秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

生命科学

2746/生命・細胞・遺伝—13。

 生命・細胞・遺伝—13。
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 本庶佑・ゲノムが語る生命像—現代人のための最新·生命科学入門(講談社ブルーバックス、2016)
 40パーセントほど読んだ。参照文献を全ては記載してきていないところ、あえてこの文献を挙げるのは、今のところ、読みやすい文章で基礎的なことを書いてくれている貴重な書物と思われるからだ。もっとも、一年前には、あるいは二ヶ月前であっても、読んでもほとんど理解できなくて、読み続ける気にならなかっただろう。数日前から読み始めたが、他の諸々の書物を読んできたことの復習にもなって、なかなか面白い。
 内容の紹介はほとんどしない。
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 表現あるいは形容の仕方に、なるほどと感じさせる箇所がある。
 一つは、DNAをらせん状の「鎖」とか「糸」とか表現してきたところ、この著でも多くは「鎖」が使われているようだが、「ビーズ」(に糸がついたもの)という表現もある。瑣末かもしれない言葉の問題だが、こちらの方が適切または分かりやすいようにも思われる。
 つぎのように語られる。「ヒストン」という語はこれまでにこほ欄で使ったことがある。だが、「ヌクレオソーム」はない。かなり「ヌクレオチド」に似ているのだが、立ち入らない。なお、「糖」と「塩基」の結合で、三つめの「リン酸」がないものは、「ヌクレオシド」と言う。
 ①「DNAの糸を巻き込む糸巻きの芯」は「ヒストン」というタンパク質だ。ヒストン8分子から成る「八量体」の「周りに1.7回巻きでDNAの糸がからまったもの」が「ヌクレオソーム」という〔一染色体内の〕「基本単位」になる。「DNAは、このビーズに糸がついたようなヌクレオソーム構造を、何度もコイル状に折りたたみ、二重三重のコイルとなって、きわめて圧縮した形で核の中に折りたたまれている」。
 ②「DNAはヒストン八量体の周りに1.7回、約150塩基対の長さが糸巻きのような形でビーズ上に存在する」。この単位を「ヌクレオソーム」と言う。
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 もう一つ。細胞の「有糸分裂」によるDNA(・遺伝子群)の「複製」の過程について、「準備」作業として染色体・DNAの「二倍化」があるとして、「神秘的」だとすでに書いた。その際に、元の一つのDNAが二本の「DNA分体」または「DNAの片割れ」に「ほどける」と書いた。また、一つのDNAが塩基対の中央で二つの塩基に「切り裂かれる」と表現したこともある。
 だが、これらよりも、つぎの表現または形容—「チャックを開くように引き離」す—の方がおそらく明らかに適切だろう。
 「DNAの複製は、2本の鎖をチャックを開くように引き離しながら、それぞれに自分を鋳型として、ぴったりとはまり込む相手を作る形で、2組の二重鎖DNAを作り上げる方式で行われる。できあがった2組の二重鎖は、それぞれのうちの1本の鎖が新しく作られたものである」 
 チャックを開く、ファスナーを開く、ジッパーを開ける、の方が実像に近いと考えられる。元の「鋳物」の片割れの一つにその「鋳型」として新しい「DNA分体」が(逆向きで)「ピタッとくっついて」一つの新しいDNAになるためには(そして二倍に「複製」されるためには)、まずは元の一つの「鋳物」がこのようにして二つに引き離されなければならないのだ。
 なお、続けてこう叙述される。「複製」というこの「作業はきわめて複雑な化学反応であり、DNAの複製に関与する酵素〔「DNA合成酵素」〕は20種類以上にものぼる」。
 すでにS·ムカジーの名だけ記して「酵素」に言及したが、ここでも<神秘さ>の背景がより詳しく語られている。「酵素」、「ホルモン」、「神経伝達物質」といった「細胞」と区別される、「細胞」内のまたは「細胞」を行き来する<触媒>類には、まだ触れたことがない。
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2721/「文科系」評論家と生命科学・脳科学—佐伯啓思。

  池内了×佐伯啓思(対談)「科学の現在と行方を見つめて」佐伯啓思監修・雑誌/ひらく第2号(A &F、2019)、p.166以下。
 この号の二つある特集の一つが<科学技術を問う>で、上の対談は体裁上重要なものだ。
 佐伯発言によると、池内了・科学の限界(ちくま新書、2012)という書物があり(秋月は未読)、科学の「あり方」を問題にしているようだ。それを理由として、佐伯は対談相手として選んだのかもしれない。
 但し、佐伯の希望どおりの内容になったかは疑わしい。
 そもそもが、一読者としての印象では、二人の発言内容は、うまく噛み合っていないところが少なくない。単純系・複雑系の区別も秋月自体がよく分かっていないが、池内が単純系の科学ではよく分からないと言っているのを、佐伯は科学そのものの問題・限界だと理解したがっているようなところもある。この単純系・複雑系に加えて、佐伯は 現代を<科学と技術>の区別の曖昧化だと把握したいがためにこの二語を使い出してくるので、錯綜が増している。
 決してつまらない対談ではないが、最も興味深く感じたのは、「文系」と自認する佐伯啓思の、科学(・自然科学)、とくに生命科学・脳科学に対する<不信>、批判・揶揄したい気分を感じさせる諸発言だ。
 佐伯啓思はまだよく知っている方で、西尾幹二、長谷川三千子、小川榮太郎、江崎道朗あたりは、生命科学や脳科学の動向に関心すらないかもしれない。
 だが、これらの者たちも発言しそうな、「文科系」評論家らしき言明を、佐伯は行っている。
 長くなりそうなので、2回に分ける。長々と論じるほどでもないので(それだけの明瞭な内容が示されていないので)、発言を引用し、ごく簡単な感想を記す。対談相手の発言が不明だと佐伯発言の意味も不明だろうものもあるので、必要に応じて、池内の発言も記す(ほとんどが引用ではない)。
 「〜と思います」は省略し、口語体を文語体に改めたところがある。。
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 ①「つまり、自然を物質的な組成の組み合わせとみる、これが我々が考える、いわゆる自然科学的な意味での自然だ。
 すると、問題は生命科学が対象とするのは人体で、人間というのは、これは自然と考えていいのかという問題がある。」
  佐伯は、「自然」=「物質的な組成の組み合わせ」とすることの意味、さらに「物質的」なる表現の意味を、そして「自然」と「物質」をほとんど同一視する、または同系列の語としてこれら二語を用いることの理由を、より厳密に明らかにしておく必要がある。
 従って言葉の使い方の問題になるかもしれないが、「人体」も、「人間」も、「自然」の一部だろう、というのが、秋月瑛二の理解だ。
 米米 地球上(内)での「生命」の誕生や、のちの「ヒト」または「ホモ・サピエンス」の誕生は、<自然>の営みそのものではないか。
 米米米 私も佐伯啓思も、その新たに誕生した「生命」や「ホモ・サピエンス」を祖先とする後裔に他ならない。これを否定するなら、佐伯は〈自己〉の本質を理解していないのではないか。
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 ②「われわれ文系の人間からすると、人間の持っている感情とか記憶とか思考作用とか、快感のメカニズムとか、こういう種類のことは、果たして脳現象に持ってきていいのか、という疑問がどうしてもわいてしまう」。
  佐伯は、感情・記憶・思考作用・快感のメカニズムの四つを明記して、「脳現象」には還元できない旨を語る。思考や記憶はふつうの生物にないもので、「脳現象」ではない、と言いたいのかもしれない。全くの<無知>であるか、「脳」を「物質」と見て〈記憶・思考〉と無関係とする完全な間違いを冒している。〈感情・快感〉となると、より身体的側面を持ち、これまた「脳」の制御化にある。ともかく、「感情」に「脳」が深い関係のあること、中でも<扁桃体>が重要な役割を果たしているらいことくらい、初歩的な概説書にも書かれている。
 米米 「脳」神経あるいは「ニューロン(神経細胞)」に作用して、興奮したり緊張したりする「感情」を抑制する薬剤が、ごく初歩的には「睡眠」を助けるものも含めて、(ほぼ自由にまたは医師による処方を通じて)一般に流通していることを、佐伯は知らないのだろうか。
 これら薬剤は、〈セロトニン〉、〈ドーパミン〉等々の「神経伝達物質」(・「化学物質」)の(ニューロン間の)〈シナプス間隙〉への放出や回収にかかわっている。
 米米米 「快感」まで挙げているのは信じ難い。ひどい暑さ・寒さ、高湿度、痛み、等々からの解放、これらは人間にとって「快感」そのものだろう。そして感覚細胞を制御する「脳」の現象そのものだ。佐伯は特殊で独特の「快感」概念を使っているのかもしれない。
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 ③「文科系の人間は、人間というのは複雑系だと最初から思っているし、きれいに分析できないとあきらめている」。
 脳科学も生命科学も、「僕らのような文系の方からすると、そもそも人間というものについて、何か全く方向違いのことをやっているような気がする」。
 「仮に脳科学で、人間の感情やら記憶やら快感やらが、ニューロンの反応によって解析できるとして、あるいはAIが人間の脳の働きをほとんどシミュレートしまうとして、仮にそうだとして、それは、一体何が起きたのだろう」。
 「何かが進歩したと言えるのか、それで人間がわかったことにそもそもなるのか、という気」がする。
  「脳科学」と「生命科学」を明記して、「人間というものについて、何か全く方向違いのことをやっているような気がする」と明言している。秋月瑛二もどちらかというと「文系」だが、このようには考えない。
 米米 「人間の感情やら記憶やら快感やらが、ニューロンの反応によって解析できるとして、あるいはAIが人間の脳の働きをほとんどシミュレートし」て、いったい何の意味があるのか、というようなことを語っている。「無知」だ。
 米米米 「脳科学」者も「AI」によるシミュレート者も、それによって「人間がわかったことに…なる」とは、そもそも考えていないだろう。「人体」や「人間の神経・精神」を対象としていても、それで「人間」なるものが「わかる」ことには絶対にならない。但し、「人間」なるものの複雑さ・繊細さ・不可思議さを少しは理解することにつながる可能性がある、と考えられる。
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 ⑥〔池内—シミュレートしているだけで、わかったことにはならない。〕
 「そうですね。では、この種の科学とは何だろう」。「何か分かったことになるのか、という意味で」。
 〔池内—本質的に新しい法則の発見で「人間が実に複雑で、多様な側面がどういうメカニズムの下で発生しているのかということがある程度分かるんじゃないか」。「すぐに分かる」のではないが、「複雑系という非線形の非常な多体システムの扱い方がだんだん分かってくる」。
 「そういう意味では、根本的なところは物理のそれと今の生命科学はそれほど変わりはないということですね」。
 この部分で重要なのは、池内が「ある程度」分かる、「だんだん」分かっていると言っていることだ。秋月も、そうだろうと思う(但し、100%・完全にかは、??)。それに対して、佐伯が何やら不満げであることも重要だ。
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 ⑦「仮にそういう複雑系がある程度解析できるようになってきて、それで、人間の感情の動きと脳の作動の対応関係がある程度わかってきたら、すぐに、そのままそれを適用、応用されてしまうでしょう。つまり、脳科学は即技術になるのではないか。」
 〔池内—「いやいや」、その点では「応用」できない。但し、現時点ではできていないが、「複雑系の技術はあるのではないか」。〕
 「ただ、たとえば、すでに遺伝子工学がこれだけ急に展開してきて、それで遺伝子の組み合わせを操作すれば、癌を予防できるとか、癌にならないような子供を作れるとか、といった話が出てきて、それはもうすぐに現場に行ってしまいませんか」。
 この部分で佐伯は突然に、「ある程度わかってきたら」、「脳科学は即技術になるのではないか」と発言する。この性急さの意味は、ほとんど不明だ。
 米米かりに「即技術になる」として、なぜそれでいけないのか、という気がする。それに、「即技術」の意味が問題で、〈科学と応用〉または〈科学と技術〉のあいだには何段階もの中間段階がある(単純に二分できない)、と考えられる。
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 ⑧〔池内—癌は多くの組み合わせで、かつ「個体の反応は異なる」から、簡単には退治できない。〕
 「そこに生命科学の大きな問題があって、生命現象は物理現象とはやっぱり根本的に違う
 ところが、それを無理やりに単純系に砕いてやろうとするから、うまくいかない。」
 米じつに興味深い佐伯の発言だ。「生命現象は物理現象と…根本的に違う」。
 「物質的な組成の組み合わせ」が「自然」なのだから(上の①)、「生命」現象も「自然」現象ではない、または<たんなる物理現象>ではない、と言いたいのだろう。
 はたして、そうか。「生命」・「本能」の根幹を掌るとされる「脳幹」の作用に「化学物質」は関係していないのか。デカルト流に<我思う、ゆえに我あり>ということを言いたいのか。M·ガブリエルの著書の題である『「私」は脳ではない』(Ich ist nicht Gehirn)(秋月は未読)と言いたいのか。
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 ⑨「いくら生命過程の根本がDNAとか、それから、細胞レベルである程度のことが分かっても、それが具体的にどういうふうに働くかというのは個体によって全然違う、ということですね」。
 〔池内—人体は複雑系だから「個体によって全部違う」。「むろん、物質系としてはみんな同じなんです。本質的に」。「本質的には人体は同じ作りにできているんだけれども、反応は全部違う」。〕
 佐伯は<個体によって違う>ということを強調したいようだ。一方、池内の発言で重要なのは、「物質系としてはみんな同じ、本質的に」、「本質的には人体は同じ作りにできている」の部分だろう。この「本質」性を、佐伯は認めたくない、または、認めることができないのだろう。
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 ⑩〔池内—癌の要因に遺伝と環境の二つあり、両者の関係は複雑だから「なかなかわからないと思う」が、「むろんある程度解析できる要素はある」。〕
 「いや」、しつこいが、「僕が危惧するのは、逆に生命科学が進歩していって、癌の要因がかなりわかる、100%とはいかないまでも、80%くらいまで解析できる、となるとしましょう」。遺伝要因・環境要因、食べ物、人間関係、「それらがどう作用するか、ある程度わかってくる。で、わかってくれば、そのこと自体が我々を変えていってしまうのではないですか」。
 「我々の生活の仕方を変え、食生活を変え、という話になる。その延長の上に、先程の遺伝的な要因もやっぱりある程度はあるとなって、遺伝子を操作することによって癌にならない可能性を高めることができる、という話になる」。
 「そうすると、その科学の成果、科学の発展というものが、何らかの形で、ほとんど直接的に我々の存在の仕方に影響を与えてくるのではないか」。
 佐伯が言いたいことは、よく分からない。なぜなら、「癌の要因」が「80%くらいまで解析でき」て、諸要因の「作用」が「ある程度わかって」くる、そして、「遺伝子を操作することによって癌にならない可能性を高めることができる」ということが、ここでは「癌」防止に限っておくが、なぜいけないのか?? 佐伯は、「科学の成果」が「ほとんど直接的に我々の存在の仕方に影響を与えてくる」として問題視する。なぜ??
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 ⑪〔池内—それは「科学ではなく技術」だ。〕
 「先程から問題にしたかったのはそこ」だ。
 「科学的にいろんなことがわかってきた。遺伝子の構造がわかった。
 で、遺伝子の中に癌に関する遺伝子もある。
 そうすると、癌に関する遺伝子が完全に特定できる。
 これを除けば癌の可能性が減るということがわかるとなれば、もうそれは技術になってしまうし、さらにいえば、技術として応用されることを目論んで、現代科学は展開されているのではないか」。
 ⑩のつづきだ。遺伝子に関する科学によって「癌の可能性が減るということがわかるとなれば、もうそれは技術になってしまう」と、佐伯は問題視する。
 遺伝子等に関する科学の進展によって「癌の可能性が減る」ことは、佐伯にとって望ましくないことなのだ。これは癌の罹患・発症を免れたい圧倒的多数の人々に対して、「科学の成果」を享受することなく<癌で死んでしまえ>と言っているのと同じなのではないか。
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 ⑫「だから、科学上の発見といっても、それが応用に直結している限り、現実にとんでもない事態を引き起こすことはありうる
 何か今そういうことの途上にいて、そこで我々、何か打つ手はあるのか」。
 「少なくとも自覚する必要はあ」る。
 「科学上の発見」が「応用に直結」する限り、「現実にとんでもない事態を引き起こすことはありうる」。これは一般論としてはそのとおりだろうが、なぜしつこくこう強調するのか?
 米米「自覚する必要がある」。これは佐伯啓思という評論家の常套句。他に、「もう一度、〜について考えてみる必要がある」、「あらためて〜を問題とすることから始めなければならない」等々。
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 ⑬「生命科学の発展が、無条件でよいとは簡単には言えなくなってくる。
 遺伝子の解析が、そのままで無条件でいいとは言えなくなってくる。
 AIも同じことだと思いますし、情報分野の革新も同じことです。」
 「それは今たまたま始まった問題なのか、それとも20世紀の科学、特に物理学でもそういう構造ができてしまったのか。何か科学の構造が変わってしまったのか」。
 「生命科学の発展」、「遺伝子の解析」、「AI」、「情報分野の革新」について、さらにはおそらく<科学の発展>について、佐伯は懐疑的だ。しかし、もちろん、佐伯が具体的な代案を示すことはない。<問題だ、問題だ>、<自覚せよ、自覚せよ>とだけ騒いで、いったい何になるのか。
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