〇本当の狂人は自らを狂人だとは自覚しないだろう。従って、自らが狂人であるということを意識するがゆえに自らを悲嘆して自殺するということもない。
自殺する人は、精神的に<弱い人間>と見られがちでもあるが、人間が本来もつ生存本能に克って自らの生命を奪うのだから、ある意味では<強い人間>でもあろう。別にも触れる機会をもちたいが、45歳で自死した三島由紀夫を<弱い人間>とはおそらく多くの人が考えないだろう。三島は、動物的な生存本能にまさしく打ち勝って、意識的に自らの死を達成したのだ。
〇1970年の日本がすでに「狂って」いたとすれば、あるいは「狂いはじめて」いたとすれば、そのような日本の「狂人」状態を告発しようとした三島由紀夫は、むしろ<正常な>感覚を持っていた、という評価も十分に成り立つ。三島の「狂気」についての少なくない言及にもかかわらず。
さて、外国軍の占領下に自らの自由意志に完全にもとづくことなく、かつまた自由意志によると装って日本国憲法を制定した(制定させられた)日本は、異常な、あるいは狂った状態にあった、とも言える。
主権回復(再独立)後にすみやかに自主憲法を制定していればよかったのだが、それをしないまま60年もやり過ごし、「自衛戦争」とそのための「戦力」の保持を否定する憲法を持ち続けている日本という国家は、そうすると、ずっと異常で、または「狂って」いたままだった、と言える。
そのような「狂人」国家はしかし、自死・自壊しつつあるという指摘が(古くは三島由紀夫をはじめとして)近年も多いとはいえ、生身の人間のように自殺するわけにはいかない。
だが、そもそも「狂った」国家だという自覚がないがゆえに、人間と同様に自殺することがなく、ずるずると生き続けているのかもしれない。
〇週刊誌、例えば週刊新潮を購入して私がまずすることは(自宅または出張中のホテルの一室で)、広告頁をはじめとして、読むつもりがない頁が裏表にある場合はそれらを破いて捨て去ることだ。
そうしておかないと、後からするのでは面倒だし、読むに値しない無駄な記事等を読んでしまうという時間の浪費が生じる。また、全部を捨てるのではなく保存しておくためには、少しでも薄く、軽い方が、保存スペース等との関係でもよいのだ。
そのような、まず破り捨ててしまう頁の代表が、週刊新潮の場合、渡辺淳一の連載コラム(の裏表)だった。この人の戦後「平和と民主主義」万々歳の立場の随筆は気味が悪いことが明らかだったので、ある時から、いっさい目も通さないようにしてきた(破棄の対象にしてきた)。
だが、「南京虐殺」を見出しにしている週刊新潮3/15号(新潮社)のコラムはさすがに無視することができず、一読してしまった。
そして、この1933年(昭和一桁後半)生まれという、私のいう「特殊な世代」に属する渡辺淳一は、やはり異様だという思いを強くした。
朝日新聞を購読し、ときには日刊か週刊の赤旗(日本共産党機関紙)を読んでいたりするのだろう。いろいろな議論・研究があることをまるで知らないかのごとく、河村たかし名古屋市長の発言に触れて、「加害者側の日本人」は、「数字が正しいか否かより、まず、そういうことは断じてするべきではない。してはいけない…」と断言し、「南京大虐殺の記念館は、そのため〔意味省略〕の教訓だと思えば、とくに騒ぎ立てることもないと思うのだが」、と結んでいる(いずれもp.65)。
この世代の人間、かつ竹内洋のいう「革新幻想」をそのままなおも有し続けていると見える人間の特徴の一つは、いつかも書いたが、自らは戦争の詳細・実態を知らないにもかかわらず、戦後生まれのより若い世代の者に対して、戦争の悲惨さ等を、自分は戦争を体験したふうに語って、説教することだ。
渡辺淳一が<南京虐殺>について上のように書く根拠も、あらためて読むと、①「親戚の叔父さんにきいた話」では野蛮な日本軍は南京で「それに近いことはやっていた、とのこと」、②「かつての軍隊や兵士の横暴さと身勝手さを見て、子供心に呆れていた」、ということにすぎず、「少なからず」南京「虐殺」が「あったろうと思う」と、これらから類推または想像しているにすぎない。
大江健三郎と同様に小説家の「想像」または「創作」としては何を語ってもよいかもしれないが、重要な歴史の事実の有無・内容について、一介の小説家・随筆家が上のような程度を根拠にしていいかげんなことを言ってはいけない。
この<不倫小説家>が歴史についてこうまで勝手に書ける日本は「自由」な国だが、週刊新潮編集部は、どの程度に新潮社が渡辺作品によって儲けているのかは知らないが、(いつかも書いたように)いいかげんに渡辺淳一を執筆者から「外して」欲しいものだ。そして(これまた既述だが)宮崎哲哉あたりに代えてほしい。
上の①・②だけで渡辺淳一が推論しているわけではない、とじつは考えられる。容易に推測のつくことだが、<日本軍国主義は悪いことをした>という占領期の教育を、この人は受けてきたのだ。1945年に12歳、1951年に18歳。この人はもろに、「民主主義」・「平和憲法」万々歳の教育を青春前期に受けている。
その影響が現在でも続いていることは容易に推測されるところで(大江健三郎もまったく同じ)、そういう人たちはたいてい、数字(人数)の正確さはともあれ、「少なからず」、「南京虐殺」はあったに違いない、と考えがちだ。
こんなことを渡辺淳一個人に対して言っても、ほとんど無意味だろうが、<教育はおそろしい>ものだ。
だが、そういう占領期の教育(とプロパガンダ)によって、日本国民が「狂って」しまい、そういう教育を受けた教師や新聞記者・テレビ放送局員等々によって「狂った」時代認識が生まれてしまい(なお、「南京大虐殺」は蒋介石も毛沢東も言及しておらず、復活?したのは1980年以降のはずだ)、依然として「狂った」ままであるのは、国家としてはまことに由々しき状態にある。「狂った」人間が多数派であれば、とりわけ政権担当者がその中に含まれていれば、国家が「狂って」いることを、国民は意識しておらず、まるで「正常」だ、と感じ続けていることになる。
狂人は狂人であることを自覚できない。怖ろしいことだ。
河村たかし
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