秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

平均律

2671/1892年の日本音階研究—上原六四郎③。

  前々回(→①・No.2663)に、上原の「結論的叙述」は西洋音楽の五線譜ではなく「12段の枡形のような図」で示されていると書いたが、より正確な描写はつぎのとおり。
 長方形(枡形)が12個積み上げられている。接する箇所を一つの線とすると、下に何もない線(一番下の1個めの長方形の下部の線)から上に何もない線(一番上の12個めの長方形の上部の線)まで、13の横線がある。長方形の中にではなく、それらの線上の6箇所に「1」(一番下の第1線上)、「2」、「3」、「4」、「下5」、「上5」の表記があり、一番上の第13線の上には再び「1」の表記がある。
 一番下の「1」を「ド」とした「5音」音階の並びを、<陰旋>と<陽旋>について、前々回にすでに記載した。
 <陰旋>。
 上行—①ド、②ド♯、③ファ、④ソ、⑤ラ♯、⑥ド。
 下行—⑥ド、⑤ソ♯、④ソ、③ファ、②ド♯、①ド。
 <陽旋>。
 上行—①ド、②レ、③ファ、④ソ、⑤ラ#、⑥ド。
 下行—⑥ド、⑤ラ、④ソ、③ファ、②レ、①ド。
 これらでの各音の表示は〈十二平均律〉等によるものではないので、誤解も生じ得るだろう。
 ——
 各音の(1に対する)周波数比と各音間の周波数比の比率(間差)が明記されているので、これを紹介する。「下行」の場合も、小さい順に並べる。「⑥2」は秋月が追加した。
 <陰旋>。(p.97-p.98)
 上行—①1、②16/15、③4/3、④3/2、⑤7/4※、⑥2。
 下行—①1、②16/15、③4/3、④3/2、⑤8/5、⑥2。
 (上行⑤※についてはなお後述参照—秋月。)
 「間差」(p.106-7)。「各音間の音程」と称されている(同左)。上行と下行を一括する。
  ①-②16/15、②-③5/4、③-④9/8、④-下⑤16/15、④-上⑤7/6、下⑤-⑥5/4、上⑤-⑥8/7。
 原著p.107は、①を「第一音」と称し、ここでの⑥を「第一音甲」と称している。
 なお、上行⑤7/4※については、以下の旨の叙述がある。p.98。
 「上行第五音」に数種がある主因は流派にある。12/7と7/4は「西京地歌」に9/5は「関東の長歌」に用いられ、「山田流」は三種を「混用」する。但し、「音の一定不変なる楽器」では「上高中の中間」で代えるのが「適度」だ。
 要するに、諸音があって一定していないが、「中間」の7/4を選ぶのが適切だ、ということだと思われる。
 いずれを選ぶかによって、上行⑤の④や⑥との「間差」も変わってくる。p.106-7。
 上行⑤12/7の場合。④-⑤=8/7、⑤-⑥=7/6。
 上行⑤9/5の場合。④-⑤=6/5、⑤-⑥=10/9。
 ——
 <陽旋> (p.101-2)
 上行—①1、②10/9、③4/3、④3/2、⑤9/5、⑥2。
 下行—①1、②10/9、③4/3、④3/2、⑤5/3、⑥2。
 「間差」=「各音間の音程」(p.107)。上と同じく、①を「第一音」と、ここでの⑥は「第一音甲」と称されている。上行と下行を一括する。
 ①-②10/9、②-③6/5、③-④9/8、④-下⑤10/9、④-上⑤6/5、下⑤-⑥6/5、上⑤-⑥10/9。
 ——
  いろいろな数字が出てきた。上原の著での〈西洋音楽〉観や中国・日本での各音の呼称には立ち入らず、表面的な比較考察の結果だけを、とりあえず、示しておく。
 ——
 既述のように、〈十二平均律〉での呼称に似た言葉を使うと、<陰旋>、<陽旋>の並びは、以下のように表現することができた。上行と下行を一括する。
 <陰旋>。
 ①ド、②ド♯、③ファ、④ソ、⑤ラ♯(下行はラ♭)、⑥ド。
 →①ドを「ミ」に替えての上行。①ミ、②ファ、③ラ、④シ、⑤レ、⑥ミ。
 <陽旋>。
 ①ド、②レ、③ファ、④ソ、⑤ラ#(下行はラ)、⑥ド。
 →①ドを「レ」に替えての上行。①レ、②ミ、③ソ、④ラ、⑤ド、⑥レ。
 ——
 以上の「レ」、「ミ」等々はそもそも〈十二平均律〉での呼称に近いものとして選んでいるので、かりに〈十二平均律〉での呼称に従うと、元に戻って同じことになる。
 しかし、〈十二平均律〉では13音の12の「間差」は全て同じ数値であるのに対して、上に見たように上原の言う<陰旋>、<陽旋>での「間差」は大いに異なる。
 ——
 周波数比はつぎのとおりだった、上行・下行を一括する。
 <陰旋>。
 ①1、②16/15、③4/3、④3/2、⑤7/4(下行は8/5)、⑥2。
 <陽旋>
 ①1、②10/9、③4/3、④3/2、⑤9/5(下行は5/3)、⑥2。
 〈ピタゴラス音律〉での「ド」に対する「レ」、「ミ」等々はつぎのとおりだ。この音律での全12音、「7音」音階での周波数比はじつは確言できない(私は説明の仕方に疑問をもっている)のだが、「定説」的なものに従って、上の6音の対1の周波数比を示すと、つぎのようになる。A=上の<陰旋>での①ド〜⑥ドの6音、B=上の<陽旋>での①ド〜⑥ドの6音について、ピタゴラス音律での各音の周波数比を示したもの。
 A/①1、②2187/2048(または256/243)、③4/3、④3/2、⑤128/81(ラ♭)、⑥2。
 B/①1、②9/8、③4/3、④3/2、⑤27/16(ラ)、⑥2。
 ——
 〈純正律〉での「5音」音階については省略する。
 私が頭と計算だけで作り出した「私的」音階の、M、N、Pの三種の「7音」音階+〈12音階〉の元はXとZだったが、そこでの「5音」音階の並びは、つぎのようだった。
 1、(4/3)、(3/2)、2という「3(4)音」のうちの最大の「間差」である4/3を小さい方から(9/8)で分割してXを、大きい方から(9/8)で分割してZを、作ることができた。
 X—①1、②9/8、③4/3、④3/2、⑤27/16、⑥2。
 Z—①1、②32/27、③4/3、④3/2、⑤16/9、⑥2。
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  このように、既存のものとして知られているものの若干(+「私的」音階での途中)と「5音」が一致しているものは一つもない。日本の伝統的音階とされる四種との異同は、「日本の伝統的音階」は別の主題としたいので、ここでは取り上げない。
 しかし、〈十二平均律〉は別として、<陰旋>・<陽旋>、ピタゴラス音律、「私的」なX・Zにおいて、明らかに一致していることがある。
 それは、③と④の数値がそれぞれ全く同じ、ということだ。
 すなわち、第3音=4/3、第4音=3/2
 これらは、第1音を「ド」とすると、それぞれの「ファ」と「ソ」に当たる。
 また、〈十二平均律〉的に言うと「ファ」と「ソ」の二音が(4/3)と(3/2)になるということに限っては、これまでに言及したことがたぶんないが、〈純正律〉でも全く同じだ。
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 この、(3/2)と(4/3)がつねに使われているということは、きわめて感慨深い。
 1とその1オクターブ上の2のあいだに新しい音を設定しようとした古代からの人々がまず思い浮かべたのは、1に対する(2/3)と(3/2)の周波数比の音だろう、と想像してきたからだ((2/3)は容易に「同」音の(4/3)に転化する)。(3/2)と(4/3)の二音を、(1と2に次ぐ)「原初的」な音ともこの欄で称した。
 (3/2)と(4/3)は〈ピタゴラス音律〉での音の設定でも発生するが、この二音は〈純正律〉でも同じく使われる。
 周波数比が2対3または3対4ということは、1または2ときわめて「調和」または「協和」しやすいことを意味する(2との関係では3対4または2対3)。
 古くからヒト・人間はそう感じてきた。日本の人々もまた、おそらく明治期以前からとっくにそうだったのだ。
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2635/<平均律>はなぜ1オクターブ12音なのか②。

  Mac-OSの中に付属しているGarageBand という演奏・作曲補助アプリも、近年開発されているらしい諸コンセプトを告げれば自動的に作曲をするというAIアプリも、坂本龍一の「戦場のメリークルスマス」も、<十二平均律>にもとづいている。
 それによると1オクターブは12音(両端を含めると13音)で構成される。だが、この1オクターブが12音で構成されるということは、決して「自然」または「当然」のことではない。
 一方で、ある音に1あるいは2オクターブ上の音、1あるいは2オクターブ下の音が存在するということは、「自然」の現象だ。
 ある音の周波数を2倍、4倍、1/2倍、1/4倍にしたものを同時に響かせると、最も振幅の短い、多数の周波数をもつ音に全てが吸収されて、人間の通常の聴感覚では「同じ一つの」音に聞こえる、というのは、人為を超えた「自然」なことだ。
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 しかし、1オクターブが12音で構成されるというのは、「人為的・歴史的」な現象だ。なぜ、そうなったのか。
 <十二平均律>では基音の1オクターブ上の音は基音のちょうど2倍の周波数をもつ。そして、その1オクターブの中に高さの異なる12の音を「平均的」に配置したのが<十二平均律>だ。「平均的」=隣り合う音の周波数比が全ての音の間について同一に。
 だが、1オクターブを一定の数の音に「平均」的に配置するだけならば、<10平均律>でも、<15平均律>等々でもよいはずだ。なぜ、<12平均律>なのか。
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 ピタゴラス・コンマを除去する前の(1オクターブ内での諸音設定のための)計算過程では、「12」回めの数値は前回に記したように約2.0273になる(これは基音1に3/2を乗じ続けることを前提としての数値だ。3/2で除し(割り)続けることを前提にすると「12」回めの数値は約1.9731になる)。
 上のような計算を「53」回続けると、計算結果の数値はさらに2に近づき、差異は0.01以下の約2.0042になるとされている(12回を超えて13回、14回と増えるごとに徐々に2に接近していくのではない)。
 素人判断ながら、このことは今日にでも<53平均律>が語られることにつながっていると見られる。
 しかし、1オクターブ内に53の異なる高さの音を配置するのは、人間の通常の聴感覚からして、現実的ではない。なぜなら、ふつうの人間は1オクターブ内の異なる53もの多くの音を聞き分けることができないだろうからだ。
 53というのは、例えばピアノの1オクターブ内に現在の4倍以上の鍵盤を設ける(一つの白鍵・黒鍵をさらに上下左右に分ける?)ことを意味する。
 楽器製作の便宜はともかくとしても、現在に言う「半音」一つがさらに4つ以上に分割された場合、よほどに「耳の良い」人は例外として、聴き分けることができるとは思えない。
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 1オクターブ12音とされる歴史の中で決定的に重要だったのは、ピタゴラス音律の成立過程で、「12」回めの計算でほぼ2という数値(=ちょうどほとんど1オクターブ上の周波数値)が得られたことだと考えられる。
 かつまた、その「12」という数字に魅力、魔力があったからだ、と見られる。
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  「12」という数字の魅力、魔力、「特別の意味」と言うだけでは、厳密な答えにはなっていないだろう。
 だが、この点は、多くの人が容易に思いつくことがあるだろうので、多言は省略する。
 素人論議だが、数点だけ書いておきたい。
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 第一。キリスト教世界では元々、こういう考え方があった、とされる。神は、全てを「完璧に」、「美しく」創造した。音、「音楽」の世界も完璧で美しく構成されているはずだ。
 そして、ピタゴラス音律での1オクターブ「12」音もこれを背景にしている、という旨の説明を読んだことがある。
 たしかに、西欧には1ダース(12個)という日本には元来はない観念があり、13-19とは違って11と12には日本にはない特別の数字用の言葉がある。eleven, twelve、elf, zwoelf で、thirteen,dreizehn と言っても、two-teen、zwei-zehn とは言わない。
 また、キリストには12人の「使徒」がいた、とも言われる。
 そうすると、ピタゴラス音律が結局は1オクターブ12音を採用したことも理解できなくはない。あるいはその前に、弦の長さを調節している過程で、弾いた音がちょうど1オクターブ上になる場合を(長さを3/2または2/3にするのを繰り返して12回めに)発見した、と感じたのかもしれない。
 もっとも、1から出発して3/2または2/3の乗除を続ける計算では「永遠に」ぴったり2にならないことは、古代の数学でも分かっていたと思われる。
 それでもしかし、約2.0273(または約1.9731)は2と同一視できる範囲内だと考えたのかもしれない。またその上に、この端数であるピタゴラス・コンマを除去して正確に2にするために、必ずしも簡単ではない「工夫」を(12種の音の設定自体の過程で)したのかもしれない。
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 第二。東洋でもピタゴラス音律に似た音階設定の考え方はあったとされるのだが、それは別としても、「12」という数字への注目は、東洋にも、そして日本にもあったし、今でもある。
 子丑寅…の<12支>だ。またこれと<10干>を連結した言葉もある(壬申の乱、戊辰戦争等。明治新政府は「邪教」としたのかもしれない「陰陽五行説」の影響が残っている)。薬師如来を守護する仏(神)としての「12神将」というのも知られている(奈良市・新薬師寺に大きいもの、山形県寒河江市・慈恩寺に小さいものが残っている)。
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  これらにも関心は向くのだが、そもそも、「12」というのは、ヒト、人間にとって、太古の昔からきわめて重要な数だったと思われる。
 自分たちが生きる地球と太陽の関係(天道か地道か)を正確には知らなくとも、日出・日没あるいは昼夜の反復ごとに「一日」を感じるのは極北・極南にいないかぎりヒトの発生以降普遍的なことだっただろう(この感覚は、ヒトの「睡眠」神経中枢の形成に関係したかもしれない)。また、寒暖または季節の変化の反復によって、「一年」という感覚も生じただろう。
 同時に、地球と月の関係についての正確な知識はなかったにしても、月の満ち欠けを大昔から知っていたに違いなく、新月または満月の繰返しは、太陽(日)との関係で知覚していた「一年」の間にほぼ12回あるという知識も積み重ねていっただろう。
 暦の歴史に関する知識は全くないが、太陰暦が太陽暦に先行したらしいことも十分に理解することができる。一年を一日以上の単位で区切るとすれば、曖昧な寒暖や四季を別にすると、「12」しかなかったのだ。
 その12ヶ月=一年は、太陽暦になっても維持されている(閏月もなくなって月の実際の干満との不適合が大きくなっても)。「三日月」とか「十五夜」という言葉は、今でも使われている。
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 「とき」、時間をどう把握し、どう区切るかは、人の生活にとって、そして人間集団の諸活動にとって、きわめて重要だったはずだ。
 1、2、4に次いで、3、5、6、8と同程度の意味・重要性を、12はもっていただろう。
 そのことは、現在の「時計」を見てもよく分かる。数字付きであれば、1から12までがある。1時間=60分=5分の12倍。午前12時間、午後12時間。
 日本でも「12支」を使って一日の間の時刻を表現することが行われていた(丑三どき等)。なお、方角の指示も、これによっていた(丑寅・鬼門、巽=辰巳等)。
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  常識的なことを上で長々と書いたかもしれないが、要するに、つぎのようなことだ。
 <平均律>というだけならば、非現実的な<53平均律>でなくとも、<10平均律>でも<13平均律>でも、<15平均律>でもよいはずだ
 1オクターブ内の異なる高さの15-16音くらいまでは、通常の人間の聴感覚で区別できるのではないかと思われる。
 なぜ<十二平均律>になったのかが、疑問とされなければならない。
 直接の背景・根拠だと考えられるのは、純正律でも、その前のピタゴラス音律でも、<1オクターブ12音>が採用されていた、ということだ。このような歴史的背景がある、ということだ。
 この意味で、ピタゴラス音律が「音楽」の世界に与えた影響はきわめて大きかったと思われる。
 そして、そこでの「12音」の採用には、「12」という数字の一般的な重要性も影響した、と考えられる。
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 なお、念のために書いておく。ピタゴラス音律と<十二平均律>は、<1オクターブは異なる高さの12音で構成される>という点では同じだ。しかし、一定の最初の音(基音)以外の11の音の高さ(周波数)は全て、同じではない。1オクターブの中に12の音があることに変わりはないので、ある程度は似たような高さの音が設定されるとしても。
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  欧米で<十二平均律>がすでに支配的になっていた時代に、日本は「西洋音楽」を輸入した。「文明開花」の時代、「西洋文明の継受」の時代だ。この時代には、今日に言う戦前・戦後の間以上の大きな変化があったと思われる。
 音楽の世界では、音楽大学等を通じて、おそらくドイツ(・オーストリア)の「音楽理論」が急いで直輸入された。三Bの最後のブラームスでも、1833年〜1897年没。モーツァルトは、1756年生〜1791年没。シューベルトは、1797年〜1828年没。
 (余計ながら、「完全五度」・「完全四度」、「長三度」・「短三度」等の術語や<十二平均律>を主体にしてピタゴラス音律や純正律等との差異を「セント」という単位を使って説明するという方法は、現在の「専門」音楽教育でも依然として使われているようだ。いいかげんに改めた方がよいと素人の私には感じられるものがある)。
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 そうだとすると、「西洋音楽」の背景にあったかもしれない教会音楽、宗教音楽、そしてキリスト教という宗教の影響を、日本が受けても不思議ではなかった。だが、日本は「表面」または「形式」・「様式」だけを導入した。あるいは「魂」ではなく「技術」だけをすみやかに継受した。
 ところで、「君が代」は古歌・古謡とされ、明治期以前にすでに各地方に「民謡」があったに違いない。だが、日本独自の音階「論」があったわけではなさそうなのは不思議なことだ。仏教寺院での声明(しょうみょう)という経の唱え方は一種の旋律で、楽譜にあたるものもある、とも言えそうだが、仏教界以外の音楽一般へと発展はしなかったようだ。
 むしろ、実際にそうであるように、「君が代」も各種「民謡」も、おそらく「西洋音楽」を前提とした楽譜(高低二種の五線譜)で表現され得るものであることが、「西洋音楽」の広さ・深さを感じさせる(琉球民謡もアラビア風旋律も同じ)。楽譜に写され得ないとすれば、いわゆる半音の4分の1、8分の1程度の微細な高さの違いがあるのだろう。
 楽譜化できる日本音階(和音階)での長調と短調という話題に発展させることができなくもないが、立ち入らない(「君が代」はレミソラドレ(上昇時)という音階による)。
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  12(13)音のうち主要なのは、ピアノでは白鍵で叩かれる、C=ドとしてのドレミファソラシ(ド)という7(8)音だ。あるいは、イロハニホヘト、ABCDEFGの7音。「幹音」とも称される。
 これら以外はなぜ、♯(嬰)や♭(変)付きで表現されるのだろうか。この疑問とほぼ同じ意味であるのも不思議、あるいは興味深いが、ピアノ・オルガン類でこれらだけが白鍵で、その他は黒鍵で弾かれるのは、いったいなぜだろうか。
 この問題についても、素人的な想定・仮説を持っている。やはりピタゴラス音律の生成過程に関係する。別に記してみる。
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2389/音・音楽・音響⑦。

  この項の前回に、<ピタゴラス音律>の場合の、1オクターブ間の各音階の周波数の比を以下のように記した。C〜(1オクターブ上の)Cの各音階の周波数比だ。
 これが、①一本の長さの弦あるいは竹筒のようなものを2倍、…、1/2倍、…にすると音の高さ(周波数)が1/2倍、…、2倍、…となって、同じ(と感じる)音が重なり合うという「発見」と、②上の長さを1.5倍=3/2倍、または2/3倍=0.66666…倍(その2倍は1.333333…=4/3倍)にすることを試して生じた音を加えた高さ(周波数)を重要な基礎にしているらしい、ということも書いた。
 先走れば、基音を一度として、②の前者は今日では<完全五度>、後者は<完全四度>と一般に称されている。Cに対するGとFだ(ドレミを使うと、ドに対するソとファ)。
 その下に、<純正律>とされる場合の、音階ごとの同様の比を示す。
 ・ピタゴラス音律
 1、9/8、81/64、4/3、3/2、27/16、243/128、2。
 ・純正律
 1、9/8、5/4、4/3、3/2、5/3、15/8、2。
 一見して分かるように、①ピタゴラス音律に比べて、出てくる整数の数が小さい。最大でも15で、前者には243、128、81、64、27、16が出てくる。
 数字の単純さ、その意味での「美しさ」は純正律の方が上回る。
 ②ピタゴラス音律と純正律とで、同じ比になっている音階がある。
 基音の2倍の2は当然として、3/2、4/3、9/8の3者だ。基音をCとすると、G、F、Dの三つだ。ドに対していうと、ソ、ファ、レの三つとなる。
 今日、現代における<完全五度>と<完全四度>の基音対比周波数は、上の二つの音律においては、同じで変わらない。
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  同じく前回に、こう記した。
 「なぜ、1オクターブを12で(再来する元の音階を含めると13だが、間の音階は12)で区切るのか。そう問われて、誰も『正しく』は回答できないのではないか。
 それに、ピアノに特有のことだが、なぜ全て白鍵ではなく5つだけ黒鍵なのか、なぜEF間、BC間だけ半音なのか、という素朴な疑問も湧く」。
 こう書いてしまったが、素人頭であれこれと思い浮かべていると、つぎの「仮説」が生まれた。
 ほんの少しは「音楽理論」に関する書物を捲ったり、文章を読んでみたが、上のような簡単または幼稚な好奇心・知識欲に応えてくれているものを発見できない。
 ①基音とその2倍音を含めて、8音で1オクターブを構成するのは、古来からのほとんど絶対的な要請だった。
 「オクターブ」(octave)という言葉自体、「十月(October)」もそうであるように(8を基礎に、ある理由で2を足した)、「8」を語源としている。 8本足の「タコ」は、英語でOctopus という。
 ②なぜか。「8」を「美しい」と感じたか否かは不明だが、上のように、基音に対する<五度上>・<四度上>は重要な音階(音程)だった。
 合わせてすでに4つになるが、間隔が空きすぎていると感じた?(基音をCとすると)CとFの間、Gと上のCの間に、高さの比が同程度になるように(かつ分かりやすいように)2音ずつを加えた。
 そうすると、現在と同じ<1オクターブ8音構造>(但し、いわゆる白鍵部分のみ)ができ上がる。
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  というような空想はできるのだが、しかし、<1オクターブ8音構造>は今日まで維持されつづけているとしても、<完全五度>と<完全四度>をも含めて、現代で一般的な<十二平均律>では、基音に対する周波数比は維持されていない。
 換言すると、例えばCに対してGは3/2ではなく、Fは4/3ではない。
 <十二平均律>の特徴は、各音階間の周波数比が同一であることだ。
 正確にいえば、旧来の上の二つですでに、(Cを基音とすると)EとFの間とBと上のCの間は、他の音階間とは違って(現在にいう)「半音」になっているので、それら以外のCD間、DE間、FG間、GA間、AB間を二つに分ける上の「半音」に似た「半音」を作ることが前提になっている。
 そうすると、全体は+5で13音になり(上のCを省くと12)、この13音の間の各音の高さ(周波数)の比が、全て同一であるのが、<十二平均律>の特徴だ。そして、旧来の二つでは原則として不可能な、転調や移調が簡単に可能になる。
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  その<十二平均律>での周波数比はどうなっているのか。
 1オクターブ上(例えば上のC)の数字が2であることは絶対の不動であるので、全く同じ数字の比を12回反復すれば1→2となる、その数字を「計算」すればよいことになる。これは、「数学」の問題だ。
 答えは、<2の12乗根>、2の右肩に乗数として1/12を記述した数となる。
 それは、分かりやすい分数にならず、小数点以下6桁までで、1.059463…になる。正確には、これ以下の数字もずっとつづく。
 1を起点として大まかに言えば、1.06ずつ乗していけば、C#、D、D#と少しずつ高くなって、12回めには2になる、ということだ。
 注目してよいのは、旧来の二つの音律ではいずれでも(Cを基音として)、F=1.333…=4/3、G=1.5=3/2だったが、<平均律>ではこうはならない、ということだ。
 すなわち、下5桁までに限定して、<完全四度>=1.33484。4/3に近いが、やや高い、
 <完全五度>=1.49831。3/2に近いが、やや低い。
 だが、このように厳密には旧来の高さ(周波数)は維持されていないが、現在にいう<完全五度>、<完全四度>にほぼあたるものを、音発生道具の長さに着目して、例えば60cm のものだと90cm(3/2)に変えたり、80cm(4/3)に変えたりして試行錯誤しながら、古代の人々が、これら二つにほぼ該当するものをすでに「発見」していた、ということなのだろう。
 そこから、<1オクターブ8音構造>や今日でいう半音を含めての1オクターブ内12音(両端の1つを含めて13)という音階構成も生まれてきた。
 ということは、現在に標準的な<平均律>もまた、音とその響きに関する人間の感覚についての古代からの蓄積を基礎にしている、ということだろう。
 <ピタゴラス音律>が本当にピタゴラスによるものかは知らないが(西欧ではおそらくそのように言われ、書かれてきた)、言うまでもなく紀元前の哲学者とされる人で、その影響は数千年後まで残っていることになる。
 以上、社会、とくに日本社会の変動とは何ら関係のない、趣味的な「好奇心」・個人的な関心が主題の記述だ。なおも続ける。
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 Amazon music HD 等に遅れをとっていたApple Music は、「ロスレス」(Lossless)という、大部分は「ハイレゾ」(Hi-Rez)音質の音楽を6月から配信し始めた。上の「」は行政的または法的概念・術語ではなく、事業者やその団体(全てが加入しているのでもない)が作っている用語。
 「音響」も表題の一つにしているように、音質・音の「解像度」にも秋月瑛二は個人的な関心をもっている。ヒト・人間の聴感覚には大きな違いはないらしいようであることは、すこぶる面白い。

2372/音・音楽・音響⑥—ピタゴラス律。

  人間の耳は、または聴覚は、20Hz〜20000(20k)Hzの音しか聞き取れない、というのは、至極当然の指摘なのかもしれないが、戦慄を感じるほどに重要なことだ。
 つまり、皮膚の色、毛髪の色、眼球の色等々は人種・民族等によって異なっても、ヒト・人間であるかぎり、その基礎的資質には上のように限界が共通してある、ということだ。アジア人の方がよく聞こえるとか、欧米人は高い音がよく聞き取れるがアジア人は低い音をよく聞き取れる、といったことはない。男女差がある、という指摘も全くない。
 いつ頃からかよく分からないが、ヒト(ホモ・サピエンス)というものが成立した頃にはすでにそうだったのだろう。
 聴能力と同じようなことは、視覚、嗅覚等々や走る能力、跳び上がる能力、等々々についても言えるだろう。
 以下にすぐに名を出すピタゴラスは紀元前6-5世紀の人だから、今から3000年前の地球人はとっくに、現代人と同じような音についての(能力と)感覚をすでに持っていたことは間違いない。
 なお、20Hz〜20000(20k)Hz、というのは、おそらく最小限度と最大限度だ。
 すでに書いたように、88鍵のピアノの最低音(A0)は27.5Hzで、最高音(C8)は約4186(4.186k)Hzなので、低い方にはまだ7.5Hzあり、高い方にはまだ15kHz以上の余裕?がある。通常の音楽の世界では25Hz〜4500Hzの間の音を使うのできっと十分なのだろう。
 健康診断に「聴力検査」があることがあって、高低二つと左右二つの音を聞き取れるかが検査されるが、どうやら、低い音は1000 Hz=1kHz、高い音は4000 Hz=4kHzの高さの音らしい。20〜20000の範囲に十分に入るもので、おそらくは、ふつうの人間が日常生活を支障なく行える程度の聴覚の可聴範囲は、20〜20000ではなく、1000〜4000程度だ、と実際的には判断されているのではなかろうか。
 私の場合、20000=20kHzの音を発信されても全く聞こえなかった旨、すでに書いた。とくに聴覚障害が、私にあるわけではない。
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  すでに関連してきているが、以下で書くことは<音楽理論>とか<楽典>といわれるものに全くシロウトの者が書くことなので、専門家や詳しい人々は読まないでいただきたいし、間違ってもいても侮蔑しないでいただきたい。
 至極当然のことと考えられているのだろうが、オクターブが一つ上でも一つ下でも、あるいは何オクターブ上でも下でも、音は「同じ」と感じられている、というのは不思議なことだ。
 ピタゴラスや古代の中国等の人々も同じことにとっくに気づいていたと思われる。
 ピアノではA0からA7まで7オクターブ、C0からC7まで7オクターブ、同じAまたはCであれば、「同じ」に聞こえる。だが高さは全く同一ではないはずだ。しかし、「同じ」に聞こえる。
 これは それぞれのHz数が、ある音(基音)を基礎にすると、2倍、4倍、8倍、16倍…、あるいは2分の1、4分の1、8分の1、16分の1、…になっているからで、つまり、音の波動の形が最も容易または単純に(厳密にはたぶんほとんど)「重なり合う」からだ。
 ギリシアの人だと、弦の長さを2分の1にして爪弾くくと「同じ(ような)」音になる、4分の1の長さにしても同様、中国の人だと竹筒または木筒のの長さを2倍にして吹いてみると「同じ(ような)」音になる、4倍の長さにしても同様、と「発見」したのに違いない。
 彼らもまた、現代人と、そして私と、同じまたは全く似たような「聴覚」・「音感覚」を持っていたに違いない。不思議ではある。
 なお、「Hz・ヘルツ」は音の高さの単位だが、電波・電磁波についても使われる。1ヘルツとは1秒間に1回の振動数(周波数)のこと。20kHzとは、1秒間に20000回の周波数・振動数のことを意味する(周波数が多いと音は「高く」なる)。
 さらに余計ながら、このヘルツはHeinrich Hertz という19世紀のドイツの学者の名に由来する。この彼が「電磁波」を発見する研究をしたドイツのカースルーエ(Kahrsruhe)大学には、今でもこの人の像があるという。
 Kahrsruhe(ドイツ西南部)にはたぶん今でも連邦通常〔民刑事〕裁判所と連邦憲法裁判所が、ドイツ鉄道駅から市街地を東へ抜けた所にある緑地・公園そばにあって、若かりし頃に外から建物だけを見たのだったが、きっと近くにあったに違いない大学とヘルツには、当時は関心が全くなかった。
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  ようやく、<ピタゴラス音律>とか<12平均律>に触れそうになってきた。
 ピタゴラスという人は数字に関心が深くて、1+2+3+4=10というふうに、1から3回一つずつ加えていった数の合計が10になることにも面白さ?を感じらしい。なお、ボーリング遊戯でのピンの並べ方とその数は、前方から1+2+3+4=10で、正三角形のかたちになる。
 基音(周波数1某とする)から出発して、1オクターブ上ずつの周波数は単純に1,2,3,4,5,…と増えていくのではない、ということは重要なことだ。つまり、一つ前の音よりもつねに2倍ずつ増えていくのだから、1、2、4、8、16,…と増えていく。
 さて、ピタゴラスは、あるいは古代の東西の人々は、弦または竹筒・木筒(竹管・木管)の長さが1/2、1/4、1/8と短くなれば「一オクターブ」(にあたるもの)ずつ高くなり、2倍、4倍、8倍と長くなれば「一オクターブ」(にあたるもの)ずつ低くなるが、元の音ときわめてよく調和する、ということを気づいたはずだ。
 そのうえで、種々の「実験」を試み、複数の音が「よく調和する」場合、あるいは連続する複数の音(音階と旋律)の選択の仕方等について、いろいろと試行錯誤したのだろう。
 その場合に、音を出す道具(楽器)のうち長さで区別しやすい弦または竹筒・木筒(竹管・木管)を使って、長さを①3分の2にしてみる、②2分の3(=1.5倍)にしてみる、ということを先ずはしたのではないだろうか。
 この辺りすでにシロウト談義になっているが、1/2にすれば1オクターブ高くなり、2倍にすれば1オクターブ低くなるのだが、その中間にある最も分かりやすい数字は、2/3と3/2しかないだろうと考えられる。
 1/2と1の間に3/4があるが、この3/4は、上の3/2の2分の1で、3/2の長さで「実験」する場合と実質的には異ならない。
 また、1と2の間には4/3もあるが、この4/3は、上の2/3の2倍で、2/3の長さで「実験」する場合と実質的には異ならない。
 さて、「ピタゴラス音律」についての説明を複数の文献・資料で読んでみたが、すでに現在一般に使われている「平均律」、正確には「十二平均律」を前提とする説明の部分が多いようだ。以下でも、それらを参照する。
 一定の基音(1とする)を前提にして、周波数を3/2ずつ乗してしていく、そしてその結果が2を超える場合は2で除すことによって2以下の数字とする。あるいは、周波数を2/3ずつ乗してしていき(3分の2にしていくということだ)、2分の1未満になる場合は2を乗することによって、1/2と1の間の数字とする。
 これをそれぞれを3回ずつ繰り返すと、すでに現代に一般的な音階符号を用いると、それらに近い(決して同じではない)数字の周波数の音が得られるのだという。
 かりに基音をDとすると1回めの×1,5で(上の)A、2回目のその×1,5(1/2)でE、3回めのその×1.5(1/2)でB。
 同じくDを基音として、1回目の×2/3(×2)でG、2回目のその×2/3(1/2)でC、3回めのその×2/3(×2)でF。
 これで現在にいう「全音」(白鍵)のA〜G、または C〜Bの7個(に近いもの〕が揃うことになる。
 上はDを基音としているが、C(ハ長調のド)を基音として(1として)音階を並べると、つぎのようになる、という。()内は、1に対する周波数の比。
 C(1)-D(9/8)-E(81/64)-F(4/3)-G(3/2)-A(27/16)-B(243/128)-C(2)。
 これは、分母に64や128が出てきて細かいようだが、その他のものも含めて、基音の3/2倍、2/3倍の各周波数という、古代人でも(楽器の長さを使って)発生させやすそうな音階だった。その意味では、原始的かつ最も人間的だつたとも言える。
 しかし、つぎの欠点、問題点があった、という。
 ①×3/2や×2/3を無数に繰り返していくと、いくら1/2や×2を使って調整しても仕切れない、つまり完結しない(元のいずれかに戻らない)。
 ②各音階の間が一定しない。
 しかし、この点は、現在でいう二つの「全音」間は上の数字によると全て9/8、「半音」と「全音」間(つまりEとFの間、BとCの間)はいずれも256/243なので、一貫しているとも言える。但し、後者は前者の半分(全音間の半分の17/16)ではない。
 上の②の但し書のような問題があると、今日でいう「転調」は、原則としてできなくなる。
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  そこで、「純正律」が現れ、そして「十二平均律」が現れた。
 これら、とくに後者に立ち入ることは今回はやめて、つぎのことだけを記しておこう。
 現在の音楽や音階上の「理論」では、おそらく「12平均律」が絶対視され、これを前提とする楽譜が書かれているものと思われる。演歌も、ジャズも、パラードも、等々全てそうだ。たぶん一定期以降の<クラシック>という西洋音楽に由来しているものは全てそうだ(但し、「君が代」も12平均律による楽譜で表現できる)。
 しかし、「理論」上絶対的に「正しい」と言えるようなものではなく、歴史的に、人間界(音楽関係者)の便宜が積み重なって、いまのような形になったものと思われる。
 なぜ、1オクターブを12で(再来する元の音階を含めると13だが、間の音階は12)で区切るのか。そう問われて、誰も「正しく」は回答できないのではないか。
 それに、ピアノに特有のことだが、なぜ全て白鍵ではなく5つだけ黒鍵なのか、なぜEF間、BC間だけ半音なのか、という素朴な疑問も湧く(全て白鍵では幅が長くなり過ぎて、両手でも届かないから?)。
 現在でも独特ないし特有の音階というのは一部残って使われているようだが、全世界的な「12平均律」の圧倒的優勢は崩れないだろう(しかし、1000年後のことは分からない)。
 したがって、その約束事に従って「理論」を勉強する必要も出てくる。和声・和音学とかコードとか(テンションとか)、長調・短調の区別とか、あれこれの「冒険」はあってもおそらくは全部そうだろう。
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