秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

憲法改正手続法

1272/「憲法改正」の事項的「単位」と産経新聞社案「国民の憲法」。

 1/06に、次のように書いた。-「憲法改正とは、現憲法の全体を一挙に廃棄・廃止して、新しい憲法を一括して創出する、というものではない」。「憶測にはなるが、ひょっとすれば産経新聞『国民の憲法』案は、渡部昇一らの現憲法『無効』論や石原慎太郎の現憲法『破棄』論の影響も受けて、現憲法の全体に新しい『自主』憲法がとって代わる、というイメージで作成されたのではないか、という疑問が生じなくはない」。「現憲法と『新』憲法案のどちらがよいと思うか、というかたちで一括して憲法改正の発議と国民投票が行われるはずがない。確認しないが、憲法改正手続法もまた、そのようなことを想定していないはずだ」。
 この問題は、「憲法改正」の発議および「国民投票」の仕方、より正確には、発議や賛否投票の<対象>または<単位>の問題だ。先には憲法改正手続法と書いたが、この問題、とくに発議の<対象>・<単位>についての関係既定は、(改正された)国会法にある。以下、憲法制度研究会・ポイント解説Q&A/憲法改正手続法-憲法改正手続と統治構造改革ガイド(ぎょうせい、2008)に依って説明しておく、なお、憲法制度研究会が編者だが編集代表は川崎政司だ。この人は地方自治法・行政法の書物もあり、慶応大学法科大学院の客員教授だが、もともとは参議院法制局の職員・官僚(いわば立法・法制官僚)である人、またはそうだった人で、<とんでもない左翼>の人物ではない。叙述内容も、できるだけ客観的になるように努められている、という印象がある。
 上の本はやや古いが、言及されている関係条項は現在でも変わっていない(総務省・現行法令データベースによる)。国会法6章の2の表題は「日本国憲法の改正の発議」。その中の、現行規定でもある、国会法68条の3は次のように定める。
 「第六十八条の三  前条の憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。
 上掲書は、つぎのように「解説」する(p.30-31)。
 ・例えば九条改正と環境権の創設という別々の事項が一括して投票に付されると、一方には賛成だが別の一方には反対である、という国民はその意思を適切に投票に反映できない、そこで、「内容において関連する事項ごとに区分して」発議することとされた。
 ・問題は、何が「内容において関連する事項」に当たるか、だ。憲法改正手続法の国会審議では上の例の場合に一括発議・一括国民投票は「好ましくない」という点で一致したが、自衛軍の設置とその海外活動は一括できるか、自衛軍と軍事裁判所の設置は一括できるか、などについては「明確な判断は示されてい」ない。
 ・結局、個別の案ごとに国民の意思を問う要請と「相互に矛盾のない憲法体系を構築する」要請から決定されるべきもので、「個別具体的事例については、国会が発議するに当たって、しかるべき判断を行うことにならざるを得ない」ようだ。
 ・この点について、参議院では「発議に当たり、内容に関する関連性の判断は、その判断事項を明らかにするととともに、外部有識者の意見も踏まえ、適切かつ慎重に行うこと」との付帯決議がなされた。
 ・この条文により「全部改正」が不可能になったのかも問題になったが、「すべて相互に密接不可分である、つまり内容の上で分かち難いというものであれば一括して発議がなされるという場合も論理的にないことはない」とのむ答弁が提案者からなされている。
 ・国民投票のイメージとしては、個別の事項の案ごとに投票用紙を受け取り、投票(投函)を済ませてから次のブースに移り、そこで次の別の事項に関する投票をする形が間違いないという見解、その場合10も20もブースを作ることは困難で、3~5問程度が限度だとの見解も提案者から示されていた。
 以上のとおりだが、はたして、産経新聞社「国民の憲法」案は、このような国会法等の規定も十分に意識して作成されたのだろうか。
 なるほど、「すべて相互に密接不可分である、つまり内容の上で分かち難いというものであれば一括して発議がなされるという場合も論理的にないことはない」ということに「論理的には」なるのだろう。しかし、同社案は「すべて相互に密接不可分である」ものとして作成されたのだろうか。そのように主張する起草委員および産経新聞関係者も存在する可能性はある。だが、「基本的人権」または「国民の権利義務」の章の個別の条項の書きぶりはさらにいくつかに区分することが可能であると見られるし、いかに「産経憲法観」?によっているとしても、例えば「財政」や「地方自治」の章の具体的内容までが前文や「国防」の章(の案)と「密接不可分である」とまでは言えないように考えられる。
 ともあれ、産経新聞社「国民の憲法」案が、「憲法改正」運動のためには、形式面において「使いづらい」ところがあることは否定できない、と思われる。
 「憲法改正」発議の仕方、発議の対象となる<単位>には少なくともある程度の、「内容において関連する事項ごとに」、という限定があることもふまえて、「憲法改正」は議論されなければならない。そして、だからこそ、どの条項から優先して「改正」していくか、という問題があり、その問題に関する議論もしなければならないわけである。

0738/2005年8-9月、朝日新聞は何と書いたか-吉川元忠=関岡英之・国富消尽(PHP)による。

 吉川元忠=関岡英之・国富消尽(PHP、2006)p.121-によると、朝日新聞は、2005年総選挙前の8/12社説でこう書いた。- 「党のリーダーが最優先の公約にしている政策なら、反対派を排除してでも実現しようとするのは当然だろう」。
 8/23社説でも、こう書いた。-「一つの法案に反対した前議員を容赦なく追いつめる」のは「非情と映るやり方ではあっても、自民党を政策本位の政党に造り替える豪腕だとも評価できる」。
 9/06社説は、小泉首相の任期延長待望論すら書いた。
 9/11の投票日当日の朝日新聞社説はこうだった-「小泉首相はこれまで見たことのない型の指導者だ。…単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」。
 選挙結果は自民党296、民主党113、公明31、共産9、社民7等で、自公合わせて2/3以上の議席(327)を占めた。
 この結果は、小泉首相を「指導者」=Fuehrer=ヒトラーのように?褒め称えた朝日新聞の論調に多分によっていると思われる。与党が2/3以上の議席を獲得したからこそ憲法改正も現実的になり、続く安倍晋三政権の強い意向で教育基本法改正、防衛省設置法、憲法改正手続法も成立したのだから、こう指摘されるのは嫌だろうが、そもそもは「狂気の首相」を冷静に問題視できなかった朝日新聞社の論調自体に、教育基本法改正、防衛省設置法、憲法改正手続法を生んだ原因があった、とも言える。
 数年経って、小泉=竹中「構造改革」路線による、世界経済不況ものちに加わっての<格差拡大・失業率増加・非正規労働者の増加と不安定等>が語られる。
 朝日新聞はこうした現象を今日の問題だと、政治が生み出した「影」の部分、<弱者>を顧みない冷たい政治の結果等だと、主張している。
 だが、バカは休み休み言い給え、と言いたい。「小泉首相はこれまで見たことのない型の指導者だ。…単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」と小泉首相を称揚しておいて、いかなる意味でも小泉政権の政策実施の結果と考えられるものを批判できるはずがない。
 批判するならば、2005.09.11等々の社説は誤りだったと取消して謝罪してから行うべきだ。経済理論・経済政策についてまともな知見を有していない朝日新聞は、適当に、ときどきの主流派の経済「思潮」に乗っかかって紙面を作り、社説を書いているだけだ。毎日700万の発行部数をもつ新聞がこうなのだから、情けないし、日本の進路も危ない。
 世襲(二世・三世)議員批判は、いま朝日新聞が手がけている<戦略>だろう。自民党に不利だからだ。単純にかかる議員がいけないとの結論にはならない、というのが私の意見。無視した方がよい。
 鳩山弟総務大臣と日本郵政社長の問題は、来る選挙も意識して報道されていると考えておいた方がよい。引きづり落としたい政党には小さなことでも悪い事は大きくかつ執拗に、伸ばしたい政党については重要で悪いことでもごく簡単に触れるのみ。
 こうした朝日新聞らのマスコミが醸し出す<雰囲気><空気>を読んで、<勝ち馬買い>意識をも持って、いわゆる<無党派>層は投票する。それが有権者の10%にすぎなくとも、大きな力をもち、選挙結果を左右する。<新聞民主主義>・<ワイドショー民主主義>(いずれも「大衆民主主義」で、<ポピュリズム>の別表現だが)は日本において極まっていそうだ。

0164/朝日新聞社説子は「自由・民主・人権」の意味・関係をきちんと説明できるか。

 しばらく朝日新聞の社説を読む機会がなくWeb上で見ることも忘れていた。
 憲法改正手続法(国民投票法)衆議院通過後の朝日の4/17社説について、同日のブログで<「メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある」という理由だけしか書けず、致命的な又は大きな欠点・問題点を堂々と指摘できないのでは、「廃案」→「仕切り直し」という主張のためには不十分だろう。>と書いた。
 まさかこの文の影響ではないだろうが、ネット情報等によるとその後朝日は<最低投票率制度を導入によ(それがないから反対)>という主張をしたようだ。国会審議前にこの具体的主張をせず、参議院に送付されてからこんな主張をし始めるとは、朝日新聞はやはり<たいした>言論機関だ。いよいよ成立しそうになってからの<反対のための反対の理由>を挙げただけではないのか。
 この最低投票率制度の問題にはもはや立ち入らない。
 保存するのを忘れたが、憲法改正手続法案が参議院の委員会で議決された後の朝日の社説(5/12(土)?)は興味深かった。翌週早々に参議院本会議でも議決されて成立する見込みとなって、まるで水の中(池でも河でもよい)に落とされた犬が必死で陸に這い上がって、投げ落とした者に対して<うらみ・つらみ>の泣き言を喚いているような文章の社説だったからだ。
 もっとも、5/15(火)の社説は「投票法成立―「さあ改憲」とはいかぬ」と題して、何とか元気を取り戻した様子だったが。
 さて、最近の朝日社説にいくつかコメントをしておく。
 一.上の5/15の社説の中に、自民党の新憲法草案九条の二に関する次のような文がある。
 「つまりは、現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということだ。自民党は、今後つくる安全保障基本法で自衛軍の使い方をめぐる原則を定めるとしている。だが、たとえ基本法に抑制的な原則をうたったとしても、憲法9条とりわけ2項の歯止めがなくなれば、多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ
 二点指摘できる。第一に、「現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということ」という表現の仕方、とりわけ「普通の軍隊」
という言葉の使用は、自衛隊も<普通の軍隊ではないが軍隊だ>という意味を含むとも解釈することができ、興味深い。
 第二に、「基本法に抑制的な原則をうたったとしても、…多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ。」という部分は、別の機会にも指摘したかもしれないが、「民主主義」の価値を大いに謳っている新聞社にしては、国民の代表を通じての議会制民主主義の意味を理解できていないかの如くだ。つまり、「
多数党」
ということは、国民の多数が支持している政党を意味する筈であり、その政党の判断が国会の意思となり、何らかの事項を「変えて」いくことに一体何の問題があるのか。
 自社に気に入らない決定をする国会の場合には<多数党の横暴>といい、自社の主張に即した決定をする国会の場合には<議会制民主主義を守れ。少数党は自制せよ>という主張をしそうな、つまり所謂<ご都合主義>に毒された新聞が朝日新聞ではないのか。
 二.5/17社説「党首討論―もっと憲法を論じよう」にも面白い部分がある。
 同社説は「時間が少なかったし、そう問われなかったということもあっただろう。だが、この60年、憲法の下で民主主義人権平和主義を培ってきた国民の「成果」に対する肯定的な評価は、安倍氏からはまったく聞かれなかった」と安倍首相を批判している。
 ここでも二点指摘したい。第一に、この文の前で、<首相は戦後日本を次のように批判する。/「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>と安倍首相の発言を紹介している。
 「問われなかったということもあっただろう」
が、朝日社説は、上の安倍首相発言の内容に賛成とも反対とも、自らの見解を全く述べていないのだ。安倍首相が語らなかった部分に文句をつける前に、明確に語った部分について何らかの評価を明示したらどうか。批判したいけれども批判し難い、というのが本音なのだろうか。あるいは、さらにそのずっと前の辺りにある「復古主義」という言葉で批判しているつもりなのだろうか。
 朝日は安倍首相等を不明瞭・曖昧等と批判することがあるが、自社の社説はすべて明瞭で曖昧さはないと言い切れるのか、少しは反省してみるがよい。
 第二は、より大きな問題だ。朝日は5/20社説でも、古屋圭司氏を会長とする所謂「価値観議連」に参加した議員たちの発言をとり上げて、「右派の熱心なテーマばかりだ。これがめざす「真の保守主義」なのだというが、「自由・民主・人権」というより、復古的な価値観に近いのではないか」と疑問視又は批判している。
 ここでも朝日社説は守るべき価値として「民主主義・人権(保障)」等を考えているようだ。この二つの他に5/17では「平和主義」を、5/20では「自由」を挙げている。
 私の現在の強い問題関心は、「自由」・「民主」・「人権」等は現在においていかなる理念的意義を持ち得るのか、またそれぞれがどのような関係に立つのか、にある。
 とくに1990年代以降、これらの意義が少なくともある程度は疑問視され再検討される必要が出てきた、というのが私の時代認識だ。
 卑近すぎるかもしれないが、「人権」と「平等」のある意味での<いかがわしさ>は、地方自治体の行政の<腐臭>の源の発覚によって、露わになってしまったのではなかろうか。
 かかる問題意識は、私一人のものではないと思われる。
 つい先日紹介したように、ジュリスト誌上で、棟居快行・大阪大学教授は、「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」と述べていた。
 「近代立憲主義の憲法学の武器庫」には、<民主主義>も<自由>も<人権>も当然に含まれる筈だ。
 また、リベラリズム/デモクラシーを途中まで読んだ後に入手した阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)はその「はしがき」の中で、憲法学は<裸の王様>だと”市民”は「肌で感じ取ってきている」のではないか」とし、その理由を阪本は「暫定的に」次のように述べている。
 「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」、「人間性」、「自然法」、こうしたキー・ワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきたのではなかろうか」。
 こんなことを憲法学者の少なくとも一部は明言しているのだが、朝日新聞の社説子は、「
民主主義人権平和主義」を、あるいは自由・民主・人権」をいかなる意味で、それぞれがいかなる関係をもつ概念として用いているのかを、きちんと明瞭に説明できるのか。朝日の社説子もまた、明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発して」はいないか?
 日本の<戦後民主主義>が当然視してきたようなことが当然ではなくなっているのが、現在だ。ソ連型「社会主義」崩壊、経済のグローバル化、「情報社会」化、中国・北朝鮮の新たな動向等々は、上に挙げたような基礎概念の意味を絶えず問うているのだ。
 朝日の社説子にはそれだけの時代認識もなさそうに見える。<フランス革命の神話>という言葉の含意を理解できる論説執筆者がどれほどいるのか。「民主主義、人権、平和主義」を、あるいは自由・民主・人権
」を<お経>の如く唱えているだけではないのか
 まだ、最近の朝日の社説についてコメントしたい点はあるが、今回はここで終わっておこう。

0154/ジュリスト最新号(有斐閣)に見る日本の憲法学界。

 5/12の22時台のブログでその日の読売朝刊の橋本五郎による記事によって憲法学界の状況にコメントした。
 そこで言及されていたジュリスト最新号=1334号(5/1=5/15合併号、有斐閣)を購入した(2200円もする)。たしかに橋本が紹介したようなことを佐藤幸治、高橋和之両教授は発言しているのだが、驚いた又は目を惹いたことが二、三ある。
 一つは、自称「ラディカルなリベラリスト」の阪本昌成が、「武力行使違法化原則のなかの九条論」というタイトルで憲法九条に関する論稿を寄せていることだ。既に読んだが、ありきたりの九条論でなくて面白い。別に紹介する。
 二つは、先日、護憲派・親フェミニズムとみられる東京大学の憲法学教授が「痴漢」、の旨で取り上げた蟻川恒正が、巻頭の「座談会」に4名の中の1名として登場していることだ(顔写真付き)。高橋和之は定年のため東京大学教授でなくなったこともあって、4名のうち東京大学の現役教授は彼一人。こういう特集号での巻頭の座談会は重要な位置づけがあると思われ、そこに出席しているのだから、憲法学界又は同誌編集部としては<重要な>人物と彼を看做したのだろう。その彼が、雑誌刊行直後に逮捕されるとは…。
 三つは、特集名は「日本国憲法60年」で「日本国憲法の改正」又は「憲法改正」ではないことだ。後者のような特集名で改正反対=護憲論が多数登場することもありうるのだが、安倍内閣発足以来、<憲法改正>はしばしばマスコミを賑やかしている言葉であり、それに向けての現実的動きがあるのに、「日本国憲法60年」という、たんに施行後60年経ったというだけの特集名になっている。ジュリスト編集部(有斐閣)および憲法学界の雰囲気をこの一点でも、象徴的に知ることができそうな気がする。
 それにこの雑誌が編集されている頃は、憲法改正手続法(国民投票法)の国会での審議が続いていた頃で、その成立の可能性もあった筈だが、この雑誌のこの号には憲法改正手続法〔国民投票法)に関する論稿はなく、論及している執筆者もないように思われる。
 学界・学問の世界と政治の世界は別だから、政治情勢に合わせて学問研究をしろとは全く思わない。
 だが、読売や産経は5/3以降頃に<憲法改正が具体的政治日程に、問題は具体的改正内容だ>とかの論調を示していたのと見ると、この雑誌の特集の仕方はあまりに「現実」からかけ離れている(座談会では切実な発言があるかもしれないが、一部を除き未読。いずれ紹介する)。
 また、憲法改正手続法(国民投票法)については百地章、小林節が産経に、大石真(京都大学)が別の新聞に何か書かれていた(発言されていた)と思うが、結局のところ、ごく数人の憲法学者しか対社会的には発言しないまま憲法改正手続法(国民投票法)は成立してしまったようだ。
 国民投票を憲法改正に限るのか、その他の国政上重要な問題にも広げるのか(私は後者は決して「進歩的」でなく、憲法の精神でもないと思う)という問題や最低投票率を設定すべきか(私は反対だ)という問題は、重要な憲法問題でもあり、全ての憲法研究者が何らかの自説を何らかの形で公にしてもよかったのではないか。
 しかるに、改正手続法制定の過程で、殆どの憲法学者は「寝ていた」。将来になって日本の憲法学界史をたどるとき(そういうものがあるとしてだが)、この事実をもはや消すことはできない。
 全ての憲法学者(だと思っている者)は覚醒して、憲法に関する「憲法政策」的議論、憲法に関する「制度設計」論を展開すべきだ。そうでないと、近い将来、憲法改正についてもほとんど「寝ていた」という事態が生じかねない(すでに両院の憲法調査会等で「参考人」として知見・見解を述べている者はいるとは思われる)。
 改正に反対でも賛成でもよい、具体的な問題についての議論でもよい、全ての憲法学者が何らかの形で「参加」すべきだろう。多くの憲法学者は、憲法が改正されれば、それを所与の前提として再びその「解釈」に埋没するつもりなのか、あるいは日本の憲法など無関係に諸外国の憲法問題又は憲法判例を紹介したりして「やり過ごす」つもりなのか。情けないことだ。

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