〇 しばらくぶりに、辻村みよ子・憲法/第三版(日本評論社、2008)。
事項索引に依ってフランス1793年憲法に言及する部分を(この欄で数回に分けて)読んでみた。実質的にこれに関係する「国民主権」の部分は別の機会に委ねて、事項索引中に「ロベスピエール」が一箇所示されているので、紹介してみよう。自由権/経済的自由権/「財産権」の最初の「一・意義」のところで、次のようにロベスピエールに言及している(p.264-5)。
・1789年フランス人権宣言、アメリカ憲法第5修正は「所有」を「自然権」又は「神聖かつ不可侵の権利」として掲げた。かかる所有権絶対視の「近代的人権」思想は「ブルジョアジー」の経済活動の正当化・自由確保をして、「資本主義経済を推進するために重要な歴史的意義」を担った。
・その後「資本主義の弊害による社会・経済的不平等」の発生により所有権の公的制限の必要が生じ、ドイツ・ワイマール憲法は153条で「絶対不可侵性」を否定して、「所有権は義務を伴う」と謳った。かかる考え方は、フランス革命時の、所有権を「社会的制度」と捉えたロベスピエールや、「財産の共有から私的所有の禁止」へと到達したバブーフにも思想的淵源をもつ。
・上記のことの先駆的な意義は第二次大戦後に明らかになり、イタリア等も含めて「社会国家」思想のもとでの「現代型の財産権論」が定着した。日本国憲法29条1項もこの系譜に連なる。
・この29条1項につき、「通説・判例」は、個人の財産権を保障するとともに「私有財産制」をも保障するものと解釈する。この説によると、この条項による「制度保障」の核心は「生産手段の私有制」であり、「社会主義へ移行するためには憲法改正が必要」である。
・一方、「議会を通じて一定の社会化を達成する」ことは憲法改正を必要としないとする学説もあった(今村成和)。
・「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」今日では、従来の「多数説を維持することは困難」だ。そこで「個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理解」が求められている。
以上。
上に出てくる「社会国家」とは「社会主義国家」の意味ではなく、英米的には「福祉国家」にほぼあたるものと思われる。また、今村成和説らしい「一定の社会化」可能論は、辻村の叙述だと誤解を与えうるが、<社会主義化>可能論とは異なるものだろう。これらの点はともかく、興味深いのは次の三点だ。
第一に、戦後又は「現代」の財産権(所有権)制限思想の淵源として、ロベスピエールとアナーキスト(=無政府主義者)のバブーフの二人をあえて挙げていることだ。アナーキズム(無政府主義)もマルクス主義につながる「思想」の一つだった。私的所有廃止・国家不要(死滅)論はマルクス主義と異ならない。
第二に、「社会主義」の存在意義自体が問われる今日においてなお、「社会主義へ移行するためには憲法改正が必要」=現憲法のままでは日本は「社会主義」国家になれない、と解釈するのが「通説・判例」だと、わざわざ述べていることだ。推測にすぎないが、きっとこの人はかつて、日本国憲法のもとでの日本の「社会主義国家」化の可能性を関心をもって思い巡らしただろう。
第三に、辻村は、今日では「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」と断定的に明記している。
はたしてそうなのだろうか。中国・北朝鮮・キューバ等を日本等とは基本的<体制>の異なる「社会主義」国家(又はそれを志向している国家)と理解するのは「今日」では誤り又は不適切なのだろうか。概念用法の問題は多少はあるかもしれないが、かかる基本的<体制>の区別は、なおも基本的レベルで重要な意味がある、と考えられる。辻村の書いていることは、ソ連「社会主義」国家解体後の、<資本主義と社会主義の相対化論>と軌を一にしているように思われる。
以上の三点はいずれも、「ブルジョアジー」という語を平然と使っていることも含めて、辻村みよ子の<思想>の「左翼」(おそらく、ほぼマルクス主義)性をほぼ明瞭に示しているだろう。
ついでに、「個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理解」なるものはほとんど意味不明だ。二つほどこの考え方らしき文献が参照要求されているが、観念的・空想的作文の類の議論ではあるまいか。
〇 NHKについて関心を少し増やしたことの結果として、池田信夫・電波利権(新潮新書、2006)を昨日か一昨日、一気に読了。この分野でもアメリカの政策が日本の政府・産業界に多大の影響を与えていること等をあらためて知る。
無政府主義
先日、掛谷英紀・学者のバカ(ソフトバンク新書)に肯定的に言及した。著者に興味をもったので、続いて同・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)という計79頁の、冊子のような本を29-30日の一晩で読み終えた。
「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
新風舎刊ということは原稿持ち込みの半分自費出版的なものだろうか。掛谷英紀氏、32歳になる年の書物である。
「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
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