前々回紹介の中西輝政の文章はまだ元気があるが、文藝春秋スペシャル・2008季刊夏号の巻頭エッセイで「身動きのとれないジレンマに陥っている」(p.14)と書いている。
そして、ウソつきが神に対する罪ではなく(おのが心の清浄さを汚す)自分の心の「つみ」になるのだとしたら、日本人と日本は「到底、外交や国際政治の世界では生きてゆけない」とし、①「外交も下手」、②心も「日本人離れ」、という日本人だらけの日本が「最もありうる」。この際、「外交下手、万歳」で「国際国家・日本」など切って捨てるべき、という(p.15)。つまりは、「日本人」の心(の仕組み)を残すことを優先しよう、という主張と思われる。日本の外交、日本の国際戦略(の能力)についての諦念のようなものが感じられる。それでよいのか、中国、そして米国に対抗しなければ、と思うが、気分だけは何となく分かる。
四つの巻頭エッセイのうち三つは、中西輝政の上も含めて日本人の「心」・「精神」に関するものだ。
佐藤愛子は、「今は日本人の中に眠っている強い精神力が蘇ることを念じるばかりである」で終えている。
曽野綾子は、教育が必要→国家関与→戦争への伏線と主張する人(要するに反権力の「左翼」)が必ずいるので「まず実現できない」としつつ、国が「人々に徳も個性も定着させる」こと(p.17)、(日本が「職人国家」として生きられる)「政治、外交的な力はなくとも、律儀さと正直さと勤勉さに現れるささやかな徳の力」(p.16)の重要性を指摘している(と読める)。
これは何かを示唆しているだろうか。日本人の「心」・「精神」がかつてよりも崩れてきている、強靱でなくなってきている、「律儀さと正直さと勤勉さ」を失ってきている、ということなのだろう。そして、反論できそうにないように見える(「最近の若い者は…」と年寄りくさく言いたくなることもある)。
ところで「心」・「精神」の仕組み・あり様は日本人と欧米人とで同じではないことはほとんど常識的であると思われる。産経新聞6/04の報道によれば、佐伯啓思は「正論」講演会で「日本独自の文明を取り戻し、日本の言葉で世界に発信していくことが重要」と強調したらしい。「日本独自の文明」が日本人独特の「心」・「精神」の仕組み・あり様と無関係とは思えず、「日本の言葉で」とは日本語によってというよりも、日本の独特の概念・論理・表現方法で、といった趣旨なのだろう。
第一に、日本人独特の「心」・「精神」とか「日本独自の文明」の具体的内実は何かとなると、きっと論者によって議論が分かれうる、と思われる。佐伯啓思のいうそれも完璧に明瞭になっているわけではない(最近の著書・論文で書かれているものを参照しても)。
しかし第二に、樋口陽一らのごとく、西欧近代的な「個人」をつかみ出せ、中間団体によって守られない、国家権力と裸で対峙する「強い個人」の時代を一度はくぐれ、という主張が、日本人には全く適合しておらず、ある意味で教条的でもあり時代錯誤的でもあることも明らかだと思われる。
欧米人と日本人に共通性がないとは言わない。しかし、永遠に日本人は樋口が理解する<西欧近代>を通過した<普遍的>な人間になるはずはない。
上で言及した人びとはすべて、日本人「独特」のものがあると考えており、それはごく常識的なことに属するように思う。だが、樋口陽一たちは、日本人は早く徹底的に欧米的な(>西欧的な)<自立した自律的で自由な個人>になれ(個人主義)、という(「左翼」にとってはまだ一般的・常識的?)な主張を依然としてしているようだ。
こんな点にも大きな国論の分裂があり、日本人の「心」・「精神」が歪められてきている一因もありそうだ。
文藝春秋スペシャル
1 報道によると、北朝鮮は5/30に、黄海南道沖の黄海で、短距離ミサイル1発を発射した。これは中国と朝鮮半島の間の海域だが、対日本に照準を合わせたミサイル基地があり、日本海で、また日本列島を越える、ミサイル発射(実験)を行ったことがあることは衆知のこと。
報道によると、中国は5月下旬、最新鋭潜水艦に搭載予定の弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を朝鮮半島西方の黄海で行ったらしい。この国も日本に向けたミサイル発射台を設置している。また、朝鮮半島、ベトナム、インドで実際に「戦争」をしたことがあるのは衆知のこと。チベット、ウィグル等の支配はかりに「戦争」の結果ではないとしても<武力>行使によることは明らかだろう。
2 ところで、日本語には、英語の定冠詞・不定冠詞にあたるものがない。また英語には名詞に冠詞をつけない場合もある。
日本で、<戦争だけはいけない>、<戦争はしてはならない>、<戦争を繰り返してはいけない>等々の言葉をしばしば読んだり聴いたりするが、この場合の「戦争」とは、the のついた<特定の>戦争なのだろうか、a の付いた漠然とした一つの(結局はすべての)戦争なのだろうか、冠詞のない一般的に戦争そのものを指しているのだろうか。
戦争体験者が<二度とごめんだ>、<もう繰り返したくない>とか発言している場合の他に<戦争反対>の旨をより一般的な形で述べていることは多いのだが、厳密には、その場合の「戦争」とは<あのような>戦争、つまり昭和20年までの昭和時代に行われた特定の戦争のことを指しており、絶対的な反戦感情の吐露ではなく、一般的な<戦争反対>論を述べているのではない、ということが多いのではないか、と感じてきた。
そのような<特定の(自分たちがかつて経験したような戦争>(の反復)に反対という意思や感情を、一般的な反戦感情として報道してきたのが戦後のマスメディアであり、利用してきたのが<反戦>を主張する<左翼たち>ではなかっただろうか。
<反戦>それ自体は殆どの人が合意できるかもしれない。誰も戦争勃発、戦争として攻撃されることを望んではいない。
だが、戦争を仕掛けられたら、つまり日本列島が何らかの軍事力によって攻撃されたら(又はされようとしたら)どうするのか? 国土・人命・財産に対する莫大な損失の発生を座視して茫然と見ているだけなのか。国家としての任務はそれでは果たされ得ないのではないか。
3 文藝春秋スペシャル・2008季刊夏号(2008.07)の<大特集・日本への遺言>の中にある堀田力「戦争だけはいけない」(p.139~140)は、基本的に誤っている。
タイトルや第一文の「絶対に、戦争はしないでほしい」は、何となく肯定的に読んでしまいそうだが、上記のとおり、ここで堀田のいう「戦争」とはいったいいかなる意味のそれなのか、という問題がある。
堀田はまた最初の方で、第二次大戦敗戦のとき「もう日本人は二度と戦争をしようとは思うはずがないと確信した」と書いていている。元検察官・現弁護士の堀田ならば、「第二次大戦」の際の日本の「戦争」のような「戦争」のことなのか、「戦争」一般のことなのかを明確にしておいてほしいものだが、どうやら<特定の>戦争から出発して、「戦争」一般、つまりすべての「戦争」へと拡げているようだ。
上のことの根拠を、堀田は「世界に、もう戦争は要らない」ことに求めているようだ。堀田は言う。
①「体制の優劣を決する冷戦は、共産主義体制の敗北が決まり、もはや体制間の戦いを暴力で決着する必要性は消滅した」。
また、こうも書く-②「独裁国であっても、その経済発展がある段階に達すれば、体制は必然的に民主主義、自由主義体制に移行するという、歴史によって証明された法則がある」。
この二つの認識又は理解・主張はいずれも間違っている。又は、何ら論証されていない。
①について-欧州における「共産主義体制の敗北が決ま」ったとかりにしても、アジアではまだ決着がついていない。専門家・中西輝政も書いているし、私も何度も書いた。冷戦終了こそは、まさに中国の(陰謀的)主張でもあることを知っておく必要がある。第二次大戦後も実際に「侵略」戦争をし、また軍事費を膨張させながら、60年以上の過去の日本の「軍国主義」の咎をなおも政略的に言い立てているのが、中国だ。
②について-ソ連・東欧のことを指しているのかもしれないが、それが何故「歴史によって証明された法則」なのか。北朝鮮も中国も、「経済発展がある段階に達すれば、体制は必然的に民主主義、自由主義体制に移行する」というのか? その根拠はいったいどこにあるのか。細かく言うと、「経済発展がある段階に達すれば」という「ある段階」とはどのような段階なのか。そして、中国はその段階なに達しているのか、いないのか。北朝鮮がその段階に達していないとすれば「民主主義、自由主義体制に移行する」筈がないのではないか。等々の疑問ただちに噴出してくる。
堀田はもう少し冷静に、客観的に世界をみつめ、かつ元検察官・現弁護士ならば、論理的に文章を綴ってもらいたい。
「絶対に、戦争はしないでほしい」という言葉を<遺言>にしたい、ということは、おそらく日本又は日本人の中に「戦争」をする危険性にあると感じているからだろう。この点についてもまた、その根拠は?と問い糾さなくてはならない。
私は上述のように<戦争を仕掛けられる>=<日本列島が何らかの軍事力によって攻撃される>危険性の方が圧倒的に(絶対的に)大きいと考えている。その場合、<正しい>戦争=<自衛>戦争はありうる、国土・人命・財産の保全のためにはやむを得ない戦争というものはありうる、と考えている。
アジアでは冷戦は終わっておらず、現に、中国・北朝鮮という<共産主義体制>又は<共産(労働)党一党独裁の国>は残っていて(ベトナム、ラオスも。ネパールが最近これに加わろうとしている可能性が高い-中国の影響がない筈がない)、日本に対する軍事的攻撃力を有している。
堀田力は刑事法を中心とする国内法や基本的な国際法の知識はあっても(また福祉問題には詳しくても)、国際情勢を客観的に把握する能力は不十分なのではないか。また、弁護士・裁判官等の専門法曹のほとんどがそうであるように、<共産主義の怖ろしさ>というものを知らない、のではないか。
堀田力の、このような文章がたくさん出ることこそが、コミュニスト、中国や北朝鮮が望んでいることだ。共産主義の策略(それは戦後日本の中に空気のごとく蔓延してきているものだが)、その中に堀田もいる。
堀田力、1934年生まれ。樋口陽一も1934年生まれ。大江健三郎は1935年生まれだが、いわゆる早生まれなので、小・中の学年は樋口や堀田と同じ。すでに書いたことがあるが(人名もリストアップした)、1930年代前半生まれは<独特の世代>、つまり最も感受性の豊かな頃に<占領下の教育>を受けた世代だ。感受性が豊かで賢いほど、戦前日本=悪、戦後の「民主主義」=正、という<洗脳>をうけやすい傾向があると思われる(あくまで相対的<傾向>としてだが)。
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