(つづき)
② 以上の顛末(ここでは一部省略)につき、田母神俊雄はこうまとめる。
「私が辞めるに至る顛末は、一切の弁明の機会を許さないという、完璧な言論封じであり、40年以上国のために汗を流してきた。三軍の一方の将に対する礼儀も作法も欠いた、極めて卑劣な策謀だったといえる」(p.254)。
空幕長(航空幕僚長)というのは「5万」人航空自衛隊のトップだ(p.245)。
顛末記の冒頭に次のようにも田母神俊雄は書いていた。
「あの更迭劇は、増田好平防衛省事務次官の、私への私憤で始まったと認識している」(p.240)
二 ほとんど感想を書く気もなくなるが心を奮い立たせて書くと…。
「私憤」で航空自衛隊のトップ人事が左右されるとは、また上のごとき防衛大臣では、現在の防衛省・自衛隊は、<日本の安全>を守れる組織なのか、との深刻な疑問が湧く。
増田好平は、かつてはいたはずの<サムライ>意識をもった、<武士道精神>らしきものをもった、目立たなくとも国家・国民のために奉じるような<官僚>ではなさそうだ。いじましい、小人物のようだ。そして、そのような官僚として、日本の歴史に小さな名をとどめるのだろう。
再び、田母神俊雄いわく-増田好平は「守屋前次官と小池百合子大臣の喧嘩両成敗で、警察出身の官房長に内定していた防衛省次官の座を”棚牡丹”式に手に入れた人間だ。それに守屋前次官の”茶坊主”のような存在だったから省内の評判は決して良いとは言えない。…」
田母神の立場からして多少は割り引いて読むとしても、こんな人物に<日本の防衛>のための枢要な事務を任せられるのか。防衛官僚(内局)すら<劣化>している。
防衛省の事務方も(増田好平の意向を汲んでだろうが)、<記者が大勢きている、混乱するから来ないでくれ>とは何事だ。ひどいものだ。「記者」への情報提供くらい必要に応じて(利用するつもりで?)いくらでもやっているはずなのに。「混乱」=大勢の記者の参集を喜んでいる場合もあるはずなのに。何という小心者の集まりだろう。
浜田靖一もひどく、結果として追認した麻生太郎もひどい。
ますます、日本の将来に悲観的になる。
以上、田母神俊雄・自衛隊風雲録(飛鳥新社、2009.05)より。
浜田靖一
一 田母神俊雄 1.1948.07、福島県郡山市田村町大字糠塚に農家の長男として生まれる。
1961.03、田母神小学校卒
1964.03、二瀬中学卒。二年生のときに一度2番に落ちたが、以降は卒業するまで成績は首位。
1967.03、県立安積高校卒。500名中60番で入学。卒業時、理系で「3番」の成績。東京大学理Ⅰ合格確率5割くらいと言われ、東京工業大学か東北大学理工学部を志望。しかし、父親に防衛大学校を薦められる。
1967.04、防衛大学校入学。
2.① 2008.10.31午後1時30分頃、日経新聞記者が論文最優秀賞のお祝いの言葉。15:00定例記者会見、論文関係質問なし。
受賞・賞金300万円につき報告をと浜田靖一防衛大臣室を訪れるが不在。岸信夫防衛政務官(安倍晋三の弟)が「すごいですね。おめでとう」と祝意。
増田好平次官を訪れて「空気が一変」。
増田「これは届け出をしていましたか?」
田母神「職務に関係しないし誰でも書けることだからしていない」〔要旨〕
増田「いや、そうは言えないかもしれません」。
自室に戻り、増田の態度に「少し引っ掛かるものを感じたが」書類の片付け等。
30分後、斎藤隆統合幕僚長を訪れる。
斎藤「タモちゃん、これは問題になるかもしれないぞ」
田母神「今まで何年もずっと同じことを言っていますよ」
再び自室に。1時間ほどして増田好平から電話。
増田「読ませてもらいましたけど、…集団的自衛権には触れているし、憲法の話はしてるし、立派に職務に関する論文ですよ」。
田母神「こんなこと一般的に誰でも言っていることじゃないですか。私が何か踏み込んだ発言をしていますか? もう普通に言われていることですよ」
増田「いや、これはちょっと問題になるかもしれない」 と繰り返す。
これが、ほぼ16:30過ぎ。記者たちが論文問題で騒いでいる空気なし。
帰宅(官舎)し、招待客と酒肴に興じていると19:00頃に増田好平から電話。
増田「官〔空?〕幕長、これは今夜中に決着をつけなきゃいけないかもしれません」。
田母神「決着をつけるとはどういう意味ですか?」
増田「辞表を書いてもらいたい!」
田母神「何で辞表書くの? こんなことで私は辞表なんか書きませんよ!」 電話を切ると再び増田から電話。
増田「やはり辞表を書いてもらうことになるようだ」。
「そうこうするうち」斎藤隆統合幕僚長から電話。
斎藤「タモちゃん、これはもう辞表を書かないと収まらないぞ。記者たちも騒ぎ出している」。
田母神「いや、私は辞表は書かないですよ。私は国家に対して悪事を働いたとは思っていないし、国家、国民のために、こうあらねばならないということを書いただけです。ましてや自衛隊の秘密を漏らした訳でもない。こんなことで辞表を書けといわれたら、自衛官はもう何も発言できなくなりますよ!」
斎藤「何! お前! こんなに問題になっているのに、何言ってるんだ! バカやろう!」
田母神「バカやろうとは何だ! たまには制服組の代表らしい行動を取ってみたらどうだ! バカやろう」。
その後増田から2度電話。「辞表を書いてくれ」、「いや、書かない」 の反復。4回めの電話で以下。
田母神「浜田防衛大臣も辞表を書けと言っているのか?」
増田「大臣も書けと言っている」。「空幕長、信じられないなら大臣に直接電話して確認して下さい」。
すぐに千葉にいる浜田靖一に電話。大臣も「婉曲に辞表を書いてもらわねばならないというような言い方」をした。田母神「いやぁ大臣もそういう意向ですか」 。
どうせ自分をクビにする権限が最終的には増田側にあると思い、「辞表を書くのはやめようと決断」した。その旨を以下のとおり増田に伝える。
田母神「大臣の意向も理解した〔要旨〕。しかし私は辞表を書く意思がない。従って、そちらで(勝手に)クビを切って欲しい」。
増田、<懲戒免職>を話題にする。「辞表を書かないと懲戒免職になる可能性もある。そうなると退職金は出ない」。
田母神「それで結構だ」。
(おそらく増田から何度か電話がさらにあったと思われる-秋月)
懲戒免職には「懲戒審議会」の審理手続が事前に必要。「私は懲戒審議会でも何でも開いて、私の論文が職務に関するものだったかどうか、審議してくれといった」。そうすると<言い分>を公表できるし、「時間も1カ月以上はかかる」。
増田「懲戒審議会の審理を辞退して欲しい」(と「虫のいい」要望)
田母神「いや、それは出来ない。むしろ徹底的に審理して欲しい」。
浜田大臣が防衛省に戻ると聞き、そこへ行こうと車に乗る。車中で「防衛省が空幕を通じて」携帯に電話。
「記者たちが大勢集まって大変な騒ぎになっている。空幕長に来られると現場が一層混乱するので来ないで欲しい」。
その場から浜田大臣に直接に電話すると、
浜田「空幕長、ちょっと熱くなっているしれないけれど、一晩ゆっくり寝て考えてくれないか」。
「少しも熱くなどなっていなかった」が、田母神「分かりました」。
自宅(官舎)でテレビを見ていると<浜田防衛大臣が私を更迭した>とのニュース。ついさっきの「一晩ゆっくり寝て考えてくれないか」は何だったのか、「たんなる方便」かと、「正直唖然」。
官舎に記者たちが押し掛け始めたので、23:.30頃、都内のホテルに移動。
2008.11.01午前01:30、岩崎航空幕僚副長より携帯メール。
岩崎「田母神空幕長は10.31付で空幕付きに。代わって私が空幕長職務代理に〔要旨〕」。
「小さな服務事故」の報告でも1週間は要するのに「私に関しての処理はこれほど素早いのか」と「怒るよりは半ば呆然」。
明けてのちの午前中、「空幕」とのやりとりの中で、「11月4日に定年になるそう」との情報が入る。
ホテルに籠もり、4日に予定だろう離任式での「離任の辞」の原稿を書き進める。大臣、増田、斎藤からは「一切連絡はなかった」。
2008.11.03の17:00、「空幕」を通しての電話に驚く。
空幕「本日、3日付で定年退官となりました」。
「一瞬で」、「私に離任式をやらせないための策謀だ」と理解した。
祝日の11/03の翌日11/04かと思っていたが、退官日が11/03というのは「最初から想定されていたに違いない」。「当初、4日としていたのは、私が何らかの対応策をとるのを恐れた」からで「3日の夕方ぎりぎりになって正式の連絡をするというのはあらかじめ決められていたのだろう」。
すでに民間人だったわけだが「退官したその日は制服を着てよい」ので「制服を着て防衛省に行こう」、「定年退職を自らの自らの口で発表する記者会見を開こう」と思って「これから登省する」と電話すると、以下。
「今日も記者が大勢集まっている。混乱するから申し訳ないがもう来ないでくれ」。
(つづく)
1961.03、田母神小学校卒
1964.03、二瀬中学卒。二年生のときに一度2番に落ちたが、以降は卒業するまで成績は首位。
1967.03、県立安積高校卒。500名中60番で入学。卒業時、理系で「3番」の成績。東京大学理Ⅰ合格確率5割くらいと言われ、東京工業大学か東北大学理工学部を志望。しかし、父親に防衛大学校を薦められる。
1967.04、防衛大学校入学。
2.① 2008.10.31午後1時30分頃、日経新聞記者が論文最優秀賞のお祝いの言葉。15:00定例記者会見、論文関係質問なし。
受賞・賞金300万円につき報告をと浜田靖一防衛大臣室を訪れるが不在。岸信夫防衛政務官(安倍晋三の弟)が「すごいですね。おめでとう」と祝意。
増田好平次官を訪れて「空気が一変」。
増田「これは届け出をしていましたか?」
田母神「職務に関係しないし誰でも書けることだからしていない」〔要旨〕
増田「いや、そうは言えないかもしれません」。
自室に戻り、増田の態度に「少し引っ掛かるものを感じたが」書類の片付け等。
30分後、斎藤隆統合幕僚長を訪れる。
斎藤「タモちゃん、これは問題になるかもしれないぞ」
田母神「今まで何年もずっと同じことを言っていますよ」
再び自室に。1時間ほどして増田好平から電話。
増田「読ませてもらいましたけど、…集団的自衛権には触れているし、憲法の話はしてるし、立派に職務に関する論文ですよ」。
田母神「こんなこと一般的に誰でも言っていることじゃないですか。私が何か踏み込んだ発言をしていますか? もう普通に言われていることですよ」
増田「いや、これはちょっと問題になるかもしれない」 と繰り返す。
これが、ほぼ16:30過ぎ。記者たちが論文問題で騒いでいる空気なし。
帰宅(官舎)し、招待客と酒肴に興じていると19:00頃に増田好平から電話。
増田「官〔空?〕幕長、これは今夜中に決着をつけなきゃいけないかもしれません」。
田母神「決着をつけるとはどういう意味ですか?」
増田「辞表を書いてもらいたい!」
田母神「何で辞表書くの? こんなことで私は辞表なんか書きませんよ!」 電話を切ると再び増田から電話。
増田「やはり辞表を書いてもらうことになるようだ」。
「そうこうするうち」斎藤隆統合幕僚長から電話。
斎藤「タモちゃん、これはもう辞表を書かないと収まらないぞ。記者たちも騒ぎ出している」。
田母神「いや、私は辞表は書かないですよ。私は国家に対して悪事を働いたとは思っていないし、国家、国民のために、こうあらねばならないということを書いただけです。ましてや自衛隊の秘密を漏らした訳でもない。こんなことで辞表を書けといわれたら、自衛官はもう何も発言できなくなりますよ!」
斎藤「何! お前! こんなに問題になっているのに、何言ってるんだ! バカやろう!」
田母神「バカやろうとは何だ! たまには制服組の代表らしい行動を取ってみたらどうだ! バカやろう」。
その後増田から2度電話。「辞表を書いてくれ」、「いや、書かない」 の反復。4回めの電話で以下。
田母神「浜田防衛大臣も辞表を書けと言っているのか?」
増田「大臣も書けと言っている」。「空幕長、信じられないなら大臣に直接電話して確認して下さい」。
すぐに千葉にいる浜田靖一に電話。大臣も「婉曲に辞表を書いてもらわねばならないというような言い方」をした。田母神「いやぁ大臣もそういう意向ですか」 。
どうせ自分をクビにする権限が最終的には増田側にあると思い、「辞表を書くのはやめようと決断」した。その旨を以下のとおり増田に伝える。
田母神「大臣の意向も理解した〔要旨〕。しかし私は辞表を書く意思がない。従って、そちらで(勝手に)クビを切って欲しい」。
増田、<懲戒免職>を話題にする。「辞表を書かないと懲戒免職になる可能性もある。そうなると退職金は出ない」。
田母神「それで結構だ」。
(おそらく増田から何度か電話がさらにあったと思われる-秋月)
懲戒免職には「懲戒審議会」の審理手続が事前に必要。「私は懲戒審議会でも何でも開いて、私の論文が職務に関するものだったかどうか、審議してくれといった」。そうすると<言い分>を公表できるし、「時間も1カ月以上はかかる」。
増田「懲戒審議会の審理を辞退して欲しい」(と「虫のいい」要望)
田母神「いや、それは出来ない。むしろ徹底的に審理して欲しい」。
浜田大臣が防衛省に戻ると聞き、そこへ行こうと車に乗る。車中で「防衛省が空幕を通じて」携帯に電話。
「記者たちが大勢集まって大変な騒ぎになっている。空幕長に来られると現場が一層混乱するので来ないで欲しい」。
その場から浜田大臣に直接に電話すると、
浜田「空幕長、ちょっと熱くなっているしれないけれど、一晩ゆっくり寝て考えてくれないか」。
「少しも熱くなどなっていなかった」が、田母神「分かりました」。
自宅(官舎)でテレビを見ていると<浜田防衛大臣が私を更迭した>とのニュース。ついさっきの「一晩ゆっくり寝て考えてくれないか」は何だったのか、「たんなる方便」かと、「正直唖然」。
官舎に記者たちが押し掛け始めたので、23:.30頃、都内のホテルに移動。
2008.11.01午前01:30、岩崎航空幕僚副長より携帯メール。
岩崎「田母神空幕長は10.31付で空幕付きに。代わって私が空幕長職務代理に〔要旨〕」。
「小さな服務事故」の報告でも1週間は要するのに「私に関しての処理はこれほど素早いのか」と「怒るよりは半ば呆然」。
明けてのちの午前中、「空幕」とのやりとりの中で、「11月4日に定年になるそう」との情報が入る。
ホテルに籠もり、4日に予定だろう離任式での「離任の辞」の原稿を書き進める。大臣、増田、斎藤からは「一切連絡はなかった」。
2008.11.03の17:00、「空幕」を通しての電話に驚く。
空幕「本日、3日付で定年退官となりました」。
「一瞬で」、「私に離任式をやらせないための策謀だ」と理解した。
祝日の11/03の翌日11/04かと思っていたが、退官日が11/03というのは「最初から想定されていたに違いない」。「当初、4日としていたのは、私が何らかの対応策をとるのを恐れた」からで「3日の夕方ぎりぎりになって正式の連絡をするというのはあらかじめ決められていたのだろう」。
すでに民間人だったわけだが「退官したその日は制服を着てよい」ので「制服を着て防衛省に行こう」、「定年退職を自らの自らの口で発表する記者会見を開こう」と思って「これから登省する」と電話すると、以下。
「今日も記者が大勢集まっている。混乱するから申し訳ないがもう来ないでくれ」。
(つづく)
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