秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

岩波講座

1135/今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012)に見る日本史学・「学問」。

 今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)p.125以下(「平泉澄と権門体制論」)の今谷による要約によると、1963年に岩波講座・日本歴史/中世2に書かれ、1975年に単著に収載されたようである、黒田俊雄(1926-1993)の、日本中世についての<権門体制>とは、例えば、次のようなものであるらしい。
 ①幕府論や武家政権論に還元された中世国家論・中世封建制論を「実体的に把握し直す」ための概念で、究極的には中世「天皇制」・「王権」の構造を究明する目的をもつ。
 ②<権門体制>論の趣旨は「人民支配の体系としての権力の構造」の究明にあり、史的唯物論にいう「上部構造」の解明を意図していて、「黒田の立論はすぐれてマルクス主義的国家論」だ。
 ③黒田の基本的認識は「公家も武家も等しく中世的な支配勢力」だということで、鎌倉幕府を「進歩的」・「革新的」と見る当時の通説(幕府論、領主制論)への疑問があり、同じくマルクス主義に立つ論者からも黒田の論は批判された(以上、p.126-128)。
 そのあと、黒田の論をめぐる石井進や佐藤進一らの議論も紹介されているが、今谷とともに、いや門外漢なので当然に、今谷以上に立ち入ることはしない。
 今谷が関心を持っているのは、黒田俊雄説の「学説史的背景」、「学説的前史」だ(p.125)。そして、この点についての叙述が、相当に興味深い。
 今谷の関心は、もう少し具体的にいうと、従来の通説は武家勢力とは異なり古代的・守旧的勢力と位置づけられる傾向にあった公家・寺社勢力を武家と同様に「中世的権門」と位置づける、という中世に関する時代・社会イメージを、黒田はいかにして獲得したのか、だ(p.133)。
 ここで平泉澄が登場してくる。今谷明は1926年の平泉の著書を読み、平泉がすでに、社寺・公家・武家の「三権門鼎立説」、国家統制(黒田のいう「人民支配」)のうえで三権門のいずれも単独では支配を貫徹できない旨を明記していたことを知る。
 そして、黒田俊雄説は「階級史観」の立場から平泉説を「換骨奪胎」し、装いを新たにして学界に公表したのではないか、という(p.137)。
 もっとも、慎重に、今谷は、黒田は平泉の著書を知らず、それに気づくことなく自ら「権門体制論」を構築したのだろうと、とりあえずは想像した。黒田俊雄は「平泉澄らのいわゆる皇国史観」、それは「国史」の「狂暴な反動的形態」などと平泉を罵倒していたからだ(p.138。黒田のこの文章は1984年)。
 しかし、さらに究明して、今谷は「平泉と黒田の言説の共通点」に「いやでも」気づいていく(p.139以下)。具体的な例がかなり詳しく紹介されているが、ここでは省く。そして、今谷が出した結論はこうだ。
 1975年の段階で黒田俊雄は平泉の1926年の著書を「熟知していたにもかかわらず、あたかも知らなかったかのように注記その他で全く平泉の名を出さなかった、ということになる」。平泉の高弟・平田俊春の論文等は随所に引用しているので、黒田は既往の研究のうち、平泉のもの「のみに関して引用を忌避した、とみてよいのではあるまいか」(p.144)。
 一般論的に、今谷は次のように述べて、この節を終えている。
 黒田批判が目的ではない。「問題は、当時の学界全体がそうした黒田の行論を看過し、黙認した、その事実」だ。「戦後歴史学界には、種々のタブーが現実に存在する。タブーの打破を標榜する歴史家にしてからが、自らタブーに手をかしているという現状は、…いささか奇妙なものに思われるが、ことは日本史学界の通弊として片付けられないものを含んでいる」。「学説を立論者個人から切り離し、学説として尊重する姿勢を拒み、立論者の存在とともに葬り去ってよしとしているならば、われわれはまだ『皇国史観』の亡霊から自由になってはいない、ということではないだろうか」(p.145)。
 以上で紹介は終えるが、最後の叙述・指摘は、学問一般、日本の学問研究風土一般にも当たっていそうで、はなはだ興味深いものがある。一つの契機にすぎなかったのかもかもしれないが、今谷がこのように述べる出発点が、マルクス主義歴史学者(とされる)黒田俊雄の著作にあったこともまた、別の意味で興味深い。
 唐突に前回紹介の<民科(法律部会)>を例に出せば、法学の世界でも、「民科」に加入している研究者の論文・著書は肯定的・好意的に紹介したり引用したりしながら、同じ内容または同程度に優れた内容の論文・著書は、論者が「民科」に入っていないことを理由として、場合によっては「民科」に敵対しているとみられることを理由として、いっさい無視する、といったことが行われていないだろうか。
 「学説を立論者個人から切り離し、学説として尊重する姿勢を拒み、立論者の存在とともに葬り去ってよしとしているならば、『日本共産党』や『マルクス主義』の亡霊から自由になってはいない、ということではないだろうか」。
 法学に限らず、教育学・社会学・政治学等々についても同様のことが言える。
 <学問>を「政治的」立場レベルでの闘いだと理解している日本共産党員は少なからず存在する、と思われる。そうでなくとも、論者の「名」によって引用等の仕方を変える程度のことは、「日本史学界の通弊」なのではなく、日本の人文・社会分野の諸学界において、<広く>行われていることではないかとも思われる。そして、そうした傾向は、学界全体が<左翼的>傾向に支配されていることが多いこともあって、<左翼的>学者が日常的に行っていることなのではあるまいか。
 それは黒田俊雄に見られるような(今谷明に従えばだが)「政治主義」・「党派主義」によることもあれば、「権威主義」というものによる場合もあるかもしれない(とりあえず、学界の権威・「大御所」に従い、例えば、引用を忘れない)。あるいは、そこにも至らないような、<趨勢寄りかかり主義>・<世すぎのための安全運転主義>といったものによるかもしれない。
 まともな「学問」は行われているのか。現在の「学問」状況はどうなっているのか。そんなことを考えさせるきっかけにもなる、今谷明の著書(の一部)だった。

0607/岩波講座・憲法1の編集責任者・東京大学の井上達夫。

 一 本体・中身は未読だが、岩波講座・憲法1(岩波書店、2007.04)の編集責任者であるらしき、かつ東京大学法学部・法学研究科の「法哲学」担当教授であるらしき井上達夫という人物は、「哲学」の一種の専攻者である筈にもかかわらず(?)、沈着冷静ではなく、なかなかに<感情的>心性をお持ちのようだ。
 井上達夫による「はじめに」の最初の2~3頁は、皮肉を込めていうのだが、読みごたえがある。
 井上は次のように冒頭から書く。
 ・現憲法は還暦を迎えたが、「改憲論が政治的に高揚する中、祝福慶賀の声より、『憲法バッシング』の声の方が喧しい」。
 ・敬意を表するどころか、「昂然と侮蔑するような」態度が横行している。「『戦後憲法は紙屑だ』などと吐き捨てる」言動は、「右派知識人」・「草の根保守の民衆」にのみ見られるのではない。
 ・公権力の担い手・首相や閣僚たちも「靖国公式参拝を執拗に繰り返し、憲法の政教分離原則をまさに『紙屑』扱いしている」。
 冒頭の6行が上のとおりだ。冷静・沈着な落ちついた叙述とはとても言えない。改憲論者に対する<呪詛>の感情に溢れている。
 私にはよくわからないのだが、「『憲法バッシング』の声」とは具体的に誰のどのような言葉なのだろう? 改憲論=「憲法バッシング」とは論理的には言えない筈だ。また「『戦後憲法は紙屑だ』などと吐き捨てる」言動をしているのは具体的に誰々のことなのだろう?

 また、上では「靖国公式参拝」は憲法を「『紙屑』扱い」するものとも述べているが、「靖国公式参拝」が政教分離原則に反する違憲のものという前提らしきものそのものは適切なのだろうか? 首相・大臣らの伊勢神宮参拝も政教分離原則違反なのだろうか? 靖国神社だけを特別扱いしているとすれば、それは何故なのだろう。A級戦犯合祀がその理由なら、それは政教分離原則とは別の次元の問題ではないか?

 こんな疑問がつぎつぎに湧くが、井上は微塵も疑っていないかの如く、首相や閣僚たちは「靖国公式参拝を執拗に繰り返し、憲法の政教分離原則をまさに『紙屑』扱いしている」と断定しているのだ。恐れ入る。 
 二 井上達夫は、護憲論者の多くと同様に、現憲法に対する<押しつけ(られた)憲法>という批判を相当に気にしているようだ。
 上記のように書いたのち、井上はいう-憲法は制定時の反対勢力のほかに「後続世代の政治的意思に対しても、『押し付け』的性格を多かれ少なかれ内包している」。憲法は元来「押し付け」の性格をもつのだから、「憲法の出自にかかわる『押し付け』問題に拘泥」するのは憲法の真の問題性を暴くものではない。
 興味深い論調だ。ここには、「押し付け」概念の拡散・横すべりがあり、争点隠しの心情が読み取れる。
 「強制」で旗色が悪くなると、「関与」という概念に逃げ込んで満足しているのと、どこか似ているところがある。
 改憲論の論拠は、米国又はGHQによる「押し付け」、つまり日本国民・当時の国会議員の自由な議論を経ずして現憲法が制定された、という手続的(・形式的)問題にのみあるわけではない。

 だが、井上があえて上のように書かざるを得ないのは、手続的(・形式的)問題はやはりなお護憲論者たちの弱点なのだろうと推察される(鈴木安蔵たち日本人の原案があったとする「押し付け」論回避・批判論も近時はさかんなようだが)。
 三 改憲論者憎しの感情は先に紹介の部分でも窺えるが、表紙カバーの見開き面裏側にはこんな言葉がある。
 「空疎な改憲論が横行するなか、いま、改めて立憲主義というキーワードへの関心が高まっている」。
 岩波書店の編集担当者の文章かもしれないが、この巻の編集責任者である井上達夫が承認・同意を与えたものだろう(あるいは井上自身が書いた文章である可能性もある)。
 上の一文において、「空疎な改憲論」と空疎ではない改憲論とは区別されているのだろうか。「横行」しているのは「空疎な改憲論」だというのだから、改憲論はすべて又は殆ど「空疎」だ、と言っているに等しいものと思われる。
 それではなぜ「空疎」なのか。むろん、これに応える文章はない。
 要するに、「改憲論」を悪玉にするためのそれこそ「空疎」な決めつけ、あるいは思い込みに他ならないだろう。
 四 東京大学法学部・法学研究科には現在もれっきとした「左翼」が棲息している。
 また、個々の論文の執筆者とその内容について一律に判断するつもりは全くないが、「九条の会」の事務局的役割を果たしていると思われる岩波書店の憲法関係の出版物は、<政治的>色彩を帯びていることをあらためて確認しておく必要があるものと思われる。

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