W·アイザックソン/西村美佐子=野中香方子訳・コード·ブレーカー—生物科学革命と人類の未来(原書2022、邦訳書2022)
 読み終えておらず、およそ80パーセント近くまで進んだ。
 全く付随的に、と先日には書いた同じ(元)研究所長が、人種や民族と遺伝子との関係を、かつ「優れた」・「劣った」という対比のもとに、あらためて発言して顰蹙を買っている、というような話を、サイエンス·ジャーナリストであるこの本の著者は、この80%めくらいのところで書いている。
 そして、この著の主要部分は、もう済んだような気が秋月にはしている。
 主人公と多数の副主人公の一人の二人(ともに女性)は2020年のノーベル化学賞を受賞した、ということを、最近に知った。
 というくらいだから、私の専門的知識の欠如は著しいのだが、なかなかの難問を突きつけている書物だ。
 最初は日本とアメリカの研究者や研究環境の違いにも興味をもった。しかし、科学技術と人間・社会のあいだには難題が多くある、という感想の方がはるかに強くなった。
 上の旨は、登場人物の発言や諸報告書類の紹介によっても頻繁に語られている。既知の日本人読者も多いだろう。
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 以下では、著者のW·アイザックソンが他人や諸団体の言葉・文章ではなく、自分の文章として書いている部分を引用だけして、備忘としたい。
 著者が「まとめ」または結論として書いているところではない。J·ダウドナらのノーベル賞受賞に関する叙述は、まだない(最終の第56章にあるようだ)。ただ、一かたまりで要領よく書いている、と感じられた。
 以下に引用する文章は、全体で計56章(計9部)あるうちの第40章(第7部)にある。
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 第32章(第4部)の最初の方に、著者のつぎの文章があるのに気づいた。
 「今日、クリスパーが注目されているのは、それを使えば、次世代に受け継がれる(生殖細胞系列の)編集をヒトゲノムに施すことができるからだ。
 編集されたゲノムは将来の子孫の全細胞に継承され、やがては人類という種を変える可能性さえある。」
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 Jennifer Doudna(ダウドナ)とEmanuelle Charpentier(シャルパンティエ)の二人は、「クリスパー・キャス9」(CRISPR-Cas9)を開発したことによって、ノーベル賞を授与された(対象論文は2017年のもののようだ)。
 J·ダウドナら=櫻井祐子訳・クリスパー—究極の遺伝子編集技術の発見(文藝春秋/文春文庫、2017/2021)で、ダウドナ自身が CRISPR-Cas9 についてこう書いている。
 「最新の、またおそらくは最も有効な遺伝子編集ツールである『CRISPR-Cas9(略してCRISPR)』を使えば、ゲノム(全遺伝子を含むDNAの総体)を、まるで文章を編集するように、簡単に書き換えられる」。
 しかし、その使用方法または目的について、J·ダウドナもまた決して楽観的なのではない。
 W·アイザックソン著のどこかに、こんな文章があった。「最高の教育」の内実をここでは問わない。
 <親が「最高の教育」を自分の子どもに与えたいと考えてよいのと同様に、子どもに「最高の遺伝子」を与えたいと思って、どこがいけないのか? そうした個人の「自由意思」の実現を助ける医師たちや事業体があって、どこがいけないのか?>。
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  以下、引用。秋月において段落ごとに番号を振った。第一の段落は、あえて途中から引用を始めている。
 「 細菌が何千年もかけてウイルスに対する免疫を発達させてきたように、わたしたち人類も発明の才を発揮して、同じことをするべきではないだろうか。/
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  もし自分の子どもがHIVやコロナウイルスに感染しにくくなるよう、ゲノムを安全に編集できるとしたら、そうすることは間違っているのだろうか?
 それとも、そうしないことが間違っているのだろうか?
 そして、〈中略〉他の治療や身体の強化についてはどうだろう?
 政府はその使用を妨げるべきなのだろうか?/
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  この問いは、わたしたち人類がこれまでに直面した中でも最も深遠な問いの一つだった。
 地球上の生物の進化において初めて、一つの種が、自らの遺伝子構造を編集する能力を身につけた。
 それには、多大な利益が期待できる。
 多くの致死的な病気や消耗性疾患を排除できるかもしれない。
 そしていつの日か、自分や赤ん坊の筋肉、精神、記憶力、気分を強化するという希望と危険の両方を、わたしたち、あるいはわたしたちの一部に、もたらすだろう。/
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  この先の数十年で、自らの進化を促進する力を持つようになると、わたしたちは深遠な道徳的問いや精神的な問いに直面するはずだ。
 自然は本質的に善いものなのだろうか?
 天与の運命を受け入れるのは正しいことなのだろうか?
 神の恵み、あるいは自然のランダムなくじ引きがなければ、自分は別の才能を持って生まれたかもしれないという考えに、共感が入る余地があるだろうか。
 個人の自由を強調すると、人間の最も基本的な側面を、遺伝子のスーパーマーケットでのショッピングに変えてしまうのではないだろうか?
 お金持ちは最高の遺伝子を買うことができるのだろうか?
 そのような決定を個人に委ねるべきなのか、それとも何を許可するかについて、社会が何らかのコンセンサスを図るべきなのだろうか?/
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  しかし、わたしたちはこうした出口のない問いを、大げさにとらえすぎてはいないか?
 わたしたちの種から危険な病気を取り除き、子どもたちの能力を強化することで得られる恩恵を、なぜ手に入れようとしないのか?/
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  主に懸念されているのは、生殖細胞系列でのゲノム編集だ。
 それはヒトの卵子、精子、初期胚のDNAに変更を加えるもので、生まれてくる子ども—およびそのすべての子孫—の全細胞が、その改変された特徴を備える。
 一方、体細胞編集はすでに行われていて、一般に受けいられている。
 それは患者の標的細胞に変化を加えるもので、生殖細胞への影響はない。
 治療で何か間違いが起きたとしても、その害が及ぶのは患者個人であって、人類という種ではない。/
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  体細胞編集は、血液、筋肉、眼などの、特定の細胞で行うことができる。
 しかし、高額な費用がかかるものの、効果はすべての細胞に及ぶわけではなく、おそらく永続的でもない。
 一方、生殖細胞系列のゲノム編集は、身体のすべての細胞のDNAを修正できる。
 そのため、寄せられる期待は大きいが、予想される危険も大きい。」
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 以上。