西尾幹二における、日本の「神話」(それも日本書記・古事記の「全体」)→<女系天皇の否認>という『論理」・「推論」のひどさと誤りについては既述だが、1999年の『国民の歴史』に関係させて今後も指摘するだろう。
以下は、上の主題に関しての一例。
No.2150/2020.02.16の一部のそのままの掲載・再掲。
「削除」=「割愛」、その意味での「短縮」を行なっているが、以下の部分はかつてと全く同じ。
西尾幹二がその個人全集ですらしているような、既発表論考の近年になっての加筆・修正は、いっさい行なっていない。
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一 神話→女系天皇否認、ということを、西尾幹二は2010年刊の書で、すでに語っていた。
西尾幹二・GHQ焚書図書開封4/「国体」論と現代(徳間文庫、2015/原書2010)。
文部省編・国体の本義(1937年)を読みながら解説・論評するふうの文章で、この中の「皇位は、万世一系の天皇の御位であり、ただ一すじの天ツ日嗣である」を引用したのち、西尾はこう明言する。p.171(文庫版)。一文ごとに改行。
「『天ツ日嗣』というのは天皇のことです。
これは『万世一系』である、と書いてあります。
ずっと一本の家系でなければならない。
しかもそれは男系でなくてはならない。
女系天皇では一系にならないのです。」
厳密に言えば文部省編著に賛同しているか否かは不明であると言えるが、しかしそれでもなお、万世一系=女系天皇否認、と西尾が「解釈」・「理解」していることは間違いない。
ひょっとすれば、2010年以前からずっと西尾はこう「思い込んで」きて、自分の思い込みに対する「懐疑」心は全く持とうとしなかったのかもしれない。これは無知なのか、傲慢なのか。
二 万世一系=女系天皇否認、と一般に理解されてきたか?
通常の日本語の解釈・読み方としては、こうはならない。
しかし、前者の「万世一系」は女系天皇否認をも意味すると、この辺りの概念・用語法上、定型的に理解されてきたのか?
結論的に言って、そんなことはない。西尾の独りよがりだ。
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以上。
以上に直接につづく秋月の理由づけの部分を、やはりそのまま以下に再掲する。
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大日本帝国憲法(1889)はこう定めていた。カナをひらがなに直す。
「第一條・大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す
第二條・皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を繼承す」
憲法典上、皇位継承者を「皇男子孫」に限定していることは明確だが、かりに1条の「萬世一系」概念・観念から「皇男子孫」への限定が自動的に明らかになるのだとすると、1条だけあればよく、2条がなくてもよい。
しかし、念のために、あるいは「確認的」に、2条を設けた、とも解釈できなくはない。
形成的・創設的か確認的かには、重要な意味の違いがある。
そして、結論的には、確認的にではなく形成的・創設的に2条でもって「皇男子孫」に限定した(おそらく女系天皇のみならず女性天皇も否認する)のだと思われる。
なぜなら、この旧憲法および(同日制定の)旧皇室典範の皇位継承に関する議論過程で、「女帝」を容認する意見・案もあったところ、この「女帝」容認案を否定するかたちで、明治憲法・旧皇室典範の「皇位」継承に関する条項ができているからだ。
「万世一系」が「女帝」の否認・排除を意味すると一般に(政府関係者も)解していたわけでは全くない。
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