池田信夫のブログ035。
——
一 池田信夫ブログマガジンのうち前回(No.2706)に取り上げたもののさらに一つ前の号と新たに読んだ最近の号から、興味深く感じた小文章のタイトルは、以下のとおり。なお、前回もそうだが、これら以外はつまらない、あるいは全く理解できない、という趣旨ではない。
--------
12月18日号。
①「ブッダという男」。
②「名著再読: (A·ディートン)大脱出」。
02月05日号。
③「宇宙はなぜ人間のために『微調整』されているのか」。
④「イノベーションに必要なのは『否定的知識』」。
⑤「名著再読: (クーン)科学革命の構造」。
——
二 とくに意図せず、思いつくままの感想等。
④によると、古代ギリシャの自然哲学・古代ギリシャの都市国家→ローマ帝国のあいだには断絶があり、ギリシャ自然哲学はローマ帝国に継承されなかった。それはとくに、後者により「キリスト教が国教」とされたことによる。「ギリシャ文化は『異教』として排除され、イスラム圏に追いやられた。ヨーロッパが「自然哲学」を必要としたのは、「…などの実用的な科学」が必要になった、「植民地支配」を始めた「16世紀」以降だ。
--------
ギリシャの哲学者と言えば、ピタゴラスを想起する。そして、この人物は<ピタゴラス音律>の創始者とされるのだが、1オクターブを12の異なる音で構成する(現在でもこの点は同じまま)ということの背景には、「神」は全てを美しく、体系的に全てを創作したはずだ(12という数字は「美しい」)という考えも少しは影響したのではないか旨、この欄に書いたことがあった。
しかし、よく考えれば(よく考えなくとも)、ピタゴラスの時代にはまだ<キリスト教>は成立していなかったようで、「神」の理解にもよるが、上の推測は間違い。
但し、<ピタゴラス音律>を用いた音楽の発展にはキリスト教の教会、そこでの「教会音楽」が相当に寄与したはずだ。ドイツ(と日本)では「音楽の父」とされるJ·S·バッハは、ドイツ・ライプツィヒの教会でも働いた鍵盤楽器演奏者(オルガニスト)・作曲家だったが、当時はまだ<十二平均律>は全く一般的ではなく<ピタゴラス音律>がかなり使われていただろう。
なお、<十二平均律>が欧州で支配的になったとされるのは、—日本はその圧倒的な影響を受けるのだが—19世紀だ(こんなこともM·ヴェーバー『音楽社会楽』は書いている。日本のことは別)。
——
三 上の①によるとこうだ。「ブッダ(集合名詞)の思想的コア」は、「無我」(=「所有の放棄とか我執からの解放といった意味」)だろう。但し、「高度な教理」はなく、「大乗仏教になってから」、「複雑な仏教哲学」ができた。この時期の仏教が日本にも輸入されて、「既存の民俗信仰と習合した」。「それは東洋的な『無』をコアにする点」で、「それほど異質な宗教ではなかった。」
--------
東アフリカで生まれたヒト・人間(ホモ·サピエンス)は今のシリア・イラン(その隣国が今はイスラエル)あたりで東西に分かれて、西へはヨーロッパに、東はインド、東アジア(今の中国、日本等)へと(途方もない年月とともに)分かれていった、という。
今でも西欧または欧米と東アジアは異質だと語られることが多い。
どちらもホモ·サピエンスとしての基礎的な遺伝子(あるいはDNA配列)を有するだろう点では全く共通しているはずだ。しかし、外形や容貌を別としても、言語のみならず、文化や「思考方法」の点で異なることが多いとされていると思われる。
西と東、とくに西欧(今のドイツも含める)と日本は、どういう点で異なり、それはいったいなぜそうなったのか?
多く語られて論じられてきた主題に、秋月もまた最近は大きな関心を持っている。
--------
池田の上の文章では日本を含む東アジアの「無我」あるいは「無」の哲学または宗教が語られている。
だが、ヨーロッパには、あるいはキリスト教には、そのような意識・考え方はないのか。本当にそうならば、なぜそうなのか。
批判をしているのではない。自問のようなものだ。
一神教ではなく多神教だから、日本は優れているのだ、とかの日本会議系または櫻井よしこ流の幼稚な思いつき的発想では、何の回答にもならない。
「かみ」を信仰・崇敬の対象としている点で「神道」は一神教だとも言えるし、仏教上も、釈迦に近い順らしいが、如来・菩薩・明王・天という順での、かつそれぞれの中でも多様な信仰または崇拝の対象がある。キリスト教の場合も、「聖〜」とかの複数の聖人も崇拝・拝礼の対象になっている。
日本の「宗教」とは、日本人の「信仰」とは。この問題には当今、大きな興味を持っている。
池田の上の文章の中には、大乗仏教と「習合」した「既存の民俗信仰」という言葉が出ている。
仏教と「習合」したこれを「神道」だとは、池田信夫も考えていないだろう。
「神道」という言葉・概念がない時期だったのだから、8世紀前半の日本書記や古事記から「既存の民俗信仰」の確かで明確な姿や内容を語ることはできないだろうと思われる。
ここで何かを論じる能力・資格は、秋月にはない。
ただ素人的にでも興味深く思うのは、日本にあった(今でもある)山岳信仰、一般的にはこれと少しは違うだろうが、<修験道>という今でも完全には消失していない(今では仏教に分類される)「道」・宗教だ。さらに、これも今は仏教の一種とされているが、<役行者信仰>というものの存在とその実体だ。
こうしたものは、日本人のいったいどのような根本的「哲学」または「宗教」を示して、あるいは示唆して、いるのか。
——
四 ところで、櫻井よしこや西尾幹二は、仏教伝来までに日本にはすでに確固たる「神道」があって、「寛容な」後者が前者を受け入れた、という旨を恥ずかしげもなく書いている。
従前にあった「神道」なるものの実体を明確にできないかぎり、この主張は馬鹿げている。
こんな主張よりも、仏教「公伝」以前に、ある程度は半島経由だろうが、大陸中国から重要な「知識」または「文化」をすでに受容していた、そうしたものの影響を受けていた、ということの方が重要だろう。
「暦法」または基礎的な「天文学」はこれにあたる。確認しないが、古事記でも日本書記でも天皇即位年を基準とする年次表記、元号制定後の元号を利用した年次表記、の他に「干支」を使ったものがある。これは日本産ではなく、仏教「公伝」よりも早くから知られていて、すでに利用されていたのではないか。
--------
こんなふうに雑文を綴っていくと、際限がなくなる。
——
——
一 池田信夫ブログマガジンのうち前回(No.2706)に取り上げたもののさらに一つ前の号と新たに読んだ最近の号から、興味深く感じた小文章のタイトルは、以下のとおり。なお、前回もそうだが、これら以外はつまらない、あるいは全く理解できない、という趣旨ではない。
--------
12月18日号。
①「ブッダという男」。
②「名著再読: (A·ディートン)大脱出」。
02月05日号。
③「宇宙はなぜ人間のために『微調整』されているのか」。
④「イノベーションに必要なのは『否定的知識』」。
⑤「名著再読: (クーン)科学革命の構造」。
——
二 とくに意図せず、思いつくままの感想等。
④によると、古代ギリシャの自然哲学・古代ギリシャの都市国家→ローマ帝国のあいだには断絶があり、ギリシャ自然哲学はローマ帝国に継承されなかった。それはとくに、後者により「キリスト教が国教」とされたことによる。「ギリシャ文化は『異教』として排除され、イスラム圏に追いやられた。ヨーロッパが「自然哲学」を必要としたのは、「…などの実用的な科学」が必要になった、「植民地支配」を始めた「16世紀」以降だ。
--------
ギリシャの哲学者と言えば、ピタゴラスを想起する。そして、この人物は<ピタゴラス音律>の創始者とされるのだが、1オクターブを12の異なる音で構成する(現在でもこの点は同じまま)ということの背景には、「神」は全てを美しく、体系的に全てを創作したはずだ(12という数字は「美しい」)という考えも少しは影響したのではないか旨、この欄に書いたことがあった。
しかし、よく考えれば(よく考えなくとも)、ピタゴラスの時代にはまだ<キリスト教>は成立していなかったようで、「神」の理解にもよるが、上の推測は間違い。
但し、<ピタゴラス音律>を用いた音楽の発展にはキリスト教の教会、そこでの「教会音楽」が相当に寄与したはずだ。ドイツ(と日本)では「音楽の父」とされるJ·S·バッハは、ドイツ・ライプツィヒの教会でも働いた鍵盤楽器演奏者(オルガニスト)・作曲家だったが、当時はまだ<十二平均律>は全く一般的ではなく<ピタゴラス音律>がかなり使われていただろう。
なお、<十二平均律>が欧州で支配的になったとされるのは、—日本はその圧倒的な影響を受けるのだが—19世紀だ(こんなこともM·ヴェーバー『音楽社会楽』は書いている。日本のことは別)。
——
三 上の①によるとこうだ。「ブッダ(集合名詞)の思想的コア」は、「無我」(=「所有の放棄とか我執からの解放といった意味」)だろう。但し、「高度な教理」はなく、「大乗仏教になってから」、「複雑な仏教哲学」ができた。この時期の仏教が日本にも輸入されて、「既存の民俗信仰と習合した」。「それは東洋的な『無』をコアにする点」で、「それほど異質な宗教ではなかった。」
--------
東アフリカで生まれたヒト・人間(ホモ·サピエンス)は今のシリア・イラン(その隣国が今はイスラエル)あたりで東西に分かれて、西へはヨーロッパに、東はインド、東アジア(今の中国、日本等)へと(途方もない年月とともに)分かれていった、という。
今でも西欧または欧米と東アジアは異質だと語られることが多い。
どちらもホモ·サピエンスとしての基礎的な遺伝子(あるいはDNA配列)を有するだろう点では全く共通しているはずだ。しかし、外形や容貌を別としても、言語のみならず、文化や「思考方法」の点で異なることが多いとされていると思われる。
西と東、とくに西欧(今のドイツも含める)と日本は、どういう点で異なり、それはいったいなぜそうなったのか?
多く語られて論じられてきた主題に、秋月もまた最近は大きな関心を持っている。
--------
池田の上の文章では日本を含む東アジアの「無我」あるいは「無」の哲学または宗教が語られている。
だが、ヨーロッパには、あるいはキリスト教には、そのような意識・考え方はないのか。本当にそうならば、なぜそうなのか。
批判をしているのではない。自問のようなものだ。
一神教ではなく多神教だから、日本は優れているのだ、とかの日本会議系または櫻井よしこ流の幼稚な思いつき的発想では、何の回答にもならない。
「かみ」を信仰・崇敬の対象としている点で「神道」は一神教だとも言えるし、仏教上も、釈迦に近い順らしいが、如来・菩薩・明王・天という順での、かつそれぞれの中でも多様な信仰または崇拝の対象がある。キリスト教の場合も、「聖〜」とかの複数の聖人も崇拝・拝礼の対象になっている。
日本の「宗教」とは、日本人の「信仰」とは。この問題には当今、大きな興味を持っている。
池田の上の文章の中には、大乗仏教と「習合」した「既存の民俗信仰」という言葉が出ている。
仏教と「習合」したこれを「神道」だとは、池田信夫も考えていないだろう。
「神道」という言葉・概念がない時期だったのだから、8世紀前半の日本書記や古事記から「既存の民俗信仰」の確かで明確な姿や内容を語ることはできないだろうと思われる。
ここで何かを論じる能力・資格は、秋月にはない。
ただ素人的にでも興味深く思うのは、日本にあった(今でもある)山岳信仰、一般的にはこれと少しは違うだろうが、<修験道>という今でも完全には消失していない(今では仏教に分類される)「道」・宗教だ。さらに、これも今は仏教の一種とされているが、<役行者信仰>というものの存在とその実体だ。
こうしたものは、日本人のいったいどのような根本的「哲学」または「宗教」を示して、あるいは示唆して、いるのか。
——
四 ところで、櫻井よしこや西尾幹二は、仏教伝来までに日本にはすでに確固たる「神道」があって、「寛容な」後者が前者を受け入れた、という旨を恥ずかしげもなく書いている。
従前にあった「神道」なるものの実体を明確にできないかぎり、この主張は馬鹿げている。
こんな主張よりも、仏教「公伝」以前に、ある程度は半島経由だろうが、大陸中国から重要な「知識」または「文化」をすでに受容していた、そうしたものの影響を受けていた、ということの方が重要だろう。
「暦法」または基礎的な「天文学」はこれにあたる。確認しないが、古事記でも日本書記でも天皇即位年を基準とする年次表記、元号制定後の元号を利用した年次表記、の他に「干支」を使ったものがある。これは日本産ではなく、仏教「公伝」よりも早くから知られていて、すでに利用されていたのではないか。
--------
こんなふうに雑文を綴っていくと、際限がなくなる。
——