秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

林克行

1989/宮地健一による稲子恒夫。

 ロシア革命(とくにネップ)や日本共産党の詳細な主張・歴史認識に関心をもったのはとりわけ2016年になって以降だったように思う(むろんそれまで江崎道朗のレベルで全くの無知だったわけではない)。
 早々に入手したのは、古書でも安価ではなかったと思うが、以下だった。
 稲子恒夫編・ロシアの20世紀-年表・資料・分析(東洋書店、2007)。
 本文から事項索引まで、計1069頁。別に、はしがき・目次で計15頁。
 「編」となっているが、稲子以外の執筆者はいない。
 稲子恒夫、1927~2011。名古屋大学法学部教授、同大学名誉教授。
なお、レシェク・コワコフスキ、1927~2009。
 ----
 <宮地健一のHP>の中に、稲子恒夫に関する以下の記述がある。宮地によるものだと思われる。**(1)と**の間は、「」を付けないが、引用。但し、一部に下線を付し、全角数字は半角に改め、一文ごとに改行した。**(1)と**(2) がある/この区分けは秋月による。
 **(1)
 稲子恒夫名古屋大学法学部教授は、著名なソ連法学研究者で学者党員だった。
 ソ連崩壊前、彼は、ソ連体制・レーニン賛美党員で有名だった。
 しかし、ソ連崩壊後、「レーニン秘密資料」などに直接接し、愕然とした。
 彼は、ある時、水田洋名古屋大学名誉教授に会って、『私のロシア革命・レーニン認識は根本的に間違っていた』と告白した。
 その会話内容を私(宮地)は、水田教授からじかに聞いた。
 その後、稲子名誉教授は、脳梗塞の後遺症にもかかわらず、1991年ソ連崩壊後に発掘・公表された大量の極秘資料を収集・分析し、下記『ロシアの20世紀』(東洋書房、2007年4月、1069頁)を、70歳・1998年から80歳・2007年にわたり、10年間掛けて完成させた。
 私(宮地)が別件の大須事件取材で、稲子宅を訪問した時点も、彼は1069頁のすべてを自分でパソコンに入力している最中だと語った。
 彼は、出版後の2011年8月に死去した。
**(2)
 ちなみに、稲子教授に関するエピソードを一つ書く。
 1969年、全国の大学封鎖運動と同時期に、新左翼・革マルが、名古屋大学の文学部・教養部を封鎖し、立てこもった。
 名大の共産党3支部-(1)教職員支部・(2)院生支部・(3)学生支部は、封鎖対策問題でグループ会議を初めて開いた。
 私(宮地)は、共産党愛知県委員会の代表で参加した。
 私は当時、(3)学生党委員会と(2)院生支部も担当していた。
 3支部からトップが2人ずつ参加した。
 (3)学生党委員会は、共産党員400人・民青1000人を抱え、全学部だけでなく、文化部ほとんどにも共産党グループを配置していた。
 (2) 院生支部も全学部にできていた。
 場所は、稲子宅だった。
 稲子教授は、(1)教職員支部のトップだった。
 テーマは、封鎖解除をどうするか、だった。
 稲子教授の提案で、圧倒的多数の共産党・民青組織は、封鎖を包囲し、ビラ・立看板などの宣伝行動をするだけで、武力解除方針を採らないという結論で合意した。
 その時点、広松渉は、名古屋大学文学部教授で、ドイツ語・哲学を教えていた。
 彼は、封鎖学生の理論的指導者として、毎日、自由に封鎖学部を出入りしていた。双方に暴力的出来事もなく、新左翼・革マルはまもなく自ら封鎖を解除した。
 **
 稲子恒夫が日本共産党系くらいの知識は私にもあって、この欄の<マルクス主義法学講座>(日本評論社-編集担当/林克行)の紹介の中でも、稲子が有力な「マルクス主義法学」の研究者だったことが分かる。
 上によると、それ以上に、稲子恒夫は、名古屋大学の同党「教職員支部」のトップだったというのだから、「院生」と「学生」を除き、実質的には日本共産党名古屋大学総支部長だったと見てよいと思われる。
 その稲子恒夫が1991年12月のソ連解体以降に、名古屋大学同僚(・文学部)の水田洋に、こう告白したのだという。
 「私のロシア革命・レーニン認識は根本的に間違っていた」。
 1927年生まれの稲子は、1992年に65歳。
 1961年にはすでに入党していたのだろうから、少なくとも(人生の最も活動的な)30年間を、「根本的に間違っていた」「認識」をもって、ソヴィエト法または社会主義法という科目の教師およびこの分野の研究者として過ごし、かつ日本共産党という政治団体の有力な構成員を務めてきた、ということになる。
 一度きりの人生。哀切感、気の毒という感覚、を覚える。
 彼の現役?活動中に敵対していた勢力の一員だった者からすると、そう単純なものではないかもしれないが。
<宮地健一のHP>には「学者党員」に関するその他の記述もあるが、今回は省略する。
 田口富久治、長谷川正安等々、なぜか名古屋大学の法政・人文関係には日本共産党員教授が多い(多かった)。法学部といっても、公法・政治学分野に限られるかもしれないが。また、水田洋も。
 ところで、上に出てくる名古屋大学文学部教授・広松渉(廣松渉)は、のちに東京大学教養学部教授になった。1933~1994。
 廣松渉・生態史観と唯物史観(講談社学術文庫、1991。原書1986)の「はじめに」の中に、こういう旨の記述がある。「」は引用。
 梅棹忠夫の<生態史観>論文の「論趣には体制側のイデオロ-グを随喜せしめるものがあり」、一方で、「マルクス学徒の神経を逆撫でする言辞に充ちている」。梅棹論文はたしかに「唯物史観を採る者にとって甚だ"癇に障る" 代物である」。
 上の宮地健一の記述によると、広松渉は「封鎖学生の理論的指導者として、毎日、自由に封鎖学部を出入りしていた」。
 広松渉(廣松渉)自身の記述によっても(上に言及の部分以外も含めて)、日本共産党員または同党系の研究者ではなくとも、この人は「マルクス学徒」、「唯物史観を採る者」ではあったわけだ。
 日本の「左翼」の、または<左翼的雰囲気>の層の厚さ・深さを知っておく必要があるだろう。かつまた、ここには日本に独特なものがあると見られることも。

1247/日本評論社・法律時報という「容共」・「護憲」雑誌。

 現物を手にしていないが、別の某雑誌に載っている広告によると、日本評論社という出版社発行の専門分野の雑誌らしき「法律時報」の編集部は、法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じる(法律時報増刊)という書物(又は雑誌の特別号)を刊行している。そして、広告に謳われた惹き文章は次のとおりだ。
 安倍政権下で進行している『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す。憲法学はもとより、隣接領域や諸外国からの知見をも盛り込む」。
 この日本評論社がかつて1970年代に<マルクス主義法学講座>という講座もの、たぶん全8巻程度、を刊行していたことはこの欄ですでに何度か触れた。その際に触れたかどうかは忘れたが、そのときの同講座の編集担当者だった林克行は、のちに同社の社長になった。「左翼」性の明らかな浦部法穂および辻村みよ子の憲法(学)教科書は日本評論社から発行されている。上記の法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じるを含む広告欄の隣に掲載されている同社刊行の書物のタイトルは、家永三郎生誕一〇〇年で、誕生100年記念実行委員会編だから、家永三郎に批判的な本であるはずはない。
 日本評論社には、少なくともかつて、家永三郎の子息も勤務していた。
 家永三郎に関する書物の隣で広告されているのは、樋口陽一・森英樹・辻村みよ子ら編の国家・自由・再論、だ。
 したがって、この出版社発行の雑誌編集部が「『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す」ことを図ることは当然かもしれないし、そのことをここで批判するつもりもない。改憲派の雑誌もあるし、護憲(又は憲法改悪阻止)派の雑誌もある。
 だが、朝日新聞社や岩波書店以外に、明確に憲法改正反対の方針をもつ法学関係の雑誌、そして出版社があることは広く知られておいてよいと思われる。いつか触れたが、日本共産党系又は親日本共産党の(当然に日本共産党員学者を含む)「民主主義科学協会法律部会」(民科・みんか)という学会の機関誌を発行しているのも、この日本評論社だ。
 関西系のテレビで夕方に「反安倍」の立場でコメントしていて今春頃に降りた(その理由は知らない)森田実は東京大学学生時代に日本共産党→ブントの活動家だったはずだ。
 森田実は、ネット情報によると2007年5月の自著出版記念会で、こう挨拶している。「来る7月22日の参院選を、日本国民が過去を反省し、国民の多数が誤った政治を支持してきたという過去の過ちを正し、再出発する日にしたい」、「そのためには、日本国民が安倍自公連立政権の側に立つ政治家を拒否すること、安倍自公連立政権の対極に立つ野党(民主党、社民党、国民新党)の候補者を当選させることが必要である」。
 そして、この会に出版社社長の中でただ一人メッセージを寄せたのは、日本評論社社長・林克行だった。
 どうやら、森田実は、少なくとも一時期、日本評論社で働いていたようだ。
 このような「政治的」立場の明確な出版社であることを知ってこの社から本を出している者もいるだろうし、また法学界には、日本評論社的な<親共、反・反共>の者が多いのかもしれない。
 だがもちろん、このような立場・考え方が<親中国・親北朝鮮>のそれでもあることを、とくに定見もなくこの出版社から本を出したり、この社の雑誌に執筆している(脳天気な)者たちは知らなければならない。

0516/日本共産党系学者による、講座・革命と法(日本評論社、1989-)。

 日本共産党がその勢力・「大衆的人気」のピークを迎えた頃、1976年から1980年まで、日本評論社から天野和夫=片岡曻=長谷川正安=藤田勇=渡辺洋三編・マルクス主義法学講座全八巻が刊行されたことはすでに触れた。編者は全員が日本共産党員だと見られることは既に述べたと思うし、所持している巻のかぎりでは、非又は反・日本共産党派の法学者は(かりにいたとしても)執筆者に加えられていない。また、現社長の林克行が編集担当だったようであることは、最終刊の第五巻に触れたときに記した。
 第一巻・第三巻・第五巻・第六巻については、目次・執筆者程度のそれらの内容を、すでに紹介した。
 その後の日本共産党の退潮あるいはひょっとすれば法学界内部での日本共産党系マルクス主義者の減少によって、類似の企画はなかったかと思っていたが、どっこいそうではなく、上記の編者のうち三人、すなわち長谷川正安・渡辺洋三・藤田勇を編者として、1989年から講座・革命と法というのが、やはり日本評論社から出版されていることを知った。
 各巻のタイトルは、第一巻・市民革命と法、第二巻はフランス人権宣言と法、第三巻は市民革命と日本法。第一巻は、1989年の7月に、第二巻は1989年の11月に出版されている。「人権宣言200年記念」と謳われているとおり、1789年のフランス革命から200周年を記念としての企画だったと思われる。だが、その年にベルリンの壁が崩壊し、翌々年には「社会主義」ソ連邦も解体してしまうとは、企画者・編集者・執筆者はきっと想像もしていなかっただろう。
 さて、第一巻の目次前の「刊行の言葉」(第二巻でも共通)で、編者たちは三名連名で例えば次のように書く。-「ここでは、『革命』という…概念を、なによりもまず『ある階級の手から他の階級の手への国家権力の移行』(レーニン)として理解する」。「マルクス『経済学批判』序言にいう『社会革命』の問題が想起される。ここでは、土台と上部構造の全体、すなわち、社会構成体の構造的転換が『社会革命』としてとらえられている」。
 また、第二巻の序説を担当して藤田勇は例えば次のように書く。-「ロシア革命はフランス革命とその『伝記』を世界史的に蘇らせた」。「ブルジョア革命をのり超えたものとしての社会主義革命を称揚するという文脈」でだけではなく、「社会主義革命の遙かな水源を開いたという理論的意味づけ、世界史の運動における『革命』…の意味づけにかかわってのフランス革命の蘇り」だった。「じつはフランス革命は、近代ブルジョア社会の批判思想としての社会主義(共産主義)思想の起点をなしている」。「フランス革命二〇〇年は、近代社会主義史をその不可分の構成部分とする」。
 藤田勇は「社会主義」ソ連邦が解体したあとも「社会主義(共産主義)」や「ロシア革命」についてこう書いたのだろうか。のちの日本共産党の公式見解―ソ連は「社会主義」国家ではなかった―とは違って藤田はロシア革命を「社会主義」革命と理解しているようであることも興味深いが、のちにはロシア革命=「社会主義」革命は間違いなく正しいが、この道を誤らせた(「社会主義」でなくした)のはスターリンだった、とでも書くのだろうか。
 それにしても、化石のような、というか黴が生えたような、マルクス主義「教条的」な文章を久しぶりに読んだ。
 なお、上の藤田の文に見られるように、フランス革命はロシア革命の「水源を開いた」ものと理解されていることに注意が向けられてよい。かつて、あるいは現在もなお、フランス革命を「賛美」し積極的に肯定的評価を下した(している)者の多くは、少なくとも気分としては、ブルジョア資本主義社会→労働者中心の「社会主義」社会という<進歩的>・<発展段階的>歴史観を抱いていたことは隠れもない、と思われる。
 以下、上の講座の第一巻と第二巻の章・節等と執筆者名を記録しておく。マルクス主義法学講座の執筆者は自ら「マルクス主義」者であることを自認していたと思われるが、こちらの方の執筆者は全員がそうではない、と思われる。しかし、<親>マルクス主義(かつ親・日本共産党、少なくとも<反・反日本共産党>)の者であることは疑い難いものと思われる。所属は発刊当時。加藤哲郎は法学者ではなさそうだ。
 第一巻 第一章「イングランド革命と法」-戒能通厚(名古屋大学)
 第二章「アメリカ革命と法」-望月礼二郎(東京大学)
 第三章「フランス革命と法」
  第1節「フランス革命と近代憲法」-樋口陽一(東京大学)
  第2節「フランス革命と近代私法秩序」-稲本洋之助(東京大学)
  第3節「フランス人権宣言と刑事立法改革」-新倉修(國學院大学)
 第四章「ドイツ革命と法」
  第1節「フランス革命期の人権(基本権)思想」-石部雅亮(大阪市立大学)
  第2節「『法による社会変革』と法律実証主義」-広渡清吾(東京大学)
 第二巻・序説・第一章「フランス人権思想と社会主義思想」のうち「はじめに」・第3節以下-藤田勇(東京大学)
 第一章の第1節・第2節-鮎京正訓(岡山大学)
 第二章「ロシア革命思想における法の観念」-大江泰一郎(静岡大学)
 第三章「東欧革命における民主主義の問題」
  第1節・第2節-早川弘道(早稲田大学)
  第3節-竹森正孝(東京都立短期大学)
 第四章「社会主義と『政治的多元主義』」-小森田秋夫(東京大学)
 第五章「フランス人権宣言と第三世界」-鮎京正訓(岡山大学)
 第六章「フランス人権宣言と現代の『民主主義革命』」-加藤哲郎(一橋大学)
 以上。これらのうち若干のものについては、論及する機会を別にもちたい。何度か言及した、憲法学者・樋口陽一も上記のとおり、執筆者の一人だ。

0365/日本評論社・マルクス主義法学講座第6巻。

 日本評論社という出版社からマルクス主義法学講座なる全8巻の書物が刊行されたのは、1976~80年だった。
(同社は現在でも、法律時報・法学セミナー等の法学系雑誌や法学系書物を出版している。)
 この時期は、1967年に東京都(美濃部亮吉)、71年に大阪府(黒田了一)、75年に神奈川県(長州一二)で社共連合の候補が知事に当選していた頃、そして日本共産党が衆院で38(1972年)、39(1979年)、参院で20(1974年)という議席を獲得し、同党が<70年代の遅くない時期に民主連合政府を!>というスローガンを掲げていた頃にほぼ符合する。
 編者は天野和夫(立命館大/法哲学、1923-2000)、片岡曻(京都大/労働法)、長谷川正安(名古屋大/憲法、1923-)、藤田勇(東京大/ソビエト法、1925?-)、渡辺洋三(東京大/民法・法社会学、1921-2006)<所属大学名は当時>の5名で、全員が日本共産党員であるか同党の強いシンパと見られること(当然に「マルクス主義法学」者だとの自己宣明を躊躇していない者たちであること)は既に述べ、この講座の第一巻、第五巻、第三巻(紹介順)の執筆者(「マルクス主義法学」者たち)および簡単な内容の紹介をすでに行った。
 第一巻→ 2007.06.10
 第五巻→ 2007.07.05
 第三巻→ 2007.07.12
 以下では、第六巻・現代日本法分析(1976年10月刊)について紹介し、記録にとどめておく。目次的内容と執筆者は次のとおり。
 第一章・総論-憲法体系と安保法体系(長谷川正安/名古屋大)
 第二章・現代日本法と国際関係(松井芳郎/名古屋大)
 第三章・現代日本の立法機関とその作用(森英樹/名古屋大)
 第四章・現代日本の行政機関とその作用(室井力/名古屋大)
 第五章・現代日本の司法機関とその作用(庭山英雄/中京大)
 第六章・現代日本の地方自治(永良系二/龍谷大)
 第七章・現代日本の基本的人権(長谷川正安/名古屋大)
 第八章・現代日本における政策と法
  第一節・概説(片岡曻/京都大)
  第二節・防衛政策と法(吉岡幹夫/静岡大)
  第三節・経済政策と法(宮坂富之助/早稲田大)
  第四節・土地政策と法(安武敏夫/静岡大)
  補論・農業政策と法(渡辺洋三/東京大学)
  第五節・労働政策と法(前田達男/金沢大学)
  第六節・社会保障政策と法(小川政亮/日本社会事業大)
  第七節・公害・環境問題と法(甲斐道太郎/大阪市立大)
  第八節・教育政策と法(永井憲一/立正大+小島喜孝/総合労働研)
  第九節・治安政策と法(前野育三/関西学院大)
 以上。
 日本共産党員法学者のうちの、各法分野の最有力者・第一人者が執筆しているようだ(厳密には「全員が日本共産党員であるか同党の強いシンパと見られる」としか語れないのだが、上記の人々、<マルクス主義法学講座>に<公然と>執筆している人々、は日本共産党員だろうと私は推測している)。
 ところで、すでに触れた第五巻の「あとがき」を何げなく見ていて気づいたのだが、第五巻の刊行(1980.08)で全八巻の刊行は終了しており、編者たちが、「小林社長や担当の林克行、山本雄をはじめとする日本評論社のみなさん」に謝辞を記している(p.359)。
 このうち、林克行は現在、日本評論社の社長になっている。同社のHPのトップページには、同社刊の「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人ための本」のためだけのアイコン文字? が堂々と存在する。
 (なお、ネット情報によると、今年5月3日の森田実著『アメリカに使い捨てられる日本』(日本文芸社刊)出版記念会に彼は、《『アメリカに使い捨てられる日本』のご出版おめでとうございます。マスコミがこの国の形、行方について必ずしも真実を伝えない時代、本書の救国、愛国の志に感銘を受けました。本書の普及と今後のご健筆を心より祈念申し上げます。》とのメッセージを寄せている。日本評論社は森田実の本も多数出版しているようだ。)
 さて、林克行は1970年代にむろん社の仕事として関与したのだろうが、編集者または出版関係人として、<マルクス主義法学講座>なるものの当時および現在の存在意義、それを出版したことの意味をどう理解し、どう回顧しているのだろう。少しは恥ずかしい思いを抱かないかと、あるいは時代・歴史の進展を見誤っていたとは思わないかと、一度、直接に訊ねてみたいものだ。

 

0263/マルクス主義法学講座第5巻(1980)で全巻配本。

 日本評論社刊のマルクス主義法学講座第五巻を古書で入手したが、この巻はたまたま最終配本号で発行は1980年8月だ。
 6/10に書いたように第一回配本の第一巻刊行は1976年6月だった。4年余りを経て、全8巻が刊行されたことになる。
 この講座ものが日本共産党員学者を中心に執筆されていると見られることはすでに記した。
 1976年頃は同党は<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていて、衆院に限ると1967年・5→1969年・14→1972年・38と三倍近くの増を二回繰り返していたから、かりに二倍ずつの増加としても、あと二回の総選挙で→76→152になることになり、日本社会党との連立政権(両党で過半数制覇)も夢ではない雰囲気がいっときはあった。だが、衆院議席数は1976年に16と下がり、1979年に39と盛り返したものの、100にはとても届かず、民主連合政府の<夢>も幻となった。
 参院も1971年・10→1974年・20と倍増していたが、その勢いは続かず、1977年には16と後退した。
 余計なことを書いているが、このマルクス主義講座が刊行された1976年には日本共産党系マルクス主義者には現実的<夢>がまだあった。近いうちに自らが党員である又は強く支持する日本共産党が参加する政権生まれるという希望をもっていただろう。しかし、全巻が揃った1980年には客観的にはその<夢>が現実化するのはきわめて困難なことが明らかになっていたはずだ。
 それでも、ともあれ、マルクス主義法学講座なる大系ものが出版されたというだけでも、現在とは異なる1970年代後半の<雰囲気>の一端は感じ取るべきだろう。どのような想いで、執筆者たちは講座完結の日を迎えたのだろう(その後、この種の「マルクス主義法学」講座ものは出ていない。この語を題に使った本も極めて稀だろう)。
 編集委員一同は末尾の「講座の完結にあたって」で、「この講座を出発点とし、あるいはこれをふみ台として、若い優秀なマルクス主義法学研究者が多数育ってくれれば、これに過ぐる幸いはない」と書いているが、はたして、80年代以降に全く新しいマルクス主義法学研究者たちの養成・成長があったのかどうか。むろんよくは知らないが、現在(表向きは隠していても)マルクス主義的な法学研究者である者は、ほとんどが70年代末までにはマルクス主義の<洗礼>を受けていたようにも思える。
 但し、マルクス主義法学研究者の指導を受けた者の多くは積極的なマルクス主義者にならずともマルクス主義を異端視あるいは嫌悪しない<容共的>研究者になっただろうことは想像に難くない。
 上の末尾の言葉の中には、出版社としての日本評論社への謝辞もあり、社長の小林昭一、「担当」の林克行(現在、社長)、山本雄の三名の名を挙げている。かかる講座を企画・出版することは、それなりの<思い入れ>がないとできないだろう。この三名の名も記憶にとどめたい。
 さて、第五巻は<ブルジョア法の基礎理論>が全体テーマで、執筆者・担当部分は次のとおりだ。()は所属。6/10に既に記した者については省略した。
 <渡辺洋三(東京大)-「はしがき」・「第一章・総論」・「第二章・財産制度―その理論史的検討」・「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題三」
 本間重紀(静岡大)-「第三章・現代財産権論」
 江守五夫(千葉大)-「第四章第一節・家族/近代市民婚姻法の構造」
 黒木三郎(早稲田大)-「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題一・二・四」
 長谷川正安(名古屋大)-「第五章-基本的人権」・「第六章第一節・議会主義と権力分立/近代憲法の組織原理」
 森正(名古屋市立女子短大)-「第六章第二節・議会主義と権力分立/議会主義」
 今井証三(日本福祉大)-「第六章第三節・議会主義と権力分立/権力分立」
 下山瑛二(東京都立大)-「第七章・行政権」>
 以上で目につくのは、編集委員でもある渡辺洋三(東京大学社会科学研究所)と長谷川正安(名古屋大学法学部)が、重要な部分をかつ分量的にも長く執筆していることだ。
 それぞれ岩波新書を複数書いているこの二人が、この当時および1980年代くらいまでの、日本共産党系マルクス主義法学者のリーダー格だったと推測できなくもない。

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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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