秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

民放

2773/NHKというものの考え方①。

  テレビ放送には、大きく分けて、NHKといわゆる民間放送がある。
 法制上の違いは別とする(放送法という法律の半分は日本放送協会=NHKについて定め、同法はNHK設立の根拠法でもある)。
 両者の違いですぐに分かるのは、いわゆるコマーシャル、宣伝広告があるかどうかだ。NHKには受信料というものが必要だが、民間放送はタダで見ることができる。その代わりに、宣伝広告を視聴することを、事実上〈強制〉される。見たくなければ見なければよい、他局に変えればよい、テレビ放送自体を切ればよい、というのは〈建て前〉で、この〈事実上の強制〉こそが民間放送を成り立たせている。
 〈事実上の強制〉を甘受しているがゆえにこそ、タダで視聴することができる。番組制作に必要な費用はコマーシャル・宣伝広告を提供する企業等が支払ってくれているからだ。
 民間放送にも報道時間や報道関係番組がある。それをもって民間放送の社員が、少なくとも報道に「直接に」関与している者だけは別として、自分たちを「ジャーナリスト」と自認しているとすれば、大きな勘違いだろう。
 せいぜいのところ、民間放送という業の性格は「娯楽」または「慰安」を提供することで、<エンターテインメント>業というのが正確だと思われる。あるいは、皮肉っぽく消極的な表現法を使えば、気晴らし産業、時間潰し産業だ。
 だが、より本質的には、民間放送は〈宣伝広告業〉だろう。報道番組も娯楽番組等々も、企業等からの「宣伝広告費」によって賄われている。民間放送会社の社員の給料ももちろんだ。民間放送会社が種々の「事業」を行なっていることは知っているが(映画制作費の一部負担もそうかもしれない)、「本質」論として記述している。
 このような観点からすると、企業等と民間放送を媒介し、ときには宣伝広告それ自体を制作している(種々の下請け・孫請けもあるのだろう)<電通>とか<博報堂>とかに関する情報は、NHKからもそうだが、民間放送からは全く得られないのは不思議だし、いやむしろ当然のことだろうと感じられる。視聴者は知らない裏の、「交渉」や「交際」の世界が、<電通>とか<博報堂>とかと民間放送・テレビ局の間にきっとあるのだろう(その実態を秋月瑛二は全く知らないけれども)。
 民間放送の〈宣伝広告業〉たる実質を最もよく示しているのは、いったん劇場等や配信サービスで提供された〈映画〉をテレビで放映(再放送)する場合に、コマ切れに入るコマーシャル・宣伝広告だ。
 映画はそもそも途中に何回もコマーシャル・宣伝広告が挿入されることを全く想定しないで制作されているだろう。何度もコマーシャル・宣伝広告でコマ切れにされるのでは、せっかくの「芸術」的映画も「感動的」映画も台無しだろう。元々の映画を「破壊」している、と思われる。それでも観る人々がいるのは確かだろうので、100%否定してはいけないとは思う。
 以上、無知のゆえの間違った推測等があるかもしれない。 
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 ついでに書くと、第一に、本来のコマーシャル・宣伝広告以外の時間に、自社(またはグループ局)が制作・放送する番組・ドラマ等の出演者をよんで語らせたり、自社が「制作委員会」の一端を構成しているらしき映画の事前の宣伝をしたりするのは、元来は〈見苦しい〉ものだ。宣伝広告費を受け取らないで放送する、自己宣伝をするのだから目くじらを立てるほどのものではないかもしれないが、視聴者からすると、ふつうのコマーシャル・宣伝広告の一部であることに変わりはない。
 第二に、民間放送が歴史的、制度的に見て決して「自由競争」原理のもとで成り立っておらず、テレビ電波または広く「電波」の(全くかほとんどー新規参入を許さない)寡占業者グループであることは、池田信夫のブログがかつて「民放連」について頻繁に書いていた。
 中央・地方の系列とか、ニュース原稿は自社グループの新聞紙にほとんど依拠しているのではないか(テレビ局独自の情報源による報道はどの程度あるのか)、といった問題や疑問には立ち入らない。
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  コマーシャル・宣伝広告がないだけでも、民間放送に比べてNHKはマシだ。
しかも、民間放送に比べて、経費を多く使った番組が総体としては多い(ようだ)。国際共同制作と謳われるドキュメンタリー類は、民間放送にはたぶん存在しないだろう。
 しかし、〈NHKスペシャル〉とか〈クローズアップ現代〉の中には、経費の無駄遣い、制作意図不明と感じられるものもある。
 むろん制作担当者(の責任者、ディレクター?)の個性が出ているのだろうが、きわめて「NH K的」と感じるものも2024年に入ってからあった。
 長くなったので、別の回に移す。
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2556/池田信夫ブログ029—民放テレビ局。

  「民放連」、日本民間放送連盟、とは、いわゆる地方民放局を含む200社以上で構成される団体(一般社団法人)だ。

 民放、とくにそのテレビ放送は実質的には広告宣伝事業体で、その収益で諸番組を作っている。「報道」番組はオマケのようなものだろう。全てをスポンサーが負担しているからこそ、一般視聴者は無料で観ることができる。せいぜい、娯楽・エンタメ産業の一つか。

 にもかかわらず、キー局・ローカル局を問わず、社員というだけで、少なくとも何らかの自前の番組の作成・編成に加わっている(または加わったことがある)というだけで、自分は「ジャーナリスト」の端くれだと思っている(いた)者もいるだろう。

 そして、ジャーナリストやマスメディアの使命は第一に政府に批判的な立場に立つことだと思い込む者もいて、「野党」または「左翼」的心情を明確にする者もいるに違いない。

 また、自分と同業者だと思うのか、地方民放社員の中にも、元NHKのかつての田英夫とか、現在の長妻昭あたりを心情的に応援したりする者も出てくることになる。
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  その民放全体または民放連については、池田信夫が何回かブログ発言をしていて、現在までの戦後日本の重要な「構造」の一つを作ってきたのは民放全体または民放連だ、ということを強く感じさせる。

 親の?大手新聞社との強い関係やキー局ごとのローカル局との不可分の関係は、おそらく相当に日本に独特な、または日本だけの現象だろう。ローカル民放局のほとんどの収益は中央での広告宣伝を各地方(かなり多くは県単位)の電波に乗せた分け前に違いない。放送事業以外の事業も行ってはいるだろうけれども。

 池田信夫ブログから、民放・民放連に触れているものを、以下に一部割愛で紹介しておく。池田は、かつて報道関係の仕事もしていたNHKの職員だった。
 
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 三 1 2018年5月13日。Agora。
 「次世代の無線『5G』についての話題がいろいろ出ているが、今ひとつ盛り上がらない」。

 「だがアメリカやEUでは、今の携帯端末と同じUHF帯に5Gを導入する計画が始まっている」。
 「日本では、UHF帯は大幅に余っている。テレビ局の使っていないホワイトスペースの200MHzを区画整理すれば、5Gで日本は世界のトップランナーになれる可能性もある。」

 「日本の地上デジタル放送は欧米と違って既存の放送局が立ち退く必要がないので、一足先に電波の再編ができる。これが競争力の落ちた日本の半導体メーカーが挽回する最後のチャンスだが、民放連がそれを妨害している。」

 「UHF帯の価値は時価2兆円。これを効率的に配分できれば、テレビ業界の既得権なんか大した問題ではない。『立ち退き料』として1000億円ぐらい払ってもいいし、ホワイトスペースの一部を優先的に使う権利を与えてもいい。総務省も、ITUが動き始めたら動くだろう。」
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 2 2019年3月17日。Agora。

 原英史・岩盤規制(新潮新書、2019)

 「望月衣塑子記者は、マスコミの特権意識を象徴する道化である」。

 「彼女がトンチンカンな質問を繰り返しても首相官邸に入れてもらえるのは記者クラブに加盟する東京新聞の記者だからであり、フリーランスだったらとっくに出入禁止だ。」

 「本書に書かれている去年の規制改革推進会議でも、最強の『岩盤』はマスコミだった。今まで聖域になっていた電波利権に安倍政権が手をつけたのはよかったが、電波オークションを恐れた放送・新聞業界が反対キャンペーンを繰り広げ、出てきたのは電波利用料だけだった。

 このとき読売新聞から朝日新聞までそろって展開した『放送法4条』騒動は、意味不明のキャンペーンだった。放送局に政治的公平性を義務づける4条の規定は表現の自由を侵害するので撤廃しろというならわかるが、それをなくすなというのはわけがわからない。ケーブルテレビや通信衛星で多チャンネル化した先進国では、とっくにコンテンツ規制は撤廃されている。

 本書によると、規制改革推進会議の最初の段階で、放送が多チャンネル化すると4条の規制もいらなくなるという議論が出たという。これは当たり前の話だが、マスコミは多チャンネル化には反対できないので、それと一体になっている4条の話だけつまみ食いして『偏向報道が出てくる』と騒いだのだ。」

 「電波オークションは、実は大した問題ではない」。「それよりテレビ局の占有しているUHF帯の大きな帯域を5Gに使う配分方法を考えたほうがいい、と私は規制改革推進会議で提言したのだが、マスコミは(産経を除いて)まったく報道しなかった」。

 「こういう情報操作が可能なのは、日本ではいまだに新聞と放送が系列化され、彼らがケーブルや衛星などの新規参入を阻んできたからだ。アメリカのようにケーブルが何百局もあると、記者クラブのような情報カルテルは組めないし、EUでは衛星放送が国境を超えているので、コンテンツは規制できない。

 こういう状況を日本でも変えたのがインターネットだが、放送局は地デジで垂直統合モデルを守り、著作権法を変えてインターネット放送を阻止した。いまだに地デジのネット配信は、県域ごとに権利者の許可が必要という信じられない状況だ。」

 「民主党政権のとき、彼らも電波利権に手をつけようとしたのだが、そのほとんど唯一の成果だったオークション(電波法改正)も、官僚のサボタージュでいまだに実現してない。それを報道するメディアがないので、規制改革のとっかかりもない。

 規制改革をつぶすとき張り切ったのは民放連だった
 私の発言を議事録から削除させた政治部の記者は、問題をまるで理解していない。技術者は理解しているが、決定権がない。

 こんなことをして既得権を守っても、マスコミはゆるやかに死ぬだけだ。20年前からこの問題とつきあってきた私の印象では、正直いって『バカは死ななきゃ直らない』というしかない。」

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  NHKはどうだかよく知らないが、<民放>をめぐる闇は深そうだ。それに繋がるものを、彼ら自身が報道するはずはない。

 改革者・変革者ではなく、既得権益にあぐらをかいてそれを守ろうとし(高収入も?)、非正規社員や下請け会社に負担をかけて、<おれたちジャーナリストは…>と内心威張っているふうの正規社員たちの姿が浮かんできそうだ。

 池田信夫の言及はまだ多数あるが、今回は二つだけにして、以下に続ける。

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0457/民放社員=「日本の特権階級」、社会系教育・教科書のヒドさ。

 以下、別冊宝島1479・知られざる日本の特権階級(宝島社、2007.11)p.123の「高すぎる民放各社の『年収』」とのタイトルの表による、民放各社の平均年収。()は平均年齢。平均年収額は税込みと見られる。
 テレビ朝日-1365万円(41.3歳)、朝日放送-1587万円(39.8歳)、東京放送=TBS-1560万円(49.5歳-ママ)、毎日放送-1518万円(40.8歳)、フジテレビジョン-1575万円(39.7歳)、日本テレビ網-1432万円(39.8歳)、等。
 適正な給与・報酬の額の判断はむつかしいし、その額に値する内容の「仕事」をしていれば、文句をつける筋合いのものでもあるまい。
 だが、40歳前後で各局の社員とも上のような年収額があるのは、少し多額すぎはしないか。統計資料を持たないが、感覚としていうと、平均年収ですらすでに、50歳代の中央省庁の局長クラス、50歳代の都道府県・政令指定市の部長・局長クラスと同じ程度ではないか。
 民放各社の収入は基本的には民間企業等の広告費であり、その広告費の一部は、最終的には当該企業等の(製品・サーピスの)消費者・利用者多数によって負担されている。特定の製品・サーピスを提供する個別企業に比べて、民放各社はより多数の視聴者国民によって経済的には支えられている。
 民放各社は-新聞社もそうだが-税金を最大の資金源にしていることを理由に公務員の収入や<厚遇ぶり>を批判することが多い。各社労組又は民放労連と当局の労使交渉で決められることとはいえ、自らの民放各社の年収額や<厚遇>(職員厚生施設等々)には無意識・無批判だとすると、自分の収入はいったいどこから来ているのだとマジメに考えてもらいたいものだ。<格差>を批判し、<格差是正>とかを主張する資格は<高収入>のマスコミ社員にはないと思われる。そしてまた、こうした民放各社の番組制作者の多くの最大の愛読・愛用新聞が、先日言及したように、朝日新聞だとは……(絶句)。
 ついでに、宝島社ではなかったが、西村幸祐責任編集・誰も知らない教育崩壊の真実(撃論ムック、オークラ出版、2008.05)。
 ジェンダー・フリー教育(フェミニズム教育)のおぞましさについては既に食傷気味だが、社会(・歴史)系の教科書や教育のヒドさに呆れて、「日本」という国に住むのがイヤになる気分すらする(本の具体的内容は省略)。私自身がある程度は実際に読んでみたことはあるのだが。 
 こんな状況では、日本史等の社会系科目を中学・高校で必修化したり、履修科目数を増やしたりするのは、むしろマイナスになる可能性が高い。
 日本共産党員が、あるいはマルクス主義者が、あるいは<左派リベラリスト>が「大学教授」の肩書きに隠れて、自らの「価値観」・「歴史観」を教科書に忍ばせていることがあるのは明らかだと思われる。「共産党が書き、社会党が教え、自民党がお金を出す」(p.82、田中英道)という実態は、「社会党」を「社民党又は民主党」に替えれば、現在でも間違いなくあるだろう。「教え」るのも「共産党」(員)である場合もあるに違いない。
 愉しくならない話・文章を読むことが多い。多分に厭世的にすらなる。
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