橋下徹に対する単純で性急な批判を批判してきているが、自民党を全面的に支持しているわけではないのと同様に、橋下徹のすること、言うことを、全面的に支持しているわけでは全くない。
 何かのきっかけで、橋下自身が政治に関係するすることをきっぱりと止めてしまうことがないとは言えないと思っている。それは、彼が恥ずかしいと思うくらいの、何らかの蹉跌を明らかにしてしまったときだろう。
 最近に気になるのは、<脱原発>への傾斜ぶり、大飯原発再稼働(現時点での)反対論だ。
 <保守>か否か、といった大上段の議論の対象になる問題ではない。だが、政策論として、きわめて重要な問題ではある。
 撃論第4号(オークラ出版、2012.04)に掲載されている田母神俊雄=中川八洋(対談)「避難県人を全員ただちに帰宅させよ」の他、中川八洋・脱原発のウソと犯罪(日新報道、2012)、池田信夫・原発「危険神話」の崩壊(PHP新書、2012)を多少は読んだことの影響によるのかもしれないが、安全性の確保=脱原発の方向に傾斜しすぎているのではないか。
 詳細な紹介は差し控えるが、池田信夫の分析・説明は、なかなかに冷静で、客観的のように感じられる。
 田母神俊雄や中川八洋らの指摘が正しいとすれば、菅直人を「反原発」始祖とする「左翼」民主党政権は、一部の(だが相当数の)福島県民から「ふるさと」を奪う、という大犯罪を敢行中であることになる。
 宮城県にあり、震源には福島第二よりも近かった女川原発は何ら支障なく存続し続けた、ということ、そしてそれは何故か(つまりなぜ福島第二では事故になったのか)について、テレビ等の大手メディアが全くかほとんど触れないのはいったい何故なのだろう。
 櫻井よしこ週刊ダイヤモンド3/31号の連載は、「放射線量の低い所から高い所に川内村の人たちは避難させられ」ていることを述べている。低い所とは、川内村いわなの里で0.178マイクロシーベルト(毎時放射線量)、高い所とは福島県の郡山駅で0.423マイクロシーベルト(同)、だ。
 こういう正確なデータに言及することなく、中島岳志「トポス喪失への想像力」西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(NTT出版)という「保守派」(??)の<反原発>論は書かれている。
 この生硬な「保守主義」に立つという<反原発>論の思考方法については別に言及したいが、ともあれ、中島岳志は、「原発という過剰な設計主義的存在」による、「トポス」、「生まれた土地や伝統、…歴史的・集合的価値観」の喪失の蓋然性を理由として脱原発論を説いている。だが、「生まれた土地」等の喪失の原因が原発にあるのではなく、政治的判断にあるのだとしたら、この中島岳志の論考は後世に残る「大嗤い」論文になるだろう。
 元に戻ると、橋下徹がいくら有能な人物でも、顧問等々の意見・見解に全く左右されない、ということはありえないだろう。
 この点で、特別顧問(のはず)の、民主党政権に冷や飯を食わされで有名になった、古賀茂明はやや気になる。古賀茂明・日本中枢の崩壊(講談社、2011)を半分くらい読んで止めたのだったが、それは、細かな動きはよく分かったものの、古賀の基本的な政治観・国家観がよく分からなかったからだ。それにそもそも、古賀茂明とは、民主党による「公務員制度」改革に期待していた人物なのであり、民主党という政党・同党の政治家がいかなる政党でありいかなる政治家たちであるかに無知な人物だったのではないか。要するに、民主党の「改革」に<幻想>を持った人物であったのだ。民主党の危険性に無関心だった者を、無条件に信頼することはできない。
 環境経済学者という触れ込みの植田和弘(京都大学教授)も、冷静できちんとした「保守」派であるか否かがよく分からない。原発について、正確な科学的知見にもとづいて判断するという「政治的・行政的感覚」を持っているだろうか。
 橋下徹自身についても、総選挙の争点化する、などの発言はまだ早すぎ、焦りすぎで、<前のめり>し過ぎている印象がある。
 せっかくの、可能性を秘めた人物を、<取り巻き>が誤らせないように、早まって腐らせてしまうことのないように、うまく誘導し、「盛り立てて」?ほしいものだ。
 参照、池田信夫ブログ→ http://ikedanobuo.livedoor.biz/