秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

広田弘毅

0782/資料・史料-2006.08.13「戦争責任」朝日新聞社説。

 資料・史料-2006.08.13「戦争責任」朝日新聞社説

 平成18年8月13日
//朝日新聞社説
  「「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える
 「日本は侵略戦争をしたの?」「A級戦犯って、なあに?」「首相が靖国神社に参拝すると、なぜ問題になるの?」
 子供に問われ、困っているお父さん、お母さんも多いことだろう。
 戦後61年の夏。今や親も子も戦争を直接には知らない。しかし、戦争の体験がないからこそ、わだかまりなく歴史を見つめることもできる。
 日本の敗戦で終わった、あの戦争は何だったのか。その責任は、だれにあるのか。いろいろな本を手がかりに、親子で語り合ってみてはどうか。

 ●満州事変から泥沼へ
 最近は、左右のイデオロギーにとらわれずに戦争を直視する本が目につく。
 たとえば、評論家の松本健一さんの「日本の失敗」(岩波現代文庫)という本がある。1945年の敗戦に至るいきさつを豊富な資料で追っている。
 日本は明治維新の後、日清、日露の戦争に勝つ。朝鮮半島を植民地にし、中国に進出していく。
 15年近くも続く泥沼の戦争の始まりになったのは、日本軍が仕掛けた31年の満州事変だ。日本は現在の中国東北部にあたる満州を占領し、満州国を建てる。37年からは中国と全面戦争に入った。
 松本さんは、日本が第1次大戦中に中国への野心をむきだしにした「21カ条の要求」が転機だったと見る。米国との対立も深まり、41年に日本は「自存自衛」と「アジア解放」を掲げて、米英などとの「大東亜戦争」に踏み切った。これが戦後、「太平洋戦争」と呼ばれる。
 日本のアジアへの侵略だったのか、自衛の戦争だったのか。今も論争が続いているところだ。
 朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、「侵略戦争」という答えが31%、「自衛戦争」が7%、「両方の面がある」が45%だった。両面性があるにせよ、侵略性を重視する人が多いということだろう。
 「大東亜戦争」は、中国への侵略戦争の延長・拡大だった。そうとらえる松本さんは「満州事変が世界戦争の序曲の役割を果たしたのは、それがまぎれもなく『侵略』であったからだ」と書く。
 私たちも同感だ。あの戦争で日本人は300万人、アジアで2千万人が亡くなったといわれる。日本の侵略を認め、それがもたらした惨状を見つめるところからしか、「戦後」は始まらない。

 ●大きかった戦争への憎悪
 こうした侵略戦争の罪を問うたのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)だった。A級戦犯のうち、太平洋戦争を始めた東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。
 東京裁判は、勝者の一方的な裁きだった。東条元首相らが問われた「平和に対する罪」は、終戦直前に戦勝国が定めたものだ。そうした問題はいくつもある。これをどう考えるか。
 作家の保阪正康さんは「昭和の戦争を読み解く」(中公文庫)で「勝者が裁くとはこういうことか、なるほど西洋文明とはこういう形の裁きを行うのか、と私たちは冷徹に見ればいい」と書いた。その上で、「六十年を経て改めて、あの時代と関わった国民一人一人が政治・軍事の裁判を行ってみたらどうだろうかと提言したいほどである」とつづる。
 もし日本人が自ら終戦直後に裁判をやっていたら、どうなっていたか。ベストセラーになった「昭和史」に続く「昭和史 戦後篇」(平凡社)で、作家の半藤一利さんはそう自問し、「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」と答えている。それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかったというのである。
 いま戦争責任を改めて問えば、どうなるだろうか。
 まず、罪の軽重はともかく、A級戦犯になった人たちの責任は免れまい。軍人や政治家として、中国を侵略し、その延長上に、無謀な太平洋戦争を進めた。その結果がおびただしい犠牲である。
 軍人ではほかに責任を問われるべき人もたくさんいるだろう。たとえば、満州事変を起こした中心人物だった石原莞爾元参謀らである。
 政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか。2度も首相を務め、戦争の拡大を防がなかった。戦犯容疑者になって服毒自殺したため、本人の貴重な言葉が法廷で語られなかったのは残念なことだった。

 ●天皇や新聞の責任
 実質的な権限はともあれ、昭和天皇は陸海軍を統帥し、「皇軍」の兵士を戦場に送り出した。終戦直後、何らかの責任を問う声があったのは当然だが、東京裁判には出廷さえ求められなかった。その権威が戦後の統治に必要だと米国が考えたからである。
 だからこそ、天皇は戦後の新憲法のもと、平和国家の象徴として生きることを重い任務として自らに課したのだろう。
 新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない。失敗を再び繰り返さないことで罪を償うしかないと考えている。
 過去の歴史を素直に学べば、おのずと答えは出てくるはずだ。そんな共同作業を現代の親子に勧めたい。//

 *ひとくちコメント-「朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、『侵略戦争』という答えが31%、『自衛戦争』が7%、『両方の面がある』が45%だった」とする。この叙述(・数字)はいわゆる<村山談話>が示す「(あの)戦争」観を国民の過半数が支持していないことを実質的には意味すると考えられるが、この社説より二年余り後、田母神俊雄論文の内容につき、朝日新聞社説は「ゆがんだ考え」と断定し、そんな考えの持ち主が「自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなる…」と書いた(次回に掲載)。

0010/佐高信が何故読売新聞紙上で城山三郎氏の追悼文を書くのか?

 城山三郎が79歳で逝去(1927-2007)。広田弘毅に関するもの等二、三の小説を読んだことがあり、悪い印象はない。だが、読売の朝刊は、なぜ佐高信などにけっこうな字数を使った追悼文を書かせたのか、奇妙だ。佐高信といえば週刊金曜日の代表編集人で、昨秋11/19には皇室をパロディーにした集会も主催した。最近の同誌は警察による朝鮮総連関係団体への捜索を「朝鮮戦争前夜」を思わせる「異常さ」と書き(同誌取材班名義)、朝鮮総連の「弾圧糾弾」との主張と歩調を合わせていた。
 読売がなぜこんな人物を使うのかが解らない。読売はときどき奇妙な記事を載せ、主張をすることがある。
 佐高信は最後の方で、城山は叙勲を固辞した、「その意味するものをくみとってほしいと願う」と書いて佐高自身の「左翼」ぶりを存在証明している。城山氏のその態度が何を意味するのか私はよくわからないが、反天皇、反権力、反国家を意味するのだとすれば、そのような作家を読売は大きくとり上げて死亡・追悼の記事を載せるべきではなかろう。それに城山の小説に関する私の記憶では、反天皇、反権力、反国家の姿勢は感じられなかった。
 佐高の文の中で注目してよいのは、広田弘毅、石田礼助、井上準之助という城山の小説のモデルとなった人たちを「あるいは少数派かもしれないが、誇るべき日本の財産である」と明記していることだ。この中の広田弘毅は言うまでもなく所謂東京裁判の所謂A級戦犯として、たしか軍人以外では唯一人、死刑(絞首刑)になった人だ。佐高信がこれまで及び今後、広田弘毅を含めた所謂A級戦犯を批判し、貶めるような文章を書いていないか(書かないか)、監視しておく必要がある。
 内館牧子・女はなぜ土俵にあがれないのか(幻冬舎新書、2006)の最初57頁と最後の33頁を読了。主張はごく自然で納得できるし、最後に示してある改革案にも賛成だ。それにしても、第一に、この大相撲の土俵に関する「女性差別」問題らしきものも、議論を煽り、「女性」を応援したのは、この本で読むかぎりは、やはり?朝日新聞であることが分かる。朝日は混乱・錯乱を好み、表向きは「差別」反対なのだ。第二に、大阪府の太田房江という女性知事は大した人物ではないことも分かる。戦後教育の優等生、東京大学卒、元上級通産官僚では、日本の歴史・伝統・「国技」に関する特別の知識も教養も身につけていないのだろう。法律にもとづく男女共同参画行政もしている筈で、よく分からないが、フェミニズムに抵抗感がない可能性もある。これらは東京都知事候補・浅野史郎と同じだ…。

-0008/朝日新聞の一社説について書くのはきっと珍しい。

 午前2時。古書を数冊持って(買いすぎて残りは宅配回し)バス停が間に一つあってもおかしくない長い一街区以上を歩き、タクシーでワンメーター分乗って帰ってきた。
 かつては新聞の「社説」は重々しく権威あるように見えたものだが、とくに朝日のそれは、Web上で読んでいるせいか、軽くかつ駄文に感じてしようがない。
 8/13(日)の朝日の社説は結局何を言いたいのだろう。戦争について親子で考えようというだけか、それともその際の素材を少しは提示しているつもりなのか。それにしても、他のテーマでもある程度は同様と思うが、「侵略」と「責任」なる問題をよくまぁこれだけ簡単に書いて済ませられるものだ。社説子は、かつての戦争についてどの程度「研究」しどの程度豊富な「知識」があり、そして何らかの発言をする自信と資格がどの程度あると自己認識しているのだろう。
 「政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか」。これは何だろう。社説で歴史的評価を下すつもりか。政治家ではなぜ近衛文麿についてのみこんな指摘をするのか。軍人については「石原莞爾元参謀ら」とだけしか書いていないのはなぜなのか。
 日本人が裁判していれば「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」との半藤一利の言葉を肯定的に使い「それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかった」とつなげているが、ひょっとしてもっと多数の軍人・政治家が刑死すべきだったと社説子が考えているのだとすると、ある意味では「怖い」。
 「新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない」と言うが、その「責任」は日本人による裁判の対象になりえなかったのだろうか、朝日社主は死刑・懲役・禁固、どのあたりの刑罰が適当と考えているのだろう。白々しく、マスコミに「法的責任」はない、というつもりか。また、戦後に入って、朝日は中国・韓国と日本の対立を「あおった責任」は全くない、不十分な記事をきっかけにして外交「問題」をあえて作り出したことは全くない、と自信をもって言えるのか。
 半藤一利の他に保阪正康の本の一部も引用している。半藤は憲法9条擁護論者で朝日と共通の基礎的考え方をお持ちのようだが、過日示唆したように、保阪のスタンスはわかりにくい。「天下の」朝日社説で紹介され、名誉なことと感じておられるのかどうか。
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