天皇譲位問題に論及することはしない。
上の高森著を読んで、最も興味深かったのは、じつは、<天皇就位を拒否する>自由が「皇嗣」にはある、という指摘および叙述だった。p.84-86。
生まれながらにして一定のことを義務づけられるのは出自・血統による<差別>で<平等原則>違反だとの議論もあるので、上のことは重要だ。そしておそらく、高森の言うとおりなのだろう。
つまり、天皇位に就くことを望まない「皇嗣」が践祚も即位の礼も拒否し、憲法上の国事行為を行うことをいっさい拒んだらとすれば、どういうことになるか?
おそらく、憲法に根拠がありかつその形式によるとされる皇室典範の定めによって、「皇嗣」は特定され、その方には皇位就任義務がいちおうは生じるのではないか、と思われる。
しかし、<義務不履行>は世俗の世界ではよくあることで、私自身、友人に貸したはずの50万円が4年近く経っても20万円しか返却されていない、ということが現にある。その人物は、何と!たぶん熱心な<保守>派気分の男だ。
さてさて、<義務不履行>があれば、裁判手続を経ての<強制執行>の世界、つまり権利義務の<意識>・<観念>の世界を<現実>に変える手続に、ふつうは入っていく。そこまでに至らなくとも、そういう制度は(いちおう)用意されている。
しかし、<皇位就任義務>の履行の拒否があった場合には、いったいどうなるのか?
即位の礼、その他皇室行事あるいは国事行為、これらは元来ほとんどが、当該「人物」が出席する等をするしかないもので代替性を大きく欠くとみられる。また代替可能な国事行為にしても、手続を踏んで別途委任するか「摂政」を置くしかない。
そしてそもそも、そういう代替が検討される前に、就位自体がスムーズにいかなければどうなるのか?
高森によると、皇室典範三条が定める「皇位継承の順序」の変更の要件のうちの「皇嗣に…重大な事故あるとき」に該当し、皇室会議の「議により」、変更を行うしかない。
理屈を言うと、その次位の「皇嗣」も拒めば、延々と?、同じことを繰り返すしかないだろう。
そして今上陛下は、その「自由」を行使しないで、粛々と天皇になられる「宿命」を甘受されたのだ、ということになる。深刻な混乱にならなかったこと自体が、今上陛下の「お心」による、ということになる。
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何となく基礎的には安定的に世の中、あるいは政治は推移しているようにほとんどの国民は思っている。無意識に、そう思いつつ生活している。
実際にはなかったことだが、……。
新しい首相(内閣総理大臣)が国会で指名されたとき、公式にはさらに天皇の国事行為としての「任命」が必要であり、これにはさらに「内閣の助言と承認」を要する。
民主党内閣から第二次安倍内閣に変わったとき、安倍晋三が首相に「任命」されたが、このとき民主党内閣の「助言と承認」があったからこそ、安倍晋三は首相になれた。
きっと映像が放映されたはずだ。今上陛下が安倍晋三に「任命状」?を手渡す際に、民主党・野田佳彦は(安倍晋三が正式に首相になるまでは、なおも首相)陪席していて、あらかじめ天皇陛下にその書状を手渡していたはずだ。
さて、日本共産党が国会で多数を占め、または日本共産党らの連合諸政党が国会で過半数を占めて、日本共産党の代表者が国会で首相に指名された、とかりにしよう。
(実質的な)前の内閣の首班が、熱烈な反共産主義の某安倍康弘という人物だったとして、閣議も開かず、前「内閣」は何もせず、天皇に対して、(国会の意思に反して)新首相の任命に関して「助言と承認」をしないままにいたら、どうなるだろうか。
憲法違反ということで、マスコミを含めて大騒ぎになるに違いない。
しかし、それでもなお、共産党政権の発足は認めない、断固として手続に進ませないと安倍康弘ら前内閣が意地を張れば、この憲法上想定されているとみられる「義務」は、いったいどうやって「強制執行」すればいいのだろうか。
また、実質的な前内閣の「助言と承認」はあって、新首相の<任命状>も用意されたが、ある時代のある天皇が、新首相個人やその所属政党が意に沿わないとして、任命式?そのものにご出席なされない、そして例えば皇居内で行方不明になる、あるいは皇居外に外出されてしまって長期日にわたってお帰りにならない、という場合、いったいどうなるのか?
もちろん、この場合も(皇室典範の別の条項での)天皇に「重大な事故あるとき」に該当するとして、法的な回復の措置を取らざるをえなくなる可能性が高い。
それでもなお、1か月ないし数カ月~半年程度の「国政の空白」が生じることが想定される。
法的連続性のある状態と「無法」あるいは<革命的状態>とは決して大きく離れているわけではない。上の例は一部だろう。突然に<法的混乱>が生じうることは、想定しておいて決して悪くない(こんなことを考えている人はきっといるので、その人たちには、この文章もまだ手ぬるいだろう)。
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上の高森明勅著については、もう少し書きたいことがある。