およそ五ヶ月前、昨年10月下旬から11月上旬に「NHK というものの考え方」(①〜③)という表題の稿を掲載したことがあった。
 この奇妙なまたは意味不明部分のある表題は、のちに<法(法学)という「ものの考え方」>という表題でいくつかの文章を書こうと予定していたからだ。「もの」は「NHK というもの」ではなく、「ものの考え方」という語の一部だ。
 再び思い起って、<法(法学)という「ものの考え方」>を書いてみよう。但し、当初に想定していたものとは内容または掲載順序が異なる。
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 こんな表題で何か書いてみようと思った動機はいくつかある。
 第一に、「法学」というものが基礎にしている論理または「ものの考え方」には、「法学」に限られないその他の「学問」分野にも共通する(その意味では<普遍的な>)、さらには人間が生活していくうえで漠然と前提にしている、あるいは少なくとも「生活」していくうえで役立つ、「ものの考え方」があるのではないか、という何となくの思いがあるからだ。
 第二に、かなり具体的には西尾幹二や江崎道朗等々々の多数の「文学部」出身者の書く文章には、あるいは「文学評論」から出発したような論者またはたんなる「もの書き」の文章には、<法(法学)という「ものの考え方」>が決定的に欠けている、そしてそれは「致命的だ」と感じるところがあるからだ。
 この点と分離して整理しておかないが、上の点はまた、わが国における、またはマスメディアを含む日本の「社会」における、「法」(法学)や「政治」(政治学)に関する<リテラシー>というものの欠如または著しい不十分さと通底していると感じられる。
 「法」や「政治」全般に関する専門家では全くないが、随筆ふうに、気軽にいくつか書いていってみよう。
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  さっそくだが、兵庫県・斎藤元彦問題に関係する、兵庫県記者クラブの面々を中心とする<マスメデイア>の「法リテラシー」の欠如は著しいのではなかろうか。
 3月19日に兵庫県知事(斎藤元彦)設置の「第三者委員会」の一つの最終報告書が提出され、委員による(委員長を中心とする)記者発表と会見が行われた。途中からライブ放映を見ていたら、記者たちの諸質問から推察される彼らたちの<能力不足>に感じ入るところがあった。
 そもそも当該「第三者委員会」に課されていた任務に関する無知または基礎知識の不十分さも垣間見えた。もっと究極的には、国や自治体の「記者クラブ」制度の功罪という論点もあるだろう(さらに大手新聞における記者の採用・養成やその配置の問題も)。
 上の後者は別論として、つぎの趣旨の質問が、某大手新聞社のたぶん兵庫県庁記者クラブ配属記者から発せられていた。
 なお、告発文書作成・配布者に対する懲戒処分(停職三月)の適否に関わる。この処分には事由(理由)が4つ挙げられていたらしいが、第一を除く第二〜第四の理由による部分は「有効」という委員会の判断に関する質問だった。第一の理由による部分は「違法」でかつ「効力がない」=「無効」という判断は、容易に理解できたらしい。
 ①「違法」であるかまたは問題があるが「有効」ということの意味を知りたい。
 ②<手続>は「違法」だが<結果>は「有効」という意味か。そうだとすれば何故か。
 これに対する委員の一人の回答には不十分な部分もあると直感したが、つぎの回答部分は全く適切だ。
 単純に、「適法」=「有効」、「違法」=「無効」、ではない。
 つまり適法・違法と有効・無効は同列の問題ではない。
 元裁判官だった者を含むという弁護士たちが叙述した報告書に含まれる「法的」または「法学的」な論点に関する判断の意味を、この記者は(ふつうの日本語文として何度読んでも)理解できないに違いない。
 刑事法上の(原則的な)「違法収集証拠排除」の法理に回答は言及していたが、回答されていたように、県知事による公務員の「懲戒処分」にそのまま適用されるものではない、というのは、一般論としては「正しい」。
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 「効力」の有無の問題以前に、もともと「違法」とは何か、という問題がある。
 法学部出身者の半分くらいは、以下のことを、何となくであれ、知っているだろう。
 きわめて大雑把に言って、憲法・行政法という「公法」系と民法・民事訴訟法という「民事法」系、刑法・刑事法という「刑事法」系とで、「違法」の意味、位置づけは全く異なる。いや、民法と民事訴訟法、刑法と刑事訴訟法とでも大きく異なる(例えば、「行為規範」性の有無によって)。
 だから、適法・違法と有効・無効という問題のあらわれ方自体が、<法分野>によって大きく異なるわけだ。
 「民事の問題」と「刑事の問題」の違いくらいは、新聞記者であれば(少なくとも何となくであれ)知っているだろう。
 だが、この程度の素養だけで、官公庁(この概念にも少なくともかつては「法学」的意味があった)に関係する新聞記者あるいは「フリー」の記者、「ジャーナリスト」であり得るのだとすると、日本の「社会」は相当に恐ろしい。
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