ああ、それにしても。あの朝の光はどうだ。この樹々の緑はどうだ。」
小椋佳「この空の青さはどうだ」1972年、より。
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「明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。」
<日本会議>設立宣言(1997年5月)。
「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識が皇室の権威を蘇らせ、高めた。その〔皇室の〕権威の下で初めて日本は団結し、明治維新の危機を乗り越え、列強の植民地にならずに済んだ。」
櫻井よしこ・週刊新潮2017年2月9日号。
この二つを合成すると、「明治維新」による「近代」国家の形成で「列強の植民地にならずに済んだ」という、大まかには誰でも承認しそうな立派な?歴史観の叙述がなされているようだ。
余計だが、ここで興味深く感じるのは、<保守>代表のような印象を与えるかもしれない(少なくともそう意図していると見える)「日本会議」も、堂々と「近代国家」という、ごくありきたりの概念を採用していることだ。
この「日本会議」は、ある意味では、あるいはある側面では、特殊な考え方を別に採用しているのではなく、ごくふつうの、平凡な、ある意味では目新しくない、そして-いろいろな形容句はありうる-陳腐な概念と論理を使って思考し、活動していると思われる。
そしてむしろ、概念や論理をどれだけ掘り下げて緻密に考察しているかが、この団体の人々には問われているとも思われる。
戻って、上の立派な?歴史観について、立ち入る。
「明治維新」を通過したからこそ植民地にならずに済んだ(独立の近代国家になった)。
この叙述自体に、論理的にはじつは問題が介在している、と考える。
第一に、「明治維新」かそうでないか、という二項対立的思考に陥ってはいないか、ということ。この場合、「そうでない」とは、徳川幕府体制の維持を無意識に念頭に置いている可能性がある。
つまり、「明治維新」だけが<植民地にならずに、独立の近代国家になった>という現実をもたらしたのか否かだ。
少なくとも論理的には、そんなことはない。
「明治維新」なるものを経ないで、かつ<徳川幕府体制のそのままの維持>もしないで、<植民地にならずに、独立の近代国家になる>可能性はあった、というべきだ。
論理的に、そうだ。実際もそうだったと考えているが、その方向へとは立ち入らない。
第二に、「明治維新」が<植民地にならずに、独立の近代国家になる>必要な条件だったとかりにして、「明治維新」という概念で何を理解するか、だ。
現実にあった「明治維新」なるものを、西南雄藩等出身者が一部公卿と天皇・朝廷とともに遂行した変革または改革だったと理解するとするのが大まかには通念かもしれない。
しかし、「明治維新」なるものが、現実にあった(<歴史になった>)それ以外のものでもよかった可能性が、論理的にはある。
つまり、いろいろな要素があるので多岐の論点に言及すると複雑になり過ぎるので簡潔にいうが、かりに「西南雄藩等出身者」ということを前提にしても、現実にあったのとは違って、長州・薩摩両藩出身者たち以外のものが優位を占める下級武士(・藩主)が遂行した「明治維新」になる可能性もあった、と見るべきだろう。
その場合に、最終的には現実には木戸孝允が確定し、その奏上方式の原案も作ったとされる<五箇条誓文>なるものが発表された、とは限らない。
論理的に、そうだ。実際にも、なお種々の選択の余地が、主体・理念・組織等の面であり得たと思われる。そうであっても、<植民地にならずに、独立の近代国家になった>ということは生じ得た、と考えられる。
ややこしいことを、書いたかもしれない。
結局のところ言いたいのは、<現実化した>・<歴史になった>ものが「正しかった」・「やむを得なかった」・「それなりの根拠・理由があった」という、よくありがちな<歴史観>・<歴史の見方>から解放されなければならない、ということだ。
いかに「明治維新」を肯定的に評価したくとも、それは、現実にあった「明治維新」を主導した中心人物たち、櫻井よしこがよく言う<明治の先人たち>を高く評価するという理解の仕方に必然的につながらなければならないのでは、全くない。。
「明治維新」なるものの理解も問題にしなければならないし、それ以外の選択肢が(徳川幕府継続のほかに)あったかどうかもまた、考慮すべきだ。
あまりに単純な(と私には思われる)歴史理解が評論家・運動団体に散見されるので、あえて記した。
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<歴史的決定論>あるいは<運命論>を過去に投影させるのは、将来に向けて日本共産党ら共産主義者が前提にしているかのごとき<不可避の歴史法則>と変わらないのではないか(不破哲三と櫻井よしこの発想の共通性・類似性をこの欄で指摘したことがある)。
このような考え方を書いたのは、レーニン・「ロシア革命」のことを思い浮かべたにもよる。
また、関連して、リチャード・パイプスの、<現実に生じてきたことを(無意識にであれ)必然・不可避のものと是認するのは、「勝者」のために釈明・弁明している>という趣旨の文章に接したことも大きい。
幕末・明治維新そして明治期について、何となくこういうイメージを持つ者は、櫻井よしこや「日本会議」派以外にも多いのではないか。
ロシアで1917年以降に起きた「現実」が<正しい>・<やむを得ない>・<それなりの理由がある>ものだったとすれば、その過程で、またレーニン時代にもスターリン時代にも、そして第二次大戦後においてすら、「体制」に反抗して(ときにはその旨を一言ふたこと洩らしただけで)殺された、しばしば残虐に殺された個々の人々の人生はいったい何だったのか。ロシア・ソヴィエト国家に限らない。
<現実になった歴史>について、「正しい」とか「間違っている」とかの、価値判断を少なくとも簡単に下すのは、絶対に避ける必要がある。<歴史は勝者が作る>のであり、正しい・間違いというレベルの論争点ではない、ということをまずは確認すべきだろう。価値判断は関係がない。先にある問題は、<事実(歴史)になった>ことは何か、だ。
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日本の被占領期における「日本国憲法」制定(形式上は明治憲法改正手続による)についても、似たようなことは言える。
現憲法を全体として「否定」したい気分がある程度の範囲にあるのは分かるとしても、現憲法は<無効>だとか、明治憲法復元とかの主張になるのを見ると、社会通念や論理上の問題とは別に、ある程度において<精神病理学>上の問題がある、と思っている。
この点は、いずれまた(再び、何度も)触れる。
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レシェク・コワコフスキは、「神は幸せか?」と題する論考の中で、明らかにつぎの二つを区別していた(凡人の私でも理解できた)。<*出典を、7/12に訂正した。>
すなわち、経験(experience)の世界と想念(imagination)の世界。
現実の世界と観念の世界。当たり前の区別のはずなのだが、これを十分に明確には区別していない文章を月刊雑誌や週刊誌に書いている人がいる。