一 武者小路実篤の小説の「愛と死」(1939年、昭和14年)が終盤に入り、突然に主人公の運命を「宙返り」させることになった電報は、つぎの文章だった。電報カタカナ文を普通の文字に変える。
「今朝三時、夏子流行性感冒で死す。悲しみ極まりなし。すまぬ、野々村。」
野々村とは死亡した夏子の兄で、これをシンガポールで受け取ったのは、欧州からの帰途にあり、帰国後に夏子と結婚することになっていた村岡。
上にいう「流行性感冒」のことを、昨年に思い出した。
武者小路実篤がこの小説を発表したのは1939年だったが、冒頭と末尾に、同じ「之は21年前の話である」との一文がある。
つまり作者は、1918年(大正7年)にあったことの追想という形で、これを書いた。
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二 1918年というのは(レーニン・ロシアが対独講和をして戦争から離脱したあとでドイツ側の降伏で第一次大戦が終わった年でもあるが)、3年間続いた「スペイン風邪」の世界的流行が始まった年だった。
小説にいう「流行性感冒」は日本にだけ見られたのではなく世界的なもので、実際のそれは5000万人以上を死なせた、世界史的に最悪のパンデミックの一つだった、とされる。
作者も別の箇所で「スペイン風邪」という語を出している。小説「愛と死」での夏子の死がこれを背景にしていることは疑い得ない。実篤自身の体験ではなくとも、当時に感染症で死亡した人々やそれによって引き裂かれた若い男女のことをを、おそらく彼は見聞きしていたのだろう。
「之は21年前の話である」と記した後につづけて、作家は主人公・村岡にこう語らせて、小説を終えている。
「しかし自分は今でも忘れることができない。そして人間と言うものは無常なものであり、憐れなものであると思ふのである。
死んだものは生きている者にも大なる力を持ち得るものだが、生きているものは死んだ者に対してあまりに無力なのを残念に思ふ。」
夏子はあまりにも気の毒だ。「しかし死せるものは生ける者の助けを要するには、あまりに無心で、神の如きものでありすぎると言ふ信念が自分にとってせめてもの慰めになるのである。
それより他仕方がないのではないか。」
身近な者の突然の死について、何らかの原因がある人物や組織の何らかのの「責任」を解明したり追及したりしようとする遺族等の心情を否定するするつもりは全くない。
但し、如何ともし難かった病気や自然災害による死の中には、感染症による場合に限らず、上のような述懷に辿り着くほかはない場合もあると思われる。
生者は他者の死によってときに大きな衝撃を受け、ときに大きな影響を受ける。だが、死者は無心で、無邪気だ。「呪い」も「怨念」も、「心残り」も、それらを感じるのは、生者に限られる。「慰霊」によって慰められているのは、死者ではなく、本当は生き残っている者だろう。
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三 ところで、小説「愛と死」は、戦後の日本で、二度映画化されている。たぶんよく知られてはいないと思うので、この機会に記しておこう。
①1959年・日活<世界を賭ける恋>/石原裕次郎・浅丘ルリ子。
②1971年・松竹<愛と死>/新克利・栗原小巻。
原作との違いが、いろいろとある。なお、前者には、裕次郎が歌った主題歌もある。
②は、武者小路実篤のもっと若いときの小説「友情」(1920年)と物語を合体させていて、この小説の主人公・野島が失恋した杉子の心を勝ち得た大宮がのちの小説の村岡となって、のちの小説での夏子を突然に失う。
①では欧州からの帰路の空港待合室で日本からの電報を読み、②では仕事で長期出張中の青森県八戸の下宿先で電報を読む。
①での死因は突然の病気のようだが、②では大学実験室に勤める夏子=栗原が実験中の爆発事故で死ぬ。
欧州・日本、東北・東京と離れた二人が交換する手紙の基本的内容は(戦後に時代を変えているが、パソコンも電子メールもまだない)、原作と同様のようだ。
映画としての「でき」は、物語をやや無理しているが、②の方がよい、と私には感じられた。
以上。
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「今朝三時、夏子流行性感冒で死す。悲しみ極まりなし。すまぬ、野々村。」
野々村とは死亡した夏子の兄で、これをシンガポールで受け取ったのは、欧州からの帰途にあり、帰国後に夏子と結婚することになっていた村岡。
上にいう「流行性感冒」のことを、昨年に思い出した。
武者小路実篤がこの小説を発表したのは1939年だったが、冒頭と末尾に、同じ「之は21年前の話である」との一文がある。
つまり作者は、1918年(大正7年)にあったことの追想という形で、これを書いた。
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二 1918年というのは(レーニン・ロシアが対独講和をして戦争から離脱したあとでドイツ側の降伏で第一次大戦が終わった年でもあるが)、3年間続いた「スペイン風邪」の世界的流行が始まった年だった。
小説にいう「流行性感冒」は日本にだけ見られたのではなく世界的なもので、実際のそれは5000万人以上を死なせた、世界史的に最悪のパンデミックの一つだった、とされる。
作者も別の箇所で「スペイン風邪」という語を出している。小説「愛と死」での夏子の死がこれを背景にしていることは疑い得ない。実篤自身の体験ではなくとも、当時に感染症で死亡した人々やそれによって引き裂かれた若い男女のことをを、おそらく彼は見聞きしていたのだろう。
「之は21年前の話である」と記した後につづけて、作家は主人公・村岡にこう語らせて、小説を終えている。
「しかし自分は今でも忘れることができない。そして人間と言うものは無常なものであり、憐れなものであると思ふのである。
死んだものは生きている者にも大なる力を持ち得るものだが、生きているものは死んだ者に対してあまりに無力なのを残念に思ふ。」
夏子はあまりにも気の毒だ。「しかし死せるものは生ける者の助けを要するには、あまりに無心で、神の如きものでありすぎると言ふ信念が自分にとってせめてもの慰めになるのである。
それより他仕方がないのではないか。」
身近な者の突然の死について、何らかの原因がある人物や組織の何らかのの「責任」を解明したり追及したりしようとする遺族等の心情を否定するするつもりは全くない。
但し、如何ともし難かった病気や自然災害による死の中には、感染症による場合に限らず、上のような述懷に辿り着くほかはない場合もあると思われる。
生者は他者の死によってときに大きな衝撃を受け、ときに大きな影響を受ける。だが、死者は無心で、無邪気だ。「呪い」も「怨念」も、「心残り」も、それらを感じるのは、生者に限られる。「慰霊」によって慰められているのは、死者ではなく、本当は生き残っている者だろう。
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三 ところで、小説「愛と死」は、戦後の日本で、二度映画化されている。たぶんよく知られてはいないと思うので、この機会に記しておこう。
①1959年・日活<世界を賭ける恋>/石原裕次郎・浅丘ルリ子。
②1971年・松竹<愛と死>/新克利・栗原小巻。
原作との違いが、いろいろとある。なお、前者には、裕次郎が歌った主題歌もある。
②は、武者小路実篤のもっと若いときの小説「友情」(1920年)と物語を合体させていて、この小説の主人公・野島が失恋した杉子の心を勝ち得た大宮がのちの小説の村岡となって、のちの小説での夏子を突然に失う。
①では欧州からの帰路の空港待合室で日本からの電報を読み、②では仕事で長期出張中の青森県八戸の下宿先で電報を読む。
①での死因は突然の病気のようだが、②では大学実験室に勤める夏子=栗原が実験中の爆発事故で死ぬ。
欧州・日本、東北・東京と離れた二人が交換する手紙の基本的内容は(戦後に時代を変えているが、パソコンも電子メールもまだない)、原作と同様のようだ。
映画としての「でき」は、物語をやや無理しているが、②の方がよい、と私には感じられた。
以上。
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