秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

悲劇の誕生

2481/Turner によるニーチェ ⑥。

 Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
 第15章の試訳のつづき。第5節→No.2459/2021.12.23.
 ——
 第6節。
 (01)  ニーチェには、全てを破壊するソクラテスの知性主義を説明する悪役がある。
 それは、ソクラテスの声または悪霊だ。
 本能はほとんどの人々にとって、創造性の根源であり、自分たちを掻き立てる力だ。
 意識それ自体は合理的で、かつ後方にある。
 しかし、ソクラテスの場合は、全く逆だ。
 ソクラテスの内部的自己は前方にあり、つねに議論をして、本能的自己を妨害している。
 「全ての生産的人々の場合、本能はまさに創造的で肯定的な力であり、意識は批判的かつ警告的に振舞う。しかし、それとは対照的にソクラテスの場合は、本能は批判者になり、意識が創造者になる。—これこそが、〈欠陥による〉(per defectum)本当の畸形だ!」(注7)
 (02)  ソクラテスの本能が彼の知性を克服するならいつでも、彼の内的で知性的な声は働きを止める。
 この点では、ソクラテスは、行動に向かえば内部的な本能によって止められる、巨大で創造的な機械だ。
 そして、彼が死を選んだことは、ギリシャの青年たちには英雄主義の模範ではなく、哲学上の生の新しい模範となった。
 それと同時に、本来の合理性と知性への自信において、彼は、悲劇を不可能にする楽観主義の一種を人格化した。//
 (03)  芸術家は対象または問題を覆い隠して愉快になるものだが、ニーチェがソクラテスに原因を求める「理論的人間」は、覆いを剥ぎ取って対象を説明することで愉快になる。
 ニーチェがつぎのように称するものを生み出したのは、この理論的な外貌だ。
 「ソクラテスという人物のうちに初めて出現した深遠な〈妄想〉(delusion)。すなわち、思考とは、因果律がつながる糸として、存在の最も深い淵へと辿りつき、実在をたんに認識するのみならず、それを是正することすらできるという、揺るぎなき確信。」(注8)//
 (04)  この点で、ソクラテスは、将来の全ての科学の父だった。
 死ぬことを世俗世界で受容できるものにしたのは、まさに彼だ。
 これに関して、ニーチェは、「我々は、ソクラテスのうちに世界史の一つの転換点を見ざるをえない」(注9)、と書いた。
 ソクラテスにとっては全ての邪悪は過ちであり、人間の仕事で最も高貴なのは、過ちから本当の知識を切り離すことだ。//
 (05)  精神(mind)を探究し是正することは、理解して是正する新しい言葉をつねに探すことになるだろう。しかしそれは究極的には、通過することのできない境界に出くわだろう。
 その境界が、悲劇が再び出現し、回答不能のことや非論理的なものが再び自己主張をする場所だ。
 この境界線に、偉大な神、Dionysus が再び現れるだろう。//
 (06)  私はこう言いたいのではない。ニーチェがソクラテスについて言ったことの多くは、George Grote の全く単調な分析に実際に直接的に由来している、と。
 本当にニーチェがしているのは、合理性と科学の声というGrote の見解のほとんどを受容しつつ、さらに、裁きの法廷に合理性と科学を持ち込む人物像を作るために用いる、ということだ。
 Grote は、改革に導くものとして、合理性を称賛した。
 ニーチェは、生がもつ本能を抑制するものとして、合理性を嫌悪した。
 また、イギリスの功利主義も嫌悪し、Grote のソクラテスを攻撃することで、近代功利主義、近代科学、およびJ. S. Mill が支持した近代の批判的個人主義を攻撃した。
 (07)  ニーチェは誰を、合理的ソクラテス、古代の悲劇を破壊した古代の理論家に、対峙させたのか?
 ソクラテス、科学、批判的合理主義を融解させる力についての解答は、R・ワーグナーとその音楽だった。
 ニーチェはショーペンハウワーの美学を論じて、音楽は悲劇についての古代のDionysus 的世界の基礎的な鍵だったこと、音楽は新しい象徴主義が出現するのを認めたことを、強調した。
 最も重要なことは、音楽が悲劇的神話を誕生させることができた、ということだ。「この(音楽の)精神のみが、悲劇を誕生させることができる」(注10)//
 (08)  音楽は、個人主義を消滅させる愉しみを生み出すことができた。
 しかしながら、ニーチェによると、ほとんどの現代音楽ではこの目標が達成されていない。
 とくに、大歌劇は、この点で失敗した。
 ニーチェはさらに進んで、こう宣言した。
 「我々は、このソクラテス文化の内奥にある近代的内容を〈オペラ文化〉と称するならば、最もよく表現することができる」。(注11)
 これはもちろん、オペラと音楽に関するワーグナーの理論を直接に参照したものだった。
 ニーチェは、しかし、Dionysus 的経験の深さをドイツとヨーロッパで再び取り戻すことができるという希望を見た。そして、こう宣言した。
 「ドイツ精神のDionysus 的根底から、一つの力が蘇った。この力はソクラテス的文化の根本的制約とは何の共通性もない。
 むしろそのソクラテス的文化はその力を、恐ろしくて説明不可能で、威圧的で敵対的なものだ、と感じさせる。その力とは、すなわち〈ドイツ音楽〉だ。
 この音楽の、Bach からBeethoven 、Beethoven からワーグナーへと経てきた力強くて輝かしい過程を知る。」(注12)
 (09) ワーグナーの音楽によって、Dionysus 的明察の深さが再びApollon 的様式と結びつき、新しい美と道徳の時代が始まろうとしていた。
 「そのとおり。友人たちよ、私のようにDionysus 的な生と悲劇の再生を信じよ。
 ソクラテス的人間の時代は終わった。
 ツタの冠を頭に乗せ、テュルソス〔酒神バッカスの杖〕を手に取れ。
 虎やヒョウがきみたちの膝の周りでじゃれてまとわりつきながら、下に横たわっていても、驚くな。
 今こそ勇気を持って悲劇的人間にならなければならない。
 なぜなら、きみたちは解放されて救済されるだろうからだ。」(注13)
 ——
 第6節、終わり。

2466/西尾幹二批判042—ニーチェ「研究」。

 一 西尾幹二全集第4巻・ニーチェ(国書刊行会、2012)を一瞥して驚くのは、これがニーチェの「思想」を直接に対象にしたものではなく、いわば詳細な「評伝」にすぎない、ということではない。
 そうではなく、その「評伝」も、『悲劇の誕生』の成立の頃までで、「未完の作品」(p.763)だ、ということだ。R・ワーグナーとの決別とワーグナー批判も出てこない。
 西尾はせめて『ツァラトゥストラ』の直前までは進めたく、準備をしていたが、果たせなかった、と書く。そうだとすると、『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』、『偶像の黄昏』、『反キリスト』は視野に入っておらず、読解不可欠の作品ともされる『力(権力)への意志』に関する「評伝」的研究も、全くされていないことになる。
 なお、この巻の書以前の最初の紀要論文(静岡大学)は第2巻に収載されており、第5巻・光と断崖—最晩年のニーチェ(2011)では表題に即した文章も収められて「権力への意志」を表題の一部とするものもある。しかし、後者でも、「権力への意志」とは何を意味するか等々の内容には全く触れていない。
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  西尾幹二がニーチェの専門家ではなく、ニーチェ全体の研究者でもないことは、以上のことからも明らかだ。
 また、一部の著作を対象にしてすら、ニーチェの「思想」または「哲学」そのものを研究した者でもなかった。
 西尾は自分を肯定的に評価する文章を全集内に残しておくことが好みのようで、上の第4巻の「後記」には同巻所収の書(1977年、42歳の年)を対象とする論文博士の学位授与(東京大学)にかかる審査報告の要旨(1978年)を、他人の文章ながらそのまま掲載している(p.770-。末尾のp.778にも、1977年著のオビの斎藤忍随による推薦の言葉をそのまま掲載している)。
 興味深いのは記載されている審査員だった5名の教員の構成で、独文学科3名(うち一人は、東京大学に残った、西尾と同学年だった柴田翔)、仏文学科1名、哲学科から1名だ。
 これからも明瞭であるように、西尾のニーチェの一部に関する(未完の)書物は、「文学」であり、少しは関連していても、「哲学」研究書ではない。
 また、西尾には『悲劇の誕生』以外にもニーチェの作品の翻訳書がかなりあるが(第5巻参照)、「翻訳」することとニーチェの「思想」を「研究」することとは大きく異なる。
 むしろ、ニーチェの「文学」的研究や「翻訳」に相当に没頭していた人物が(例えば、『悲劇の誕生』翻訳は1966年(31歳)、『この人を見よ』翻訳は1990年(55歳))が何故、いかにして日本史、天皇・皇室、日本の政治、そして国際情勢にまで「口を出す」評論家または<物書き>になっていったのか、に関心が持たれる。アカデミズムからの離反(退走?)でもあるのだが、この点は、別にも触れる。
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  西尾幹二はニーチェ『悲劇の誕生』はのちにまで自分の考え方に影響を与えた旨書いている(全集のいずれかの巻の後記のどこか。よくあることだがその箇所を失念した)。
 下記の対談書で長谷川三千子は、西尾・国民の歴史(1999)の最後は「ニヒリズムで終わっている」という批判があったとして、それを「的はずれ」だとする。
 的確でないのはそのとおりだろうが、そもそもニヒリズムなる高尚な?考えを西尾が示すはずがない。
 「人間の悲劇の前で立ち尽くしている」との自覚をもって本書を閉じるのは遺憾だ。
 この最後の文は、要するに、「悲劇」という語句を西尾が使いたかった、というだけのことだろう。
 ニーチェ『悲劇の誕生』成立までの評伝を最初の書物として42歳の年に刊行した西尾にとって、「悲劇」は20歳代、30歳代を通じて最も目にし、原稿用紙に書いた言葉だったかもしれない。
 そしてまた、<悲劇の前で立ち尽くす>ということの意味を理解してもらおうという意思など全くなく、「文学」的に?、何やら余韻を残して終わっているだけのことなのだ。
 なお、『悲劇の誕生』は、ギリシャ悲劇の消失を嘆き、ワーグナーがその楽曲と歌劇でもってそれを再生(再誕生)させたとしてワーグナーを賛美した著作だ。
 この書の影響は国民の歴史(1999)刊行の翌年にもまだあるようで、同著にはニーチェの名は出ていないはずだが、つぎの本の一部で、ギリシャに関しては、ニーチェにいわせれば」として、長々と1頁余を使って紹介する発言をしている。
 西尾=長谷川・あなたも今日から日本人—『国民の歴史』をめぐって(致知出版社、2000年7月)、90-91頁。
 この部分は、明言はないが、『悲劇の誕生』の一部を要約したものだろう。
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  西尾幹二がどれほどニーチェを読み、理解しているかを疑わせる、ニーチェ関連のこの人の文章は数多いと推察される。但し、この人は、唐突に「ニーチェは神は死んだと言いましたが」と、日本に関する文章の中で挿入する大胆さと勇気だけは、持っているようだ。この点はこの欄ですでに触れた。
 ニーチェは初期にはワーグナーを称賛していて、「年下の友人」のつもりでいたが、のちには決裂し、批判すらするようになる。
 まだこの欄に掲載していないが、F. M. Turner の書物ではワーグナーとのbreak やsplit という単語が使われている。
 このワーグナーとの分裂を、西尾はまさか知らないことはないだろう。
 しかし、小林よしのりによると、彼の『戦争論』〔1〕に関する「つくる会」のシンポジウムはこうだった、という(2002年の小林の離会=脱退より前)。
 新宿・厚生年金会館での「つくる会」シンポジウムは2000人超が詰めかける「熱気」となった。「しかも調子に乗りすぎた西尾幹二が、オープニングのBGMに…ワーグナーの『ワルキューレの騎行』をかけたものだから、異様な雰囲気である」。
 西尾幹二は最近にも、ニーチェは自分にとって特別の意味を持つと明記している。ニーチェとワーグナーの関係くらいは知っているはずの人物が、上のようなことをしたというのは、不思議なことだ。
 小林よしのり・ゴーマニズム戦歴(ベスト新書、2016)、p.220。「西尾幹二」の名はないが、同、p.270 でも触れている。
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2437/ニーチェとロシア革命③。

  西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020). p.354-5。
 私は「ニーチェの影響を受けた日本の一知識人に過ぎない」。
 「それでも、ニーチェが私の中で特別な位置を占めていることは、否定できない」。
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  ニーチェとロシア革命・ボルシェヴィキでないが、<ロシア文学>への影響を考察する、以下の研究書もある。概要を目次等に基づいて紹介する。むろん、<文学>は人間観、政治と無関係ではなく、多少捲っただけでも、Lunacharsky やGorky の名がしばしば出ている。
 章・節の表題に出てくる、ディオニュソス(Dionysos)とは、ニーチェが『悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragödie)でアポロン(Apollon)と対比させているギリシア神話上の「神」。
 西尾幹二には、30歳を超えての仕事だったと見られる、同訳『悲劇の誕生』(中公クラシックス、2004年/原訳書、1966年)がある。
 以下の「章」・「節」の語は原英語書にはなく、「節」には数字番号すらない。
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 Edith W. Clowes, The Revolution of Moral Consciousness -Nietzsche in Russian Literature,1890-1914 (Northern Illinois University Press、1988/Paperback 2018).
 (表題試訳/道徳意識の革命—ロシア文学におけるニーチェ、1890-1914。)
 第1章/ロシア文学へのニーチェの影響という問題。
 第2章/先駆者たち。
  第1節/道徳に関するニーチェ哲学。
  第2節/ニーチェを読む前提条件。  
 第3章/初期のニーチェ受容。
  第1節/検閲官・独裁者・普及者。
  第2節/大衆的ニーチェ主義。
 第4章/人民主義者(Populist)から人民芸術へ。—超人と自己決定という神話。
  第1節/神話を生かす。
  第2節/神話を教える。
 第5章/神話的象徴主義者(The Mystical Symbolists)。—ディオニュソス的(Dionysian)キリスト教文化の形成。
  第1節/D.メレシュコフスキー(Dmitry Merezhkovsky)の新しいキリスト。—「魂」と「肉体」の統合。
  第2節/地下のキリスト。—キリスト・ディオニュソスの神話。
  第3節/ベリュイ(Belyi)と磔にされたディオニュソス。
 第6章/革命的ロマン主義(The R.- Romantics)。
  第1節/創造的意思のゴーリキ(Gorky)による神格化。
  第2節/人民主義的(Populist)神話の再活用。
 第7章/結語。
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