秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

憲法学界

1680/九条二項存置・自衛隊明記論-伊藤哲夫・産経新聞の愚②。

 九条二項を存置したままでの九条三項の追加による、または九条一・二項をそのままにしたうえでの九条の二の新設による<自衛隊の明記>という案は、<成り立つ>と思った。
 それは、2015年に平和安全法制を改正・成立させるに際してその当時の国会が採った憲法および九条関連「解釈」、つまりは、新「武力行使三要件」で限定された意味での集団的自衛権の行使が憲法上認められるということを前提とする「解釈」のエッセンスを書き込んで憲法に明記することはありうる、つまりいったん憲法解釈として採用されたものを憲法上に明記して確認する、ということはありうる、そういう議論も<成り立つ>と考えたからだ。
 むろん、この<エッセンス>をどう文章化するかという、という問題が残ることは意識した。
 棟居快行が読売新聞上で示した「試案」は簡単すぎるだろうと、感じてもいた。
 しかし、この案が単純に「自衛隊明記」案だとか称されていることや、その主張者たちの文章を読んでいて、すでに結論は出てしまった。
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 たしかに、九条三項(または九条の二)に<二項と矛盾しない自衛隊関係条項>を作るという案は、考え方または案としては成り立つ。しかし、その文章化はほとんど困難であるか、またはかりに作っても無意味であるために、必ず、つぶれる。自民党の案として、おそらく間違いなく、まとまることはない。
 したがってまた、こんな改憲案が国民に示されることはない。
 三項加憲案を支持するか、支持しないかの問題ではない。それ以前の基本的問題として、文章化・条文化が実質的に不可能だと思われる。
 支持とりつけ→条文化、ではない。そもそも、「条文化」を試みて、それを支持してほしいと訴えるべきで、上のような<軍・戦力ではないものとしての自衛隊の憲法上の明記>を支持するか、しないかの議論を先行させてはいけない。
 <軍・戦力ではないものとしての自衛隊の憲法上の明記>なるものは、実質的に不可能だ。
 したがって、この案は、必ず、つぶれる。おそらく間違いなく、自民党の案にならない。
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 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 前回に書いた。「明記」、「解釈」、「認める」、といった概念・言葉で何を意味させているのか。このような言葉、概念の意味・違いを明確にさせてから、<もう一度出直せ>。
 方法的、概念的、論理的な疑問は、前回に書いたこと以外にもある。
 ①「自衛隊について憲法に何も定めがないというのは異常です」。 p.99。
 陥穽への第一歩がここにもある。
 「自衛隊について」が何を意味するかが、そもそも問題なのだが、これは別に書く。
 「憲法に何も定めがない」とはいかなる意味か?
 「定め」が明示的な(ausdrueklich)な規定という意味であればそのとおりで、その意味では<明記>されていない、とも言い得る。
 しかし、だからといって、現在の自衛隊が憲法外の、あるいは超憲法上の存在であるわけでは全くない。現在の憲法秩序、現憲法が<認める>、あるいは<許容>しているものとして現在の自衛隊は存在している。
 そうでなければ、自衛隊法等々も、2015年平和安全諸法制も法規範として存在していない。
 つぎの②に対するコメントの一部と同じことだが、現在の自衛隊は現憲法が<認める>、あるいは<許容>しているものであり、その意味で<憲法に根拠づけ>られている。
 繰り返すが、憲法外の、あるいは超憲法上の存在であるわけでは全くない。
 憲法学者の90%以上が集団的自衛権行使容認の平和安全法制を違憲だとしたとか、憲法学者の60%以上が自衛隊を違憲だと言っている、ということを重視する向きがある。
 秘境・魔境に生息する者たちを重視しすぎてはいけない。
 上のことを気にするのは、憲法学界・憲法学者の中に食い込んでいる、日本共産党および同党員学者の「憲法解釈」論上での<政治的な闘争>に屈服していることを、ある程度は示している。
 そもそもの伊藤哲夫・岡田邦宏らの発想は、この対日本共産党屈服、だろう。
 正面から闘わないで、脇道を通って、<形だけの>勝利を目指そうとしているかに見える。
 そして、その<脇道>は、実際にはほとんど塞がれていることは、前回も、今回も、述べているところだ。
 ②「自衛隊が憲法に明記されず、九条二項に反しないような解釈にのみ根拠づけられていることに問題の根源がある」。p.101。
 大きな陥穽に落ち込みそうな叙述だ。
 つまり、「明記」と「(憲法)解釈」をそれぞれどのような意味で、従ってどのように区別して、用いているのか。
 結論だけ、まず示そう。
 第一に、つぎの三項追加案で、<自衛隊を明記>したことになるのか?。
 「第三項/自衛隊は、存在する。」、「第三項/自衛隊を、設立する。」、「第三項/自衛隊を、認める。」
 たしかに「自衛隊」を「明記」しているが、これでは無意味だろう。
 この無意味さを分からなければ、議論に関与するな、と言いたい。
 なぜか。三項で新たな憲法上の概念として出てくる「自衛隊」が、現在ある自衛隊を意味しているとする、根拠は何も、少しも、全くないのだ。
 現在の法律や<経験上の>知識を前提にしてはいけない。
 (かりにそうだとしても、自然災害対処や国際平和協力など「自衛」概念に通常は入らないものも現「自衛隊」はしていること等に、別に触れる)。
 そもそも、憲法上の「自衛隊」という語の<解釈>がやはり必要なのだ。
 第二に、「自衛隊」という語を使わないで、どう成文化するか。
 できるかもしれないが、しかしその場合、*二項存置が絶対の前提なので*、二項の「軍・戦力」ではないものとして三項で<明記>するものを表現しなければならない。
 その場合に、二項の「軍・戦力」ではない自衛権行使組織を定めようとすれば、当然ながら、二項の「軍・戦力」や<自衛権>についての<憲法解釈>を前提にせざるを得ない。
 結論だけ、が長くなったが、つまり、こうして追加される三項もまた、<憲法解釈>を必然的に要求するのであり、<明記されずに憲法解釈にのみ根拠づけ>られる状態は、何ら変わりない
 第三。決定的な反論または岡田邦宏批判。
 「憲法解釈にのみ根拠づけ」られていても、「憲法に根拠づけ」られていることに変わりはない。
 「どしろうと」にとって、「明記」と「法解釈」の間の溝・区別はきわめて大きいのだろう。
 しかし、「明記」というのは、言葉・概念それ自体の常識的・社会通念的・通常日本語上の意味が確定している場合に使いうる言葉であって、憲法上の概念とは、そんなものばかりではない。
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 だからこそ、憲法はしばしば「法律の定めるところにより」と書いて明確化・具体化を法律に任せているのだ。
 伊藤哲夫や岡田邦宏や小坂実は、「内閣」は憲法上に明記されていると思っているだろう。その通りであり、かつその構成にも言及があり、「内閣」の仕事も憲法上に列挙されている。
 しかし、そのような憲法上に「明記」された「内閣」の姿だけで、現実の「内閣」を理解できるのか? あるいは「知った」と言えるのか?
 この問いの意味が理解できなければ、国家「政策」や憲法論に関与する資格はない、と思われる。
 憲法にかりに<明記>される自衛隊(「自衛組織」等々)と現実の自衛隊が「全く同じ意味・範囲」であるはずはない。
 <二項存置+自衛隊憲法明記>論者は、どこかで、言葉・概念・規範と現実、法規範の憲法と法律以下の最少でも二層の区別、に関するとんでもない過ちを冒している、と考える。

1327/憲法学者のあり方を大石眞(京都大学)が読売で語っていた。

 かなり遅いが、昨年・2015年8月2日付読売新聞で、大石眞(京都大学)は、憲法(九条を含む)解釈の変更はありうること、「憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない」こと等を以下のように語っていた。
 森英樹・浦田一郎等々の日本共産党員憲法学者に直接の影響はかりに受けなくとも、かつての指導教授や同窓学者たち、現在所属機関の先輩・同僚、あるいはその大学・学部自体の意見や雰囲気等に影響されて自分自身の学問・研究の「自由」を失っているような得体の知れない憲法学者が多い中で、まともな憲法学者もいるものだ。
 以下に述べられていることにほぼ異論はない。後世の学界と日本のためにも、記録し記憶しておく必要があるだろう。
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 ――安全保障関連法案の国会論戦では、「合憲か違憲か」がいまだに議論の中心だ。
 中身の議論が深まっていないのは残念だ。野党は法案の印象ばかりを批判している。「戦争法案」というネーミングはデマゴギー(民衆扇動)で、国民の代表である国会議員が使うべき言葉ではない。野党代表が、世論調査を基に「国民の多くが憲法違反だと感じている」と訴えるのも違和感がある。国会議員が自ら判断を放棄しているようなものだからだ。
 政府が既存の法律10本の改正案を平和安全法制整備法案として束ねたのも、議論を分かりにくくしている。一括法案を否定するわけではないが、切り分ければ、野党が反対しない部分もあっただろう。政府は丁寧に切り分けて説明しないといけない。安倍首相のヤジは品性にかかわる。控えてほしい。
 ――憲法9条と安保法制の関係をどう考えるか。
 憲法が作られた時、集団的自衛権を行使する事態なんて、誰も予想していなかったはずだ。人定法は、過去の事象に対する判断や評価から、条文ができている。想定していなかった事態に対し、憲法をつくった人がどう考えていたかを想像するなんておかしい。改正手続きが定められているのは、「憲法がすべてお見通し」ではないからだ。
 もちろん、憲法が侵略的な武力行使の放棄を定めているのは疑いようがない。憲法解釈も安定している方が望ましい。しかし、国際情勢は絶えず動いている。安全保障政策は、国際情勢を考慮して、解釈変更の余地を残し、憲法の規範と整合性を取っていくべきだろう。
 例えば、ヘイトスピーチを取り締まるためにも、憲法解釈の変更が必要だ。今の解釈では、憲法21条の「集会、結社、表現の自由」が尊重され、取り締まることができない。だから、日本は、ヘイトスピーチを規制する法整備を求めた国連の人種差別撤廃条約の第4条を留保している。9条の解釈変更に反対する人たちは、ヘイトスピーチを取り締まるための解釈変更にも反対するのだろうか。憲法解釈は、政策的な要素に左右され得ることを認めた方がいい。
 野党は憲法解釈変更を「立憲主義を覆す」と批判しているが、そもそも憲法の役割は、正しい形で政治家に権力を与えることだ。「権力を抑制しなければならない」という主張は、政治家には存在価値がない、と自ら言っているようなものだ。国民が選挙で投票するのも、権力を作り、議院内閣制を確立するためなのだから、立憲主義の議論は不毛だ。
  〔見出し〕 野党の「立憲主義」議論 不毛
 ――衆院憲法審査会での違憲論争をきっかけに、憲法学者が注目を浴びるようになった。
 我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。時代とともに変わる規範を、きちんと現実の出来事にあてはめることが責任ある解釈者の姿勢だと思う。内閣や国会の法制局はそうした役割を担っている。最高裁も、法文を大事にしながら、起きた出来事にいかに妥当な解決策を見いだすかに腐心している。憲法学者にも、そういう姿勢が求められるのではないか。
 (聞き手 橋本潤也)
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 以上 

1317/資料・史料-2015.06.05安保関連法案反対憲法研究者声明。

 日本の歴史の特定一時期における「憲法研究者」なるものの異常な実態を記録にとどめておく必要がある。
 なお、「法案の内容が憲法9条その他に反する〕と言いつつ、法案における「憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す」という表現を使って縷々述べていることは興味深い。
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 安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明
   2015.06.05

 安倍晋三内閣は、2015年5月14日、多くの人々の反対の声を押し切って、自衛隊法など既存10法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を閣議決定し、15日に国会に提出した。
 この二つの法案は、これまで政府が憲法9条の下では違憲としてきた集団的自衛権の行使を可能とし、米国などの軍隊による様々な場合での武力行使に、自衛隊が地理的限定なく緊密に協力するなど、憲法9条が定めた戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の体制を根底からくつがえすものである。巷間でこれが「戦争法案」と呼ばれていることには、十分な根拠がある。
 私たち憲法研究者は、以下の理由から、現在、国会で審議が進められているこの法案に反対し、そのすみやかな廃案を求めるものである。
 1.法案策定までの手続が立憲主義、国民主権、議会制民主主義に反すること
 昨年7月1日の閣議決定は、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を、国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断でくつがえしてしまう暴挙であった。日米両政府は、本年4月27日に、現行安保条約の枠組みさえも超える「グローバルな日米同盟」をうたうものへと「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定し、さらに4月29日には、安倍首相が、米国上下両院議員の前での演説の中で、法案の「この夏までの成立」に言及した。こうした一連の政治手法は、国民主権を踏みにじり、「国権の最高機関」たる国会の審議をないがしろにするものであり、憲法に基づく政治、立憲主義の意義をわきまえないものと言わざるを得ない。
 2.法案の内容が憲法9条その他に反すること 以下では、法案における憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す。
 (1)歯止めのない「存立危機事態」における集団的自衛権行使
 自衛隊法と武力攻撃事態法の改正は、「存立危機事態」において自衛隊による武力の行使を規定するが、そのなかでの「我が国と密接な関係にある他国」、「存立危機武力攻撃」、この攻撃を「排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使」などの概念は極めて漠然としておりその範囲は不明確である。この点は、従来の「自衛権発動の3要件」と比較すると明白である。法案における「存立危機事態」対処は、歯止めのない集団的自衛権行使につながりかねず、憲法9条に反するものである。
その際の対処措置を、国だけでなく地方公共団体や指定公共機関にも行わせることも重大な問題をはらんでいる。
 (2)地球のどこででも米軍等に対し「後方支援」で一体的に戦争協力
 重要影響事態法案における「後方支援活動」と国際平和支援法案における「協力支援活動」は、いずれも他国軍隊に対する自衛隊の支援活動であるが、これらは、活動領域について地理的な限定がなく、「現に戦闘行為が行われている現場」以外のどこでも行われ、従来の周辺事態法やテロ特措法、イラク特措法などでは禁じられていた「弾薬の提供」も可能にするなど、自衛隊が戦闘現場近くで外国の軍隊に緊密に協力して支援活動を行うことが想定されている。これは、もはや「外国の武力行使とは一体化しない」といういわゆる「一体化」論がおよそ成立しないことを意味するものであり、そこでの自衛隊の支援活動は「武力の行使」に該当し憲法9条1項に違反する。このような違憲かつ危険な活動に自衛隊を送り出すことは、政治の責任の放棄のそしりを免れない。
国際平和支援法案の支援活動は、与党協議の結果、「例外なき国会事前承認」が求められることとなったが、その歯止めとしての実効性は、国会での審議期間の短さなどから大いに疑問である。また、重要影響事態法案は、「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」というきわめてあいまいな要件で国連決議等の有無に関わりなく米軍等への支援活動が可能となることから国際法上違法な武力行使に加担する危険性をはらみ、かつ国会による事後承認も許されるという点で大きな問題がある。
 (3)「武器等防護」で平時から米軍等と「同盟軍」的関係を構築
 自衛隊法改正案は、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している」米軍等の武器等防護のために自衛隊に武器の使用を認める規定を盛り込んでいるが、こうした規定は、自衛隊が米軍等と警戒監視活動や軍事演習などで平時から事実上の「同盟軍」的な行動をとることを想定していると言わざるを得ない。このような活動は、周辺諸国との軍事的緊張を高め、偶発的な武力紛争を誘発しかねず、武力の行使にまでエスカレートする危険をはらむものである。そこでの武器の使用を現場の判断に任せることもまた、政治の責任の放棄といわざるをえない。
領域をめぐる紛争や海洋の安全の確保は、本来平和的な外交交渉や警察的活動で対応すべきものである。それこそが、憲法9条の平和主義の志向と合致するものである。
 以上のような憲法上多くの問題点をはらむ安保関連法案を、国会はすみやかに廃案にするべきである。政府は、この法案の前提となっている昨年7月1日の閣議決定と、日米ガイドラインをただちに撤回すべきである。そして、憲法に基づく政治を担う国家機関としての最低限の責務として、国会にはこのような重大な問題をはらむ法案の拙速な審議と採決を断じて行わぬよう求める。
 2015年6月3日

 呼びかけ人
 愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授) 青井未帆(学習院大学大学院法務研究科教授) 麻生多聞(鳴門教育大学大学院学校教育研究科准教授) 飯島滋明(名古屋学院大学准教授) *石川裕一郎(聖学院大学教授) 石村修(専修大学教授) 植野妙実子(中央大学教授) 植松健一(立命館大学教授) 浦田一郎(明治大学教授) 大久保史郎(立命館大学名誉教授) 大津浩(成城大学教授) 奥野恒久(龍谷大学教授) *小沢隆一(東京慈恵医科大学教授) 上脇博之(神戸学院大学教授) 河上暁弘(広島市立大学平和研究所准教授) 君島東彦(立命館大学教授) 清末愛砂(室蘭工業大学准教授) 小林武(沖縄大学客員教授) 小松浩(立命館大学教授) 小山剛(慶應大学教授) 斉藤小百合(恵泉女学園大学) *清水雅彦(日本体育大学教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 高良鉄美(琉球大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 常岡(乗本)せつ子(フェリス女学院大学) *徳永貴志(和光大学准教授) 仲地博(沖縄大学教授) 長峯信彦(愛知大学法学部教授) *永山茂樹(東海大学教授) 西原博史(早稲田大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 三宅裕一郎(三重短期大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 森英樹(名古屋大学名誉教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 和田進(神戸大学名誉教授) 渡辺治(一橋大学名誉教授) 以上38名  *は事務局
 賛同人
 鮎京正訓(名古屋大学名誉教授)  青木宏治(関東学院大学法科大学院教授)  青野篤(大分大学経済学部准教授) 赤坂正浩(立教大学法学部教授) 穐山守夫(明治大学)  阿久戸光晴(聖学院大学教授)  浅川千尋(天理大学人間学部教授)  浅野宜之(関西大学政策創造学部教授)  足立英郎(大阪電気通信大学教授)  阿部純子(宮崎産業経営大学准教授)  新井信之(香川大学教授) 淡路智典(東北文化学園大学講師)  飯尾滋明(松山東雲短期大学教授) 飯野賢一 (愛知学院大学法学部教授)  井口秀作(愛媛大学法文学部総合政策学科) 池田哲之(鹿児島女子短期大学教授) 池端忠司(神奈川大学法学部教授)  石川多加子(金沢大学) 石埼学(龍谷大学)  石塚迅(山梨大学)  石村善治(福岡大学名誉教授) 井田洋子(長崎大学)  市川正人(立命館大学教授) 伊藤雅康(札幌学院大学教授)  稲正樹(国際基督教大学客員教授)  稲葉実香(金沢大学法務研究科) 猪股弘貴(明治大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授)  今関源成(早稲田大学法学部教授)  岩井和由(鳥取短期大学教授)  岩本一郎(北星学園大学経済学部教授)  植木淳(北九州市立大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授)  植村勝慶(國學院大学法学部教授)  右崎正博(獨協大学教授)  浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 浦部法穂(神戸大学名誉教授) 江藤英樹(明治大学准教授)  榎澤幸広(名古屋学院大学准教授) 榎透(専修大学教授)  榎本弘行(東京農工大学教員)  江原勝行(岩手大学准教授)  蛯原健介(明治学院大学教授) 遠藤美奈(早稲田大学教授)  大内憲昭(関東学院大学国際文化学部)  大河内美紀(名古屋大学大学院法学研究科教授)  大田肇(津山工業高等専門学校教授)  大野拓哉(弘前学院大学社会福祉学部教授) 大野友也(鹿児島大学准教授)  大藤紀子(獨協大学) 小笠原正(環太平洋大学名誉教授)  岡田健一郎(高知大学准教授) 岡田信弘(北海道大学特任教授)  緒方章宏(日本体育大学名誉教授)  岡本篤尚(神戸学院大学法学部教授)  岡本寛(島根県立大学講師)  奥田喜道(跡見学園女子大学助教)  小栗実(鹿児島大学法科大学院教員)  押久保倫夫(東海大学)  片山等(国士舘大学法学部教授) 加藤一彦(東京経済大学教授)  金井光生(福島大学行政政策学類准教授)  金子勝(立正大学名誉教授)  柏﨑敏義(東京理科大学教授) 彼谷環(富山国際大学) 河合正雄(弘前大学講師)  川内劦(広島修道大学教授)  川岸令和(早稲田大学)  川崎和代(大阪夕陽丘学園短期大学教授)  川畑博昭(愛知県立大学准教授)  菊地洋(岩手大学准教授)  北川善英(横浜国立大学名誉教授)  木下智史(関西大学教授)  清田雄治(愛知教育大学教育学部地域社会システム講座教授)  久保田穣(東京農工大学名誉教授)  倉田原志(立命館大教授) 倉田玲(立命館大学法学部教授)  倉持孝司(南山大学教授)  小竹聡(拓殖大学教授) 後藤光男(早稲田大学) 木幡洋子(愛知県立大学名誉教授)  小林直樹(姫路獨協大学法学部) 小林直三(高知県立大学文化学部教授)  小原清信(久留米大学)  近藤敦(名城大学)  今野健一(山形大学)  齋藤和夫(明星大学)  斉藤一久(東京学芸大学) 齊藤芳浩(西南学院大学教授) 榊原秀訓(南山大学教授) 阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授) 佐々木弘通(東北大学) 笹沼弘志(静岡大学教授)  佐藤修一郞(東洋大学)佐藤信行(中央大学)  佐藤潤一(大阪産業大学教養部教授)  澤野義一(大阪経済法科大学教授) 志田陽子(武蔵野美術大学造形学部教授)  實原隆志(長崎県立大学准教授)  嶋崎健太郎(青山学院大学教授)  神陽子(九州国際大学)  菅原真(南山大学法学部)  杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 鈴木眞澄(龍谷大学教授) 鈴田渉(憲法学者) 妹尾克敏(松山大学法学部教授) 芹沢斉(憲法研究者) 高佐智美(青山学院大学) 高作正博(関西大学法学部)  高橋利安(広島修道大学教授) 高橋洋(愛知学院大学教授)  高橋雅人(拓殖大学准教授) 高良沙哉(沖縄大学人文学部准教授)  瀧澤信彦(北九州市立大学名誉教授)  竹内俊子(広島修道大学教授) 武川眞固(南山大学)  武永淳(滋賀大学准教授) 竹森正孝(岐阜大学名誉教授)  田島泰彦(上智大学教授)  多田一路(立命館大学教授) 建石真公子(法政大学教授) 館田晶子(北海学園大学法学部)  玉蟲由樹(日本大学教授)  田村理(専修大学法学部教授) 千國亮介(岩手県立大学講師) 長利一(東邦大学教授) 塚田哲之(神戸学院大学教授)  寺川史朗(龍谷大学教授)  徳永達哉(熊本大学大学院法曹養成研究所准教授) 内藤光博(専修大学教授)  仲哲生(愛知学院大学法学部)  長岡徹(関西学院大学法学部教授)  中川律(埼玉大学教育学部准教授) 中里見博(徳島大学准教授)  中島茂樹(立命館大学教授)  中島徹(早稲田大学)  中島宏(山形大学准教授) 中谷実(南山大学名誉教授) 永井憲一(法政大学名誉教授) 永田秀樹(関西学院大学教授) 中富公一(岡山大学教授) 中村安菜(日本女子体育大学)  中村英樹(北九州市立大学法学部法律学科准教授)  成澤孝人(信州大学教授)  成嶋隆(獨協大学) 西土彰一郞(成城大学教授)  西嶋法友(久留米大学) 丹羽徹(龍谷大学教授)  二瓶由美子(聖母学園大学教授) 糠塚康江(東北大学)  根本猛(静岡大学教授)  根森健(埼玉大学名誉教授)  畑尻剛(中央大学法学部教授)  濵口晶子(龍谷大学法学部)  樋口陽一(憲法学者)  廣田全男(横浜市立大学教授)  福岡英明(國學院大学教授) 福嶋敏明(神戸学院大学法学部准教授)  藤井正希(群馬大学社会情報学部准教授)  藤井康博(大東文化大学准教授) 藤田達朗(島根大学) 藤野美都子(福島県立医科大学教員) 船木正文(大東文化大学教員)  古川純(専修大学名誉教授)  前田聡(流通経済大学法学部准教授)  前原清隆(日本福祉大学教授)  牧本公明(松山大学法学部准教授)  又坂常人(信州大学特任教授) 松井幸夫(関西学院大学教授) 松田浩(成城大学教授)  松原幸恵(山口大学准教授)  宮井清暢(富山大学) 宮地基(明治学院大学法学部教授)  宮本栄三(宇都宮大学名誉教授) 村上博(広島修道大学教授) 村田尚紀 (関西大学教授)  毛利透 (京都大学教授)  元山健(龍谷大学名誉教授) 守谷賢輔(福岡大学法学部准教授)  諸根貞夫(龍谷大学教授)  門田孝(広島大学大学院法務研究科) 柳井健一(関西学院大学法学部教授)  山崎栄一(関西大学社会安全学部教授)  山崎英寿(都留文科大学)  山田健吾(広島修道大学法務研究科教授)  結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 横尾日出雄(中京大学)  横田力(都留文科大学)  横田守弘(西南学院大学教授) 横藤田誠(広島大学教授)  吉川和宏(東海大学)  吉田栄司(関西大学法学部教授)  吉田仁美(関東学院大学法学部教授)  吉田稔(姫路獨協大学法学部特別教授) 若尾典子 佛教大学教授)  脇田吉隆(神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)  渡邊弘(活水女子大学文学部准教授)  渡辺洋(神戸学院大学教授)
  以上197名 (2015年6月29日15時現在) 

1315/憲法学者の安保法案「違憲」論は正しくない-3。

 一 何とも奇妙で異様な事態が生じているようだ。池田信夫によると「空気の読めない」人物・長谷部恭男の安保法案「違憲」発言によって法案審議が原点に戻ったと言う者もいる。
 前々回に書いたように、今次の法案やその基礎となった憲法解釈(の変更)が合憲か否かという問題に、簡単に明確な結論など出せるはずがない。6/15に長谷部恭男は外国特派員協会の記者会見であらためて「明らかに違憲」だと述べたようだが、このように断定的に述べていること自体にすでに信用できないところがある。今後もこの問題について断定的に又は明確に述べる憲法学者や弁護士が登場してくるかもしれないが、すべて信用し難いと感じなければならない。
 そもそも集団的自衛権行使容認(や今次法案)が憲法違反、憲法九条に抵触するものと断定できるならば、昨年2014.07.01の閣議決定に対する反対・抗議の声明において、その旨を最初から述べておくべきだっただろう。まず冒頭に集団的自衛権行使容認の解釈は<憲法違反>と断じておくべきだっただろう。
 しかるに、この欄で紹介・言及した昨年の日本共産党系憲法学者たちの声明は、「憲法解釈変更の閣議決定」は従来の政府解釈を「国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断で覆してしまう暴挙であり、断じて容認できない」という一文から始めている。同様にこの欄で触れた日本共産党員憲法学者・森英樹の前衛6月号の文章も、憲法九条違反だと断定することから始めているわけではない。
 長谷部恭男は上の声明に関与しておらず日本共産党員でもないので、この違いは当然だと反論?するむきもあるかもしれないが、そうであるとすれば、上の声明参加者や日本共産党は、今さら長谷部と同様に<違憲>だなどと騒ぎ立てない方がよい。その方が論旨一貫している。
 なお、上の声明は途中で「徹底した平和外交の推進を政府に求めている憲法9条の根本的変質」だと批判し、森英樹は途中で「壊憲」という言葉を用いて批判してもいるが、憲法九条の解釈に明確に違反する解釈を安倍内閣が採用しているのだとすれば、その旨を冒頭に明確に述べれば、簡単なかつ明確な政府解釈批判、政府解釈の法案化阻止のための論理・理屈を示したことになったはずなのだ。そうは述べなかったこと自体に、長谷部恭男とは違って、じつはかなり多くの憲法学者は、明確に違憲と断じることを躊躇していたかに思える。
 にもかかわらず、長谷部恭男発言が報じられるや、違憲だと明言し始める学者が増えているように見えるのは奇妙なことだ。恥ずかしいのは民主党の岡田克也や辻元清美らで、「学者発言」を政治的に利用して違憲だと言い始めている。代表・岡田克也は、この法案にかかる最初の党首討論で、一言でもこの法案自体が憲法違反だと断言・明言したのか?
 もともと、政府解釈よりも国会・法律制定者による憲法の解釈の方が上位にある。内閣提出の法律案の成立を、違憲性を理由として国会は拒否することができる。そのような国会の構成員であるならば、学者の意見うんぬんを利用したりすることなく、自分たちの(安倍内閣とは異なる)詳細な憲法解釈を示すべきだろう。
 正確な知識はないが、自衛隊の設置法や周辺事態法等々のこれまでの安全保障立法がすでに違憲だ(だった)と主張しているのならば、日本共産党等は、これらの諸法律の廃止をまずは主張すべきなのだ。
 そうではなく、個別的自衛権行使は合憲で、限定つきの今次の集団的自衛権行使が違憲だと言うのならば、憲法の文言・条文等の総合解釈(?)に照らして、なぜ限定つき集団的自衛権行使からは違憲となるのかという憲法解釈論を詳細に示すべきだろう。
 二 前回に、今回の法案がその行使を認めようとする集団的自衛権は国際法または国連憲章上のそれではなく、いわゆる新三要件の第一によって限定されたものだとの記した。<外国に対する武力攻撃>の発生が<同時に>、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」であることが要求されている。<同時に>というのは、ここで挿入した字句だ。
 この点を捉えて、今次の法案が認めようとしているのは集団的自衛権ではなく個別的自衛権の範疇に入る、と理解する論者もいるらしい(なお、森英樹・前衛6月号p.48あたりも参照)。最終的には面白い(?)議論をして違憲論に立つ木村草太(首都大学。上の声明に加わっていない)は、個別的自衛権説のようだ。
 しかし、「自国が直接攻撃されていない」場合の自衛権の行使なのだから、いかに上のような限定が付いても、個別的自衛権の行使ではない、と理解するほかはないと思われる。この理解を変えるためには、<個別的自衛権>概念とその意味自体に関する議論が必要だろう。
 三 さて、長谷部恭男は、読売オンライン上で、集団的自衛権行使に「条件」が付いているから合憲だとする説明があるとしてこれを厳しく(?)批判している。
 「必要最小限のものであること等」等は当然のことで「条件」に値しない、という主張はいちおう是認できる。
 しかし、第一に、「違憲であるはずのものを合憲にする論拠にはなりません」という批判は、集団的自衛権行使否定こそが合憲解釈だという強い<思い込み>を前提にするもので、つまり行使容認は「違憲であるはずのもの」という前提的認識そのものが正しくないもので、到底賛同できない。
 第二に、「集団的自衛権の行使に日本独自の条件を付けるとしても、それは憲法が要求する歯止めにはなりません」とも言っている。ここにいう「日本独自の条件」が、又は少なくともその重要要素が、いわゆる新三要件の第一のものだと解される。そして、次のように説明している。
 「条件」とされるものは「現在の政府の政策的判断に基づく条件にすぎず、政府の判断で簡単に外すことができるということになります。これで歯止めになるはずがありません」。憲法解釈を「その時々の政府の判断で変えられるという人たち」に、「国民の生死にかかわる問題についての判断を無限定なまま委ねてよいのか、そこまでこの人たちを信用できるのか。それが問われています」。
 ここで述べられていることは、法律家の、あるいは憲法学者の「学問」的作業の結果ではない。いわゆる新三要件該当性の判断は「現在の政府の政策的判断」、「その時々の政府の判断」に委ねられる、そして従来の憲法解釈を変更するような「人たち」の判断は「信用」できない、と語っているが、これは法律論・法学専門家の緻密な議論ではまったくない。いかに厳しそうな限定又は条件があっても、それに該当するかどうかを個別に判断する「現在の政府」の「人たち」は「信用」できない、と述べているだけのことだ。これは<政治論・政策論>であって憲法学者の「学問的」議論ではない。
 長谷部恭男に問いたいものだ。では「時々の政府」が現在とは違って、民主党内閣であればよいのか?、日本共産党も閣僚に入っている政権ならば「信用」できるのか?
 憲法解釈というのは、あるいは一定の憲法解釈にもとづく合憲論・違憲論というのは、問題になっている当該解釈のの主張者が誰であろうと、同じ内容で成り立つ、また同じように論評されるものでなければならないのではないか。これは<法律学のイロハ>ではないのか。
 四 長谷部恭男の発言がどの程度の影響を与えているのかは知らないが、最近の世論調査で安倍内閣支持率は数%下がり、不支持率は数%上がって、場合によっては両者が拮抗しているとの数字を発表している調査媒体もある。それが少しでも、「憲法学者」の<専門的知見>にもとづく綿密な見解(?)を知って、安倍内閣に対する不信感が増したということの表れであるとすれば、怖ろしいことだ。
 もともと専門家であっても明確に断定できるような問題ではないと上述してきたところだが、長谷部恭男の主張・議論は、じつはきわめて<政治的>なもので、とても「学者」が行なった「学問」の結果ではない。
 長谷部恭男らがいう、<立憲主義>違反という主張等々については、さらに別に扱う。
 安倍晋三首相は、今次の法案の「正当性、合法性については完全に確信を持っている」(6/17の対民主党・党首討論)と、堂々と主張し続けてよい。堂々と主張し続けなければならない。

1313/安保法案「違憲」論は憲法学者の「学問」か-1。

 しばらく、安保法制整備法案に対する<違憲論>について、それに対する批判的コメントを続けてみよう。
 池田信夫がいうように非専門家または一般国民からすれば「神学」的な、魑魅魍魎の?議論かもしれないが、一部憲法学者さまたちの「違憲」論が一種の<政局>的現象を生じさせているとあっては、無視するわけにはいかない。
 一 まず、そもそも現憲法九条の条文・文言と現在提出されている、「集団的自衛権行使容認憲法解釈」を前提とするという今次の安保法制整備法案とを比較対照させて、簡単にあるいは断定的に<違憲>だと言えるのだろうか、という疑問がわく。一般国民的感覚からすれば、そのことこそが奇妙に感じられる。憲法学者というのは、条文・文言の背後にある規範的意味内容をさほどに明確に取り出せる魔術を持ち、トリックを使える者なのか。
 現憲法は「自衛(権)」という語を用いず、そのための実力行使・それを行なう組織についての言及もしていない。そのことから、いかなる(日本の主権、国土と国民の安全を守るための)「自衛」措置も、「自衛」組織の設立も違憲だと断じるのならば、問題は簡単だ。今次の法案は「自衛」権、そして「自衛隊」の存在を前提としているがゆえに、ただちに違憲となる。
 しかし、言うまでもなく、長谷部恭男たちや昨年07月の「集団的自衛権行使容認閣議決定」への抗議声明に参加した(そして今次の法案にも反対している)憲法学者たちは、上のような立論をしているわけではない。
 とすれば、そしてこの学者たちが憲法解釈上も日本国家に固有の(自然の)「自衛権」を否認していないとすれば、その「自衛権」の行使の程度・範囲・態様等々について、どこまでが合憲で、どこからが違憲なのか、という線引きをしていなければならなくなる。
 長谷部恭男、小林節、笹田榮司および森英樹、樋口陽一らの憲法学者たちは、上の問題についての自らの憲法解釈およびその適用の具体例を、憲法学者ならば積極的に示すべきだろう。そのことをしていないとすれば、学者の怠慢なのではないか。
 二 もちろん、憲法学者のかなり多くが、もともとは自衛隊設置(法律)から始まって、いわゆる有事立法・周辺事態法、自衛隊イラク派遣法等々に反対してきており、その際に当然ながら憲法九条との抵触を指摘してきたことを知っている。つまり自分たちの上の点についての憲法解釈・適用を積極的に示すというよりも、自民党を中心とする(自衛隊設置はそれ以前の<保守>諸政党だが)政権側の諸法律案に反対する・制定に抵抗することに力を注いできたことは分かる。その際に、今次にも見られるように、いわば防戦的に、言葉・概念にかかわる細かな指摘・主張をするとともに、<時の政権の恣意的な解釈を許す>、<「戦争」に巻き込まれるおそれがある>等々と憲法学者たちも述べてきたのだった。
 自衛隊も、有事立法等々も、もちもと「左翼」憲法学者たちにとっては違憲だったのではないか? また、これらの諸法律は、何らかの内閣による<憲法解釈>=「政府解釈」を前提として、その「政府解釈」を立法府・国会による<憲法解釈>にしてきたものだった。もはやたんなる「政府解釈」ではなくなっている。国会も行なったいわば「国会解釈」になっている(これを覆すことができるのは裁判所、とくに最高裁判所だけだ)。
 上の二点はとりあえずさておき、再び論及するだろう。
 三 北側一雄(公明党副代表)が6/11の衆院憲法審査会で語ったらしいように、自衛隊そのものや安保条約ではなく「憲法9条と自衛措置の限界について突き詰めた議論」が憲法学界・憲法学者たちの間でなされてきた、とはとても思えない。上述のように、<「自衛権」の行使の程度・範囲・態様等々について、どこまでが合憲で、どこからが違憲なのか>という問題に積極的に回答することを憲法学者たちはしてこなかった、と思われる。そして、たんに自民党・政府側の動き・法案は憲法九条(・その精神)に反して違憲だとか、違憲の疑いがある、とか言ってきたわけだ。
 この機会に、この欄に引用・掲載している日本共産党系憲法学者たちの2014.07声明にも言及するが、この声明をあらためて読むと、「集団的自衛権行使容認」は憲法九条違反だとは明確には、または断定的には述べていないことに気づく。
 長年にわたって継続した政府解釈を変更するのは「国民的議論」を欠いた「暴挙」だとか、「従来の政府見解から明白に逸脱」だとか言って批判しているが、とくに後者について言えば、政府解釈を<変更>すると安倍内閣は明言しているのだから、従来の政府解釈から「逸脱」するところがあるのは当然で、何ら批判になっていない(原文作成者は頭が悪いのではないか)。
 そして、「憲法9条の根本的変質」に他ならないとも言っている。ここで憲法九条が登場するが、この表現は、現憲法九条に違反する、と明言するものではなく、それよりも弱い表現だ。要するに、この声明ですら、集団的自衛権行使容認は憲法九条違反とは明言・断定していないとも解される。
 では、長谷部恭男らは、今次の、上の解釈にのっとった(そして従前から予定されていた)安保法案は<違憲だ>となぜ、明言・断定できるのか。
 ここで、いわゆる個別的自衛権と集団的自衛権の区別の問題が出てくる。
 四 長谷部恭男は6/04の憲法審査会での発言ののち、6/09の<読売オンライン>上の「国民の生死”をこの政権に委ねるのか?/集団的自衛権―憲法解釈変更の問題点」で、自らの見解を記している。
 かかる論考を掲載する読売新聞はさすがに太っ腹で(?)、例えば「憲法学者が見た審査会」という小特集で、長谷部を擁護する憲法学者のみを二人登場させて、そのインタビュー内容を掲載している6/12の朝日新聞とは大違いだ。
 上のことはさておき、長谷部恭男は上の中で「タバコ」吸引のことを例に挙げたあとで、集団的自衛権行使否認という従来の憲法解釈の変更は「立憲主義を覆す」ものだ、とまで述べている。こういう批判の仕方は上記の日本共産党系学者たちの声明の中には明記されていないようだが、しばしば見られる。また、長谷部恭男は、憲法審査会で、<法的安定性を害する>とも語ったようだ。
 「タバコ」吸引のことを例にとれば、長谷部恭男の言っていることは、次のような、「僕ちゃんよい子」のダダッ子の言葉のようだ。
 <長い間、タバコ喫煙は20歳にならないと許されないと執拗にかつ厳しく言われて、そのとおりだと納得してじっと我慢してきたのに、急に18歳から喫煙可能だと言うなんて、僕が従ってきたルールを勝手に破るもので、僕の内心の(精神的)安定性をひどく害するものだ。
 もちろん、もっと説明が必要だ。次回に行なう。

 
 

1291/幻想・妄想と正気-門田隆将・西尾幹二。

 一 もう1カ月以上前になったが、産経新聞4/19付の門田隆将「新聞に喝!/本当に『右傾化』か、いまだ左右対立をいう朝日」はほとんどそのとおりだと感じさせ、かつ示唆に富むものだった。
 統一地方選の結果を受けての朝日新聞4/13社説を素材にしているが、今日(現在・現代)についての一般論的叙述でもある。
 門田によれば、もはや「左右対立」の時代ではない、対立しているのは「空想と現実」だ。あるいは、「空想家、夢想家(dreamer)」と「現実主義者(realist)」の対立だ。
 したがって朝日新聞がいまだに「右傾化」という論評の仕方をするのは、「時代の変化に取り残され」ている、という趣旨でまとめられている。
 門田が「1989年のベルリンの壁崩壊以降、左右の対立は、世界史的にも、また日本でも、とっくに決着がついている」とか、自社両党による「55年体制」的思考の時代ではもはやない(旨)とか書いているのは、とくに前者はそのままでは支持できないことは何度も書いた。
 しかし、対立は<左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」にあるのではない、という基本的な趣旨は、最近はとくに共感するところがある。
 門田が「空想家、夢想家」と「現実主義者」の対立を“DR戦争”とも言えるとしているのは、熟していない概念・用語だ。それはともかく、現在の日本での議論の基本的な対立は、かなりの部分、<考え方によっていろいろ>、と割り切れる又は理解してよいものではなく、「空想・夢想」と「現実(直視)」の違いが表れているものだ、と理解して差し支えないように思われる。
 「空想・夢想」は、ここでは<幻想・妄想>と表現したい。一方、「現実(直視)」あるいは「現実主義」は、他に適切な語はないだろうかと感じられる。最終決定?ではないが、とりあえず、<正気>とでも表現しておこう。となると、<幻想と妄想>=<狂気>と<正気>の対立になってしまい、陳腐な用語法ではある。しかし、<狂気>と<正気>の違いという把握の仕方は、存外、本質を衝いているようにも思われる。
 集団的自衛権行使容認の政府解釈に反対する憲法学者たちの声明を読んで、私は<幻想と妄想>に陥ったままである、と感じる。学者さまたちだからより丁寧に言えば、<正しさが論証されていない観念に嵌まったまま>だ、と感じる。そして、言葉はきついが、<幻想と妄想>を抱いたままの人たちは、<狂気>の持ち主である、と表現することができる。すでにこの声明はこの欄で紹介しているが、批判的コメントは別に記述する予定だ。
 二 <左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」の問題ではない、というイメージを形成したきっかけは、どうやら、西尾幹二全集第14巻(2014、国書刊行会)を一瞥したことにあるようだ。
 <保守>の論客としての政治的・文化的な書物や論考に接してきたのだったが、上の本の内容におそらく明確に示されているように、西尾幹二は<左右>・<左翼と保守>とかの「イデオロギー」を<超えた>人物だ。そのことに初めて気づいたような気がした。西尾幹二のものはかなり読んできたようにも思っていたのだが、そして全集もすべて購入はしてきたのだが、全集の中を丁寧に読んでみる時間的余裕がなかった。
 上の著の全体は簡単に「人生論集」と題されているが、そこで種々に語られている、人生や人間についての洞察は、(あくまで凡人による論評ではあるが)深く、鋭い。その内容は直接には政治にも<左右対立>にも関係しておらず、基礎的でかなり普遍的だ。
 これまでこの欄に記してきたようなこととは性格をかなり異にするので、西尾幹二「人生論」の内容への言及はこの程度にする。
 西尾幹二の名前を知っている「左翼」は、すぐに「右派」、あるいは「右翼」の評論家というイメージと評価をしてしまうのかもしれない。だが、上に言及した「左翼」憲法学者たちも含めて、「左翼」論者たちは(但し、教条的日本共産党員を除く)、自らの考え方に自信を持っているならば、西尾幹二の上の著も読んで自らの感覚と思考方法の適切さを試してみよ、と言いたい。
 念のために付記しておくと、かつての<雅子皇太子妃問題>をめぐる議論でも示したように、西尾幹二の諸主張・見解のすべてに同意してきたわけではない。この問題については、西尾幹二を批判し、竹田恒泰に基本的には同調していた(「東宮擁護派」というレッテルを貼られたこともあった)。原発問題も、率直にいってよくは分からない。とはいえ、上に記した西尾著についての感想等を変えるつもりはない。
  

1287/左翼人士-集団的自衛権行使容認反対の憲法学者たち。

 2014年夏に同年7月1日の集団的自衛権行使容認閣議決定に対して憲法学者160名ほどが抗議声明を発表している。ひと月ほどでこれだけの数の人間の名前を集めるだけの組織力・運動力があるわけだ。
 ここに出てくる氏名は前年の特定秘密保護法への反対声明に名を連ねたものとかなり重なっているだろうし、また、2015年5月15日のいわゆる安保法案(閣議決定にもとづく)国会提出に対しても、同様の者たちが再び声明類を出すだろうことは想像に難くない(いや、2015年に入って以降にすでに何らかの声明類を出しているかもしれない)。
 以下は、その内容と声明者の一覧。
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 資料だけのつもりだが、ついでに、この人たちに、いや学者さまたちに、とりあえず、以下の簡単な質問を発しておこう。
 ①現憲法九条の規範的意味内容について自信があるのなら、上の閣議決定は憲法違反、違憲だとなぜ断定しないのか。
 ②裁判所・司法部による確定的な判断・解釈が示されていない事項・問題について、「行政権」を担う内閣がその任務・責務を全うするために「政府解釈」として憲法の解釈を示していけないのか。
 ③閣議決定による憲法解釈の変更は今回が初めてではではないが、今回のそれだけを問題視するのだとすれば、それはなぜなのか。関連して、「従来の政府見解」あるいは1981年6月2日の「政府の答弁書」(の解釈)であるならば、あなたたちは憲法学者として賛成するのか。
 ④個別的自衛権の行使=「必要最小限度の範囲」内、集団的自衛権の行使=「必要最小限度の範囲」を超える、と単純に区別できるのか。できるとすれば、それはなぜか。
 ⑤現在の(法律にもとづき設置され法律により授権かつ制約された)自衛隊は、憲法違反の組織なのか、憲法に違反していない組織なのか。いずれにせよ、それぞれの憲法解釈上の論拠は何か。
 ⑥人によって違うかとは思うが、閣議決定による<あなたにとって都合の良い>憲法解釈の変更であっても、反対するのか、それともその場合には何ら問題視しないのか。
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 集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、その撤回を求める憲法研究者の声明
 安倍晋三内閣は、7月1日、多くの国民の反対の声を押し切って、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を強行した。これは、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を、国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断で覆してしまう暴挙であり、断じて容認できない。
 閣議決定は、従来の政府憲法解釈からの変更部分について次のように述べている。
  「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許されると考えるべきであると判断するに至った」。
 しかし、この新解釈では、どのような「他国に対する武力攻撃」の場合に、いかなる方法で「これを排除し」、それがどのような意味で「我が国の存立を全う」することになるのか、またその際の我が国による実力の行使がどの程度であれば「必要最小限度」となるのか、全く明らかでない。その点では、次のように述べた1981年6月2日の稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する政府の答弁書から完全に矛盾するものである。
 「憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」。
 結局、今回の閣議決定は、どのように言い繕ってみても、日本が武力攻撃されていないのに他国の紛争に参加して武力行使に踏み切るという点においては、従来の政府見解から明白に逸脱するものである。
 また、閣議決定は、公明党に配慮してか集団安全保障措置への武力行使を含めた参加についてはふれていないが、国連決議にもとづく軍事行動も、「憲法9条の下で許容される自衛の措置」の条件を満たせば可能であることは否定されていない。
 加えて、米軍などとの軍事協力の強化は、閣議決定の中で、「我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊」に対する攻撃の際の、自衛隊による「武器等防護」名目の武器使用や、国連安保理決議に基づく他国の軍隊の武力行使への自衛隊の支援という形で画策されている。
 以上の点をふまえれば、今回の閣議決定は、海外で武力行使はしないという従来の自衛隊からの決定的変貌であり、「戦争をしない、そのために軍隊をもたない」と定め、徹底した平和外交の推進を政府に求めている憲法9条の根本的変質にほかならない。
 私たち憲法研究者は、こうした憲法9条とそれに基づく戦後の平和・安全保障政策の完全なる転換ないし逸脱を意味する今回の閣議決定に対して、断固として抗議するとともに、その速やかな撤回を強く求めるものである。
 さらに、政府は、この閣議決定を踏まえて、自衛隊法、周辺事態法、武力攻撃事態法、PKO協力法などの法律「改正」による国内法の整備を画策している。このことは、今回の問題が、7月1日の閣議決定で終了したのではなく、その始まりであり、長く続くことを意味している。私たち憲法研究者は、今後提案されてくるであろう、関連諸法律の「改正」や新法の制定の動きに対して、今回の閣議決定を断固として認めないという立場から、これらを厳しく検討し、時宜に応じて見解を表明することを宣するものである。/ 2014年7月18日
 <呼びかけ人>/ 青井未帆(学習院大学教授) *飯島滋明(名古屋学院大学准教授) 石村修(専修大学教授) 稲正樹(国際基督教大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授) 植野妙実子(中央大学教授) 浦田一郎(明治大学教授) 大久保史郎(立命館大学教授) 大津浩(成城大学教授) 奥平康弘(憲法研究者) *小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授) 上脇博之(神戸学院大学教授) 小林武(沖縄大学客員教授) 小松浩(立命館大学教授) 小山剛(慶応大学法学部教授) *清水雅彦(日本体育大学教授) 杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 芹沢斉(青山学院大学教授) *徳永貴志(和光大学准教授) *永山茂樹(東海大学教授) 西原博史(早稲田大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 森英樹(名古屋大学名誉教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 渡辺治(一橋大学名誉教授) 和田進(神戸大学名誉教授)/ 以上28名/*は事務局
 <賛同人>/ 愛敬浩二(名古屋大学教授) 青木宏治(関東学院大学法科大学院教授) 青野篤(大分大学経済学部准教授) 穐山守夫(明治大学兼任講師) 浅川千尋(天理大学教授) 浅野宜之(大阪大谷大学教授) 麻生多聞(鳴門教育大学准教授) 足立英郎(大阪電気通信大学教授) 新井信之(香川大学教授) 井口秀作(愛媛大学教授) 石川多加子(金沢大学准教授) 石川裕一郎(聖学院大学) 石埼学(龍谷大学法科大学院教授) 石塚迅(山梨大学准教授) 井田洋子(長崎大学教授) 市川正人(立命館大学教授) 伊藤雅康(札幌学院大学法学部教授) 猪股弘貴(明治大学教授) 今関源成(早稲田大学教授) 岩本一郎(北星学園大学教授) 植木淳(北九州市立大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授) 植松健一(立命館大学教授) 植村勝慶(國學院大學教授) 右崎正博(獨協大学教授) 浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 榎澤幸広(名古屋学院大学講師) 江藤英樹(明治大学准教授) 榎透(専修大学准教授) 榎本弘行(東京農工大学専任講師) 江原勝行(岩手大学准教授) 大隈義和(京都女子大学教授) 大河内美紀(名古屋大学教授) 太田一男(酪農学園大学名誉教授) 大田肇(津山工業高等専門学校教授) 太田裕之(同志社大学法学部准教授) 大野友也(鹿児島大学准教授) 大藤紀子(獨協大学教授) 岡田健一郎(高知大学教員) 岡田信弘(北海道大学法学研究科教授) 岡本篤尚(神戸学院大学教授) 奥野恒久(龍谷大学政策学部教授) 小栗実(鹿児島大学法科大学院教員) 押久保倫夫(東海大学教授) 加藤一彦(東京経済大学教授) 金子勝(立正大学名誉教授) 彼谷環(富山国際大学准教授) 河合正雄(弘前大学講師) 河上暁弘(広島市立大学広島平和研究所准教授) 川畑博昭(愛知県立大学准教授) 菊地洋(岩手大学准教授) 北川善英(横浜国立大学名誉教授)  木下智史(関西大学教授) 君島東彦(立命館大学教授) 清末愛砂(室蘭工業大学准教授)清田雄治(愛知教育大学教授) 久保田穣(東京農工大学名誉教授) 倉田原志(立命館大学教授) 倉持孝司(南山大学) 小竹聡(拓殖大学教授) 後藤光男(早稲田大学教授) 木幡洋子(愛知県立大学名誉教授) 小原清信(久留米大学教授) 小林直三(高知短期大学教授)  近藤敦(名城大学教授) 今野健一(山形大学人文学部教授) 齊藤一久(東京学芸大学准教授) 斉藤小百合(恵泉女学園大学教員) 阪口正二郎(一橋大学) 笹川紀勝(国際基督教大学名誉教授) 笹沼弘志(静岡大学教授) 佐藤潤一(大阪産業大学教養部教授) 佐藤信行(中央大学法科大学院教授) 澤野義一(大阪経済法科大学教授) 菅原真(名古屋市立大学准教授) 鈴木眞澄(龍谷大学教授) 高佐智美(青山学院大学教授) 高橋利安(広島修道大学教授) 高橋洋(愛知学院大学大学院法務研究科教授) 竹内俊子(広島修道大学教授) 武永淳(滋賀大学) 竹森正孝(岐阜市立女子短期大学) 田島泰彦(上智大学教授) 多田一路(立命館大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 玉蟲由樹(福岡大学法学部) 塚田哲之(神戸学院大学教授) 寺川史朗(龍谷大学教授) 内藤光博(専修大学法学部教授) 長岡徹(関西学院大学法学部教授) 中川律(埼玉大学准教授) 中島宏(山形大学准教授) 中島茂樹(立命館大学教授) 永田秀樹(関西学院大学教授) 中富公一(岡山大学教授) 長峯信彦(愛知大学法学部教授) 西嶋法友(久留米大学教授) 成澤孝人(信州大学教授) 成嶋隆(獨協大学教授) 西土彰一郎(成城大学教授) 丹羽徹(大阪経済法科大学教授) 根森健(新潟大学教授) 野中俊彦(法政大学名誉教授) 濵口晶子(龍谷大学准教授) 樋口陽一(憲法学者) 廣田全男(横浜市立大学教授) 深瀬忠一(北海道大学名誉教授) 福岡英明(國學院大學教授) 福嶋敏明(神戸学院大学准教授) 藤井正希(群馬大学准教授) 藤野美都子(福島県立医科大学教員) 前原清隆(日本福祉大学教授) 松井幸夫(関西学院大学教授) 松田浩(成城大学教授) 松原幸恵(山口大学准教授) 三宅裕一郎(三重短期大学教授) 宮地基(明治学院大学法学部教授) 三輪隆(元埼玉大学教員) 村田尚紀(関西大学教授) 元山健(龍谷大学名誉教授) 諸根貞夫(龍谷大学教授) 山崎英壽(都留文科大学非常勤講師) 柳井健一(関西学院大学教授) 結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 横尾日出雄(中京大学教授) 横田力(都留文科大学教授) 吉田栄司(関西大学教授) 若尾典子(佛教大学) 脇田吉隆(神戸学院大学准教授) 渡辺賢(大阪市立大学大学院法学研究科教授) 渡邊弘(活水女子大学准教授) 渡辺洋(神戸学院大学教授)/以上132 名(2014 年8 月5 日11 時分現在)

1285/民主党政権・朝日新聞には甘く自民党には厳しい「左翼」法学者たち。

 古い話題だが、現在と関係がないとは思われない。
 2010.09.07にいわゆる尖閣諸島中国漁船衝突事件が起きた。そのときのビデオが存在することが話題になっていたが政府は公開せず、同年11.01に国会の予算委員会関係委員30名に対してのみ7分弱に短く編集したものが視聴用に供された。その後11.04、<sengoku38>によって計44分のビデオがネット上にアップロードされた。
 これを受け、11.06のA新聞社説は「こんな不正常な形で一般の目にさらされたこと」は残念だ、「政府または国会の判断で、もっと早く一般公開すべきだった」等と書いた。同日のB新聞社説は「最大の問題は」、政権が、国民の「知る権利」を無視して「衝突事件のビデオ映像を一部の国会議員だけに、しかも編集済みのわずか6分50秒の映像しか公開しなかった点にある」等と書いた。
 一方、同日のC新聞の<尖閣ビデオ流出―冷徹、慎重に対処せよ>と題する社説はつぎのように書いて公開の点では政府側を擁護し、むしろ情報管理に問題があるとした。
  「政府の情報管理は、たががはずれているのではないか」。「流出したビデオを単なる捜査資料と考えるのは誤りだ。その取り扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である。/それが政府の意に反し、誰でも容易に視聴できる形でネットに流れたことには、驚くほかない」。
 「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある。/ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」。「政府は漏洩ルートを徹底解明し、再発防止のため情報管理の態勢を早急に立て直さなければいけない」。
 「流出により、もはやビデオを非公開にしておく意味はないとして、全面公開を求める声が強まる気配もある」。/「しかし、政府の意思としてビデオを公開することは、意に反する流出とはまったく異なる意味合いを帯びる。短絡的な判断は慎まなければならない」。「ビデオの扱いは、外交上の得失を冷徹に吟味し、慎重に判断すべきだ」。
 慎重に対処・判断せよという主張の仕方が、ビデオを積極的に公開しなくてもよい、という意味であることはほとんど明らかだった。その論拠としてこの社説は「日中外交や内政の行方」に影響を与えないかねないことも挙げつつ、より一般的には、「政府が持つ情報は…できる限り公開されるべき」だが、「外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」、ということを述べていた。
 さて、時は移って2013年秋以降に特定秘密保護法案に反対する運動が起きた。反対の理由としてつねに挙げら競れた理由の一つは、<国民の知る権利>を著しく制限する、というものだった。
 そうだとすれば、この法案に反対し、その後の同法の成立を苦々しく思っている者たちは、2010年秋の上記のC新聞の社説にはそのままでは納得できず、むしろ批判的に読んだ(はずだ)と思われる。
 そのような者たちとして、すでにこの欄に当時に転載したのだが、つぎのような大学教授たち等がいる。大学名だけ残し学部等以下は省略して再掲しておく。
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 秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明 2013.10.11
 よびかけ人/愛敬浩二(名古屋大学)、青井未帆(学習院大学)、石村善治(福岡大)、市川正人(立命館大学)、今関源成(早稲田大学)、上田勝美(龍谷大学)、右崎正博(獨協大学)、浦田賢治(早稲田大学)、浦田一郎(明治大学)、浦部法穂(神戸大学)、奥平康弘(憲法研究者)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学)、阪口正二郎(一橋大学授)、清水雅彦(日本体育大学)、杉原泰雄(一橋大学)、田島泰彦(上智大学)、服部孝章(立教大学)、水島朝穂(早稲田大学)、本秀紀(名古屋大学)、森英樹(名古屋大学)、山内敏弘(一橋大学)、吉田栄司(関西大学)、渡辺治(一橋大学)、和田進(神戸大学)
 賛同者/青木宏治(関東学院大学)、浅川千尋(天理大学)、梓澤和幸(山梨学院大学・弁護士)、足立英郎(大阪電気通信大学)、荒牧重人(山梨学院大学)、飯島滋明(名古屋学院大学)、池端忠司(神奈川大学)、井口秀作(愛媛大学)、石川裕一郎(聖学院大学)、石塚迅(山梨大学)、石村修(専修大学)、井田洋子(長崎大学)、伊藤雅康(札幌学院大学)、稲正樹(国際基督教大学)、井端正幸(沖縄国際大学)、浮田哲(羽衣国際大学)、植野妙実子(中央大学)、植松健一(立命館大学)、植村勝慶(國學院大學)、江原勝行(岩手大学)、榎透(専修大学)、榎澤幸広(名古屋学院大学)、大石泰彦(青山学院大学)、大久保史郎(立命館大学)、太田一男(酪農学園大学)、大津浩(成城大学)、大塚一美(山梨学院大学等)、大藤紀子(獨協大学)、大野友也(鹿児島大学)、岡田健一郎(高知大学)、岡田信弘(北海道大学)、緒方章宏(日本体育大学)、奥田喜道(跡見学園女子大学)、奥野恒久(龍谷大学)、小栗実(鹿児島大学)、柏崎敏義(東京理科大学)、加藤一彦(東京経済大学)、金澤孝(早稲田大学)、金子匡良(神奈川大学)、上脇博之(神戸学院大学)、彼谷環(富山国際大学)、河合正雄(弘前大学)、河上暁弘(広島市立大学)、川岸令和(早稲田大学)、菊地洋(岩手大学)、北川善英(横浜国立大学)、木下智史(関西大学)、君島東彦(立命館大学)、清田雄治(愛知教育大学)、倉田原志(立命館大学)、古関彰一(獨協大学)、越路正巳(大東文化大学)、小竹聡(拓殖大学)、後藤登(大阪学院大学)、小林武(沖縄大学)、小林直樹(東京大学)、小松浩(立命館大学)、笹川紀勝(国際基督教大学)、佐々木弘通(東北大学)、笹沼弘志(静岡大学)、佐藤潤一(大阪産業大学)、佐藤信行(中央大学)、澤野義一(大阪経済法科大学)、志田陽子(武蔵野美術大学)、清水睦(中央大学)、城野一憲(早稲田大学)、鈴木眞澄(龍谷大学)、隅野隆徳(専修大学)、芹沢斉(青山学院大学)、高作正博(関西大学)、高橋利安(広島修道大学)、高橋洋(愛知学院大学)、高見勝利(上智大学)、高良鉄美(琉球大学)、田北康成(立教大学)、竹森正孝、多田一路(立命館大学)、只野雅人(一橋大学)、館田晶子(専修大学)、田中祥貴(信州大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、寺川史朗(龍谷大学)、戸波江二(早稲田大学)、内藤光博(専修大学)、永井憲一(法政大学)、中川律(宮崎大学)、中里見博(徳島大学)、中島茂樹(立命館大学)、永田秀樹(関西学院大学教授)、仲地博(沖縄大学教授)、中村睦男(北海道大学)、長峯信彦(愛知大学法学部教授)、永山茂樹(東海大学教授)、成澤孝人(信州大学)、成嶋隆(獨協大学)、西原博史(早稲田大学)、丹羽徹(大阪経済法科大学)、根本博愛(四国学院大学)、根森健(新潟大学)、野中俊彦(法政大学)、濵口晶子(龍谷大学)、韓永學(北海学園大学)、樋口陽一(憲法研究者)、廣田全男(横浜市立大学)、深瀬忠一(北海道大学)、福島敏明(神戸学院大学)、福島力洋(関西大学)、藤野美都子(福島県立医科大学)、船木正文(大東文化大学)、古川純(専修大学)、前原清隆(日本福祉大学)、松田浩(成城大学)、松原幸恵(山口大学)、丸山重威(前関東学院大学)、宮井清暢(富山大学)、三宅裕一郎(三重短期大学)、三輪隆(埼玉大学)、村田尚紀(関西大学)、元山健(龍谷大学)、諸根貞夫(龍谷大学)、森正(名古屋市立大学)、山崎英壽(都留文科大学)、山元一(慶応義塾大学)、横田耕一(九州大学)、横田力(都留文科大学)、吉田稔(姫路獨協大学)、横山宏章(北九州市立大学)、吉田善明(明治大学)、脇田吉隆(神戸学院大学)、渡辺賢(大阪市立大学)、渡辺洋(神戸学院大学)
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 これら多くの法学者たち等に、暖簾に腕押しだろう日本共産党員である者や樋口陽一等々を除いて、真面目に尋ねたいものだ。
 2010年の秋に、尖閣衝突事件に関する情報の国民への積極的な開示を求めたのかどうか。かりに上のように<声明>は出さなくとも、各人において政府における情報開示の消極的姿勢を批判する旨を書いたり語ったりしたのか?。そうしたことをしなかったとすれば、なぜ、自民党等提出の特定秘密保護法案には「国民の知る権利」等を持ち出して反対することができたのか?。
 言うまでもなく(?)、上記のC新聞は読売(A)でも産経(B)でもなく、朝日新聞。当時は民主党・菅直人内閣だった。
 政権が民主党か自民党(中心)か、内閣首班が菅直人か安倍晋三か、これらによって<国民の知る権利>に関する具体的判断も「外交や防衛、事件捜査など特定分野」では国益・公共的利益の方を優先させざるをえないのかどうかの具体的判断も異なるというのであれば、それはいったい何故か。答えられないようであれば、貴方たちは「学問の自由」を享受できるだけの<良心>を持っているのか?
 このような問いかけは、集団的自衛権行使容認(閣議決定等)に反対する声明に参加している憲法学者等に対しても続けていきたい。

1258/月刊正論を最近は毎号きちんと読んでいる。

 ・前編集長時代とは異なり、交替後の月刊正論(産経新聞社)は「メディア裏通信簿」も含めて、なかなか面白い。何よりも、くだらない、又は反発を覚えるような論考や記事がほとんどなくなった。
 とは言っても、なぜか、日本共産党、社民党、生活の党(小澤一郎は見事に?変身した)という「左翼」政党、とりわけ日本共産党の現状の紹介や批判的検討が全くと言ってよいほどないことは相変わらずで、中国(中国共産党)を熱心にかつ批判的に分析しても、なぜ日本の月刊雑誌は日本の「共産党」を、あるいは日本のコミュニズムを正面から扱わないのだろうというもどかしさは依然として残る。
 ・月刊正論1月号もおそらく90%以上読み終えた。最近と同様に、かつてほどに逐一言及する余裕はない。
 門田隆将の文章も小浜逸郎(この人は一時期は信用していなかったのだが)の文章も、印象に残ったが、平川祐弘が紹介している、竹山道雄の、朝日新聞1965.04.05号の文章の一部が目を惹いた。
 「私には戦後の進歩主義がほんものの平和と民主主義であるとは思われない。それはむしろ、人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、別なものが進歩主義を利用して浸透する手段としたのだった」。(p.347)
 ビルマの竪琴という小説の作家としてしかほとんど知らない竹山道雄だが(もっとも、同・昭和の精神史は所持していていずれ読みたいと思っているし、著作集も半分以上所持している)、60歳をすぎた時期に朝日新聞紙上でこんな文章等でもって論争しているとは、相当な人物だったに違いない。
 「人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、…進歩主義を利用して浸透する手段」としている「別なもの」は現在も厳然として存在するし、「別なもの」に「平和と民主主義をねがう気持ちにつけこ」まれていることを知らずに、戦争と<全体主義・ファシズム>の復活?を許さず「平和と民主主義」の理想を追求していると自らを評価しているものも厳然として多数存在している。
 すでに「別なもの」になっているのかどうかは知らないが、個人的に知る某憲法研究者は、<日本の自衛隊(軍事組織)は信用できない。正式に軍として認知すれば何をしでかすか分からない>という旨を<公言>していた。
 日本軍国主義=日本のかつての軍部は<悪>でありかつ<拙劣>であったので、そのDNAを継承している自衛隊、そして日本人そのものが<正規の軍として位置づけられるものを保持するとアブない>というわけだ。
 かかる戦後・占領期の<時代精神>を、日本の憲法学者の多くはなおも有し続けているのだろう。
 開いた口がふさがらないし、そのような感覚を平然と語るれっきとした<おとな>らしき人物などとは、もはやとっくに、「口をきく気にもなれなくなっている」のだが。
 

1246/稲田朋美が語る日本の法曹界の「左翼」性。

 稲田朋美が、伝統と革新(たちばな出版)という雑誌の2013年秋号(9号)で、「自主憲法制定の大切さ」と題して、この雑誌の編集責任者である四宮正貴によるインタビューに答えている。この中で、わが国の法曹界について語っている部分には全面的に同意したい気分なので、以下引用しておく。
 ・<大学の法学部での憲法教育には>「非常に問題がある」、「現行憲法の…根本的な問題点、つまり押し付けられたものであるとか、主権が制限されているときにできたものであって正統性に疑義があるというようなことは、まったく教えないです」。
 ・「しかも、憲法は絶対に正しいものとして、…、また絶対に守らなくてはいけないものだというところから出発して学びます。法曹界が非常に左派なのは、”憲法教”という新興宗教が蔓延っているからだ…。法曹界は一般社会以上に、非常に左派、左翼的な人が多いようにも思います。それは、そうした憲法を大学時代に一所懸命に勉強して、正しいと思い込んで、そうして難しいと言われている司法試験に合格した人の集まりだから…」(p.54)
 日本共産党・社会民主党等の支持を得て今年の東京都知事選挙に立候補した宇都宮健児は、何と正式に日本の弁護士たちによって選挙で選出された日本弁護士連合会(日弁連)の元会長であったことは、記憶に新しい。個別弁護士会や日弁連の執行部にいる「活動家」の中には日本共産党員もいると思われるが、そうでなくとも親日本共産党であること、または少なくとも反日本共産党(反共)ではないこと、は容易に推測できる。
 現在の司法試験に合格するためには、日本になぜ<天皇制度>が長く続いてきたか等の日本に固有の歴史問題や日本を他国から防衛するためにはどうすればよいか等の国防・安全保障問題などに関する知識はゼロであってもかまわない。従って、象徴天皇制度についてすら、「世襲」制は平等原則と矛盾して合理的でないと潜在的には意識しているような暗黙の<共和制>支持者の方が、法曹界には多いように見える。
 なぜ、そうなったのか。稲田朋美も指摘しているように、大学における憲法教育に大きな原因があるのだろう。その憲法教育は大学の憲法担当の教授たち(憲法学者)が担っていて、かつ彼らが例えば高校の日本国憲法に関する記述を含む現代社会や政治経済の教科書を書いているのだから、日本国憲法を真面目に学べば学ぶほど高校生も大学生(法学部生)も<左傾>していくことになっている。あまり真面目に勉強しない方がよいかもしれないとすら思える。司法試験に合格するような優等生こそが、真面目に勉強して<左翼>として巣立っていくのだ。
 そうした影響は、じつは法曹界に限らず、外務省を含む上級国家公務員についてもある程度は言えるかもしれない。マスコミに入社する法学部生たちは、彼らほど法学を勉強していないが(官僚バッシングはある程度は<コンプレックス>によるのではないかと思っている)、日本国憲法についての、稲田朋美が上に簡単に述べているような程度のイメージは持っているはずだ。朝日新聞社説は何と<憲法は国家を縛り、法律は国民を縛る、ベクトルが違う>という珍論を吐いたのだったが、単純素朴な(立憲主義なるものについての)憲法観・法律観も、法学部出身者であるならば、大学における憲法・法学教育の(日本国憲法の制定経緯・背景をまるで教えないような)影響を受けているのだろう。
 憲法改正をめぐって護憲派として登場して有力な論者の一人になっている、司法試験予備校?も経営している弁護士・伊藤真もいる。護憲・「左翼」の憲法学者には、青井三帆や木村草太などの社会的にも名前を出してきた若手もいる。。法曹界が<まとも>になるのは、いつになるのだろう。憂うべきことの一つだ。

1049/「教育」界の「左翼」支配。

 〇石原慎太郎だったか、岡崎久彦だったか、見知らぬ人からこのままで日本は大丈夫なのでしょうかと話しかけられることが多くなったというような旨を昨年あたりに書いていた。
 あえて主観的願望を抜きにした客観的な(と私には見える)状況判断をすると、すでに日本はダメになった、日本はダメになってしまっている、と思える。少なくとも、もはや元に戻れない限界点を超えている、と感じている。つまり、<保守>に勝利の見込みはもはやない。ゆるやかに(緩慢に)わが愛する日本は「日本」でなくなっていっており、その基本的な流れはもはや変えようがない。すでに41年前、三島由紀夫が予見したとおりになっている。
 但し、国内状況はそうだが、中国共産党による中華人民共和国の支配の終焉=社会主義中国の崩壊が辛うじてでも時間的に先にくることがあれば、少しは希望がある。これは、日本国民、日本の政治だけではもうダメだ、ということをも意味する。こんな思いをもって晩年を生きるのは、つらい。
 〇中西輝政のいう、教育・マスコミ・論壇という「三角地帯」のうちの「教育」が「左翼」に支配されていることは明らかで、むしろそれは自然のことかもしれない。
 高校以下の学校教育で教えられているのは、「個人」主義・「平等」(男女対等を含む)、「民主主義」・「平和(反軍事)」等々の基本理念だ。
 これらは日本国憲法の基本理念でもあり、大学教員以外の学校教育の担当者になるために必要な「教員」免許を取得するためには、「日本国憲法」は必修科目であり、実際にどの程度、どのような問題が出題されているのかは知らないが、当該免許を取得しようとする者の全員が「日本国憲法」を学習していることは間違いないだろう。
 しかして、「日本国憲法」の基本理念は何か。一口で言えば、上記の如き「左翼」的理念だ。

 かつまた、彼らが学習する日本国憲法に関する教科書・参考書類はいったいどのような者たちが執筆しているのか。日本共産党員を含む「左翼」的憲法学者に他ならない。日本の憲法学界は今日に至るまでずっと、圧倒的に「左翼」に支配されている、と言ってよいだろう。
 そのような「憲法教育」を受けた教師が、確信的「左翼」か、少なくとも「何となく左翼」になってしまうのは、自然の成り行きだ。そして、彼らは、自分たちが年少の頃に受けたような「左翼」的教育を、次の世代の子どもたちへと引き継いでいく。
 日教組・全教の組織率は低いなどと言って安心するのは愚かなことだ。あるいはまた<保守的>教科書の採択率が何倍増かしたといって喜ぶのもまだ愚かなことだ。その<保守的>教科書ですら、私には「自虐的」・「進歩的」と感じられる部分があるが、それは別としても、たかが5%程度の採択率になって喜んでいるようではダメで、まだ5%程度にすぎないと嘆く必要があるものと思われる。

 「日本国憲法」から離れて、教育学に目を向けても、この学問分野が「左翼」に支配されてきていることは、竹内洋が月刊諸君!(文藝春秋)や月刊正論(産経)の連載で示してきた。手元に置いて再確認はしないが、戦後当初の東京大学教育学部は「三M」とやらが支配し、日教組を指導した(研修集会等の講師陣を担当した等を含む)といったことも書かれてあった。
 かつて日本共産党系全学連委員長で民青同盟の幹部だった(かつ「新日和見主義」事件で査問を受けて党員権停止。その後かなり遅れて共産党を離脱した)川上徹は、東京大学教育学部出身だった。
 川上徹の自伝ふうの本は読んでいないが、彼が共産党の活動家になっていくことについて、彼が所属していた大学と学部の雰囲気は、容認的・促進的であったに違いない。
 大学を除く高校までの教員は圧倒的に教育学部系の学部出身で、「左翼」的教育学を学んでいる。彼らのほとんどが「左翼」あるいは少なくとも「何となく左翼」にならないわけがない。
 (高校・中学の)日本史の教師については、大学で学んだ「日本史」(国史)、とくに近現代史がどのようなものだったかが問われなければならず、そして、日本近現代史学は「左翼」、そして講座派マルクス主義の影響がきわめて強い。日本史の教師は、そのような「左翼」またはマルクス主義歴史学者のもとで勉強して教師になり、生徒たちに教えているのだ。
 <保守>派の教科書採択に現場教員たちの根強い抵抗があるらしいのもまったく不思議ではない。
 日本史を高校等での「必修」科目とすべきとする主張がある、あるいはすでにそれは一部では実現されているらしいが、いかなる内容の「日本史」教育、とくに明治以降の歴史教育、であるのかを問題にしないと、現状では、逆効果になる可能性もあると考えられる。「左翼」的、マルクス主義的教師担当の科目が「必修」になったのでは目も当てられない。
 政経・公民等の科目の教師については、主としては大学の法学部での教育内容および担当大学教員たちの性向が問題になる。憲法学については上記のとおりだが、全体としても、社会あるいは世間一般と較べれば、「左翼」、そしてマルクス主義の影響力が強いことは明らかだろう(「人権派」弁護士はなぜ生じてくるのかを思い浮かべれば、容易に理解できる)。
 
〇以上は、思いついた一端にすぎない。こうした「教育」現場の実態、「左翼」支配、を認識することなく、「保守」論壇・「保守的」団体という閉ざされた世界の中で、「そこそこに」有名になり、「そこそこに」収入を得て、いったいいかほどの価値があるのか、と問い糾したいものだ。<大河の一滴から>とか<塵も積もれば…>という意味・価値をむろん全否定するつもりはないが。
 例えば40万部売れたなどと自慢しているあるいは宣伝している「売文」家や出版社があるが、かりに倍の80万人に読まれたとしてもその全員が内容を支持したことにはならず、また、全員が支持したとしても、日本の選挙権者のわずか1%程度でしかない。
 雑誌や単行本の影響力は執筆者たち等がおそらく考えているよりはきわめて小さく、圧倒的多数の国民・有権者は日々の大手マスメディア、とくに大手テレビ局のニュースと一般新聞の「見出し」によって、現在の日本(・日本の政治)のイメージ・印象を形成している、と思われる。狭い世界の中で「自己満足」しているのは愚かしいことだ。

0965/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)における三島・福田対談。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(麗澤大学出版会、2010.04)p.264~は、持丸博=佐藤松男の対談著(文藝春秋、2010.10)が「たった一度の対決」としていた福田恆存=三島由紀夫の対談「文武両道と死の哲学」にも言及している。こちらの方が、内容は濃いと思われるにもかかわらず、すんなりと読める。
 遠藤浩一著の概要をメモしておく。
 「生を充実させる」前提の「死を引きうける覚悟」、「死の衝動が充たされる国家」の再建という編集部の企図・問題意識を福田・三島は共有していると思われたが、二人は①「例えば高坂正堯や永井陽之助あたりの現実肯定主義」 、②「現行憲法」には批判的または懐疑的・否定的という点では同じだったにもかかわらず、福田が現憲法無効化を含む「現状変革」は「結局、力でどうにもなる」と「ドライかつラジカルな現実主義」を突き付けるのに対して、三島は「どういうわけか厳密な法律論」を振りかざす。

 三島は「クーデターを正当ならしめる法的規制がない」、大日本帝国憲法には「法律以上の実体」、「国体」・「社会秩序」等の「独特なもの」がひっついていたために(正当性・正統性を付与する根拠が)あった、という。福田は「法律なんてものは力でどうにでもなる」ことを「今日の新憲法成立」は示しているとするが、三島はクーデターによって「帝国憲法」に戻し、また「改訂」すると言ったって「民衆がついてくるわけない」と反論する。福田はさらに「民衆はどうにでもなるし、法律にたいしてそんな厳格な気持をもっていない」と反応する(この段落の「」引用は、遠藤も引用する座談会からの直接引用)。

 なるほど「力」を万能視するかのような福田と法的正当性を求める三島の問答は「まったく嚙み合っていない」。にもかかわらず、(遠藤浩一によると)「きわめて重要なこと」、すなわち両人の「考え方の基本――現実主義と反現実主義の核心」が示されている。
 現憲法は「力」で制定されたのだから別の「力」で元に戻せばよいとするのが福田の現実主義と反現実肯定主義だ。天皇を無視してはおらず、「法」を超越したところに天皇は在る、「憲法は変わったって、天皇は天皇じゃないか」と見る。
 一方で三島が拘泥するのは「錦の御旗」=正統性であり、正統性なきクーデターが「天皇の存立基盤を脅かす」ことを怖れる。

 福田の対「民衆」観は「現実的で、醒めている」が、三島にとっての「秩序の源泉」は「力」にではなく「天皇」にある。ここに三島の「現実主義と反現実肯定主義」があった。

 このような両者の違いを指摘し、「対決」させるだけで、はたして今日、いかほどの建設的な意味があるのか、とも感じられる。しかし、遠藤浩一は二人は「同じところに立っているようでいて、その見方は決して交わることがない」としつつ、「現実肯定主義への疑問においては完全に重なり合う」、とここでの部分をまとていることに注目しておきたい。三島が「それは全く同感だな」、「そうなんだ」とも発言している二人の若干のやりとりを直接に引用したあと、遠藤は次のように自分の文章で書く。

 福田恆存の「理想に殉じて死ぬのも人間の本能だ」との指摘は三島由紀夫の示した「死への衝動」に通じる。「理想に殉じて死ぬ」のは人間だけの本能だというまっとうな「人間観」に照らすと、「戦後の日本人がいかに非人間的な生き方をしてきたか」と愕然となる。戦後日本人は「現実肯定主義という観念を弄び、あるいはそれに弄ばれつつ、もっぱら生の衝動を満たすことに余念がない」。/「現実肯定主義は個人の生の衝動の阻害要因ともなりうる。生命至上主義に立つ戦後日本人の生というものがどこか浮き足立っていて、『公』を指向していないことはもちろんのこと、『私』も本質的なところで満足させていないのは、福田が言う『人間だけがもつ本能』を無視し、拒絶しているからである。私たちは自分のためだけに、自分の生をまっとうするためだけに生きているようでいて、その実、それさえ満足させていない、それは『私』の中に、守るべき何者も見出せていないからである」(p.269)。

 なかなか見事な文章であり、見事な指摘ではないか。樋口陽一らの代表的憲法学者が現憲法上最高の価値・原理だとして強調する「個人(主義)」、「個人の(尊厳の)尊重」に対する、立派な(かつ相当に皮肉の効いた)反論にもなっているようにも読める。

 なお、このあと「官僚」にかかわる福田・三島のやりとりとそれに関連する遠藤の叙述もあるが省略。また、歴史的かな遣いは新かな遣いに改めた。

 遠藤浩一は、上の部分を含む章を次の文章で結んでいる。

 「三島由紀夫は…『日本』に殉じて自決した。少なくとも彼だけは『死の哲学』を再建したのである」(p.275)。

 以上に言及した部分だけでも、持丸=佐藤の対談著よりは面白い。

 だが、遠藤浩一の著全体を見ると、引用・メモしたいところは多数あり、今回の上の部分などは優先順位はかなり低い。

 櫻井よしこは、どこかの雑誌・週刊誌のコラムで、遠藤浩一の上掲書を「抜群に面白い」と評しているだろうか。
 追記-「生命尊重第一主義」批判・「死への衝動」に関連する、三島由紀夫1970.11.25<檄>の一部。

 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」。

0938/三島由紀夫の「憲法」理解の対極にあった憲法学界の<親社会主義>。

 一 三島由紀夫は1970年11月に、「生命尊重以上の価値」をもつ「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」を「骨抜きにしてしまった憲法」と、1947年憲法(日本国憲法)を評した。そこで念頭に置かれているのはとくに、国家の軍隊の存在を否定する九条2項であることは明らかだ。自衛隊が存在しながらこれを正規の「軍その他の戦力」と位置づけない憲法解釈は、あるいは憲法改正によってそれを明瞭にしない<憲法護持>論は、三島にとって、姑息で欺瞞に満ちたものだった。

 こういう三島のような理解は、しかし、当時の政治家・国民の多数派のものではなかったし、ましてや憲法学者の大勢の理解でもなかった。

 当時はもちろん、今日でも、上の三島由紀夫のような理解は日本の憲法学界においてほとんど支持されていないと見られる。

 なぜか。端的に言って、戦後の憲法学者の圧倒的多数には、<社会主義幻想>がはびこっていたからだと思われる。資本主義→社会主義という<歴史の発展法則>に添うような憲法解釈をしようとすれば、日本が<社会主義>国になるためには、日本は(資本主義国たる日本を守るための)正規の「軍隊」などを保持してはならない、ということになる。その帰結は、①自衛隊を「違憲」の存在と見て廃止または縮小を求めるか、②自衛隊は正規の「軍その他の戦力」ではないために「合憲」であるという一種の強弁に、じつは詭弁・虚言に、少なくとも表向きはしがみつくか、のいずれかだった。

 <社会主義幻想>の内容の一つは、社会主義国は<平和愛好>的で資本主義国は<侵略的>とのデマだった。

 社会主義国ならばともかく、資本主義陣営の日本国家に、<侵略>性を有する軍隊などを保持させてはならなかった。かかる観点から憲法9条2項の解釈と自衛隊へのその適用も論じられたのだ。

 二 日本の憲法学・公法学が、表面的にはともかく、<体制選択>に関する特定の判断を前提として議論を展開させてきたことは、現役憲法学者・阪本昌成(広島大学→立教大学)の次の叙述により、明確だ。

 阪本昌成・法の支配(2006.06、勁草書房)p.1-2は、次のように一著の冒頭に書いている。時期的には、安倍晋三内閣が成立する直前にあたるだろう。

 「公法学における体制選択  20世紀は資本主義と社会主義との偉大な闘争の時代だった。経済思想史においても、政治思想史上においても、この闘争は人類史上の最大の論争点だったといっても過言ではない。この論争は公法学にも当然影を落とした。/

 過去半世紀を超えて、わが国の公法学者は、資本主義か社会主義かという体制選択問題を常に意識しながらも、あからさまなイデオロギー論争を巧みに避けて、個別的な場面での『解釈』や『政策提言』に各自の思想傾向を忍ばせてきた。イデオロギーを異にしながら、多様な『解釈』や『政策提言』を示してきた公法学者にも、奇妙な共通項があった。それは、経済市場と国家の役割への見方である。通常は、国家のもつ強制力に警戒的である論者も、こと経済市場の動きに対しては、国家介入に寛容となる。いくつか例を挙げれば、国家による市場秩序の人為的設計(かたや大企業への警戒感、かたや弱者としての中小企業や労働者の救済策)、社会保障プログラムの拡大・充実(市場における経済的弱者への思い入れ)、環境保護政策の推進(公害問題の発生因を市場経済に求める着想)等の姿勢である。/

 体制選択のひとつの候補が社会主義だった。この言葉には、”人々が程良い豊かさと自由を享受する正しい社会”という響きがどこかにあった。そのため、自由経済体制(「資本主義体制」)の社会主義体制に対する優越を公然と口にする公法学者には『右派・保守』というスティグマが与えられがちだった。ところが、社会主義国家の自己崩壊後、『社会主義』という言葉に輝きも快い響きもない。……」

 上でこの欄での文脈上とくに重要なのは、「自由経済体制(「資本主義体制」)の社会主義体制に対する優越を公然と口にする公法学者には『右派・保守』というスティグマ〔焼き印・刻印〕が与えられがちだった」、という部分だ。

 反社会主義的(または反共産主義的=反共的)言辞・発言には、<右派・保守>というレッテルが貼られがちだった、というのだ。それが少なくとも「社会主義国家の自己崩壊」までは続いた、と阪本昌成は言う。三島の死から約20年経っても、<反共>的言辞は<右派・保守>として異端視されていたのだ。

 社会主義国家はじつはすべて「崩壊」してはおらず、「体制選択」の問題は、日本では、そして日本の公法学界では、「あからさま」ではないにしても残っているように思われる。この点では、「自由経済体制」=「資本主義」の勝利とまだ決定的には断じられないところがある、と私は感じている。

 上のことには留意が必要だが、しかし、憲法学界等の公法学界の雰囲気が<親社会主義>的だったことは、おそらくは上の阪本昌成の文章でも示されているとおりだろう。

 そのような<親社会主義>的姿勢が、九条を始めとする憲法「解釈」や「政策提言」に影響を与えないはずがない

 辻村みよ子・フランス革命の憲法原理―近代憲法とジャコバン主義―(日本評論社、1989.07)は、ルソーの影響を受けたロベスピエールらの「ジャコバン主義」者、彼らの(未施行の)1793憲法の研究書だが、これらへの共感に満ち、これらを称揚しつつ、日本国憲法の「(国民)主権」論等の「原理」に関する示唆を得ようとするものだ。

 この本は東西ベルリンを隔てる「壁」の崩壊直前に執筆されたと見られる。そして、「あからさま」にはイデオロギー表明はしていないものの、(河野健二・岩波新書によると)早すぎた「社会主義」革命だったがゆえに失敗したとされる<ジャコバン独裁>を肯定的に把握しようとするもので、「あからさま」ではないが<社会主義幻想>に依拠して書かれている、と想定して間違いない。
 こうした人々にとって、三島由紀夫などは<右翼・反動>の極致の人物だっただろう。そして、こういう人々こそが(世代は上の杉原泰雄樋口陽一らも含めて)憲法学界・公法学会の主流派だったと見られる。今日に至って、少しは変化しているのだろうか

 ともあれ、日本の憲法学(学界)の大勢は、三島由紀夫の対極に位置していた、ということだけを、少なくとも確認しておきたい

 三 なお、第一に、阪本昌成が学界の「奇妙な共通項」として上に指摘するようなことは、日本国憲法もしっかりと(?)勉強して司法試験に合格した戦後教育の優等生である、福島みずほや仙石由人等を見ていると、なるほどと頷けるところがあるだろう。

 第二に、阪本昌成の上の本は、この欄でメモしながら読みつなぐことを意図したが、二年前にp.21くらいまで進んだだけで終わってしまった。

 上の引用は、最後の部分を除いて全文だが、かつて、次のように要約していた。

 <前世紀は資本主義と社会主義の対立の世紀で、この対立・論争は「公法学」にも影を落とした。日本の公法学者はこの体制選択問題を「常に意識し」つつも「あからさまなイデオロギー論争を巧みに避け」て、個別の解釈論や政策提言に「各自の思想傾向を忍ばせ」てきたが、「経済市場と国家の役割への見方」には奇妙な一致があった。すなわち、通常は国家の強制力を警戒する一方で、経済市場への国家介入には寛容だった。
 体制選択の一候補は社会主義で、快い響きをもっていたため、自由主義経済体制(資本主義)の優越を「公然と口にする公法学者」には「右派・保守」とのレッテルが貼られた。だが、社会主義国家が自己崩壊し体制選択問題が消失した今では、「リベラリズムの意義、自由な国家の正当な役割、市場の役割」を問い直すべきだ。その際のキーワードは、「政治哲学」上の「自由」、「法学」上の「法の支配」>。 

0932/朝日新聞の二枚舌、大阪大学・鈴木秀美の奇怪な識者コメント。

 〇朝日新聞11/06社説をあらためて読むと、「非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」と書いている。
 奇妙で滑稽でもあるのは、ここでは「政府や国会の意思に反する行為」だから、ということが理由とされている、ということだ。「国会」というのは、正確には民主党が多数を占める衆議院のことだ。

 はて、自民党(中心)内閣・自民党多数国会だったら、朝日新聞はこんなふうに主張しただろうか。
 自民党(中心)内閣・自民党多数国会が「全面公開しない」=非公開を決定したところで、その方針が気にくわなければ(場合にもよるが朝日新聞だとそういうスタンスを採ることが多かっただろう)、「非公開の方針に批判的な」行政官僚(・「捜査機関」)をむしろ持ち上げ、勇気あるものとして称揚するのではないか。

 そもそも政府の「意思」または与党が実質的に決定した国会の「意思」に反するから「許されない」とは、一般論としても、断じて言えない。政府・与党支配の国会の判断よりも優先されるべきものがある。それこそ、朝日新聞がお好きなはずの日本国憲法が示す諸価値・諸人権であり、そうした理念や<新しい人権>の中に、「透明で開かれた行政」や「(国民の)知る権利」が含まれていたのではなかったのか?

 今回に限らないが、朝日新聞の<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>はひどすぎる。
 この社説は「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである」と白々しくも書くが、そのあと続けて、「ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」と言う。

 一般論としてはもっともに見えるこの主張を、朝日新聞は自民党(中心)内閣・自民党多数国会時代に貫いてきたのか。あるいは、民主党に変わって、<より保守的な(または朝日の嫌いな「右派」)>政党が国会多数派を占め、<より保守的(「右派」)>政権ができた場合にも、上のようなことを断乎として主張しつづけることができるのか。

 朝日新聞は、そういう政権・国会の場合は、「外交や防衛」についての透明性・情報公開を強く(限度以上に)要求することはほぼ間違いないだろう。

 このいいかげんさ、<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>を、朝日新聞記者たちは自覚しているだろうか。

 幹部「左翼」活動家たち(論説委員の中にも当然にいる)は自覚している可能性はある。自分の新聞社が<左翼政治団体>に他ならないことを知っているからだ。

 以上、朝日社説がなぜかくも簡単に情報流出者を「許せない」と詰る(なじる)ことができるのか、不思議に思って書いた。

 国家公務員法「形式的」違反がただちに刑罰可(有罪)や懲戒処分相当という結論にはつながらない、という論点には、<形式秘>・<実質秘>の区別も含めてここでは立ち入らない。

 ひとことだけ追記すると、「起訴便宜主義」を持ち出して那覇地検の<処分保留・釈放>を「諒」とした仙石由人健忘(?)長官が、尖閣ビデオ流出以降は「流出者」を犯罪者(有罪者)のごとく断定的な言い方をしているのも、大笑いの<ご都合主義・ダブルスタンダード>だ。

 〇毎日新聞11/10朝刊に面白い識者コメントが掲載されている。

 弁護士・阪口徳雄は(本来は「左翼」的と見られる人物だが)、今回の情報流出行為は「公益通報者保護法」の保護の対象外であるとしつつ、「この程度の映像なら秘密にする必要はなかったのでは」と追加発言をしている。なお、NHK等によると、<情報法(学)>の第一人者と見られているかもしれない堀部政男(前一橋大学)は、<国会でも一部公開されているので国家機密=「実質秘」にあたるか疑問。最初から全面公開して国民の議論の対象にした方がよかった>旨を述べているようだ。

 毎日新聞の記事で<面白く>感じたのは、次の鈴木秀美(大阪大学教授・憲法)の「話」だ。以下、記事中の全文引用。

 「不祥事など政府による明らかな違法行為があったり、沖縄密約のように政府が国民に隠し続けた事実を暴くケースとでは情報の質が異なる。政府の高度な政治的判断で非公開としたものを、不満だからと一職員が流したのだとすれば、正当行為だとするのは難しい」。

 こういう場合のコメント(発言)は記者による要約・簡略化が入っているだろうから、このままそっくりを鈴木秀美なる憲法学者が喋ったのではないかもしれないが、「話」の要点だけはおそらく伝えているだろう。そのことを前提として、以下に続ける。

 この鈴木の「話」はどこやら朝日新聞11/06社説の上記部分に似ているところがある。つまり「政府」が「非公開」と決定した情報を「一職員が流した」のだとすれば「正当行為」ではない、と言う。

 本当に憲法学者がこんな趣旨を述べたのか疑いたくなるほどに、憲法感覚のないコメントだ。

 第一に、「政府」の決定に反すれば、なぜ「正当行為」でなくなるのか??

 「高度な政治的判断で」決定したかどうかは問題と関係がない。政府の「高度な政治的判断」の方が誤っている可能性があるからだ。

 第二に、鈴木秀美によると、「沖縄密約のように政府が国民に隠し続けた事実を暴く」のは、許される「正当行為」らしい。

 ここで質問したいものだ。「沖縄密約」なるものは「政府の高度な政治的判断」によって交わされ、「政府の高度な政治的判断」によって<非公開>とされてきたのではなかったのだろうか??

 こちらを「暴く」のは許され、尖閣ビデオという「政府が国民に隠し続けた」情報をオープンにする(「暴く」)のは許されない、とするのはいったい何故なのか。いかなる根拠・基準によるのか。

 鈴木秀美にも、朝日新聞と同様に<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>があることは明らかだ。

 この人にとって見ればおそらく間違いなく、民主党政府に<楯突く>ことは許されず、自民党政府に<楯突く>ことは許される、のだ。そうではないか?? 鈴木秀美よ、答えてみるがよい。

 鈴木秀美という憲法学者らしき者には、民主党政権を何とか擁護したいという心情があることが透けて見えるようだ。そうした心情を<左翼>または<何となく左翼>と称する。

 個人的にどのような心情・信条を持とうと自由だが、憲法学教授という肩書きで、<政治的心情(信条?)>を語るな、と言いたい。
 もっとも、鈴木に限らず、日本の(大学所属の)憲法学者の圧倒的多数が<左翼>または少なくとも<何となく左翼>という異様な状況にあるようなので、特別の驚きはない。自己の政治心情・信条を憲法学的(憲法解釈論的)言語を使って表明している者の何と多いことか。日本国民は、日本の憲法学界の大部分は、<世間的常識・良識>・<まともな論理>をもって生きているわけではないこと(+論文を書いたり講義したりしているわけではないこと)を、あらためて想起しておいてよいだろう。 

0902/中川剛・日本国憲法への質問状(PHP、1986)①。

 中川剛・日本国憲法への質問状(PHP、1986)から一部抜粋して紹介する。
 中川剛-京都大学法学部卒、広島大学法学部教授。専攻-憲法・行政法・行政学(上掲書による。1986年時点)。
 憲法の素人ではなく、専門家・憲法研究者の一人だ。
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 一 プロローグ
 ・「その限りで」日本国民が新憲法を受け入れたのも当然だが「問題がなかったわけではない」。第一に「基本法である憲法が、継受法である点では〔大日本帝国憲法と〕少しも変わらない」。範が「ヨーロッパの周辺からアメリカの周辺に変転しただけ」で、「日本の固有の法感覚が発展するにはいたっていない」。さらに、「法典自体の問題としては、戦勝国の価値観と都合が色濃く反映されている」。それが妨げになって「日本人固有の知性・感性が発揮されにくくなっている」(p.9)。
 ・「欧米が普遍的な尺度とならなくなった現在では、もはや継受法から固有法への長い歩みのなかで憲法をとらえる視点が不可欠」ではないか(p.10)。
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 まだほんの一部。だが、依然として「欧米」を「普遍的な尺度」としているかに見える現在の日本の憲法学界からすると、中川剛は、相当に勇気のある、独自の見解の主張者ではないか。  

0877/外国人参政権問題-あらためてその6・憲法学界⑤。

 大石眞・憲法講義Ⅰ(有斐閣、2004)p.64は「いわゆる定住外国人の参政権」という項を立てて、次のように書く。
 <「国政参加の基礎を国籍に求めることは各国共通の理解」でもあり、「不当」ではない。外国人参政権を認めれば「国民の自己決定の原則に反することにもなるという原理的な問題を抱え込む」だろう。>
 このあと、選挙権・被選挙権者を国民に限る公職選挙法が違憲だとは考え難い旨を述べ、地方参政権に関する最高裁平成07.02.28判決等を参照要求している。
 「国民の自己決定の原則」に言及していることが関心を惹く。また、上の後半からは、いわゆる<要請説>を支持していないことが明らかで、辻村みよ子浦部法穂とは異なる。但し、<許容説>をどう評価しているかは明瞭でない(上の本の新版があるのかもしれないが、所持していない)。
 大石眞(京都大学、58歳)は読売新聞5/3付の「憲法記念日座談会」で、対談者三名の一人として「外国人参政権」問題については、こう発言している。 
 ・最高裁平成07.02.28判決の「傍論では消極的言及にとどま」る。「そこが一つの根拠になって物事が進むのは、あまり良くない」。「国籍問題を軽く考える」のにも「違和感を持つ」。「帰化という正当な道があるのだから、正論で行くべきだ」。憲法95条は外国人地方参政権肯定との議論に直結しない。現在は「地方の権限を強める方向でもあり、そこに国籍を持たない者が大勢参加することになっていいのか、根本的な疑問がある」。
 所謂<許容説>に対する理論的(憲法解釈論的)立場は明確ではなおないと言えるが、少なくとも立法政策論(法律レベルでの政策的議論)としては外国人地方参政権付与に否定的であることは明らかだ。読売紙上で、こう明確に断じている現役の憲法学者がいることは大いなる救いで、少しは憲法学界の現況に安心しもする。
 大石眞は、上の論点以外に次のようなことも言っている。
 ・「日本国憲法は1920年代のモデルで、色々なところに限界がきている…」。
 ・9条は「個別的自衛権のことを規定」している。「集団的自衛権」は国連憲章・日米安保条約という、現行憲法とは「違う位相」で、「観念ができている」。政府が「個別的自衛権」を持ち出して「集団的自衛権」を否定するのは「議論にはズレがある」。また、「集団的自衛権を認めることとそれを行使するかは別問題」で、「本当に行使するべきかどうかは政治判断そのもの」なので「内閣、国会で大いに議論すればよい」。
 他にもあるが省略。
 日本共産党および同党シンパ憲法学者は、九条をめぐる問題のうち、文言・条文の改正問題よりも焦眉の課題は<集団的自衛権肯定>への解釈変更を阻止することだと考えているようでもあるので、上の大石眞発言はそれに対抗するものでもあり、この人が日本共産党シンパでないことはおそらく歴然としている。少しは憲法学界の現況に安心しもする。

0867/外国人参政権問題-あらためてその4・憲法学界③。

 1.辻村みよ子・憲法〔第三版〕(日本評論社、2008。前回までにいうA)p.149は、(地方・国家を問わず)「選挙権者」の範囲の問題=「定住外国人を含めるか否か」には、「選挙権者」に該当する「具体的な『市民』概念を介在させることも理論上は有効」だとし、そのような「市民」概念を伴った例として、①フランスの1793年憲法、②EUの「欧州市民権」論を挙げる。

 ①についてはすでにコメントした。もう少し語れば、第一に、日本国憲法にかかわる議論になぜフランスの憲法上の議論・理論が「有効」なのか、一般的な(ふつうの)日本人にはほとんど分からないだろう。フランスやアメリカの憲法(理論)上の概念・理論を日本国憲法は継受している、ということを、この人は当然の前提にしているのだ。「選挙権者」の範囲という具体的問題について、はたしてそう言えるのか? また、かりにそうだとしても、欧米憲法(<近代>憲法)は「選挙権」者を「国民」に限っていないと一般的に言えるのか?
 第二に、なぜ、1793年憲法という、200年以上前!の外国の憲法(理論)が「理論上は有効」なのか、これまたさっぱり分からないだろう。

 第三に、フランス1793年憲法とは、成立はしたが施行されなかった、つまり現実に<生きた>憲法ではなかった憲法だ。それでも、その基礎にあった「理論」・考え方は参照に値すると辻村は言うのだろうが、施行されてはいないという事実を一切隠したままでこの憲法に論及するのは、いささか卑劣ではないだろうか。

 繰り返しておこう。200年以上前に成立だけした外国(フランス)の憲法の「理論」・考え方は今日の日本の選挙権の範囲の問題解決に「理論上は有効」だと、辻村は書く。これはいささか常軌を逸しているのではないか。日本の(立派な?)憲法学界内部ならばともかく、多くの日本人にとって説得的な議論の仕方ではないだろう。

 2.つぎに、上の②も奇妙だ。EUでの議論が「理論上は有効」であるためには、現在の日本もまた、EUと同様の法的状況にあることが前提として必要のはずだ。しかるに、今日の日本のどこに、EUと共通する要素があるのか。

 EUの「欧州市民権」論を持ち出すならば、日本を含む東アジア(またはアジア)がEU=欧州連合・欧州共同体のようになっている必要がある。

 鳩山由紀夫が<理想>としている「東アジア共同体」なるものが形成されてから、またはまさに形成されようとしている時期になってから、上のようなことを言ってもらいたい。そして<東アジア(に共通の)市民権>について論じていただきたい。

 現実・実態の違う欧州(EU)を現在の時点で持ち出しても、何の参考にもならないし、むろん「理論上は有効」であるはずがない。

 このように、辻村みよ子の叙述・議論の内容は相当に問題がある。だが、憲法教科書として<あの>日本評論社から刊行されて活字になっており、こんな叙述を読みながら、憲法学・日本国憲法を勉強している学生たちもいるわけだ。
 地方・国政を問わず、一定の外国人(定住外国人)には憲法上、法律によって選挙権を付与することが<要請>されている、とする辻村みよ子の主張(憲法解釈論・憲法学説)自体を問題視する必要がむろんあるが、その根拠・議論の仕方にも大いに疑問視してよいところがある、と言うべきだ。

 3.民主党は世界ですでに30~40カ国は一定の外国人に地方参政権を付与しており、決して<少なくない>と言っているらしい(正確な資料参照を省略する)。また、美辞麗句、君子豹変、八方美人の「言葉の軽い」鳩山由紀夫現内閣総理大臣は、外国人地方参政権問題は「友愛」の問題だと述べたらしい(同)。

 だが、別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本がなくなる日(宝島社)p.77の、百地章の注記付きの表によると、一定の外国人に地方参政権を付与している国のほとんどは、①欧州(EU)内の国で他のEU諸国の国民(「EU市民」)にのみ付与しているか、②イギリス連邦の構成国(ニュージーランド、カナダ、オーストラリアなど)の国民に二重国籍を認めたうえで英国の選挙権を付与している、というものだ。①・②につき、百地章はいずれも正確な意味での「外国人」参政権付与の例ではない、としている。

 イギリスには特有の歴史的事情があるだろう。また、欧州では、EUという従来とは異なる新しい「国家」の形成の模索中なのだ。不正確だろうが、EU加盟国の国民は半分(?)程度はすでにEUという新しい国家の「国民」だとも見なしうるのだ(だからこそ、上述のとおり、辻村みよ子のように簡単には日本に適用できないのだ。EUには議会すらある。大統領または首相にあたる者、つまり執行権の代表者の一般選挙すら論議されている)。

 このように見ると、世界ですでに30~40カ国という<少なくない>国々が一定の外国人に地方参政権を付与している、という旨の民主党(その他社民党・共産党?)の主張は明らかに<デマ>というべきだ。<世界の趨勢>などという虚偽宣伝に騙されてはいけない。言わずもがなかもしれないが、念のために。 

0866/外国人参政権問題-あらためてその3・憲法学界②。

 辻村みよ子・憲法〔第一版〕(日本評論社、2000=B)は、平成7年最高裁判決を紹介したあと、以下のようにも批判している。

 ①「傍論」での「地方自治制度の趣旨」を根拠にした判示は、「本論」での憲法「九三条解釈にも反映されなければならなかったのではないか」(p.166)。
 これは前回紹介の後藤光男の論と同じく、「傍論」を支持する(少なくとも積極的に反対しない)立場から、簡単には、「本論」をこそ「傍論」に合わせるべき旨を言っているわけで、百地章とは真逆の立場からの「矛盾」の指摘だと理解することもできる。

 辻村みよ子は次のようにも書く。

 ②上記判決の「傍論」が「永住者等」を「国民に準じて考えるべき存在」としているとすれば、この「永住者等」は「地方公共団体と密接な関係をもっているだけではなく、すでに日本の国政にも十分密接な関係と関心をもつ者であり、国政レベルでの参政権についても許容説を導くことができるかどうかが問題となる」。

 語尾は曖昧になっているが、国政レベルでの選挙権付与「要請説」論者だからこそ、このように書けるのだろう。

 辻村の叙述で注目されるのは(A・B同じ)、<永住市民権説>というものに立ち(これは近藤敦も同旨だとされている。Ap.149)、その論拠の一つをフランスの1793年憲法に求めていることだ。

 このフランスの憲法はジャコバン独裁時の、ロベスピエールらによる<人民(プープル)主権>を採用した憲法だが、辻村みよ子は、よほどこの<社会主義を先取りしたような、そして「先取り」したがゆえにこそ施行もされず失敗したとされる>憲法がお好きらしい。

 辻村の文章は次のようなもの。
 「…選挙権者の範囲に定住外国人を含めるか否かの議論の際には、欧州連合条約における『欧州市民』権(…)や…フランスの『人民(プープル)主権』論に基づく1793年憲法(主権主体である人民を構成する市民が選挙権者となる)のように、選挙権者に該当する具体的な『市民』概念を介在させることも理論上は有効である。このような『新しい市民』概念の確立による選挙権者の拡大を図ることが望ましいと考えられる」。

 国籍保持者以外への<選挙権者の拡大>が望ましい=「善」または<進歩的>という発想自体にすでに従えないのだが、ここには、「左翼」の中に多い、そして鳩山由紀夫も影響を受けているようである、(「国民」とは区別された)独特の「市民」概念・「市民」論があるのは明らかだ。

 こういう、既に凝り固まった人を善導?するのはもはや困難かもしれない。
 別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本はなくなる(宝島社、2010)によると、民主党・自民党・公明党・社民党・国民新党・みんなの党のすべてが「外国人国政選挙権」の付与に反対している(民主党は川上義博の個人見解とされる)(p.80以下)。日本共産党は「積極的な反対でないため回答を保留」したらしい(p.91)。

 平成7年最高裁判決およびこうした諸政党の態度を見ると、「外国人国政選挙権」についての(憲法による)「(付与)要請説」は、きわめて少数の、異様な(?)学説のはずだ。日本共産党よりもはるかに<付与>の方向に傾いた説なのだ。

 だがしかし、この説は、日本の立派な?憲法学界では、決して珍奇でも稀少でもなさそうだ。

 誇ってよいのか、嘆くべきなのか。日本の憲法学界、つまりは百地章等を除く圧倒的多数の憲法学者たちは、親コミュニズムのゆえか、外国の「左翼」的・「進歩的」文献にかぶれているゆえか、健全で常識的な感覚を失っているのだはないか。すでに「日本人」では意識の上ではなくなっており、かつそのことを恥じることもなく、むしろ<誇り>に感じているのではないか。異様な世界だ。
 <法学(憲法学)>の世界にあまり詳しくはない方々には、上のようなことを知っておいていただきたい。東北大学、名古屋大学、早稲田大学といった<有力な>大学の教授たちの学説であることも含めて。

0659/自由主義・「個人」主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1

 一 <民主主義>とは「国民」又は「人民」の意向・意思に(できるだけ)即して行うという考え方、というだけの意味で(「民主政治」・「民主政」はそのような「政治」というだけのこと)で、「国民」・「人民」の意思の内容・その価値判断を問わない。従って、「国民」・「人民」の意思にもとづいて<悪い>又は<間違った>又は<不合理な>決定が行われることはありえ、そのような「政治」もありうる。民主主義にのっとった決定が最も「正しい」とか「合理的」だとは、全く言えない。
 また、「国民」・「人民」の意思だと僭称するか(各国共産党はこれをしてきたし、しているようだ)、しなくとも実際に多数「国民」・「人民」の支持・承認を受けることによって、ドイツ・ワイマール民主主義のもとでのナチス・ヒトラー独裁のように、民主主義から<独裁>も生じうる。また、民主主義の徹底化を通じた<社会主義・共産主義>への展望も、かつては有力に語られた。
 <民主主義>に幻想を持ちすぎてはいけない。
 <自由>が国家(・および「因習」等)による拘束からの自由を意味するとして、それは重要なことかもしれないが、このような<自由>な個人・人間が目指すべき目標・価値を、あるいは採るべき行動・措置を、何ら指し示すものではない。<自由>を活用して一体何をするか、何を獲得するかは、<自由>それ自体からは何も明らかにならない。
 とくに<経済的自由主義>はコミュニズムに対抗する意味でも重要なことだろうが(むろん「自由」にも幅があるので又は内在的制約があるので、<規律ある自由>とかが近時は強調されることもある)、しかし、「自由主義」に幻想を持ちすぎてもいけない。
 <個人主義>も同様だ。人間が「個人として尊重」されるのはよいし、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する…権利」が尊重されるのもよいが(日本国憲法13条)、「生命、自由及び幸福追求」というだけでは、「自由な」尊重されるべき「個人」が、一体何を目指し、何を獲得すべきか、いかなる行動を執るべきか、いかなる具体的価値を大切にすべきか、等々を語るには、なおも抽象的すぎる。要するに、各個人の「自由な」又は勝手気侭な選択はできるだけ尊重されるべし、というだけのことだ。
 <平等>主義も重要だろうが、これまた具体的<価値>とは無関係だ。適法性を前提としても(法の下の平等)、平等な貧困もあるし、平等に国家的・社会的規制を受けることがあるし、平等に「弾圧・抑圧」されることもありうる。<平等>原理だけでは、特定の<価値>を守り又は獲得する手がかりには全くならない。
 二 というようなことを思いつつ、佐伯啓思のいくつかの本を見ていると、なるほどと感じさせる文章に遭遇する。
 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の、80年代アメリカ経済学・「グローバリズム」・「新自由主義」批判は省略。
 ①「リベラリズム」(自由主義)の「基礎を組み立てている」のは「消費者」ではなく、しいて名付ければ「市民」だとしたあと(上掲書p.56)、次のように書く。
 ・「市民」はその原語(ブルジョアジー)の定義が示すように何よりも「財産主」であり、「財産主」であることを守るためには「安定した社会秩序」を必要とした。さらに「社会秩序」の維持のためには「公共の事柄に対する義務と責任」を負い、この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」・「日々の経験」・「人々との会話」・「読書」・「芸術」によって培われる。
 ・「公共の事柄に対する義務と責任」を負うために必要な「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を、人は、「いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として」身に付けることはできない。人は「近隣、家族、友人たち、教会、それに国家」、こうした「様々なレベルでの」「広義の『共同体』」と一切無関係に「価値や判断力」を獲得できない。
 ・「近代社会」による「封建的共同体からの個人の解放」は「個人主義」の成立・「近代リベラリズムの条件」だと理解されている。しかし、これは「基本的な誤解」か、「すくなくとも事態の半面を見ているにすぎない」。「一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえない」。仮にありえたとして、彼はいかにして、「社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在」を学ぶのか。
 ・「通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の権利をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」。(以上、p.57-58)。
 昨年に憲法学者・樋口陽一の「個人」の尊重・「個人主義」観をこの欄で批判的に取り上げたことがある。樋口陽一や多くの憲法学者の理解している又はイメージしている「個人」とは、佐伯啓思は「ロックなどの社会契約論が思想の端緒を開き…」と書いているが、ロック・ルソーらの(全く同じ議論でないにせよ)社会契約論が想定しているようなものであり、それは「誤り」を含む「通俗的な近代リベラリズム」のそれなのではないか。
 ②次のような文章もある。
 ・80年代に「リベラリズム批判」と称される四著がアメリカで出版され、話題になった(4名は、ニスベット、マッキンタイアー、ベラー、サンデル)。これらに共通するのは、「支配的なリベラリズム」が想定する「何物にも拘束されない自由な個人という抽象的な出発点」は「無意味な虚構だ」として排斥することだ。「抽象的に自由な個人」、サンデルのいう「何物にも負荷されない個人」という前提を斥けると「個人とは何なのか」。マッキンタイアーが明言するように、「何らかの『伝統』の文脈と不可分な」ものだ。
 ・人は「書物や頭の中で考えたこと」によって「価値」・「行動基準」を学習・入手するのではなく、「日々の経験や実践」の中で学ぶ。ここでの「実践」も抽象的なものではなく、それは「必ず歴史や社会の個別性の中で形成される」。つまり、「実践」は必ず「伝統」によって負荷されている。従って、「実践」とは先輩・先人・先祖との関係に入ることも意味する。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、残るのは「極めて貧困な実践」であり、そこから「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ(以上、p.58-59)。
 ・まとめ的にいうと、「確かに、リベラリズムは…、かけがえのない個人という価値に固執する」。「個人的自由」はリベラリズムの「基底」にある。しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえない」。つまり、「特定の『実践』や『伝統』から無縁ではありえない」(p.60)。
 今回の紹介は以上。
 上の一部にあった、「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ、ということは、わが国の戦後に実際に起こったことではないか。
 日本の戦前との断絶を強調し(八月革命説もそのような機能をもつ)、戦前までにあった日本的「伝統」・「価値」 を過剰に排斥又は否定した結果として、「伝統」・「歴史」の負荷を受けて成長すべき、戦後に教育を受けた又は戦後に社会的経験・「実践」をした者たちは(現在日本に生きている者のほとんどになるだろう)、まっとうな感覚をもつ「豊かな個人」として成長することに失敗したのではないか(私もその一人かも)。そのような「個人」が構成する社会が、そのような「個人」の総体「国民」が「主権」者である国家が、まともなものでなくなっていくのは(<溶解>していくのは)、自然の成り行きのような気もする。

0642/大石眞・憲法講義Ⅰ(有斐閣、2004)-日本国憲法はなぜ有効か。

 一 激しい議論にはかりになっていなくとも、日本国憲法の制定過程との関連で、①この現憲法は「無効」か有効か、②有効だとして、旧憲法(明治憲法・大日本帝国憲法)との関係で現憲法は「改正」憲法か「新」憲法か、という基本問題がある。
 憲法学者はほとんどこの論点に立ち入らないか、<八月革命説>(→「新」憲法説)を前提として簡単に説明しているだけかと思っていた。
 喜ばしい驚きだが、現在は京都大学(法)教授の大石眞・憲法講義Ⅰ(有斐閣、2004)は、「憲法制定史上の諸問題」という項目を設け(p.42-)、まず、現憲法制定は「占領管理体制の下におけるいわば強いられた『憲法革命』」で、それは(1946.02の)マッカーサー草案提示後の憲法草案起草過程にも議会での審議過程についても言えるとする。そして、「憲法自律性の原則(芦部信喜)」は「むしろ破られたとみるのが正当な見方であろう」と書く(p.42)。
 その上で、現憲法無効論と有効論とがあり、後者にはさらに次の4つがあるという。
 ①(明治憲法改正)「無限界論」-佐々木惣一。
 ②八月革命説(主権転換がすでにあったとする)-宮沢俊義。
 ③段階的主権顕現説(議会での審議過程で国民主権が次第に確立したとする)-佐藤幸治。
 ④法定追認説(主権回復時=平和条約発効日を基準に、現憲法の適用・履行によって完全に効力をもったとする)-長尾龍一。
 大石眞は最後の④説に立つ。
 二 大石は現憲法無効論については、1.(明治憲法改正限界論を前提にして)この限界を超え、無効というが、<瑕疵>あることと<無効>とは異なる(瑕疵があってもただちに無効とはならない(民法にもみられる取り消しうべき瑕疵と無効の瑕疵との区別)、2.今日までの法令・制度を「すべて無にしてしまう」という実際上の難点がある、として採用しない。
 現憲法無効論の論拠は明治憲法改正限界論だけではない(被占領下で改正・新制定できるのかという論点もある)。また、今日までの法令等を「すべて無にしてしまう」という正確な意味での<無効論>ではない<無効論>もある(「無効」という語の誤用としか考えられない)ので、上の実際的批判は、この不正確な<無効論>にはあてはまらない。
 だが、結論自体は、妥当なところだろう。
 つぎの<有効説>の論拠は、私見では、①説でよいのではないか。何と言っても、昭和天皇が議会に諮詢し、天皇の名で「改正」を公布している、という実態は、「改正説」に有利であり、かつ、明治憲法期に憲法改正限界論(例えば「主権」変更はできない)が通説だったとしても1946年ではそのような考え方は学界・政治界そして天皇陛下自身において放棄されていた、と理解できるのではなかろうか。枢密院への諮詢等という明治憲法下での慣行をなおも維持した手続を経て現憲法は作られたのだ。できるかぎり日本人の頭と手で現憲法が作られたという外観・印象を与えたかったGHQの意図に応えてしまうことにはなるが、この説が最も無難だと思える(改正の諮詢自体が、そして議会の審議自体が日本側の自由意思でなかったことは明らかだが…)。
 <八月革命説>を大石は(私も)採らない。
 大石は、この説には、①「ポツダム宣言の文言やバーンズ回答をめぐる問題」、②「国家主権なき『国民主権』論は虚妄ではないか」、③「ラジカルな国際優位一元論は不当」、④「非民主的機関」、つまり「枢密院や貴族院」の関与やこれらによる修正をどう見るか、などの問題がある、という。
 丸山真男も依拠していた宮沢俊義の<八月革命説>は成り立たないのではないか。  そういう否定的見解がきちんと書かれてあるだけでも意味がある。「法定追認説」なるものには分からない点もあるので、長尾龍一の文章を直接に読んで、なおも検討する。

0639/宮沢俊義(1950)と阪本昌成(2008)における<アメリカ独立宣言>。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1993。第一版は1950)p.7は、「近代諸国のほとんどすべての憲法の基礎になっている政治原理の最も根本的なものを表明した」、世界史上「非常に重要な文書」(p.6)と前口上を述べたうえで、アメリカ独立宣言(1976.07)の一部の原文と邦訳文を掲載している。そのまた一部は次のとおり(邦訳文の中に原語を挿む)。
 「われわれは、次のような諸原理は自明だと考える。…すべて人間は平等に作られ(created eaqual)、それぞれ造物主(Creator)によって譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている(endowed)」。
 endowは「賦与する」でもあるので、<天賦人権>論が宣明されている、と言える。
 このあと「一定の権利」として「生命、自由および幸福の追求」が例示される。現日本国憲法13条第二文の淵源はこれだ。13条第二文参照-「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。
 さらに、「これらの権利を確保するために、…政府(国家)が作られる(instituted)」。ここでは「権利(不可譲の人権)」→「国家(政府)」という論理関係を示す考え方が示されている。
 二 日本国憲法は「基本的人権」を「この憲法が(日本)国民に保障する」もの(11条・97条)と書いて「憲法」→「人権」という考え方に立つようでもあるが、一方では「基本的人権」は「現在及び将来の国民」の「侵すことのできない永久の権利」であるとも書いている(11条・97条)。ここには、<生まれながらの=憲法前の=自然権としての>人権という考え方の影響が看取できるだろう。
 だが、社会契約説的な、自然の「権利(人権)」→それを保護するための「国家」という考え方は日本人と日本「国家」にとって、たやすく理解し納得できるものだろうか。
 なお、フランス人権宣言(1789.08)の前文等には、「生まれながらの」、「自然」の(「市民」の)」「権利」が語られている。

 まわりくどくなったが、要するに書いておきたいのは、「造物主(Creator)」なる絶対神又は一神教を前提とすると見られる観念は日本に存在せず、「天」という概念で誤魔化してみても、一神教的「神」=「造物主」観念を前提とする、「造物主」により賦与された「権利」(人権)→「国家」という説明は、日本と日本人にはそもそも馴染まない、(厳密には大多数の)日本人にはそもそも理解不能な概念を用いた、理解不能の説明にしかならないのではないか、ということだ。
 戦後の<進歩的>憲法学者たちは、この点(要するに近代「欧米」の「人権」観念はキリスト教又はそこでの「神」が背景にあること)に目をつむって、<生まれながらの=憲法前の=自然法上の>権利という<美しい>?物語のみを語ってきたのではないか。そうだとすると、「人権」観念・意識が日本人の「古層」的意識のレベルでは浸透しないことになるのも至極当然だと思える。
 三 マルクス主義を擁護してきた憲法学者たちは「反省」すべきだとソ連解体後に明記した、勇気ある憲法学者・阪本昌成の教科書、阪本昌成・憲法2/基本権クラシック(有信堂、2008/全訂第三版)を見てみると、p.11にはこうある。
 アメリカ「独立宣言」は「人権思想の歴史的な流れ」からみたとき、「さほど重要な文書ではない」。「個々人」を「神の子」として想定しつつ「不可譲の人権の主体」との「自明の理」を「神学的様相」をもって述べた、「ピューリタニズムの人間像」の表明にとどまる、等々。
 (おそらくは)米軍(正確には連合国軍)占領下において(1950年に)、宮沢俊義はあえてアメリカ独立宣言について数頁を割いたのだったが、他の現在の憲法学の概説書類がどうかの詳細は知らないものの、阪本昌成に上のように書かれてしまうと、宮沢俊義がアメリカ独立宣言は「近代諸国のほとんどすべての憲法の基礎になっている政治原理の最も根本的なものを表明した」、世界史上「非常に重要な文書」だと書いたことが、白々しく感じられる。
 アメリカ独立宣言の位置づけはともかくとしても、「国家」・「国民」・「人権(基本権)」等の概念関係の問題はこの欄ではほとんど何も言及していないに等しい。<社会契約説>も含めて、この基本的問題に(も)関心をもって憲法等々に関する本を(も)読んでみたい。

0613/宮沢俊義・憲法入門(勁草書房)は占領下が第一版。1945年秋の宮沢発言。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房)は、前回に書いたように、いわば<ごった煮「民主主義」観>とでも言えるものを示している。自由主義・個人主義といった多少とも実体的・内容的な価値をもつものと元来は手続的・形式的価値を示す概念だと考えられる「民主主義」とが一括され、混淆されている(「実体的・内容的」と「手続的・形式的」の区別の意味がむろん問題りなりうるが、ここでは立ち入らない)。
 この本の発行年にあらためて着目すると、第一版は1950年、つまり講和条約締結・発効前の、GHQによる<占領>下だ。
 その後の改訂を数次経ているが、おそらく宮沢俊義による「民主主義」(あるいはこれと他の主義・原理との関係)の説明は、<再独立>後も全くか又はほとんど変わっていないものと思われる。
 つまりは、<占領>下で得ていた「民主主義」観をその後もずっともち続けてきたわけだ。
 ところで、言うまでもなく、<占領>下とは、言論・出版の自由は、そして正確には学問・研究の自由も、厳密にいえば全き姿では保障されておらず、GHQが、先の戦争についての<民主主義対(日本)軍国主義>、より一般的には<民主主義対ファシズム>の闘いという見方、歴史観を大々的に(種々の方策を通じて)植えつけようとした時代だった。
 そのような時代の、とくにGHQ的な「民主主義」観に、あるいはGHQによる「民主主義」の説明に、宮沢俊義は全く影響を受けなかったのだろうか。
 影響を受けたかどうかは別としても、宮沢が<占領>下で出した本をおそらく基本的な内容自体は変えることなく出版しつづけた、<占領>下での説明の仕方を変えようとはしなかった、ということにさしあたり注目しておきたい。
 二 ところで、西修・日本国憲法を考える(文春新書、1999)p.33によると、1945年10月01日、東京(帝国?)大学教授兼貴族院議員だった宮沢俊義は、貴族院帝国憲法改正案特別委員会の席上で、「憲法全体が自発的に出来ているものではない。重大なことを失った後でここで頑張ったところで、そう得るところはなく、多少とも自主性をもってやったという自己欺瞞にすぎない」と発言した(この会の筆記要旨は1996年にはじめて公開されたようだ-秋月)。
 また、
同書p.45によると、宮沢俊義は、1945年09月28日に外務省で、「大日本帝国憲法は、民主主義を否定していない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はしない。部分的に改めるだけで十分である」という趣旨を述べた。
 宮沢俊義が<八月革命>説を説いたのは、これらよりのち、1946年になってからだ。そして、新憲法の成立・施行後は熱心な「護憲」論者になった。西修の言を借りると、「護憲団体たる憲法研究会(会長、大内兵衛元東大教授)の重要なメンバーであったし、その著述・論文のたぐいは、すべて護憲に彩られたものであった」(p.33-34)。
 三 戦前・占領期・主権回復後のそれぞれについて、かつ占領期については細かな時期ごとに、宮沢俊義の発言・著作類は精査されてよいだろう。
 当時の東京大学法学部憲法担当教授の<権威>は相当なものだっただろうし、何よりもこの宮沢俊義の指導を受けた者たちが東京大学の憲法講座を継承し、さらにおそらくはさらに次の今日の世代へも影響を与えていると推察されるからだ。また、東京大学の地位からして、同大学出身者が教授・助教授となった全国の大学法学部をも含む憲法学界において、戦後最初に最大の影響力をもったのは宮沢俊義であり、その影響は結果として今日にまでも及んでいると推察されるからだ。
 そのような意味でも、今後も宮沢俊義に触れることがあるだろう。

0586/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その4

 四 佐伯啓思・アダム・スミスの誤算-幻想のグローバル資本主義(上)(PHP新書、1999)より。
 本筋の中の枝葉的記述の中で佐伯啓思は「個人」に触れている。ヨーロッパ的と限るにせよ、ルソー的「個人」像を、ましてやルソー=ジャコバン型「個人」を理念又は典型としてであれ<ヨーロッパ近代に普遍的>なものと理解するのは危険であり、むしろ誤謬かと思われる。
 「スミスにとっては、たとえばカントが想定したような『確かな主体』としての個人というようなものは存在しない」。「確かな」というのは「自らのうちに普遍的な道徳的基準をもち、個人として自立し完結した存在としての」個人という意味だが、かかる「主体としての個人」が存在すれば「社会はただ個人の集まりにすぎなくなる」。「だが、実際にはそうではない」。「個人が決して自立した『確かな存在』ではありえないからだ」。/
 「自立した責任をもつ個人などという観念は、せいぜい近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎないのであって、それは永遠の錯覚にしかすぎないだろう。だが、だからこそ、つまり…、個人がきわめて不確かなものだからこそ社会が意味をもってくるのだ」。/(以上、p.68)
 スミスの友人・「ヒュームが的確に述べたように、『わたし』というような確かなものは存在しない」。「わたし」は、絶えずさまざまなものを「知覚し、経験し、ある種の情念をも」つことを「繰り返している何か」にすぎない。われわれは外界から種々の「刺激をえ、それを一定の知覚にまとめる」のだが、それは「次々と継続的に起こること」で、「この知覚に前もって確かな『自我』というものがあるわけではない」。/(p.69)
 以上。樋口陽一およびその他の多くの憲法学者のもつ「個人」像、憲法が前提とし、最大の尊重の対象としていると説かれる「個人」なるものは、「近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎない」、そして「永遠の錯覚にしかすぎない」のではないか。錯覚とは<妄想>と言い換えてもよい。
 イギリス(・スコットランド)のコーク、スミス、ヒュームらを無視して<ヨーロッパ近代に普遍的な>「個人」像を語ることができるのか、語ってよいのか、という問題もある。樋口陽一は(少なくともほとんど)無視しているからだ。

0583/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ―その6・思想としての「個人」・「個人主義」・「個人の自由」

 樋口陽一の文章をあらためていつか再引用してもよいが、樋口陽一その他大勢の憲法学者の「人権」 論の基礎にはその主体としての(自由なかつ自律した)「個人」があり、それを(又はその「尊厳」を)尊重するということが憲法の最も枢要な原理とされる。だが、そのような、個々の自然人たる(アトムとしての)「個人」が(社会)契約によって国家を構成しそれと対峙する、というイメージ自体が、一つの「思想」であり、一つのイデオロギーだろう。
 以下、何回か、<個人主義>を批判又は疑問視する文章の引用のみを続ける。
 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)。
 欧州の元来の定義「ブルジョアジー」がそうであるように「市民」は「まず財産主」であり、それを守るための「安定した社会秩序」を必要とし、「社会秩序の維持」のためには「公共の事柄」への義務・責任を負った。この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」、「日々の経験」、「人々との会話」、「読書」、「芸術」が与えた。/
 「人は、こうしたものを、いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として、身につけることはできない。近隣、家族、友人たち、教会、それに国家、それらを広義の『共同体』と呼んでおくと、様々なレベルでの『共同体』と一切無縁に、人は価値や判断力を身につけることはできない」。/
 近代社会は「封建的」共同体からの「個人の解放」を促し、「通俗的には、共同体からの個人の解放こそが『個人主義』の成立であり、それこそが近代リベラリズムの条件だ」と理解されている。「しかし、これは基本的な誤解であるか、あるいは少なくとも事態の半面を見ているにすぎない。事実上、一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえないし、また仮にありえたとしても、彼は、どのようにして、社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在を学ぶのだろうか。通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の『権利』をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」/
 「しかし、ロジカルにいっても、何の価値や判断力も、さらには恐らく理性さえまだ学んでいない、『無』の個人からどのようにして権利をもち、社会のルールについて判断力をもった個人が生まれるというのだろうか」。
 以上、上掲書p.57-58。
 樋口陽一における<視野狭窄>性・<観念>性・<通俗>性の指摘は、ほとんど上で尽きている。
 (この項、つづく。)

0575/樋口陽一のデマ4-「社会主義」は「必要不可欠の貢献」をした(1989.11)。

 樋口陽一が自らマルクス主義者又は親マルクス主義者であることを明らかにしていなくとも、実質的・客観的にみて少なくとも親マルクス主義者・「容共」主義者であることはすでに言及したことがある。今後も、その例証は少なくないので、紹介していく。今回もその一つだ。
 1989年11月という微妙な時期に刊行されている樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)は、ルソー=ジャコバン型個人主義モデル(=「一七九三年」)(例えば、中間団体の保護なしに国家と裸で=直接に対峙できる「強い」個人)を経由する必要性を強調し、マルクス主義的概念を使ってフランス革命期の社会を説明し、またマルクスの文献の一部を肯定的に言及していた。
 この本の中に、看過できない叙述があることに気づいた。執筆時点ではソ連はまだ解体していないが、東欧諸国の<民主化>は進み、変化の予兆が明確に現れてきていたと思われる。樋口陽一は次のように「社会主義」について書いている(以下、p.191)。
 西欧の資本主義は「社会主義という根本的な異議申立ての思想と運動を自分のなかに抱えることによって、結果として自分自身を強いものにしてきた。/『社会主義とは、資本主義から資本主義に至る、長い道のり…』との警句がある。この言葉は…〔こう言った人の意図を超えた-秋月〕意味をもつだろう。西側の国々で、社会主義は、かつての『資本主義』が、もう一つの『資本主義』に変わってくるのに、必要不可欠な貢献をしたのだから」。
 あまりに明瞭な「社会主義」親近感の吐露に唖然とするばかりだ。樋口陽一において、社会主義とは、西欧資本主義を「強いもの」にするのに役立ち、新しい(もう一つの)資本主義に変化するのに「必要不可欠の貢献」をしたものとして把握されている。
 ソ連の解体、ロシアの資本主義国として再出発のあとではひょっとして異なる書き方になったとも思われるが、それにしても1989年11月の時点で、「社会主義」に対する批判的・消極的な評価が樋口陽一においては何もないのだ。しかもこの本は、ソ連の解体、ロシアの資本主義国として再出発、東西ドイツの統合(資本主義・西ドイツによる社会主義・東ドイツの吸収)のあとでも(つまり欧州での<冷戦>終了後でも)、出版され続けた(私が所持しているのは、14刷、1996年)。
 恥ずかしいとは感じないのだろうか。ソ連圏の人びとに対する1917年から70年以上の間の<人権抑圧>、場合によっては政府による<反体制分子>とのレッテル貼りによる<生命剥奪>は、人類の歴史にとって「必要不可欠」だった、と書いているのと殆ど同じだ(なお、アジアも含めると、既述のとおり、<共産主義>の犠牲者=被殺戮者は1億人程度になる)。
 こういう人が憲法学界の代表者の一人だったことをあらためて確認しておく必要があり、かつまた<怖ろしく>感じる必要がある。

0571/憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ-たぶんその1。

 デマというのは、扇動的・謀略的な悪宣伝や自己(又は自分たち)のための虚偽の悪口・批判を意味するのだろう。かかる行為をする者のことをデマゴーグという。
 憲法学者・樋口陽一(1934年生。東北大学→東京大学→早稲田大学)の言説の中には、ここでの「デマ」に当たると見られるものがある。
 上の意味よりはもっと緩やかに、従って厳密さは欠くが、虚偽の事実を述べたり、誤った見解を適切であるかの如く主張することも<デマ>と理解し、そのようなデマを発する者を<デマゴーグ>と呼ぶとすると、樋口陽一は立派な<デマゴーグ>だ。
 樋口陽一が書いたものへの批判的言及はこれまでに何度もしてきた。今後は、重複を避けつつ、<デマ>・<デマゴーグ>という言葉を使って、この人の奇妙又は奇矯な言い分を紹介的にメモ書きする。
 <デマ1> ①樋口陽一・ほんとうの自由社会とは-憲法にてらして-(岩波ブックレット、1990.07)p.33-「戦前の日本では、天皇制国家と家族制度という二つの重圧(『忠』と『孝』)が、…個人の尊厳を、がんじがらめにしてしまいました」。
 ②樋口陽一・自由と国家-いま「憲法」のもつ意味-(岩波新書、1989.11)p.168~9-明治憲法下の日本では「『家』が、国家権力に対する身分制的自由の楯としての役目を果たすよりは、国家権力の支配を伝達する、いわば下請け機構としてはたらくことになった」。「ヨーロッパの近代個人主義が家長個人主義として出発し、家が公権力からの自由を確保する楯という役割をひきうけたのと比べて、日本の『家』の極端なちがいは、どう説明できるのだろうか」。
 日本の戦前の家(家族)制度とそれのヨーロッパ近代のそれとの差違をかくも単純に言い切ってしまっている、ということ自体に、すでに<デマ>が含まれている、と理解して殆ど間違いない。
 樋口陽一は、本来は各分野かつ各国に関する専門家の研究の蓄積をきちんとふまえて発言すべきところを、ブックレットや新書だから構わないと思っているわけでもないだろうが、じつに簡単に断定的な決めつけを-上の点に限らず随所で-行っている。憲法学者とは殆どが、かくも傲慢なものなのか。

0503/松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社)は丸山真男批判、等。

 〇記していなかったが、たぶん3月から松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社、2003)を読んでいて、5/11夜に少し増えてp.125まで、半分強を読了した。この本の帯には「…研究者の軌跡!」とか「丸山真男の軌跡!」とか(売らんがために?)書いているが、この本は、丸山真男批判の書物だ。
 丸山真男を<進歩的文化人>として尊敬している、又は<幻想>を持っている<左翼的>な人々は、この本や、たぶん既述の、竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)、水谷三公・丸山真男―ある時代の肖像(ちくま新書、1999)あたりを読むとよい。
 〇飯田経夫・日本の反省(PHP新書、1996)の第六章「『飽食のハードル』への挑戦」、第七章「真の『豊かさ』とは何か」(と「あとがき」)を5/11に読んだ。第三章と合わせて全体の1/3くらいを読了か。著者の意図はともかく、あまり元気が出てくる、将来展望が湧き出てくる話ではない。1996年の本だが、脈絡を無視して引用すれば、こんな言葉がある。
 ・「要するに人びとは、現状に満足し、『これでいい』と言っているのである。そして、現状を変更したくはないのではないか」(p.170)。
 ・「ある社会がピークに到達し、それを通りすぎた後には、『社会のレベル』の低下が、万人の予想を裏切るほどだという事実が、どうやらある…」(p.176)。
 ・「まさに戦争に敗れたという事実そのものが、日本人から魂を抜き去り、…私たちを腑抜けにしてしまったのかもしれない」(p.185-6)。
 以下は、「個人の解放」(個人の尊重)が<究極の価値>だと明言していた憲法学者・樋口陽一に読んでもらいたい。
 ・「それ〔日本的経営の人間関係〕は、…個人主義ではない。だが、はたして個人ないし『個』が、それほど絶対の存在であろうか。それを絶対と信じるアメリカ人は、はたして『よき社会』をつくることに成功しただろうか。また、はたして個人のひとりひとりが、とくに幸せであろうか」(p.179)。
 樋口陽一に限らず、殆どの憲法学者がいう「個人主義」・「個人的自由」は、戦前の<国家主義>又は「個人的自由」の制限に対する反省又は反発を、過度にかつ時代錯誤的に<引き摺り>すぎている、と思う。
 〇佐伯啓思・学問の力(NTT出版)はたぶん5/10にp.260まで読んで、あとわずか20頁ほどになった。この本についても、感想は多い。
 〇他に、まだ読みかけの本や、月刊雑誌を買ったが読んでいない収載論考があるはずだが、ただちに思い出せない。今、浅羽通明・昭和三十年代主義―もう成長しない日本(幻冬舎、2008)を思い出した。少しは頁数を延ばしている。
 阪本昌成・法の支配-オーストリア学派の自由論と国家論(勁草書房、2006)と佐伯啓思・隠された思考―市場経済のメタフィジックス(筑摩書房、1985)は、途中で止まったきりだ……。

0494/日本にとって伊勢神宮とは何か。三種の神器が私(宗教)法人に在ってよいのか。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11)という計80頁の小さな本がある。「はしがき」実質3頁、「日本国家にとって『神宮』とは何か」実質5頁、「神宮制度是正問題」実質63頁、「あとがき」実質3頁。
 最も長い「神宮制度是正問題」を未読だが、その前の書名と同名の章の中に、私にはすでに刺激的な文章がある。
 第一。そもそも「式年遷宮」について、日本国民の何%が知っているだろうか。若い世代ほど知らないに違いない。かく言う私もいつ知ったのかを書くことが憚られる。
 上の本p.6-7は前回・1993年の「式年遷宮」のうち内宮の遷御について書く。-「実況をするのは三重テレビだけで、NHKほか民放はニュースですませ、実況を映すのは、…消灯した十一時台だという。/…これでは国民的関心といふ点からは『無視』に近い――と言えば言ひ過ぎだろうか」。
 (伊勢)神宮の「式年遷宮」は一宗教法人(一私人)の行為で長時間の生中継などすれば<政教分離原則>に反して公平でないし、また神道以外の宗教関係者や「左翼」的立場から天皇制度(と伊勢神宮の関係)に批判的な者たちからのクレームが多数寄せられそうだ、というようなマスコミ(・テレビ)関係者の<思考>・<思惑>を推測することができる。
 だが、伊勢神宮の「式年遷宮」は一宗教法人の「私的」行為なのか? いつぞやも書いたように正確には天皇(・皇室)の祭祀行為の一つと考えられ、少なくとも天皇(・皇室)と密接不可分の行事(祭事)であることは明らかだ。そして、現憲法上も、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の<象徴>ではないのか。とすると、一宗教法人の「私的」行為の如き扱いをするのは決定的に間違っているのではないのか、という問題関心が再び強く蘇ってくる。
 第二。既述のことだが、三種の神器のうち「鏡」(宝鏡・神鏡)の本体(本物)は伊勢神宮に存置されている(「剣」は熱田神宮)。そして、これも園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)に主として即して既に記したが、皇室経済法により、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の代表的又は最も貴重な?物として、三種の神器は天皇(家)の「私物」=「私有財産」とされている。
 これらを前提として、上の本p.8-9は以下の旨を書く。-そのような貴重な天皇(家)の財産の一つを、伊勢神宮という一宗教法人に<預けて>よいのか? より正確に引用すると-「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」。
 たしかにこれはもっともな感想・疑問・主張だ。基本的な問題の出発点は、<天皇制度>と密接不可分の神道が他の宗教と同レベルの<宗教>と見なされつつ、一方で憲法上も<天皇制度>は厳としてなお存続している、ということにある。
 なお、上の問いを伊勢神宮・式年遷宮奉賛会・神社本庁の三者名義で宮内庁に正式に発しようとしたところ、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」という(p.9)。この本は初版が1995年だが、現在の2008年でも、問題は何ら解決・改善されておらず、宮内庁の態度も上のようなものではないかと推察される。
 このような状態でよいのか。憲法学者の殆どが、現在の自衛隊の装備・「戦力」や東アジアの軍事情勢を知らないままで憲法九条を論じているように、憲法学者の殆どは、天皇(・皇室)と伊勢神宮(等)との間の密接不可分さの歴史・現況の詳細を知らないままで、憲法20条・政教分離を論じているのではないか。
 次回の式年遷宮は2013年であと5年後。鎮地祭(一般の地鎮祭にあたるもの)が行われた、という小さな記事が載っているのを、産経新聞では見た。

0377/マスコミは小沢の新テロ法違憲論・民主党論にどう対応したか。

 新テロ対策特措法に民主党は反対したのだったが、その反対の理由は、少なくとも小沢一郎代表によるかぎり、その法案の内容が<憲法違反(違憲)>だから、というものだった。
 小沢の何かの本又はどこかの新聞又は雑誌の発言中に詳しく語られているのかもしれないが、新テロ対策特措法(案)のどういう部分が憲法(前文も含めてもよい)のどの条項のどの部分に違反する、あるいはそうした条項に示されているどのような基本理念又は基本原則に違反するのか、私はきちんと報道した新聞を読んだことがなく、NHKを含む放送局で聞いたこともない。
 法律案をめぐる対立はしばしばあるだろうが、また、あって当然だろうが、ある法案への反対理由が<憲法違反(違憲)>だからだと野党第一党の党首が主張する場合が頻繁にあるとは思えない。通常は政策の合理性・明確性・(特定の層にとっての)利益性・不利益性等が争点になるのであり、<違憲>だからと言ってしまえば、そうした議論は全て不要になる、<切り札>的な反対理由なのだ。
 そうした重大な反対理由を主張したにもかかわらず、その具体的な趣旨・内容が広く知られなかった、ということはきわめて異様だった、と思われる。
 テレビを含むマスメディアは、上の点をきちんと報道しなかったし、詮索しようともしなかったかに見える。
 小沢の<違憲論>が憲法解釈として真っ当又は適切なものかどうかについて、<専門の>憲法学者が議論したり、コメントを加えても何ら不思議ではないとも考えるが、そのような例は、マスメディア上では全く又はほとんどなかったのではないか(一面では、憲法学者の感覚の<鈍さ>も感じるが)。
 マスメディアにおける憲法に関する議論のこのような<軽さ>あるいは<いいかげんな>扱い方は、本当はきわめて異様なのではないだろうか。野党第一党の党首たる政治家の<違憲論>が、<軽く>聞き流す程度に扱われたように見える。
 小沢の<違憲論>に賛成して書いているわけではない(そもそもその具体的内容がよく分からない)。重大・重要であるはずの意見、よく言えば<問題提起>、をきちんと受けとめる感覚がはたして日本のマスメディアにあったのか、ということを疑問視したいのだ。
 以下は、やや別のテーマになるが、マスメディアの問題に関する点では同じだ。
 小沢といえば、自党の役員たちが<大連立>構想に反対して代表を辞めると言い出したとき、昨年の参院選挙の際には<政権交替への1ステップに>とか言っていたはずなのに、<民主党にはまだ政権担当能力がない>と批判してみせた。しかるに、翻意して代表の座にとどまるや、次期衆議院選挙で<政権交替を>と訴えているようだ。この<変心ぶり>・<言い分の変化>は彼の政治家としての資質を問題にしうるものでありうるが、しかし、マスメディアが厳しく批判した、という印象はない。朝日新聞も、少なくとも、安倍前首相の発言等に比較すれば、はるかに寛大に、はるかに優しく、報道しているだろう。
 野党第一党の代表という政治家の「発言」の移ろい=一貫性のなさに対する、このマスメディアの感覚の<鈍さ>あるいは<いいかげんさ>はいったい、どこから来ているのだろう。
 マスコミについては、不思議に思うことが最近もたくさんある。理論も理屈も、国益も公益も、将来の「日本」も関係がない、ただ当面の<政局>・<政争>にのみ関心をもっている政治記者が多すぎるのではないか。

0373/まだ丸山真男のように「自立した個人の確立」を強調する必要があるのか。

 昨年の4/16のエントリーの一部でこう書いた。
 「昨年に読んだ本なので言及したことはなかったが、いずれも1997年刊の佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス)、同・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問い直す(PHP新書)は「戦後」・「民主主義」を考えさせてくれる知的刺激に満ちた本だった」。
 これらの具体的内容は紹介していないが、佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)も、ほぼ同時期の「知的刺激に満ちた本」として挙げておく必要がある(他にもあるだろう)。
 この本のある程度詳細な内容紹介をする意図も余裕もなく、メモ程度になる。
 p.181以下が書名と同じ「現代日本のイデオロギー」との論文だが(月刊正論1997.01~06初出)、戦後日本の「進歩」主義、丸山真男・大塚久雄らの「進歩的」文化人・知識人(大江健三郎を筆頭に?その片割れ又は後裔は現今でもまだ跋扈している)の思想・思考の(「トリック」(p.198)を含む)論理構造を分析・剔抉(てっけつ)していて、面白く、有意義なものとして読める。
 もともと佐伯啓思は上掲の現代民主主義の病理の中に「丸山真男とは何だったのか」という節を設けていて(こちらの本のp.74以下)、こちらの方が詳しいかもしれない。
 講談社の本による佐伯の表現によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった(p.197-8)。
 NHKブックスによる佐伯の叙述によれば、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった(p.74-75)。
 陳腐な内容の引用になったかもしれないが、書きたいことは以下のことだ。
 私自身が確認したのではないが、この欄でも言及したことがあるように、八木秀次によれば、憲法学者の佐藤幸治は、行政改革会議答申(省庁再編に具体的にはつながった)の中で、<自立した個人の確立>の必要性を強調していた(記憶に頼っているので微細な表現の違いがあるだろうことはご容赦いただきたい。次の段も同じ)。
 また、私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさしは、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた。
 書きたいことは容易にわかるものと思われる。憲法学者の佐藤幸治も樋口陽一も、―この二人は学界でも相当に有力な二名のはずだが―丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に(疑いをおそらく何ら抱くことなく)とどまっている、ということだ。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。
 すなわち、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 佐藤や樋口が明言しているわけではないが、有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないかと思われる。
 縷々論じる能力と余裕はないが、憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 だとすれば(仮定形を続けるが)、<日本的なもの・日本の問題>に大きな関心を向けることなく、高校以下の学校教員を通してであれ国民に一定の<イズム>を<空気>のごとく押しつけてきた戦後憲法学の専門家たち(知識人・文化人)の責任も―一部の人にとっては主観的には善意に行われたとしても、その<行きすぎ>の弊害をもたらした結果に対して―また大きいものと思われる。

0372/棟居快行と読売新聞が「フランス革命」に言及。

 読売新聞1/05朝刊の「この国をどうする4」で憲法学者(大阪大学)の棟居快行が語っている。
 <「個人の能力」の解放と「組織的な強み」の両方が日本には必要。「個人の尊重」と「社会の公正」のどちらを重視するかを政党は示すべきだし、両者の「調和」をどこに見出すかで「憲法秩序」を語った方がよい。
 衆院と参院での「国民」の反応の違いの背景の指摘も含めて、上の指摘に大きな異論はない。当たり前のことを語っているにすぎないとすら言える。
 関心を惹いたのは次の部分だ。
 「『自由と平等』というフランス革命的なカードではなくて、もう少し現代の日本にあわせたカードで…切り分けた」方が、「二大政党にうまく移行できる」。
 後段の「二大政党」うんぬんはともかくとして、「フランス革命的なカード」ではない「もう少し現代の日本にあわせたカード」で切り分ける必要を説いている。
 この点にもとくに反対はしない。
 問題は次のことだ。すなわち、「自由と平等」という「フランス革命的なカード」ではダメ(少なくともそれだけではダメ)だということくらいは、とっくに明らかなことではないのか
 日本国憲法施行後すでに60年経った。1989年からでも20年めを迎えた。憲法学界はこれまでずっと、「自由と平等」という「フランス革命的なカード」で、あるいは広くとっても<欧米思想系>のカード、によってのみ切り分けた議論をしてきたのだろうか。
 日本について、そして、日本国憲法について、「もう少し現代の日本にあわせた」カードでの議論をすべきことは、至極当然のことではないか。
 棟居快行を非難するつもりはないが、上のような言葉が、さも新鮮なこととして語られるような風潮があるように見られること自体が、フランス「革命」思想あるいは<欧米系思想>に依拠してしか議論をしていない(むろん一部の例外はあるだろうが)かの如く見える憲法学界の異様さを示しているようだ(と私は感じる)。
 ついでに、読売新聞は同欄の「フランス革命」という語に注釈をつけ、「フランスの民衆が1789年に決起し、絶対王政を打倒した革命」、とまず定義づけている。こうした何気ない解説部分にも、朝日新聞に比べれば<保守的>と言われる読売においてすら、戦後日本が依拠した<フランス革命幻想>が浸透していることが、鮮明に示されている。
 読売のこの部分の(きっと安直な辞典類でも一瞥したのだろう)執筆者に尋ねたいが、上にいう「民衆」とは何か。「ブルジョア革命」との通説に従ってすら、主体とされる「ブルジョアジー」と当時にすでに存在した「民衆」を区別することはできる。前者も後者の語の中に含めているつもりだろうが、そのような「民衆」概念の用法は誤解を招くだろう。通説に従ってすら、「市民(ブルジョア)革命」と「民衆革命」とは別の筈であって、フランス革命は前者ではないのか?(<絶対王政打倒>との従来の支配的理解にも異論が出てきているがこの点には立ち入らない。)
 さらに言うと、読売新聞の「フランス革命」の注釈者は「フランス人権宣言一条」は「各国憲法に大きな影響を与えた」、とも書いている。その事実自体を否定するつもりはとりあえずないが、「人権宣言」などはただの紙切れ上の言葉にすぎない。フランスでそこに書かれたことがいちおうにせよ現実に達成されたのはいつだったのか?
 かつてのソビエト憲法にだって現在の北朝鮮憲法にだって、言葉としては立派なことが書かれていたし、書かれてある。
 当たり前のことだが、言葉(理念またはウソと知りつつ掲げる理想)と現実とは異なる。このことを読売の一記者には知ってほしいものだ。
 また、上に見られるが如く、一定の<フランス革命のイメージ>が牢固にすでに完成されているように見え、数千万の読者にそれがバラ撒かれているのは、怖ろしいことだ。

0335/愛敬浩二・改憲問題(ちくま新書)。

 愛敬浩二・改憲問題(ちくま新書)につき、宮崎哲弥は言う。
 同・1冊で1000冊(新潮社、2006.11)p.282-3→「現行憲法の制定時の日本に言論の自由があったって? 改憲はいままでタブー視されたことがなかったって? 九条改定で日本が「普通でない国家」になるだって? もう、突っ込みどころ満載」。
 同・新書365冊(朝日新書(古書)、2006.10)p.344-5→「左翼リベラル派の「癒し」路線を狙って失敗」、「頭が悪く見える『護憲』本の代表。現行憲法の制定時の日本に言論の自由があっただの、改憲がいままでタブー視されたことがなかっただの、九条を改定すると日本が「普通でない国家」になるだの、とても真っ当な学者の書とは思えない世迷い言のオンパレード」。
 宮崎がこうまで書いていると、所持していても愛敬のこの本を読む気はなくなる。
 日本共産党員又はそのシンパが日本共産党とその支持者にわかる論理と概念を使った<仲間うち>のための本を書いても、全社会的には通用しないことの見本なのではないか。
 愛敬は「とても真っ当な学者の書とは思えない世迷い言のオンパレード」と自書を批判されて、今度は朝日新書あたりで再挑戦する勇気と能力がある人物なのかどうか。

0267/<処世の手段>としての「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員。

 前回書いたように大学の社会系(歴史学を含む)学部の教員には「左翼」/マルクス主義者/マルクス・シンパが多いとすれば、これまでの企業の多くの大学卒業者の採用の仕方は適切なものだったといえるかもしれない。
 企業が18~19歳時点の特定の能力によって決まる出身大学の名前にのみ関心をもち、大学でどれだけ真面目に勉強したのかを示す大学での成績を考慮しないで採用し、入社してから「鍛える」という傾向を批判する向きもあった(今もあるだろう)。だが、「左翼」的教員の多い大学・学部では、真面目にきちんと勉強すればするほど「左翼」的理論・知識・心性の学生が育つに違いないだろう。ここで「左翼」的とは大まかには親社会主義・反資本主義、闘争・対立好み、「個性」重視・反秩序を意味させておく。
 前回紹介の諸発言はどの程度一般化できるかは厳密には問題で、大学、学部又は学問分野、教員個人によって様々ではあるはずだ。しかし、概してではあれ、大学又は学界では当然のこと又は中立・中間的なことと大学教員が考えていることは、世間一般の尺度に照らすと<だいぶ左にズレている>とは言えるのではないかと思われる。
 典型的には(マルクス主義経済学界を別にすれば)、勝手に推測すれば、マルクス主義者又はそれへの親近者が多いのは(当然に日本共産党員も多いのは)、日本史学界、次に、法学界の中の憲法学界ではあるまいか。
 また、これらの学界に限らず、「左」派であること、さらに日本共産党員であることが、大学就職や変更に有利に働く(!)ことがあるに違いない。
 前回に触れたように指導教授が誰か(どういう<思想傾向>か)によって大学院学生の就職が不利になることがありうることは、逆に指導教授の<思想傾向>のおかげで就職や大学の移動が有利になる大学院学生や若手の大学教員がいることを示している。
 とすれば、就職や所属大学の変更を有利にするために、自らの<思想傾向>を選択する者が発生しても全く不思議ではない。
 旧ソ連等の旧社会主義国や現在の中国や北朝鮮では共産党員であることが<エリート>である(となる)ための条件のはずだ(だった)。
 そのような過去及び現在の国々におけると同様に、日本の一部の世界では、「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員であることは、一つの<処世の手段>あるいは<立身出世の手段>になっている(あるいは少なくとも、なりうる)と言ってよいだろう。
 むろん、資本主義経済のもとでの私企業ではそんなことはない。だが、大学という「特殊」な世界の社会系学問分野では、すべての分野と言うつもりはないが、上のようなことが現実にも生じている、と推察される。このようにマルクス主義への甘さが残ったままの社会が一部にせよあるというのも、一つの<戦後レジーム>の徴表ではないか。マルクス主義者・日本共産党員たちが<戦後レジーム>を壊されたくないのは当然のことだ。

0160/ジュリスト1334号巻頭座談会を読む-蟻川恒正に学者の資格はない。

 5/18の午前中に自分で予告したことに拘束される謂われはないのだが、面倒と思いつつも、ジュリスト1334号・特集日本国憲法60年(有斐閣)の冒頭の、佐藤幸治・高橋和之・棟居快行・蟻川恒正の座談会記事を読み終えた。
 「憲法60年」を実質的に1990年代以降に限っても結構だが、「憲法」の「現状と課題」ではなく、(1990年代以降の)「憲法学」の「現状と課題」を話題にしてほしかったものだ。その観点からは、きわめて物足りない。
 また、私自身がよく分からず退屈を感じるところもあるのだが、「憲法」の「現状と課題」というテーマであるとしても、まとまりが悪い。
 せっかく佐藤や高橋が<批判のみならず構築も>という話をしているのに、蟻川が佐藤の説に関連して刑事・裁判員制度への疑問というスジ違いと思われる発言をしたり、高橋和之の主張らしい「国民内閣制」の議論への疑問をやはり蟻川が述べたりして論点を拡散させており、前半のまとまりの悪さは主として蟻川恒正の責任だろう。
 また、佐藤幸治(元京都大学)は橋本内閣の行政改革会議や小泉内閣の司法制度改革審議会の委員の経験があるのに対して他の3名はもっぱら書斎派?のようで、「迫力」又は「格」で見劣りがする(但し、佐藤も自らの経験を語りすぎているきらいがある)。
 そして、<構築>も大切とする高橋和之の「国民内閣制」論はたんなる批判ではないと自負されており、他の者もそれを否定していないようだが、もともとその議論の内容を私が知らないためか、いかほどに現実に影響を与えたかはさっぱり解らない(結局は学者が何か言っただけ、に終わっているのではないか)。
 高橋和之はなおかつ、最後にこうも言う。-「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」。(p.36)
 私はこの発言をやや奇異に感じた。批判の対象は実際の「憲法状況」(憲法現実)なのだろう。そして、憲法学者・研究者が「憲法現実」との間に緊張関係を持っているべきだ、との程度なら理解できなくはない。しかし、社会系の学者・研究者の姿勢は一般に現実への<批判が出発点>なのかどうか。<批判が出発点>という考え方自体がすでに一つの<政治的>立場なのではないか。つまり、むろん個々の憲法状況・憲法現実によって異なりうるのだが、「現実」の動向を<支持し又は促進>しようとするのも、すでにそれも一つの<政治的>立場あるとしても、一般論としてはとってよい学者・研究者の姿勢なのではないか。
 何げなく語られる、この前東京大学教授の言葉に、影響力が強い筈のこの人を含む憲法学界の雰囲気の一端を感じた。
 この高橋は芦部信喜・憲法(岩波書店)の補訂者として名を出しているので、故芦部信喜が指導教授だったものと思われる。芦部信喜のこの概説書の憲法制定過程や九条に関する叙述を見ると、少なくとも体制側・政府側・権力者側には「批判的」だ。これらの側が作りだした(作りだしている)「憲法現実」に対して、高橋が「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」と言うのも、芦部「門下生」ならば当然だと納得しはする(賛成はしない)。
 もっとも、芦部や高橋が旧ソ連等の社会主義体制の「憲法現実」(そしてマルクス主義)に「批判」的だったかどうかは分からないが。
 すでに、樋口陽一を指導教授とする蟻川恒正が「護憲」派で親フェミニストらしいことは記したが、この推測(とくに前者)が当たっていることを、蟻川の次の発言は明瞭に示している。
 「安保と9条を共存させ続けていく」のは「すっきりしない態度」に見えるが、「すっきりしない曖昧さをどちらかに振り切ってしまうのではなく、すっきりしないけれども複雑なものを抱えて、時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家ではないか」。「曖昧さに耐えることができる者としての法律家が、今の時代、ますます必要なのではないか」。
 東京大学の長谷部恭男の説との類似性を感じさせるこの発言の背景には、憲法九条は「軍隊その他の戦力」の保持を禁止しているが軍隊もどきの自衛隊が現実にはあり、れっきとした軍隊(外国の)が日本国内に駐留しているという現実を容認したまま、かつ憲法九条の改正にも反対するという<苦衷>があるようにも見える。
 かりにそうならば、同情に値するが?、しかし、「時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家」だとはよく言ったものだ。同じことだが、「曖昧さに耐えることができる者としての法律家」
がますます必要とは、よく言ったものだ。
 私に言わせれば、この蟻川恒正は法律家「失格」だ。一般的に言っても複雑な事案から「曖昧さ」を抜き取り、法的に「すっきり
」させるのが、専門家としての法律家の仕事ではないのか。あるいは、複雑な込み入った種々の議論を論文等によって整理・分析して「曖昧さ」をなくして論点・争点を(場合によっては結論も)「すっきり」させるのが、法律に関する学者・研究者の仕事ではないのか。この人は何と<寝呆けた>ことを言っているのだろう。これで現役の東京大学教授とは、驚き、呆れる(先日の事件で東京大学法学部又は法学研究科がどういう処置をしたかは知らない)。
 この座談会は今年2/06に行われたようで、東京都国家伴奏拒否音楽教師事件の最高裁判決(2/27)の前なのだが、蟻川恒正は、日教組等の主張と同様に、通達・職務命令による学校教師に対する国歌の起立斉唱の「強制」(反対教師の処分)にも反対する発言もしている(引用しない。p.26-27)。
 その際に、「命令し制裁する権力から、調査し評価する権力へ、という形で、権力の在り方の変質を指摘できるのではないか」と、ひょっとして自分自身はシャレたことを言ったつもりかもしれないことを、述べている。
 こんな変質論は当たっていない。一般論として見ても、「権力」はとっくに、「命令し制裁」しもするし、「調査し評価」もしてきている。あるいはどちらの「権力」の契機又は要素もとっくに見出すことができる。この人は、1990年代以降の「教育」行政に関してのみしか知識がないのだろうか。
 というわけで、全体として面白く有意義な座談会では全くない。4名の責任だけでもないだろうが、日本の憲法学界の貧困さを改めて感じる。
 但し、4名のうち、棟居快行の発言はなかなか面白い。90年代以降の時代の変化の「認識」は、この人が最も鋭いと思われる。佐藤・高橋の「時代認識」はよく聞く、かなりありきたりのもので、蟻川となると、年齢が若いためか「時代認識」すらないようだ。
 それに、棟居快行は、私の問題関心に応えるような、次の発言もしている。
 「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」。
 これは重要な指摘で、よく分からないが、憲法学界全体が「危機感」を持つ必要があるのではないか。
 また、じつは私にはさっぱり意味が判らないのだが、棟居(むねすえ)にはこんな発言もある。
 議会重視・強化論は既に破綻した構想でないかとの高橋和之発言を受けて<一度もしていないので破綻もしていないのでないか>旨述べたあとで、こう言う。
 「むしろルソー的なものに対する憲法学全体のアレルギーがあるわけで、ルソー的なるものをシュミット的なものにすぐにつなげてしまって、それに対して我々の一種の恐怖心のようなものがあって封印している。そのぐらいなら護送船団的、調整的、多元的なケルゼン的というのか、そちらの方が安全牌だということでしょう」。
 ???で憲法学界は本当に「ルソー的なもの」への「アレルギー」があるのだろうか、カール・シュミットやケルゼンについての上のような言及の仕方は適切なのだろうかと思うのだが、しかし、阪本昌成と同様に(どう「同様」かは分からないが)憲法に関連する基本的「思想」・「主義」に関心をもち、知識もある憲法研究者がここにもいる、と知って喜ばしく思った。棟居快行(1955-)はネット情報によると、東京大学出身、神戸大学→成城大学→北海道大学→現在は大阪大学と、神戸大学時代にすでに「教授」であった後、渡り歩いて?いる。
 蟻川恒正の<素性>を確認できたことのほか、この棟居を発見?したのが、今回の読書の成果だった、と言っておこう。

0154/ジュリスト最新号(有斐閣)に見る日本の憲法学界。

 5/12の22時台のブログでその日の読売朝刊の橋本五郎による記事によって憲法学界の状況にコメントした。
 そこで言及されていたジュリスト最新号=1334号(5/1=5/15合併号、有斐閣)を購入した(2200円もする)。たしかに橋本が紹介したようなことを佐藤幸治、高橋和之両教授は発言しているのだが、驚いた又は目を惹いたことが二、三ある。
 一つは、自称「ラディカルなリベラリスト」の阪本昌成が、「武力行使違法化原則のなかの九条論」というタイトルで憲法九条に関する論稿を寄せていることだ。既に読んだが、ありきたりの九条論でなくて面白い。別に紹介する。
 二つは、先日、護憲派・親フェミニズムとみられる東京大学の憲法学教授が「痴漢」、の旨で取り上げた蟻川恒正が、巻頭の「座談会」に4名の中の1名として登場していることだ(顔写真付き)。高橋和之は定年のため東京大学教授でなくなったこともあって、4名のうち東京大学の現役教授は彼一人。こういう特集号での巻頭の座談会は重要な位置づけがあると思われ、そこに出席しているのだから、憲法学界又は同誌編集部としては<重要な>人物と彼を看做したのだろう。その彼が、雑誌刊行直後に逮捕されるとは…。
 三つは、特集名は「日本国憲法60年」で「日本国憲法の改正」又は「憲法改正」ではないことだ。後者のような特集名で改正反対=護憲論が多数登場することもありうるのだが、安倍内閣発足以来、<憲法改正>はしばしばマスコミを賑やかしている言葉であり、それに向けての現実的動きがあるのに、「日本国憲法60年」という、たんに施行後60年経ったというだけの特集名になっている。ジュリスト編集部(有斐閣)および憲法学界の雰囲気をこの一点でも、象徴的に知ることができそうな気がする。
 それにこの雑誌が編集されている頃は、憲法改正手続法(国民投票法)の国会での審議が続いていた頃で、その成立の可能性もあった筈だが、この雑誌のこの号には憲法改正手続法〔国民投票法)に関する論稿はなく、論及している執筆者もないように思われる。
 学界・学問の世界と政治の世界は別だから、政治情勢に合わせて学問研究をしろとは全く思わない。
 だが、読売や産経は5/3以降頃に<憲法改正が具体的政治日程に、問題は具体的改正内容だ>とかの論調を示していたのと見ると、この雑誌の特集の仕方はあまりに「現実」からかけ離れている(座談会では切実な発言があるかもしれないが、一部を除き未読。いずれ紹介する)。
 また、憲法改正手続法(国民投票法)については百地章、小林節が産経に、大石真(京都大学)が別の新聞に何か書かれていた(発言されていた)と思うが、結局のところ、ごく数人の憲法学者しか対社会的には発言しないまま憲法改正手続法(国民投票法)は成立してしまったようだ。
 国民投票を憲法改正に限るのか、その他の国政上重要な問題にも広げるのか(私は後者は決して「進歩的」でなく、憲法の精神でもないと思う)という問題や最低投票率を設定すべきか(私は反対だ)という問題は、重要な憲法問題でもあり、全ての憲法研究者が何らかの自説を何らかの形で公にしてもよかったのではないか。
 しかるに、改正手続法制定の過程で、殆どの憲法学者は「寝ていた」。将来になって日本の憲法学界史をたどるとき(そういうものがあるとしてだが)、この事実をもはや消すことはできない。
 全ての憲法学者(だと思っている者)は覚醒して、憲法に関する「憲法政策」的議論、憲法に関する「制度設計」論を展開すべきだ。そうでないと、近い将来、憲法改正についてもほとんど「寝ていた」という事態が生じかねない(すでに両院の憲法調査会等で「参考人」として知見・見解を述べている者はいるとは思われる)。
 改正に反対でも賛成でもよい、具体的な問題についての議論でもよい、全ての憲法学者が何らかの形で「参加」すべきだろう。多くの憲法学者は、憲法が改正されれば、それを所与の前提として再びその「解釈」に埋没するつもりなのか、あるいは日本の憲法など無関係に諸外国の憲法問題又は憲法判例を紹介したりして「やり過ごす」つもりなのか。情けないことだ。

0140/読売2007.05.12の橋本五郎記事による憲法学界の状況に寄せて。

 読売5/12朝刊の橋本五郎・特別編集委員の記事はなかなか面白い。この人は今年の1月に、東京大学の憲法学者の長谷部恭男と読売紙上で対談していた。
 憲法改正手続法成立見込みの時点で、「「抵抗の憲法学」を超えて」という大見出しのもとで、現在の憲法学界の状況を紹介・コメントするもののようだ。
 1.現在岩波書店が出版している講座・憲法全6巻のうちの第一巻の「はしがき」にこう書いてある(直接の引用ではない)のを読んで、「違和感を覚えた」という。
 <「戦後憲法は紙屑だ」と言い放っている人たちが「押し付け憲法」であることを根拠に現憲法を葬り去ろうとしている>。
 こんなふうに書かれれば、改正試案を発表している読売の立場もなかろう。従って、改正試案を世に問うたのは「「押し付け憲法」だからというのではない。「紙屑」だと思ったからでもない」、と橋本は反論?している。
 上の<>を「はしがき」を書いたのは第一巻の編者だと思われ、そうだとすると、東京大学の法哲学の教授の井上達夫、ということになる。
 岩波書店(および日本評論社)が出す憲法の講座ものが<公平>・<客観的>である筈がない雑誌『世界』の出版社らしく当然に<偏向>している、と私は思っているので特別の驚きはなく、やっぱりと感じるのだが、本当に法学部の(しかも東京大学の)教授が上のようなことを書いているのだとすれば、空怖ろしいことだ。まともな神経ではない。まともに現実が見えていない(安い古書になれば購入を考えよう。なお、長谷部恭男もいずれかの巻の編集者の筈だ)。
 2.1966年に故芦部信喜東京大学教授(憲法学、1923-99)は、自衛隊違憲論+改正反対論は「政治に対しても国民に対しても、訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっているのではないか」と書いたらしい。
 東京大学法学部には自衛隊についての<違憲合法論>を示した、旧日本社会党ブレイン(と思われる)小林直樹(1921-)がいて、こちらの方は明確な「左翼」だった。世間的には小林直樹ほどは目立っていなかった芦部信喜も、最近に代表的な憲法概説書ということで彼の本の憲法九条の部分を読んでみると明らかに「左翼」だ(いずれ、彼の議論も俎上に乗せるつもりだ)。
 晩年に書いたもののようだが、芦部信喜氏は、評論家ふうに「訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっている」
などと書ける立場の人物ではなかったのではないか。すなわち、訴求力をなくし、学説と国民意思を乖離させた責任の一半は、東京大学教授だった自らにこそあるのではないか。
 同じ1996年に、よくは知らないが芦部の「弟子」(芦部を指導教授とした)らしい高橋和之(現在、東京大学法学部教授・憲法学、1943-)は、自衛隊違憲論を唱えた「大きな代償」として次の2点を挙げた、と橋本は書いている。
 1.<憲法学者は非現実的すぎるという印象を国民に与え、憲法学者の発言の説得力を低下させた>、2.<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>。
 私も橋本とともに、「その通りだと思う」。私は日本の憲法学者の殆どを信用していない。おそらくは殆どの憲法学者がフランス革命を平等・人権等のための「素晴らしき市民革命」と理解しているはずだ(あるいは、そういう「囚われ」から抜け出ていない筈だ)。
 3.「特別編集委員」というのは専門雑誌も読むようだ。ジュリスト最新号(有斐閣)で、佐藤幸治・京都大学名誉教授(1937-)は、<憲法学の役割は「批判」・「抵抗」だけでなく「創る」・「構築」も重要だ>旨書いているらしい。高橋和之も、「制度設計」を議論しないで他人の創った制度を「批判」するだけでは「憲法学として半分しかやっていないような気がする」と、「抵抗の憲法学」からの脱却を述べているらしい。
 これらは誤りではなく、適切だ。しかし、私に言わせれば、今頃にこんなことを言っていたのでは遅すぎる。それに高橋の「…しかやっていないような気がする」とは一体何だろう、「ような気がする」とは。
 ジュリスト最新号を購入して、全体をきちんと読んで、再び触れるかもしれない。
 橋本は読売の改正試案発表の動機のようなものを次のように述べている。
 ア「国民の大多数が認知している自衛隊を憲法学者の多くが違憲…と学生に教え」、「政府は自衛隊を…「実力は持っているが…戦力ではない」などと、綱渡りのような解釈でしのいできたのはおかしいのでないか」。
 イ「国連平和維持活動」等の果たすべき国際的責務を「憲法9条があるからできないというのは本末転倒で」、「憲法上きちんと位置づけるべきではないのか」。
 これらはまことに尤もなことだ。ふつうの人間の「常識」・「良識」に合致するのではないか。
 しかるに、過日と同じことの繰り返しになるが、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないとの「大ウソ」をつき続けて、<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>ままにしようとしているのが、朝日新聞社(若宮啓文)・九条の会等々の面々に他ならない。憲法学者の多くは、正気に戻って、こうした面々を応援・支持することを即刻止めるべきだ。

0090/「日本国憲法無効」論に接して-小山常実氏の一文を読む。

 「日本国憲法無効」論というのがあるのを知って、先日、小山常実・「日本国憲法」無効論(草思社、2002)と渡部昇一=南出喜久治・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)の二つを入手し、おいおい読もうと思っていたのだが、昨日4/22に発売された別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経新聞社)の中に小山常実「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」があったので、「無効論」の要約的なものだろうと思い、読んでみた。
 大部分については、少なくとも「理解」できる。だが、大部分に「賛同」できるかというとそういうわけではなく、基本的な一部には疑問も生じる。小山氏の最新の憲法無効論とは何か(展転社、2006)を読めば解消するのかもしれないが、とりあえず、簡単に記しておこう。
 第一に、無効論者は(憲法としては)「無効」確認を主張しているが、「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生する」(p.109)、いずれの無効論も「戦後六十一年間の国家の行為を過去に遡ってなかったことにするのではない。…それゆえ、国家社会が混乱するわけではない」(p.112)とされる。
 このような印象を持ってはいなかったので勉強させていただいたが、しかし、上のような意味だとすれば、「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。
 無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 選挙区定数が人口(有権者数)に比例しておらず選挙無効との訴訟(公職選挙法にもとづく)が提起され、最高裁は複数回請求を棄却しているが、憲法(選挙権の平等)に違反して無効であるが、既成事実を重く見て、請求は棄却する、と判示しているのでは、ない。憲法に違反しているが、無効ではない、という理由で請求を棄却している。無効と言ってしまえば、過去の(全て又は一部の選挙区の)選挙はやり直さなければならず、全ての選挙区の選挙が無効とされれば、選出議員がいなくなり、公職選挙法を合憲なものに改正する作業をすべき国会議員(両院のいずれかの全員)がいなくなってしまうからだ。
 余計なことを書いたが、民法学でもその他の分野でもよい、「無効」または「無効確認」を将来に向かってのみ効力を無くす、という意味では用いてきてはいないはずだ(なお、「取消し」も原則的には、遡及して効力を消滅せしめる、という意味だ)。
 さらに第一点に関連して続ければ、なぜ「過去に遡ってなかったことにするのではない」のかの理由・根拠がよくわからない。憲法としては無効だが、60年までは「占領管理基本法」として、その後は<国家運営臨時措置法>として有効だという趣旨だろうか。
 そうだとすると日本国「憲法無効」論というやや仰々しい表現にもかかわらず、憲法以外の法規範としての効力は認めることとなり、この説の意味・機能、そして存在意義が問題になる。
 第二に、「日本国憲法無効」論者は、憲法としては無効で、占領下では「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」又は「占領管理法」、「暫定基本法」又は「講和条約群の一つ」と「日本国憲法」を性格づけるらしい(p.109)。
 占領後についての<国家運営臨時措置法>に関してもいえるが、上の「講和条約群の一つ」が「日本国憲法」を条約の一種と見ているようであるものの、その他のものについては、それがいかなる法形式のものであるのか、曖昧だ。
 条約は別として、立法形式としては、法律以上では(つまり政令や条例等を別にすれば)、法律と憲法しか存在しないはずだ。
 ということは、「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」・「占領管理法」、「暫定基本法」、<国家運営臨時措置法>は法律のはずなのだ。そして、ということは、たんなる法律であれば、事後法、特別法の優先が働いて、その所謂「占領管理基本法」に違反する法律も何ら違法ではない、ということを意味する。法律として、効力は対等なのだ。さらに、ということは、現在は現実にときに問題となる法律の「日本国憲法」適合性は、全く問題にならないことを意味する。「占領管理基本法」等との整合性は(教育基本法もそうなのだが)法的にではなく、政治的に要請されるにとどまる。だが、それにしては、「占領管理基本法」等としての「日本国憲法」は、内閣総理大臣の選出方法、司法権の構成、「地方公共団体の長」の選出方法(住民公選)、裁判官の罷免方法等々、曖昧ではない「固い」・明確な規定をたくさん持っている(「人権」条項は教育基本法の定めと同様の「理念」的規定と言えるとしても)。
 「教育基本法」、「建築基準法」等と「~法」という題名になっていても「法律」だ。ドイツには、可決に特別多数を要する法律と、過半数で足りる「普通法律」とがあるらしいが、日本では(たぶん戦前も)そのような区別を知らない。
 「日本国憲法無効」論者が「日本国憲法」を憲法以外の他の性格のものと位置づけるとき、上のことは十分に意識されているだろうか。再述すれば、憲法と法律の間に「法」又は「基本法」という中間的な「法」規範の存在形式はないのだ。
 さらに第二点に関連して続れば、「日本国憲法」無効論者は瑕疵の治癒、追認、時効(私が追記すれば他に「(憲法)慣習法」化論もありうるだろう。「無効行為の転換」は意味不明だ)等による日本国憲法の有効視、正当化を批判しているが、このような後者の議論と、「占領管理基本法」等として有効視する議論は、実質的にどこが違うのだろうか。「無効」論者が「過去に遡ってなかったことにするのではない」というとき、瑕疵の治癒、追認、時効、慣習法化等々の<既成事実の重み>を尊重する議論を少なくともある程度は実質的には採用しているのではあるまいか。
 ちなみに、細かいことだが、<「治癒」できないような絶対的な「瑕疵」>との概念(p.112)は理解できる。だが、そのような概念を用いた議論のためには、「治癒」できる「瑕疵」と「治癒」できない絶対的な「瑕疵」の区別の基準を明瞭に示しておいていただく必要がある。
 第三に、(憲法としての)「無効」確認を主張しているようだが、「無効」確認をする、又はすべき主体は誰又はどの国家機関なのか。
 p.115は<「憲法学」は…「日本国憲法」が無効なことを確認すべきである>という。
 ここでの「憲法学」とは何か。憲法学者の集まりの憲法学界又は憲法学会をおそらくは意味していそうだ。
 だが、たかが「学界」又は「学会」が「無効」確認をして(あるいは「無効」を宣言して)、日本国憲法の「無効」性が確認されるわけがない。無効と考える憲法学者が多数派を占めれば「無効」確認が可能だ、と考えられているとすれば、奇妙で採用され難い前提に立っている。
 では、最高裁判所なのか。最高裁は「日本国憲法」によって新設された国家機関で、自らの基礎である「日本国憲法」の無効性・有効性を(あるいは「占領管理基本法」等と性格づければ自らを否定することにはならないとしても、いずれにせよ自らの存在根拠の無効性・有効性)を審査するだろうか。また、そもそもどういう請求をして「無効確認」してもらえるかの適切な方法を思い浮かべられない(いわゆる「事件性」の要求又は「付随的違憲審査制」にかかわる)。
 現憲法41条にいう「国権の最高機関」としての国会なのか、と考えても、同様のことが言える。(では、天皇陛下なのか?)
 要するに、無効である、無効を確認すべきである、とか言っても、一つの(憲法)学説にすぎないのであり、現実的に又は制度的に「無効」が確認されることは、ほぼ絶対的にありえないのではなかろうか。とすると、考え方又は主張としては魅力がある「日本国憲法」無効論も、実際的に見るとそれが現実化されることはほぼありえない、という意味で、やや失礼な表現かもしれないが、机上の空論なのではあるまいか。
 第四に(今までのような<疑問>ではない)、「日本国憲法」無効論は、このたび読んだ小山の一文が明示しているわけではないが、現憲法の有効性を前提とする改憲論・護憲論をいずれも誤った前提に立つものとして斥け、「日本国憲法」無効論にこそ立脚すべき、という議論のようだ。
 運動論として言えば、そう排他的?にならないで、内容や制定過程の問題も十分に(人によれば多少は)理解していると思われる<改憲派>と「共闘」して欲しいものだ、と思っている。
 ただ、次のような文は上のような「夢」を打ち砕く可能性がある。
 <将来「日本国憲法」がどのような内容に改正されようとも、改定「日本国憲法」は、引き続き、国家運営のための臨時措置法〔法律だ-秋月〕にすぎない>(p.111)。
 このように理解してしまうと、日本は永遠に「真正の」憲法を持てなくなってしまう可能性がある。
 もっとも、<「憲法学」は、「日本国憲法」無効論の立場に立ち、明治憲法の復元改正という形で改憲を主張しなければならない>(p.115)とも書かれているので、「明治憲法の復元改正」を経るならば、わが日本国も「真正の」憲法を持てるのだろう。その現実的可能性があるか、と問われれば、ほぼ絶望的に感じるが…。
 疑問を中心に書いてきたが、私もまた-別の機会に書くが-現在の憲法学界らしきものに対しては大きな不満を持っている。そして、次の文章(p.111)には100%賛同する、と申し上げておく。
 <戦後の「憲法学」は「日本固有の原理」を完全に無視し、「人類普遍の原理」だけを追求してきた。「憲法学者」は、日本固有の歴史も宗教も考慮せず、明治憲法史の研究さえも疎かにしてきた。彼らが参考にするのは、西欧と米国の歴史であり、西欧米国の憲法史であった。取り上げられたとしても、日本の歴史、憲法史は、西欧米国史に現れた理念によって断罪される役回りであった。そして、日本及び日本人を差別する思想を育んできたのである。
 憲法学者のうちおそらくは90%以上になると推定するが、このような戦後「憲法学」を身につけた憲法学者(憲法学の教師)によって法学部の学生たちは「憲法」という科目を学び、他の学部の学生たちも一般教養科目としての「憲法」又は「日本国憲法」を学び、高校までの教師になりたい者は必修科目(たしか「教職科目」という)としての「日本国憲法」を学んできたのだ。
 上級を含む法学部出身等の国家・地方公務員、他学部出身者を含むマスコミ・メディア就職者、小・中・高校の教師たち等々に、かかる憲法学の影響が全くなかったなどということは、到底考えられない。そして施行後もう60年も経つ。上に使ったのとは別の意味で、やや絶望的な気分になりそうでもある…。
 (不躾ながら、これまでにTBして貰った際の「無効論」のブログ元の文章は、文字の大きさ不揃い、私にはカラフル過ぎ等もあって-一番は「重たい」テーマだからだったろうが-読んでいない。)

0005/憲法改正の発議要件を2/3から1/2に変えるだけの案はどうか。

 呉智英氏はどの程度本気なのか、現憲法前文の一部又は前文の全体の削除のみの憲法改正を主張しているようだ。
 気持ちは解らぬではない。私は現憲法の内容すべてそのままでもよいから一度国民投票にかけて「自分たちのもの」にしておくべきだとすら思う。もともとは1952年の独立=主権回復の際に国民投票にかけて(そのためには一回だけ通用の特別の法律が必要だっただろうが)、現憲法をオーソライズ(正統化)しておくべきだったと思うし、かりにオーソライズされなければ暫定的に効力を付与しつつすみやかに新憲法・自主憲法の制定に取り組むべきだった、と思う。
 当時の吉田茂の、自主憲法制定を政治課題とのしないとの決断は、朝鮮戦争、経済復興等々、米軍駐留によるとりあえずの安全保障といった事情はあるにせよ、現在も後世も評価が分かれてしかるべきだろう。
 その後も憲法改正できなかった最大の責任は、国会の1/3以上の議席を占め続けた容共政党+共産主義政党の「戦略としての平和主義」にある。だが、自由民主党の責任も頗る大きい。「国家」を忘れた池田勇人・宮沢喜一系(→河野洋平・加藤紘一)や田中角栄系が主流派になどなってはならなかったのだ。
 第三の責任者は、客観的には80%はマルクス主義に直接・間接に影響をうけているとみられる日本の憲法学界(そうした個々の憲法学者)だと思うが、今回はこれ以上の論及は省略する。
 元に戻って、呉智英氏の案は現実的では、むろん、ない。奇を衒い、又はウケを狙うのであれば、現憲法の改正条項・96条1項の国会・各議員の発議要件を「三分の二以上の賛成」から「過半数の…」に改正するだけの憲法改正案の提案はどうだろう。これだと今後も各院総議員定数過半数確保政党の「賛成」と実際の投票有権者の過半数の「承諾」で憲法改正できるようになる。政治状況・政治スタイルはまるで変わるだろう。
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