秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

樋口陽一

0519/<ルソー・ジャコバン型>は肯定的に評価されるべきなのか-樋口陽一。

 菅孝行は、「樋口陽一は、…、日本人は一度は強者の個人主義をくぐれ、ルソー・ジャコバン型民衆主義をくぐれと執拗に提唱している」と書いた(同・9・11以後丸山真男をどう読むか(2004)p.88)。菅はこの提唱を意義あるものとしてその後に文章をつなげていっているのだが、樋口がかかる提唱をする本として、樋口陽一・自由と国家同・比較の中の日本国憲法の二つを示している。出版社名・出版年の記載も頁の特定もされていないないが、いずれも岩波新書で、前者は1989年、後者は1979年の刊行だ。
 上の前者は所持していないが、後者を見てみると、<ルソー・ジャコバン型民衆主義をくぐれ>との旨を明記している部分はどうやらなさそうだ。但し、類似の又は同趣旨だろうと思われる記述はある。
 樋口・比較の中の日本国憲法p.8-10は、要約部分も含めるが、次のように言う。
 「西洋近代」を批判する者(日本人)は「社会現象としては西洋近代だけが生み出した」「個人主義のエートス」を自分にも他人にも「きびしく要求」すべきだ。/西欧と日本の「落差」は「型」ではなく「段階」のそれと見るべきだが(加藤周一に同調、p.5)、その見地に立って「西洋近代とは何かという問いを追求した代表的な仕事」は「大塚〔久雄〕=高橋〔幸八郎〕史学」や「丸山〔真男〕政治学」で、「私たちは、こういう仕事の問題意識と問題提起に、あえて何度でも、しつこくたちもどる必要がある」。(〔〕は秋月が補足)
 いつか記したことがあるように樋口陽一は丸山真男集(全集)の「月報」に一文を寄せて丸山真男を「先生」と呼んでいる。上の文章においても、大塚久雄・高橋幸八郎・丸山真男の仕事に
「あえて何度でも、しつこくたちもど」れ、と(1979年に)書いていたわけだ。私(秋月)や私たちの世代には殆ど理解できない<戦後進歩的文化人の(そのままの)継承者>がここにいることに気づく。
 上の岩波新書では<ルソー・ジャコバン型>うんぬんに明示的には言及していないように思えるが、最近にこの欄で言及した、樋口陽一「フランス革命と法/第一節・フランス革命と近代憲法」長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法/第一巻・市民革命と法(日本評論社、1989)は明瞭に、「ルソー=ジャコバン型国家像」という概念を「トクヴィル=アメリカ型国家像」と対比される重要なものとして用いている。
 もっとも、「ルソー=ジャコバン型国家像」とは何かは分かりやすく説明されてはいない(丸山真男が「ファシズム」一般の定義をしていないのに似ている?)。
 樋口によると、「ルソー=ジャコバン主義」という語はフランスで用いられることがあるようなのだが、それは、<主権=政治の万能=国家とその法律の優越=一にして不可分の共和国>という脈絡で用いられている。これだけでは理解し難いが、1789年の否定・1793年〔ジャコバン独裁期-秋月〕の「ブルジョア革命」逸脱視を意味するのではなく、フランス近代法の「個人対集権国家の二極構造のシンポル」としてのそれらしい(以上、p.130-1)。要するに、<近代的>「個人」と(中央集権的)国家の対立(二極構造)を基本とするフランス的意味での<近代的>国家観のことなのだろう。
 別の箇所では、「ルソー=ジャコバン型国家像」は、フランス第三共和制(1875~)以来、「一般意思の表明としての法律の志高性」の観念のもとで「徹底した議会中心主義」の形態で実定化それてきた、ともいう(p.132)。
 大統領制との関係・差違は問題になりうるが、結局のところ、「ルソー=ジャコバン型国家像」とは国家と個人の対立構造を前提とした、「一般意思」=「法律」→法律制定「議会」(→議員を選出する者=「個人」(国民?、人民?、民衆?)を尊重又は重要視する、(フランス的)国家理念(像=イメージ)なのだろう。
 それはそれでかりによいとして、だが、かかる国家像をなぜ<ルソー=ジャコバン型>と呼ぶことに樋口陽一は躊躇を示さないのか、ということが気になる。今回の冒頭に示した菅孝行の言葉によっても、樋口は<ルソー=ジャコバン型>を消極的には評価しておらず、むしろ逆に高く評価しているようだ。
 そのような概念用法自体の中に、看過できない問題が内包されているように見える。

0517/菅孝行ブックレットにおける丸山真男と樋口陽一。

 一 反天皇主義者らしい著者による菅孝行・9・11以後丸山真男をどう読むか(河合出版・河合ブックレット、2004)は、丸山真男を分析し部分的には批判的なコメントを付してはいるが、全体としては、丸山真男の問題関心・分析を受けとめ、<右派>の批判から丸山真男を<戦後民主主義>を標榜する代表者として<護る>というスタンスの、<政治的>プロパガンダの本だ。
 1 「多くの丸山非難言説に反対して、擁護の立場に立たなければならない」(p.70)を基本的立場とし、佐伯啓思西部邁の名をとくに出してこの二人をこう論難する。
 「国家主義的視点から丸山の進歩主義や左翼性を非難する…」、「丸山を非難したい、と決めた彼らは自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を歴史的な文脈も事実関係も無視して描き出し、レッテル貼りをやってのけた…」(p.79-80)。
 佐伯啓思・西部邁の主張・論理(図書新聞と新潮45の紙・誌上のようだ)が簡単にしか紹介されていない(p.48-49)ので論評しようもないが、菅孝行のこういう反批判の仕方は、きっと同様の論法で反論されるだろう。つまり、<丸山を擁護したい、と決めた菅孝行は自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を…>という具合に。
 2 菅孝行によると、「戦後丸山は、マルクス主義が生み出すであろうと当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性を意識しつつ、認識の問題や政治倫理の問題としてはこれに抵抗して独自の立場を保持するという二面作戦をとった」(p.63)。
 これはおそらく適切な指摘だろう。「当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性」とは<社会主義への移行>の「必然性と正当性」であり<革命」の「必然性と正当性」だった。丸山真男はこれを肯定しつつ、ファシズム(の再来)かコミュニズム(社会主義・共産主義)か>という選択を前にすれば、当然の如く後者を採った人物だと思われる(=「反・反共主義」)。一方で、組織的・運動的には岩波「世界」等に活動の場を求めることによって、政治的セクト・「党派」性の乏しいイメージの<進歩的文化人>として、日本共産党員たることを公然化していたような<進歩的文化人>よりも、より大きな影響力をもったのだと考えられる。
 二 主題である丸山真男のことよりも関心を惹いたのは、菅孝行がときどき樋口陽一に言及していることだ。しかも共感的・肯定的に。
 1 「普遍的人権論や人間中心主義」への疑念を列挙したうえで、なお樋口は「『近代』を擁護するだろう」、と書いた。樋口は「『虚構』の『近代』の『作為』を有効とみなしている」。「丸山の軌跡の延長に樋口の立場があ」る(以上、p.25-26)。
 2 樋口陽一は「日本人は一度は強者の個人主義をくぐれ、ルソー・ジャコバン型民主主義をくぐれと執拗に提唱している」(p.88)。
 聞き捨てならないのは上の2だ。続けて菅孝行自身はは次のように主張する(「喚く」)>-樋口の「提唱に意味があるのは、丸山の構想した『自由なる主体』が成立してないままに戦後五二年が経過してしまったから…。決着がついていないなら何十年でも何世代でも延長戦をやるしかないではないか」(同上)。
 上の「自由なる主体」は、1946年の丸山真男「超国家主義の論理と心理」に出てくる。-「八・一五の日は…、国体が喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民…」(丸山・新装版/現代政治の思想と行動(未来社、2006)p.28)。
 丸山真男の議論はさしあたりどうでもよい。
 丸山の「自由なる主体」とはおそらく<西欧近代>流の<自立した自由な(主体的)個人>を意味するのだろう。だが、冗論は避けるが、菅孝行は勝手に「何十年でも何世代でも延長戦」をやるがよいが、おそらく確実に、<勝てる>=<西欧近代>的な<自立した自由な(主体的)個人>に日本人がなる日、は永遠に来ないだろう(日本人が西欧人になれる筈がないではないか。別の回に書くが、「永遠の錯覚」)。
 気になるのは、菅孝行などよりも、樋口陽一だ。樋口陽一とは、私が想定していたよりも、遙かに<左翼>又は<親マルクス主義>者のようだ。回を改める。

0516/日本共産党系学者による、講座・革命と法(日本評論社、1989-)。

 日本共産党がその勢力・「大衆的人気」のピークを迎えた頃、1976年から1980年まで、日本評論社から天野和夫=片岡曻=長谷川正安=藤田勇=渡辺洋三編・マルクス主義法学講座全八巻が刊行されたことはすでに触れた。編者は全員が日本共産党員だと見られることは既に述べたと思うし、所持している巻のかぎりでは、非又は反・日本共産党派の法学者は(かりにいたとしても)執筆者に加えられていない。また、現社長の林克行が編集担当だったようであることは、最終刊の第五巻に触れたときに記した。
 第一巻・第三巻・第五巻・第六巻については、目次・執筆者程度のそれらの内容を、すでに紹介した。
 その後の日本共産党の退潮あるいはひょっとすれば法学界内部での日本共産党系マルクス主義者の減少によって、類似の企画はなかったかと思っていたが、どっこいそうではなく、上記の編者のうち三人、すなわち長谷川正安・渡辺洋三・藤田勇を編者として、1989年から講座・革命と法というのが、やはり日本評論社から出版されていることを知った。
 各巻のタイトルは、第一巻・市民革命と法、第二巻はフランス人権宣言と法、第三巻は市民革命と日本法。第一巻は、1989年の7月に、第二巻は1989年の11月に出版されている。「人権宣言200年記念」と謳われているとおり、1789年のフランス革命から200周年を記念としての企画だったと思われる。だが、その年にベルリンの壁が崩壊し、翌々年には「社会主義」ソ連邦も解体してしまうとは、企画者・編集者・執筆者はきっと想像もしていなかっただろう。
 さて、第一巻の目次前の「刊行の言葉」(第二巻でも共通)で、編者たちは三名連名で例えば次のように書く。-「ここでは、『革命』という…概念を、なによりもまず『ある階級の手から他の階級の手への国家権力の移行』(レーニン)として理解する」。「マルクス『経済学批判』序言にいう『社会革命』の問題が想起される。ここでは、土台と上部構造の全体、すなわち、社会構成体の構造的転換が『社会革命』としてとらえられている」。
 また、第二巻の序説を担当して藤田勇は例えば次のように書く。-「ロシア革命はフランス革命とその『伝記』を世界史的に蘇らせた」。「ブルジョア革命をのり超えたものとしての社会主義革命を称揚するという文脈」でだけではなく、「社会主義革命の遙かな水源を開いたという理論的意味づけ、世界史の運動における『革命』…の意味づけにかかわってのフランス革命の蘇り」だった。「じつはフランス革命は、近代ブルジョア社会の批判思想としての社会主義(共産主義)思想の起点をなしている」。「フランス革命二〇〇年は、近代社会主義史をその不可分の構成部分とする」。
 藤田勇は「社会主義」ソ連邦が解体したあとも「社会主義(共産主義)」や「ロシア革命」についてこう書いたのだろうか。のちの日本共産党の公式見解―ソ連は「社会主義」国家ではなかった―とは違って藤田はロシア革命を「社会主義」革命と理解しているようであることも興味深いが、のちにはロシア革命=「社会主義」革命は間違いなく正しいが、この道を誤らせた(「社会主義」でなくした)のはスターリンだった、とでも書くのだろうか。
 それにしても、化石のような、というか黴が生えたような、マルクス主義「教条的」な文章を久しぶりに読んだ。
 なお、上の藤田の文に見られるように、フランス革命はロシア革命の「水源を開いた」ものと理解されていることに注意が向けられてよい。かつて、あるいは現在もなお、フランス革命を「賛美」し積極的に肯定的評価を下した(している)者の多くは、少なくとも気分としては、ブルジョア資本主義社会→労働者中心の「社会主義」社会という<進歩的>・<発展段階的>歴史観を抱いていたことは隠れもない、と思われる。
 以下、上の講座の第一巻と第二巻の章・節等と執筆者名を記録しておく。マルクス主義法学講座の執筆者は自ら「マルクス主義」者であることを自認していたと思われるが、こちらの方の執筆者は全員がそうではない、と思われる。しかし、<親>マルクス主義(かつ親・日本共産党、少なくとも<反・反日本共産党>)の者であることは疑い難いものと思われる。所属は発刊当時。加藤哲郎は法学者ではなさそうだ。
 第一巻 第一章「イングランド革命と法」-戒能通厚(名古屋大学)
 第二章「アメリカ革命と法」-望月礼二郎(東京大学)
 第三章「フランス革命と法」
  第1節「フランス革命と近代憲法」-樋口陽一(東京大学)
  第2節「フランス革命と近代私法秩序」-稲本洋之助(東京大学)
  第3節「フランス人権宣言と刑事立法改革」-新倉修(國學院大学)
 第四章「ドイツ革命と法」
  第1節「フランス革命期の人権(基本権)思想」-石部雅亮(大阪市立大学)
  第2節「『法による社会変革』と法律実証主義」-広渡清吾(東京大学)
 第二巻・序説・第一章「フランス人権思想と社会主義思想」のうち「はじめに」・第3節以下-藤田勇(東京大学)
 第一章の第1節・第2節-鮎京正訓(岡山大学)
 第二章「ロシア革命思想における法の観念」-大江泰一郎(静岡大学)
 第三章「東欧革命における民主主義の問題」
  第1節・第2節-早川弘道(早稲田大学)
  第3節-竹森正孝(東京都立短期大学)
 第四章「社会主義と『政治的多元主義』」-小森田秋夫(東京大学)
 第五章「フランス人権宣言と第三世界」-鮎京正訓(岡山大学)
 第六章「フランス人権宣言と現代の『民主主義革命』」-加藤哲郎(一橋大学)
 以上。これらのうち若干のものについては、論及する機会を別にもちたい。何度か言及した、憲法学者・樋口陽一も上記のとおり、執筆者の一人だ。

0490/「政治謀略」新聞・朝日と現憲法九条二項。

 朝日新聞(社)が<政治運動>団体であるのは明瞭だが、読売新聞や産経新聞もまた<政治的>主張をしており、その<政治>性だけでは、他の新聞社と区別し難い。そこで、<謀略を使った政治活動をする新聞>という意味で、朝日新聞のことを、今後、「政治謀略」新聞・朝日と称することにする。
 ごく最近でも、映画「靖国」に対して自民党国会議員・稲田朋美が「圧力」を加えたがために上映中止映画館が出てきたとのイメージをばら撒く「政治謀略」報道をした。また、5年前には、そもそもが自社の本田雅和と民間<市民>団体(とくにその役員・朝日出身の松井やより)との「距離の近さ」をこそ問題にすべきだった事例にもかかわらず、安倍晋三・中川昭一という政治家がNHKに「圧力」を加えたとの捏造報道をし、それが断定し難くなるや、政治家とNHKの「距離の近さ」に問題をすり替えたりして、結局は、安倍晋三・中川昭一が何か圧力的行為をして<関与>したらしいというイメージをばら撒く「政治謀略」も行った。
 そういう新聞社が行う世論調査の数字がいかほど正確なのかは疑問だが(いかようにでも操作できるし、朝日なら操作するだろう)、5/03朝刊は憲法九条改正反対が66%との大きな見出しを打った(少し読めば憲法全体について改憲か現在のままかでいうと改憲派の数字の方が多い)。朝日新聞だから<誇らしげ>でもある。
 この数字や「政治謀略」新聞・朝日の記事を見ていて思ったのは、では、現在ある自衛隊と憲法九条との関係を国民は、そして朝日新聞はどう理解しているのだろうか、ということだった。<現在の自衛隊は憲法九条(二項)に違反すると思いますか思いませんか>という問いを発して回答を得ないと、憲法九条(二項)問題についての世論調査は完結したものにならないだろう(他に日米安保条約・米軍駐留の合憲性という問題もあるが、以下では触れない)。
 憲法九条二項は「…、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記する。自衛隊は、素直に又は常識的に判断して、「陸海空軍その他の戦力」ではないのか? だとすると、現在の自衛隊は違憲の存在で、<九条を実現する>ためには、自衛隊を廃止するか、合憲の範囲内のものへとその「武力」を削減しなければならない。自衛隊の存在自体が違憲なら、それのイラクへの派遣が違憲であることは論じるまでもなくなる。
 しかるに、朝日新聞はこの点を曖昧にしたままだ。自衛隊は違憲と判断しているなら、なぜ、その廃止又は縮減を堂々と主張しないのか? 「日本国憲法―現実を変える手段として」という見出しの5/03社説を書くのなら、「現実を変える」ために、自衛隊の廃止・縮減をなぜ主張しないのか? それとも、現在の自衛隊は合憲だ(=「陸海空軍その他の戦力」ではない)と判断しているのか? これを曖昧にしたまま、九条二項の条文だけは改正させない、というのが朝日新聞の主張ならば、それは<謀略性>を隠した幼稚なものだ。
 東京大学元教授の樋口陽一は、<現実を変えないという発想が現在では「現実的」>旨の驚くべき(九条)護持論を述べ、東京大学現教授の長谷部恭男は<解釈改憲ですでに済んでいるのにあえて条文改正する必要はない>旨のこれまた驚くべき主張をしている。
 「政治謀略」新聞・朝日は、これらの呆れた九条護持論に乗っかっているのだろうか。
 このような、現在の自衛隊は合憲と判断した上での(呆れた)九条護持論に立っているのだとすると、九条(とくに二項)が改正されれば(二項が廃止されて自衛隊が自衛軍・国軍だと正式に認知されれば)戦争になる、というのはとんでもないマヤカシの議論だということが明確になる。<九条が改正されても戦争にならないと思っている人へ>などとの一般国民の無知・知識不足につけ込んだ謀略的宣伝が犯罪的なデマであることが明瞭になる。
 自衛隊は実質的にはすでに「…その他の戦力」なので、それを自衛軍・防衛軍・国軍等と何と称しようと、その本質が変わるわけではない、と考えられる。集団的自衛権の問題には立ち入らないが、<自衛・防衛>のためにのみ戦争又は交戦できることに変わりはない(そのような「正しい」戦争はある)。また、九条二項が改正されなくとも実質的には「戦争」は発生しうるのであり、現在まで直接に自衛隊と日本国家が「戦争」に巻き込まれていないのは九条二項があるためでは全くない。核兵器をもつ米国軍が日本に駐留していて、他国が日本に対する<侵略>戦争を仕掛けられないためだ。
 九条二項を改正して、自衛隊を正規の自衛軍・防衛軍・国軍と認知すべきだ。<大ウソ>をつき続けるのはいい加減に止めなくてはならない。自衛隊を正確に軍隊と位置づければ戦争の危険が増大するなどというのは、とんでもない妄言で、<日本には「軍隊」はない>という<大ウソ>に満足して現実をリアルに認識しようとしない観念主義者、「軍隊」はないのだから「戦争」も起こりえないと考える<言霊>主義者だろう。
 日本に<自衛>・<防衛>のための正規軍を持たせず、有事の際には個々の国民の(竹槍でも持った?)ゲリラ的抵抗に委ねる、などという発想は、それこそ国民の「平和に生存する」権利・「安全」権を国家が保障することを妨げるものだ(日本「軍」は<侵略>しかしないと考えるような反日本主義者・自虐者とは、議論がそもそも成立しない)。
 朝日5/03の記事の中で辻井喬(作家、西武グループの経営者)が「徴兵制、海外派兵」等(もう一つは「侵略戦争」だったか?)の三つの禁止を明記することも考えられるとか語っていた。この発言は現二項を前提とする(改正しないままの)ものだろうか、それとも自衛隊の「軍」としての認知を前提とする発言なのだろうか。たぶん前者なのだろう(辻井喬は九条の会賛同者の一人だ)。だが、「徴兵制、海外派兵」(「侵略戦争」も?)のように「兵」(「戦争」も?)という言葉を使っており、これは自衛隊が少なくとも実質的には「軍隊」であることを肯定している用語法だと考えられる。
 九条二項の改正によって自衛隊の自衛・防衛「軍」として正式に認知することには反対しつつ、一方では自衛隊が「軍」であることを前提とするが如き「徴兵制、海外派兵」等の概念を用いることは自家撞着だと、(言葉には繊細なはずの)辻井喬は感じないのだろうか。
 同じことは、朝日新聞にも、九条(二項)改正に反対しつつ、現在の自衛隊は合憲だと考えている人々にも言える。
 戦後の<大ウソ>(の重要な一つ)を改めないといけない。政府や大マスコミが<大ウソ>をつき続けて、子どもたちに<ウソをついてはいけない>と教育できる筈がない。
 それにしても、「政治謀略」新聞・朝日の、憲法九条をめぐる観念遊戯・言葉遊びぶりは顕著だ。5/03社説の最後に「一本調子の改憲論、とりわけ自衛隊を軍にすべきだといった主張」という表現をして批判しているが、「自衛隊を軍に」することによって、いかなる<悪い>変化が生じると考えているのか、具体的にきちんと述べるべきだろう。現在の自衛隊が合憲と考えているなら、「自衛隊を軍に」しても実質的・本質的には変わりはない(集団自衛権、国際協力については別に論ずべき点があるだろうが、基本的には異ならない)。少なくとも<悪い>方向に変わることはありえない(「軍」としての法的整備をすればイージス艦衝突事故は避けられ、海外で被害を受ける日本国民の「武力」救出等も可能になるとすればむしろ<よい>方向への変化が生じる)。一方、朝日が現在の自衛隊は違憲と考えているなら、上記のとおり、その廃止・縮減を堂々と主張すべきだ。
 朝日新聞は、重要なポイントを意識的に誤魔化しているように思われる。意識的にではないとすれば、言葉・観念の世界に酔っている<アホ>だ
 現憲法の条項のままだと、現在のような<ねじれ国会>のもとでは(与野党の調整・協議が功を奏さず、対立したままであるかぎり)一部以外の法律は全く成立しない(国会が立法できない)、という異様な状況が現出する。この問題に触れて、読売新聞5/03紙上の座談会では2人が、衆議院による再可決の要件を2/3から1/2に改正すべきとの発言をしている。このような、現実的な議論は朝日新聞紙上には見られなかったようだ(むしろ衆議院の地位を高めることに反対の世論の方が多いと報道していたが、現状をきちんと把握したうえで質問し回答しているのか極めて疑わしい)。
 「政治謀略」新聞・朝日<言葉・観念遊戯>新聞・朝日、がある程度の影響力をもち続けるかぎり、日本の将来は暗い。朝日新聞だけを読んでいる国民は現実を正しく又は適切に把握することができない。この旨を、今後も何度でも繰り返すだろう。

0443/読書メモ2008年3/30(日)-その2。

 先週のいつだったか、西尾幹二・日本人は何に躓いていたのか(青春出版社、2004)の第五章・社会(p.232-266)、実質的には「ジェンダー・フリー」主義・同教育批判、だけを読んだ。
 「ジェンダー・フリー」教育のおぞましさ・異様さ、そして<男女共同参画社会>推進政策の狡猾さ、は既に知っていることなので驚きはしない(最初に知ったときは驚愕した)。
 西尾幹二は、しかし、いくつか記憶に残る言葉・文章を記している。
 ・「過激なフリーセックスは、レーニンの指導する共産主義社会で実際に行われて、既に失敗だったと結論が出て、スターリンが是正した歴史が残っています…」(p.241)。
 こんなことは知らなかった。
 ・「フランクフルト学派とか、ポストモダンとかいう思想」は、欧州では「たいてい」、「大都会の片隅の深夜の酒場にたむろするタイプの一群の特定な思想の持ち主たち」に支持されている「思想」だ(p.243)。
 なるほど。きっと反論する人がいるだろうが、イメージは湧く。
 ・(上と基本的に同旨を含む)「男女は平等」だが「別個の違う存在」なのに「意図的に混在させ、区別なしに扱うのは反自然な思想」でないか。かかる考え方は「いわゆるフランクフルト学派や、ポストモダン、とりわけ自ら同性愛者であるような思想家、ミシェル・フーコーのような人たちによって推進されました」(p.256)。
 そういえば、思い出したが、評論家?の武田徹はミシェル・フーコーの
「言説を引用」することがある、と石井英之が称賛するが如く書いていた。
 ・中川八洋の『これがジェンダーフリーの正体だ』との本によると、上野千鶴子は、名詞の性の違い(女性名詞・中性名詞・男性名詞)を示す「文法用語」にすぎなかった「ジェンダー」(性差)を「フェミニスト運動の都合にあわせて」作った(引用されている上野の原文では「…を主張するために生まれました」)と「告白」している。
 セックスとジェンダーの違いは、なんて勉強?したのはいったい何だったのだ、と言いたくなる。
 ・上野千鶴子を教員として招いたのは、「東大の判断がおかしい」。昔は別だが「今はそもそも東大というのは左翼の集団です…」(p.265-6)。
 (なお、西尾が上野千鶴子を「左翼フェミニスト」と形容していた記憶があるが、再発見できなかった。)
 東京大学という最高?学府に<左翼的な>教員・研究者が<多い>印象があるのは確かだ。東京大学所属だから目立つ面はあるのだが、-「左翼」という語の定義に立ち入らないが-憲法学の樋口陽一(前)、長谷部恭男蟻川恒正は<左翼>又は少なくとも<左翼的>だろう。さらに遡れば、小林直樹芦部信喜だって…。靖国問題(ちくま新書)を書いた高橋哲哉も東京大学(教養学部?)だ。もっと古くは、GHQに協力して一時期は<左翼的>だった横田喜三郎(のち、最高裁長官)は法学部で国際法担当、<進歩的知識人>の御大・丸山真男は法学部の政治学(政治思想史)担当、といった具合。過去および現在に、他にも気のつく人物は多い。東京大学出身の上級官僚や法曹は、こういう人たちの「教育」を受けて生まれてくる(きた)のだ…。
 この最後のテーマ(東京大学と「左翼」、そして一般社会)は別の機会にも言及する。

0422/吉田司の日経3/16書評におけるポル・ポトとフランス革命。

 日経新聞3/16の書評欄の一つを読んで、驚いた。というか、やはり、なるほど、との思いも半分以上はした。
 吉田司フィリップ・ショート著・ポル・ポト(白水社、山形浩生訳)を紹介・論評しているのだが、まず、「私たちは」1970年代後半にポル・ポトの「赤色革命を”社会主義の実験”として高く評価した」という最初の文自体が奇妙だ。
 「私たち」とは誰々なのか知らないが、ポル・ポト支配のカンボジアを「高く評価した」のは、社会主義幻想をまだ持っていた一部の者たちに他ならないだろう。吉田司もその奇矯な人々の中に含まれるのかもしれない。
 (奇矯な者のうち著名なのは、朝日新聞記者で、一時はテレビ朝日の夜のニュース番組で久米宏の隣に座っていた和田俊という人物だった。彼は、朝日新聞1975年4/19でこう書いた-「カンボジア解放勢力」は「敵を遇するうえで、極めてアジア的な優しさにあふれているように見える。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待に応えるかもしれない」。「民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式から見て、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか」。)

 驚き、かつ納得もしたというのは、上のことではなく-原本ではなくあくまで吉田司の文章によるのだが-パリへの国費留学生だったポル・ポトたちはマルクス主義文献を読解できないほど無能で、「結局、ポル・ポトが社会主義革命を理解したお手本は無政府主義のクロポトキンが書いた『フランス大革命』だったという」との部分だ。吉田の文を続ければ、フランス革命とは「…血みどろな生首が飛ぶあのジャコバン党の恐怖政治=ギロチン革命のことである」、ポル・ポトたちは「十八世紀フランスを夢見ていた」。
 フランス革命とマルクス・レーニン主義→ロシア革命の関係にはすでに何度か触れたことがあり、フランス革命がなければロシア革命も(そして総計一億人以上の「大虐殺」も)なかった、との旨を記したことがある。さらにはフランス革命を準備したルソーらの「啓蒙思想家」(遡ればデカルトらの「理性主義者」)を「近代」を切り拓いた<大偉人(大思想家)>の如く理解すべきではない(むしろ<狂人>の一種だ)旨を記したこともあった。
 そのような指摘が誤りではないことを、ポル・ポトに関するフィリップ・ショートの本は確認させてくれるようだ。
 フランス革命がなければ、クメール・ルージュの<大量虐殺>もなかった。フランス人は、あるいは一八世紀の「変革」を導いた<進歩的な>思想をばら撒いた一部の者たちは、後世に対して何と罪作りなことをしたものだろう。
 あらためてフランス革命やロシア革命後の、さらには北朝鮮や中国で<自国政権によって虐殺された人々>を哀悼したくなる。また、「近代」への画期としてフランス革命を理解・賛美し、そのような「イデオロギー」に染まって一般国民又は一般大衆を<指導>してきた日本の<進歩的知識人>たちの責任を問いたくなる(桑原武夫を含む。樋口陽一もその後裔ではないか)。
 ところで、フランス革命→ロシア革命という繋がりが見えてしまうと、ポル・ポトらがフランス革命を「社会主義革命」の「お手本」(吉田)にしたのは不思議でも何ではなく、吉田司が「なんという時代錯誤のファンタジー、革命のファルス(笑劇)だ!」と大仰に書くほどのことではないだろう。書評文の「70年代に仏革命めざした悲劇」という見出し自体がミス・リーディングの可能性すらある。通説的・通俗的なフランス革命観を持っている、吉田の蒙昧さを垣間見る思いもするのだが…。

0420/樋口陽一・「日本国憲法」-まっとうに議論するために(みすず)の気になる三点。

 樋口陽一・「日本国憲法」/まっとうに議論するために(みすず)を読んでいて、気になる箇所がある。以下、二、三点だけ挙げる。
 第一は日本国憲法の成り立ちに関係する。
 樋口は「だれにとっての「おしつけ」?」という見出しを付けた文章の中で、新憲法は国民一般に抵抗なく受容されたが(日本国民自身の)「広範囲で強い動きの結実」としてできたものではないとしつつ、「当初は受け身で歓迎された」憲法がその後「借り着が…だんだん合ってくるように、人びとの間でなじんできたという積極面を、重んじたい」と言う(p.30、p.32)。
 「おしつけ」られたとは言わなくとも、樋口もまた日本国憲法が日本国民にとっては受動的に与えられたものであることを肯定している(と見られる)ことにまずは着目したい。だが、そのような憲法が「人びとの間でなじんできた」というのは何故「積極面」と評価されることになるのかは必ずしもよく解らない。日本国憲法(の内容)を「積極」的に評価したいという結論が先取りされているような気もする。
 気になるのは上の点ではなく、むしろ次の点だ。
 樋口はつづいて「外来のものが定着した例」という見出しを立て(p.32)、憲法についてもそのような例はあるとする。
 まずは、日本国憲法が「外来のもの」であることを樋口自身も肯定していると読める見出し・内容になっていることが注目される。
 問題は、憲法について「外来のものが定着した例」として西ドイツ憲法を挙げていることだ(そのようにしか読めない)(p.33)。
 西ドイツ憲法はドイツ人自らが(ヘレン・キーム・ゼー湖畔又は島で)議論して草案を作ったのであり、日本国憲法の場合のマッカーサー草案なるものに該当するものがあったわけではない。決して「外来のもの」ではないのであり、この点では明らかに誤った叙述をしている。
 もっとも、東西統一後も旧東独地域にそのまま適用され「しっかりと定着して」いることをもって、旧東独国民にとっての「外来のもの」が旧東独国民に「定着」している、という趣旨なのかもしれない。
 だが、後者のように理解するとしても、元来は同一又は同様の文化・歴史をもちワイマール憲法という同一の憲法下にあった国民のうちの旧東独国民にとって西ドイツ憲法=「(ボン)基本法」が「外来のもの」だというのはかなりの牽強付会だろう。ましてや、その例だけを示して<外来の憲法が定着した例>だとし、かつ日本国憲法にあてはめて、「借り着をぬぎ捨て」るか「自分自身の自己表現のシンボルにまで高める」か(p.33)、と後者の方向を主張するための論拠とするのは(そのようにしか読めない)、相当に無理がある、論理展開に飛躍がありすぎる、と論評すべきだろう。
 第二は、改憲論にかかわる。樋口は随所でそれとなく改憲論を批判する又は皮肉る表現を用いているが、p.144では、「九条改憲の論拠は、世の中の流れに応じて少しずつ変わってきました」と述べたうえで、こう続けている。
 <「戸じまり」論からはじまって、「西側陣営の一員」、「シーレーン防衛」(〔略))、「邦人救出」(〔略))、「国連協力」……というふうに。今では武力行使を正当化する最大のものは「人権・人道のため」です。>(p.144)
 これが「九条改憲の論拠」だと樋口が理解しているとすれば、かなり皮相的で、憲法改正論の基本的趣旨・立脚点を―ここでは立ち入らないが―理解できていない、と評してよいように思われる。そして、そのあとの叙述も含めて、批判しやすいように対象を歪めて描いておいてから、実像ではないものに唾を吐きかけている、というような印象が―やや下品な表現となったが―ある。
 第三に、ついでに加えておくが、司馬遼太郎の議論又は認識の理解に誤りがあるように思われる。
 樋口によると、司馬遼太郎は(日本を愛していたからこそ)「日本の近代」をあえて「異胎」と呼んだ。
 たしかに引用されている司馬の文章からすると(p.148。正確かどうかは確認していないが、正確なことを前提にする)、上のように理解できる。
 だが、司馬が(かりに明治維新以降から昭和戦前を「日本の近代」と称するならば)「日本の近代」を丸ごと、あるいは全時期にわたって<異様な>ものだったとは理解していないことは、彼の文章・小説を読めば容易にわかることだ。
 「日本の近代」すべてを「異胎」だと感じる一方で、幕末から日清・日ロ戦争頃までについて長短ともに多数の小説を書き、その時代の諸人物を情熱をかけて描く作品を生み出すことなどできるわけないだろう。
 司馬が批判し嘆いていたのは「日本の近代」全体なのではなく、端的にいえば<昭和・戦前期>だった、と間違いなく思われる。その趣旨の指摘・文章を彼は多数残している(このような所謂<司馬史観>に対する批判も少なくないのだが、立ち入らない)。
 したがって、樋口が引用する司馬の『この国のかたち』の中の文章でいう「日本の近代」という語は形式的に理解されてはならず、一種のレトリック、あるいは「日本の近代」の中の特定の時期を実質的には指している、と読むべきものと思われる。
 樋口は自説・自分の論述の流れに都合のよいように司馬の文章を利用している可能性が高い。
 むしろ、樋口自身に対して訊いてみたいものだ。日清・日ロ戦争も<非難されるべき「侵略戦争」だった>のか?、明治期の主流派政治家の動きはすべて<非難されるべき「日本帝国主義」を生んだものだった>のか?、つまりは幕末期に明確な萌芽が出現してきた<「日本の近代」全体が―少なくとも「基本的」・「本質的」には―「異胎」だった>と考えているのか?、と。

0419/イージス艦衝突事故、毒入り餃子事件。

 最近の<事件>の一つはイージス艦と漁船の衝突事故。マスメディアのほとんどは、3/13のNHKの「クローズアップ」(午後7時30分~)も含めて、海上自衛隊の側に<責任>があるとの姿勢で一貫して報道している。
 強く大きい船体と組織対弱く小さい漁船で、しかも漁船(民間側)にのみ被害者が出たとあっては、防衛省・海上自衛隊を批判する格好の材料になるのだろう。
 しかし、冷静に考えれば、<事故>の責任の所在、過失の割合・程度については<権威ある>又は<(とりあえず)正式の>決定又は報告は殆どなされておらず。今のところはほとんどが推測にすぎないのではないのだろうか。
 上の旨を産経新聞3/05湯浅博の「世界読解」は述べており、その隣には、「海上自衛隊は、理性的に評価されるべきだ。原因が完全にはまだ分からないのだから」で終える米国元軍人(ジム・アワー)の寄稿が載っている。
 むろん自衛隊側に100%の責任(・過失)があった可能性はあるのだろうが、早々の<防衛省・海上自衛隊バッシング>は戦後日本を-マスメディアも重要部分として-覆う<反国家主義>・<反軍事主義>を背景としているように思われる。
 産経新聞2/29の「正論」欄で西尾幹二は「軍艦側の横暴だときめつけ、非難のことばを浴びせかけるのは、悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈しただけのこと」と言い切っている。この指摘には共感を覚える。
 それにしても、西尾も言及しているように海上自衛隊のイージス艦(西尾は「軍艦」と明記)が法的には-海上衝突予防法等だと思われる-「一般の船舶」と同じ扱いを受けるというのは、<有事>の場合は別の法制がおそらく適用されるのだとしても-確認していない-、奇妙なことだ。日本防衛の重要な役割を与えるのだとすれば、<有事>の場合に限らず、その役割にふさわしい法的処遇を与えるべきではないのか。
 前後するが、<福田首相が行方不明者の家族を訪問するのが遅すぎた>とか騒いで報道していたテレビ放送局は、まともな報道機関なのか。
 毒入りギョーザ事件については、月刊WiLL4月号(ワック)の山際澄夫「毒餃子、朝日は中国メディアか」が有益だった。朝日新聞の定期購読者でないので、この問題(事件)についても朝日新聞が徹底的に<親中国>であることがよく分かる。
 いちいち書くほどのことではないし、この欄でも殆ど具体的には触れていないが、中国と北朝鮮はまともな理屈や常識が通用するような国ではない。
 産経新聞3/13櫻井よしこ「福田首相に申す」(月一連載)は、中国を「実に言葉の正しい意味で、異形の国家」と形容している。<異形>・<異常>・<異様>・…、他にも同旨の言葉はあるだろう。
 その中国は昨年5月に米国に対して、太平洋の東西をハワイを基点に米中で「分割管理」することを打診したとか(産経新聞3/13)。日本周辺の海域は当然に中国の<管理>とする案だ。
 最近書いたように、東アジアではいわゆる<自由主義国>といわゆる<社会主義国>の<冷戦>は続いている、と認識しておくべきだ。この冷戦に米国がどの程度コミットするか、できるかも日本の将来とむろん無関係ではない。
 佐伯啓思や樋口陽一等の本のみを読んで、現実の<世相>を知らないわけでは全くない。いちいち言及するのが煩わしいし時間的余裕の問題もある。だが、むろん、今後もできるだけ論及して、自分自身による記録ともしておきたい。

0418/樋口陽一・「日本国憲法」-まっとうに議論するために(みすず)全読了。

 樋口陽一「日本国憲法」/まっとうに議論するために(みすず書房、2006)のp.114~p.154までを一気に読んで、全読了(p.94以下の第四章は3/08に読了していたようだ)。
 「まっとうに議論するために」との副題らしきものにかかわらず、樋口の他の本の方が面白いし、優れているようだ。
 150頁程度の本ではやむをえないかも知れないが、気になる点、わかりにくい点がある。
 例えば、「改憲論」を批判したいのだろうが、最後に(p.153-4)かなり長く引用されているJ・ダリダの文章がいかなる意味で(「改憲論」との関係で)「意味深い」のか、私には理解できない。殆どの読者にとってもそうではないか。「ヨーロッパ主義」にかかわる文章が日本の憲法の改正論議とどう関係するのか?
 気になる点、疑問視したい点は別の機会に述べる。

0417/丸山真男全集の一部を読む-欧州「啓蒙主義」追随者・「進歩」主義者の<自認>。

 「保守主義」と「進歩主義」の差違・対比について佐伯啓思が述べている部分を先日に要約した。
 これとの関係で、丸山真男が次のように明確に述べているのは興味深い。丸山真男集・第12巻(1996.08)所収の「『現代政治の思想と行動』英語版への著者序文」にある文章で、これは基本的には1962年に英文で丸山が書いたものを1982年に一部手直しをしつつ日本語化したもののようだ。
 すなわち、「私は自分が十八世紀啓蒙主義の追随者であって、人間の進歩という『陳腐な』観念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する」(全集12巻p.48)。
 何ともあっけらかんとしたものだ。これで済ますことができた時代の学者・知識人は<楽>だったに違いない。
 全集のこの巻(1982~1987)には丸山真男とマルクス主義との関連、丸山の思想的背景等を示す文章が収録されていて、資料的価値は高いだろう。
 なお、樋口陽一は、全集第10巻(1996.06)の月報に登場して、丸山真男を「先生」と呼び、丸山のある文章の慧眼ぶりを敬意をもって記す文章を載せている。さすがに<進歩的知識人>の衣鉢を継いだ者というべきだろう。
 ついでに、全集第8巻(1996.02)の月報の執筆者は、日高六郎、三木睦子、筑紫哲也の三名だ。全部を見たわけではないが、岩波が依頼したはずの月報執筆者は、全員がいわゆる「左翼」のオン・パレードではないか。

0416/佐伯啓思のいくつかの本を読んでの付随的感想二つと樋口陽一。

 全て又は殆どではないが、佐伯啓思の本を読んでいて、感じることがある。
 第一は、佐伯の仕事全体からすれば些細なことで欠点とも言えないのだろうが、欧米の「思想(家)」には造詣が深くとも、日本人の政治・社会・経済思想(家)-漱石でも鴎外でもよいが-については言及が少ないことだ。無いものネダりになるのだろうが、この点、「日本」政治思想史を専門としていたらしい丸山真男とは異なる。
 だが、丸山真男よりも劣るという評価をする気は全くない。丸山真男には岩波書店から安江良介を発行者とする「全集」(別巻を含めて計17巻)があり、さらに書簡集まで同書店から出ているようだが、いつかも書いたように、そこまでの内容・質の学者又は思想家だったとは思えない(<進歩的知識人>の、客観的には又は結果的には浅薄で時流に乗った文章の記録にはなる)。
 むしろいずれ将来、佐伯啓思については既刊行の著書も全て再録した「全集」をどこかの出版社が出してほしいものだ。それに値する、現在の「思想家」ではないか。
 第二に、佐伯はしばしば<冷戦の終了(冷戦体制の崩壊)>という旨の表現を簡単に使っている。しかし、<冷戦終了>(フクシマの「歴史の終わり」)もまた欧米的発想の観念で、<冷戦が終了した>と言えるのはソビエト連邦が傍らにあった欧州についてである、そして、アジア、とくに東アジアではまだ<冷戦は続いている>、のではなかろうか。
 欧州を祖地と感じる国民が多いと思われるアメリカにとってはソ連崩壊は自らのことでもあったが、北朝鮮・中国については、どこか<遠い>地域の問題という感覚が(ソ連の場合に比べてより強く)あるのではないか。
 北朝鮮・中国(中華人民共和国)が近隣にある日本はまだ、これらの国との<冷戦>をまだ続けている、と認識すべきだろう。そして、<冷戦>からホットな戦争になる可能性は厳として残っていると考えられる。
 <冷戦終了>=ソ連崩壊・解体(+東欧の「自由化」等)によって<社会主義>・<コミュニズム(共産主義)>あるいは<マルクス主義>というイデオロギーは大きな打撃を被った筈で、このことの影響・インパクトを軽視し、又は巧妙に誤魔化している<親社会主義>の(又は、だった)学者・文化人への批判を、おそらく佐伯もするだろう。ましてや、ソ連は「(真の)社会主義国」でなかったと言い始めた日本共産党に対しては<噴飯もの>と感じているだろうと推測はする。但し、北朝鮮・中国問題への関心が現実的重要性からするとやや少ないように感じられるのは残念ではある(これも無いものネダりかもしれないが)。
 ところで、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)は1689(英国・権利章典)、1789(フランス革命)、1889(明治憲法施行)の各年に次ぐ4つめの89年の1989年も重要なことがあった、として次のように述べている。
 「…旧ソ連・東欧諸国での一党支配の解体です」(p.29)。
 ここの部分は多くの論者によるとソ連等の<社会主義国の崩壊(解体)>と表現されるのではないかと思うが、樋口は「一党支配」と言い換えている。だが、「『権力の民主的集中を掲げて対抗してきた旧ソ連・東欧諸国での一党支配の解体」という表現は、本質を、あるいはその重要性を少なからず隠蔽していると感じられる。その意味で、<政治的>に配慮された表現を採用している、と思われるのだが、<深読み>かどうか。

0413/佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社)を読みつぎ、樋口陽一の本も。

 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の内容の一部に今年の1/12と1/30に言及していて、自らの記載を辿ってみると、言及部分は、後者ではp.95以下、前者ではp.181以下と明記されていた。その後しばらく放念していたが、先週に思い出して、第Ⅱ章のp.260まで読了(あと40頁で最後)。p.70までの序章は読了しているか不明だが、少なくとも半分には読んだ形跡がある(傍線を付している)。
 同・自由とは何か(講談社現代新書)と同様にやはり面白い。読書停止?中の同・隠された思考(筑摩、1985)よりも読み易く、問題意識がより現実関係的だ。但し、筆者は隠された思考の方に、時間と思索をより大きく傾注しただろう。
 紹介したい文章(主張、分析、指摘等々)は多すぎる。
 p.212以下は第Ⅱ章の3・「『歴史の終わり』への懐疑」で、F・フクシマのソ連崩壊による「歴史の終わり」論を批判して、そこでの「歴史」とはヨーロッパ近代の「リベラル・デモクラシー」のことで、それは20世紀末にではなく「実際には19世紀で終わっていた」(p.219)と佐伯が主張しているのが目を惹いた。
 その論旨の紹介は厭うが、その前の2・「進歩主義の崩壊」からの叙述も含めて、意味は理解できる。
 一部引用する。①欧州思想界の主流派?の「進歩主義」(→戦後日本の「進歩的」知識人)に対して、19世紀のーチェ、キルケゴール、ドストエフスキー、20世紀のベルグソン、シュペングラー、ホイジンガー、オルテガ、ハイデッガーらは「近代を特権化しようとする啓蒙以来のヨーロッパ思想、合理と理性への強い信頼に支えられたヨーロッパ思想がもはやたちゆかないというペシミズムの中で思想を繰り広げ」た。「もはや進歩などという観念は維持できるものではなくなっていた」(p.219~220)。
 ②「歴史の進歩の観念」=「個人の自由と民主主義からなる近代市民社会を無条件で肯定する思考」は「実際には…二十世紀には神通力を失っていた」。「近代、進歩、市民社会、といった一連の歴史的観念は、一度は破産している」(p.222-223)。
 これらのあと、(戦後)日本の<進歩主義>又は「進歩的」知識人に対する<批判>らしきものがある。
 ③欧州の「進歩」観念を「安易」に日本に「置き換えた」ため、「進歩の意味は、…検証されたり、…論議の対象となることなく、進歩派という特権的知識人集団の知的影響力の中に回収されてしまった」。「進歩は、…進歩的知識人の頭の中にあるとされた。彼らが進歩だとするものが進歩なのであり、これは多くの場合、ヨーロッパ思想の中から適当に切り取られたもの」だった(p.224)。
 ④「普遍的理念としての進歩の観念(近代社会、市民社会、自由、民主主義、個人主義、人権など)は、戦後のわが国では、ただ進歩派知識人という社会集団の頭を占拠したにすぎない」(p.225)。
 このあとの展開は省略。
 「進歩的知識人の頭の中」だけ、というのはやや誇張と思われる。「進歩的知識人の頭の中」だけならいいが、書物や教育を通じて、「進歩的知識人」が撒き散らす概念や論理は<空気の如く>日本を支配してきたし、現在でもなお有力なままではないか、と思われるからだ(この旨を佐伯自身もこの本か別の著に書いていた筈だ)。
 但し、別の所(p.200)で「大塚久雄、丸山真男、川島武宜」の三人で代表させている戦後日本の<進歩的>知識人たちが、欧州<近代>を丸ごと、歴史的・総合的に<学んだ>のではなく、ルソー、ケルゼンらの<主流派>の思想、現実ないし制度へと採用されたことが多かったような「通説的」?思想のみを「適当に」摘み食いしてきた(そして日本に<輸入>してきた)という指摘はおそらく適切だろうと思われる。
 上の本に併行して、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)を先週に読み始め、2/3以上になるp.114まで一気に読んだ(最後まであと40頁)。とくにむつかしくはない。「まっとうな」憲法論議の役にどれほど立つのかという疑問はあるが、いろいろと思考はし、問題設定もしている(但し、本の長さ・性格のためかほとんど具体的な回答は示されていない)ということは分かる。
 <個人主義>(個人の尊重)との関係で佐伯と樋口の両者の本に同じ回に言及したことがあった。
 上で<ヨーロッパ近代>や「進歩的知識人」に関する佐伯の叙述の一部を引用した動機の一つは、次の樋口の、上の本の冒頭の文章を読んだからでもある。
 <自己決定原則は「自分は自分自身でありたい」との「人間像」を前提に成立していたはず。実際には、「教会やお寺」・「地元の有力者」・「世間の風向き」などの他の「だれかに決めてもらった」方が「気楽だ」という人の方が「多かったでしょう」。しかし、「そんなことではいけない」というのが「近代という社会のあり方を準備した啓蒙思想以来の、約束ごとだったはず」だ。この「約束ごと」に対する「公然とした挑戦が…思想の世界でも」説かれはじめた、「『近代を疑う』という傾向」だ。>(p.10)。
 樋口陽一は丸山真男らの先代「進歩的知識人」たちを嗣ぐ、重要な「進歩的知識人」なのだろう。上の文のように、「近代」の「約束ごと」を墨守すべきことを説き、「『近代を疑う』という傾向」に批判的に言及している。
 樋口のいう「近代」とは<ヨーロッパ近代>であり、かつ欧州ですら-佐伯啓思によると-19世紀末には激しい批判にさらされていたものだ。樋口はまるで人類に「普遍的な」<進歩的>思想の如く見なしている。
 樋口に限らず多数の憲法学者もきっと同様なのだろう。特定の<考え方>への「思い込み」があり、特定の<考え方>に「取り憑かれて」いる気がする。
 日本国憲法がそのルーツを<ヨーロッパ近代>に持ち、「人類」に普遍的な旨の宣明(前文、97条)もあるとあっては憲法学者としてはやむをえないことなのかもしれない。しかし、憲法学者だから日本国憲法が示している(とされる)価値をそのまま<自分自身のものにする>必要は全くなく、むしろそれは学問的態度とは言えないのではないか。憲法学者は、日本国憲法自体を<客観的に・歴史的に>把握すべきではないのか。<よりよい憲法を>という発想あるいは研究態度が殆どないかに見える多くの憲法学者たちは、やはり少しおかしいのではないか。
 筆が滑りかけたが、単純に上の二著のみで比較できないにせよ、参照・言及している外国の思想家等の数は樋口よりも佐伯啓思の方がはるかに多く、思索はより深い。憲法規範学に特有の問題があるかもしれないことについては別の機会に(も)触れる。

0410/佐伯啓思・自由とは何か(講談社新書)を全読了。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書)を全読了。
 最終章的または小括的な「おわりに」にも印象的な文章がある。一部についてのみかなり引用するのはバランスを欠くが、通覧してみる。
 ①<「自由」の意味は「抑圧や圧制」からどう「渇望し…実現」するかではなく、逆に「自由」の「現代的ありよう」が…「さまざまな問題を生み出してしまっている」。>(p.270)
 ②<「自由」を「至高の価値」としてそれを成立させている「何か」に不分明ならば、「誤ったイデオロギー」になる。「何か」を見ないと「個人の自立」・「選択の自由」・「諸個人の多様性」等は「混乱」の原因になる。>(同上)
 ③オルテガは、<我々は「多様な価値の間で選択を余儀なくされている、つまり自由へ向けて強制されている」旨論じた。カストリアディスは<「現代資本主義」の下で「自由」は「個人的な«享楽»を最大限」にするための「補助道具」になっている、と主張した。これらは「決して見当はずれではない」。(p.271-272)
 ④<「自由」(「個人の価値選択の主観性や多様性」→「選択の自由や自立的な幸福追求」)を保障するのは「市場経済」・「中立的国家」・「人間の基本的な権利の保障」という制度をもつ広義での「市場社会」だが、そこで生じているのは、「それぞれの」「享楽」(「富」・「消費物資」・「刹那の快楽」等)を「最大限手に入れようとするいわば『欲望資本主義』だ」。ここでの「それぞれの」は「個人の主体性」を前提にしている。>(p.272-273)
 ⑤<「消費物資や富に自己を預け、自己満足の基準を市場の評価に依存した」「自由」、「メディアやメディア的装置にしたがって自分を著名人にしたり、著名人に近づくことで富を得るチャンスを拡大する自由」は、いかに「個人主義」的選択に基づくと言っても「自立」しておらず、「本来の意味で個人主義的でもない」。>(p.273)
 ⑥<「個人の主体的な自立や自由な選択という概念によって『自由』を論じることができるのか」。(p.274)換言すれば、「現代の個人の自由」とは「先進国の市場経済というある特定の体制」の下でしか成立不可能なもので、「市場や金銭的評価や富と結びついた名声やメディアが生み出す有名性といった特有の現象に随伴」してしか発現できないのでないか。「個人の自立」などは「最初からあり得ず」、「個人の自立した選択」とは「市場経済に依存した見せかけの自立」にすぎないのではないか。「この種の疑問はしごくもっともだ」。>(p.275)
 ⑦<かかる議論・疑問自体が「個人の主体性、その多様性、自由な選択」等の「現代の自由の観念」によって生じている。「個人の自立」は「市場経済体制」ではあり得ないと言っても、その「市場経済体制」を拡大してきたのは「個人の主体性、多様性、自由な選択」という「自由」の観念だ。「自由な選択」がせいぜい「享楽の最大化」だとしても、そのような状況を生み出したのは「現代の『自由』の観念」で、ここに「現代」の「自由のパラドックス」がある。>(p.275-276)
 ⑧<「自由のパラドックス」は、「自由」を「個人の主体性、主観性、多様性」といった観念で特徴づけたことに「理由」がある。「現代の自由」とは「端的」には「個人の選択の自由」だが、かかる特徴づけ・定式化が「あまりに偏狭」だから、つまり「自由」に「実際上、意味を与えている条件、それを支えている条件に目を向けていない」ために「自由のパラドックス」が生じた。>(p.276-277)
 ⑨<そこで、「個人の平等な選択の自由」の背後に「もっと重要な『何か』があるのではないか」と「多層的」に「考察」する必要がある。例えば「自由」と対立的に捉えられがちな「規範」の両者は、後者が「道徳的ニュアンス」・「正義」という観念・「価値」を前提にしているかぎり、切り離すことはできない。>(p.276)
 ⑩<「もっと重要な『何か』」の第一の次元は「善」だろう。「善」とみなすか否かは「共同体」の評価だ。「ある程度共有された価値を持った共同社会がなければ、事実上『自由な選択』などというものはない」。>(p.278-279)
 「もっと重要な」ものは、「多様なレベルの共同体の規範を超えたいっそう超越的な規範への自発的な従属」だ。これをかりに「義」と呼んだ(カントにおける「定言命法」、天、道、儒教上の五倫、仏教上の六度)。(p.279)
 樋口陽一・憲法/第三版p.44(創文社、2007)にはこんな文章がある。「本書は、近代立憲主義にとって、権利保障と権力分立のさらに核心にあるのが個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する見地に立っている」。
 この憲法概説書の中では詳しい方の本は2007年刊。上に見てきた佐伯啓思の本は2004年刊。「個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する」と有力な憲法学者がなお書いている以前に、佐伯は現代の「個人の平等な選択の自由」のパラドクスとその原因、「個人の平等な選択の自由」の背後にあるはずの<もっと重要な「何か」>を論じていたのだ。
 佐伯が特段に優れているというよりも、憲法学者のあまりの<時代錯誤的な遅れ>こそが指摘されるべきだろう。こうした違いは、憲法学が法学の一種として主として<規範>を対象とする(かつ主として<規範解釈>をする)という特質をもつことだけからは説明できないだろう。憲法思想(論)もまた社会思想・政治思想をふまえ、少なくとも参照する必要があるのではないか。問題は、<個人に平等に享受されるべき「自由」>という憲法論(解釈論を含む)上の基礎的・骨格的概念にかかわっているのだから。

0395/佐伯啓思・隠された思考と樋口陽一の「個人の尊重」。

 佐伯啓思・隠された思考-市場経済のメタフィジックス(筑摩書房)の序章「<演技する知識>と<解釈する知識>」、p.3~p.17を昨夜(2/15)読んだ。1985年6月刊の、佐伯が35歳か36歳のときの著。この年齢にも驚くが、序章だけでもすでに相当に(私には)刺激的だ。事実・認識・真実・科学・解釈・学問等々、すべての<知的営為>に関係している。
 佐伯の述べたい本筋では全くないが(本筋の紹介は省く)、次の文章が目に留まった。
 「明確な自己意識つまり自我の成立こそ理性であるとした近代精神は、それ自体が近代の産物であるというところまで洞察することはできなかった」(p.15)。
 思い出したのは、個人の尊重こそが日本国憲法の三原理をさらに束ねる基本的・究極的理念であると述べた(らしい)憲法学者・樋口陽一とその言葉に感銘を受けた旨述べていた井上ひさしだ。
 個人の尊重の前提には<近代的自我の確立した>自律的・自立的個人という像があると思われる。樋口陽一(そして井上ひさし)の<思考>は<近代>レベルのもので、<近代>内部にとどまっている。それはむろん、日本国憲法自体の限界なのかもしれない。
 だが、既述の反復かもしれないが、戦後当初ならばともかく近年になってもなお<個人の尊重>(「個人主義」の擁護にほぼ等しいだろう)を強調するとは、憲法学者(の少なくとも有力な傾向)の時代錯誤ぶりを示しているようだ。講座派(日本共産党系)マルクス主義のごとく、あるいはせいぜい<近代>合理主義者(近代主義者)のごとく、日本と日本人はまだ<近代>化していない、ということを主張したいのだろうか。
 佐伯のいう「近代」とは<ヨーロッパ近代>に他ならないだろう。<ヨーロッパ近代>の精神を学び・習得したつもりの、自律的・自立的個人であるつもりの樋口陽一らは、<遅れた>日本人大衆に向かって(傲慢不遜にも!)説教したいのだろうか。
 個人の(尊厳の)尊重なるものの強調によって、物事が、<現代>社会が動くはずはない。逆に、<共同体>的なもの(当然に「家族」・「地域」等を含む)の崩壊・破壊・消失に導く政治的主張になってしまうことを樋口陽一らは思い知っていただきたい。
 エンゲルス『家族、私有財産及び国家の起源』は「家族」・「私有財産」・「国家」の崩壊・消滅を想定(・<予言>)するものだった。樋口陽一らがこれを信じるマルクス主義者(コミュニスト=日本共産党的にいうと<科学的社会主義教>信者)だとすれば、もはや言うコトバはない(つける薬はない)。ルソーのいう国家=一般意思に全的に服従することで「自由」になるという<アトム的個人>を樋口陽一らが「個人」として想定しているならば、今ごろになってもまだ何と馬鹿で危険なことを、と嗤う他はない。
 佐伯啓思が多くの憲法学者の思考の及ばない範囲・レベルの思考を30歳代からしていたことは明らかなようだ。 

0380/佐伯啓思・現代日本のイデオロギーにおける「個人」と「共同体」の一端

 「個人の尊重」はけっこうなことで「個人主義」もそれ自体は問題はないかにも見える。自立した個人と自分自身を理解しているかもしれない憲法学者の中には、<欧米と比べてまだ劣る>、自立した個人たる意識・主体性のない日本国民を(高踏的に)叱咤激励したい気分の者もいるかもしれない。このことは、前回も書き、もっと前にも触れた。
 またかかる<個人>の位置づけは、当然に<国家>という「共同体」と対峙する(場合によっては<対決する>)<国家から自由>な<個人>というものを想定し、前提にしているだろう。
 かかる<個人>のイメージははたして適切なのだろうか。
 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)には引用・紹介したい部分が多すぎるのだが、ずばり「個人」と「共同体」は対立しない」との見出しから始まる部分(p.95-)を以下に要約して、紹介してみる。
 「個人」・「個的なもの」は農村、家族、国家といった「共同体」と対立するもので相容れない、という理解は近代諸科学から「社会主義運動までを貫くモチーフ」だった。その背景の一つにはマックス・ウェーバーの「薄められたマルクス主義」としての<近代化論>があった。「共同体からの個人の解放が自我の確立である、というような思考様式」が教条化し、「呪術的」な権威をもった(p.95-96)。
 だが、かかる思考様式は「もはやほとんど有効性を失っている」。次の「二重の意味」においてだ。
 第一に、家族・村落共同体からの「個人」の解放は進展しすぎているほどで、一方、「自我の確立した主体的個人」が出現してはおらず、「「近代的自我」なるものは衰弱している」。そもそも、一切の「共同体」から解放された「個」というのは「あまりに強引なフィクション」だ(p.96-97)。
 「共同体」の解体によって「個」は「一切の価値体系や規範のルールから切り離される」。そのことに「近代」人は「自由の意味」を見い出し、「近代化」とは「個人の自由の拡大」だと考えた(p.97)。
 しかし、「価値や規範・ルールから切り離された個人」なるものは「不便でかついびつなもの」に帰結する。大勢の「個人」の自由の衝突・確執を調整する、「共有されうる価値の再確認」が必要で、これは「共同体」の再確認を意味する。「個人の自由」とは「その自由の範囲や様式を定める共有された価値、規範」を前提とするのだ。この「価値、規範」を誰かが強引に決めないとすれば、それは「歴史的に生成する」ほかはなく、まさに「共同体」の形成だ(p.97)。
 「家父長的、封建的社会」ならば個人と共同体は対立しうるが、現代日本では、「共同体」と「個人的自由」を対立させることは「さして意味をもたない」(p.97-98)。
 現代日本での「個人の自立」という「不安定な持ち場」からの「共同体」批判は、「個人」自体をいっそう「不安定」にし、それを「空中分解」させるだろう。「個人性」は「共同性」を「離れてはありえない」のだ(p.98)。
 第二に、現代社会では「共同性」は解体されておらず、逆に個人は無意識に「共同性の罠の中に捕らわれて」いきつつある。「個の確立」の主題化、意見・思想の方向性の形成自体が「ある種の共同性」を前提とし、それを作出している。「個の確立」という記号による主題化が「メディア的媒体を通す限り、ある種の共同体がいやおうなく、…作動する」(p.98)。
 現代社会とは「メディアによる共同化作用が絶え間なく生じている社会」だ。共同体の解体・個人の主体化という議論自体が「メディアを媒介に主題化」されると、「この議論をめぐる共同化された言説空間」ができてしまう。
 なぜなら、一つに、議論自体の成立が、日本語という表現手段による、「日本社会の歴史的、文化的文脈」の共有を必要とする。ここでは、議論できるグループ・階層という「共同体」が実際には想定されているのだ。
 さらに、かかる主題化自体が「共同化」作用をもつ。「何の相互につながりもない人が共通の主題のもとで一定の思考の規範を共有する」に至るから。人々はかくして、「私」の、ではなく、「われわれ」の「共同体からの解放」を問題にしだすのだ(以上、p.99)。
 メディアが議論をマーケットの極限まで拡散すれば、「われわれ」とは「国民」に他ならなくなる。ここで、「国民」という「共同体」の「不可避性」という新たな問題に到達する。
 以上のように、「個人の確立」が「戦後日本社会の課題」だとの「表現そのもの」が、「日本という共同体の文脈を前提に提起されている」のだ(以上、p.100)。
 このあと、佐伯の論述は「メディア的環境とそれが拡散する市場世界が生み出す新たな共同体」(p.101)から、さらに「国家」という「共同体」へと進み(p.111~)、「国家」と「個人」の単純な対立視を批判し(p.111の「国家とは…、『わたし』と『他者』がおりなす応答の慣習化された体系」だとの定義からすれば、「個人」は国家の一部または国家を前提にしてこそ存在しうるものだ)、「国家への深いシニシズムや「反国家主義」が横行」(p.122)していることの分析・批判等がなされているが、紹介はこの程度にとどめる。
 樋口陽一井上ひさしの「個人」観又はそれに関する議論と十分に噛み合ってはいないだろう。だが、佐伯啓思の議論を読んでいると、樋口陽一や井上ひさし、そして多くの憲法学者が想定しているようにも思われる、「個人」・「社会」・「国家」観が―専門分野の違いに帰することはできないと見られるほど―いかに単純・素朴(そして幼稚)であるかが分かるように感じる。
 多くの憲法学者は文献を通じて<頭の中>でだけ、単純なイメージを<妄想>しているのではないか。自分自身を含む<現実>・<実態>をふまえて、かつより緻密な理論を展開してもらいものだ。
 なお、立ち入らないが、佐伯啓思の議論の中に<マスメディア>が「共同体」にとっての重要な要素として登場してきているのは興味深い。<マスメディア>論にも関心を持ち続ける。

0379/親日本共産党作家・井上ひさしと「個人の尊重」。

 樋口陽一・憲法第三版(創文社、2007)は、憲法のどこにも明文では書かれていないことだが、「日本国憲法の基本的諸原理」を「国民主権の原理」、「平和主義の原理」、「人権の原理」の三つにきれいに分けて説明している(p.109~p.165)。憲法の専門書としてはむしろ珍しいと思われるくらいで、こうした「三原理」で説明する本が高校以下の教科書の執筆者(大学の憲法学者も含む)には影響を与えているのだろう(余計ながら、「象徴」としての天皇制度の存置は日本国憲法の「基本的諸原理」の一つではないのだろうか。専門家に尋ねてみたい)。
 ところで、今年1/12のこの欄でこう書いた-「私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し(参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさし
は、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた」。
 この「何かの本」は、不破哲三=井上ひさし・新日本共産党宣言(光文社、1999)だった。
 この本のp.103-4で井上はこう書いている。
 高校同級生の樋口陽一から聞いた「忘れられない言葉」は次だ。…「日本国憲法のアイデンティテイ」は「一般的説明ではその三本柱(主権在民、人権尊重、平和主義)というのが正しい」が、「この三つを束ねる”遡った価値”」は「個人の尊重」だ。「条文でいうと、第一三条」。「国民主権という原理も一人ひとりの個人の生き方を大事にするということが原点でなければならない」。
 この内容は、未読だが、樋口=井上・日本国憲法を読む(講談社)によるらしい。
 上の「個人の尊重」の強調、それを憲法上最大・究極の理念だとすることに、一見問題はないかにも見える。しかし、はたしてそうだろうか。むろん、言葉としては、「一人ひとりの個人の生き方を大事にするということ」に反論し難いのだが、かかる主張の行き着くところをさらに見据えなければならないだろう。とくに憲法学者が強調する「個人主義」、そして<戦後民主主義>のもとで空気の如く蔓延している「個人主義」には胡散臭さを感じているからだ。
 この点は別の回で書こう。
 ところで(と二回目の「ところで」を使うが)、不破=井上ひさしの上の本は、微笑み合いながら並んで立つ二人の写真から始まっている。そして、「わたしにとってかけがえのない大切な一票を日本共産党に投じる」(p.101)井上ひさしが、一生懸命に日本共産党の主張・政策を勉強し?、関連する諸問題も日本共産党の主張・考え方に添って論じる、という、井上の勉強成果報告書の趣がある。
 井上は占領時の現憲法制定過程にも言及していて、鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案のことも知っており、「民間憲法」がマッカーサー憲法を「先取り」していた等と述べて、「押しつけられた」憲法論を批判又は揶揄してもいる(p.191)。
 マルキスト(又は少なくとも親マルクス主義者)・鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案およびこれに焦点をあてた小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書)にはこのブログで以前とり上げたので、ここではもはや触れない。
 強調しておきたいのは、井上ひさしとはただの作家・小説家・戯曲家ではない、じつは日本共産党員であるかもしれないと思ってしまうほどの<左翼イデオローグ>だ、<左翼>活動家だ、ということだ。仔細をいちいち書かないが、不破哲三に迎合しつつ?あれこれと発言・主張している上の本を読むだけでもわかる(この本が当然に日本共産党を<宣伝する>本になっていることは言うまでもない)。
 しかるに井上は、作家等の肩書きを利用して、公正さを装った?文化人として発言しているようであり、司馬遼太郎の菜の花忌という追悼会のパネラーになったりしている。
 ひょっとして昭和・戦前に対する想いでは司馬と井上に共通するところがあるのかもしれないが、司馬遼太郎の基本的作風・基本的考え方の<継承者>のごとく振る舞われると、彼界の司馬遼太郎にとっても大迷惑だろう。司馬遼太郎の<遺産>をいわゆる<保守派>に占領されないために、井上は司馬遼太郎(又は同記念館)関係の行事等に<政策的に>関与しているのではないか、とも勘ぐってしまう。
 日本共産党系作家・文化人の活動には警戒要。大きな顔をしての跋扈を許してはならない。
 追記-最近は佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)と佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の未読の部分を読むことが多かった。まだ、いずれも読了していない。
 1/24の夜に、赤木智弘・若者を見殺しにする国(双風舎、2007)を入手し、一気にp.117-p.286(第三~第五章)を読んだ。面白い。これとの関係で、1/25は堀井憲一郎・若者殺しの時代(講談社現代新書、2006)の一部を読んだ。
  阪本昌成の本(法の支配(勁草))の読書は、遅れている。

0373/まだ丸山真男のように「自立した個人の確立」を強調する必要があるのか。

 昨年の4/16のエントリーの一部でこう書いた。
 「昨年に読んだ本なので言及したことはなかったが、いずれも1997年刊の佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス)、同・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問い直す(PHP新書)は「戦後」・「民主主義」を考えさせてくれる知的刺激に満ちた本だった」。
 これらの具体的内容は紹介していないが、佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)も、ほぼ同時期の「知的刺激に満ちた本」として挙げておく必要がある(他にもあるだろう)。
 この本のある程度詳細な内容紹介をする意図も余裕もなく、メモ程度になる。
 p.181以下が書名と同じ「現代日本のイデオロギー」との論文だが(月刊正論1997.01~06初出)、戦後日本の「進歩」主義、丸山真男・大塚久雄らの「進歩的」文化人・知識人(大江健三郎を筆頭に?その片割れ又は後裔は現今でもまだ跋扈している)の思想・思考の(「トリック」(p.198)を含む)論理構造を分析・剔抉(てっけつ)していて、面白く、有意義なものとして読める。
 もともと佐伯啓思は上掲の現代民主主義の病理の中に「丸山真男とは何だったのか」という節を設けていて(こちらの本のp.74以下)、こちらの方が詳しいかもしれない。
 講談社の本による佐伯の表現によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった(p.197-8)。
 NHKブックスによる佐伯の叙述によれば、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった(p.74-75)。
 陳腐な内容の引用になったかもしれないが、書きたいことは以下のことだ。
 私自身が確認したのではないが、この欄でも言及したことがあるように、八木秀次によれば、憲法学者の佐藤幸治は、行政改革会議答申(省庁再編に具体的にはつながった)の中で、<自立した個人の確立>の必要性を強調していた(記憶に頼っているので微細な表現の違いがあるだろうことはご容赦いただきたい。次の段も同じ)。
 また、私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさしは、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた。
 書きたいことは容易にわかるものと思われる。憲法学者の佐藤幸治も樋口陽一も、―この二人は学界でも相当に有力な二名のはずだが―丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に(疑いをおそらく何ら抱くことなく)とどまっている、ということだ。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。
 すなわち、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 佐藤や樋口が明言しているわけではないが、有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないかと思われる。
 縷々論じる能力と余裕はないが、憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 だとすれば(仮定形を続けるが)、<日本的なもの・日本の問題>に大きな関心を向けることなく、高校以下の学校教員を通してであれ国民に一定の<イズム>を<空気>のごとく押しつけてきた戦後憲法学の専門家たち(知識人・文化人)の責任も―一部の人にとっては主観的には善意に行われたとしても、その<行きすぎ>の弊害をもたらした結果に対して―また大きいものと思われる。

0364/久しぶりにフランス革命について。

 フランス革命という「市民(ブルジョア)革命」やルソーについてはこれまでも、関心を持ってきた。
 そして、フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、「社会主義」国内での1億人以上の(?)の自国民の大量殺戮もなかった、あるいは、ルソー(ルソー主義)がいなければマルクス(マルクス主義)も生まれず、(マルクス=レーニン主義による)レーニンの「革命」もなかった、という結論めいたことを示してもきた。
 その際、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)にかなり依拠したし、<化石>のごとき杉原泰雄の本、<化石部分をまだ残している>ごとき辻村みよ子の論述にも触れた。
 10回以上に及んでいると思うが、例えば、2007.07.04、2007.06.27、2007.03.20。
 伊藤哲夫・憲法かく論ずべし-国のかたち・憲法の思想(日本政策研究センター・高木書房発売、2000)の第三章「市民革命神話を疑う」(p.124~p.157)は、フランス革命について書いている。
 研究書でないため詳細でもないし、ルソーらとの関係についても詳細な叙述はない。しかし、フランス革命の経緯の実際-その<残虐な実態>-については、初めて知るところが多かった。
 逐一の引用・紹介はしない。実態ではない理論・思想問題についての叙述の引用・紹介も省略するが、三箇所だけ、例外としておこう。
 ①「革命の過程で生まれる『人民主権』といった観念こそが、実は『全体主義の母胎』なのであり、例えば民主主義の父・ルソーは、いわば『一般意思』と『人民主権』の概念を提唱したことによってかかる全体主義の父ともなった、と彼は告発しもする」(p.138)。
 ここでの「彼」とは、サイモン・シャーマ(栩木泰・訳)・フランス革命の主役たちの著者だ。
 ②「今日なおこの大革命『聖化』の大合唱に余念がないのが、わが国の知識人たちであり憲法学者たちだといえる」(p.140)。なお、冒頭には、樋口陽一、杉原泰雄という二人の憲法学者の名と叙述が紹介されている。
 ③フランス革命が「わが社会の目指すべきモデルだと、永らく説き続けてきたのがわが国の知識人でもあった。/…国民は、こうしたマインド・コントロールされた<痴呆状況>から解放されるべき」だ(p.157)。
 さらにフランス革命について知りたいという関心が湧いてくる。サイモン・シャーマの上記の本の他、フランソワ・フュレフランス革命を考えるや、二〇世紀を問う、という本などを、伊藤は使っているようだ。
 残念ながら詳細な参考文献リストはない。これらの本が容易にかつ低廉に入手できればよいのだが。

0266/大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?

 この1年間で、いや8カ月と区切ってもいいのだが、最も印象的で、最も衝撃的な情報は、月刊諸君!2007年2月号(文藝春秋、2006.12末発売)の伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」の中の次のような文章だった。
 伊藤教え子たちがいろいろな大学に就職…聞くのですが、大学の歴史・社会科学系では実はまだまだ共産主義系の勢力が圧倒的多数なんですね
 中西近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和20年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいると思います
 伊藤「…戦後第一世代と異なるのは、そうした左翼シンパのひとりひとりはほとんど無名の存在だ…。いま大学にいるのは遠山(茂樹)井上(清)の孫弟子の世代なんです。だから誰も彼らが左派系だなんて気づかない。そんな連中が教授会の多数派をしっかりと握っている大学が多い
 中西「…石母田(正)の怨念の籠もり籠もった歴史学…。家永遠山の歴史観にも共通した特徴ですが、彼らの影響を受けた研究者たちが、いま日本の歴史学会の多数を支配している…。大学はなかなか変化しないんです」(p.50-1)。
 伊藤隆は歴史学者であり、歴史学界を主な対象として語られているようだ。だが、中西輝政は政治学・経済学界についても丸山真男大塚久雄の名を出したのち次のように言っている。
 中西研究対象を選ぶ段になると、学会での地位や就職が絡みますからナーバスに…。直接、左派知識人に批判的なことをやると、大学への就職が難しくなるという有形無形のプレッシャーはいまだにものすごく強いですからね」(p.53)
 <大学の自治>の下での<学問の自由>の現状はおそらくこうなのだろう。国家ではなく「左派」によって<学問の自由>が事実上侵害されている。そしてかかる現象は―特段の言及はないが―歴史・政治・経済学以外の法学・社会学等々にもある程度はあるものと思われる。
 「左派」すなわち共産主義・マルクス主義の影響を受けた、又はこれを「容認」する大学研究者(教員)が人文・社会系では「多数」のようだとは、私のある程度は想像する所でもあったが、こう明確に語られると、慄然とする。彼らが執筆した人文・社会系の(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の)中学・高校の教科書で学んで、上級官僚や法曹が、そして若い国会議員が育ってきているのだ。
 上の<激論>の中で中西輝政は指導教授の高坂正堯が時々「きみたちには悪いねぇ」(早く就職させられなくて)と大学院学生たちに言っていた、「高坂先生は…七〇年代までは学界で異端視されていて、その門下生と知れると、ほとんどお呼びがかからなくなる。私たち大学院生は…「高坂門下」ということで大いに差別される」等と発言しており(諸君!2月号p.52)、中公クラシックスとなった高坂正堯の本・宰相吉田茂(中央公論新社、2006)の緒言で、中西寛(現京都大学法学部)は高坂正堯の吉田茂を肯定的に評価する論文・著書に関連して、「マルクス主義や進歩派知識人による保守政治批判が大多数だった」「当時においては、学者や知識人にとって保守政治家を批判する方が肯定的に評価するよりもよほど安全だった」と記している。
 「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員の強い分野では、事実上の「思想統制」が(国家によってではなく)行われていたし、現在も行われている可能性があるわけだ。
 「思想統制」にはあたらず、その逆だろうが、東京大学出身者でもない樋口陽一はなぜ東北大学から東京大学(法学部)に迎えられたのか、同じく上野千鶴子はなぜ京都の某女子大から東京大学(文学部社会学科)に迎えられたのか。その<思想傾向>は、一般世間以上に、大学の世界では所属大学の変更も含む<人事>にかなりの影響を与えていそうだ。

0261/憲法再生フォーラム、2001年11月現在の全会員の氏名。

 憲法再生フォーラムなる組織(団体)について、4/08に、「2001.09に発足した団体で2003.01に会員35名、代表は小林直樹高橋哲哉(以上2名、東京大法)・暉峻淑子、事務局長・小森陽一(東京大文)だったようだ」、同編・改憲は必要か(岩波新書、2004)によると2005年6現在「会員39名、代表は辻井喬桂敬一水島朝穂(早稲田大法)、事務局長・水島朝穂(兼務)、のようだ」と書いた。
 岩波ブックレット・暴力の連鎖を超えて(2002.02)も実質的には同フォーラム関係の出版物のようで、この冊子には、2001年11月現在の、従っておそらくは発足当時の、会員全員の氏名・所属・専門分野が掲載されている。
 資料的意味があると思うので、以下に転記しておく。
 代表名-加藤周一(評論家)、杉原泰雄(一橋大→駿河台大/憲法学)、高橋哲哉(東京大/哲学)、会員29名-石川真澄(元マスコミ/政治学)、井上ひさし(作家)、岡本厚(「世界」編集長)、奥平康弘(元東京大/憲法学)、小倉英敬(/思想史)、加藤節(成蹊大/政治学)、金子勝(慶応大/経済学)、姜尚中(東京大/政治学)、小林直樹(元東京大/憲法学)、小森陽一(東京大・文学)、坂本義和(元東京大・政治学)、佐藤学(東京大/教育学)、新藤栄一(筑波大/政治学)、杉田敦(法政大/政治学)、隅谷三喜男(元東京大/経済学)、辻村みよ子(東北大/憲法学)、坪井善明(早稲田大/政治学)、暉峻淑子(元埼玉大/経済学)、豊下楢彦(関西学院大/政治学)、長谷部恭男(東京大/憲法学)、樋口陽一(元東京大/憲法学)、古川純(専修大/憲法学)、間宮陽介(京都大/経済学)、水島朝穂(早稲田大/憲法学)、最上敏樹(国際基督教大/国際法)、持田希未子(大妻女子大/芸術大)、山口二郎(北海道大/政治学)、山口定(立命館大/政治学)、渡辺治(一橋大、憲法学)
 以上のうち、加藤周一、井上ひさし、奥平康弘の3氏は、「九条の会」呼びかけ人でもある。
 岩波書店が会合場所・事務経費等をサポートしている可能性が高い。そして、名簿を見て感じる一つは、現・元の東京大学教授の多さで、上の計32名のうち10名がそうだ。東京大学出身者(例、山口二郎)を含めると、半数程度を占めるのではないか。朝日新聞社もそうだが、岩波書店も「東京大学」という<権威(らしきもの)>が好きなようだ。<左翼>ではあっても決して<庶民的>ではない印象は、雑誌「世界」でも歴然としている。
 憲法学者は、小林直樹、奥平康弘、杉原泰雄、樋口陽一、渡辺治、水島朝穂、辻村みよ子、古川純、長谷部恭男。いずれもよく見る名前だ。
 ハイエクについての本も多い経済学者の間宮陽介が入っているのに驚いた。

0170/「平和主義」と自衛軍・憲法改正権の限界の関係。

 自民党新憲法草案の前文の中に、「…平和主義…は、不変の価値として継承する」との文言がある。
 この前文改正案は要点を箇条書きしたような出来のよくない文章で成り立っていると感じるが、それはともかく、このように「平和主義」を継承する、と書きつつ、周知のように、同草案九条の二では「…自衛軍を保持する」と定めている。
 この案も前提としているだろうが、平和主義と軍隊の保持は矛盾するものではない
 いつぞや阪本昌成の言明を紹介したように、「平和主義」の中にも<非武装による平和主義>もあれば、<武装・軍備による平和主義>もあるのであり、「平和主義」を自衛戦争の放棄や非武装(=軍隊不保持)主義と理解するのは、特定の(偏った)理解の仕方にすぎない。
 (このような曖昧な「平和主義」という概念を前文の中に書き込むかは再検討されてよい。平和を愛好する、平和を志向するということ自体は殆ど当たり前のことだし、阪本昌成氏が指摘していたように-後述の常岡氏のように-「誤解」へと意図的に?導く人々も生じうる。)
 さて、常岡せつ子の朝日新聞への投書が話題にしていた憲法改正の限界の問題だが、野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利・憲法Ⅱ〔第四版〕(有斐閣、2006)p.397は「限界説に立った場合、…内容的には、…国民主権、…人権尊重主義ならびに平和主義の諸原理があげられる」(野中俊彦・法政大学教授執筆)と書いている。
 また、伊藤正己=尾吹善人=樋口陽一=富松秀典・注釈憲法〔新版〕(有斐閣新書、1983)は、「基本原理」である「国民主権と基本的人権の原理が憲法改正の限界をなすという説、ないしすすんで平和主義の原理を含めてそう解する説が支配的」で、「憲法改正」条項も含める説が「有力」だ、と書いていた(樋口陽一・東京大学名誉教授執筆)。
 4/25の17時台に「日本国憲法は三大原則か六大原則か」と題してエントリーしたのだが、上の二つの本は、「三大原則」とされるもの、すなわち国民主権・基本的人権保障・平和主義が憲法改正の限界の対象になる旨を書いている、と言える。
 この4/25の段階では憲法上の「原則」が何かは「憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)」と書いていた。同時に、八木秀次氏が「三大原則」は1950年代に「護憲派勢力」が憲法改正によっても変更できないものとして「打ち出した」と述べているとも紹介していたが、「私の理解」は少し足らなかったようだ。
 だが、上の二つの本もたんに「平和主義」と書いているだけであり、具体的にその中に九条二項が含まれることを明示してはいない。少なくとも、九条一項のみか、九条二項も含まれるのか、という議論がなお生じる書き方になっている。
 常岡せつ子は、上のような叙述をする本があるのを知っており、かつ改正できない「平和主義」の中には九条二項も含まれるという、いわば<非武装の平和主義>という特定の理解に立って、九条二項の削除は憲法改正の限界を超える(範囲外だ)と主張したものと推察される。
 しかし、明瞭ではないが、かりに上の二つの本が改正できない「平和主義」の中に九条二項を含めているとしても、そのような考え方が「通説」かどうかは別の問題だ。
 第一に、通説と明瞭に言えるためには、例えば上の二つの本が、より明確に九条二項に論及し、明確に改正不可の旨を書いている必要があるだろう。
 第二に、上の二つとは異なり、明瞭に九条二項は憲法改正の対象にならないことはないとするのが「通説」である、と明記する芦部信喜、辻村みよ子の本があり、平和主義・九条二項に何ら言及しない佐藤幸治の本もあることは既に書いたとおりだ。
 従って、常岡せつ子が「大ウソ」をついた、という判断に何ら変わりはない。
 この人は、1.憲法の基本原理は改正できない、2.その基本原理の中には「平和主義」も含まれる、3.「平和主義」の条項には九条二項も含まれる、という、八木によれば「護憲派勢力」が1950年代に「打ち立てた」戦略にそのままのっかった、それぞれ議論になりうる論点についての特定の単純な理解にもとづいて「通説」だと主張してしまったのだ。
 そのような考え方もありうるのだろうとは思う。しかし、そのことと、そのような考え方が「通説」だと喧伝できるかどうかは全く別の問題だ。
 公正かつ慎重であるべき学者・研究者が自己の特定の単純素朴な理解が「通説」だなどという<大ウソ>をついてはいけない。
 なお、常岡せつ子が<九条の会>賛同人として寄せている長文の「メッセージ」は以下のとおりだ。
 「「国民一人ひとりが九条を持つ日本国憲法を、じぶんのものとして選び直す」ことが必要だという「九条の会」アピールに心から賛同いたします。ただ問題は、九条をどのように解釈した上での九条の「選び直し」かという点にあるのではないでしょうか。昨今のマスコミの論調は、例えば六月三〇日付の朝日新聞の社説にもありますように、戦後憲法学界が積み重ねてきた「九条は一切の戦争を放棄している」という九条解釈を敢えて無視し、憲法学界が従来解釈改憲であるとして批判してきた政府の九条解釈に則った上で、「自衛隊が海外で武力行使する」ことを可能にするような「改正」には問題があるのではないかというものにシフトしてきているように思われます。九条にどのような意味を読み取るかという点において〝発起人〟の皆様の間で何らかの合意がなされているのでしょうか。それとも九条解釈を問題にすることは、むしろ「立場を超えて手をつなぎ合う」ことへの障害になるとお考えなのでしょうか。私自身は九条は集団的自衛権はもとより、個別自衛権も放棄していると理解した上で「九条の選び直し」が必要と考えております。

0163/日本評論社・岩波書店の詐術的・脅迫的なひどい題名の本。

 日本評論社というのは少なくとも法学分野については明瞭な「左翼」路線をとり続けているようだ。前回記したように、護憲派の「憲法研究会」編の本を出しているのも日本評論社だし、記憶ははっきりしないが、『マルクス主義法学講座(全集?)』という珍しい講座ものをかつて刊行していたのも日本評論社だった(現在、古書で探索・注文中)。
 その日本評論社が憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本(2006)という詐術きわまる題名の本を出版している。<憲法(とくに九条)を変えると戦争になる>と、素朴に平和を愛好している人びとを欺そうとするタチの悪い題名だ(私も平和を愛好しているが)。
 厳密にいえば、戦争にも多様なものがあり、まともに又はきちんと思考している人は護憲論者でも「正しい戦争」の認否が最終的な争点だとか述べているので(例、樋口陽一)、憲法を変えて正しい(防衛)戦争はできるようにしようという考え方は十分に成立しうるのだが、そんな理屈まで視野に入れて付けられた題名ではない。要するに、改憲に賛成すると「戦争になるよ」と脅かしているわけだ。
 この日本評論社の本と同様に詐術的題名を付けているのが、岩波書店のブックレット、このブログでも言及したことのある、憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005)だ。<憲法を変えると戦争に行くことになるよ>という、これまた脅かしだ。
 例えば、<憲法(九条二項)を変えて(正規軍を保持し、戦争を仕掛けられないようにして)日本の平和を守ろう!>という呼びかけも十分に成立するのだ。改憲→戦争という単純な連結は、読者を欺しているし、馬鹿にもしている。
 上の二つの本の執筆者等の氏名を全て列挙しておくことにする。
 日本評論社の本-<編著者・高橋哲哉(1956-)、斎藤貴男(1958-)。執筆者-井筒和幸(1952-、映画監督)・山田朗(1956-、日本史)・木下智(1957-、憲法学)・森永卓郎(1957-、経済評論家)・豊秀一(1965-、朝日新聞社)・室井佑月(1970-、作家)・貫戸朋子金子安次こうの史代(1968-、漫画家)、田口透(1955-、東京新聞社)、辻子実(1950-)>
 岩波書店の冊子-<
井筒和幸井上ひさし香山リカ姜尚中・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三、中村哲半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏、森永卓郎吉永小百合・渡辺えり子>
 明確な基準はないが、すでに登場させたことのある人物等は適当に太字にしておいた。

0147/樋口陽一の愛弟子・現東京大学教授、「痴漢」容疑で現行犯逮捕される。

 読売5/15夕刊によると某大学教員が電車内での20歳の女性に対する「痴漢」により東京都迷惑防止条違反の現行犯で新宿警察署に逮捕された。容疑者は容疑を認めており、「好みの女性だったので…」などと供述している、という。
 大学教員であってもこんなことはありうる事件なので珍しくもない、従って大した関心を持たないのだが、今回はかなりの興味をもった。
 それは、大学教員が東京大学大学院法学政治学研究科の教授で、かつ憲法学専攻らしいからだ。
 容疑者は、蟻川恒正、42歳。
 ネット情報によると、万全ではないが、さしあたり次のことが分かる。
 1.おそらくは東北大学法学部・同大学院出身で、指導教授は「護憲」派で著名な樋口陽一と思われる。(5/20訂正-樋口氏が東北大学から東京大学に移ったあとの「弟子」で、東京大学法学部卒、ただちに助手となったらしい)。
 8年前の1999年(蟻川氏は34歳か)の東北大学法学部の「研究室紹介」に次のように書かれている。
 「蟻川恒正助教授/
東京都出身。専門は憲法。東北大学名誉教授である樋口陽一先生の憲法学の正当な継承者である。その高貴な顔立ちとは裏腹に気さくな人である。意外にも落語好き。また、独身貴族でもある。
 2.東北大学(法学部)は、文科省からの特別の予算を受けられる21世紀COEプログラムとして怖ろしくも「男女共同参画社会の法と政策」なる総合研究を行っており、仙台駅前に「ジェンダー法・政策センター」なるものまで設置し、専任の研究員まで置いているようだ。このCOEの代表(拠点リーダー)はやはり憲法学者の辻村みよ子(1949-)。この人は一橋大学出身で、指導教授は杉原泰雄、2005年~2008年民主主義科学者協会法律部会理事。
 上の研究の一環として東京から上野千鶴子(2006.02.10)や大沢真理(2005.11.26)を呼んでのシンポジウム等も行っているが、少なくとも2005年度は蟻川も法学部教授として上のCOEプログラムの「事業推進担当者」の一人だった。2005年の12.19には「身体性と精神」と題して研究会報告を行っている。「アメリカ合衆国における女性の人工妊娠中絶の自由に関連する連邦最高裁の主要な裁判例を跡づけながら、自己決定権という権利概念が憲法理論上において持つ意義を探ろうとしたもの」らしい(→
http://www.law.tohoku.ac.jp/COE/jp/newslatter/vol_10.pdf)。
 3.樋口陽一=森英樹高見勝利=辻村みよ子編・国家と自由-憲法学の可能性(日本評論社、2004)という本が出版されているが、これらの編者および長谷部恭男愛敬浩二水島朝穂らとともに一論文「署名と主体」を執筆しているのが、蟻川恒正。
 編者4名や上記3名の名前を見ていると、辻村が「民科法律部会」(日本共産党系の法学者の集まりといわれる)の理事だつたことも併せて推測しても、蟻川恒正は、「左翼」的、<マルクス主義的>憲法学者だと思われる。上記のように、ジェンダーフリー・フェミニズムに特段の抵抗がないようなのも、このことの妥当さを補強するだろう。
 従って、憲法改正問題についていえば、樋口陽一らともに九条二項護持論者だろうとほぼ間違いなく断定できる。
 護憲論(又は「改悪」阻止論)者に「痴漢」がいても何ら不思議ではない(改憲派の中にもいるだろう)。ただ、東京大学の憲法学の「改悪」阻止派の教授が、しかも親フェミニズムらしき教授が「痴漢」をした、というのはニュース価値は少しは高いだろう。

0123/5/06のサン・プロに朝日・若宮啓文登場-<文学少女>的。

 昨日のサンデー・プロジェクトは珍しく生で見た。読売、毎日、朝日の論説委員長・主幹の三人が登場して憲法改正問題を論じていたが、録画によって確かめてみると、最初の発言の機会の、朝日・若宮啓文の言葉はこうだった(質問者は田原総一朗)。
 「九条はそのままにしようということですから、九条に関しては護憲です。ただすべての憲法をこのままで何が何でもということではないという意味では、改憲ではないけど、何が何でも護憲というのではないかもしれないけど、しかし九条に関しては今の方がよい、こういうことです。」
 湾岸戦争のようなことが起きたとき、日本は参加するのか? 「平和安保基本法を作ろうという趣旨は、九条はやはり、日本の、きわめて特殊かもしれないけれど、世界に対するメッセージとして、こういう憲法を持ってるんだというのは、資産ではないか。これからいろんな意味で日本が世界のために、世界は大変ですよ、地球のためにいろんな分野で貢献していくうえで、やっぱり九条は持ってた方がよいと、それは国民の多数の意見にもかなうのでないか。
 とくにね、読売新聞もそうだし自民党の案もそうだけれど、九条を変えて自衛軍隊にしようというわけですね。軍隊を持つというのは、そりゃまぁ自衛隊はかなりね軍隊に実体は近いかもしれないけれども、あえて軍隊にしようというのはね、世論調査をやっても、かなり低いんですね。だから、さっき朝日新聞の調査で自衛、ごめんなさい、九条を改正してよいという人は33%ですね。33の中にもね、自衛軍にしたいという人も勿論います。いるけれども、今の自衛隊を九条に位置づけるくらいはいいじゃないか、その方が解りやすいという人もいるわけです。自衛隊はだいたい定着しているのだから。」
 「まぁそこのところはむつかしいところだけど、僕らの判断として、やはり九条はメッセージ性が強いから、このまま変えないでおいておこうと。その代わり、自衛隊の役割は、憲法の意も体して、こういうものだというようなものを基本法で作ったらいいんじゃないかと。」
 太田光の「憲法は世界遺産だ」を社説で取り上げたが、遺産だと思っている?-「遺産というともう終わっちゃった古びたものというんで、遺産という表現がいいかどうかわからないけど、しかし、戦争が終わったときに、日本人の多くも、もうこりごりだ戦争はと思った、アメリカはアメリカでもう日本にこういうことはさせまいと思った。そういうものが合致して、いわば押しつけだけじやなくてね、日本人の多くの意思と合致して、いわば共同で作った、そういう意味での奇跡だと言ってるわけね、彼は」。
 安倍さんたちは占領軍の押しつけだというが、そうじゃないと、占領軍の思惑もあるけれど、日本の側にもそういう熱い希望があった、と?
 「そうです。もちろん、占領軍の強い意思によって、原文が書かれたのは事実だけれども、日本人の多くがこれを非常にホッとして受け入れたわけですよ。そのことを忘れて、何か押しつけられたんだから、いつまでもこれを持っているのが占領体制の継続だというのは、僕はちょっと……。」
 のちの発言もとり上げるとより正確になるだろうが、これだけでも朝日新聞の見解はほぼ分かる。
 第一に、九条維持論の中には違憲の自衛隊を解体又は縮小して、九条という憲法規範に現実を合わせようという<積極的九条実現論>という立場がありうるが、朝日はこの立場ではない。
 朝日(若宮)は「自衛隊は…軍隊に実体は近いかもしれない」ことを肯定しており、「自衛隊はだいたい定着している」とも言っている。現状に大きな変更を加える意向ではないことは、樋口陽一長谷部恭男両教授の考え方と同じか近似している。
 にもかかわらず、九条は変えないと言っているのだから、自衛隊は憲法上の「軍隊」又は「戦力」ではないというウソを今後もつき続けましょう、というのが朝日の考え方だ。言葉の上だけは<日本は軍隊を持っていないのだ>と思って安心したい、又は自己満足したいのだろう。だが、再三書いているが、国家の基本問題について欺瞞を維持することは、国民の、とくに若い世代の規範意識、道徳観念を麻痺させ、損なってしまう。朝日は今後も「大ウソ」大行進の先頭に立つつもりのようだ。
 第二に、「九条はメッセージ性が強いから、このまま変えないでおいておこう」という言葉があるが、「メッセージ性が強い」とはいったいいかなる意味か。リアルな現実ではなく、雰囲気・イメージ・印象を問題にしているとしか思えない。
 また、世界の国々や人々が日本は九条二項を含む憲法を持っていることを知って、可愛いよい子だと頭を撫でてくれるというのか。そして恍惚としていたいのか。<文学少女>的嗜好は、いい加減にした方がよい。
 第三に、憲法制定時の日本人の意識につき太田光の考えも持ち出して何やら言っているが、正確ではない。
 すぐあとで読売の朝倉敏夫がかりに憲法制定過程の初期はそうだったとしても、それは現在に改憲を批判することの根拠にはならないと適切に批判していたが、それはともかく、憲法制定過程の知識が十分ではないようだ。
 1.多くの日本人が「戦争はもうこりごりだ」と思ったのは事実かもしれない。だが、多くの護憲論者には論理・概念のごまかしがあると思うのだが、多くの日本人が「もうこりごりだ」と思った「戦争」は「戦争」一般ではなく、「あのような戦争」、すなわち昭和に入って以降の特定の戦争の如き戦争のはずなのだ。日本語には定冠詞・不定冠詞というのがないのだが、日本人がコリゴリだと感じたのは、theが付いた、特定の「昭和戦争」の如き戦争だろう。冷静に考えて、自衛戦争を含む「正しい」戦争まで一般に毛嫌いしたのだ、とは考え難い。
 2.占領軍自体が、のちに九条(二項)を桎梏視し始めた、という経緯が語られていない。新憲法の審議過程ではまだ<冷戦>構造の構築は明瞭には見えなかったが、1947年に入るとそそろ見え始め、1949年の東西ドイツの分裂国家誕生、共産中国の誕生、1950年の朝鮮戦争開戦によって決定的になった。
 <戦争放棄>、元来の意味での九条二項の趣旨につき占領軍と多くの日本人が一致したとかりにしても、それはせいぜい1946年末までくらいだろう。
 立花隆は九条幣原喜重郎発案説に傾いているようだが、万が一かりにそうだったとしても、幣原以外の日本人は知らなかったとすれば、<日本人が提案した>との表現は誤りだろうと思われる。幣原が秘密に個人的に伝えたものにすぎない。
 占領軍は、1947年以降に<冷戦>構造が明確になるにつれて、日本に九条二項を「押しつけた」ことを、失敗だった、と反省し始めただろう、と私は思っている。そのような政策の失敗(社会主義国陣営の動向に関する見通しの甘さに起因する)を覆い隠すためにマッカーサーは米国に帰国後、九条は幣原が提案したと書き遺した(証言した?)のだと思われる。
 要するに、九条二項は、すみやかに占領軍と米国にとっても邪魔な条項になったのであり、占領軍と多くの日本人の意識が万が一合致したと言えるとかりにしても、それはほんの一時期にすぎない。本当に双方が強く合致していたなら、警察予備隊も保安隊も自衛隊も生まれなかっただろう。
 <夢>を語り得た「ロマンティックな」かつての一時期の存在を根拠に、現在の重要な判断を決しようとするのはきわめて愚かなことだ。
 テレビを観ていて、読売の朝倉主幹の落ち着き・自信と対照的に、朝日・若宮がややエキセントリックな雰囲気を示しつつ緊張している様子を十分に(私は)感じることができた。朝日・若宮は、自社又は自分の主張が、非現実的な、言葉に必要以上に拘泥する、半分は<夢想>の世界を生きている<文学少女>的なものであることを、心の奥底では自覚しているのではあるまいか。

0107/阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(有信堂)を少し読む。

 エントリーが100回を超えてしまうと、既に書いたことなのかどうかが分からなくなるものがある。
 日本の社会系・人文系の学界にはまだマルクス主義の影響が強く残っているようであることに、すでに言及したかもしれない。とりあえず私がそう感じるのは(たぶんに推測を含んでいるが)、日本史学と政治学だ。
 法学界のうち、少なくとも憲法学界も含めてよいだろう。前々回に一部紹介した渡部昇一の書評文の中には、「…憲法九条のおかげだ」という「嘘に学問的装いを与えてきたのは東大の憲法学教授たち」だとの文もある。
 その書評の対象だった潮匡人・憲法九条は諸悪の根源のp.250には東京大学に限らない、次の語句もある-「前頭葉を左翼イデオロギーに汚染された「進歩派」学者の巣窟ともいうべき日本の憲法学界…」。そして、「学界の通説」を代表する芦部信喜氏は「自衛隊は…九条二項の「戦力」に該当すると言わざるをえないであろう」と述べて「明白な自衛隊違憲論」に立っているとする(p.252。なお、芦部は1923-1999で故人)。また、改憲を説く憲法学者は少なく、樋口陽一は「とりわけ先鋭的に「護憲」を奉じている」と書いている(p.253)。この二人は東京大学教授だった。樋口の論の一部には言及したことがあるが、芦部(および現役東京大学法学部教授の長谷部恭男等)の論も含めて、今後言及することがあるだろう。
 「「進歩派」学者の巣窟ともいうべき日本の憲法学界」と称される中では、別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経)に原稿を寄せている憲法学者はごく少数派に属するに違いない。八木秀次百地章の2人、憲法「無効論」の小山常実氏を含めて3人だ。こうしたタイトルの現日本国憲法に批判的な特集に(但し、呉智英氏は九条護持論者だ)、編集部を除く20人の執筆者(巻頭は櫻井よしこ)のうち憲法学者が2~3名しかいないというのも、現憲法に批判的な憲法学者が少ないことの現れかと思える。
 上にいう「進歩派」とはマルクス主義者、親マルクス主義者、少なくともマルクス主義憲法学者に敵対はしない者をおおむね意味していると、大まかには言えるだろう。
 上には名前が出ていないが、これまでに言及したことのある阪本昌成(現在、九州大学教授)も、少数派に属する憲法学者のようだ。
 阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー〔第二版〕(有信堂、2004)は<反マルクス主義>に立つことを次のように書いている(1998年の第一版も所持しているが、文末の表現を除いて同一内容だ)。ここまで明瞭にマルクス主義を批判している憲法学者がいることを知り、驚くととともに安心もした。
 「
マルクス主義とそれに同情的な思想を基礎とする政治体制が崩壊した今日、マルクス主義的憲法学が日本の憲法学界で以前のような隆盛をみせることはないはずだ(と私は希望する)。…。
 マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らみずからがはっきりととるべきだ、と私は考える。…本書は、マルクス主義憲法を批判の対象としない。なぜなら、マルクス主義は、もはや古典的リベラリストにとっての「論敵」ではないからだ。それでも彼らは、<社会的弱者を放置するなかれ>という平等主義を、社会主義に代わるスローガンとして掲げ続けるだろう。
 マルクス主義者の失敗の最大原因は、経済自由市場のメカニズムを信用することなく、確固とした正義(彼らにとっては、イデオロギーではなく「科学」であると思われたもの)が市場の外にあるとの前提のもとで、その正義の鋳型に沿って国家と社会を設計主義的に作り上げることができると過信した点にあった。計画経済、基幹産業の国有化、集団農場政策等がこれであった。これらは、自由市場の「見えざる手」をあざ笑うかのような成果を見せたように思われた。が、全面的に失敗した
」(p.22-23、以下省略)。
 マルクス主義は消滅したように見えてもルソー的平等主義を主張するかぎり必ず復活してくる旨の中川八洋の指摘を思い出す。「設計主義」とは、マルクス主義(共産主義)を批判する際にフォン・ハイエクが用いた概念だった。
 この阪本昌成の現憲法に対する態度は、正確には(まだ彼の本を十分には読んでいないので)知らない。しかし、現憲法「無効」論者の小山常実はさしあたり別として、「マルクス主義的憲法学」が(少なくとも従前は)隆盛の中での
、八木秀次、百地章、そして阪本昌成各氏を、私が何をできるかは分からないが、少なくとも精神的・心理的には、強く支持し、応援したいものだ。
 現時点での最も大きい対立軸は共産主義者(又はその追随者。朝日新聞、立花隆、社民党等々)と「自由主義者」(反共産主義者)との間にあるのであり、現憲法についての有効論者と無効論者との間にあるのでは全くない、と考えている。

0075/樋口陽一、宮崎哲弥らとともに「正しい戦争」を考える-憲法改正のためにも。

 かつては、とくに九条を念頭に置いての憲法改正反対論者=護憲論者は、<規範を変えて現実に合わせるのではなく、規範に適合するように現実を変えるべきだ>、という考え方に立っている、と思ってきた。「護憲」、とりわけ九条維持の考え方をこのように理解するのは全面的に誤ってはいないだろう。
 とすると、護憲論者は、憲法違反の自衛隊の廃止か、憲法9条2項が許容する「戦力」の範囲内にとどめるための自衛隊の(装備等を含めて)編成換え又は縮小を主張して当然だと考えられる。しかし、そういう主張は、必ずしも頻繁には又は大きくは聞こえてこない。この点は不思議に感じていたところだ。
 だが、憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(岩波新書、2004)の中の樋口陽一氏の論稿を読んで、吃驚するとともに、上の点についての疑問もかなり解けた。つまり、護憲論者の中には-樋口陽一氏もその代表者と見て差し支えないと思うが-自衛隊の廃止・縮小を主張しないで現状を維持することを基本的に支持しつつ、現在よりも<悪くなる>改憲だけは阻止したい、と考えている論者もいるようなのだ。
 樋口氏は、上の新書の中で最後に、「正しい戦争」をするための九条改憲論と「正しい戦争」自体を否認する護憲論の対立と論争を整理すべき旨を述べたのち、そのような選択肢がきちんと用意される「それまでは」として、次のように述べている。「それまでは、九条のもとで現にある「現実」を維持してゆくのが、それこそ「現実的」な知慧というべきです」、改憲反対論は「そうした「現実的」な責任意識からくるメッセージとして受けとめるべき」だ(p.23-24)。
 これは私には吃驚すべき内容だった。護憲論者が、「九条のもとで現にある「現実」を維持してゆく」ことを「現実的な知慧」として支持しているのだ。おそらく、改憲(条文改正)してしまうよりは、現行条文を維持しつづける方がまだマシだ、と言っていると理解する他はない。
 ここではもはや、<規範と現実の間にある緊張関係>の認識は希薄だ。そして、「九条のもとで現にある「現実」」を擁護するということは、「現実」は九条に違反していないと「現実的」に述べているに等しく、政府の所謂「解釈改憲」を容認していることにもなる筈なのだ。
 以上を一区切りとして、次に「正しい戦争」の問題にさらに立ち入ると、樋口氏は、現九条は「正しい戦争はない、という立場に立って」一切の戦争を(二項で)否定しており、九条改正を主張する改憲論は「正しい戦争がありうるという立場を、前提としている」、とする(p.13)。的確な整理だろう。また、前者の考え方は「普通の立憲主義をぬけ出る理念」の採用、「立憲主義展開史のなかでの断絶」を画するものだと捉えている。現憲法九条はやはり世界的にも「特殊な」条項なのだ。その上で同氏は、かつての「昭和戦争」や「イラク戦争」を例として、「正しい」戦争か否かを識別する議論の困難さも指摘している。たしかに、かつて日本共産党・野坂参三の質問に吉田茂が答えたように「侵略」を呼号して開始される戦争はないだろう。
 結論はともかくとして、「正しい戦争」を可能にするための「九条改憲」論と「正しい戦争」という考え方自体を否定する「護憲論」との対立として整理し、議論すべき旨の指摘は(p.23)、的確かつ適切なものと思われる。
 そこで次に、「正しい戦争」はあるか、という問題になるのだが、宮崎哲弥・1冊で1000冊(新潮社、2006)p.106は、戦争観には3種あるとして加藤尚武・戦争倫理学(ちくま新書)を紹介しつつ、正しい戦争と不正な戦争が可分との前提に立ち、「倫理的に正しい戦争は断固あり得る、といわねばならない」と明確に断じている。そして、かかる「正戦」の要件は、1.「急迫不正の侵略行為に対する自衛戦争か、それに準じ」たもの、2.「非戦闘員の殺傷を避けるか、最小限度に留めること」だ、とする。
 このような議論は極めて重要だ。何故ならば、戦後の日本には戦争は全て悪いものとして、「戦争」という言葉すら毛嫌う風潮が有力にあり(昨夜論及した「2.0開発部」もこの風潮の中にある)、そのような戦争絶対悪主義=絶対平和主義は、安倍内閣に関する「戦争準備」内閣とか、改憲して「戦争のできる国」にするな、とかいった表現で、今日でも何気なく有力に説かれているからだ。また、現憲法九条の解釈や改憲の基礎的考え方にも関係するからだ。
 1946年の新憲法制定の国会審議で日本共産党は「正しい戦争」もあるという立場から現九条の政府解釈を問うていた。所謂芦田修正の文理解釈をして採用すれば、現憲法下でも<自衛>目的の「正しい」戦争を行うことを想定した「戦力」=軍隊も保持し得る。
 この芦田修正問題はさておき、そして憲法解釈論又は憲法改正論との関係はさておき、やはり「防衛(自衛)戦争」はありえ、それは決して「悪」・「非難されるべきもの」でなく「正しい」ものだ、という認識を多数国民がもつ必要がある、と考える。
 「戦争」イメージと安倍内閣を結びつける社民党(共産党も?)の戦略は戦争一般=「悪」の立場で、適切な「戦争」観とは出発点自体が異なる、と整理しておく必要がある。この社民党的立場だと、「戦争」を仕掛けられても「戦力」=軍隊による反撃はできず、諸手を挙げての「降伏」となり(ちなみに、これが「2.0開発部」改正案の本来の趣旨だった筈なのだ)、攻撃国又はその同盟国に「占領」され、のちにかつての東欧諸国政府の如く外国が実質支配する傀儡政府ができる等々の「悪夢」に繋がるだろう。
 繰り返せば、「正しい戦争」はあり得る。「「正しい戦争」という考え方そのものを否定」するのは、表向きは理想的・人道的でインテリ?又は自らを「平和」主義者と考えたい人好みかもしれないが、外国による軍事攻撃を前にした日本の国家と国民を無抵抗化し(その過程で大量の生命・身体・財産が奪われ)、日本を外国の属国・属州化するのに寄与する、と考える。
 社民党の福島瑞穂は北朝鮮の核実験実施を米国との対話を求めるものと捉えているくらいだから、日本が「正しくない」戦争を仕掛けられる可能性はなく、それに反撃する「正しい戦争」をする必要性など想定すらしていないのだろう。これには的確な言葉がある-「社会主義幻想」と「平和ボケ」。
 これに対して日本共産党はきっともう少し戦略的だろう。かつて野坂参三が言ったように「正当な戦争」がありうることをこの党は肯定しているはずだ。だが、この党にとって「正当な戦争」とは少なくともかつてはソ連・中国等の「社会主義」国を米国等から防衛するための戦争だった。「正しくない」戦争を「社会主義」国がするはずがなく、仕掛けるのは米国・日本等の「帝国主義」国又は資本主義国というドグマを持っていたはずだ。かかるドグマを多少とも残しているかぎり、「九条の会」を背後で操り、全ての戦争に反対の如き主張をさせているのも、党勢拡大のための一時的な「戦略」=方便にすぎないと考えられる。
 なお、宮崎哲弥の上掲書には、個別の辛辣な短評をそのまま支持したい箇所がある。例えば、愛敬浩二・改憲問題(ちくま新書)につき-「誤った危機感に駆られ、粗笨(そほん-秋月)極まりない議論を展開している」、「現行憲法制定時の日本に言論の自由があったって?、…9条改定で日本が「普通でない国家」になるだって? もう、突っ込みどころ満載」(p.282-3)。ちなみに愛敬氏は名古屋大学法学部教授。
 いつぞや言及した水島朝穂氏等執筆の、憲法再生フォーラム編・有事法制批判(岩波新書)につき-「最悪の例。徹頭徹尾「有事法制の確立が戦争国家への道を開く」という妄想的図式に貫かれている。進歩派学者の有害さだけが目立つ書」(p.105)。私は水島朝穂氏につき「妄想的図式」とまでは評しなかったように思うが…?。同氏の属する早稲田大法学部には他にも「進歩派学者」が多そうだ。
 私は未読だが、全国憲法研究会編・憲法と有事法制(日本評論社)につき-「理念先行型の反対論が主で、実効性、戦略性を欠いている」(p.105)。さらに、戒能通厚監修・みんなで考えよう司法改革(日本評論社)につき-「古色蒼然たるイデオロギーと既得権益維持の欲望に塗り潰された代物」(p.103)。これら二つともに日本評論社刊。この出版社の「傾向」が解ろうというもの。後者の戒能氏は愛敬氏と同じく名古屋大学法学部教授だ。
 宮崎哲弥という人物は私より10歳は若い筈だが、なかなか(いや、きわめて?)博識で公平で論理的だ。宮崎哲弥本をもっと読む必要がある。
 (余計ながら、「日本国憲法2.0開発部」の基本的発想と宮崎哲弥や私のそれとが大きく異なるのは、以上の叙述でもわかるだろう。また「2.0」の人々は勉強不足で、樋口陽一氏の代表的な著書又は論稿すら読んでいないと思われる。きちんと読んでいればあんな「案」になる筈はない。)

0041/日本共産党・党員学者は赤旗・前衛にのみ執筆しているか。

 昨秋にネットを散策していると、5年ほど前の「かつては渡辺洋三がそうであったが、最近では樋口陽一がもっとも多く一般向けの法学書を書いているのではないだろうか」という書き込みの一文に出くわした。
 樋口陽一著にはいずれ触れることとして、「渡辺洋三」という名で思い出したことがある。約20年前だろう、30歳ほど年上の人が、<渡辺洋三は日本共産党の「大学部長」だ>と私に言った。正確に「大学部長」だったかの自信はないが、また私に真偽を確かめる術はなかったが、おそらく事実で、大学所属の教員・研究者党員のトップ、「大学(学術)政策」の最高責任者だろうと想像した。渡辺洋三(1921-)は世間的な知名度は必ずしも高くないが、1970年代は東京大学社会科学研究所の教授だった。
 昨年8月に、渡辺洋三・日本社会はどこへ行く(岩波新書、1990)を通読してみたのだが、西側先進諸国よりも日本は「遅れて」おり、日本の「特殊的体質」等を除去しての日本社会の「民主的改革」が不可欠だとしていた。西欧との差違を強調して=日本を批判するための方便としての西欧なる基準をもち出して民主主義の徹底を主張するのは、まさしく日本共産党の路線そのままで(「遅れた」日本には「民主主義革命」が必要なのだ)、その枠内での具体的諸指摘・ 諸主張をしていた。あらためて手にとってみると、「西側の国で、日本くらい市民にとって自由のない国はない」と平然とのたまっている(p.234)。
 ドイツやアメリカには共産党はなく、一定の要件に該当する共産主義政党は結成・設立自体が禁止されているはずだ。しかし、日本では、日本共産党のれっきとした幹部が国立大学の教授を務めることができ、一般国民むけ書物を(岩波書店や朝日新聞社等の出版社を通じて)自由に出版でき、自由に(共産党的)意見を述べられる。コミュニスト、共産党員にとって「日本くらい自由のある国はない」のではなかろうか。国公立大学教員―私立大学を含めてもよいが―のうち共産党員が占める比率は、西側先進諸国中で日本が最大ではなかろうか。
 岩波新書に限らず、朝日新書、ちくま新書等々の「一般」向け書物を日本共産党員がその旨を隠して執筆している例は、歴史・経済部門も含めて、多数あるはずだ。かかる実態は広く知られておいてよいと思われる。
 1996年初めに首相は村山富市から橋本龍太郎に変わったのだったが、この頃に最終的執筆があったと思われる渡辺洋三・日本をどう変えていくのか(岩波新書、1996.03)も、見てみた。最後の方に当時の政局又は政党状況を前提にした各党への批判的コメントがあり、自民党、小沢党首の新進党、新党さきがけ、村山退陣とともに日本社会党から改名した社会民主党に触れている。しかし、何と日本共産党には何も言及していない。日本共産党という言葉は一回も出てこず、日本共産党が最も優れているとか自分の主張と近い(同じ)という旨も書かれていない! このことは、当時衆議院に15議席を占めていた共産党を小党という理由で無視したわけではなく、渡辺の主張が日本共産党のそれであることを問わず語りに証明しているようなものだろう。その意味で、とても面白い部分をもつ本だ。
 今は大学の入学式の季節だ。むろんその中には、法学部に進学した若者もいる。岩波新書は一定年齢以上の者にはまだ「権威」があるようで、そのような感覚の両親をもつ新入の大学生は、岩波新書の中から基礎的教養書又は入門書を購入しようとするかもしれない。法学(法律学)関連では、上に言及した二つを重複を避けて除外しても、渡辺洋三・法とは何か(1998)、同・法を学ぶ(1986)、同ほか・日本社会と法(1994)がある。
 但し、いかにマルクス主義又は共産党に独特の用語は出てこなくとも、上に述べたように、渡辺洋三はれっきとした日本共産党員だと推測される(樋口陽一氏の岩波新書もあるが、「基礎的教養書・入門書」にはならないだろう)。
 日本史関係では羽仁五郎・日本人民の歴史(1950)はさすがにもう絶版だが、井上清・日本の歴史(上)(中)(下)(1963-66)はまだ売られているようだ。井上清は元日本共産党員、のち「新左翼」支持のマルクス主義歴史学者だ。
 渡辺洋三や井上清の本を読むとマルクス主義者にならなくとも、少なくとも「反体制」、「反権力」的雰囲気だけはしっかりと身につけるに違いない。それが、岩波新書、そして岩波書店の出版意図だとも言える。読者本人や勧める親等の勝手なことではあるが、やや老婆心ながら。
ギャラリー
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