「亀井静香金融・郵政改革担当相は5日、東京都内の講演で「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ」と述べた。その上で日本経団連の御手洗冨士夫会長と会談した際に「そのことに責任を感じないとだめだ」と言ったというエピソードを披露し、経団連を批判した」。以上、MSN産経ニュース。
亀井の認識は誤っている。
「日本で家族間の殺人事件が増えている」とすれば、それは第一に、日本国憲法が「家族」に関する規定を持たないことにもよる、<家族>よりも<個人>を大切にする、戦後日本的<個人主義>の蔓延によるところが大きい。
第二に、もともと<家族>を呪い、解体を目指す<左翼>(容共)勢力が幅をきかし、現在でも根強く残っていることにある。マルクス主義者にとって、国家・私有財産とともに<家族>なるものもいずれ消滅すべきものなのだ(エンゲルス「家族、私有財産および国家の起源」参照)。
この考え方は、(マルクス主義的)フェミニズムに強く刻印されており、そのような考え方の持ち主が閣僚になってしまっている、という怖ろしい現実も目の前にある。<個人>、とくに<女性>こそが<家族・家庭>のために差別(・「搾取」)されてきた、と彼ら(彼女ら)は考える。
上の二つは重なり合う。要するに、<個人>が<家族・家庭>のために犠牲になってはならず、各<個人>は<家族・家庭>の中で<対等・平等>だという一種のイデオロギーが、今日の日本にかなり深く浸透している。
このような意識状況において、親の<権威>を子どもが意識するはずもない。親は<権威>を持とうともせず、<友だち>のような、子どもを<理解してあげる>親がよい親だと勘違いしている。
子どもが親等の<目上>の者をそのためだけで<尊敬する>わけがない。
こんな状況においては、<家族>であっても、<個人>に辛くあたったり、自分<個人>の利益にならない者は、血縁に関係なく、容易に殺人の対象になりうる。
以上は主として子どもによる親殺し・祖父母殺しについて書いた。逆の場合も同様なことが言える。
<子育て>が愉しくなく、自分<個人>が犠牲になっている、と感じる女性は昔より多いはずだ。
女性の中には、自分が産んだ子どもが、自分の睡眠時間と体力を奪ったり、自分の若さを奪っていると感じて邪魔に感じたり、あるいは他の子どもと比較して何らかの点で劣っているのではないかと感じることによって他の母親との関係での自分<個人>のプライドが傷つけられている、と感じたりする者たちもいる。
似たようなことは父親にもあるかもしれないが、母親の方に多いだろう。
このような親たちを生んでしまった戦後日本社会とは何だったのか。<個人の尊厳>が第一、と憲法学者さまたちが説き、それを<左翼>的教師たちが小学校・中学校・高校で教育実践している間に、<家族・家庭>(・地域・国家)よりも、いびつに肥大化した自己を大切にする<個人主義>の社会になってしまった。
ついでに。内容につき言及したことはないが、関連文献として、林道義・母性崩壊(PHP、1999)がある。じつに衝撃的な本だ。
亀井静香はこの本でも読んで、経団連・御手洗などにではなく、閣僚仲間の福島瑞穂や千葉景子に対してクレームをつけてみてはどうか。