安倍晋三首相と朝日新聞社の闘いは今後も続くだろうが、北朝鮮の拉致被害者問題に関して、安倍首相による朝日新聞批判が活字になっているのを二つ見つけた。古書で入手した諸君!2003年02月号(文藝春秋)と山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)の中でだ。
 記憶をたどれば、2002.09.17の首脳会談で金正日が拉致を認め生存者5名・死亡者8名(・あとは不知)と伝え、同年10.15に5人が羽田空港に帰国した。10.24に政府は5人を日本に永住させる(北朝鮮に戻さない)、家族の早期帰国を求める等を決定した。
 もともと朝日新聞は親北朝鮮の姿勢で拉致問題解決よりも国交回復を急げとの主張が基本だったが(今回はその詳細は省略)、朝日は政府決定のあと「5人の言動からはいったん北朝鮮に戻るという気持ちがうかがえた。…北朝鮮にやはり戻りたいということもあるかもしれない」との部分を含む10/26社説で混ぜ返した(5人はそんな気持ちでなかったとの証言がのちにあるが省略)。
 家族が離れた状態になったのだが(4人=2夫妻の子供たちの帰国は04.05.22、1人の夫・子供たちの帰国は同07.18)、北朝鮮は5人を戻さなければ交渉しないと(約束違反だとか言って)態度を「硬化」させたのだった。
 そんな北朝鮮の態度を知って(それを配慮したのか?)、朝日新聞は、拉致被害者の「居住の自由は?」、「家族離散の強制では」等の投書を多数載せつつ12/26社説体制変換望めばこそ/北朝鮮との国交交渉」で、5人の家族の帰国問題につき「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではない。感情論に乗るだけでは真の国益を踏まえた外交にはならない」と述べた。
 この朝日新聞社説を厳しく批判したのは、当時官房副長官で政府内で重要な役割を果たしていた安倍現首相だった。次のように述べた。
 「これを読んで、私は非常に落胆しました。記事は…暴発の可能性を示唆しつつ、拉致問題については、双方の原則やメンツにこだわるのはよくない、「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではないということだ」と、主張しています。国家的犯罪を犯した立場の国と、被害者のわが国を同列におくという、論理の基本がそもそも間違っているのです。/いったい、「朝日」は、どういう妥協をしろといっているのでしょうか」。
 「…「死亡」とされた8人の方々の安否について、あれは北朝鮮側の通りでした、といって納得すればいいのでしょうか。5人の帰国者たちの家族についてはもう諦めました、とでもいえばいいのか。あるいはもう戻りたくないといっている5人を、無理やり平壌へ送還すればいいのか」。
 「はこれほど無責任な提言は見たことがありません。「真の国益を踏まえた外交」を展開せよ、と記事はいうが、9月の台風のさなかに海水浴をしていて溺死しました、というような報告を鵜呑みにしたうえで実現しなければならない「国益」とは一体、何なのでしょうか」。(諸君!2003年02月号p.68-9)
 朝日新聞はその後2003年元旦の社説でも基本的態度を変えなかったようだ。安倍は2003年1月下旬の某講演会で次のように述べて朝日を「敢然と批判した」(山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)p.169-170による)。
 「いま大切なことは国民の声をひとつにしていくことです。…今年の元旦の(朝日新聞の)社説の場合、拉致問題では「強硬論を言うだけでなく、落としどころを考えろ」という趣旨の論調があったわけです。拉致問題そのものに妥協なんてありません。「5人の子供たちは帰ってこなくていい」「5人を向こうに戻す」なんてしません。また、5人の子供たちが帰ってきたら後の人たちは忘れてもいいのでしょうか。…そういうわけにはいかない。私たちは私たちの手で安否を確認しなければならない。…朝日新聞は「8人を忘れてしまえ」というのと同じことをいっているといっても差し支えないでしょう。こういう論調が交渉をうまく進めさせない、われわれの主張を通すことができない障害になっていると強く懸念しています」。
 山崎行太郎という無名と思われる文芸評論家によると、こうした安倍氏の発言は全て朝日への<言論弾圧>であり<恫喝と恐喝>ということになるのだろう。文芸評論家と名乗るからには、言葉は正確に使って欲しいものだ。
 政治家にも言論の自由があり、それを行使し、広義には「権力」団体に他ならない朝日の謬見を正当に指摘し、批判しているにすぎない。
 なお、読売論説委編・読売VS朝日-北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002.12)の最後には、「同時に大局を失ってもならない。ためらわず、正常化交渉を再開させることである」との朝日02.09.22社説と「国交正常化を急ぐことはない」と題する読売02.10.10社説が対比して掲載されている(p.198-)。