、それについて記す。
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  西尾幹二が2008年前後に当時の皇太子妃は「仮病」だとテレビ番組で発言した、ということは高森明勅の今年になってからのブログ記事で知った。
 その番組を見直すことは到底できないと思っていたら、実質的には相当程度に西尾の発言を記録している記事を見つけた。つぎだ。
 「セイコの『朝ナマ』を見た朝は/第76回/激論!これからの“皇室”と日本」月刊正論2008年11月号166-7頁(産経新聞社)。
 ここに、2008年8月末の<朝まで生テレビ>での西尾発言が、残念ながら全てではないが、かなり記録されている。引用符「」付きの部分はおそらく相当に正確な引用だと思われる。
 以下、西尾発言だけを抜き出して、再引用しておく。「」の使用は、原文どおり。
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 雅子妃は「キャリアウーマンとしても能力の非常に低い人低いのははっきりしている」。「実は大したことない女」。
 雅子妃には「手の打ちようがないな」。
 「一年ぐらい以内に妃殿下は病気がケロッと治るんじゃないかと思います。理由はすでに治っておられるからです。病気じゃないからです。」
 「これも言いにくいことですが、私が書いたことで一番喜ばれているのは皇太子殿下、その方です。私は確信を持っています」。「皇太子殿下をお救いしている文章だと信じております」。
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 以上、「仮病」というそのままの言葉はないが、「病気じゃない」という発言があるので、実質的に同じ。上の<セイコ>も、「最後に平田さんも雅子様を仮病と批判」と記して「仮病」という言葉を使い、出席者のうち西尾幹二と平田文昭の二人が「仮病」論者だったとしている。
 <セイコ>の感想はどうだったかというと、「二人とも、やけくそはカッコ悪いよ」と書いているから、西尾・平田に対して批判的だ。
 なお、上の引用文のうち最初の発言に対して、矢崎泰久は「天皇家にと取っ掛かることによって自分の存在価値を高めたいという人」と批判し、出版済みの『〜御忠言』についても「天皇をいじくるな」「あなた、天皇で遊んでいるよ」と批判した、という。
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  あらためて「仮病」発言について論評することはしない。
 だが、想像していたよりも醜い発言ぶりだ。「能力の非常に低い」、「実は大したことない女」とは、凄いではないか。
 これによると西尾幹二は自著を最も喜んでいるのは当時の皇太子殿下だと「確信」し、同殿下を「お救い」していると「信じて」いる、とする。
 別に書くかもしれないが、西尾幹二著によって最も傷つかれたのは、雅子妃殿下に次いで、皇太子殿下だっただろう。さらに、現在の上皇・上皇后陛下もまた。「ご病気」の継続の原因にすらなったのではないか。
 西尾幹二
 この氏名を、皇族の方々は決して忘れることはない、と思われる。もちろん、天皇男子男系論者としてではない。
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 三 1 上を掲載している月刊正論2008年11月号の<編集者へ>の欄には、西尾幹二を擁護して当時の皇太子妃に批判的な投稿が二つあり、逆の立場のものはない。
 同編集部は、<セイコ>記事とのバランスを取ったのか。それとも、<セイコ>の原稿を訂正するわけにもいかず、編集部は西尾幹二の側に立っていたのか(代表は上島嘉郎で、桑原聡よりは数段良い編集者ぶりなのだが)。
 2 上の<セイコ>記事を読んで、当時に月刊正論上で西尾と論争していたらしい松原正は、月刊正論同年12月号にこう「追記」している。
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 「西尾幹二という男について真顔で論ずるのは、所詮、愚か者の所行なのかもしれない」。
 なぜ唐突にこう書くかというと、11月号の(セイコの)記事を読み、「呆れ返ったから」だ。
 「西尾が狂っているのではなく、本当の事を喋ってゐるのならば、西尾が…くだくだしく述べてきたことの一切が無意味になってしまう」。
 「かふいう無責任な放言を、それまで熱心に西尾を支持した人々はどういふ顔をして聞くのであらうか」。
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 ほとんど立ち入らない。
 ただ、「西尾が狂っているのではなく、本当の事を喋ってゐるのならば」、という部分は、相当にスゴい副詞文だと感じる。
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  ついでに。
 西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』(2008年)は相当に話題になり「売れた」はずの、単一の主題をもつ西尾の単行本だ(主題が分散している単行本もこの人には多い)。
 しかし、同全集には収載されないようであり、そもそもが「天皇・皇室」を主テーマとして函の背に書かれる巻もないようだ。
 個人編集だから、自分の歴史から、自著・自分が紛れもなく書いた文章の範囲から、完全に排除できる、と西尾は考えているのだろうか。全集第17巻にも見られる、自分史の一種の「捏造」・「改竄」なのだが。
 だが、活字となった雑誌や本は半永久的に残り、こういう文章を残す奇特な?者はきっといる。
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2449/ニーチェ研究者・適菜収の奇矯①。

  適菜収は「反橋下徹」で目立つ風変わりな物書きで、橋下徹(・日本維新の会)と組んだ憲法改正には断固反対すると安倍晋三政権のときに書いていたし、同じく「反橋下徹」で、工学部教授でありながらH・アレントに依拠してと虚言を吐いて「ファシズム」に関する本を出版した、やはり風変わりな藤井聡(京都大学)と対談などもしていた。
 その(私から見ての)奇矯さが強く印象に残っていたが、最近、適菜収は「ニーチェ研究者」だとか「ニーチェを専攻」だとかを自書等に自ら記していることを思い出した。または、それに気づいた。
 但し、ニーチェに関する新書類を複数出しながら、学界・アカデミズム内で「ニーチェ研究者」と認知されているわけでは、間違いなくない。大学文学部卒とだけ経歴にあるので、せいぜい卒業論文の主題をニーチェにした程度で、大学院に進学してニーチェに関する研究論文を執筆したのでは全くないと推察される。取得していればすすんで明記するだろう、「文学博士」との記載もない。
 一般的に学界・アカデミズムの優先・優越を前提としているのでは全くないが、上のことは、適菜収の理解や主張を少なくとも「うのみ」にしてはならないことの理由にはなるだろう。
 下にも出ているが、私の知る限りでは、月刊雑誌(のしかも実質的巻頭)に初めて登場したのは、桑原聡・代表、川瀬弘至・編集部員時代の月刊正論(産経新聞社)2012年5月号だった。
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  月刊正論や産経新聞の本紙自体に適菜収が登場したことを契機としてだろう、産経新聞社に対して、愛読者から、つぎのような助言または警告が発せられた。
 それは「産経新聞愛読者倶楽部」というサイトに投稿されたもののようで、実際の執筆者の氏名等は不明だ。但し、無署名であることが内容の虚偽や不誠実性の根拠にただちになるわけではない。
 適切だと感じる点も多く、また初めて知ることもあった。以下に出てくるベンジャミン・フルフォードという人物は、カナダ生まれだが日本の大学を卒業し、のちに日本に帰化した。外国人だから世界的な権威がある程度はあるのだろうと感じる人がいないとも限らないので、あえて記しておいた。
 以下のは、引用符を付けないが。投稿文のほぼ全文で(もともと本欄による一部省略あり〉、この欄にすでに2012年4月に掲載していたものの再掲だ。改行箇所を増やす等の変更だけは行なっている。
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 産経新聞社発行の月刊『正論』5月号(3月31日発売)は『【徹底検証】大阪維新の会は本物か/理念なきB層政治家/橋下徹は『保守』ではない!』と題した論文をメーン記事として掲載しました。
 筆者は適菜収という37歳の聞いたことのない哲学者です。この中で適菜は『B層』について『近代的理念を盲信する馬鹿』と定義して、橋下市長を『アナーキスト』『デマゴーグ』などと非難しています。
 巻末の編集長コラム『操舵室から』でも桑原聡編集長が『編集長個人の見解だが、橋下氏はきわめて危険な政治家だと思う』と表明しています。//

 雑誌を売るためにインパクトのある記事を載せているのなら仕方ないなと思っていたら、なんときのう(6日)の産経新聞1面左上(東京本社版)にも適菜収が登場して<【賢者に学ぶ】哲学者・適菜収/「B層」グルメに群がる人>というコラムを書いていました。B級グルメをもじって「B層グルメ」という言葉を紹介しています。
 『≪B層≫とは、平成17年の郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で『マスメディアに踊らされやすい知的弱者』を指す。彼らがこよなく愛し、行列をつくる店が≪B層グルメ≫だ』そうです。
 締めくくりは『こうした社会では素人が暴走する。≪B層グルメ≫に行列をつくるような人々が『行列ができるタレント弁護士』を政界に送り込んだのもその一例ではないか』です。橋下叩きを書くために、延々と食い物と『B層』の話をしているだけの駄文です。//

 われわれ保守派としては、橋下徹氏が今後どのような方向に進んでいくかはもちろん分かりません。
 しかし、職員組合に牛耳られた役所、教職員組合に支配された教育現場を正常化する試みは橋下氏が登場しなければできませんでした。自民党は組合との癒着構造に加わってきたのです。私は少なくとも現段階では橋下氏を圧倒的に支持します。//
 そもそも『B層』という言葉には非常に嫌な響きがあります。適菜がいみじくも『馬鹿』と書いているように、いろいろな連想をさせる言葉です。//

 ちなみに適菜収はサイモン・ウィーゼンタール・センターから抗議を受けたこともあります。
 読売新聞平成19年2月22日付夕刊「徳間書店新刊書の販売中止を要請/米人権団体『反ユダヤ的』/【ロサンゼルス=古沢由紀子】ユダヤ人人権団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は21日、徳間書店の新刊書『ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ』について、『反ユダヤ主義をあおる内容だ』として、同書の販売を取りやめるよう要請したことを明らかにした。同書の広告を掲載した朝日新聞社に対しても、『広告掲載の経緯を調査してほしい』と求めたという。
 同書は、米誌フォーブスの元アジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォード氏と、ニーチェ研究家の適菜収氏の共著で、今月発刊された。サイモン・ウィーゼンタール・センターは反ユダヤ的な著作物などの監視活動で知られている。
 徳間書店は、『現段階では、コメントできない。申し入れの内容を確認したうえで、対応を検討することになるだろう』と話している。//

 産経新聞平成19年2月23日付朝刊「米人権団体『反ユダヤ的陰謀論あおる』本出版、徳間に抗議/【サンフランシスコ=松尾理也】米ユダヤ系人権団体のサイモン・ウィーゼンタール・センター(ロサンゼルス)は21日、日本で発売中の書籍ニーチェは見抜いていた—ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ』(徳間書店)について、『反ユダヤ的な陰謀論の新しい流行を示すもの』と批判する声明を発表した。同センターは同時に、同書の広告を掲載した朝日新聞社に対しても、掲載の理由を調査するよう求めている。
 問題となった書籍は、米誌フォーブスの元アジア太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォード氏と、ニーチェ研究家、適菜収氏の共著。2月の新刊で、朝日新聞はこの本の広告を18日付朝刊に掲載した。
 同センターは、同書の中に『米軍は実はイスラエル軍だ』『ユダヤ系マフィアは反ユダヤ主義がタブーとなっている現実を利用してマスコミを操縦している』などとする内容の記載があり、米国人とイスラエル人が共同で世界を支配しているという陰謀論をあおっているとしている。」//
 産経新聞1面左上のコラム(東京本社版)は約30人の『有識者』が日替わりで執筆しています。適菜収がここに登場したのは初めてです。
 つまり適菜は執筆メンバーになったわけですが、いったい誰が登用したのでしょうか。
 産経新聞は適菜を今後も使うかどうか、よく身体検査したほうがいいでしょう
 ——
 以上。

2390/西尾幹二批判027・同2019年著②。

  西尾幹二・国家の行方(産経新聞出版、2019)。
 冒頭に、刊行に際して新たに執筆されたようである、緒言的な24-25頁の文章がある。収録した産経新聞上の「正論」の内容を反復したり概述したりしたものではなく、刊行時点での西尾幹二の<述懐>を記述しているのだろう(2019年末〜2020年冒頭に執筆)。
 西尾幹二らしい特徴がここにも見られるので、上の文章に限ってコメントする。その一回め。
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  全体からいくつかの基本的感想が生じる。
 関係し合っているが、第一は、<アメリカ>へのこだわりだ。北朝鮮や中国・韓国も出てくるが、この人の意識(・頭)を占めているのは圧倒的に「アメリカ」(と日本)だ。
 第二、上の反映として、中国や北朝鮮への強い非難・批判の調子はないか弱い。
 これは、西尾幹二における<反共産主義>の欠如か脆弱性を示している。
 第三に、やや次元が異なるが、アメリカ(・トランプ大統領)の良心的な?示唆・誘導を受けても動こうとしない日本、ということを何度もくどくどと書いて、立派ないわば「反日」論、日本国家・日本人批判論になっている。
 上の第三点から触れよう。
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  西尾幹二の図式はこうだ。アメリカ・トランプ大統領の<日米安保不公平論>(p.4-5「彼の心の中ではすでに安保条約は破棄されている」)等→日本の自立を促す→日本国家と日本人は何もせず、「国家意志」がない。
 ++ 
  日本国家・日本人に対する痛罵の言葉が多いのは、つぎのとおり。
 ①「日本人よ、今こそ本気で考えよ、と言ってくれたのは、親切心の表れであって、脅かしでも何でもない。それなのに日本人は今度も反応しない。居眠りをし続けている」。p.5。
 ②江戸時代の「鎖国」状態だ。幕末前のように、「眠ったままなのか、眠ったふりをしているのか、…仮睡(うたたね)は日本人の習性」だろうか。p.6。
 しかしもちろん、西尾幹二だけは違う(と思っている)。
 「ほぞを噬む思いで溜息をを漏らしつつ事態の動きを深刻に見つづけているのである」。p.6。なお、<ほぞを噬む思いで溜息をを漏らしつつ>とは文芸畑の人らしい形容副詞句。こういうのを頻繁に行うと、字数は多くなり、文章は長くなる。
 日本人・「日本民族」への罵倒はつづく。
 ③「たった一度の敗戦が…次の世代の生きんとする本能まで狂わせてしまった、というのが実態かもしれない」。p.6。
 ④「たった一度の敗戦で立ち竦んでしまうほど日本民族は生命力の希薄な国民だったのだろうか」。p.7。
 若干の?中断ののち、罵倒あるいは厳しい批判がつづく。
 ⑤アメリカ政府にあり日本政府にないのは「地域全体を見ている統治者の意識」だ。「日本人は幕末より以前の時代感覚に戻ってしまっている」。p.18。
 つぎの二つもなかなかすごい。
 ⑥韓国と「同じ種類の国家観念の喪失症を患っているのが日本人」でないか。
 ⑦「深く軍事的知能と結びつい」た「最悪の事態を考える能力」を失っていることは「人間失格だということさえもまったく分からないほどに何かがまるきり見えなくなっている」。p.18。
 そして、決定的には、あるいは最終的には、つぎの結論へと至る。将来予測か現状認識かがやや意味不分明だが、日本は「消滅と衰亡」の道を進むことになり、「生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為」をしている、ということのようだ。
 ⑧「民族国家としての日本はどんなに努力しても消滅と衰亡への道をひた走ることになるであろう」。
 ⑨「憲法9条にこだわったたった一つの日本人の認識上の誤ち、国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義の行き着くところは、生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為にすぎなかったことをついに証拠立てている」。
 この⑨が追記部分以外の元来の文章の結び。
 ++++
  何故こんなに悲憤慷慨しているのか? なんでこんなに日本国家と日本人を責めるのか?
 もちろん、その言う「日本人」の中に西尾幹二本人は含まれない。自分だけは別で、自分はきちんと正しく気づいているのに、その他一般の大衆?「日本人」が悪い、とうわけだ。
 何に悲憤慷慨しているかというと、日本国家と日本人には「国家意志」がない、ということに尽きる
 ①「テーマはどこまでも日本人の国家意志の自覚の問題である」。p.17。
 ②「問われているのは常に日本人の『意志』なのである」。p.21。
 そして、この文章(緒言)全体の表題は、「問われている日本人の意志」、ということになっている。p.1。
 ++++
  では、いかなる「意志」、「国家意志」を持てばよいのか。
 人文社会系の多少とも学術的論文または小論だと、「問われている日本人の意志」を主題とすると明記したからには、その「意志」、「国家意志」の内容を整理して、箇条書きにでもして明記しておくものだが、西尾幹二は、そんな下品な?ことをしない。
 親切にも?、読者の判断と解釈に委ねている。
 そして、なるほど、ある程度は理解することができる。
 抽象的には、<対米自立>だ。
 しかし、<(対米)自立>の「意志」と言ったところで、それだけでは具体性を欠く寝言にすぎない。西尾幹二が想定していると見て間違いないのは、おそらくつぎだ。
 ①日本国憲法の改正、とくに9条2項を改めて、「軍隊」保持を明確にすること。
 ②この「軍隊」は当然に、北朝鮮有事で「戦争」を仕掛けられれば「戦争」をする(p.19-p.20参照)。「敵基地」先制「攻撃」もすることができる(p.7)。
 ③この「軍隊」は核兵器も持つ(p.5参照)。
 しかし、この程度のことなら、西尾幹二に限らず、主張している論者はいくらでもいるだろう。少なくとも西尾幹二だけに特有なのではない。憲法改正も含めて、国家・日本人全体の「意志」にまで高まってはいないとしても。
 したがって、大仰に嘆き悲しみ、自分だけは気づいていると<上から目線で>、日本人・日本民族と日本国家を罵倒することができるほどのものなのか、という大きな疑問が生じる。
 ついでながら、第一にレトリックの問題。西尾において憲法9条を改正できない「日本型平和主義」の行き着き先が「単純な自殺行為」なのだが、この「日本型平和主義」には、「国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた…」という形容詞が付いている。
 「国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた」という言葉上の長ったらしい表現で、具体的に何かが明瞭になるわけではない。
 第二に、不思議なのだが、西尾はしきりと北朝鮮関係の「有事」に触れるが、<尖閣有事>も<台湾有事>も念頭に置いていないような書き振りだ。
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 4 さて、西尾幹二は明記していないが、その言う「国家意志」の中には、日米安保条約の廃棄まで入っているのか?
 対米従属を脱して<自立>しようと言うなら、自国は自分たちだけで「防衛」する、集団的安全保障体制には組み込まれない、という考え方もあり得る。しかし、西尾は何ら触れていない。
 何ら触れていないということは、そこまでの主張はしていない、ということだろう。
 このあたりで既に、西尾幹二における安全保障および軍事に関する基礎知識・素養のなさが表れていると見られる。
 西尾は国際政治、日米関係、軍事・軍事技術等の専門家では全くない。そのことを意識・自覚しているのだろうか?
 日米安保条約の廃棄、韓国軍等との「協力」体制の廃棄までにいたっていない主張は、上記のとおり、珍しくも何ともない。わざわざ、「国家意志」を持て、と執拗に指摘するほどの主張ではない。
 西尾幹二は、いったいなぜ、いったい何を、喚いているのか?
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  つぎに記したいことを先取りして、資料・史料として先ずいくつか引用しておこう。
 ①西尾幹二の2019年著の上と同じ緒言。
 1989年の「ベルリンの壁」の崩壊以降、「なぜ東アジアに共産主義の清算というこの同じドラマが起こらないのか」。
 「…中国という国家資本主義政体の出現そのものが『ベルリンの壁』のアジア版であった、と、今にしてようやく得心の行く解答が得られた思いがする」。p.21-p.22。
 ②1997年に設立された<日本会議>の「設立宣言」の一部。
 「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時 代に突入している」。
 ③西尾幹二・2017年1月29日付<つくる会>「創立二十周年記念集会での挨拶」
 「私たちの前の世代の保守思想家、たとえば…に反米の思想はありません。/反共はあっても反米を唱える段階ではありませんでした」。
 「はっきりした自覚をもって反共と反米とを一体化して新しい歴史観を打ち樹てようとしたのは『つくる会』です」。「反共だけでなく反米の思想も日本の自立のために必要だということを、われわれが初めて言い出したのです」。
 同全集第17巻・歴史教科書問題(国書刊行会、2018)712頁。
 今回は立ち入らないが、このような総括には、2017年段階での西尾幹二による「つくる会」に関する<歴史の捏造>・<歴史の偽造>がある、と見られる。
 ④西尾幹二・国民の歴史(1999年)第34章の一部。
 「われわれを直接的に拘束するものは、今はない。…
 これからのわれわれの未来には輝かしきことはなにも起こるまい。
 共産主義体制と張り合っていた時代を、懐かしく思い出すときが来るかもしれない。私たちは否定すべきいかなる対象さえもはや持たない。
 同全集第18巻・国民の歴史(国書刊行会、2017)633頁。
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2380/古田博司「歴史に必然なんかない」(歴史通2012年7月号)。

  古田博司「時代の触覚11/歴史に必然なんかない」歴史通2012年7月号(ワック出版、2012年)。
 この頃の<歴史通>には古田博司と宮脇淳子がよく書いている。季刊雑誌のほぼ毎号ではないか。
 また、推測だが、この<歴史通>という雑誌名は、産経新聞社および月刊正論らが始めた(そしていつか、何故か、たち消えになっている)「歴史戦」というキャンペーンと関係があったのではないだろうか。そして、今や<歴史通>と<月刊WiLL>は融合、統合?したような様子であるのは(私の印象では)何故なのだろう。
 この当時の編集長は立林昭彦。のち、花田紀凱のあとの月刊WiLL(ワック)編集長。この立林と花田はともに、櫻井よしこを理事長とする国家基本問題研究所の評議員。
 2000年前後、そして民主党政権だった2009-2012年頃は、月刊正論らには、現在と比べるといろいろな人が幅広く執筆していた。
 所収も堂々と?書いていたし、小林よしのりも書いていた(確認しないので今思い出すのはこの二人だが、現在は絶対にまたはほとんど執筆者になっていない人が他にもいる筈だ)。
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  さて、「歴史に必然なんかない」という表題に興味を持ったのでは全くない。
 「学者」批判、とくに「歴史」、「哲学」の学者への皮肉っぶりもよろしいのだが、目を惹いたのは、つぎの部分だ。
 古田は、ドイツやフランスではなく経験主義?のイギリスだというようなことを書いた直後にこう記す。以下、引用。
 「お手本はドイツ人やフランス人ではない。アングロサクソンになる。
 彼らに一度くらい敗けたからといって、いつまでもすねていると、敗け甲斐がない。ちゃんと真似ようではないか。//
 前にそう書いたら、編集部に削られたことがあった。」
 戦勝国にはフランスも入っている、などと瑣末なことを言いたいのではない。
 注目は、上の最後の部分、「編集部に削られた」だ。
 「すねている」とか「敗け甲斐」という表現の仕方が原因ではないだろう。
 アングロサクソン、つまりアメリカやイギリスを「ちゃんと真似よう」、英米をモデルにしよう、少なくとも(独仏よりも)支持しようという、多分に諧謔も込めた主張が、「編集部」のお気に召さなかったのだろうと思われる。
 どの雑誌の「編集部」か明記されていない。親英米の主張を許さないとは、どの雑誌(または新聞)だったのだろうか。
 また、「削られた」というのは必ずしも正確ではなく、「削ってほしい」、「表現を変えてほしい」という<要請>に古田が「しぶしぶ、いやいや」従ったのを「削られた」と表現した(そのように彼は感じた)可能性はある。
 しかし、確認すべきは、雑誌「編集部」なるものの<力の強さ>、表現・出版活動に関係する(むろん国家の一部ではないが)「権力」の大きさだ。
 対外的には個人名をあまり知られない、雑誌等の編集者、とりわけ編集長(・編集代表)、またついでに記せば、同じく個人名は知られることが一般には少ない、テレビ番組、とくに報道関連番組のディレクター類。
 この人たちかどんな本を読み、どんな人間関係の中にあり、どんな「歴史観」・「世界観」をもっているかは、現実には今の日本を相当程度に維持したり、変えたりしている。つまり、影響力が相対的に大きいように見える。
 原稿を提出した執筆者のその原稿の一部を「削る」(と少なくとも感じられる)ことをする権限を、「編集部」は有しているのだ。
 ついでに言えば、テレビの上記のディレクター類は、番組の基本方向や雰囲気を決定し、コメンテイターらを選別する「大きな権力」をもっているか、それを分有していると見られる。
 新潮社の冨澤祥郎とか、筑摩書房の湯原法史(西尾の新書<あなたは自由か>を担当)とかの個人名を、組織に埋没させることなくもっと公にすべきだ(なぜこんな本を編集して出版するのか問うべきだ)と、近年はとくに感じている。
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  2017年6月、西尾幹二はつぎのことを自らのウェブサイトで明らかにした。
 産経新聞6月1日付「正論」欄に掲載された文章は、一部についてつぎのような「変更・修正」を求められて、西尾も従ったものだ、という。
 元々の原稿—「櫻井よしこ氏は五月二十五日付『週刊新潮』で、『現実』という言葉を何度も用い、こう述べている。」
 変更後の実際に掲載された文章—「現実主義を標榜する保守論壇の一人は『週刊新潮』(5月25日号)の連載コラムで「現実」という言葉を何度も用いて、こう述べている。」
 このような変更・修正を求めるに際して同新聞「正論」欄担当者は、つぎの旨を西尾に語った、という。
 ①「櫻井氏の名前は出さないで欲しい」。②「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないから」。
 この件については、むしろ西尾幹二を擁護したい気分で、すでにこの欄に記した。→No.1607(2017年6月28日)
 西尾よりも、櫻井よしこの方が、産経新聞グループには貢献度が高いのだろう。
 あるいは産経新聞編集部にとっては少なくとも、「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージ」を抱かれないことの方が、「自由な」言論よりも、と大げさに書かなくても、たんなる個人名の明記よりも、大切なのだ。
 この件もまた、「編集部」の力強さ・「権力」の大きさを示している。
 そして、西尾幹二もまた自分の文章の大半が産経新聞に掲載されることを、かつまた継続して「正論」欄への寄稿の依頼(文章執筆の発注)を受けることを優先した。そして、あとで<ぐじゃぐじゃと>と不満を書きつつも、そのときはやむをえず?従ったのだろう。
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  月刊正論(産経新聞社)の編集について編集代表の力が大きそうであることは(かつ適切とは思えないことは)、つぎの人物がその立場にいたときに何度かこの欄に記したことがある。
 桑原聡。とくに、桑原聡①・No.1226〔2013.11.15) 桑原聡②・No.1225(2013,11.14)
 適菜収という訳の分からない文章書きを雑誌デビューさせたのは、この人物だと見られる。
 さらに恐ろしいことを書いていたのは、桑原聡編集長時代の月刊正論内の読者投稿欄を担当していた、川瀬弘至だった。この人物は、<読者への回答>の一部でこう明記した。 
 「日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には、我々は異見を潰しにかかります」。
 ナツィスは「民族」を理由に、ソヴィエト(・共産主義)は「思想」を理由に、少なくとも「体制・指導者への従順さ」の欠如を理由として、大量殺戮を行った。
 さいわい、川瀬弘至は産経新聞の一社員にすぎない。
 しかし、「我々」の「判断」した「異見」は「潰しにかかる」という言い方は、ナツィスや共産主義者、要するに「全体主義」者の意識・考え方を、十分に彷彿させるところがある。
 だから、今の日本で巧妙に生きていくためには、<文章書き>は、左であれ右であれ、上であれ下であれ、新聞・雑誌、出版社の「編集部」に従順でなければならず、反抗してはならない。
 むしろ某のように、自分のブログにその人物の写真まで掲載して褒めて、編集代表に媚び、原稿執筆の注文をできるだけ多く受けなければならない。
 一定の活字産業が(地上波テレビとともに)衰退気味であるらしいのは、けっこうなことだ。
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2376/西尾幹二批判026—同2019年著①。

 一 岡本裕一郎・いま世界の哲学者が考えていること(ダイアモンド社、2016)にいつかまた触れたいが、「はじめに」では、①「IT(情報通信)革命」、②「 BT(生命科学)革命」が社会や人間を根本的に変えようとしている、③「資本主義や、宗教からの離脱過程」が方向変換しつつある、④「環境問題」もある、なんていうことが書いてある。
 そして、<哲学は今、何を問うているのか>と問い、目次・構成にそった形で、序章の最後にこの書で扱う対象をこう要約している〔ここではさらに要約)。
 ①哲学は今、何を解明しているか、②IT は何をもたらすか、③BT・バイオテクノロジーは何を…、④資本主義にどう向き合うべきか、⑤宗教は今の私たちにどんな影響をもつか、⑥私たちの「環境」はどうなっているのか。
 こういう、哲学と「現代」の問題・世界に関心をもつと、つぎの西尾著は<別世界>の中にあるようだ。国家、民族、自由と民主主義、「共産主義」等々への関心を私が失った、というのでは、全くないけれども。
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  西尾幹二・国家の行方(産経新聞出版、2019)を、だいぶ遅れて入手した。
 上の書よりも後に編まれたものだが、対象は<旧態依然>としている。だが、産経新聞や雑誌・月刊正論、その他の<いわゆる保守>派にはお馴染みの、あるいは得意な?主題かもしれない。私にだって、十分に馴染みはある。
 それにしても、書物の「オビ」の宣伝文句・惹句というのは面白い。
 この西尾著のオビは、こう書いている。なかなかすごいのではないか。
 「日本はどう生きるのか。
 民族の哲学・決定版
 不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成。」<以上、表>
 「自由、平等、平和、民主主義の正義の仮面を剥ぐ。
  <中略>
 今も力を失わない警句。」<以上、裏>
 誰が発案したのか知らないが、産経新聞出版の担当者はなかなかゴマすりが(依然として?)、あるいは宣伝が(L・コワコフスキによると「嘘つき」だが非難に値しない?)、なかなか上手い。
 さて、産経新聞上の「正論」欄101篇(1985-2019)を収録して、「国家の行方」という表題にしている。
 1989-91年以降の90年代の日本の新聞や「論壇」の状況に興味はあるが、なかなか辿れないので、少しは役立つような気がする。
 この1985-2019年の34年間ほどの西尾幹二が寄稿した「正論」を全て収載しているような書き方をしている。しかし、この点は怪しいのではないか。つまり、2019年時点での加筆・修正は行っていないとしても、割愛して収載対象から除外した個別の「正論」欄文章はあるのではないか。
 こんなことを書くのも、西尾幹二全集を西尾は実質的には個人・自主編集しているようで(むろん出版社の国書刊行会に事務的な「手伝い」編集者・担当者はいる)、各巻の出版の時点で、かつての文章二つ以上を併せて一つにしたり、また、刊行・出版の時点で「加筆・修正」したと明記してあるものまであるからた。
 西尾幹二全集は、決して主題ごとに、この人物の「過去の」、「歴史となっている」文章を〔主題ごとに可能な限り時代・時期順に)そのまま掲載・収載している「全集」ではない。各巻の「しおり」にではなく、本体そのものに西尾以外の人物による「ヨイショ」文章が同じ(またはそれ以上の活字の)大きさで付いているのも、目を剥くことだが。
 かつまたついでに書けば、①最初の新聞・雑誌投稿時点、②それらを単行書としてまとめた時点(の加筆・修正)、かつその時点での概括、③「全集」出版時点での西尾による概括・論評(ほぼ「自賛」)等の種別が少なくともあって、この「全集」は、はなはだ読みにくい。三島由紀夫全集のように(第三者による)詳細な<索引(可能ならば人物・事項別)>を付けるつもりなどはきっとないのだろう。全集収載の諸文章の初出・加筆の年次別の詳細な一覧をまとめるだけの「誠実さ」をこの人は持っているのかどうか。<全巻完結>とだけ大々的に?宣伝させるのだろう。
 元に戻ると、このような西尾の自分の「過去の」文章に対する対応をその「全集」編集の仕方で少しは知っているために、上の書でも、きっと今の時点で<まずい>とあるいは表向き主題に合わないと西尾が判断する「正論」欄文章は、その旨を明記することなく(この点が重要だ)、除外しているのではないかと、天の邪鬼に、あるいは疑心暗鬼に想像してしまうわけだ。
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  ここまで一気に書いたら、もう長くなった。
 冒頭の「はしがき」にあたるものと、2019.03.01付産経新聞に掲載した文章で成る「おわりに」だけを読み終えた。
 全体としてのこのような書自体と、上の二つの論考?について、すでに言いたいこと、書きたいことが山ほど?ある。
 この人が書いていることは、しょっちゅう(少なくとも主要主張または重点レベルで)変わり、決して一貫していない。かつまた、政治(・国際政治)・外交、日本政府の政策について、元来はこれらに「ただの」シロウトの、文学部卒・文芸評論家が、これほどに偉そうに、<上から目線>で、国際政治(アメリカ政治・外交を含む)・日本の政治や政策について、何やら長々と?語っていること、そしてまとめてこういう書物を刊行できること自体に、西尾がこの著の冒頭では論難している「日本国家」と日本社会の退廃を十分に感じとることもできる。
 さらには、元来の学者・研究者から離れて、新聞・雑誌出版業界に「こき使われて」、こんな文章を書くための準備に日々を費やして、もっと重要で基礎的なことの「入力」を忘れてしまった、つまりは<文章執筆請負自営業者>になり果てて、思想・哲学も、そして元来は研究対象だったはずのドイツの「哲学」・「歴史学」等の状況を平行して把握しておくことも忘れてしまった人物の<悲哀>を、あるいは西尾の好きな言葉では「悲劇」を、十分に感じさせる書物だ。
 その意味では、時代的・歴史的意義をやはりもつ(決して好意的・肯定的評価ではないが)。
 回を改めて、つづけよう。
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2072/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史06。

 一 産経新聞2019年10月21日付は、自民党有志「日本の尊厳と国益を護る会」提言を報道する中で、こう記述している。ネット上による。一文ごとに改行。
 「皇統は126代にわたり、父方の系統に天皇をもつ男系で維持されてきた。
 女性天皇は10代8人いたが、いずれも父方をたどると初代の神武天皇に行き着く男系だ。
 女性天皇の子が即位した『女系天皇』は存在しない。」
 これが日本会議諸氏・櫻井よしこや「126代」と明記した西尾幹二らの見解として書かれているならばよい。
 驚いたのは、これが、「沢田大典」という署名のある産経新聞記者による「地」の本文の中にある、ということだ。
 産経新聞社または産経新聞記者は、日本の(天皇の)歴史をこう確定的に記述する、いかなる資格・権限があるのだろうか。歴史の「捏造」ではないか。せめて、<~と言われている>くらいは追記しておくべきだ。
 日本書紀には代数の記載はなく(近年の<日本書記>現代訳文の書物には参考として日本書記原文にはない代数を記載しているのもあるが紛らわしい)、「大友皇子=弘文天皇」の記事はなく、一方、女性の「神功皇后」の記事は(神武等々と同じ扱いで)いわば一章を占める。
 冒頭の「皇統は126代にわたり」という数字自体、明治期以降の<決定>にもとづくものだ。
 また、「初代の神武天皇」という記述自体、<日本書記によれば>という話で、<史実>性は疑わしい。
 「女系天皇」の存否や「神武」以降の不連続性の可能性には立ち入らないが、明治維新以降、戦前までの<国定・公定>歴史解釈を現在の全国民が採用して「信じる」義務はない。
 しかるに、産経新聞の記者は何を考えているのだろう。
 堅い読者層の中に<天皇・愛国・日本民族>の「右翼」派が多いからといって、歴史を勝手に「創造」してはいけない。朝日新聞の「虚報」・「捏造」ぶりと本質的にどこが違うのか。
 二 池田信夫Blog/2019年11月7日付(全部は11/11の電子マガジン配信予定らしい)は、こう書く。こちらの方が適切だろう。但し、以下は一部省略しているが、「儒教の影響」だとする等の専門的知見は、私にはない。
 「天皇家をめぐる論争では、天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ。
 万世一系は岩倉具視のつくった言葉であり、『男系男子』は明治の皇室典範で初めて記された原則である。」
 「それまでの政権は万世一系どころか、継体天皇以前は王家としてつながっていたかも疑わしいが、そのうち有力だった『大王』が『天皇』と呼ばれた。
 中国の建国神話をモデルにして『日本書記』が書かれ、8世紀から遡及して多くの天皇が創作され、天皇家が神代の時代から世襲されていることになった。」
 「武士が実権を握るようになると、天皇は忘れられた。
 それを明治時代に『天皇制』としてよみがえらせたのが、長州の尊皇思想だった。
 それは『王政復古』を掲げていたが、実際には新しい伝統の創造だったのだ。」
 三 <古式に則り>という言葉を最近によく聞くが、その<古式>の全てではないにせよ、明治期以降の<古式>・儀礼方法であることが多いだろう。
 先月10月22日の「即位礼正殿の儀」を、テレビでたぶん全部視ていた。
 最近の関心からは、<神道>的色彩がどれほどあるかに興味があった。
 所功(ところ・いさお)らによると京都御所には「宮中三殿」はなかったらしいから、「宮中三殿」中での賢所等での天皇の儀礼は、大正天皇からなのだろう。しかし、これは<神道>的・式なのかもしれない。もっとも、神道式とは特定できない<天皇・皇室に独自の儀礼>かもしれない。「神道」の意味・範囲にもかかわる。
 一方、<高御座>で言葉を述べられる等の「国事行為」は、当然に特定の「宗教」色があってはならずせいぜい<日本の伝統>に即して、ということに理屈上はなると思われる。
 だが、素人の私の感触では、「日本」独特というよりも、「中国」(むろん過去の)の影響・色彩を強く感じた。
 なるほど十二単衣等は「平安王朝」的かもしれないが、前庭に立っていた「幟」の様子・色彩や「萬歳」と明らかに明確に漢字で書かれた旗などは、日本の「みやび」・「わびさび」等々の<和風>とは離れた<中国>風に感じた。高御座の建築様式自体も、どちらかというと神社ではなく寺院に見られるように感じた。これが仏教的なのか、道教なのかあるいは儒教ふうなのかは正確にはよく分からない。
 ひるがえると、明治天皇の即位の場合はどういうふうだったのだろうか。
 新政府が安定した(戊辰戦争勝利)後だったのか否かも、確認していない。
 しかし、まだ<神武天皇創業>以来の「日本的」儀礼の仕方が確定されていない時期だとすると、<即位の礼>が純粋に<日本的>ましてや<神道式>であったかどうかは疑わしいだろう。そして、この明治天皇を含めてそれ以降の大正天皇等の<即位の礼>の様式を、今回も採用したような気もする。
 上のことは、<即位の礼>に関することで、天皇の死後の葬礼・墳墓の性格となると、つぎのように、話は異なるようだ。
 四 この欄で、京都・泉涌寺に関係して、室町時代から江戸末期の仁孝天皇までとは異なる、つまり<仏教式>ではない葬礼と陵墓が明治天皇の父親の孝明天皇について行われたようだ、と書いた。№.1982、2019/06/18。
 専門家がいずれの分野にもいることは分かっているので「大発見」のつもりで記したのでは全くない。
 きわめて興味深く感じたので、孝明天皇陵については陵墓の方式自体が九重仏塔を持たない「円墳」のようだと書いたのだった(一般には立ち入れないので、既存の写真に頼るしかなかった)。
 しかし、推測が妥当であることを、上記の池田信夫Blog が挙げているつぎの書物によって確認することができた。
 小島毅・天皇と儒教思想-伝統はいかに創られたのか?-(光文社新書、2018)。
 こう書かれている。
 「文久年間に在位していた孝明天皇は、…慶応へと改元されたその二年の年末、12月25日(グレゴリオ暦では1967年1月30日)に崩御する。
 翌慶応三年にはその陵墓が、じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された。
 陵墓に埋葬され、かつ国家管理の聖地とされたのは、明治政府の陵墓政策を先取りするものだった。」
 この「山稜」というのは、南向きで南側に拝礼場があると見られる、<後月輪東山陵>のことで、現在も京都市東山区・泉涌寺の東の丘の中腹にある。
 先だっては記さなかったが、それまでの天皇は「仏式」でかつ「火葬」のあとで納骨されて葬られている(かつ真西の方向を向く)のに対して、孝明天皇については(「神道」式か否かは不明だが少なくとも)「仏教式」ではなくかつ「土葬」の陵墓のようだ。
 しかも、上の書物によると、「じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された」、とある。
 これまた、<新しい伝統の創造>だっただろう。
 もっとも、かつての「山稜形式」は「神道」式と称し得るものであるかについては、疑問が残る。
 いわゆる前方後円墳(伝仁徳天皇陵、伝応神天皇陵が著名)が「神道」式なのかというと、おそらくこれを肯定する学者・論者は存在しないのではないか。
 この問題は、「神道」というのはいったい何だったのか、いつ頃どのように形成され、意識されたのか、といった疑問にかかわる。
 櫻井よしこは、神道の「寛容」性のゆえに仏教伝来を許した、という旨を明記している(別に扱う)。聖徳太子の時代頃の「仏教伝来」以前にすでに確たる「神道」があった、という物言いなのだが、果たして本当か? 
  天皇家と「神道」に(神武天皇以来?)強く密接な関係がある、天皇家の「宗教」はずっと神道だ、と主張するならば、古代天皇は「神道」式で葬られたのか? その儀礼や墳墓の様式は?
 尊いはずの初代・神武天皇陵の場所が特定されて整備され、近傍に橿原神宮が造営されたのは、いったいいつの時代にだったのか? まだ150年ないし120年ほどしか経っていない。
 「初代の神武天皇」と「史実」のごとく平気で書く産経新聞記者・沢田大典は、そのような「初代」天皇の「墓」の所在地が<2000年以上>も不明なままだったことを、不思議とは感じないのだろうか。「古い」ことだから仕方がない、では済まないと思われる。
 このあたりは、あらためて触れることにする。

2024/読売=朝日+毎日、減紙率1位毎日・2位産経。

 新聞全国紙の発行部数についてのいわゆる「ABC部数」が発表されているようだ。
 2019年3月現在。対前年同月部数比とその割合。1000部未満を四捨五入。
 いわゆる「押し紙」を含むので、配達される実数ではない。丸数字とコメントは私のもの。
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 読売新聞   ①811万5000部、⑤-38万9000部、②- 4.8%
 朝日新聞   ②560万4000部、③-37万7000部、③- 6.7%
 毎日新聞   ③245万2000部、④-38万4000部、⑤-15.6%
 日本経済新聞 ④234万7000部、①-10万2000部 ①- 4.4%
 産経新聞   ⑤139万2000部、②-12万6000部 ④- 9.0%
    計(全体) 1991万部   -137万8000部  -6.9%
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 コメント①-朝日+毎日=805万6000で、読売811万5000にほぼ等しい。
 コメント②-上の812万や806万と比べて、産経新聞の139万2000は、17%で、5~6分の1にすぎない。
 コメント③-減少率一位は毎日で1年で-16%、二位は産経で1年で-9%。

1999/池田信夫のブログ009-朝日・鈴木規雄。

 池田信夫ブログマガジン2019年7月8日号「慰安婦問題の知られざる主役」。
 鈴木規雄(~2006)という名も含めて、知らなかったことが多いので、要約的紹介。
 ***
 1990年まで慰安婦問題はほとんど知られていなかったが、これを日韓の外交問題にしたのは朝日新聞だ。第一報を書いた植村隆は当時33歳の駆け出しで、キャンペーンの責任者は当時大阪社会部デスクの「鈴木規雄」だった。
 1988年、鈴木は千葉支局デスク時代に初めて「日本人慰安婦」証言を記事にしたあと、1991年8月に大阪社会部デスクで「慰安婦の記事を書かせた」。
 1992年1月、宮沢喜一訪韓直前に「軍関与示す資料」トップ記事が出たときの東京社会部デスクは、鈴木規雄だった。
 1997年3月に、信憑性が怪しくなった吉田清治証言の「真偽は確認できない」との曖昧な総括記事取材班の人選をしたのは、当時名古屋社会部長の鈴木規雄だった。
 上の時期の朝日新聞・外報部長は吉田清治を「世に出した」清田治史だった。この人物は「勤務していた大学を辞職し、その後は姿を消している」。
 鈴木規雄が慰安婦問題で力をもったのは社会部「本流」だったからだろう。大阪社会部で頭角を現し、京都・蜷川虎三府政を応援する記事を書いた。
 鈴木規雄は「共産党員(もしくはそのシンパ)だったとみられ」、朝日新聞は「革新」府政の原動力となった。
 大阪のマスコミは営業的にも「在日」・「同和」の読者が重要で、「慰安婦キャンペーン」は「大阪ジャーナリズム」の総集編ともいうべきものだった。
 鈴木規雄が「自分の書かせた特ダネに事実関係に致命的な誤りがあったことに気づかなかった」とは思えず、遅くとも1997年には気づいたはずだ。
 なぜ2014年まで隠蔽されたのか。「朝日新聞は、まだ大きな問題を隠している」。
 ***
 若干の感想・コメント。
 第一。保守・右派や革新・左派の「論壇・評論家・知識人」たちと同様に、あるいはそれら以上に、現実の「知的」雰囲気を作ったのはジャーナリズムで、新聞、テレビ局を含み、さらに広くは<情報産業>全体を、もっと広くは<情報・エンターテイメント産業>を含む。「産業」・「企業体」だ。
 そして、そうした「産業」界の面々は組織・企業の一員として働くので、「論壇・評論家・知識人」たちと違って(「個人営業」をしないので)、個人の固有名詞が世間一般には出てくる頻度がはるかに少ない。
 上の鈴木規雄、清田治史もそうだが、大手新聞社(+共同通信等)の要職者・社説執筆者、最終的構成・校正担当者はもちろん、テレビ番組の制作責任者(・ディレクター)や月刊雑誌・週刊誌等の「編集」担当者、さらに大手出版社の単行本発行に関与する「編集」担当者もそうだ。
 こういう<業界人>たちは、どのような人物なのか。どのような教育を受け、どのような一般的知識をもち、かつどのような<政治的>感覚を基礎的に身につけているのか。
 そのレベルや内容は、社会にも、「政治」にも、そして「投票行動」にも、全体としては無視できない影響を与えることになっているだろう。
 第二。全てを「個人」に還元させることはできない。例えば、朝日新聞社、読売新聞社、産経新聞社のいずれに入社するかで、ある人物の人生は大きく変わるに違いない。組織内で「出世」しようと思えば思うほど、当該新聞社の「主流的」論調に合わせようとするだろうと思われる。
 産経新聞社の主流論調は、<天皇を戴く国のありようを何よりも尊い>と感じることなのだろうか(例、桑原聡)。
 この産経新聞社内にいると、九州・中国地方の、平安期以降に新たに生まれた<神武天皇東遷>の伝承記録も、<神武…は実際にあった>の証拠になるのかもしれない。
 なお、「個人」が直接に特定の<政党>の影響下にあることはもちろんあるだろう。
 朝日新聞社や岩波書店のみならず、新潮社にも講談社にも平凡社にも、れっきとした日本共産党員はいると思われる。
 少なくとも、自分の会社から日本共産党・不破哲三の本を出版させようと考える「容共産党」の編集者はいる(新潮社・平凡社)。提案して、社内での編集会議ないし出版会議を通過させれば、大手出版社の名で出版することは可能だ。
 第三。しかしまた、個々の組織人で成り立つ新聞社等の情報産業界に、政党直接でなくとも、「評論家・知識人」たちが<空気>の有力な一つとして影響を与えていることも確かだろう。もっとも、相対的には後者の力は落ちているようにも思われる。
 <論壇>とか、<言論思想界>なるものは、ごく一部の者がその「存在」を信じているにすぎない「夢想郷」なのではないか。あるいは、存在しても、その現実的影響力は、当事者たちが想定しているよりも遙かに弱く、100分の1、1000分の1ほどなのではないか。
 第四。朝日新聞批判、朝日新聞拒絶は、この欄の発足時で立脚点だったことで(当初のサブ・タイトルは「反朝日新聞・反日本共産党」だった)、近年になってようやく<えせリベラル>などと指摘して批判的立場を明確にするようでは遅すぎる(例、八幡和郎)。そういう意味では、今回紹介の池田信夫の文章も、無意識に想定していた範囲内に十分にある。

1994/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題④。

 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)所収の同「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。
 西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ③のつづき。直接の引用には、明確に「」を付す。原文とは異なり、読み易さを考慮して、ほぼ一文ごとに改行している。
 --- 
 2006年4月30日「理事会」での鈴木尚之「演説」の、西尾幹二による「一部」引用。これをさらに秋月によって「一部」引用する。
 ***
 ・「西尾先生宅に送られた4通の怪メール(FAX)」の「一通〔往復私信〕は私が八木さんに渡したものである。
 もう一通〔怪文書〕は、3月28日の理事会に出席していなければ絶対に書けない内容のものであり、4通はすべて関連している内容のものである。
 八木さんは<諸君!>で『私のあずかり知らないことである』ととぼけているが、そんなことで言い逃れできるはずがない。
 これもまた、八木さんの保守派言論人としての生命に関わることである。」
 ・2006年4月4日午後2時に「私と会った産経新聞の渡部記者は、『鈴木さん、申し訳ありません』と」「謝り、『とにかく謀略はいけません、謀略はいけません。八木・宮崎にもう謀略は止めようと言ったので、もう謀略はありませんから……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕。私は、産経新聞を首になるかもしれない』と言ったのである」。
 ・この産経新聞の渡部記者は「同じことを藤岡さんにも言った」とのことがのちに明らかになり、「このことを知って私は、八木さんに『産経の記者があなたにどんな話をしているのかわからないが、藤岡さんに話したことと同じことを私にも言っているのだから、これはもう重大なことですよ。最悪のことを考えて対処しないと大変なことになりますよ。とにかく記者は顔色をなくして私にこう言ったのだから。謀略はいけない、謀略はいけないと』。
 そのとき八木さんは、『謀略文書をつくったのは産経の渡部君のくせに……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕。彼は、1通、いや2通つくった。これは出来がいいとか言ってニヤニヤしていたんだから……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕』とつぶやいたのである」。
 ・「以上のことは、4月30日の理事会で、特別の許可を得て私がした報告の内容である」。
 「八木さんを糾弾するために言ったのではない。
 八木さんが、このような『禁じ手』を使ってしまったことを反省し謝罪しないかぎり、八木さんに保守派言論人としての未来はないという危機感を持ったから」だった。
 「それでも八木さんは、謝罪することなく、『つくる会』を去って行った」。
 ***
 (以下は、西尾幹二自身の文章-秋月。)
 ・「この鈴木氏の手記から見ても、怪文書事件には八木、宮崎、渡部の三氏が関与していた疑いを拭い去ることができない(渡部記者は新田均氏のブログにこの証言への反論を載せている)」。
 「八木氏が、もしこれを『私はやっていない』『他の人がやったのだ』と言いつづけ、与り知らないことで嫌疑をかけられることには『憤りを覚える』などと言い募るとすれば」、…と同じ「盗人猛々しい破廉恥漢ということになる」。
 ・付言しておくと、「怪文書事件のほんとうの被害者は私ではなく、藤岡信勝氏である」。
 「公安調査庁の正式の文書を装って」、氏の経歴の偽造、日本共産党離党時期の10年遅らせ等の文書が「判別した限りで6種類も、各方面にファクス」で送られた。
 理事たちは「本人に聞き質すまで」混乱して疑心暗鬼に陥った。しかも氏の「義父を侮辱する新聞記事」まで登場して「私の家にも」送られた。「はなはだしい名誉毀損であり、攪乱工作である」。
 ・「現代は礼節ある紳士面の悖徳漢が罷り通る時代」だ。「高学歴でもあり、専門職において能力もある人々が」社会的善悪の「区別の基本」を知らない。
 「自分が自分でなくなるようなことをして、…その自覚がまるでない性格障害者がむしろ増えている」。
 「直観が言葉に乖離している」。「体験と表現が剥離している」。「直観、ものを正しく見ることと無関係に、言葉だけが勝手にふくれ上って増殖している」。「私が性格障害者と呼ぶのはこうした言葉に支配されて、言葉は達者だが、言葉を失っている人々」だ。
 ・「私は八木秀次氏にも一つの典型を見る。
 他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。
 言葉の向こうから語り掛けてくるもの、言葉を超えて、そこにいる人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない。」
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。
 今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼の罪はきわめて大きい。
 言論思想界がこの儘彼を容認するとすれば、…を難詰する資格はない」。
 ・「それなのに八木氏らをかついで『日本再生機構』とやらを立ち上げる人々がいると聞いて、…ほどに閑と財を持て余している世の人々の度量の宏さには、ただ驚嘆措く能わざるものがある。」
 ---
 見出しなしの最初の段落のあとの、<怪文書を送信したのは誰か>につづく<言葉を失った人々>という見出しのあとの段落が終わり。つづける。

1992/池田信夫のブログ007-西部邁という生き方②。

 池田信夫のブログ2018年1月23日付「『保守主義』に未来はあるのか」は、なるほどと感じさせた。かなり遅いが、在庫を少しでも減らしたい。
 池田によると、西部邁・保守の真髄(講談社現代新書、2017)を読むと、西部は20年ほど前から進歩していない。西部の「保守主義」には「思想としての中身がない」。以下も、要約的紹介。
 西部の「保守主義」の中身は「常識的で退屈」なので、「『反米保守』を自称して」あらゆる改革に反対するようになった。それは「文筆業として食っていくために『角度』をつけるマーケティングだったのかもしれない」。
 「保守すべき伝統」、「国柄」、「民主主義」…、「最後まで読んでも、それはわからない。…中身は陳腐な解説だ」。
 要するに彼は、「アメリカ的モダニズム」を批判しても対案のない「右の万年野党」だった。「保守主義はモダニズムの解毒財」としての意味はあったが、それ以上のものでなく、「彼に続く人はいない」。
 ***
 最も印象に残ったのは、「文筆業として食っていくために『角度』をつけるマーケティングだったのかもしれない」、かもしれない。
 勤め先・大学を辞職したあと、彼は自分と家族?のためにも文字通り「食って」いく必要があり、それは当然としてもさらには、手がけた雑誌を継続的に出版していく必要等もあった。
 第三者的想像にはなるが、そのためには活字上もテレビ上も、可能なかぎの<目立つ>必要があった。私はたぶん使わない言葉だが、やはり「マーケティング」が必要だったのではないか。
 そして、西部邁にかぎらず、何らの組織(大学・研究所)に属していない<自営業>の物書き・評論家類には、名誉心・顕名意欲に加えて、程度の差はあれ、こういう<本能>はあると思われる。
 脱線するが、上の著と並んで、西尾幹二・保守の真贋(徳間書店、2017)が出た。このタイトルは、ライヴァルの?西部の本を意識したものでは全くなかっただろうか。また、その内容(「いわゆる保守による安倍内閣批判」)は、いかほどの影響があったのかはともかく、「保守」の論としては「角度」がついている。
 そもそも上の西部著を所持すらしていないのだから、その中身・西部の「思想」はよく分かっていない(別の書について「保守」というにしては反共産主義性が弱いか乏しいというコメントをしたことがある)。
 但し、池田の上のコメントは、ある程度は「近代」批判の佐伯啓思にも当たっているような気がする(近年はとんと読まなくなった)。
 ところで、西部邁死去後の諸文の中で最も記憶に残っているかもしれないとすら思うのは、産経新聞紙上(だと思われる)の、桑原聡の追悼コメントのつぎの部分だった(記憶による)。
 <「保守論壇」の中心部分にいた人ではなかった(又は、「保守論壇」の「周辺部」にいた人だった>。
 すぐに感じたのだろうと思う。
 では、桑原聡のいう、<「保守論壇」の中心部分・中央>にいるのはどのような人々か?
 桑原聡、そして月刊正論、そして産経新聞社にとって、それは櫻井よしこ、渡部昇一らではないのか。日本会議派または、親日本会議の論者たちだ。
 そして、何とも気味が悪い想いをもったものだ。中央、中心の「保守」とは、何の意味か。

1838/2018年8月-秋月瑛二の想念④。

 月刊正論2017年3月号の「編集部作成」のチャート(マップ)は、「保守の指標」と題しつつ右上・左上・左下・右下という反時計回りの4象限をつぎのように示す。
 B/自虐・対米協調派 A/自尊・対米協調派
 C/自虐・対米不信派 D/自尊・対米不信派。
 月刊正論・産経新聞はAで、朝日新聞はCなのだそうだ。
 秋月瑛二が2017年の1/30や2/02で示したのは、つぎだった。
 B/リベラル・保守 A/ナショナル・保守
 C/リベラル・容共 D/共産主義(=ナショナル・容共)。

 対米協調・不信+自尊・自虐という二基準と保守・容共+リベラル・ナショナルという二基準とどちらが「優れて」いるか、あるいは少なくともどちらが<視野が広い>か、ということには再びたちいりはしない。
 ここで問題にしたいのは、こうした何らかの二つの要素だけを組み合わせた<社会思潮>の四分類程度で複雑・多岐にわたる「思想」・「意識」等を整理・把握できるのか、という問題設定の仕方そのものだ。
 なるほどある程度の「単純化」は必要で、そうしないと「知的」作業が成り立たない。
 しかし、わずかの四分類(四象限化)で済ませること自体が、タテ・ヨコ(上下・左右)の二次元しかない一枚の(平面の)紙の上の作業であることの限界を示しているだろう。
 つまり、三つ目の対立軸を立てて、平面四角形ではなく、サイコロの形のような立体的、三次元的四方型を想定しての思考方法を、最低でも、しなければならないだろう。
 ヒト・人間の本能に内在する感覚からしても、この程度の思考程度はかなり容易に行えそうな気がする。二次元の四象限化程度では、<簡略化>が行き過ぎている可能性がすこぶる高い。
 上のような四象限化を「公式に」示した月刊正論編集部は、その頭の単純さを暴露しているようなものだ。もっとも、それにお付き合いして対案を考えた秋月もおかしいかもしれない。
 もっと多様で柔軟な発想をすべきで、思考の方法や基準を「硬直」させてしまってはだめだ。
 ***
 例えば、「日本会議」と日本共産党は、真反対の側にいると相互に意識しているかもしれない。
 例えば平面上に一つの円があるとして、かりに前者が左端近くに、後者が右端近くにある、としよう(これも、あくまでかりにだ)。たしかに、両者は真反対の側にいて、対立しているように見える。
 しかし、その同じ円形を底面・上面とする円柱を、つぎに想定してみる。
 底から、または上からその円柱を覗いたとする。
 たしかに真下又は真上から見ると、両者は真反対側にいて対立しているようだ。
 しかし、例えば透明の円柱全体を横から眺めたとすると、「日本会議」と日本共産党はいずれも、底面部(下部)又は表面部(上部)に並ぶように存在していて、円柱全体の中ではきわめて近い位置にいる、ということが考えられる。
 対立していそうでいて、この両者は、それぞれの「観念」的な単純発想において、きわめてよく似ているのではあるまいか。
 いつか、つぎの趣旨を書いたことがある。
 不破哲三・日本共産党は「未来」にユートピアを求め、櫻井よしこ・「日本会議」は(日本の歴史・伝統/天皇という)「過去」に理想を求めようとする
 いずれも現在・現況に不満で、過去か未来の「空中の一点」に変革・回復目標を設定する点で、共通しているのではないか。
 むろん、これらは、現存勢力の支持・団結を維持し拡大するという、世俗的・卑近的な「政治的」目的をもつことでも共通するが、これは今回はさて措く。
 円柱を想定するとすれば、もちろんそれ以上に、円球、つまり地球のような丸い立体を想定し、かつその表面部分(地表面や海面)だけではなく、透明なガラス球のごとく内部・奥(地底・海底)も見える、という球形を想定することができるだろう。
 先だって、宇宙空間にいて眺めているような発想が必要だとも書いた。かりに上下・左右・前後について可視能力のある点的な物体の中に認識主体がいるとすれば、それ自体または他者の移動の方向が<上下・左右・前後>のいずれであるのは分からない、それらのいずれでもありうるのではないか、ということを書いた。
 だが、発想・思考のためには何らかの「軸」が必要だとすると、東経・西経/北緯・南緯の二つの軸で表現しうる地表面(・海面)に加えて、地球の中心(地核)までの距離(深さ)をも加えた三つの軸くらいはやはり必要かもしれない。そうでないと、全てが<相対的>になる。
 またこのように円球を想定した思考は、サイコロ的四方型を想定するよりも、はるかに複雑な思考をすることができる。
 上下・縦横・左右の三次元的発想によると、四象限ではなく、2×2×2の八象限化が可能だ。これでも線的(一次元)、平面的(二次元的)思考よりは、優れている。
 だが、所詮はまだ、<社会思潮>等を八つに分類することができるにすぎない。
 世の中には、もっと多数の、無数に近い論点、対立点がある。
 この点、その「内部」を含めた、表面ではなくてむしろ「内部」の位置こそに注目する円球・地球的発想では、ほとんど無限の位置を設定でき、かつ何らかの方法・基準・指標でそれを表現することが可能だ。
 もとより、ヒト・人間の一個体には、このような厳密で複雑な作業をする能力はない。しかし、発想としては、この程度に複雑・多様であることを意識して、「観念」化・「硬直」化を可能なかぎり回避する必要がある。
 唐突だが、では上の「厳密で複雑な作業」をITはすることができるか。将来的にも、絶対にすることはできないだろう。


1814/江崎道朗2017年8月著の無惨⑯。

 うっかりして(よくあることだ)、前回に以下を先に挿入するのを忘れていた。
 既公表のものの大幅な修正も数字等の変更もしたくないので、前回の追加の扱いとする。
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 悲惨で、無惨だ。これは、月刊正論(産経新聞社)毎号<せいろん時評>とやらを執筆している人物が<出版>した書物なのだ(評論家?、物語作家?、著述業者?、運動団体組織員?)。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 何度目かになるが、p.95の末尾を再び引用する。
 p.95-「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。
 第一に、「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報」だというのは誤りの文ではないかもしれない。
 しかし、「それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩」だなどと豪語するのは、明らかに自分は上の「公開されている情報」を「しっかり読み込んで理解」している(した)ということを含意しており、またはそう読解されてもやむをえないものだ。そして、そうだとは全く思えない。
 すなわち、「しっかり読み込んで理解」しているのでは全くなく、数十頁の間に基礎的で致命的な「誤った」理解や不十分な理解、あるいは意味不明の叙述等をしていて、むしろ<しっかり読み込まなくて、間違って、見当違いに、理解(誤解)している>というのが正鵠を射ている。
 第二。「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報」だというのは誤りの文ではないかもしれない。
 しかし、この文は、コミンテルンの資料で「公開されている情報」は、少なくとも相当部分は、自分は「使っている」=この書で「使った」、というふうに読者の理解を誘導するものだ。
 実際に江崎道朗が「使っている」コミンテルン関係資料というのは、既述のように、「公開」されているもののうち(これを日本語に翻訳されて公に出版されているもののうち、と理解するが)、ほんの僅かにすぎない。
 すでに詳しく、述べたとおり。

0841鳩山由紀夫には行政権・検察の関係をわきまえる素養があるのか?

 鳩山新内閣につき、当初、<美辞麗句(だけの)>内閣と呼んだことがあったが、ほんのしばらくして<左翼(=容共)・売国政権>との呼称と評価で一貫させてきた(つもりだ)。
 それは今でも変わらないし、ますますその感を強める。だが、<学級民主主義内閣>とか<生徒会運営内閣>とかの旨の論評も散見するし、そもそも鳩山由紀夫という人物には、(かりに日本国憲法を前提としても)国家・国政・権力分立等に関する基本的な素養が欠けているのではないか。
 1月16日午前に鳩山は小沢一郎と逢ったが、その後の記者会見で鳩山は、その際に小沢に対して、<幹事長を信じています。どうぞ(検察と)闘って下さい>と述べた、と自ら明らかにした。
 唖然とする、異常な発言だ
 小沢が<検察と闘う>ことを支持する、少なくとも容認することを鳩山が明言するということは、現在の<検察>の動きを支持していない、疑問視している、ということを意味するはずなのだ。
 そうでなければ、「どうぞ闘って下さい」などと言えるはずがない。
 しかして、鳩山は民主党代表であるとともに、日本国の内閣総理大臣、行政権・内閣の長でもある。
 検察組織も広義の行政組織に他ならない(明確に裁判所=司法権とは区別される)のだが、行政権・内閣の長が、かくも簡単に<検察>批判をしてもよいのか?? 少なくとも<検察と闘う>ことを支持・容認することをかくも安易に明言してよいのか??
 田中角栄などの元首相等が検察組織と「闘って」きたことはある。だが、現職の内閣総理大臣が<検察と闘う>ことを少なくとも支持・容認することを明言したことはなかった、と思われる。
 一般論として、検察の動きに<政治性>が全くない、とは言わない。だが、内閣総理大臣、行政権・内閣の長は、政治家がらみで捜査中あるいは訴訟継続中の事案について、どちらかに傾斜した特定の見解を示すべきではなかろう。このような、中立的・抑制的姿勢が全く感じられない「お坊ちゃん」は、首相という自らの立場を忘れ、(幹事長に頭の上がらない)政党の代表という意識しかないのではないか。こんな首相が現に、いま存在しているということは極めて怖ろしい。
 佐伯啓思は今年に入ってから産経新聞に日本では<型の喪失>が進行している旨指摘していたが、あえて関連させれば、現職内閣総理大臣においても、基本的な部分での立憲主義的<型>の忘却が見られるわけだ。異様、異常という他はない。
 ついでに続ければ、民主党の森裕子議員は「検察をトップとする官僚機構と国民の代表である民主党政権との全面的な戦争です。一致団結して最後まで戦う」と発言した。
 笑わせる、のひとこと。現に「政権」を握る者たちと「検察」の「全面的な戦争」とはいったい何だ?? それに「検察をトップとする官僚機構」と「国民の代表である民主党政権」という基本的区分自体に誤りがある。幻想・錯覚と妄想の中で生きている民主党議員も多いのだろう。 

-0068/美智子皇后と日本の文化勲章を拒否した大江健三郎。

 先月の10/20に美智子皇后は72歳になられた。その日は偶然三紙を読めたが、美智子皇后に関する記事の大きさ(広さ)は目分量で、産経を5とすると読売は4、朝日は1だった。皇室への態度の違いが反映されていると見るべきだろう。
 皇室といえば、大江健三郎が明確に語っていないとしても、かつての自衛隊や防衛大学校生に関する発言から見て、彼が反天皇・皇族心情のもち主であることは疑いえない。ノーベル文学賞を受けた1994年に文化勲章受賞・文化功労者表彰を拒んだ際に「戦後民主主義」者にはふさわしくない、「国がらみ」の賞は受けたくないとか述べたようだが、彼は要するに、天皇の正面に向かい合って立ち、天皇から受け取る勇気がなかったか、彼なりにそれを潔しとはしなかったからではないか。明確に語らずとも、怨念とも言うべき反天皇・皇室心情をもって小説・随筆類を書いてきたからだ。
 だが、「戦後民主主義」者を理由とするのは馬鹿げている。大江にとって天皇条項がある「民主主義」憲法はきっと我慢ならない「曖昧さ」を残したもので、観念上は天皇条項を無視したいのだろうが、「戦後民主主義」にもかかわらず天皇と皇室の存在は憲法上予定されている。
 敗戦時に10歳(憲法施行時に12歳)で占領下の純粋な?「民主主義」教育を受けた感受性の強く賢い彼にとって天皇条項の残存は不思議だったのかもしれないが、憲法というのは(法律もそうだが)矛盾・衝突しそうな条項をもつもので、単純な原理的理解はできないのだ。
 「国がらみ」うんぬんも奇妙だ。彼が愛媛県内子町(現在)に生れ、町立小中学校、県立高校で教育を受け、国立東京大学で学んだということは、彼は「国」の教育制度のおかげでこそ、(間接的な)「国」の金銭的な支援によってこそ成長できたのだ。「国がらみ」を否定するとは自らを否定するに等しい。そんなに日本「国」がイヤなら、中国にでもキューバにでも移住し帰化したらどうか。
 大江は一方ではスウェーデン王立アカデコーが選定し同国王が授与する賞、かつ殺人の有力手段となったダイナマイト発明者の基金による賞は受けた(スウェーデン王室は17世紀以降の歴史しかない)。さらに、2002年には皇帝ナポレオン1世が創設したフランスの某勲章を受けた、という。
 天皇が選定の判断に加わっているはずもない日本の文化勲章のみをなぜ拒否するのか。その心情は、まことに異常で「反日」的というしかない。その彼は月刊WiLL12月号によると9月に「中国土下座の旅」をし、中国当局が望むとおりの「謝罪」の言葉を述べ回った、という。「九条を考える会」の代表格の一人がこうなのだから、この会の性格・歴史観もよくわかるというものだ。


ギャラリー
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  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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