秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

水谷三公

1267/丸山真男と現憲法九条・「軍事的国防力を持たない国家」論。

 〇 竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)は丸山真男に対して批判的であり、竹内・革新幻想の戦後史(中央公論社、2011)も同様だ。竹内の上の前者によると、1996年8月に丸山真男が逝去したのち朝日新聞はある一面のすべてを「丸山の業績と人をしのぶ」座談会で埋めたが、産経新聞は元慶応大学・中村勝範の「丸山政治学は思想的に日本人を混乱させた元凶でした。過去の分析も戦後の状況判断も完全に誤っていた」とのコメントも掲載した。
 水谷三公・丸山真男-ある時代の肖像(ちくま新書、2004)を、私は丸山真男(の思想)に対する訣別の書として読んだ。だが、長谷川宏・丸山真男をどう読むか(講談社現代新書、2001)のような、丸山真男を称揚する書物は今日でも新たに刊行され続けている。
 戦後「左翼」のなお強固な残存の源流の一つは、丸山真男にあるだろう。
 〇 ジャパニズム21号(青林堂、2014.10)によって気づかされたのだが、丸山真男は、亡くなる一年前以内の雑誌・世界(岩波)の1995年11月号に、「サンフランシスコ講和・朝鮮戦争・60年安保」と題する回顧談的文章を載せている。その中に、つぎの文章がある。丸山真男全集第15巻(岩波、1996)から直接に引用する(p.326)。
 平和問題談話会の法政部会で憲法第九条の問題を論じたときは、民法専攻の磯田〔進〕君のような左派は、『軍備のない国家はない。軍備がないというのはおかしい』と批判しました。正統左派ではない大内〔兵衛〕先生も、『国家である以上は、完全非武装というのはありえない』というのが、このときのお考えでした。そこで僕は、こうなったら国家観念自体を変革する以外にない、今日の言葉でいえば、…『普通の国家』論でいえば、軍備のない国家はないんだけれども、憲法第九条というものが契機の一つになって一つの新しい国家概念、つまり軍事的国防力を持たない国家ができた、ということも考え得るんじゃないかといって、磯田君と議論した。(ジャパニズム上掲p.118と引用の部分・仕方が少しだけ異なる)。
 ジャパニズム上掲号の「左翼アカデミズムを研究する会」という実質的には無署名の書き手は、上の文章から、大内兵衛ですら武装肯定の時代にすでに<非武装中立>を信念としていた、というまとめ方をしているが、私には、丸山真男が現憲法九条を「国家観念自体」の「変革」、「新しい国家概念」提示の契機と理解しようとしていた、ということが興味深い。
 いずれにしても、「丸山という知の権威がつくりあげた憲法九条イデオロギーは、さまざまな形で、今日の左翼アカデミズムに大きな影響を及ぼしている」(同上p.118)のはおそらく間違いない。ここにいう「憲法九条イデオロギー」は、たんに<反戦・平和>の気分に支えられているのではなく、「左翼」が夢想したい「新しい国家概念」の展望によっても基礎づけられているかに見える。
 憲法九条2項改正(・削除)論・論者に対する強固で執拗な、あるいは脊髄反射的な反発は、現実的・具体的な議論によって成り立つているというよりも、まさに「イデオロギー」に依拠するものだろうと考えられる。
 そうだとすると、やはり、それを打ち砕いておくために、憲法九条2項の改正(・削除)は日本にとって絶対になすべき課題だ、と感じられる。
 池田信夫はそのブログ2014.12.25付で「憲法改正は『大改革』ではない」と題して、憲法>「第九条を改正しても、自衛隊の名前を『国防軍』と変える以外の変化はほとんどない。大事なのは一院制にするとか衆議院の優越を明確化するなどの国会改革だが、自民党の改正案は参議院にまったく手をつけない。これでは改正する意味がない」等と書いている。
 後段の指摘には賛同したい部分があるが、九条改正による「変化はほとんどない」、したがってその改正に大きな意味はないというかのごとき主張には、賛同し難い。九条2項を「改正(・削除)」しなくとも、すでに自民党中心の政権による憲法解釈によれば合憲とされている自衛隊によって、かなりのことが可能になっていることは確かであり、改憲反対派・憲法九条2項護持派によるデマ宣伝が言うほどには実態は大きくは変わらず、これまでの変化・実態の蓄積の延長線上にあるものにすぎないかもしれない。その意味では「質的」・「革命的」変化を生じさせるものではないかもしれない。
 しかし、「軍その他の戦力」の保持が明確に禁止されているにもかかわらず自衛隊を合憲視するのは相当に苦しい解釈ではあり、その「おとなのウソ」を解消する必要はやはりある、正規に「軍」と認知することによって日本の安全保障に一層寄与する、という点をかりにさしおいても、丸山真男のいう「軍事的国防力を持たない国家」という「新しい国家」観を、そして「憲法九条イデオロギー」を、きちんと打ち砕いておく課題と必要はある、と考えられる。問題は安全保障に関する現実だけではなく、<精神>・<国家観>にもあるのだ。
 〇 なお、丸山真男の、上の1995年の文章は「平和問題談話会から憲法問題研究会へ」という副題をもっている。
 前者の「平和問題談話会」については戦後<進歩的文化人>生成の重要な場であるという関心からそのメンバーの探索・確定や、安倍能成らの「オールド・リベラリスト」の排除による<純化>の過程の叙述を、たぶん竹内洋等々の文献を手がかりに、この欄でメモしていったことがある。そこでも触れたことがあるような経緯・構成員の一端を当事者の一人だった丸山も語っていて興味深い。また、後者についても、宮沢俊義(憲法学者)、我妻榮(民法学者)が政府系の憲法調査会ではなく、「憲法問題研究会」に入会したことは社会的に、また東京大学法学部内部でも大きな話題になった、等が語られていて興味深い。機会(・余裕)があれば、また言及しよう。

1104/「B層」エセ哲学者・適菜収と重用する月刊正論(産経)②。

 〇前回に引用・紹介した丸山真男の文章は、昭和22年(1947年)06月に「東大で行った講演」を母体にしたもので、丸山真男自身の著では、最も古くは、丸山・現代政治の思想と行動/上巻(未来社)の第二論文「日本ファシズムの思想と運動」の一部として、1956年12月に刊行されている(p.25以下、注記はp.190)。
 この講演録の中で、丸山は「まず皆さん方」(東大での聴衆)は「第二の類型」(=「本来のインテリ」)に「入るでしょう」と臆面もなく、言っている(当然に丸山自らもその一員だ)。ここでの「東大」とは、時期からすると、まだ東京帝国大学だったに違いない。
 丸山真男は「インテリ」を「本来の」それと「似非」・「亜」インテリに分けて、後者が「日本ファシズム」の社会的基盤だったするのだが、「日本ファシズム」とともに「インテリ」(インテリゲンチャ)という言葉は昨今ではほとんど使われなくなった。
 適菜収は<A層とB層>あるいは<一流と二・三流>の区別がなくなったことを今日の問題だと捉えているようだ。たしかに、<リーダー>、「ノブレス・オブリージュ」意識のある<エリート>の不存在(または稀少さ)が日本の問題の一つではあろうが、「インテリ」と「一般大衆」の区別の相対化・不明確化は、問題視しても簡単に元に戻るわけがない、客観的な現実だろう。
 同世代の半分もが大学に進学する今日では、少なくとも半分程度は「インテリ」意識を持っているかもしれないし、間違いなく「インテリ」だと自任しているかもしれない者もまた、実際には相当に「大衆」化している。
 そのような時代背景の変化をふまえれば、丸山真男の「似非」・「亜」インテリが「日本ファシズム」の社会的基盤だったとする丸山真男の議論は、「比較的にIQ(知能指数)が低い人たち」=「B層」を問題視し、批判している適菜収の議論と類似性がある。
 適菜収は橋下徹を「ファシスト」とは形容してはいないが、「全体主義」者である旨、民主主義が生む「独裁者」である旨は語っている(月刊正論5月号p.49、p.50)。
 丸山真男については竹内洋水谷三公らによる批判的分析もあり、竹内は丸山「理論」は東京大学の直系の研究者にのみ継承されるだろう、とかどこかで書いていたとか思うが、長谷川宏のように今なお「左翼」知識人・「進歩的文化人」だった丸山真男を称揚する新書を書いている「左翼」もいる(この三人の各文献についてはこの欄で言及している)。
 適菜収はどうやら自らを「保守」派だと、あるいは少なくとも「左翼」ではないと位置づけているようだが、「左翼」・丸山真男の上記のごとき「似非」インテリ論、<相対的にバカな者たち>論の影響を受けているのではなかろうか。丸山真男の議論・「政治思想」論は哲学・思想界にも(少なくともかつては強い)影響力を持っていたのだから。
 〇さて、気は進まないが、行きがかり上、月刊正論5月号の適菜収「橋下徹は『保守』ではない!」に批判的にコメントする。
 すでに最近、橋下徹関係の(月刊正論上の)4つの論考のうち最も空虚で観念的な言葉が並んでいる、と書いた。
 橋下徹を離れて一般論で言うと、間違いではないだろうことを書いてはいる。
 フランス革命時の「ジャコバン派」と「ナチス」を同類視し、ルソーを「全体主義の理論家」と形容しているのもそれにあたる。ハンナ・アレントの議論に肯定的に言及しているのも、よいだろう。
 ついでながら、ジャコバン派はのちにレーニンも明示的に肯定的に論及しており、ルソー→ジャコバン派(・フランス革命)→マルクス→レーニン(・ロシア革命)という系譜を語ることができるものだ。
 しかし、適菜収がその一般的な議論を橋下徹に適用するとき、あるいは「B層」を巧妙に騙す政治家だと断じるとき、実証性や論理の緻密さなどはまるでない。
 この適菜収によれば、選挙を経て、つまり「民意」によって選ばれた者はすべて「デマゴーグ」であり、「独裁者」であるがごとくだ。そんなことはないだろう。
 「橋下はアナーキストなので、イデオロギーは飾りにすぎません」(p.52)、「橋下は天性のデマゴーグです」(p.52)、橋下は「B層の感情を動かす手法をよく知って」おり、「その底の浅さはB層の『連想の質』を計算した上で演出されています」(p.52-53)といった言葉が並んでいる。だが、悪罵の投げつけだけの印象で、橋下徹批判としての説得力はほとんどない。むしろ、「B層」であれ何であれ、有権者大衆の「感情」を捉えることができるのは、今日の政治家としての優れた資質の一つではないかと、いちゃもんをつけたくもなる。
 適菜収の大言壮語・罵詈雑言はさらに続く。-①「この二〇年にわたる政治の腐敗、あらゆる革命思想、反文明主義、国家解体のイデオロギーを寄せ集めたものが、橋下の大衆運動を支えているのです」(p.55)、②「水道民営化、カジノ誘致、普天間基地の県外移転、資産課税、小中学生の留年、市職員に対する強制アンケート…。これはB層を大衆運動に巻き込むための餌です」(同上)。
 呆れたものだ。こんな文章が並んでいるのが、天下の?産経新聞社発行の論壇?誌・月刊正論の巻頭論文なのだ。
 今気づいたが、適菜収は「大衆運動」という語を使っている。この語は、丸山真男が使っていた「ファシズム運動」に似ている。
 この点はともかく、①のようによくぞ大胆に言えたものだ。橋下徹は、それほどでもないよと、却って恐縮するのではないか? ②について言うと、すでに実現しそうなものもある、橋下徹・維新の会の政策・主張はすべて「餌」か? 橋下徹が主張している<敬老パス>(市営交通の老人無料)の見直しもまた「B層」に対する「餌」なのか?
 論文というよりも場末の?喫茶店での雑談レベルで語られるような指摘を、適菜収は行ってもいる。-橋下徹は首相公選を主張しているが、それは「テレビタレントの橋下を首相にするための制度」だ(p.50-51)。これには笑ってしまった。橋下徹はそのようなことを考えている可能性が全くないではないとは思うが、適菜収はこのように何故、断定できるのだろう。
 また、<アホ丸出し>では藤井聡に<優るとも劣らない>次のような叙述もある。
 「地方分権や道州制は一番わかりやすい国家解体の原理です」(p.51)。
 藤井聡の勉強不足・知識不足を指摘する中ですでに書いたことだが、「地方分権・道州制」=「国家解体」とは、アホ(・バカ)が書く命題だ。
 この議論でいくと、国家内に「邦」・「州」を設けている国(アメリカ、ドイツなど)は解体していないといけないのではないか。連邦制は道州制以上に「分権的」だ。
 また、書かなかったが、戦前の日本においてすら、「地方自治」・「地方分権」制度がなかったわけではない。幕藩体制という相当に分権的な国家から明治日本は中央集権的な国家に変わったのだったが、それでも旧憲法のもとでの「市制」・「町村制」といった法律によって、市町村の「自治」がある程度は認められていた。市町村長は(有権者は限定されていたが)選挙で選ばれ、(現行憲法・法令と同様に)法令の範囲内での「自由な」行政・活動もある程度は認められていた。現在の(現憲法上の)「地方自治」も「法律の範囲内」のものであることに変わりはない。「地方分権」の要素は戦前は法律レベルで、現在は憲法レベルで認められているもので、「原理」的に「国家解体」につながるわけではない。
 橋下徹自身も書いていたと思うが、問題は「分権」の程度・内容、国と地方の「役割・機能」の分担のあり方にある。
 法学部・政経学部の学生のレポートでも書かれていないだろうようなことを、適菜収は、恥ずかしげもなく書いている。そんな部分を含む論考を、月刊正論が巻頭論文とし、大々的に宣伝し、編集部員は「とってもいい論文です」とブログ上で明記する。適菜収も自らを恥ずかしいと感じるべきだと思うが、桑原聡や川瀬弘至もまた、赤面すべきなのではないか。
 楽しくもない作業なので、この程度にしておく。
 まことにイヤな時代だ。川瀬弘至が「真正保守」を自ら名乗り、ひょっとすれば月刊正論や産経新聞全体が自分たちは「真正保守」の雑誌・新聞と考えているのだとすれば、日本の「保守」の将来は惨憺たるものだろう。

0503/松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社)は丸山真男批判、等。

 〇記していなかったが、たぶん3月から松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社、2003)を読んでいて、5/11夜に少し増えてp.125まで、半分強を読了した。この本の帯には「…研究者の軌跡!」とか「丸山真男の軌跡!」とか(売らんがために?)書いているが、この本は、丸山真男批判の書物だ。
 丸山真男を<進歩的文化人>として尊敬している、又は<幻想>を持っている<左翼的>な人々は、この本や、たぶん既述の、竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)、水谷三公・丸山真男―ある時代の肖像(ちくま新書、1999)あたりを読むとよい。
 〇飯田経夫・日本の反省(PHP新書、1996)の第六章「『飽食のハードル』への挑戦」、第七章「真の『豊かさ』とは何か」(と「あとがき」)を5/11に読んだ。第三章と合わせて全体の1/3くらいを読了か。著者の意図はともかく、あまり元気が出てくる、将来展望が湧き出てくる話ではない。1996年の本だが、脈絡を無視して引用すれば、こんな言葉がある。
 ・「要するに人びとは、現状に満足し、『これでいい』と言っているのである。そして、現状を変更したくはないのではないか」(p.170)。
 ・「ある社会がピークに到達し、それを通りすぎた後には、『社会のレベル』の低下が、万人の予想を裏切るほどだという事実が、どうやらある…」(p.176)。
 ・「まさに戦争に敗れたという事実そのものが、日本人から魂を抜き去り、…私たちを腑抜けにしてしまったのかもしれない」(p.185-6)。
 以下は、「個人の解放」(個人の尊重)が<究極の価値>だと明言していた憲法学者・樋口陽一に読んでもらいたい。
 ・「それ〔日本的経営の人間関係〕は、…個人主義ではない。だが、はたして個人ないし『個』が、それほど絶対の存在であろうか。それを絶対と信じるアメリカ人は、はたして『よき社会』をつくることに成功しただろうか。また、はたして個人のひとりひとりが、とくに幸せであろうか」(p.179)。
 樋口陽一に限らず、殆どの憲法学者がいう「個人主義」・「個人的自由」は、戦前の<国家主義>又は「個人的自由」の制限に対する反省又は反発を、過度にかつ時代錯誤的に<引き摺り>すぎている、と思う。
 〇佐伯啓思・学問の力(NTT出版)はたぶん5/10にp.260まで読んで、あとわずか20頁ほどになった。この本についても、感想は多い。
 〇他に、まだ読みかけの本や、月刊雑誌を買ったが読んでいない収載論考があるはずだが、ただちに思い出せない。今、浅羽通明・昭和三十年代主義―もう成長しない日本(幻冬舎、2008)を思い出した。少しは頁数を延ばしている。
 阪本昌成・法の支配-オーストリア学派の自由論と国家論(勁草書房、2006)と佐伯啓思・隠された思考―市場経済のメタフィジックス(筑摩書房、1985)は、途中で止まったきりだ……。

0355/水谷三公・丸山真男(ちくま新書)を読了。

 いつから読み始めたのかは記録していないが、一昨日に、水谷三公・丸山真男―ある時代の肖像(ちくま新書、2004.08)を面白く読了した。
 丸山真男(1914~1996)については、竹内洋・丸山真男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム(中公新書、2005.11)もたぶん昨年中に読了していて、今はどの箇所だったか確認できないが(ひょっとして竹内洋の別の本だっただろうか?)、丸山真男の名はいずれ東京大学の当該分野(政治思想史)の専攻者あたりにのみ記憶されるようになるだろう(つまり世間一般・論壇一般には忘れ去られるだろう)という旨の叙述が、そのとおりだろうな、という感覚を伴って、印象に残った。
 竹内の上掲書を再び手に持って中を見てみると、とりあえず、第一に、丸山真男逝去後の記事の数は、朝日8、毎日6、読売4、日経2、産経2だったというのはなかなか興味深いし(p.10-11)、第二に、丸山は大学教授というよりも東大教授という「特権」(または他の大学教授・一般大衆とは違うという)意識を持っていた、との指摘(p.297)も興味深い。
 さて、水谷三公・丸山真男(ちくま新書)は、竹内著に比べれば、丸山真男「理論」又は「思索」を内在的に論じたものだ。これは竹内と違って水谷三公には丸山真男の「謦咳に接した」経験があり、「丸山先生」と書く箇所もあるように、丸山から指導をうける立場にあったことによるところが大きいだろう。
 そして、水谷は「脱線と愚痴のごった煮」(p.61、p.309)と謙遜?し、たびたび「パリサイの徒」(と批判される)かも知れぬが、と挿入してもいる。
 だが、表面的にはともかく、この水谷の本は「丸山も誤った」ことを前提にして、「何について誤ったのか、なぜそうなったのか、いつそれに気づき、どう考えたのか」(p.17)を内在的に丸山真男の著書・対談等を素材に考察したもので、私の見方によれば、丸山真男全面批判の書だ。そして、水谷は大仰には書いてはいないが、丸山真男に対する<勝利宣言>の書だ、凱歌を奏でる書だ、と私は感じた。
 逐一の紹介、丁寧な引用はしないが、水谷には朝鮮戦争に関して北朝鮮に批判的発言をして「反動」扱いされた等の、丸山真男を取り巻く「進歩的」研究者から批判又は蔑視されたような体験があるらしい。
 そのような<原体験>からすると、<正しかったのはどっちだったのだ!>と言いたくなる気分もよく分かる(このように露骨に書いているわけではない)。
 ともあれ、丸山真男は簡単に言えば、戦後も生じるかもしれない日本「ファシズム」よりもコミュニズムを選択(選好)した大学人・知識人だった。<反・反共主義>だ。
 彼は日本共産党からのちに批判されたように(党員グループによる批判書もある-土井洋彦・足立正恒らの共著(新日本出版社))、日本共産党員ではなくマルクス主義者とも言えなかったかもしれないが、しかし、戦後の自民党が代表するような(と彼には見えた)軍国主義・ファシズム的あるいは保守・反動的傾向よりは、まだ社会主義・共産主義の方がマシだ、と考えていた人物だ。
 このコミュニズムに対する「甘さ」。丸山真男に限らないが、これこそ丸山真男の致命的欠点であり、有名ではあっても歴史的には「悪名」としてその名を残すことになるだろうと私は考える原因だ。
 日本共産党員あるいは明瞭なマルクス主義者でなかったことは、却って一般国民あるいは論壇の読者を安心させ、彼が政治的には支持していた(に違いない)日本社会党(統一前は左派)等の「左翼」・「進歩」勢力の増大化のために貢献する、という役割を果たしたと思われる。
 水谷によれば、丸山真男は晩年も「社会主義」選好を捨ててはおらず、ソ連崩壊とマルクス主義敗北を同一視するような日本の世論?に対して憤っていた、という。崩壊後になってソ連は「真の」社会主義国ではなかったとする日本共産党の考え方とまるで同じだ。
 だが、丸山真男は本当に歴史が「社会主義」の方向に「発展」していくことを死ぬまで信じていた、あるいは期待していたのだろうか。
 推測するに、いつかの時点で、あゝ自分が若いときに考えていたこと、「見通し」は誤っていた、と深刻に感じ入ったときがあったのではなかろうか
 理由らしきものをあえて挙げれば、1970年前後の丸山真男の発言の少なさだ。
 この当時(私は大学生だったが)、丸山真男はもはや「過去の人」だった。社会党はどちらかというと全共闘系学生を支持していたように見えたが、丸山は全共闘系を支持する文章を書かなかったはずだし、当時の時代状況のもとでの政治的発言をほとんどしなかったのではないか。なぜだろう。
 70年代には、丸山真男はかつての自分の認識・理解・予想・「見通し」が誤っていたことに気づいていたのではないか。
 丸山真男の全集はかなり揃えたので、彼の時代ごとの政治的論稿を容易に読める。いずれ、この欄でも紹介して、この「戦後民主主義」者の幼稚さ、短絡さ、<思い込み>の例を指摘することにしよう。
 水谷は丸山真男の全集・対談集・書簡集を素材にしているが、これらを出版しているのは岩波書店。さすが、と言うべきか、やはり、と言うべきか。
 こんな人の全集等を出版しておく意味はない、と私には思える。だが、昭和戦後の一時期の<進歩的文化人・知識人>がどんな主張をしていたのかを容易に知る(そして嗤い飛ばせる)ことができる、という意味においては、出版物としてまとめておく歴史的意義があるだろう。 
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