一 西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020)p.354-5。
「私はニーチェ研究者ということにされているが、それは正しくない。
ニーチェの影響を受けた日本の一知識人に過ぎない。
それでよいという考え方である、
専門家でありたくない、あってはならないという私の原則が働いている。//
それでも、ニーチェが私の中で特別な位置を占めていることは、否定できない」。
なお、ニーチェの生没は、1844年〜1900年。第一次大戦もロシア「革命」も知らない。
以下は、秋月瑛二。
西尾幹二はニーチェ研究者でないことは、間違いない。
かりにニーチェの文学的<評伝>の一部の著述者であったとしても、<ニーチェの哲学>の研究者だとは、到底言えない。
但し、<評伝>を書いている過程でニーチェの哲学的?文章そのものを読むことはあっただろう。
そして、そのことがあって、西尾幹二は85歳の年に、「ニーチェの影響を受けた」、「ニーチェが私の中で特別な位置を占めていることは、否定できない」と明記しているわけだ。
若いときにレーニンの文献ばかり読んでいたらどうなるかの見本は白井聡だろう旨、この欄に書いたことがある。
「哲学」科的ではない「ドイツ文学」科的な研究であれ、若いときに(とくに20歳代に)ニーチェばかりに集中していると、どういう日本人が生まれるか。西尾幹二のその後の著作・主張・経歴は、その意味で、興味深い素材を提供していると感じられる。
素人として書くが、<ニーチェ哲学(思想)>は、①フランスの実存主義、さらに構造主義、②ドイツの〈フランクフルト学派〉に何がしかの影響を与えており、これらと関係がある。後者につき、機会があれば、ハーバマス(Habermas)の文章を紹介する。
さらに、③ロシアの思想・ロシア革命・スターリン主義へも一つの潮流として影響を与えたらしいことを今年(2021年)に入ってから知った。
幼稚に想像し、単純にこう連想する。ニーチェの<反西洋文明・反キリスト教>(「神は死んだ」)は変革または新しい「哲学」を目指す「左翼」と親和的であり、<権力への意思>・<超人(Supermann,Übermensch)>は、権力への「強い意思」をもつ「超人」による政治・文化の全面的な(全体主義的な?)支配という理想と現実に親和的だ(かつてはニーチェとナツィスの関係だけはしばしば言及された)。
--------
二 ニーチェがロシアの文化、ロシア革命後のロシア(・ソ連)社会に与えた影響について、一部によってであれ、関心をもって研究されているようだ。
その例証になり得る三つの文献とそれらの内容の概略を「2424/ニーチェとロシア革命・スターリン」で紹介した。
以下は、第三に挙げたつぎのBernice Glatzer Rosenthal の単著(副題/ニーチェからスターリニズムへ)の概要の、より詳細なものだ。
前回では、以下でいう「編」と「部」しか記載していないが、以下ではさらに「章」題まで含める。
「編」=Section、「部」=Part で、これらの英語の前回の訳とは異なる。太字化部分と適当に引いた下線は、掲載者。
なお、著者は現在、Fordham大学名誉教授(Prof. Emeritus/歴史学部)。
----
Bernice Glatzer Rosenthal, New Mith, New World -From Nietzsche to Stalinism(The Pennsylvania State Univ. Press, 2002). 単著、総計約460頁。
第一編/萌芽期・ニーチェのロシア化—1890-1917。
第1章・象徴主義者。
第2章・哲学者。
第3章・ニーチェ的マルクス主義者。
第4章・未来主義者。
要約。
第二編/ボルシェヴィキ革命と内戦におけるニーチェ—1917-1921。
第5章・現在の黙示録—マルクス・エンゲルス・ニーチェのボルシェヴィキへの融合。
第6章・ボルシェヴィズムを超えて—魂の革命の展望
第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
第四編/ スターリン時代におけるニーチェの反響(Echoes)—1928-1953。
第一部/縄を解かれたディオニュソス(Dionysos)、文化革命と第一次五カ年計画—1928-1932。
第9章・「偉大な政治」のスターリン型。
第10章・芸術と科学における文化革命。
第二部/ウソとしての芸術、ニーチェと社会主義リアリズム。
第11章・社会主義リアリズム理論へのニーチェの貢献。
第12章・実施される理論。
第三部/勝利したウソ、ニーチェとスターリン主義政治文化。
第13章・スターリン個人崇拝とその補完。
第14章・力への意思(Will to Power)の文化的表現。
エピローグ/脱スターリン化とニーチェの再出現。
以上。
——
「私はニーチェ研究者ということにされているが、それは正しくない。
ニーチェの影響を受けた日本の一知識人に過ぎない。
それでよいという考え方である、
専門家でありたくない、あってはならないという私の原則が働いている。//
それでも、ニーチェが私の中で特別な位置を占めていることは、否定できない」。
なお、ニーチェの生没は、1844年〜1900年。第一次大戦もロシア「革命」も知らない。
以下は、秋月瑛二。
西尾幹二はニーチェ研究者でないことは、間違いない。
かりにニーチェの文学的<評伝>の一部の著述者であったとしても、<ニーチェの哲学>の研究者だとは、到底言えない。
但し、<評伝>を書いている過程でニーチェの哲学的?文章そのものを読むことはあっただろう。
そして、そのことがあって、西尾幹二は85歳の年に、「ニーチェの影響を受けた」、「ニーチェが私の中で特別な位置を占めていることは、否定できない」と明記しているわけだ。
若いときにレーニンの文献ばかり読んでいたらどうなるかの見本は白井聡だろう旨、この欄に書いたことがある。
「哲学」科的ではない「ドイツ文学」科的な研究であれ、若いときに(とくに20歳代に)ニーチェばかりに集中していると、どういう日本人が生まれるか。西尾幹二のその後の著作・主張・経歴は、その意味で、興味深い素材を提供していると感じられる。
素人として書くが、<ニーチェ哲学(思想)>は、①フランスの実存主義、さらに構造主義、②ドイツの〈フランクフルト学派〉に何がしかの影響を与えており、これらと関係がある。後者につき、機会があれば、ハーバマス(Habermas)の文章を紹介する。
さらに、③ロシアの思想・ロシア革命・スターリン主義へも一つの潮流として影響を与えたらしいことを今年(2021年)に入ってから知った。
幼稚に想像し、単純にこう連想する。ニーチェの<反西洋文明・反キリスト教>(「神は死んだ」)は変革または新しい「哲学」を目指す「左翼」と親和的であり、<権力への意思>・<超人(Supermann,Übermensch)>は、権力への「強い意思」をもつ「超人」による政治・文化の全面的な(全体主義的な?)支配という理想と現実に親和的だ(かつてはニーチェとナツィスの関係だけはしばしば言及された)。
--------
二 ニーチェがロシアの文化、ロシア革命後のロシア(・ソ連)社会に与えた影響について、一部によってであれ、関心をもって研究されているようだ。
その例証になり得る三つの文献とそれらの内容の概略を「2424/ニーチェとロシア革命・スターリン」で紹介した。
以下は、第三に挙げたつぎのBernice Glatzer Rosenthal の単著(副題/ニーチェからスターリニズムへ)の概要の、より詳細なものだ。
前回では、以下でいう「編」と「部」しか記載していないが、以下ではさらに「章」題まで含める。
「編」=Section、「部」=Part で、これらの英語の前回の訳とは異なる。太字化部分と適当に引いた下線は、掲載者。
なお、著者は現在、Fordham大学名誉教授(Prof. Emeritus/歴史学部)。
----
Bernice Glatzer Rosenthal, New Mith, New World -From Nietzsche to Stalinism(The Pennsylvania State Univ. Press, 2002). 単著、総計約460頁。
第一編/萌芽期・ニーチェのロシア化—1890-1917。
第1章・象徴主義者。
第2章・哲学者。
第3章・ニーチェ的マルクス主義者。
第4章・未来主義者。
要約。
第二編/ボルシェヴィキ革命と内戦におけるニーチェ—1917-1921。
第5章・現在の黙示録—マルクス・エンゲルス・ニーチェのボルシェヴィキへの融合。
第6章・ボルシェヴィズムを超えて—魂の革命の展望
第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
第四編/ スターリン時代におけるニーチェの反響(Echoes)—1928-1953。
第一部/縄を解かれたディオニュソス(Dionysos)、文化革命と第一次五カ年計画—1928-1932。
第9章・「偉大な政治」のスターリン型。
第10章・芸術と科学における文化革命。
第二部/ウソとしての芸術、ニーチェと社会主義リアリズム。
第11章・社会主義リアリズム理論へのニーチェの貢献。
第12章・実施される理論。
第三部/勝利したウソ、ニーチェとスターリン主義政治文化。
第13章・スターリン個人崇拝とその補完。
第14章・力への意思(Will to Power)の文化的表現。
エピローグ/脱スターリン化とニーチェの再出現。
以上。
——