秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

島田洋一

1363/月刊正論8月号(産経)ー江崎道朗から西岡力=中西輝政へと。

 一 月刊正論8月号(産経)で、江崎道朗が与えられた4頁の紙面のうち1頁を使って、中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」(歴史通5月号(ワック)に言及し、中西の分析に「ほぼ同意する」、と書いている(p.241)。
 江崎道朗自身の最後の文章は、こうだ。
 「歴史戦の勝利を望むすべての人々にこの中西論文は読んでいただきたい。//
 厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない。」
 江崎道朗と中西輝政に「通じる」または「共感しあう」ところがあるだろうことは、中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版、2016)の西岡力による「まえがきにかえて」からもある程度は分かる。
 西岡力によると、産経新聞2015.02.24付「正論」で「冷戦の勝利者は誰かを問いたい」を書いたところ、中西輝政から「見方に賛成だ」との「連絡」があり、それを機縁として、月刊正論2015年5月号の西岡力=島田洋一=江崎道朗の鼎談ができた、という。
 産経新聞紙上のものを読んだ記憶ははっきりしないが、その内容は上の「まえがきにかえて」の中におそらくかなり引用されており、ほとんどか全くか賛同できる。
 というよりも、中西輝政=西岡力の上掲著を読み始めて最後まで了えた(たぶん2016年3月)こと自体、この西岡力の「まえがきにかえて」に引きつけられたことによる可能性が高い。
 その西岡力らの西岡力=島田洋一=江崎道朗鼎談「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号p.86以下については、かなり印象に残ったに違いない、秋月はこの欄で2015年5/18から2回に分けて「戦後70年よりも2016末のソ連崩壊25周年」と題し、「面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている」と書き始めて紹介・引用している。
 やや遠回りだが、江崎道朗と中西輝政というとこんな些末なことも思い浮かぶ。
 元に戻って、江崎道朗の文章のうち、「歴史戦」をめぐる「厳しい現実」という言葉が心を打つ。「厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない」。
 厳しい現実を理解せず、また理解しようとせず、従来の<保守の小社会>で安逸に生きていきたい言論人も多いのだ。
 二 西尾幹二の刺激的な言葉を再引用。月刊正論2016年3月号p.77。
 「本誌『正論』も含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか」、「言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がない」のは「非常に遺憾」だ。
 三 江崎道朗が読んでほしいという中西輝政論文の最後に、以下の叙述がある(初めて見たのではない)。歴史通5月号p.117-8。
 ・日本政府・日本人が「自前の歴史観」を世界に臆することなく自己主張するには「あと三十年はかかる」。このための条件の整えるのに「それだけの年数」がかかると思うからだ。
 ・条件の一つは、国内または日本国民内で「歴史観」での闘いが、「たとえば東京裁判史観をめぐって、せめて四対六くらいに改善していること」。
 ・「現在は一対九にも及ばない」だろう。「とくに、マスコミや歴史学界においては、この一対九にもはるかに及ばない」。
 なんとも厳しい現実認識なのだが、冷静に日本を俯瞰すると、こんなものかもしれない。中西輝政のそれは悲観的すぎる、とは言えないかもしれない、と感じる。
 中西輝政が感じていることは、日本国民の中で<東京裁判史観>に(明確に)反対する者は10%に及ばず、「マスコミや歴史学界」では10%に「はるかに及ばない」、ということだ。
 さて、と思うのだが、<保守>派とは<東京裁判史観>反対派のはずであり(と思っており)、とすれば例えば産経新聞「正論」や月刊正論(産経)に登場する論壇人・言論人のほとんどは<東京裁判史観>維持に反対の者たちだということになりそうだが、最近、これを強く疑うようになってきている。
 また、産経新聞や月刊正論(産経)のような新聞・雑誌ばかりを読んでいる(幸福な?)人々は、安倍晋三「保守」政権ということもあって、何となく国民の過半数が、少なくとも三分の一程度は<保守的>な「歴史観」を持っていると感じているのかもしれないが、大きな勘違いだろう、と思われる。
 冷厳な現実は、中西輝政の指摘するものに近いのではないか。
 四 ついでに。平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)p.32以下は昨年夏の「安倍談話」を支持する立場からのものだが、こんな悪罵を投げつけている。誰に対してかの固有名詞はないが、中西輝政や西尾幹二を含んでいるかに見える。
 ・「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる」。
 ・とくに日本では「反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる」。
 ・「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 ・「不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」。以上、p.35-36。
 「東京裁判史観」を基本的に批判する立場の者は、私も含めて「自国のしたことはすべて正しいと言い張」っているわけではない筈だ。
 「おかしな右翼」、「いささか頭が単純な人」とはいったいどのような人々なのか、平川祐弘は言論人ならば明瞭にすべきだろう。
 平川うんぬんが主テーマではない。このような内容を含む論考を巻頭に掲載する、花田紀凱編集・月刊WiLLが(今は編集長が替わったので、花田紀凱編集長の新雑誌や月刊WiLLという名の雑誌が)<保守>派を代表する論壇誌(の一つ)として扱われている、という悲惨な現実がある、ということをしみじみ感じている。今なお、渡部昇一の文章を掲載する非「左翼」系のはずの雑誌がある(月刊Will8月号「それでも、やっぱり安倍晋三!」!。産経・月刊正論8月号もその一つ)、という現実も。
 「厳しい現実」を直視して、鱓(ゴマメ)の歯軋りの如く呟きつづけても、「あと三十年はかかる」。

1290/戦後70年よりも2016年末のソ連崩壊25周年-2

 西岡力=島田洋一=江崎道朗「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号(産経新聞社)の諸指摘のうち重要な第二は、<2015年は戦後70年>ということのみを周年・区切り年として語るべきではない、ということだろう。
 <戦後70年>ということ自体、平和条約=講和条約によって正式に戦争が終了するのだとすると、サ講和条約発効の1952年を起点として、今年は<戦後64年>であるはずだ。
 それはともかくとしても、1945年の8-9月以降も日本や世界にとって重要な画期はいくつもあった。
 1947年の日本国憲法の施行、1952年のサ講和条約発効もそうだが、1950年の朝鮮戦争もそうだった。
 この戦争勃発によって、日本の歴史も変化している。警察予備隊・保安隊、そして1954年に自衛隊発足となる。そしてまた、この戦争に正規の中国軍も北朝鮮側に立って参加し、実質的にはアメリカ軍だとも言えた国連軍と戦火を交えた。すでに成立していた中華人民共和国の軍隊は、国連軍、そしてアメリカ軍の「敵」だったのだ。
 中国はまた、ソ連とともに<東側陣営>に属して、西欧やアメリカにとってのソ連ほどではなかったとしても、<冷戦>の相手方だった。アメリカとは基本的に異質の国家・社会のしくみをもつ国家だった。
 中国は、2015年を<反ファシズム戦争勝利70周年>として祝うらしい。そして、アメリカに対しても、同じく<反ファシズム戦争>を戦った仲間・友人ではないかとのメッセージを発しているらしい。GHQ史観・東京裁判史観に立たざるをえないアメリカがこれになびいている観もなくはなく、このような行事を批判・峻拒していないのは嘆かわしいことだ。
 しかし、第一に、上述のように、<反ファシズム戦争>なるものの時期よりもあとに、中国はアメリカと対決してきている。仲間・友人だった時代よりも、対戦相手・「敵」だった時期の方が新しく、かつ長い。
 第二に、先の大戦を<反ファシズム戦争>と性格づけるのは、日本共産党はぜひともそういう性格づけを維持したいだろうが、正しくはない。つまり、ソ連はそもそも<反ファシズム>国家だったのか、という根幹的な問題がある。
 上の鼎談で島田洋一は言う-「ソ連は一党独裁で、しかもスターリンは二十世紀でも指折りの人権弾圧者」、「経済は市場メカニズムを排除する点でファシズム以上に抑圧的」、「政治的な自由度も当時の日独伊を遙かに下回って」いる(p.88)。
 このようなソ連を<反ファシズム>の「民主主義」国家だとはとても言えないはずだ。
 アメリカがソ連と「組んだ」こと、そして当時の中国よりも日本を警戒・敵視したこと、結果として<共産中国>を生み出してしまったことについては、当時のアメリカの大きな判断ミスを指摘できるとともに、なぜそのような「誤った」判断ミスに至ったかに関係するアメリカ内部の共産主義者の動向をさらに把握しておく必要がある。だが、この点は、ここでのテーマではない。
 第三に、<反ファシズム戦争>なるものの当事者では中国共産党はなかった。実際に日本と戦争したのは中国国民党で、毛沢東らの中国共産党ではない(p.88の西岡力発言も同旨)。
 さらに、毛沢東らの中国共産党によって建国された中国が<反ファシズム>の戦いを祝える資格がそもそもあるのか、という問題もある。
 上の鼎談で再び島田は言う-中国は「政治・経済体制として典型的なファシズム」で、少数民族弾圧の点では「ナチズムの要素」もある。一言では「帝国主義的ファシズム」国家ではないか(p.89)。
 <ファシズム>についての厳密な定義が語られているわけではないが、ハンナ・アーレントがナチズムや社会主義(・少なくともスターリニズム)を<左翼全体主義>と性格付けていることを知っていたりするので、中国を「ファシズム」国家とすることに違和感はまったくない。
 そのような現在の中国がアメリカやフランス・英国等とともに<反ファシズム戦争勝利>70年を祝おうとするのは狂気の沙汰だと感じる必要がある。島田洋一によれば、「ファシズムに加えて、ナチズムの要素を持ち、ヒトラリズムの傾向をも見せている中国が、反ファシズム戦争の勝利を祝うのは倒錯の極み」だ、ということになる(p.89)。
 もともと戦前・戦中の日本が「(天皇制?)ファシズム」国家だったのかという問題もあるのだが、さて措く。
 さて、いわゆる戦後の忘れてはならない重要な画期は、1989年11月のベルリンの壁の「崩壊」(物理的には「開放」だが)等につづく、ソ連邦の崩壊であり、「独立国家共同体」の成立をその日と理解すれば、それは1991年12月21日のことだった。
 この1991年末をもって、少なくともソ連-さらには東欧旧「社会主義」諸国-との関係での<冷戦>は終わったのであり、かりにソ連等に限るにせよ、ソ連のかつての力の大きさを考慮すれば、<自由主義(資本主義)の社会主義に対する勝利>が明瞭になった、じつに重要な画期だった。
 20世紀を地球上での<社会主義>の誕生とそれを奉じた重要な国家の崩壊による消滅過程の明瞭化の時代と理解するならば、この1991年という年を忘れてはいけない。そして、時期的な近さから見ても、1945年よりも(1989年や)1991年の方が重要だという見方をすることは十分に可能だと思われる。
 「冷戦」に敗北したのはソ連だったとしても、同じ<社会主義>(を目指す)国家である中国もまた、<冷戦>の敗戦国と言うべきだろう。また、日本はドイツ等とともにアメリカと協力して<冷戦勝利>の側にいたのだ。
 まさしくこの点を、上の鼎談で江崎道朗は次のように言う。
 「日本は戦後、自由主義陣営の一員であることを選択し、アメリカと共にソ連と戦い、勝利した戦勝国であることを誇るべきであった」(p.92)。
 さらに、日本国内でかつて全面講和を主張したり、日米安保条約改訂に反対したりしてソ連(や中国)の味方をした「左翼」論者・マスコミ等は、日本社会党等とともに、現実の歴史では<敗北した>のだ(p.92の西岡発言参照)。日本共産党も<敗北>の側にいたと思うが、この点は、日本共産党が、ソ連は「社会主義」国ではなかった、崩壊を歓迎するなどと<大がかりな詐言>を言い始めたことにかかわって、別に扱う(この点に、この欄ですでに批判的に論及したことはある)。
 1991年末から2016年末で25年が経つ。戦後70年における反省とか謝罪を話題にするよりも、<冷戦勝利>25周年の祝賀をこそ祝い、なお残る<社会主義>国の廃絶に向けた誓いの年にすべきだろう。
 西岡力は、次のように言っている。至言だと考えられる。
 「今年から来年にかけ、一九九一年の冷戦勝利二十五周年を記念する行事を日米が中心となって開催すべき」だ(p.91)。
 

1289/戦後70年よりも2016年末のソ連崩壊25周年-1。

 月刊正論2015年5月号(産経新聞社)p.86-の鼎談、西岡力=島田洋一=江崎道朗「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」は面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている。
 第一に、日本にとっては「冷戦」は今も継続しているということが、明確に語られている。
 この欄を書き始めた頃、強調したかったことの数少ない一つは、この点だった。なぜなら、保守派論者の文章の中でも、<冷戦は終焉したが…>とか、しばしば書かれていたからだ。なるほどくに西欧の国々・人々にとってはソ連邦の解体によって冷戦は終わったと感じられてよいのかもしれないが、日本と日本人にとってはそんなに暢気なことを言うことはできない、と考えていた。もちろん、近隣に、中華人民共和国、北朝鮮などの共産党(・労働党)一党独裁の国家がなおも存在するからであり、これらによる日本に対する脅威は依然としてあったからだ。
 中国や北朝鮮について、その「社会主義」国家性または<社会主義を目指す>国家であることの認識は意外にも乏しいような印象もある。とくに北朝鮮の現状からすれば「…主義」以前の国家であるとも感じる。しかし、この国がソ連・コミンテルンから「派遣」されたマルクス・レーニン主義者の金日成(本名ではない)を中心にして作られた国家であることは疑いなく、1950年には資本主義・「自由主義」国の南朝鮮(韓国)へと侵攻して朝鮮戦争が始まった。中国の現在もたしかに中国的ではあるが、日本共産党・不破哲三が<市場経済を通じて社会主義へ>の道を通っている国と認めているように、また毛沢東がマルクス主義者であったことも疑いないところで、日本やアメリカ・ドイツ等々と基本的に拠って立つ理念・しくみが異なっている。
 日本にとっての最大の矛盾・対立は、石原慎太郎のように毛沢東・矛盾論に傚って言えば、これら<社会主義>の国々との間にある。アメリカとの間にもむろん対立・矛盾はあり日本の「自立」が図られるべきだが、この<社会主義(・共産主義)>との対抗という点を絶対に忘却してはならない、とつねづね考えてきた。アメリカと中国に対する<等距離>外交・<正三角形>外交などはありえないし、中国が入っての<東アジア共同体>など、中国の政治・経済の仕組みが現状であるかぎりは、語ってはいけないことだ。
 上記鼎談で、島田と西岡は言っている(p.91)。
 島田-冷戦は「終わったのはヨーロッパにおいてだけで、アジアでは終わっていません」。
 西岡-1989年の中国共産党は「ファシズムを続ける選択」をした、「アジアでは…対ファシズム中国という構図を中心にした冷戦は終わっていない…」。ここでの「ファシズム」という語の使用にも私は賛成だが、しばらく措く。
 また、江崎は次のように語る。-アメリカの「共産主義犠牲者財団」は2014年に、「アジアでは。…北朝鮮と、…中国がいまなお人権弾圧を繰り返しており、アジアでの共産主義との戦いはまだ続いている」というキャンペーンを繰り広げているなど、アメリカの保守派の中には戦後70年ではなく「アジアの冷戦という現在進行形の課題」への強い問題意識をもつ人たちがいる。
 かかるアメリカの一部の動向と比べてみて、日本の状況は<対共産主義>・<反共>という視点からの問題関心が乏しすぎると感じられる。
 さて、いちおうここでの第一点に含めておくが、20世紀は二つの世界大戦によって象徴される世紀であるというよりも、ロシア革命の勃発によるソ連<社会主義>国家の生成と崩壊の世紀だったということの方がより大きな世界史的意味をもつ、といつぞや(数年以上前だが)この欄に書いたことがある。こういう観点から歴史を把握する必要があるのではないか。
 このような問題関心からすると、鼎談最後にある江崎道朗の以下の発言も、十分によく理解できる。重要な問題意識だと思われる。
 すなわち、「日本にとっての冷戦はわが国に共産主義思想が押し寄せてきた大正期に始まり、大東亜戦争に影響を与えて現在も続いている」、と考える。2017年はロシア革命100年、2019年はコミンテルン創設100年、こうした100年を見通した「100年冷戦史観」とでも言うべき「歴史観」の確立に向けて今後も議論したい。
 70年後に反省・謝罪したりするのではなく25周年を祝え、という意味の第二点は、別に続ける。
 
 

0983/「自由」は「民主主義」の根本か-櫻井よしこ・月刊正論3月号。

 屋山太郎の名も表紙に掲げる月刊正論3月号(産経新聞社)は、第26回正論大賞受賞記念論文と銘打って、櫻井よしこ「国家としての大戦略を確立せよ」を掲載する。

 内容に大きなまたは基本的な異論はないが、インドも同じ立場に立つ「価値観外交」をせよ、そのための「憲法、法制度の改正」を急げ、というのが確立すべき「国家としての大戦略」だとの基本的趣旨のようで、新味はない。

 また、気になる部分もある。以下はその例。

 第一に、「日本人として、中国や韓国では勿論のこと、米国においてさえも時に感じる歴史認識の相違は、インドには存在しない」とある(p.61)。
 インドうんぬんを問題にしたいのではない。「米国においてさえも時に感じる歴史認識の相違」とは、アメリカに対して相当に甘い見方ではなかろうか。

 同じ月刊正論3月号の書評欄にアーミテージ=ナイ・日米同盟vs.中国・北朝鮮(文春新書)が採り上げられているが(この新書は未読)、紹介(・書評)者の島田洋一はこの本の中で、J・S・ナイ(クリントン政権CIA国家情報会議議長・国防次官補、ハーバード大学教授)は「2010年は民主党政権の閣僚は1人も靖国参拝をしていませんね。それはとても良いステップであり、重要だと思います」と述べていると紹介して「余計な」「アドバイス」だ(アーミテージは賢明にも沈黙を保っている)とコメントしている。

 これは一例だと思うが、かの戦争や東京裁判、首相靖国参拝等にかかわる米国と日本の間の「歴史認識の相違」は、少なくとも日本の<ナショリスト派保守>(と中川八洋の「民族派」との語を意識して呼んでおく)にとっては、「米国においてさえも時に感じる」というようなものではなく、より根本的なものがあるのではなかろうか。

 櫻井よしこは民主党閣僚が誰一人として靖国参拝をしなかったことを諒とし、「良いステップ」だと評価する評論家だったのだろうか。アメリカを含む(非中国・反中国の)<価値観外交>の重要性を説きたいがために、ここではアメリカの主流派的「歴史認識」への批判・警戒を薄めすぎているように見える。

 第二に、「民主主義の根本は人間の自由である。言論、思想信条の自由、信教の自由を含む基本的人権の確立である」とある(p.52)。

 中国の「民主主義」の観点からの「異質さ」を語る中で述べられている文章だが、この簡単な叙述には、率直に言って、非常に驚いた。

 「基本的」がつく「基本的人権」という語は欧米にはない日本的なもので同じ<価値観>の欧米諸国に普遍的なものではない(「人権」や「基本権」はある)、田母神俊雄が事実上免職された際に櫻井よしこ(や国家基本問題研究所)は「言論、思想信条の自由」のためにいかなる論陣を張ったのか、「シビリアン・コントロール」という概念の使い方に文句をつけていたが田母神俊雄を擁護しはしなかったのではないか、といった点は細かなこととして、今回はさて措くこととしよう。

 驚いたのは、「民主主義」と「自由」の関係に関する簡単な叙述だ。<「民主主義」の根本は「自由」だ>というように簡単に両者を関係づけるのは、「民主主義」や「自由」というものに対する深い洞察・知見のないことを暴露していると思われる。

 この両概念をどのような意味で用いようと自由勝手だとも言えるが、この両者は別次元のもので、どちらかがどちらかの「根本」にある、というような関係にはないのではないか。正論大賞受賞者ならばいま少し慎重な用語法をもってしてもよかったのではないか。

 より詳しくは(といってもこの欄に書く程度の長さだろうが)、別の機会に述べる。

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