「保守主義」と「進歩主義」の差違・対比について佐伯啓思が述べている部分を先日に要約した。
これとの関係で、丸山真男が次のように明確に述べているのは興味深い。丸山真男集・第12巻(1996.08)所収の「『現代政治の思想と行動』英語版への著者序文」にある文章で、これは基本的には1962年に英文で丸山が書いたものを1982年に一部手直しをしつつ日本語化したもののようだ。
すなわち、「私は自分が十八世紀啓蒙主義の追随者であって、人間の進歩という『陳腐な』観念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する」(全集12巻p.48)。
何ともあっけらかんとしたものだ。これで済ますことができた時代の学者・知識人は<楽>だったに違いない。
全集のこの巻(1982~1987)には丸山真男とマルクス主義との関連、丸山の思想的背景等を示す文章が収録されていて、資料的価値は高いだろう。
なお、樋口陽一は、全集第10巻(1996.06)の月報に登場して、丸山真男を「先生」と呼び、丸山のある文章の慧眼ぶりを敬意をもって記す文章を載せている。さすがに<進歩的知識人>の衣鉢を継いだ者というべきだろう。
ついでに、全集第8巻(1996.02)の月報の執筆者は、日高六郎、三木睦子、筑紫哲也の三名だ。全部を見たわけではないが、岩波が依頼したはずの月報執筆者は、全員がいわゆる「左翼」のオン・パレードではないか。
これとの関係で、丸山真男が次のように明確に述べているのは興味深い。丸山真男集・第12巻(1996.08)所収の「『現代政治の思想と行動』英語版への著者序文」にある文章で、これは基本的には1962年に英文で丸山が書いたものを1982年に一部手直しをしつつ日本語化したもののようだ。
すなわち、「私は自分が十八世紀啓蒙主義の追随者であって、人間の進歩という『陳腐な』観念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する」(全集12巻p.48)。
何ともあっけらかんとしたものだ。これで済ますことができた時代の学者・知識人は<楽>だったに違いない。
全集のこの巻(1982~1987)には丸山真男とマルクス主義との関連、丸山の思想的背景等を示す文章が収録されていて、資料的価値は高いだろう。
なお、樋口陽一は、全集第10巻(1996.06)の月報に登場して、丸山真男を「先生」と呼び、丸山のある文章の慧眼ぶりを敬意をもって記す文章を載せている。さすがに<進歩的知識人>の衣鉢を継いだ者というべきだろう。
ついでに、全集第8巻(1996.02)の月報の執筆者は、日高六郎、三木睦子、筑紫哲也の三名だ。全部を見たわけではないが、岩波が依頼したはずの月報執筆者は、全員がいわゆる「左翼」のオン・パレードではないか。