秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

瀬尾友子

2492/西尾幹二批判052—神話と日本青年協議会②。

 (つづき)
  西尾幹二「神話の危機」2000年10月は日本青年協議会等の会員むけの「講演」内容だから、その点には留意しておく必要がある。
 日本青年協議会の上部団体とされる〈日本会議〉は「つくる会」を追いかけるように1997年に設立され、西尾が「撹乱」や「乗っ取り」を感じるまでは、〈新しい歴史教科書をつくる会〉と〈日本会議〉は友好関係にあり、またそれ以上に、「つくる会」の運動を支え、助ける有力な団体だった、と思われる。
 西尾幹二会長にとっては、自分自身への「力強い味方」だった。
 西尾が、日本の神話の具体的内容、古事記や日本書紀の「神代」の叙述、神道や広く日本の宗教について、1996年の「つくる会」設立段階でどの程度の知識・素養があったかは疑わしい。
 同・国民の歴史(1999)でも、日本の「神話」に言及しつつ、なぜか「日本書紀」や「古事記」という言葉を用いていないし、「神話」につながる日本の王権、といった論述もしていない。
 また、日本人の「顔」を示すという仏像等の写真を多数掲載しながら、「仏教」と「神道」の違い等には何ら触れていない。
 おそらくは1999年著の上の点を意識して、再度少し広げて引用すると、2000年講演では、こう言った。論評すると長くなるので、内容に介入しない。
 「日本人にとって仏教というものは、難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在だと言えるでしょう。仏教は金色の美しい彫刻を通して、美という感性的なものとして百済からこの国に入ってきた。だから、素晴らしい仏教彫刻を残すことが出来た。それは日本人のアニミズム的な自然崇拝とつながっており、だから日本の神話と仏教信仰とは初めから何らの矛盾なく整合したのだと思います」。
 きっと、だから1999年著では「難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在」として仏教彫刻の写真を多数掲載した、と釈明?しているのだろう(なお、それら仏教彫刻の選定は実質的には田中英道(第二代会長)の助言が大きかったことを、田中がのちに明らかにしている。全集第18巻・国民の歴史「追補」、p.734(2017))。
 ともあれしかし、1999年著と比較すると、「神話」、天皇、「神道」に関する明瞭な論述には驚かされる。
 西尾はこう断定的に語る。自分自身が、こう「信じて」いるのだ。
 ・「日本の天皇の場合は神話の世界とも、自然とも全部つながっている。これは世界に類例がありません」。
 ・「神話」は「まっすぐ天皇制度につながっている」。「もし王権につながってこないのなら日本の神話はほとんど意味がない」。
 ・「神話が王権の根拠になっていることが、世界史の中で日本民族が自己を保っている唯一のよりどころ」だ。
 1999年から一年間の間に、「つくる会」運動の有力な支持者である〈日本会議〉・日本青年協議会の歴史観・天皇観、宗教観を、相当に要領よく「学習」したのだろう。
 西尾はのちの2009年には、日本青年協議会は「西洋の思想家の名前」を出すと叱り、「天皇国、日本の再建を目指しますということを宣明させ」るような、「目を覆うばかり」の「おかしい」団体だと明言したのだったが。
 やや離れるが、西尾幹二は、読者(+書物や雑誌の編集者)や聴衆の気分・意向を考慮し、「忖度」することを絶えず(気づかれにくいように)行っている「もの書き」だと考えられる。誰しも、文筆業者はある程度はそうかもしれないが。
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  西尾幹二と〈日本会議〉または日本青年協議会との関係の変化は、つぎのようなものだろう。なお、私が初めて西尾の文章を読んだのは、下の③の時期だ。
 ①無関係—②親〈日本会議〉—③反〈日本会議〉(・反八木秀次)—④宥和的?
 ③の時期には「西洋の思想家」を排除するのは「おかしい」とし、八木秀次批判文(国家と謝罪(徳間書店、2007年)p.80)では八木は「近代西洋思想に心を開いた人で、いわゆる国粋派ではないと思っていた」と書いていた。まるで自分は「西洋」派であって「国粋」派ではないかのごとくだ
 池田信夫の2014.09.07の「冷戦という物語の終わり」と題するブログは、有力メンバーの一人として坂本多加雄が参加した「つくる会」運動は「時代錯誤の皇国史観に回収されてしまった」、と書いていた。
 それぞれの言葉の意味は問題になるが、しかし、西尾幹二は実際にはまさに「国粋」派で「皇国史観」の持ち主だとの印象を与え続けている。
 すなわち、神話=王権の根拠(かつまた「神話」にもとづく天皇位はずっと男系男子だった)という理解と主張を変えていないことは、既述の月刊WiLL2019年4月号での発言からも分かる。
 また、「つくる会」分裂後・反〈日本会議〉の時期である2009年にも、同様のことを述べている。『国体の本義』(1937年)に論及する中で、明確にこう書く。
 ・「日本のように地上の存在である天皇が神に繋がるということを王権の根拠としている国は例外的であり、唯一無比であるかもしれません」。
 ・「天照大神の御子孫がそのまま天皇の系図につながるというのは、他にかけがえのない唯一の王権の根拠なのです」。
 西尾「日本的王権の由来と『和』と『まこと』」激論ムック2009年7月発行、同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)所収、p.188-9。
 1999年頃に日本青年協議会と〈日本会議〉の史観から影響を受けたことは、その後の西尾をかなり大きく変えたのかもしれない。
 もっとも、そうなったからこそ(かつ男系男子論を固持しているからこそ)、産経新聞出版から2020年にかつての産経新聞「正論」欄寄稿文をまとめた書物(編集担当・瀬尾友子)を刊行してもらえる<産経文化人>であり続けることができているのだろう。
 一人の個人でいることはできず、既述のように、「最後の身の拠き所」をそこに求めているのだ。
 上の④「宥和的?」とみなす根拠はあるが(この欄ですでに少しは触れてはいるが)、今回は省略する。
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2490/西尾幹二批判050—古事記には男性天皇だけ?

 「彼らには学問上の知識はあるが、判断力はなく、知能は高いが、知性のない人たちなのだ。
 彼らの呪いのヴェールを破り、裸形の現実をありのままに見るようにならない限り、これからの日本も世界も浮かばれないだろう。
 以上、西尾幹二・全集第11巻「後記」の実質的に最後の文章。2015年。
 特定の者たちへの罵倒の言葉は相変わらずだ。だが、西尾は上の「彼ら」の中に、なぜ自分を含めていないのか。
 F. Turner やR. Pipes の本を「試訳」しつつ、西尾幹二の書や文章も見ている。
 とりわけ、全集の「自己編集」ぶりと長い「後記」での自己賛美ぶりは、ひどい。
 と感じつつ、予定の草稿を掲載していこう。
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  「山ほど」ある中から、便宜的に、手元に資料があるものから再開する。  
 月刊諸君!2006年4月号、p.50以下。
 皇位継承につき、男系男子限定論に立って女系天皇容認論とその論者を批判するものだ。
 もともとはと言えば、西尾幹二にとって男系でも女系でも本質的な問題ではなく、ただ<産経文化人>の一人たる位置を占めたいがための主張であるような気もする。
 女系天皇容認論者として田中卓・所功・高森明勅の三人を挙げているが(小林よしのりの名はない)、この三人はいっとき以降、産経新聞や少なくとも月刊正論(産経)には寄稿者として登場しなくなった。西尾幹二は、「ごほうび」ではないだろうが(いや、そうであるかのごとく)、「正論メンバー」にとどまり続け、2020年には国家の行方(産経新聞出版、編集担当・瀬尾友子)を出版してもらっている。
 また、上が「邪推」だったとかりにしても、西尾幹二における独特の歴史観・宗教観・現実感覚がこの問題についても背景にあると考えられるが、今回では立ち入らない。
 簡単に記せば、神道や仏教への自分の「信仰」を何ら語らないにもかかわらず、(西尾が男系男子限定を語るとじつは「解釈」する)<日本の神話>への「信仰」だけは、なぜ語るのか?、なぜこの人には「神話信仰」だけはあるのか?、だ。不思議な思考過程・思考方法がこの人物にはある。
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  上の文章に内在的な論点に限る。容易に気づいた点だ。
 第一に、西尾はこう田中卓を批判する。p.57。
 「田中卓氏は前掲論文で皇室には『氏』がないという特色を理解せよ、というが、それはダメである。
 『氏』がなくても系図が意識されている。
 現代は古代社会ではない。
 西尾は得意げに書いているようだ。
 『氏』うんぬんの論争の意味を秋月は知らない。しかし、上のような「反駁」の<方法>はおかしい。
 なぜなら、西尾は「現代は古代社会ではない」とするその「現代」の日本人であるにもかかわらず、「古代社会」に作られた(8世紀)または生まれた(史実を反映しているとすると内容はもっと前にさかのぼる)「神話」の内容を根拠にして、男系男子限定論を主張しているではないか。
 一方では「古代社会」でないのだからと主張し、一方では西尾が想念する「古代社会」にズッポりとはまっている。思考「方法」、評価の「基準」に一貫性がない。
 ついでに言えば、「神代」-「人代」の区別はなく、神代の「神」につながることこそ天皇家の世界に唯一の特質だと西尾は語るが、この辺りでは、この人は、上に少し触れたが、「神話」と史実、「信仰」と現実を完全に相対化している、または区別していない。「認識論」上の問題を胚胎している。
 そんな「哲学」的問題をこの人は無視するのだろうが、指摘されるべきは、西尾のような「神話信仰」が「現代」の日本人にいかほど理解されるかどうかだ。単純な理性・非理性、科学・非科学の問題に持ち込んではならない。
 なお、別の2019年の発言によると、神話信仰または神話それ自体が「日本的な科学」らしい(月刊WiLL2019年4月号)。こんな言葉の悪用、言葉「遊び」をしてはならない。
 また、水戸光圀・大日本史は「記紀神話」を歴史とせず、そこでの「神代」は除外された、と西尾幹二自身が上の中で書いている(p.54、「日本的な科学」の精神を持っていなかったわけだ)。
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  第二に、決定的間違いがある。西尾幹二は古事記も日本書紀もきちんと読んでいないと何回か書いてきたが、ここでもそれが暴露されている。
 天照大御神が女性神だったとしても、このことは女系天皇容認論の直接的論拠にはなり得ないだろう。
 この点はよいのだが、西尾は、女系天皇の実例があるのなら、それを「明証」せよ、との論脈で、つぎのように諭すように?明記した。p.56。
 「『古事記』に出てくる天皇はすべて男性ではないか」。
 ああ、恥ずかしい。
 日本書紀(720年)より先に成立し献上されたらしい古事記は(だが8世紀)、前者より前の時代までしか対象としていないが、最後に言及されている天皇は、推古天皇だ(明治に作られた皇統譜では第33代とされる)。
 西尾は、推古天皇も(じつは)男性だったと「明証」できるのだろうか。本居宣長がそう書いていたのだろうか。
 『古事記』の最後の部分を捲らないで上のように執筆して、活字にすることのできる人物に、「神話」信仰を説き、皇位継承者論議に加わる資格はないだろう。
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  ついでに。 
 第一。女系天皇容認論者(田中卓・所功・高森明勅)に対する一般的言葉は「迂闊」というだけだ(p.55)。
 2002年の小林よしのり批判、2006-7年の八木秀次批判に比べると、はるかに優しい。小林、八木への批判の仕方は(ニーチェにも似た?)西尾の精神・「人格」を示していると思うので、「人格」なる抽象的なものが全てまたはほとんどを決めるとは全く考えていないが、別に触れる(対八木についてはすでに紹介しているが反復する)。
 第二。いわゆる奈良時代の天皇は、天武と淡路廃帝(淳仁天皇)を除いて、元明は持統の実妹、その他は持統天皇の血を引く、その意味では女系天皇だ(元正は女性天皇・元明の娘なのでまさに女系だと表現してよいだろう。但し、これら2名は草壁皇子・文武・聖武への「中継ぎ」だと<解釈>されもする)。
 天武の血を引く男子だが母親は持統とその子孫ではなかった者は少なくなく、上の淳仁のほかにも、例えば、大津皇子(大伯皇女の弟)、長屋王がいた。大津(二上山に墓)は持統により殺されたともいう。
 抽象論・観念論好きの西尾幹二は、こんな瑣末な?ことにはきっと興味すらないのだろう。
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2479/高森明勅のブログ②—2021年11月12日。

  内親王だった女性と某民間人の結婚をめぐるマスコミの報道姿勢についてこう書く(もともとはテレビ放送予定の発言内容だったようだ)。
 ①「その人物は早い段階で弁護士に相談したが、法的に勝ち目がないと言われていたことを、自ら語っている。にも拘らず、…ご婚約が内定した後に、にわかに“金銭トラブル”として週刊誌で取り沙汰されるようになった。この間の経緯は、不明朗な印象を拭えない」。
 ②「一次情報にアクセスできず、又しようともせずに、真偽不明のまま無責任なコメントを垂れ流して来たメディアの責任は大きい」。
 ③「『週刊現代』の記者が当該人物の代理人めいた役割を果たしていたことは、ジャーナリズムにとってスキャンダルと言ってよい事実だが、その記者に直撃取材をしたメディアはあるのか」。
 ④「上皇后陛下の半年間に及ぶ失声症、皇后陛下の今もご療養が続く適応障害に続いて、眞子さまも複雑性PTSDという診断結果が公表された。名誉毀損罪、侮辱罪で相手を訴えることも事実上できず、言論による反論の自由すらない皇室の方々に対して、いつまで一方的な誹謗中傷を続けるのか」。
 上のうちほとんど無条件で共感するのは、③だ。
 この『週刊現代』の人物は、母親の元婚約者とかに「食い込んで」いたようで、要所要所で感想を聞いたりして、『週刊現代』(講談社)に掲載したようだ。但し、法職資格はなく、「法的」解決のために動いた様子はない。
 この記者(講談社の社員?)の氏名を同業者たち、つまりいくつかの週刊誌関係者、同発行会社、そしてテレビ局や新聞社は知っていたか、容易に知り得る立場にあったと思われる。
 一方の側の弁護士は氏名も明らかにしていたように思うが、この記者の個人名を出さなかったのは、本人が「困る」とそれを固辞したことの他、広い意味での同業者をマスメディア関係者は「守った」のではないか
 そう感じているので、「その記者に直撃取材をしたメディアはあるのか」(上記)との疑問につながるのはよく分かる。
 (『週刊現代』の記事は個人名のあるいわゆる署名記事だったとすると上の多くは適切ではなくなるかもしれないが、その他のメディアがその氏名情報を一般的視聴者・読者に提供しなかったことの不思議さ、「その記者に直撃取材をしたメディアはあるのか」という疑問の正当性に変わりはないだろう。)
 マスメディアは一般に、大臣等の政治家の名前を出しても、各省庁の幹部の名を出さない(情報公開法の運用では、たしか本省「課長」級以上の職員の氏名は「個人情報」であっても隠してはならないはずだが。公開することの「公益」性を優先するのだ)。
 個人情報の極め付けかもしれない氏名を掲載または公表すべきか、掲載・公表してよいか否かの基準は、今の日本のマスメディアにおいて曖昧だ、またはきわめていいかげんだ、と思っている。
 立ち入らないが、例えば災害や刑事事件での「死者」の氏名も個人情報であり、警察等の姿勢どおりに安直に掲載・公表したりしなかったりでは、いけないはずなのだが。
 災害や刑事事件には関係のない『週刊現代』の記者の氏名の場合も、その掲載・公表には<本人の同意>が必要だ、という単純なものではない筈だ。
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  高森の上の④も気になる。「誉毀損罪、侮辱罪で相手を訴えることも事実上できず、言論による反論の自由すらない皇室の方々…」というあたりだ。
 天皇は民事裁判権に服さない(被告にも原告にもなれない)という最高裁判決はあったと思う。但し、皇族についてはどうかとなると、どいう議論になっているかをよく知らない。
 しかし、かりに告発する権利が認められても、いわゆる親告罪である名誉毀損罪や侮辱罪について告訴することは「事実上できず」、反論したくとも、執筆すれば掲載してくれる、または反論文執筆を依頼するマスメディアは今の日本には「事実上」存在しないだろう。
 そういう実態を背景として、相当にヒドい言論活動があるのは確かだ。
  「上皇后陛下の半年間に及ぶ失声症」の原因(の一つ)は、高森によると、花田紀凱だ。
 「皇后陛下の…適応障害」が少なくとも継続している原因の一つは、おそらく間違いなく西尾幹二だ。
 「仮病」ではないのに「仮病」の旨を公的なテレビ番組で発言して、「仮病」なのに病気を理由として「宮中祭祀」を拒否している、または消極的だとするのは、立派に「名誉毀損罪」、「侮辱罪」の構成要件を充たしている。
 告訴がないために免れているだけで、西尾幹二は客観的にはかなり悪質な「犯罪者」だ(これが名誉毀損だと思えば秋月を告訴するとよい)。
 『皇太子さまへの御忠言』刊行とテレビ発言は2008年だった。その後10年以上、西尾幹二が大きな顔をして「評論家」を名乗る文章書きでおれるのだから、日本の出版業界の少なくとも一部は、相当におかしい。この中には、西尾の書物刊行の編集担当者である、湯原法史(筑摩書房)、冨澤祥郎(新潮社)、瀬尾友子(産経新聞出版)らも含まれている。
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2477/西尾幹二批判048—根本的間違い(4-2-2)。

 西尾幹二の思考はじつは単純なので、思い込みまたは「固定観念」がある。
 その大きな一つは「共産主義=グローバリズム」で<悪>、というものだ。
 典型的には、まだ比較的近年の以下。この書の書き下ろし部分だ。引用等はしない。
 西尾・保守の真贋(徳間書店、2017)、p.16。
 そして、その反対の「ナショナリズム」は<善>ということになる。日本会議(1997年設立)と根本的には差異はないことになる。
 この点を重視すると、西尾の「反米」主張も当然の帰結だ(「反中国」主張とも矛盾しない)。
 さらに、EU(欧州同盟)も「グローバリズム」の一種とされ、批判の対象となる(英国の離脱は単純に正当視される)。
 ①2010年/月刊正論4月号。同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010年)所収。
 項の見出しは「EUとアメリカとソ連が手を結んだ『歴史の終わり』の祝祭劇」。
 「フクヤマの『歴史の終わり』…。これをそのままそっくり受けてEUの理念が生まれ、1992年に…EUが発足します」。
 ②2017年/月刊Hanada2月号。同・保守の真贋(上掲)、所収。
 「EUは失敗でした。
 共産主義の代替わり、コミンテルン主導のインターナショナリズムが名前を変えてグローバリズムとなりました。
 それがEUで、国家や国境の観念を薄くし、ナショナリズムを敵視することでした。」
 何と、西尾幹二によると(ほとんど)、「コミンテルン主導のインターナショナリズム」=「グローバリズム」=「EU」なのだ。
 それに、1992年のEU発足以前に、EEC(欧州経済共同体)とかEC(欧州共同体)とか称されたものが既にあったことを、西尾は知って上のように書いているのだろうか。
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 前回にいう後者Bについて。
 さて、「反共」とともに、またはそれ以上に、「反米」を主張すべきだ、という西尾幹二の基本的論調の間違いの原因・背景の第二の二つ目(B)と考えられるのは、こうだ。
 独特な、または奇抜な主張をして、または論調を張って、「保守」の評論者世界の中での<差別化>を図っていた(いる)と見られる、ということ。
 既出の言葉を使うと、文章執筆請負業の個人経営者として、「目立つ」・「特徴」を出す・「角を立てる」必要があった、ということだ。
 ソ連圏の崩壊は「第三次世界大戦」の終結だったとか、EUの理念はコミンテルン以来のものだ旨(今回の上記)の叙述とか、すでに「特色のある」、あるいは「奇抜な」叙述に何度か触れてきている。
 西尾幹二は<保守派内部での野党>的な立場を採りたかった、あるいはそれを「売り」=セールスポイントにしたかったようで、古くは小泉純一郎首相を「狂気の首相」、「左翼ファシスト」と称した。
 前者は書名にも使われた。2005年/西尾・狂気の首相で日本は大丈夫か(PHP研究所)。
 後者は、以下に出てくる。個別の表題(タイトル)は、その下。
 2010年/月刊正論4月号。同・日本をここまで壊したのは誰か(上掲)、所収。
 「左翼ファシスト小泉純一郎と小沢一郎による日本政治の終わり」。
 また、安倍晋三首相に対しても厳しい立場をとった。
 同・保守の真贋(2017年)の表紙にある、これの副題はこうだ。書物全体で安倍晋三批判を意図している、と評してもよいだろう。
 『保守の立場から安倍政権を批判する』
 さらに、つぎの点でも多くの、または普通の「保守」とは一線を画していた。<反原発>。この点では、竹田恒泰と一致したようだ。
 (もっとも、ついでながら、天皇位の男系男子限定継承論だけは、頑固に守ろうとしている。
 何度かこの欄で言及した岩田温との対談で、西尾はこう発言している。月刊WiLL2019年4月号=歴史通同年11月号。
 「びっくりしたのは、長谷川三千子さんがあなたとの対談で女系を容認するような発言をしたことです。あんなことを、長谷川さんが言うべきではない。」)
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 上のような調子だから、西尾の「反米」論が多くのまたは普通の「保守」派と異なる、「奇抜」なものになるのもやむを得ないかもしれない。
 既に引用・紹介したうち、「奇抜」・「珍妙」ではないかと秋月は思う部分は、例えば、つぎのとおり。
 ①2008年12月/日本が「一つだけナショナリズムの本気で目覚める契機」になるのは、「アメリカが、尖閣諸島や竹島、北方領土などをめぐって、中国、韓国そしてロシアの味方」をして「日本を押さえ込もうとしたとき」だ。
 ②2009年6月/「中国の経済的協力を得るためには、日本の安全でも何でも見境なく売り渡すのが今のアメリカ」だ。中国が「米国の最大の同盟国になっている」。アメリカは韓国・台湾・日本から「手を引くでしょう」が、「その前に静かにゆっくりと敵になるのです」。
 ③同/「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国の対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあ」る。「ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきている」。
 ④2009年8月/安倍首相がかつて村山・河野両談話を認めたのは「敗戦国」だと言い続けないと国が持たないと「勝手に怯えたから」で、「そういう轍のような構造に、おそらく中国とアメリカの話し合いで押し込められたのだろう」。
 ⑤2013年/やがてアメリカが「牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
 以上、かなり、ふつうではない、のではなかろうか。上の⑤によると、今年か来年あたりにはアメリカが「襲撃」してきて、日本には「悲劇的破局の光景」がある
 どれほど「正気」なのか、レトリックなのか、極端なことを言って「特色」を出したいという気分だけなのか、不思議ではある。
 しかし、2020年のつぎの書物のオビには、こうある。
 西尾・国家の行方(産経新聞出版、編集責任者は瀬尾友子)
 「不確定の時代を切り拓く洞察と予言、西尾評論の集大成」。
 上に一部示したような「洞察」が適正で、「予言」が的中するとなると(皮肉だが)大変なことだ。
 上の2020年書の緒言は、国家「意志」を固めないとして日本および日本人を散々に罵倒し、最後にこう言う。どこまで「正気」で、レトリックで、どこまでが<文筆業者>としての商売の文章なのだろうか
 「一番恐れているのは…」だ。「加えて、米中露に囲まれた朝鮮半島と日本列島が一括して『非核地帯』と決せられ」、「敗北平和主義に侵されている日本の保守政権が批准し、調印の上、国会で承認してしまうこと」だ。
 「しかし、事はそれだけでは決して終わるまい。そのうえ万が一半島に核が残れば、日本だけが永遠の無力国家になる」。「いったん決まれば国際社会の見方は固定化し、民族国家としての日本はどんなに努力しても消滅と衰亡への道をひた走ることになる」だろう。
 「憲法九条にこだわったたった一つの日本人の認識上の誤ち、国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義の行き着くところは、生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為にすぎなかったことをついに証拠立てている」。
 以上。
 「生きる意志」を持ち出したり「感傷」的美化を嫌悪している点は、今回の最初の方にある「祝祭劇」という語とともに、ニーチェ的だ。これは第三点に関係するのでさて措く。
 さて、西尾の「洞察と予言」が適切だとすると、将来の日本は真っ暗だ。というよりも、「民族国家」としては存在していないことになりそうだ。
 どんなに努力しても「消滅と衰亡への道をひた走る」のであり、「余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義」は「単純な自殺行為」に行き着くのだ。
 日本が「消滅と衰亡への道」を進んで「自殺」をすれば、さすがに西尾幹二は「洞察と予言」がスゴい人物だったと、将来の日本人(いるのかな?)は振り返ることになるのだろう。これはむろん皮肉だ、念のため。
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 第三点へとつづける。

2447/西尾幹二批判035—「日本に迫る最大の危機」。

  西尾幹二の諸君!2008年12月号によると、日本の「論壇誌」は「イデオロギー」に嵌まらないで、「現実」に目を開き、「現実」を回復しなければならない。
 しかし、まさにその同じ論考の中で、雅子皇太子妃(当時)に関する「現実」をおそらくは完全に無視する文章を書いている。
 西尾によると、「自分の好むひとつの小さな現実を見て、他のすべての現実に目を閉ざそうとする怠惰な心の傾き」がイデオロギーの意味のようなのだが、この「怠惰な心の傾き」は、西尾幹二にも厳然と存在するようだ。
 西尾は、皇室問題での自分の主張を非難する二つの立場について、こう反駁する。
 「二つの立場の、どちらも方々も、あれほど明白になっている東宮家の危機を、いっさい考慮にいれないのです。
 問題は何もない、と言い張るのです。
 目を閉ざしてしまうのです。」
 <危機>というのは評価または解釈が混じる言葉だ。では、<日本に迫る最大の危機>という中見出しのあとのつぎの文章はどうだろうか。
 「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。
 というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。
 <見受ける>だけだと、厳密には、あくまで「推測」なのかもしれない、とも言える。
 しかし、上を全体として読むと、<雅子妃は宮中祭祀を『なさる』意思がなく、拒否し続けている>ということを、西尾が「事実」または「現実」だと受け取っていることは明確だろう。
 なお、その原因にはここでは西尾はいっさい触れていない。
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  元に戻って記すと、西尾『皇太子さまへの御忠言』による「提言」は、西尾によると「典型的な二種類の反応」を惹起した。
 一つは、多くの選択権・無制約をよしとする「いわば平和主義的、現状維持的イデオロギー」で、将来の皇后にも「もっと自由を」、「新しいご公務を」、とするもの。
 もう一つは「むしろ古風な、がちがちに硬直した、皇室至上主義的イデオロギー」で、例えば「臣下の身」で「不敬の極み」だとするもの。自称「旧皇族」から国学院大・皇學館大学の教授まで、「伝統保守イデオロギー」からの反発も「熾烈」だった。
 これら二つ、一方は「新しい時代の自由」、他方は「旧習墨守」という「固定観念への執着」を見て、西尾幹二はこう感じた、という。
 「私は思わず笑いがこみあげてきました」。
 そのあと、既述の「あれほど明白になっている東宮家の危機」をめぐって、「自由派」も「伝統派」も、「現実はいっさい見ない、現実はどうでもいい」、「自分たちの観念や信条の方が大切なのです」と批判する。
 「論壇誌」に対しては、あらためてこう指弾する。
 「イデオロギーに頼って『ことなかれ主義』に手を貸し、揺れ動く世界の現実から目を逸らしているうちに、日本に迫る最大の危機すら曖昧になってしまう
 それが今の雑誌ジャーナリズムを覆う、いちばんの病弊なのではないですか。」
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  西尾幹二の議論が雅子皇太子妃に宮中祭祀を「なさる」意思がなく、それを拒否している、という西尾にとっての「現実」から出発していることは疑い得ない。
 その理由は一般に「ご病気」とされていたが、西尾の別の発言によるとそれは「仮病」だ。そのような「行動と思想」をもつ人物が将来に皇后になるかもしれない、これは「日本に迫る最大の危機」だ、そのような危険性を、「自由派」も「伝統派」も見ていない(自分はちゃんと見ている)、というわけだ。
 その後の事態の推移をも踏まえてということにはなるが、詳細は省いて、西尾幹二の以上のような指摘・主張は、いささか異様、異常ではないだろうか。
 「つくる会」分裂後の八木秀次に対する「人格攻撃」も凄いものだったが、皇太子妃問題をめぐって自分を批判する両派に対する反批判も、なかなかのものだ。
 「私は思わず笑いがこみあげてきました」。
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  ところで、西尾は、皇太子妃の宮中祭祀を「なさる」意思の欠如を問題にしている。
 ここでは、皇太子妃も宮中祭祀を「行う」主体の一人であることが前提とされている。このような表現をする点は、天皇退位問題に関する「5バカ」の一人、妄言者の加地伸行も同じ。
 そうだとすると、少なくとも天皇・皇后、皇太子・同妃の四名は、宮中祭祀の場所である宮中三殿で、全員で一緒に?、三殿またはいずれかの「殿」の祭神に対して「祭祀」を行う、ということなのだろうか。
 西尾幹二は、宮中祭祀とはどういうものであるのか、その際に皇太子妃はどうある「べき」かをいったい何がどのように定めているのか、正確に知っているのだろうか。明治時代、大正時代、さらには「皇太子妃」がいたとして江戸時代とそれより以前は、どうだったのか?
 不十分な理解のままであったとすれば、西尾の議論のほとんど全てが、ガラガラと崩れることになるだろう。
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  ついでに。この西尾論考は、諸君!12月号の実質的には巻頭に置かれている。
 月刊雑誌・諸君!は、その後一年以内に廃刊となった。以上のような西尾論考を重視したこととその反応は、小川榮太郎が新潮45(新潮社)の廃刊の引き金を引いた程ではかりにないとしても、諸君!編集部と文藝春秋の判断に影響を与えたのではなかろうか。
 また、西尾も明記するように、<保守>派内でも異論があり、西尾幹二(や中西輝政)はその中でも少数派だっただろう。
 いずれにせよ、<保守>派内に亀裂を生んだことは間違いない。
 翌2009年8月末実施の総選挙で自民党は大敗し、政権は民主党に移る。
 西尾幹二に限らないが、<保守>派論者はいったい何をしていたのだろう。政権交替は、自民党だけの「責任」ではあるまい。
 雅子皇太子妃・皇室問題が「日本に迫る最大の危機」だと!?
 西尾幹二は、「ねごと」を書いていたのだ。他にも多数書いている(編集者はきちんと読むべし)。
 それにもかかわらず、産経新聞出版(編集者・瀬尾友子)、新潮社(同・冨澤祥郎)、筑摩書房(同・湯原法史)らは、近年にも西尾の本を出版している。こちらも、大いに不思議だ。
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