秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本神話

2249/西尾幹二批判002。

 
 前回に引用した、つぎの西尾幹二の発言もすでに奇妙だ。月刊WiLL2011年12月号。
 ①「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、」
 ②「西洋の古典文献学、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです」。
 ③「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」 。
 上の①・②は一つの文、①・②と③は一続きの文章。
 第一に、前回に書き写し忘れていた「西洋の古典文献学」においては別として、ニーチェが「死んだ」という<神>と「日本の儒学、シナの清朝考証学」における<神>は同じなのか? 一括りにできるのか?
 ニーチェの思い描いた「神」はキリスト教上の「神」であって、それを、インド・中国・日本等における「神」と同一には論じられないのではないか。
 ①と②の間に何気なくある「が、」がクセモノで、いわゆる逆接詞として使われているのではない。
 このように西尾において、同じまたは類似の言葉・観念が、自由に、自由自在に、あるいは自由勝手に、連想され、関係づけられていく、のだと思われる。
 したがって、例えば1999年の『国民の歴史』での「歴史・神話」に関する論述もまた、元来は日本「神話」と中国の史書における「歴史」の差異に関係する主題であるにもかかわらず、「本質的」議論をしたいなどとのカケ声によって、ヨーロッパないし欧米も含めた、より一般的な「歴史・神話」論に傾斜しているところがある。
 そのような<発想>は、2019年(月刊WiLL別冊)の「神話」=「日本的な科学」論でも継承されているが、しかし、神話・歴史に関するその内容は1999年の叙述とは異なっている。西尾において、いかようにでも、その具体的「内容」は変化する。
 連想・観念結合の「自由自在」さと「速さ」は、<鋭い>という肯定的評価につながり得るものではあるが、しかし、「適正さ」・「論理的整合性」・「概念の一貫性」等を保障するものではない。
 ついでに、すでに触れたが、「神話」に論及する際に、「宗教」に触れないのもまた、西尾幹二の独特なところだ。日本「神話」が少なくとも今日、「神道」と切り離せないのは常識的なところだろう。しかし、1999年の『国民の歴史』で<日本>・<ナショナリズム>を示すものとして多数の仏像の「顔」等の表現を積極的・肯定的に取り上げた西尾幹二としては、仏教ではなく神道だ、とは2019年に発言できなかったに違いない。
 もともと1999年著を西尾は、神道と仏教(等)の区別あるいは異同(共通性を含む)に関心を持たないで執筆している。この当時は、神道-神社-神社本庁-神道政治連盟という「意識」はなかった可能性が高いが、これを意識しても何ら不思議ではない2019年の対談発言でも、日本「神話」の「日本の科学」性を肯定しつつも、<仏教ではなく神道だ>とは明言できないのだ。
 ここには、まさに西尾幹二の「評論」類の<政治>性の隠蔽がある。<政治評論>だからいけない、という趣旨ではない。その具体的「政治」性を意識的に隠蔽しようとしている欺瞞性を指摘している。
 第二に、西尾は「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」と何げなく発言している。だが、上の第一の問題がそもそもあることのほか、「ニーチェの問い」を問題として設定する、あるいはそれに対して回答・解答する義務?が「明治以後の日本の思想」にあるわけでは全くないだろう。
 したがって、これは西尾の「思い」にすぎない。ニーチェに関心がない者、あるいはニーチェの「問い」を知ってはいても反応する必要がないと考える者にとって、そんなものは無視してまったく差し支えない。
 もともとはしかし、「神は死んだ」というのはニーチェの「問い」なのか?(上の西尾の書き方だと、そのように読める)、という疑問もある。
 
 上の部分を含む遠藤浩一との対談は『西尾幹二全集』の「刊行記念」とされていて、2011年10月の第一回配本の直後に行われたようだ。
 したがって、西尾幹二の個別の仕事についてというよりも、<全体>を視野に入れたかのごとき対談内容になっている。
 そのような観点からは、つぎの西尾幹二の自らの発言は、すこぶる興味深い。p.245。
 「(遠藤さんもご存知のように、)私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした。
 …を皮切りに、…まで、『私』が主題でないものはありません
 私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません。」
 自分が書いたものは全て①「自己物語」で、②「『私』を主題」にしており、③「『私小説的な自我のあり方』」を問題にしてきた。
 上の③の要約はやや正確さを欠くが、いずれも同じ、またはほとんど同じ趣旨だろう。
 西尾幹二の発言だから、多少の<てらい(衒い)>があることは、差し引いておくべきかもしれない。
 しかし、ここに、西尾幹二の<秘密>あるいは、西尾幹二の文章(論説であれ、評論であれ、研究的論述もどきであれ)を読む場合に読者としてはきちんと把握しておかなければならない<ツボ>がある。
 瞞されてはいけないのだ。
 つまり、西尾自身が明記するように「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語」だ、というつもりで、読者は西尾幹二の文章を読む必要がある。
 この辺りの西尾自身の発言が興味深いのは、西尾の「論述」に、「自我=自己肥大」意識、その反面での厳密な「学術性・学問性」の希薄さをしばしば感じてきたからだ。
 少し飛躍してここで書いてしまえば-これからも書くだろうが-、政治や社会やあるいは「歴史」を<文学評論>的に、あるいは<文芸評論>的に論じてはならない。
 政治・社会・国家を<文学的・文芸的>に扱いたいならば、小説等の<創作>の世界で行っていただきたい。三島由紀夫のように、「戯曲」でもかまわない。
 「オレはオレは」、「オレがオレが」の気分で溢れていなくとも、それが強く感じ取れるような「評論」類は、気持ちが悪いし、見苦しいだろう。西尾幹二個人の「『私小説的な自我のあり方』」などに、日本や世界の政治・社会等の現状・行く末あるいはそれらの「歴史」に関心をもつ者は、関心を全く、またはほとんど、持っていない。
 
 レシェク・コワコフスキにつぎの書物があり、邦訳書もある。
 Leszek Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing - Quetions from Great Philosophers(Penguin Books, 2008/原著2004ー2008).
 =レシェク・コワコフスキ(藤田祐訳)・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014.01)。本文p.244まで。
 後者の邦訳書の藤田祐「訳者あとがき」も参照して書くと、この書はつぎのような経緯をたどったようだ。
 まず、ポーランドで(ポーランド語で)2004年、2005年、2006年に一部が一巻ずつ計3巻刊行された。
 そして、2007年に1冊にまとめての英訳書が出版された。但し、この時点では23人の哲学者だけが対象とされていて、副題も含めて書くと、英訳書の表題はこうだった。
 Leszek Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing - 23 Quetions from Great Philosophers(Allen Lane/Basic Books, 2007)。
 2008年版では、扱っている哲学者の数が、30にふえている。2007年以降に著者がポーランド語で追加したものも含めて、2008年の英訳書にしたものと見られる。
 なお、英訳者は、2007年版も2008年版も、Agnieszka Kolakowska。父親のLeszek Kolakowski は2009年に満81歳で逝去した。
 2008年版と上記のその邦訳書は30人の哲学者を取り上げている。
 つぎの30名だ。横文字で、全てを列挙する。()内の7名は追記版で加えられた人物。
 01-Socrates, 02-Parmenides of Elea, 03-Heraclitus of Ephesus, 04-Plato, (05-Aristotle), 06-Epictetus of Hierapolis, 07-Sextus Empiricus, 08-St. Augustlne, 09-St. Anselm, (10-Meister Eckhard), 11-St. Thomas Aquinas, 12-William of Ockham, (13-Nicholas of Cusa), 14-Rene Descartes, 15-Benesict Spinoza, 16-Gottfried Wilhelm Leibniz, 17-Blaise Pascal, 18-John Locke,(19-Thomas Hobbes), 20-David Hume, 21-Immanuel Kant, 22-George Wilhelm Friedrich Hegel, 23-Arthur Schopenhauer, 24-Sören Aabye Kierkegaard, 25-Friedrich Nietzsche, 26-Henri Bergson, 27-Edmond Husserl, (28-Martin Heidegger, 29-Karl Jaspers, 30-Plotinus)
 原著・第一の英語版では23名で、つぎの7名が後で加えられた(この説明は日本語版「訳者あとがき」にはない)。再掲する。
 05-Aristotle, 10-Meister Eckhard, 13-Nicholas of Cusa, 19-Thomas Hobbes, 28-Martin Heidegger, 29-Karl Jaspers, 30-Plotinus.
 さて、西尾幹二と比べてL・コワコフスキは遥かによく知っているなどという当たり前のことを記したいのではない。
 上に(25-)Friedrich Nietzsche があるように、L・コワコフスキはニーチェも当然ながら?読んでいる。30人の哲学者を一冊で扱っているので(但し、簡易辞典類のものでは全くない)、ニーチェについても邦訳書で8頁しかない(文庫本のごとき2007年版英訳書では、計10頁)。
 それでも、L・コワコフスキのニーチェに関する記述を参考にして(幸いにもすでに邦訳書がある)、ニーチェが西尾幹二に対して与えた深い?影響は何かを、少しは探ってみたい、と思っている。
 つづける。

2147/岡田英弘著作集第三巻・日本とは何か(2014)②。

 岡田英弘著作集第三巻・日本とは何か(藤原書店、2014)。
 以下、第Ⅴ部・発言集より。
 <日本の神話の起源
 ・「日本の神話の起源を論じるときには、二つの点から考えなければならない。
 一つは、神話というのは「現実を説明する方途」の一つだ、という点である。
 これは歴史と同じ機能なので、神話と古代史は混同されやすいのである。」
 ・日本の神話も「実際に行われていた祭りや宗教儀式の説明として、『日本書記』が編纂される過程で、新たにつくりだされていったのであろう」。
 ・「日本の神話は、時系列に沿って物語が進行する特異な構造になっている。それがギリシア神話などと大きく違うところである。
 『日本書記』を書いた人々は、『史記』、とくに「五帝本紀」の叙述の仕方を、明らかに意識していたと思われる。
 「五帝本紀」の「帝」というのは、天の神であり、また大地母神の夫であり、「五帝本紀」は、五人の帝が交代で天下を統治する、という筋書きである。
 『日本書記』を歴史に組み替えるとき、「五帝本紀」を意識して、同じようなパターンで神々の行動を時系列に並べた、ということであろう」。
 ・「もう一つの点は、神々の中心をなす神格が、アマテラスオホミカミになっていることである。…。それなのに中心の神格となっているのは、壬申の乱はアマテラスオホミカミの庇護によって成功した、という当時の人たちの認識が働いているからである。
 アマテラスオホミカミが中心に据えられていること一つをとっても、日本神話が今のような形をとった年代がわかる。」
 以上、p.505-p.506。初出、シンポジウム「古代史最前線からの眺望」月刊正論(産経)1998年5月号p.319-p.320。
 <古代から大和民族は存在したか
 ・「民族というのは、20世紀になって発生した観念である。19世紀に興った国民国家という体制が生んだ観念だと言っていい。
 現実に、大東亜戦争のあと、…独立した諸国を見ると、初めはそこに民族などない。独立してから民族をつくり始めている。」
 ・「大和民族はどうか。じつは日本人のあいだで民族という観念が共有されるようになったのも、20世紀に入ってからのことである。そもそも「民族」という言葉には外国語の用語がない。
 20世紀になって、日本で発明された純粋の日本語なのである。」
 ・「7世紀の日本天皇の出現で大和民族が生まれたのではないか、と疑問を持つ人がいるに違いない。じつは、そのときできたのは、民族ではなく、いわば日本というアイデンティティなのである。」
 ・「当時の日本列島には倭人のほかに、新羅人も百済人も高句麗人もいた。韓半島を見ても、新羅には高句麗人も百済人も漢人もいたし、百済には倭人も新羅人も高句麗人も漢人もいた。…。
 つまり、日本列島も韓半島も、さまざまな人たち、異質の者たちの雑居状態だった。」
 ・「こうした状況を変えたのは、シナにおける唐の勃興である。
 唐の皇帝に対して独立を保つために、日本という政治的アイデンティティが急遽発明された。
 白村江の敗戦以前にも倭王はいたが、日本列島全体を支配していたわけではなかった。日本はいわば連合組織だったのだが、唐という脅威を前に、その連合組織が団結した。
 3世紀、倭人の諸国が寄り集まって選挙で卑弥呼を女王に立て、後漢王朝が滅びた大混乱に対処したのと同じようなことが、このとき繰り返されたのである。
 天皇という王権に人々が結集した。そこから新たに日本文明が発達をし始めるのである。」
 以上、p.511ーp.513。初出、、シンポジウム「古代史最前線からの眺望」月刊正論(産経)1998年5月号p.327ーp.330。
 *** 

2107/「邪馬台国」論議と八幡和郎・西尾幹二/安本美典②。

 安本美典著の近年のものは、先だってこの覧で言及した神功皇后ものの一部しか熟読していない。その他の一部を捲っていると、興味深い叙述に出くわした。
 邪馬台国論議や古代史論議に関心をもつ一つの理由は、データ・史資料が乏しいなかで、どういう「方法」や「観点」で歴史・史実に接近するのか、という議論が内包されているからだとあらためて意識した。これも、文献史学と考古学とでは異なるのだろう。
 安本の学問・研究「方法」そのものについては別に触れる。
 ①「私たちは、ともすれは、…、専門性の高さのゆえに難解なのであろうと考える。こちらの不勉強ゆえに難解なのであろう、と思いがちである。
 これだけ、社会的にみとめられている機関や人物が、自信をもって発言しているのであるから、と思いがちである。
 しかし、ていねいに分析されよ。」
 ②「理系の論理で『理解』すべきものを、文系の論理、つまり、言葉による『解釈』にもちこむ」。
 安本美典・邪馬台国全面戦争-捏造の「畿内説」を撃つ(勉誠出版、2017)。p.241.とp.202。
 西尾幹二が「社会的にみとめられている人物」で「自信をもって発言している」ように見えても、「ていねいに分析」する必要がある。さすがに深遠で難解なことを書いている、などと卑下する必要は全くない。
  「理系の論理で『理解』すべきものを、文系の論理、つまり、言葉による『解釈』にもちこむ」というのは、この欄で私が「文学」系評論家・学者に対して-本当は全てに対してではないのだが-しばしば皮肉を浴びせてきたことだ。私自身は「文系」出身者だが、それでも、「論理」や概念の「意味」は大切にしているつもりで、言葉のニュアンスや「情緒」の主観的世界に持ち込んで独言を吐いているような文章には辟易している(江崎道朗の書は、そのレベルにすら達していない)。
 ----
 西尾幹二は2019年の対談で「歴史」に対する「神話」の優越性を語る。しかし、そこでの帰結であるはずの<女系天皇否認>について、<日本神話>のどこに、どのように、皇位を男系男子に限るという旨が「一点の曇りもなく」書かれているかを、具体的に示していないし、示そうともしていない。
 西尾にとって大切なのは、「原理論」・「総論(・一般論)的方法論」の提示なのだろう。
 日本の建国・「国生み」の歴史についても、「魏志倭人伝は歴史資料に値しない」と(章の表題としても)明記し、日本書記等を優先させよ、とするが、では日本書記等の「神話」によれば、日本ないし日本列島のクニ・国家の成立・発展はどう叙述されているかを具体的に自らの言葉でもって叙述することをしていないし、しようともしていない。
 日本書記と古事記の間に諸「神話」の違いもある。また、日本書記は、ある書によれば…、というかたちで何通りもの「伝承」・「神話」を伝えている。
 <日本神話>を尊重してすら、「解釈」や「選択」を必要とするのだ。そのような地道な?作業を、西尾はする気がないに違いない。そんなチマチマしたことは、自分の仕事ではないと思っているのかもしれない。
 西尾幹二・国民の歴史(産経新聞社、1999)第6章<神話と歴史>・第7章<魏志倭人伝は歴史資料に値しない>。=同・決定版/国民の歴史・上(文春文庫、2009)第6章・第7章。以下は、入手しやすい文庫版による。
 西尾の魏志倭人伝嫌悪は、ひとえに<新しい歴史教科書>づくりのためのナショナリズム、中国に対する「日本」の主張、という意識・意欲に支えられているのかもしれない。
 しかし、かりにそれは是としてすら、やはり「論理性」は重要であって、「暴論」はよくない。
 ・p.209。-「今の日本で邪馬台国論争が果てるところを知らないのを見ても、『魏志倭人伝』がいかに信用ならない文献であるかは立証されているとも言える」。
 ・p.209-210。-岡田英弘によると1735年<明史日本伝>はかくも〔略〕ひどい。「魏志倭人伝」はこれより「1500年も前の文章」なのであり、この項は「本当はここでもう終わってもいいくらいなのだ」。
 ・p.216。-「結論を先にいえば、『魏志倭人伝』を用いて歴史を叙述することははなから不可能なのである」。
 ここで区切る。日本の歴史研究者の誰一人として、魏志倭人伝は正確な当時の日本の史実を伝えており。それに従って古代史の一定範囲を記述することができる、と考えていないだろう。
 魏志倭人伝だけを用いて叙述できるはずはなく、また、その倭人伝の中の部分・部分の正確さの程度も論じなければならない。日本のはじまりに関する歴史書を全て見ているわけではないが、かりに「倭国」から始めるのが西尾大先生のお気に召さないとしても、魏志倭人伝のみに頼り、日本書記や古事記に一切言及していない歴史書はさすがに存在しないだろう。
 西尾幹二は、存在しない「敵」と闘っている(つもり)なのだ。
 上の範囲の中には、他にも、まことに興味深い、面白い文章が並んでいる。
 石井良助(1907-1993)の1982年著を紹介してこう書く。p.214以下。
 ・石井は「古文書に書かれている文字や年代をそのままに信じる素朴なお人柄」だ。「全文が書かれているとおりの歴史事実であったという前提に少しの疑いももたない」。
 ・「伝承や神話を読むに必要な文学的センスに欠けているし、『魏志倭人伝』もとどのつまりは神話ではないか、というような哲学的懐疑の精神もゼロである」。
 ・石井は「東京大学法学部…卒業、法制史学者、…」。「世代といい、専門分野といい」、「日本の『戦後史』にいったい何が起こったか」がすぐに分かるだろう。
 ・「文学や哲学のメンタリティを持たない単純合理主義者が歴史にどういう改鋳の手を加えてきたかという、これはいい見本の一つである」。
 以上。なかなか<面白い>。石井良助はマルクス主義者ではなかったが、津田左右吉流の文献実証主義者だったかもしれない。「法制史」の立場からの歴史叙述が一般の歴史叙述とは異なる叙述内容になることも考慮しなければならないのだが、それにしても、「文学や哲学のメンタリティを持たない単純合理主義者」等の人物評価はスゴい。書評というよりも、人格的価値評価(攻撃)に近いだろう。
 そして、西尾幹二にとって、いかに「文学や哲学のメンタリティ」、あるいは「哲学的懐疑の精神」が貴重だとされているかが、きわめてよく分かる文章だ。
 とはいえじつは、西尾のいう「文学的センス」・「文学や哲学のメンタリティ」・「哲学的懐疑の精神」なるものは、今日での世界と日本の哲学の動向・趨勢に対する「無知」を前提としていることは、多少はこれまでに触れた。
 「哲学のメンタリティ」・「哲学的懐疑の精神」と言えば響きがよいかもしれないが、その内実は、「西尾にとっての自己の思い込み・観念の塊り」だろう、と推察される。
 さて、後の方で、西尾は別の意味で興味深い叙述をしている。こうだ。
 p.220。神話と「魏志倭人伝」の関係は逆に理解することも可能だ。つまり、魏の使者に対して日本の官吏は<日本神話>=「日の神の神話」を物語ったのかもしれない。
 しかし、これはきわめて苦しい「思いつき」だろう。「邪馬台国」も「卑弥呼」も、「日の神の神話」には直接には出てこない。イザナキ・イザナミ等々の「神々」の物語=<日本神話>を歴史として「この国の権威を説明するために」魏の使者に語ったのだとすれば、「日の御子」と「女王国」くらいしか関係する部分がないのは奇妙だ。それに、詮索は避けるが、のちに7-8世紀にまとめられたような「神話」は、「魏志倭人伝」編纂前に、日本(の北九州の官吏が知るようになるまで)で成立していたのか。
 ***
 西尾幹二によると、「『魏志倭人伝』は歴史の廃墟である」。p.226。
 このようには表現しないが、八幡和郎のつぎの著もまた、日本ナショナリズムを基礎にして、可能なかぎり日本書記等になぞりながら、可能なかぎり中国の史書を踏まえないで、日本の古代史を叙述している。もとより、日本書記等と魏志倭人伝 では対象とする時代の範囲が同一ではない、ということはある。
 八幡和郎・皇位継承と万世一系に謎はない-新皇国史観が中国から日本を守る-(扶桑社新書、2011)。
 冷静に、理知的に歴史叙述をするという姿勢が、副題に見られる、現在において「中国から日本を守る」という実践的意欲、プロローグから引用すれば「皇室」とその維持の必要性を理解する「論理と知識を、おもに保守的な読者に提供しよう」という動機(p.17)、によって弱くなっている。
 この書物もまた、古代史およびそれを含む日本史アカデミズムによって完全に無視されているに違いない。この欄では、あえて取り上げてみる。

2054/福田恆存における「史実」と「神話」-1965年。

 福田恆存「紀元節について」同評論集第8巻(麗澤大学出版会、2007)。
 これの初出は、雑誌・自由(自由社)1965年4月号。
 福田恆存は「建国記念日(2月11日)」設置に反対する「左翼」に反対し、旧紀元節の復活に賛成していたのだが、上の中でこう明確に記述している。
 福田恆存の主張・論評類の全体を知らないと、<神話と歴史>・<物語と史実>に関するこの人の正確な考えは分からないだろう、ということは承知している。但し、なかなかに面白い、興味深いことを上の論考で主張している。
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 福田は「二/史実」の中で、反対論者は「史実」に反するという、と述べて、こう続ける。一文ごとに改行。旧かなづかいは現在のものに改めさせていただく。
 ・「私たちは絶対天皇制の時代に育ちましたけれども、伊邪那岐命・伊邪那美命の話をほんとうの話と思ったことは一度もない。
 天照大神のこともほんとうだと思ったことはない。
 神武天皇のことでもほんとうのことだと思ったことはない。
 歴代の天皇が100年も200年も生きているなどという馬鹿げたことはないのですから、そんな馬鹿なことを先生が学校でむきになって教えても、本気にしない。<中略>
 だから戦前の歴史教育は間違っていたと言いますけれども、それはあまりに国民を馬鹿にするものです。」p.120。
・「『日本書記』についていえば、当時の大和朝廷が、国の基が固まったという一つの喜びを、将来この国がりっぱに伸びていくというようにということで、自分たちの仕事を権威づけ、仕事が後に末長く栄えていくようにと祈る気持ちで、当時の歴史編纂官に命じて書かせたものであります。
 そして作者は日本の紀元を、そう言いたければ、あえて『でっち上げた』のです。」p.122。
 ・戦前の天皇制と当時の大和朝廷は「全く違った」もので、「いまの気持ちからその当時の気持ちを推察するのは間違い」だが、1月1日=新暦2月11日を「日本の紀元」とすることに問題はない。かつての「日本人の心理的事実を史実とみなしての上の根拠」だが、「その日が最も根拠があると思う」。p.123。
 ・「記紀の話は事実としては作り話であっていいわけです。
 しかしなぜ作り話が一定の効果をもったかが問題なんですね」。p.124。
 ・「どういう気持ちで日本人が日本民族の紀元を定めたのか、こうありたいと願ったその当時の人々の気持ち、それを受け継いだ明治政府の気持ち、そしいうものを全部否定してしまうのは、日本国の歴史は歴史上くだらない歴史であった、敗戦に至るまだ全部だめだったということで、日本人の過去を全部抹殺してしまうことになります」。p.124-5。
 ・「紀元節が史実に反するとかなんとか言うのは、全くの言いがかりで、その本当の反対理由は、日本の過去を全部過ちの連続としてとらえたいという戦後の歴史観が危うくなりそうだと不安感の悲鳴にすぎません」。p.126。
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 福田恆存、1912年生~1994年没。
 相当に鋭いのではないか。論旨も、ほとんどよく分かる。
 幼稚にまとめれば、「史実」ではなくとも「当時の人間の心の動きだとか、価値観だとか」(p.123)が史実以上に大切なことがあるのだ。
 ともあれ、喫驚するほどに、福田恆存は日本書記または記紀が記述する<日本神話>の「史実」性を否定している。だが、いっさい無視するのでもなく、そこに示された当時の(ということは天武=持統天皇系の皇室になるが)人々の「感情・価値観」を大切に理解すべきだ、という旨を言っている。
 まことに、冷静で、知的な<保守>の考えだと思われる。
 このような認識や議論の仕方は、天皇<万世一系>論、天皇<男系継続>論(女系否定論)等についても、大切だと思われる。あるいは当てはまり得るものだと思われる。例えば、「記紀」がこれらの問題に関する主張の根拠になるわけがない。
 このような人が、現在はほとんどいなくなった。福田恆存の没後に数年だけ経過して<日本会議>が設立され(1997年)、まるでこの団体が<保守>の代表だと見なされるようになった観があるのは、日本にとって大きな悲劇であり厄災だった。
 <日本会議>は反共・自由主義という意味での「保守」ではなく、「日本」と「天皇」にだけほとんど執心する「右翼」団体だ。
 この日本会議に批判的であったはずの西尾幹二が2019年には見事に、上の福田恆存とは真逆に<神がかり>的になって、<日本の神話を信じるか、信じないか>の対立だ、などと血迷い事を述べるに至っていることは、別に触れる。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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