<宮地健一のホームページ>の中の、コミンテルン型共産主義運動の現状-ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り→1/ヨーロッパの発達した資本主義国における転換・終焉の3段階・2/ヨーロッパ各国・各党の終焉の経過と現状→3)/発達した資本主義国での運動…ユーロ・コミュニズムといわれた諸党、の中につぎの表が掲載されている。宮地作成のものと思われる
<(表1)レーニン型前衛党の崩壊過程と割合>
この表は、「レーニン型前衛党」の要素として、①プロレタリア独裁理論、②民主主義的中央集権制、③前衛党概念、④「マルクス・レーニン主義」、⑤政党名=「共産党」を挙げ、ヨーロッパ各国および日本と<社会主義4国(中国・北朝鮮・ベトナム・キューバ)>の各<共産党>がどのように維持したり、放棄等をしたりしているのかの「現状」を示している。
これによると、社会主義4国は北朝鮮の党名が「労働党」である以外は全て「堅持」している。
ヨーロッパ(東欧は除外)各国の共産党は、⑤の政党名(政党形態)の項によると、1.イタリア-「左翼民主党」に1991年に改称、2.イギリス-1991年に解党、3.スペイン-1983年に分裂、4.フランス-「共産党」維持、5.ポルトガル-「共産党」維持。
以上と日本(日本共産党)をすでに比べてみると、日本と同じなのはフランスとポルトガルだけ。
④「マルクス・レーニン主義」の堅持状況は、1.イタリア-放棄、2.スペイン-放棄、3.フランス-1994年に放棄、4.ポルトガル-堅持。
そして宮地は日本(日本共産党)は「訳語変更堅持」だとする。これは、「科学的社会主義」という語・概念への言い換えのことを意味するとみられる。
以上までで日本(日本共産党)を比べてみると、日本と同じなのは、すでにポルトガル(ポルトガル共産党)だけ。
③の前衛党概念の堅持状況も、日本と同じなのは、ポルトガル(ポルトガル共産党)だけ。宮地によると日本は「隠蔽・堅持」。
②の民主主義的中央集権制という組織原則については、1.イタリア-1989年に放棄、2.スペイン-1991年に放棄、3.フランス-1994年に放棄、4.ポルトガル-堅持。宮地によると日本は「略語で堅持」。おそらく「民主集中制」だろう。
この点も、日本と同じなのは、ポルトガル(ポルトガル共産党)だけ。
①のプロレタリアート独裁理論については、1.イタリア-1976年放棄、2.スペイン-1970年代前半放棄、3.フランス-1976年放棄、4.ポルトガル-1974年放棄。
ここで、初めて、日本とポルトガルの違いが出てくる。
日本共産党は「プロレタリアート独裁」という言葉(訳語)を変更しているが、実質的には維持しているからだ。宮地健一も、日本共産党につき「訳語変更堅持」と明記している。
宮地健一は、この表の上すぐと下で、つぎのように日本共産党の基礎的な現状についてまとめ、コメントしている。一文ごとに改行。
「資本主義諸国において、残存するレーニン型前衛党は、2党だけになってしまった。
ただ、ポルトガル共産党は、1974年12月、ヨーロッパ諸党の中で一番早く、プロレタリア独裁理論は誤りだとして、放棄宣言をした。
よって、5つの基準・原理のすべてを、『訳語変更、略語方式、隠蔽方式』にせよ、堅持しているのは、世界で日本共産党ただ一つとなっている。」
「21世紀の資本主義世界で、いったい、なぜ、日本共産党という一党だけが、レーニン型前衛党の5基準・原理を保持しつつ残存しえているのか。」
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「世界で日本共産党ただ一つ」、「日本共産党という一党だけが」ということは<誤り・間違い>であることの論拠にはならない。
しかし、日本には<左翼>または<容共>者が欧米各国に比べて異様に多いということの根本的な原因を、この日本共産党という独特の政党・政治組織の存在に求めることは誤りではない、と考えられる。
上に記されているような意味で「世界でただ一つ」の共産党がある程度の組織を維持しつつ存在するがゆえに、安心して?、朝日新聞社等々の「左翼」メディアがあり、また、立憲民主党等の「左翼」政党がある。岩波書店(・日本評論社法学系)等の「左翼」出版社もある。
立憲民主党はともあれ、朝日新聞社、岩波書店等々の中には、当然のごとく日本共産党員もいる。
また、日本共産党の路線が<先ず民主主義革命>であるために、「民主主義」という旗印(これに近いのが「平和」・「護憲」)を支持して日本共産党の周囲に、ある程度の範囲の者たちが集まってくる(そして入党勧誘の候補者になる者もいる)ということになる。
こうしたことの背景にはさらに、日本はほぼ日本語だけで社会が動き、(共産主義・共産党に関するものも含めて)英語等の外国語による世界の情報が十分に正確には入っていない、ということがある。
上の宮地健一が示すような現状は、日本ではほとんど知られていないだろう。
そうした外国語情報の流入は意図的に阻止されていることがある、と考えられる。
明らかに<反共産主義>の文献は、どの分野であれ、日本語に訳されて出版されることが全くないか、ほとんどない。少なくとも大手出版社はそのような文献の邦訳書を出版しない。
欧米では意見・感想の違いはあっても読書されて当然の、例えばレシェク・コワコフスキの大著、リチャード・パイプスの二著の邦訳書がいまだに日本に存在していないのは、その顕著な例だろう(一方で、欧米の若手<親マルクス主義系>研究者の本が簡単に邦訳されたりしている)。
<(表1)レーニン型前衛党の崩壊過程と割合>
この表は、「レーニン型前衛党」の要素として、①プロレタリア独裁理論、②民主主義的中央集権制、③前衛党概念、④「マルクス・レーニン主義」、⑤政党名=「共産党」を挙げ、ヨーロッパ各国および日本と<社会主義4国(中国・北朝鮮・ベトナム・キューバ)>の各<共産党>がどのように維持したり、放棄等をしたりしているのかの「現状」を示している。
これによると、社会主義4国は北朝鮮の党名が「労働党」である以外は全て「堅持」している。
ヨーロッパ(東欧は除外)各国の共産党は、⑤の政党名(政党形態)の項によると、1.イタリア-「左翼民主党」に1991年に改称、2.イギリス-1991年に解党、3.スペイン-1983年に分裂、4.フランス-「共産党」維持、5.ポルトガル-「共産党」維持。
以上と日本(日本共産党)をすでに比べてみると、日本と同じなのはフランスとポルトガルだけ。
④「マルクス・レーニン主義」の堅持状況は、1.イタリア-放棄、2.スペイン-放棄、3.フランス-1994年に放棄、4.ポルトガル-堅持。
そして宮地は日本(日本共産党)は「訳語変更堅持」だとする。これは、「科学的社会主義」という語・概念への言い換えのことを意味するとみられる。
以上までで日本(日本共産党)を比べてみると、日本と同じなのは、すでにポルトガル(ポルトガル共産党)だけ。
③の前衛党概念の堅持状況も、日本と同じなのは、ポルトガル(ポルトガル共産党)だけ。宮地によると日本は「隠蔽・堅持」。
②の民主主義的中央集権制という組織原則については、1.イタリア-1989年に放棄、2.スペイン-1991年に放棄、3.フランス-1994年に放棄、4.ポルトガル-堅持。宮地によると日本は「略語で堅持」。おそらく「民主集中制」だろう。
この点も、日本と同じなのは、ポルトガル(ポルトガル共産党)だけ。
①のプロレタリアート独裁理論については、1.イタリア-1976年放棄、2.スペイン-1970年代前半放棄、3.フランス-1976年放棄、4.ポルトガル-1974年放棄。
ここで、初めて、日本とポルトガルの違いが出てくる。
日本共産党は「プロレタリアート独裁」という言葉(訳語)を変更しているが、実質的には維持しているからだ。宮地健一も、日本共産党につき「訳語変更堅持」と明記している。
宮地健一は、この表の上すぐと下で、つぎのように日本共産党の基礎的な現状についてまとめ、コメントしている。一文ごとに改行。
「資本主義諸国において、残存するレーニン型前衛党は、2党だけになってしまった。
ただ、ポルトガル共産党は、1974年12月、ヨーロッパ諸党の中で一番早く、プロレタリア独裁理論は誤りだとして、放棄宣言をした。
よって、5つの基準・原理のすべてを、『訳語変更、略語方式、隠蔽方式』にせよ、堅持しているのは、世界で日本共産党ただ一つとなっている。」
「21世紀の資本主義世界で、いったい、なぜ、日本共産党という一党だけが、レーニン型前衛党の5基準・原理を保持しつつ残存しえているのか。」
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「世界で日本共産党ただ一つ」、「日本共産党という一党だけが」ということは<誤り・間違い>であることの論拠にはならない。
しかし、日本には<左翼>または<容共>者が欧米各国に比べて異様に多いということの根本的な原因を、この日本共産党という独特の政党・政治組織の存在に求めることは誤りではない、と考えられる。
上に記されているような意味で「世界でただ一つ」の共産党がある程度の組織を維持しつつ存在するがゆえに、安心して?、朝日新聞社等々の「左翼」メディアがあり、また、立憲民主党等の「左翼」政党がある。岩波書店(・日本評論社法学系)等の「左翼」出版社もある。
立憲民主党はともあれ、朝日新聞社、岩波書店等々の中には、当然のごとく日本共産党員もいる。
また、日本共産党の路線が<先ず民主主義革命>であるために、「民主主義」という旗印(これに近いのが「平和」・「護憲」)を支持して日本共産党の周囲に、ある程度の範囲の者たちが集まってくる(そして入党勧誘の候補者になる者もいる)ということになる。
こうしたことの背景にはさらに、日本はほぼ日本語だけで社会が動き、(共産主義・共産党に関するものも含めて)英語等の外国語による世界の情報が十分に正確には入っていない、ということがある。
上の宮地健一が示すような現状は、日本ではほとんど知られていないだろう。
そうした外国語情報の流入は意図的に阻止されていることがある、と考えられる。
明らかに<反共産主義>の文献は、どの分野であれ、日本語に訳されて出版されることが全くないか、ほとんどない。少なくとも大手出版社はそのような文献の邦訳書を出版しない。
欧米では意見・感想の違いはあっても読書されて当然の、例えばレシェク・コワコフスキの大著、リチャード・パイプスの二著の邦訳書がいまだに日本に存在していないのは、その顕著な例だろう(一方で、欧米の若手<親マルクス主義系>研究者の本が簡単に邦訳されたりしている)。