秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本青年協議会

2492/西尾幹二批判052—神話と日本青年協議会②。

 (つづき)
  西尾幹二「神話の危機」2000年10月は日本青年協議会等の会員むけの「講演」内容だから、その点には留意しておく必要がある。
 日本青年協議会の上部団体とされる〈日本会議〉は「つくる会」を追いかけるように1997年に設立され、西尾が「撹乱」や「乗っ取り」を感じるまでは、〈新しい歴史教科書をつくる会〉と〈日本会議〉は友好関係にあり、またそれ以上に、「つくる会」の運動を支え、助ける有力な団体だった、と思われる。
 西尾幹二会長にとっては、自分自身への「力強い味方」だった。
 西尾が、日本の神話の具体的内容、古事記や日本書紀の「神代」の叙述、神道や広く日本の宗教について、1996年の「つくる会」設立段階でどの程度の知識・素養があったかは疑わしい。
 同・国民の歴史(1999)でも、日本の「神話」に言及しつつ、なぜか「日本書紀」や「古事記」という言葉を用いていないし、「神話」につながる日本の王権、といった論述もしていない。
 また、日本人の「顔」を示すという仏像等の写真を多数掲載しながら、「仏教」と「神道」の違い等には何ら触れていない。
 おそらくは1999年著の上の点を意識して、再度少し広げて引用すると、2000年講演では、こう言った。論評すると長くなるので、内容に介入しない。
 「日本人にとって仏教というものは、難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在だと言えるでしょう。仏教は金色の美しい彫刻を通して、美という感性的なものとして百済からこの国に入ってきた。だから、素晴らしい仏教彫刻を残すことが出来た。それは日本人のアニミズム的な自然崇拝とつながっており、だから日本の神話と仏教信仰とは初めから何らの矛盾なく整合したのだと思います」。
 きっと、だから1999年著では「難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在」として仏教彫刻の写真を多数掲載した、と釈明?しているのだろう(なお、それら仏教彫刻の選定は実質的には田中英道(第二代会長)の助言が大きかったことを、田中がのちに明らかにしている。全集第18巻・国民の歴史「追補」、p.734(2017))。
 ともあれしかし、1999年著と比較すると、「神話」、天皇、「神道」に関する明瞭な論述には驚かされる。
 西尾はこう断定的に語る。自分自身が、こう「信じて」いるのだ。
 ・「日本の天皇の場合は神話の世界とも、自然とも全部つながっている。これは世界に類例がありません」。
 ・「神話」は「まっすぐ天皇制度につながっている」。「もし王権につながってこないのなら日本の神話はほとんど意味がない」。
 ・「神話が王権の根拠になっていることが、世界史の中で日本民族が自己を保っている唯一のよりどころ」だ。
 1999年から一年間の間に、「つくる会」運動の有力な支持者である〈日本会議〉・日本青年協議会の歴史観・天皇観、宗教観を、相当に要領よく「学習」したのだろう。
 西尾はのちの2009年には、日本青年協議会は「西洋の思想家の名前」を出すと叱り、「天皇国、日本の再建を目指しますということを宣明させ」るような、「目を覆うばかり」の「おかしい」団体だと明言したのだったが。
 やや離れるが、西尾幹二は、読者(+書物や雑誌の編集者)や聴衆の気分・意向を考慮し、「忖度」することを絶えず(気づかれにくいように)行っている「もの書き」だと考えられる。誰しも、文筆業者はある程度はそうかもしれないが。
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  西尾幹二と〈日本会議〉または日本青年協議会との関係の変化は、つぎのようなものだろう。なお、私が初めて西尾の文章を読んだのは、下の③の時期だ。
 ①無関係—②親〈日本会議〉—③反〈日本会議〉(・反八木秀次)—④宥和的?
 ③の時期には「西洋の思想家」を排除するのは「おかしい」とし、八木秀次批判文(国家と謝罪(徳間書店、2007年)p.80)では八木は「近代西洋思想に心を開いた人で、いわゆる国粋派ではないと思っていた」と書いていた。まるで自分は「西洋」派であって「国粋」派ではないかのごとくだ
 池田信夫の2014.09.07の「冷戦という物語の終わり」と題するブログは、有力メンバーの一人として坂本多加雄が参加した「つくる会」運動は「時代錯誤の皇国史観に回収されてしまった」、と書いていた。
 それぞれの言葉の意味は問題になるが、しかし、西尾幹二は実際にはまさに「国粋」派で「皇国史観」の持ち主だとの印象を与え続けている。
 すなわち、神話=王権の根拠(かつまた「神話」にもとづく天皇位はずっと男系男子だった)という理解と主張を変えていないことは、既述の月刊WiLL2019年4月号での発言からも分かる。
 また、「つくる会」分裂後・反〈日本会議〉の時期である2009年にも、同様のことを述べている。『国体の本義』(1937年)に論及する中で、明確にこう書く。
 ・「日本のように地上の存在である天皇が神に繋がるということを王権の根拠としている国は例外的であり、唯一無比であるかもしれません」。
 ・「天照大神の御子孫がそのまま天皇の系図につながるというのは、他にかけがえのない唯一の王権の根拠なのです」。
 西尾「日本的王権の由来と『和』と『まこと』」激論ムック2009年7月発行、同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)所収、p.188-9。
 1999年頃に日本青年協議会と〈日本会議〉の史観から影響を受けたことは、その後の西尾をかなり大きく変えたのかもしれない。
 もっとも、そうなったからこそ(かつ男系男子論を固持しているからこそ)、産経新聞出版から2020年にかつての産経新聞「正論」欄寄稿文をまとめた書物(編集担当・瀬尾友子)を刊行してもらえる<産経文化人>であり続けることができているのだろう。
 一人の個人でいることはできず、既述のように、「最後の身の拠き所」をそこに求めているのだ。
 上の④「宥和的?」とみなす根拠はあるが(この欄ですでに少しは触れてはいるが)、今回は省略する。
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2464/西尾幹二批判040—「つくる会」運動②。

  西尾幹二個人編集の同全集17巻・歴史教科書問題(国書刊行会、2018)の大きな特徴は、「つくる会」の一定時点以降の自分の文章をいっさい(但し、明記に矛盾する例外がある)収載していないことだ。
 個人全集にはおそらく珍しく、著者自身が各巻にけっこう長い「後記」を付しているが、この巻ではその冒頭で真っ先に、西尾はこう明記する。
 「本巻は『新しい歴史教科書をつくる会』が創立されてから、会長や名誉会長の名で私が総括責任者であることを公言していた約十年間の私の発言記録である」。時期的には、1996年12月から2006年1月まで、の約9年余りにあたる。p.747。
 ただちに生じる疑問は、なぜ上の時期、会長・名誉会長だった時期に限るのか、だ。その論理的必然性は全くない、と言えるだろう。
 なぜか。それは、「後記」の中で「『つくる会』の内紛と分裂」と西尾自ら簡単に書いている(p.759)ものに触れたくなかったからだろう。
 2006年1月以降、西尾が「つくる会」や歴史教科書問題について何ら文章を発表していない、というのであれば、それもやむを得ないかもしれない。
 しかし、秋月ですら、「つくる会」の内紛と分裂について語る文章または発言を含む、つぎの二つを所持している。
 ①西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)。
 ②西尾=平田文昭・保守の怒り(草思社、2009年12月)。
 「つくる会」の分裂が歴史教科書問題と無関係である筈がない。いわゆる「保守的」な歴史教科書が二種出版される事態が発生し、それは現在まで継続しているからだ。
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  西尾幹二は、自分史(自分の歴史)の中に「つくる会」の内紛と分裂を含めたくないのだろう。
 これと全く無関係だったならば、その合理的理由はある。
 しかし、その内紛と分裂に、西尾自身が不可分に、密接に関係していた。
 そしてまた、その問題と関係のない文章だからだろう、歴史教科書には関係する、2006年1月以降の文章を上の第17巻に収載することを堂々と行なっている。
 ①「同会創立二十周年記念集会での挨拶(代読)」(2017.1.29)。p.710-。
 これは容赦してよいかもしれない。では、つぎはどうか。
 ②「高校の歴史教育への提言」(西尾=中西輝政・日本の『世界史的立場』を取り戻す(祥伝社、2017)の西尾執筆「まえがき」)。p.717-。
 これは西尾が会長・名誉会長として、その期間内に書いた文章ではない。
 にもかかわらず、上に引用した「後記」冒頭の明記とも矛盾して、堂々と?収載している。
 結局は、西尾の「個人編集」の嗜好に依っているわけだ。
 西尾が、自分の「つくる会」との関係について、読者が理解してほしいと望むように、「解釈」の素材を取捨選択して収載している。なお、上の①『国家と謝罪』収録文章のうち、重要なものは割愛して、名誉会長退任挨拶状だけは載せている。
 これはおそらく、西尾幹二の「歴史」観と無関係ではない。この「歴史」には「自分史」も含まれる。
 客観的「事実」に接近するのは少なくともきわめて困難で、結局は残された「文章」によって「解釈」されるほかはない、従って、当事者である自らが「つくる会」・歴史教科書問題との関係を証する文章を選んで全集に残すことによって、その「解釈」を(ある程度、または相当程度)操作することができる、と考えているのではないか。
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  ニーチェ『この人を見よ』の冒頭の一節の最後に、こうある。
 「私の言葉に耳を傾けてくれ! 私はこれこれの者であるのだから。
 どうか、私のことを勘違いしないでもらいたい!」
 訳は、丘沢静也・光文社古典新訳文庫によった。
 これを利用させていただくと、西尾はさらにこう言いたいのではないか。
 私の「つくる会」や歴史教科書問題とのかかわりは、全集第17巻に収載した文章の範囲で、それらのみを素材にして理解してもらいたい。どうか、私のことを勘違いしないでくれ!
 なお、文章の取捨選択はもとより、どのような順番で体系的に?それらを並べるかも、「個人編集者」である西尾は十分に留意して、2018年時点での「構成」を行なっている。
 さらに、「後記」では各文章の「読み方」まで親切に?ガイドし、一部にはその「評価」をも自ら書いている。
 どうか、私のガイドに従って、私が指示する留意点に沿って読み、私がすでに書いているように「評価」してほしい、というわけだ。
 「どうか、私のことを勘違いしないでもらいたい!
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 四 付/上の内紛・分裂の経緯は、今後少しは立ち入るが、私にはよく分かっていない。
 上に掲げた西尾=平田文昭・保守の怒り(草思社、2009年12月)にここでは限って、これに関係する西尾幹二のこの時点での発言を、以下に記録しておく。「」内は、そのままの引用だ。全て西尾発言。一文ずつ改行する。段落最後には//を付す。
  「保守はカルト汚染を克服できるか」との見出しの項。p.262-。
 ある若い人からこう聞いた。「ある若い方が日本青年協議会という団体の青年部に入って修行しようとしたときに、西洋の思想家の名前などを挙げると、思いが足りないと言って叱られ、それからいろいろ日本の思想家のことを言っても思いが足りない、あの人たちはだめだと言って、硬直したドグマをたたき込まれるんですね。
 葦津珍彦先生、三島由紀夫先生、小田村寅二郎先生、谷口雅春先生のご意志を受け継ぎ、天皇国、日本の再建を目指しますということを宣明させられて、そして次なることを強いられると。//
 いつ何時も天皇陛下が今、何を考え、何を思っていらっしゃるかを考えて、日々、生き抜いていけと説き、それこそが天皇陛下の大御心に従った正しい生き方であると、若い人たちに説いている。
 平和時にこんなことを強いるのはおかしいと思った。
 こういうのって天皇陛下ご自身が迷惑にお感じになるはずです。…」//
 「いまだにそんなことをやっているグループがあると、目を覆うばかりですが、これが日本青年協議会、これは日本会議の母体で、日本会議はこれの上部団体ですから、今でも日本青年協議会は存在し、組織は日本会議と一体です。
 同じ場所にあるんです。
 日本会議と称する一つの団体が何を考えているのか、と不思議でならないですね。」//
 彼らは自分の正体を「隠しているんですね。
 自分たちが隠れて、偉い先生、裁判官とか、大学教授とかを表に並べて、そして実権を握っている事務局は後ろに隠れていて操作しているんです。
 神社本庁も操られているかもしれない。
 それが保守運動を壟断するから困る。
 『新しい歴史教科書をつくる会』なんてえらい被害を受けた。
 ひそかに会の幹部に生長の家活動家が送り込まれていましてね。
 新田均、松浦光修、勝岡寛次、内田智の四人で、それにつくる会の事務局長だった宮崎正治がいて、宮崎が日本青年協議会に関係あることは知っていましたが、彼らがみんな生長の家信者の活動家で芋づるのようにつながっていることはある時期までわかりませんでした。
 このうち松浦氏ひとりは生長の家活動家ではなかったと聞いていますが、四人が一体となって動いていたことは間違いありません。
 宮崎事務局長が別件で解任されかかったら日本会議本部の椛島有三氏が干渉してきて、内部の芋づるの四人と手を組んで猛反発し、会はすんでのところで乗っ取られにかかり、ついに撹乱、分断されたんです。
 悪い連中ですよ。」//
 「『つくる会』にもぐりこんでいた生長の家活動家の内田智氏は弁護士で、彼らが引き起こした『怪メール』事件を私が雑誌に公開したら、いきなり口座番号を書いてきて五〇〇万円を振り込め、と法律家らしからぬ非合法スレスレの脅迫をしてきました。
 そのあと『国家と謝罪』という評論集に私が彼らへの批判文を載せたら本を回収せよ、と版元の徳間書店を威嚇しました。
 怪メールといい、脅迫といい、言論以外のめちゃくちゃなことをする連中であることを読者の皆さんにお知らせしておく。
 これが日本会議の連中のやることなんです。//
 問題は周辺の名だたる知識人が彼らの不徳義を叱責するのではなく、『国民新聞』その他で彼らとぐるになって騒いでいる情けなさですね。」//
  「神社本庁よ、カルトと同席するなかれ」との見出しの項。p.278-。
 「私がうすうす感じていた私とは異質な世界に住む異質な人々を、詳しく丁寧に教えていただいて、ありがとうございました。
 世の中の大半の人は日本会議や国民文化研究会や日本政策センターのような保守系のカルト教団のことは名前も知りません。
 私もずっとそうでした。…」//
 「私は個人尊重の人間で、運動家にはなれません。
 宗教団体に近づいたこともありません。
 そんな私が一時期とはいえ教科書改善運動に関わったのは矛盾であり、失敗でもありました。」//
 「教科書に関わったために右のような保守系団体の関係者に次第に知己ができ、催しものにも参加したことがありますが、馴染めないのはなぜだろうかとずっと考えてきました。
 なにしろ関係する知識人、言論人には特殊な教条主義の匂いがあり、幹部やトップがずっと同一で交替しないのも異様さを感じさせます。…
 私は左の政治団体運動が嫌いだったわけですから、ほぼ同じ理由で、右の政治団体運動にも好意を抱くことはできません。」//
 「民主党が政権についた…。…日本会議はどうするのでしょう。
 ことに地方では他に頼るべき保守的組織がないので、日本会議に無考えで参集する人が多いようですが、日本会議は人を集めて号令を発することは好きでも、汗をかくことを好まないタイプの人が多いとよくいわれるのもむべなるかなと思います。
 私は平田さんの説明で正体がよくわかったので、残された人生の時間に彼らとはいっさい関わりを持たないでいきたいと思います。」//
 ——
 以上。
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