秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

渡部昇一

0546/稲田朋美の二つの説に大賛成-同他・日本を弑する人びと(PHP)全読了。

 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)を、全読了。中西輝政=八木秀次の対談本より面白い。
 何よりも、稲田朋美とはこんなに知識がありこんなに語れる人物なのか、と感心した。衆院福井一区の人たちは、この人をずっと当選させ続けなければならない。
 書いたことがあるように、司法試験合格者(従って弁護士・裁判官等の専門法曹)のたいていは日本の歴史、天皇制度の歴史、天皇・皇室の現況等などの知識をもっていない(軍事問題の知識も当然に、ない)。そんなことに関心をもっていれば、試験早期合格は覚束ないだろう、と思われる。にもかかわらず、稲田の知識・理解・見解はいったいいつ・どこから得たのか、不思議に思うほどだ。国会議員として現実感覚にも優れ、八木秀次よりも「上」の人だろう。
 必ずしも一般的ではないだろう私の見解と同じ理解を、稲田が示してくれている論点が少なくとも二つある。
 第一に、講和条約(1951。翌年4/28発効)11条の「-を受諾し…
」の「-」につき「(東京)裁判」ではなく「(諸)判決」の意味で、そう訳すべきという主張がかなり(<保守>派の中には)あるようだが、「裁判」でも「(諸)判決」でも本質的に変わりはない旨を書いたことがある。
 稲田朋美も、どちらに訳そうと「第11条の解釈に変わりはないと考えている」と明言している(p.140-1)。そして、なぜこの「受諾」条項が置かれたかというと、同条の全体から見て、戦犯とされ有罪(拘禁)判決を受けた者の現実の「拘禁」状態を維持することを(国際社会に復帰するために)対外的に<約束>しておくためだった、と理解しているが、稲田も殆ど同じことを述べている(p.141)。
 参考までに同条を掲げる。
 第11条「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷のjudgementsを受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」
 そして、この条文にいう「…一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基」き、「拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる」ということが、1000名以上の「戦犯」について、後年に実際に行われたのだ。そしてその中から、のちに大臣になった者まで現れたのだ。
 上の「judgementsを受諾」は、基本的には上のような趣旨(=拘禁刑の執行の「約束」の論理的前提)しかない。諸判決の細かな事実認定・評価に日本国家が永久に拘束されるいわれは全くない。
 論じるとすれば、「judgements」とは判決主文だけなのか判決理由を含むのか、だと思うが、稲田によると、政府答弁(2005.6.02)は、判決理由も含むとしているようで(p.140)、かつ稲田もこれに異議を唱えてはない。判決主文だけなのか判決理由を含むのか、というのは論点ではないのかな、となお感じてはいるが。
 関連して思い出すのは、安倍内閣時代に、民主党の岡田克也が、条約の法的効力は(国内)法律に優先する、という学生時代か司法試験勉強中に憶えたのだろうことを持ち出して、だから(東京裁判遵守の)講和条約の方が国内法律による赦免や犯罪者扱いしない等の措置よりも重たい(優位に立つ)という旨を主張して安倍首相に対して質問していたことだ。一般論としての効力関係はそうだとしても、問題は、そもそもの講和条約11条の存在意義・意味の解釈に分かれがあることにあるのに、ズレた質問をしている、と感じたものだった(岡田は、当時の野党も含めて賛成した、東京裁判「戦犯」を犯罪者扱いしないことを前提とする法律制定・改廃は国際法違反で無効とでも主張するのか?)。
 第二は、これまで書いたことがなく、昨年に憲法九条が同条二項も含めて憲法改正権の限界の中に含まれるかにつき、常岡せつ子という憲法学者らしき者の「大ウソ」について何回か書いたあと、4月頃に天皇制度に関係のある書き込みをしていて考えたことだ。すなわち、日本(・天皇制度)の長い歴史から見て、<天皇制度>の廃止をするような憲法改正は許されない、つまり憲法改正権の限界を超えるのではないか。
 現憲法1条は「…この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定していて、立花隆をはじめとして、「日本国民の総意」でもって(憲法改正により)廃止(廃絶)できると解釈する者も多いようだ。憲法改正権の限界を論じる中で天皇条項におそらく全く言及していない憲法学説も、少なくとも通説又は圧倒的多数説は、そのように解釈しているのかもしれない。
 だが、稲田朋美は次のように明言している。-「憲法一条の象徴天皇を憲法改正の対象とすることは許されないと私は思っています」(p.207)。
 これには肯定的な意味で、驚いた。私もそのように主張したい。そして、憲法学界は、この論点もまともに論じるべきだ、と言いたい。
 「…この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という部分は、現憲法の制定者がそのように=日本国民の総意に基づくものだ、と理解して、天皇を国家と国民統合の「象徴」と位置づける、という意味だけのことで、「日本国民の総意」によって<どのようにでもなる>と解釈するのは、政治的に歪んだ、他国にはない日本国家の特性を完全に無視した議論(解釈)だ、と考えられる。
 稲田は上の見地から、自民党の憲法改正草案の「象徴天皇はこれを維持する」との文言も不適切だと指摘している(p.207-8)。その理由も含めて、尤もだと支持したい。
 だが、稲田朋美の発言のうち一つだけ違和感をもったのは、この人が「二千六百五十年以上」続く天皇制度・皇位継承等と、何度も強調していることだ(p.208-9)。
 中国の文献を信頼して日本の古代文献は信用しないというのでは全くないが、神武天皇即位が「二千六百五十年以上」前だったと<信じて>もよいが<事実>だったと認識はできないだろう、と思っている(但し、のちに神武天皇と称されたような人物の不存在までを主張するつもりはない)。この点はまた別の雑談の機会にでもさらに書くが、旧皇族の後裔・竹田恒泰も、同・旧皇族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008)の例えばp.69-71で、神武天皇は「二千六百五十年以上」前に即位した、この頃に活躍した人物だった、とは一切書いておらず、むしろ三世紀前半(1750年余以前)説を有力な考え方の一つとして語っている、ということだけ記しておきたい。

0543/中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP)と諸君!7月号でのこの二人の文章。

 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)につづいて中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008.06)も入手して、読む時間が足りない。また、書く時間があればこれらを読んでしまいたい。だが、いずれも途中まで読んだだけだが(座談なので、すぱやく読めてしまう)、後者から一部抜き出して、関連するコメントを書いておこう。いちおう、後者についての第一回になる。
 上の中西輝政と八木秀次の対談本の大切なポイントではないかもしれないが、<進歩(革新)派>から<保守派>への「改宗派」や所謂「すべて派」〔説明省略〕に対する皮肉らしきものを述べたあと、中西輝政は言う-「非常に過度な攻撃性を示してしまうというのは、まだ本来の保守になりきれず、『反左翼』『反リベラル』にとどまっている」。また、八木秀次も続ける-「本来保守というものは、ふくよかなものであるはずです」(p.105)。
 別の箇所で、中西輝政はこうも言う-保守とは思想ではなく感覚・心。「だから賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度にすると、かえって保守から離れるという側面」がある(p.131)。そして、八木秀次は「保守思想」の「理論化、体系化をすべき時期」ではないか(p.131)、「底の浅い保守思想」の淘汰(p.134)、「保守思想」の整備(p.135)等と言及しつつ、本来は「保守から離れる」ことになるかもしれないが(p.131)、などとも言っている。
 これらのやりとりにとくに反対するつもりはない。却って、むろん二人が意識している筈もないが、このブログ欄が<反朝日新聞・反日本共産党>とのみ語って「保守」という語を使っていないことや、樋口陽一らを「賢(さか)しらに論(あげつら)う」ということをしてきたようで、やや耳に痛い気もする。
 だが、この二人が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思う。また、八木秀次が発言していることの中には私には彼には荷が重すぎると感じることもあるが、この点は別の回に書く。
 思い出すのは、月刊・諸君!7月号の特集「われらの天皇家、かくあれかし」の中に計56あった文章の中の、中西輝政と八木秀次のものの内容だ。
 全員のものをまだ読み終えていないが、西尾幹二が別の雑誌で述べていた結論的なことと、表現は違っても、同趣旨のことを述べていたのがまさにこの二人だった。
 そして、竹田恒泰を信頼するかぎりは、この二人の文章は、現時点では、率直に言って<妄言だ>。よくぞ、「神道と皇室に対してどういう態度をとるのか」、この点を「素通りして日本の保守はない」(中西輝政。上の対談本p.135)と言えるものだ、という気がしている。
 この問題に前回に触れて述べたようなことに対して、<では皇室(の重要部分)が「左翼」に乗っ取られてよいのか、「左翼」の浸透を許してよいのか>という反論があるかもしれない。それを想定して、いちおう再反論しておこう。
 竹田恒泰の言を信じれば、皇太子妃が宮中祭祀に列席されようとされまいと宮中祭祀の本質に変化はない。天皇(と将来の天皇・皇太子)こそが大切なのだ天皇陛下が「左翼」に乗っ取られない限り、<天皇制度>はまだ生きており、「日本」も存続している
 私には事実関係の確定のための資料も能力もないが、―以下、本来は書きたくないことに入ってしまうが―万が一、皇太子妃が(祭祀の意義を認めることのできないような)「左翼」心情の持ち主なのだとすれば、もう遅いのではないか。それを阻止するためには、皇太子のご婚姻前の段階ですでに警告・警戒の発言を八木や中西は(西尾幹二も)しておくべきだった、と思う。今では、一国民としては(憂慮しつつも?)「静かに見守る」他はないのではないか。
 また、皇室の<外>からの<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)の圧力で、皇太子妃たる地位の適格性を論じ、あまつさえ変更の趣旨を含む意見を述べるというのは、きわめて不謹慎なことだ、と思う。このことは、たんに皇室への敬意という心構えのみの問題ではなく、<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)という圧力によって皇族の地位が変動されることがありうるという先例を作ってしまえば、逆に<左翼的世論>が皇室内の問題・皇族の地位に具体的に介入してくることは目に見えている、という趣旨の方をむしろ多く含んでいる。
 上のことくらい、中西輝政、八木秀次、西尾幹二は理解できないのだろうか。じつに嘆かわしいことだ、と私は感じている。「賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度に」行っていることにはならないのだろうか。
 
ということもあって、中西輝政と八木秀次が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思っている。もっとも、彼らが上掲の本で語っていることの80%は理解できるし、かつそのうち90%くらいは支持できる(読んだ限りでは皇太子妃問題に言及していない)、ということも追記しておこう。

0215/日本共産党とその追随者に未来はない。すみやかに離党を。

 渡部昇一=林道義=八木秀次・国を売る人びと(PHP、2000)という本の中で、林道義は次のように率直に言っている。
 「私が犯した最大の間違いは、旧ソ連・中国などの社会主義国を本当に理想を追求している国だと思い込んだことである。…20歳前後…に気づくことができた。社会主義と言われる国々は、人間性を否定する最悪の独裁国だと気づいた」。
 戦後1970年代くらいまでにかかる幻想をもった(思い込んだ)人々は、悪びれることなく正々堂々と誤っていたことを認めるべきだし、そのことこそ讃えられるべきだ。
 日本には「変節」・「裏切り」という言葉もあって、いったん社会主義・マルクス主義にシンパシーを持った(又は共産党・社会党に接近した、さらに入党した)人がそれらから離れることについて本人が自らを精神的に苛むことがありうる。
 しかし、疑問をもちつつ社会主義・マルクス主義(日本共産党・社民党)から離れられない人こそ、勇気・正義感がないのだと悟るべきだ。社会主義・マルクス主義は実質的には「宗教」だから、離脱に何らかの苦痛・葛藤が伴うことはありうるが多少はやむをえない。
 とくに20歳代、30歳代の若い人たちよ。「科学的社会主義」(=マルクス・レーニン主義)の政党に、かけがえのない、一度しかない一生を賭ける必要は全くない。まだ人生はやり直せる。
 日本共産党からすみやかに離れた方がよい。あなた自身と日本・世界のためにも。そう、心から訴える。日本共産党とその追随者に未来はない

0105/潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の渡部昇一による書評。

 産経新聞4/29に、渡部昇一による潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の書評(紹介)が載っている。
 結論的に、「戦後の日本の平和が日米安保条約のおかげでなく、憲法九条のおかげだと言うのは誰にも分かる嘘である」、こうした「嘘を直視することのできる本書の出版を喜びたい」と評している。
 「誰にも分かる嘘」でありながら、立花隆呉智英はそれを信じているらしいことはすでに触れた。呉智英は、別冊正論Extra.06(産経新聞社、2007)に、「自衛隊、安保条約が平和を護ったのだと主張する人もいる。それも一理あるが、やはり中心にあるのは第九条である」と明言しつつ(p.190)、情報戦・謀略戦の重要性を説く、やや意味不明の一文を寄せている。
 それはともかく、渡部はこの潮の本を肯定的に評価していることは明らかだ。しかし、潮の本は、当然のこととして敢えて言及してもいないようだが、九条を含む現憲法が憲法として有効であること、「現行」憲法であることを前提にしている。
 一方、渡部はどうやら日本国憲法「無効」論を支持しているようで、この書評文の中でも、こう書く。
 「日本の常識が世界の常識からずれてしまった」のは「新憲法と呼ばれる占領軍政策の占領基本法を日本人が「憲法」であると考えるようになったから」だ、「憲法制定が、主権が失われた状態でできるわれがないという明白な事実を、当時の日本人はごまかし」、「そのごまかしは今まで続いている」。
 明瞭ではないが、<占領基本法を「憲法」と考えるごまかし>という表現の仕方は、私が多少の知識を得た日本国憲法「無効」論に適合的だ。
 かかる九条を含む現「憲法」無効論と九条を有効な憲法規範としたうえでそれを「諸悪の根源」とする本の「出版を喜びたい」とする評価は、両立するのだろうか。無効論・有効論に立ち入らずに、憲法としては本来は無効でも現実には通用しているかぎりで、九条が「諸悪の根源」と評価をすることもできるのだろうか。あるいは、渡部はそんな理屈あるいは疑問などを全く想定していないで書評しているのだろうか。
 というわけで、やや不思議な気がした書評文だった。
 潮匡人の本自体は、憲法制定過程には言及していないが、「憲法九条は諸悪の根源」であることを相当十分に論じており、何人かの九条護持論者を名指しで批判し、「戦後レジームからの脱却」のために(「日本の戦後」を終わらせるために)、「名実ともに、自衛隊を軍隊にすべきである」と最後に主張する、軍事問題に詳しい人の書いた、読みやすい好著だと思う。そうした「本書の出版を喜びたい」。 

0104/日本国憲法無効論はどう扱われてきたか(たぶん、その1)。

 日本国憲法無効論があるのを知り、この議論がどの程度の影響力をもっているかに関心を持ってネットで探していたら、「南出文庫」という文書ファイル名、「忘れられたもう一つの「憲法調査会」」というタイトルの文書に行き当たった。
 渡部昇一との共著がある南出喜久治の文章かと思われ、また1997年5月以降で国会両院に憲法調査会が設立される前に執筆されているようだが、いずれも確定的ではない(なお、「現行憲法破棄!、山河死守!、自主防衛体制確立!」と表紙にある「民族戦線社」のHP内に収載の文書のようだ)。
 この文書によると、こうだ。
 昭和31年の憲法調査会法にもとづき内閣に設置された「憲法調査会」は国会議員30名、学識経験者20名の計50名の委員で構成され、調査審議し、昭和39年7月3日に本文約二百頁、付属書約四千三百頁、総字数約百万字にのぼる「憲法調査報告書」を完成させて報告した。「ところが、…この報告書には、致命的な欠陥と誤魔化しがあった。それは、当時、現行憲法の制定経過の評価において、根強い「現行憲法無効論」があったにもかかわらず、無効論の学者を一切排除し、有効論の学者のみをもって憲法調査会が構成され、しかも、有効論と無効論の両論を公正に併記し、それぞれ反論の機会を与えるという公平さを全く欠いた内容となっていたからである」。/「この報告書では、当時の無効論をどのように扱ったかと言えば、僅か半頁、しかも実質には約百字で紹介されたに過ぎない。…百万字の報告書のうちのたった百字。一万分の一である。そして、報告書曰わく「調査会においては憲法無効論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としている。誰一人無効論を唱える者を委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入った話である」。
 上の報告書など読んだこともないが、これで当時の、すなわち1960年代前半の「雰囲気」はほぼ分かる。
 ちなみにこの文書の執筆者(南出?)は、次のようにも書く。
 「殆どの憲法学者というのは「現行憲法解釈学者」であって、これで飯を食っている御仁である。そのため、現行憲法が無効ではないかという議論がなされてくると、今まで、現行憲法の絶対無謬性を唱えてきた「現行憲法真理教」の教義が揺らぎ、今まで嘘を教えたと学生や大衆から非難され、オマンマが食べられなくなるからである。無効論に説得力がないと思うのであれば、堂々と議論して論破すればよいではないか。しかし、それは死んでもできない。なぜなら、無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである」。
 現行憲法を有効視しないと「オマンマが食べられなくなる」というのはその通りかもしれない。だが、「無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである」という部分には疑問符をつけておきたい。
 私は憲法学者(研究者)でも何でもないが、知的好奇心は旺盛なつもりなので、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)も買って少し読んでみた。
 南出と渡部の共著は所持しつつ未読なので、南出の無効論と小山の無効論が全く同じなのか、どう違うかはまだ知らないが、少なくとも小山の上の本には、私でも「突っ込める」ところがいく点もある。上の言葉を借りれば、「明確な法的根拠と充分な説得力」があるとは必ずしも思えない。
 詳細はここでは省くとして、つぎには、すでに2005年に(内閣に設置ではない、1960年代のとは異なる、新しい)国会両院の憲法調査会がこれまた長い報告書をすでに出しているようなので、そこで「日本国憲法無効論」がどう扱われているかを(むろんすべて本来の仕事の範囲外のことなので、時間を見つけて)調べてみよう。
 なお、多数意見が誤っており、少数意見が「正しい」こともありうる。だが、そこでの「正しさ」とはいったい何なのだろう。こうした憲法・法学的分野では、総合的に観てより合理的・論理的で、より説得的なものがより「正しい」意見なのだろう。従って、全ての人間(日本国民全員)を納得させるような「(絶対的に)正しい」見解というのはそもそも存在しないのだと思われる。というような、余計なことが頭に浮かんだ。

0096/渡部昇一は日本国憲法改正に反対している!

 渡部昇一(1930-)という人は不思議な人だ。つい前回、2001年の本では、日本国憲法の三大原則を守ってより良くする改正を、と発言していた、と書いた。
 月刊WiLL(ワック)の2007年6月号の彼の戦後史連載講座5回目は日本国憲法を扱っているが、そのタイトルは「新憲法は「占領政策基本法」だ」で、次のように書く(p.239)。
 「日本国憲法は条約憲法で、ふつうの憲法ではない…。正確に言えば、占領政策基本法でしょう」。/「日本政府は独立回復時に日本国憲法を失効とし、…ふつうの憲法の制定か、明治憲法の改正をしなければならなかった。日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのです」。
 渡部氏は最近、南出喜久治という人との共著・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)を刊行している(私は未読)。この南出の影響を受けたのか、上で語られているのは、明らかに日本国憲法改正反対論だ。十分に丁寧には説明していないが、有効な憲法ではなく占領政策基本法にすぎないのだから、それを改正しても憲法改正にはならない、「日本国憲法」が有効な憲法とのウソを更に上塗りすることになる、という趣旨だろう。
 渡部昇一という人は「保守派」の著名な論客だが、対談する、又は一緒に仕事をする人の考え方の影響を受けやすいのだろうか。今頃は改憲の主張を頻繁にしている方がむしろ自然に思えるのに、何と、日本国憲法無効論の影響をうけて(であろう)、2001年の本とは逆に、改憲に反対しているのだ。2001年の本以外にも彼は、現憲法9条2項の改正を主張する等の論稿・発言をこれまで頻繁に公にしてきたのではなかったのか。
 考え方が変わる、ということはありうる。だが、70歳を過ぎて基本的な問題に関する考えを変えるとは珍しい。また、改憲に反対とは、そのかぎりで、渡部昇一という人は大江健三郎や佐高信と同意見であることを意味する。客観的には、大江や佐高、そして朝日新聞等々を喜ばせる主張を、彼は月刊WiLL誌上で行っているのだ。
 西尾幹二等と比べれば、軽い(噛みごたえの少ない)文章を書く人という印象はあったが、渡部はもはや、かなりの程度、信用できない人のグループに入りそうだ。
 ところで、渡部は、「すべての根元はこの〔八月革命説を唱えた〕宮沢俊義東大名誉教授とその門下生です。病的な平和論者に芦部信喜東京大学教授、樋口陽一名誉教授がいます」と書き、「百地章さんや西修さん」は「まっとうな憲法学者」だとする(p.243、p.244)。
 渡部がじっくりと各氏の(論文は勿論)教科書類を読んだとは思えないのだが、とくに前半は、はたして、どなたから得た情報又は知識だろうか(なお、上半分のうち、宮沢、芦部両氏は故人の筈で、肩書きに一貫性がない。これは、潮匡人・憲法九条は諸悪の根源p.252-3を参照したからではないか、と推測する)。

0095/日本国憲法は三大原則か六大原則か。

 もはや古い本だなと思いつつ、渡部昇一=小林節・そろそろ憲法を変えてみようか(致知出版社、2001)を何気なく捲っていたら、渡部のこんな発言が目に入った。
 「改悪にならないようにするために…日本国憲法の三大原理である国民主権主義と平和主義と基本的人権の尊重を強化し、私たちの幸福を増進させる方向性の改憲を改正と呼ぶ」と訴え続ける必要がある(p.222)。
 この部分は渡部昇一にしては(いや彼だからこそ?)不用意な発言だ。平和主義の中には現憲法九条二項も含まれてしまう可能性がある。また、憲法学者の小林がこの本のもっと前で話したことをふまえているのかもしれないが、日本国憲法の「三大原理」として国民主権主義・平和主義・基本的人権の尊重を挙げるのは陳腐すぎ、かつ疑問視もできるものだ。
 こんな基本的なことを話題にするつもりはなかったのだが、八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)によると、高校までの社会科の教科書ではたしかに上の3つが憲法の三大原則と書かれている、しかし、1947年に政府が作った、あたらしい憲法の話(中学校副読本)では、憲法前文が示す原則として民主主義・国際平和主義・主権在民主義の3つを挙げ(基本的人権の尊重は入っていない)、本文の項目では、民主主義・国際平和主義・主権在民主義・天皇陛下(象徴天皇制)・戦争の放棄・基本的人権の6つが同格で説明されている(いわば六大原則)、大学生向けの憲法の教科書では必ずしも一致はない。
 そして、八木によるとこうだ。1954年に成立した鳩山一郎内閣が自主憲法制定(憲法改正)を提唱したことに危機感をもった「護憲派勢力」が、かりに改憲されるとしても改正できない原則として、上記の三大原則を「打ち出した」のであり、その意味で「政治的主張という色彩が強い」(象徴天皇制は原則とはされないので、天皇制度自体の廃止は可能とのニュアンスを含む)。
 自称ハイエキアンで憲法学界の中では少数派ではないかと勝手に想像している阪本昌成(現在、九州大学教授)の広島大学時代の初学者向けの本に、同編・これでわかる!?憲法(有信堂、1998)がある。
 この本の阪本昌成執筆部分なのだが、八木の叙述とはやや異なり、「教科書も新聞も、大学生向けの憲法の教科書も」上記の三大原則を挙げる、とする(p.35)。
 上の部分の見出しがすでに「インチキ臭い「3大原則」」なのだが、彼は、「日本国憲法の基本原則は、「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」といった簡単なものではな」く、次の6つの「組み合わせ」となっている、とする(p.37-38。()内は秋月)。
 1.「代議制によって政治を行う」(代議制・間接民主主義)、2.「自由という基本的人権を尊重する」(自由権的基本権の尊重)、3.「国民主権を宣言することによって君主制をやめて象徴天皇制にする」(国民主権・象徴天皇制)、4.「憲法は最高法規であること(そのための司法審査制)を確認し、そして、「よくない意味での法律の留保」を否定する」(法律に対する憲法の優位・対法律違憲審査制)、5.「国際協調に徹する安全保障をとる」(国際協調的安全保障)、6.「権力分立制度の採用」(権力分立制)。
 単純な三大原則よりは、より詳細で正確なような気がするではないか(?)。それに、単純な「民主主義」というだけの概念が使われていないのもよい。また、たんに「基本的人権」の尊重ではなく「自由という基本的人権」とするのがきっと阪本昌成的なのだろう。
 なお、日本国憲法の「原則」をどう理解するかは、それが、-八木が示唆しているように-憲法改正の「限界」論(憲法改正手続によっても改正できない事項はあるのか、あるとすればいかなる事項又は「原理」か)と無関係である限りは、さして重要な法的意味があるわけではない。そして、通常は、3つであれ6つであれ、憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)。
 憲法の問題は関係文献に逐一触れていると切りがないところがあるのだが、重複を怖れず、ときどきは言及することにする。

0090/「日本国憲法無効」論に接して-小山常実氏の一文を読む。

 「日本国憲法無効」論というのがあるのを知って、先日、小山常実・「日本国憲法」無効論(草思社、2002)と渡部昇一=南出喜久治・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)の二つを入手し、おいおい読もうと思っていたのだが、昨日4/22に発売された別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経新聞社)の中に小山常実「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」があったので、「無効論」の要約的なものだろうと思い、読んでみた。
 大部分については、少なくとも「理解」できる。だが、大部分に「賛同」できるかというとそういうわけではなく、基本的な一部には疑問も生じる。小山氏の最新の憲法無効論とは何か(展転社、2006)を読めば解消するのかもしれないが、とりあえず、簡単に記しておこう。
 第一に、無効論者は(憲法としては)「無効」確認を主張しているが、「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生する」(p.109)、いずれの無効論も「戦後六十一年間の国家の行為を過去に遡ってなかったことにするのではない。…それゆえ、国家社会が混乱するわけではない」(p.112)とされる。
 このような印象を持ってはいなかったので勉強させていただいたが、しかし、上のような意味だとすれば、「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。
 無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 選挙区定数が人口(有権者数)に比例しておらず選挙無効との訴訟(公職選挙法にもとづく)が提起され、最高裁は複数回請求を棄却しているが、憲法(選挙権の平等)に違反して無効であるが、既成事実を重く見て、請求は棄却する、と判示しているのでは、ない。憲法に違反しているが、無効ではない、という理由で請求を棄却している。無効と言ってしまえば、過去の(全て又は一部の選挙区の)選挙はやり直さなければならず、全ての選挙区の選挙が無効とされれば、選出議員がいなくなり、公職選挙法を合憲なものに改正する作業をすべき国会議員(両院のいずれかの全員)がいなくなってしまうからだ。
 余計なことを書いたが、民法学でもその他の分野でもよい、「無効」または「無効確認」を将来に向かってのみ効力を無くす、という意味では用いてきてはいないはずだ(なお、「取消し」も原則的には、遡及して効力を消滅せしめる、という意味だ)。
 さらに第一点に関連して続ければ、なぜ「過去に遡ってなかったことにするのではない」のかの理由・根拠がよくわからない。憲法としては無効だが、60年までは「占領管理基本法」として、その後は<国家運営臨時措置法>として有効だという趣旨だろうか。
 そうだとすると日本国「憲法無効」論というやや仰々しい表現にもかかわらず、憲法以外の法規範としての効力は認めることとなり、この説の意味・機能、そして存在意義が問題になる。
 第二に、「日本国憲法無効」論者は、憲法としては無効で、占領下では「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」又は「占領管理法」、「暫定基本法」又は「講和条約群の一つ」と「日本国憲法」を性格づけるらしい(p.109)。
 占領後についての<国家運営臨時措置法>に関してもいえるが、上の「講和条約群の一つ」が「日本国憲法」を条約の一種と見ているようであるものの、その他のものについては、それがいかなる法形式のものであるのか、曖昧だ。
 条約は別として、立法形式としては、法律以上では(つまり政令や条例等を別にすれば)、法律と憲法しか存在しないはずだ。
 ということは、「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」・「占領管理法」、「暫定基本法」、<国家運営臨時措置法>は法律のはずなのだ。そして、ということは、たんなる法律であれば、事後法、特別法の優先が働いて、その所謂「占領管理基本法」に違反する法律も何ら違法ではない、ということを意味する。法律として、効力は対等なのだ。さらに、ということは、現在は現実にときに問題となる法律の「日本国憲法」適合性は、全く問題にならないことを意味する。「占領管理基本法」等との整合性は(教育基本法もそうなのだが)法的にではなく、政治的に要請されるにとどまる。だが、それにしては、「占領管理基本法」等としての「日本国憲法」は、内閣総理大臣の選出方法、司法権の構成、「地方公共団体の長」の選出方法(住民公選)、裁判官の罷免方法等々、曖昧ではない「固い」・明確な規定をたくさん持っている(「人権」条項は教育基本法の定めと同様の「理念」的規定と言えるとしても)。
 「教育基本法」、「建築基準法」等と「~法」という題名になっていても「法律」だ。ドイツには、可決に特別多数を要する法律と、過半数で足りる「普通法律」とがあるらしいが、日本では(たぶん戦前も)そのような区別を知らない。
 「日本国憲法無効」論者が「日本国憲法」を憲法以外の他の性格のものと位置づけるとき、上のことは十分に意識されているだろうか。再述すれば、憲法と法律の間に「法」又は「基本法」という中間的な「法」規範の存在形式はないのだ。
 さらに第二点に関連して続れば、「日本国憲法」無効論者は瑕疵の治癒、追認、時効(私が追記すれば他に「(憲法)慣習法」化論もありうるだろう。「無効行為の転換」は意味不明だ)等による日本国憲法の有効視、正当化を批判しているが、このような後者の議論と、「占領管理基本法」等として有効視する議論は、実質的にどこが違うのだろうか。「無効」論者が「過去に遡ってなかったことにするのではない」というとき、瑕疵の治癒、追認、時効、慣習法化等々の<既成事実の重み>を尊重する議論を少なくともある程度は実質的には採用しているのではあるまいか。
 ちなみに、細かいことだが、<「治癒」できないような絶対的な「瑕疵」>との概念(p.112)は理解できる。だが、そのような概念を用いた議論のためには、「治癒」できる「瑕疵」と「治癒」できない絶対的な「瑕疵」の区別の基準を明瞭に示しておいていただく必要がある。
 第三に、(憲法としての)「無効」確認を主張しているようだが、「無効」確認をする、又はすべき主体は誰又はどの国家機関なのか。
 p.115は<「憲法学」は…「日本国憲法」が無効なことを確認すべきである>という。
 ここでの「憲法学」とは何か。憲法学者の集まりの憲法学界又は憲法学会をおそらくは意味していそうだ。
 だが、たかが「学界」又は「学会」が「無効」確認をして(あるいは「無効」を宣言して)、日本国憲法の「無効」性が確認されるわけがない。無効と考える憲法学者が多数派を占めれば「無効」確認が可能だ、と考えられているとすれば、奇妙で採用され難い前提に立っている。
 では、最高裁判所なのか。最高裁は「日本国憲法」によって新設された国家機関で、自らの基礎である「日本国憲法」の無効性・有効性を(あるいは「占領管理基本法」等と性格づければ自らを否定することにはならないとしても、いずれにせよ自らの存在根拠の無効性・有効性)を審査するだろうか。また、そもそもどういう請求をして「無効確認」してもらえるかの適切な方法を思い浮かべられない(いわゆる「事件性」の要求又は「付随的違憲審査制」にかかわる)。
 現憲法41条にいう「国権の最高機関」としての国会なのか、と考えても、同様のことが言える。(では、天皇陛下なのか?)
 要するに、無効である、無効を確認すべきである、とか言っても、一つの(憲法)学説にすぎないのであり、現実的に又は制度的に「無効」が確認されることは、ほぼ絶対的にありえないのではなかろうか。とすると、考え方又は主張としては魅力がある「日本国憲法」無効論も、実際的に見るとそれが現実化されることはほぼありえない、という意味で、やや失礼な表現かもしれないが、机上の空論なのではあるまいか。
 第四に(今までのような<疑問>ではない)、「日本国憲法」無効論は、このたび読んだ小山の一文が明示しているわけではないが、現憲法の有効性を前提とする改憲論・護憲論をいずれも誤った前提に立つものとして斥け、「日本国憲法」無効論にこそ立脚すべき、という議論のようだ。
 運動論として言えば、そう排他的?にならないで、内容や制定過程の問題も十分に(人によれば多少は)理解していると思われる<改憲派>と「共闘」して欲しいものだ、と思っている。
 ただ、次のような文は上のような「夢」を打ち砕く可能性がある。
 <将来「日本国憲法」がどのような内容に改正されようとも、改定「日本国憲法」は、引き続き、国家運営のための臨時措置法〔法律だ-秋月〕にすぎない>(p.111)。
 このように理解してしまうと、日本は永遠に「真正の」憲法を持てなくなってしまう可能性がある。
 もっとも、<「憲法学」は、「日本国憲法」無効論の立場に立ち、明治憲法の復元改正という形で改憲を主張しなければならない>(p.115)とも書かれているので、「明治憲法の復元改正」を経るならば、わが日本国も「真正の」憲法を持てるのだろう。その現実的可能性があるか、と問われれば、ほぼ絶望的に感じるが…。
 疑問を中心に書いてきたが、私もまた-別の機会に書くが-現在の憲法学界らしきものに対しては大きな不満を持っている。そして、次の文章(p.111)には100%賛同する、と申し上げておく。
 <戦後の「憲法学」は「日本固有の原理」を完全に無視し、「人類普遍の原理」だけを追求してきた。「憲法学者」は、日本固有の歴史も宗教も考慮せず、明治憲法史の研究さえも疎かにしてきた。彼らが参考にするのは、西欧と米国の歴史であり、西欧米国の憲法史であった。取り上げられたとしても、日本の歴史、憲法史は、西欧米国史に現れた理念によって断罪される役回りであった。そして、日本及び日本人を差別する思想を育んできたのである。
 憲法学者のうちおそらくは90%以上になると推定するが、このような戦後「憲法学」を身につけた憲法学者(憲法学の教師)によって法学部の学生たちは「憲法」という科目を学び、他の学部の学生たちも一般教養科目としての「憲法」又は「日本国憲法」を学び、高校までの教師になりたい者は必修科目(たしか「教職科目」という)としての「日本国憲法」を学んできたのだ。
 上級を含む法学部出身等の国家・地方公務員、他学部出身者を含むマスコミ・メディア就職者、小・中・高校の教師たち等々に、かかる憲法学の影響が全くなかったなどということは、到底考えられない。そして施行後もう60年も経つ。上に使ったのとは別の意味で、やや絶望的な気分になりそうでもある…。
 (不躾ながら、これまでにTBして貰った際の「無効論」のブログ元の文章は、文字の大きさ不揃い、私にはカラフル過ぎ等もあって-一番は「重たい」テーマだからだったろうが-読んでいない。)

-0048/サ講和条約11条の<裁判>・<判決>に意味はあるか。

 安倍首相の「歴史認識」問題よりも北朝鮮核実験問題の方が重要と思いつつも、いくつかの本で読んだ講和条約・戦犯問題が国会で現に議論されていたのはなかなか興味深かった。
 講和条約11条の解釈については、「裁判」は「諸判決」のことと反論する保守派もいるが(小林よしのりも)、この欄の08/11で述べたように、そんな「訳語」のことを問題にしない安倍の解釈が適切と思う。
 簡単に買える小さな六法(例えば有斐閣ポケット六法)にも掲載されている講和条約(日本国との平和条約、1952.04.28発効)11条第一文は次のとおり。
 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」。
 全27条や11条の第二文以下との関係・位置づけから見ても、これから日本国が東京「裁判」等の事実認定・理由づけ等を細かなことも含めてすべてに同意し、将来も国自体の「歴史認識」として有し続けるなどという解釈が出てくるはずがない。
 「承諾し」という語は、第一文後段の前提として、個々の諸判決の結論(とくに拘禁刑判決)に国としては異議を唱えない(異論を述べない、従う)との意味で用いられているのだ。
 再言になるが、誰が「戦争犯罪人」かの結論はもちろん事実認定・理由づけについてもそのまま将来にわたって自らの「歴史認識」とすべき旨を東京裁判終了後に述べていたのが、朝日新聞だった。

-0040/若宮啓文、有田芳生はいい名前だ。

 これまた古いが朝日の「いっそ…夢想する」で有名な若宮啓文が同紙8月28日のコラムで加藤紘一自宅放火という「テロ」に対する小泉首相等の反応の遅さを詰っている。拉致という明確な国家「テロ」の問題をとりあげるのは日朝国交正常化の「障害」と明記して横田滋氏等から総スカンを食った朝日が、再述すれば、国家「テロ」問題よりも国交正常化優先すべきとの見解だった朝日が、「テロとの戦いはどうした」という見出しのコラムを掲載する資格は全くない。
 何げなく有田芳生のサイトを見ていたら0912付の最後に「安倍の改憲を含む戦後の枠組み解体路線には断固として与しない」とあった。改憲問題は別として、「戦後の枠組み」とは一体何を意味しているのかが問題だ。常識的にみて、「戦後」の全てが良かったか悪かったかという問いは、従って「解体」に一括賛成か反対かの選択は無意味だろう。むろん、「進歩」があったことを否定しないが、しかし、有田の詳しいオウム事件・サリン事件や悪質少年犯罪事件はまさに「戦後」が生み出した現象でないか。「解体」との結論にならないとしても憲法・教育も含めた「枠組み」の妥当性を疑ってみること自体は大切だろう。
 渡部昇一=林道義=八木秀次・国を売る人びと(PHP、2000)を読了し、西尾幹二=八木秀次・新国民の油断(PHP、2005)を通読した。
 フェミニズム・ジェンダーフリー論の帰結のヒドさに愕然とした。有田は後者で紹介されている「自由な」教育も「解体」しないで維持したいのか。また、後者によると、エンゲルスは『…起源』で家庭内で夫は支配者でブルジョアジ-、近代家族は「プロレタリア-ト」たる妻の「家内奴隷制」で成立とまで書いていた。なるほど、マルクス主義とフェミニズムは「個人」のために「家族」を崩壊させる理論なのだ。そして、男女平等といった表向き反対しにくいテ-ゼが利用されて、「家族」の解体がある程度進行してしまっていることも感じる。その結果が、親の権威の欠如(=親子対等論)等々であり、「家族」の崩壊はオウム事件、悪質少年犯罪等と、さらに晩婚化・少子化とも決して無関係でないと考えられる。結局はマルクス主義の影響によってこそ、日本社会は大切なものを喪失してきたのだ。まさに「悪魔の理論」といえる。

ギャラリー
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