秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

河野真太郎

2682/西尾幹二批判075・トニー·ジャット。

  Tony Judt(トニー·ジャット)の文章を最初に読んだのは、つぎの著の、Leszek Kolakowski=レシェク・コワコフスキに関する章だった。
 Tony Judt, Reappraisals -Reflections on the forgotten 20th Century, 2008.
 L・コワコフスキの大著がアメリカで一冊となって再刊されることを知って、歓迎するために書いたものだった。L・コワコフスキに対する関心が、私をT・ジャットにつなげた。
 この著にはつぎの邦訳書があった。
 トニー·ジャット=河野真太郎ほか訳・失われた20世紀(NTT出版、2011)。
 原書も見たが、この訳書にほとんど依拠して、L・コワコフスキに関する章をこの欄に引用・紹介したこともあった。→No.1717/2018年1月18日·①、以下。
 T・ジャットの最後の著は、つぎだった。
 When the Facts Change -Essays 1995-2010, 2010.
 L・コワコフスキ逝去後の追悼文がこの中にあった。敬愛と追悼の念が込められたその文章には感心した。それで、この欄に原書から翻訳して、この欄に掲載した。→No.1834/2018年7月30日。
 のちに、つぎの邦訳書が刊行された。
 T・ジャット=河野真太郎ほか訳・真実が揺らぐ時(慶應大学出版会、2019)。
 この訳書にも書かれているように、上の2010年著は著者の死後に妻だったJennifer Homans(ジェニファー·ホーマンズ)により編纂されて出版されたもので、冒頭に‘Introduction :In Good Faith’ という題の彼女の「序」がある。
 ----
  この「序」の文章を読んで、日本の西尾幹二のことを想起せざるを得なかった。
 私(秋月)はT・ジャットの本を十分には読んでおらず、L・コワコフスキについての他は、Eric Hobsbawm とFrancois Furet に関する文章の概略を読んだにすぎない(前者は2008年の著、後者は2010年の著にある)。
 したがって、J. Homans が書くT. Judt の評価が適切であるかどうかを判断する資格はない。
 だが、その問題は別としても、彼女の文章の中のつぎの二点は、日本の西尾幹二を思い出させるものだった。その二点を、以下に記そう。
 ----
  第一。編者で元配偶者だったJ. Homans はまず冒頭で、T·ジャットの人物と「思想」(the ideas)は区別されなければならないとしつつ、彼の「思想」は「誠実さをもって」または「誠実に」書かれた、と指摘する。冒頭にこの点を指摘するのだから、よほど強く感じていたことに違いない(私にその適否を論じる資格はないが)。
 「誠実さをもって」、「誠実に」とは、原語では、「序」の副題にも用いられている、’In Good Faith’ だ。
 邦訳書にほとんど従うと、そして編者によると、これはT・ジャットの「お気に入り」の表現(favorite phrase)だった。そして、編者は、これをつぎのような意味だと理解している。
 「知的なものであろうとなかろうと、計算(caluculation)や戦略(maneuver)ぬきで書かれた著述」のことであり、「純粋(clean)で、清明で(clear)、正直な(honest)記述」だ。
 ----
 秋月瑛二は、西尾幹二について、こう感じている。
 西尾自身は「書けることと書けないことがある」と明言し、「思想家」も「高度に政治的に」なる必要がある旨を明言したこともある。また、月刊正論では安倍内閣批判が許容されたとか語ったことがあるように、雑誌の性格によって執筆内容の範囲や限界を「忖度」していたことを認めている。
 西尾幹二の「評論家」生活、「売文」業=「自営文章執筆請負」業生活は、<計算>と<戦略>にたっぷりと満ち満ちていたのではないだろうか。
 当然ながら、「純粋」でも「清明」でもなく、重要なことだが、「正直」ではない。
 西尾幹二の<戦略>についてはほとんど触れたことがないが、この人は、とくに2000年頃以降、広い意味での<保守>派の中で、どのような立場を採れば、どのような主張をすれば、目立つか、際立つか、注目されるか、という「計算」を絶えず行なってきた、と思われる
 西尾の反安倍も、反原発も、その他も、このような観点からも見ておく必要がある。近年ではやや薄れてはきているが、少なくとも一定の時期は、<産経>または<月刊正論>グループの中でも、櫻井よしこ・渡部昇一ら(八木秀次はもちろん)とは異なる立場にいることを<戦略>として選んできた気配がある。
 J. Homans が書いているとおりだとすると、T. Judt は、西尾幹二とは真反対の著述家だったようだ。たしかに、この人のL・コワコフスキ追悼の文章は、「計算・戦略」など感じられない、一種胸を打つようなところがある。彼はあの文章を、自分自身の<ゲーリック病>による満62歳での死の10ヶ月前に書いたのだった(病気のことを全く感じさせない文章だった)。
 ----
  第二。「序」の最後に編者、J.Homans が書いているところによると、T・ジャットは死の直前の1ヶ月に「来世」(the Afterlife)と題する小論を書き始めた。だが完成しなかったようで、2010年著にも含まれていないと見られる。
 編者に残された断片的原稿の中に、つぎの文章があった、という。ほぼ邦訳書による。
 「影響や反応(impact, response)に関する何らかの見込みをもって、ものを書いてはならない。
 そうすれば、影響や反応は歪められたものになってしまい、著作そのものの高潔さ(integrity)が汚されてしまう。」
 「無限の可能性が将来にある読者の動機(motives)が生じる文脈(context)も、予期することはできない。
 だから、それが何を意味していても、きることはただ、書くべきことを書くことだけだ。
 読者や出版社・編集者の「反応」、彼らへの「影響」を気にして文章を執筆してはならない。書くべき(should)ことを書くだけのことだ。
 西尾幹二は、かりに知ったとして、T・ジャットの死の直前に書かれたこの文章をどう読むだろうか。
 自分の文章の読み方、解釈の仕方は、読み手に任せる他はないのではないか。前回に記したようなこの人の<足掻き>、あるいは<妄執>は、いったい何に由来するのだろうか。
 ----
 書きたいことを書くだけだ。影響などないに決まっているし、反応を気にしても仕様がない。—これは全く、この欄についての秋月瑛二の心境でもある。
 —— 

1718/T・ジャット(2008)によるL・コワコフスキ②。

  Tony Judt, Reappraisals - Reflections on the Fogotten Twentieth Century (New York, 2008).
   Chapter VIII, Goodbye to All That ? Leszek Kolakowski and the Marxist Legacy.
 邦訳書/トニー・ジャット・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011)。
   第8章・さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産。
 上の原文を、その下の邦訳書(河野真太郎ほか訳)による訳(分担・伊澤高志/177頁~197頁)に添って紹介する。
 そのままの転記では能がないだろう。基本的にそのまま写すが、多少は日本語表記だけを、短くする方向で、改める。
 例えば、「したのである」→「した」、または「したのだ」。
 また、ひらがな部分の一部を漢字に変える。句読点も変えることがある。
 翻訳関係権利を侵害していないかと怖れもするが、上記のとおり代表訳者と分担訳者の氏名、邦訳書名は明らかにしており、かつ訳出内容・意味を変更するものではないので、違法性はないと考える。このような機会を持ち得たことについて、とくに伊澤高志には、謝意を表する。
 原邦訳書とは異なり、(リチャード・パイプス、L・コワコフスキの各著(や後者の論考)についてこの欄でしてきたように)一文ごとに改行し、本来の改行箇所には、//を付す。一部を太字にしているのも、秋月による。
 以下の<*->は原邦訳書にはない、Tony Judt の原著での元の英米語で、秋月が原著を見て挿入した。
 邦訳書でも訳出されている原注は箇所だけを示し、それらの内容は、以下では、さしあたりは、省略させていただく。
 ----
 レシェク・コワコフスキは、ポーランド出身の哲学者だ。
 しかし、彼をこのように定義づけることは、正しくは-または十分では-ない。
 チェスワフ・ミウォシュや彼以前の多くの者たちと同じように、コワコフスキも彼の知的・政治的キャリアを、伝統的なポーランド文化に根づいた様々な特徴、つまり聖職者主義<*clericalism>、排外主義、反ユダヤ主義に対立するかたちで形成した。
 生まれた土地を1968年に追われ、コワコフスキは故国に戻ることもそこで著作を出版することもできなかった。
 1968年から1981年の間、彼の名前はポーランドの発禁作家の一覧に載せられていたし、彼をこんにち有名にしている著作の多くが国外で書かれ、出版された。//
 亡命中<*in exile>のコワコフスキはその大部分をイギリスで過ごし、1970年以来、オクスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジ<*All Souls College>の特別研究員となっている。
 しかし、昨年〔2005年-秋月注、原訳書のまま。以下同じ〕のインタビューで彼が説明したように、イギリスは島で、オクスフォードはそのイギリスの中の島で、オール・ソウルズ(学生を受け入れていないカレッジ)はオクスフォードの中の島で、さらにレシェク・コワコフスキ博士はオール・ソウルズ内部の島、「四重の島」なのだ (注1)。
 かつては実際に、ロシアや中欧からの亡命知識人のための場所が、イギリスの文化的生活には、あった。
 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン〔オーストリア出身〕、アーサー・ケストラー〔ハンガリー出身〕、アイザイア・バーリン〔ラトヴィア出身〕のことを考えてほしい。
 しかし、ポーランド出身の元マルクス主義者でカトリックの哲学者はもっと珍しい存在で、国際的な名声にもかかわらず、レシェク・コワコフスキは彼の永住の地では無名で、奇妙なほどに、正当な評価を受けていなかった。//
 しかしながら、イギリス以外の場所では、彼は有名<*famous>だ。
 同世代の中欧出身の学者たちと同じく、コワコフスキも、ポーランド語やのちに身につけた英語に加え、ロシア語、フランス語、ドイツ語に堪能な多言語使用者で、多くの栄誉と賞を、とくにイタリア、ドイツ、フランスで手にしている。
 アメリカでは長らくシカゴ大学の社会思想委員会で教鞭をとったが、そこでも彼の業績は広く認められ、2003年に米国議会図書館から第1回クルーゲ賞--ノーベル賞のない研究分野(とくに人文学<*the humanities>)での長年にわたる業績に対して与えられる賞--を与えられた。
 しかし、コワコフスキは、パリにいるときが一番落ち着くと何度か述べていることから分かるように、イギリス人でもなければアメリカ人でもない。
 おそらく彼のことは、20世紀版「文学界」の最後の傑出した市民<*the last illustrious citizen of the 20 th-Century Republic of Letters>と考えるのがふさわしいだろう。//
 彼が住んだ国々のほとんどで、レシェク・コワコフスキの著作で最もよく知られているのは(そしていくつかの国では唯一知られているのは)、三巻本の歴史書『マルクス主義の主要潮流』だ。
 1976年にポーランド語で(パリで)出版され、その二年後にイギリスでオクスフォード大学出版局によって出版、そして現在、ここアメリカで、一巻本としてノートン社から再刊された(注2)。
 この出版は、間違いなく、歓迎すべき事態だ。
 なぜなら、『主要潮流』は、現代人文学の金字塔<a monument of modern humanistic scholarship>だからだ。
 しかし、コワコフスキの著作の中でこれだけが突出していることには、あるアイロニーが見られるが、それは、この著者が「マルクス主義者」といったものでは決してないからだ。
 彼は、哲学者で、哲学史家で、カトリック思想家だ。
 彼は、初期のキリスト教セクトや異端の研究に多くの時間を費やし、また、過去四半世紀の間、ヨーロッパの宗教と哲学の歴史と、哲学的神学的思索とでも呼ぶべきものとに専心してきた(注3)。//
 コワコフスキの「マルクス主義者」時代は、戦後ポーランドの彼の世代の中で、最も洗練されたマルクス主義哲学者として傑出した存在だった初期の頃から、1968年に彼がポーランドを離れるまで続き、それは、きわめて短期間だった。
 そして、その時期の大部分で、彼はすでに、マルクス主義の教義に異を唱えていた<*dissident>。
 1954年という早い時期に、24歳の彼はすでに、「マルクス=レーニン主義イデオロギーからの逸脱<*straying>」によって非難を受けていた。
 1966年には「ポーランドの10月」の10周年を記念して、ワルシャワ大学でマルクス主義批判で有名な講演を行い、党指導者であるヴワディスワフ・ゴムウカによって「いわゆる修正主義<*revisionist>運動の主要なイデオローグ」だとして公式に弾劾された。
 当然にコワコフスキは大学の教授職を追われたが<expelled>、それは、「国の公式見解と相容れない意見を若者たちのうちに形成させた」ことによるものだった。
 西欧にやって来るまでに、彼はすでに、マルクス主義者ではなくなっていたのだ(後述のように、これは彼の崇拝者たちにとっては混乱の種だ)。
 その数年後、この半世紀で最も重要なマルクス主義に関する著作を書き上げてから、コワコフスキは、あるポーランド人研究者が丁重に述べたように、「この主題については関心を失っていった」(注4)。//
 このような彼の足跡は、『マルクス主義の主要潮流』の特質を説明するのに役立つものだ。
 第一巻「創始者たち<*The Founders>」は、思想史の慣習にのっとるかたちでまとめられている。
 弁証法や完全な救済というプロジェクトのキリスト教的起源から、ドイツ・ロマン派の哲学とその若きマルクスへの影響、そしてマルクスとその盟友フリードリッヒ・エンゲルスの円熟期の著作へと、流れが記述される。
 第二巻は、意味深長にも(皮肉な意味ではないと思うのだが)、「黄金時代<*The Golden Age>」と題されている。
 そこで述べられているのは、1889年に設立された第二インターナショナルから1917年のロシア革命までだ。
 ここでもコワコフスキは、とりわけ、注目すべき世代のヨーロッパの急進的思想家たちによって洗練された水準でなされた、様々な思想と論争とに関心を寄せている。//
 その時代の主導的なマルクス主義者であるカール・カウツキー、ローザ・ルクセンブルク、エドゥアルト・ベルンシュタイン、ジャン・ジョレス、そしてV・I・レーニンは、みなしかるべき扱いを受け、それぞれに章が割り当てられ、つねに効率よく明晰に、マルクス主義の物語でのその位置づけと、主要な主張とが、まとめられている。
 しかし、通常はこのような概説では目立つことはない人物に関する、いくつかの興味深い章がある。
 イタリアの哲学者アントニオ・ラブリオーラ、ポーランド人のルドヴィコ・クルジウィキ、カジミエシュ・ケレス=クラウス、スタニスワフ・ブジョゾフスキ、そしてマックス・アドラー、オットー・バウアー、ルドルフ・ヒルファーディングら「オーストリア・マルクス主義者」についての章だ。
 コワコフスキによるマルクス主義の記述でポーランド人の割合が相対的に高いことは、部分的にはポーランド出身者としての視点のためと、それらの人物が過去に軽視されてきたことに対して埋め合わせをするためであるのは、間違いない。
 しかし、オーストリア・マルクス主義者(本書全体で最も長い章の一つを与えられている)と同様に、彼らポーランド人マルクス主義者たちは、長らくドイツ人とロシア人によって支配されていた物語から忘れられ、そして消し去られてしまった中欧の、世紀末での知的豊穣さを、たゆまず思い出させてくれるものだ(注5)。//
 ----     
 これで邦訳書のp.180の末まで、全体のほぼ5分の1が終わり。

1717/トニー・ジャットにおけるレシェク・コワコフスキ①。

 一 伊澤高志(1978~)は、思いもかけず、重要な訳出の仕事をして、貴重な貢献をしたことになるだろう。
 トニー・ジャット・失われた二〇世紀(上・下)(NTT出版、2011)という邦訳書は五人が分担して訳して、河野真太郎(1974~)が「訳文の統一」を行ったとされる(下巻・あとがき、368頁)。
 上巻の177頁以下、第八章「さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産」の邦訳を担当したのは、伊澤高志だ(下巻・あとがき、同上)。
 レシェク・コワコフスキは日本ではほとんど無名ではないかと思われ、とくにその『マルクス主義の主要潮流』は、欧米研究者の中にはコワコフスキといえば「マルクス主義の理論的研究」の第一人者として挙げる者もいるにもかかわらず、日本では邦訳書がない。昨秋に池田信夫がメール・マガジンでこの本をマルクス主義研究の「古典」として紹介していたようだが(全文を読んでいない)、「古典」とされるわりには、日本で翻訳されていない。考えられるその理由・背景は、すでに記している。
 そういう中で-すでに昨年に言及はしているのだが-、上の邦訳書は、L・コワコフスキの、神学者でも東欧お伽話作家でもない、社会・政治思想に論及するもので、十分に意味がある。
 むろん、もともとはトニー・ジャットの本だからこそ邦訳出版されたと見られ、トニー・ジャットの考え方の重要な一端も分かる。
 なお、トニー・ジャット(Tony Judt)をトニー・ジャッドとこの欄で記したことがあるのは間違い。また、コワコフスキ(Kolakowski)はコラコフスキ-と記載されていたこともあるが、英米語のlに該当しないポーランド語の独特のl(元来は斜め二本の線がつく)を英米語ふうに読んだ誤りのようだ。
 二 トニー・ジャットの上の本の上巻にあるⅡ部では「知識人の関与-その政治学」というタイトルのもとで、6人の「知識人」の書物を対象にして論評がなされている(たぶん全てが<書評誌または書評新聞>にいったん掲載されたものだ)。
 そのような論評・コメント類だから各著書・著者に対して「義理にでも」肯定的な評価を下しているのでは全くないのが、日本の新聞や雑誌の「書評」 欄と比べて新鮮なことだ。
 トニー・ジャットがほとんど手放しで賞賛していると言ってよいのはレシェク・コワコフスキの『マルクス主義の主要潮流』の三巻合冊本(の刊行予定)だけで、他のとくにつぎの3人の書物については、相当に厳しいまたは皮肉たっぷりの文章を載せている。
 表題だけ、記しておこう。いずれも、欧米<左翼>の者たちの本だ。
 ・「空虚な伽藍-アルセルチュールの『マルクス主義』」(6章)。
 ・「エリック・ホブズボームと共産主義というロマンス」(7章)。
 ・「エドワード・サイード-根なし草のコスモポリタン」(10章)。
 三 こうして書き始めたのも、トニー・ジャットのコワコフスキに関する上の記述と、 コワコフスキの死の直後の哀惜の情溢れる(しかしなお学問的な)文章-これにはたぶん邦訳がない-を紹介してみたくなったからだ。
 前者については、上記のようにすでに邦訳が出ている。だが、改めて紹介しておく意味はあるだろう。それに、すでにいったん訳されているので、邦訳にほとんど苦労は要らない、という利点もある。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー