秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

山際澄夫

1277/山際澄夫が産経新聞に注文-月刊WiLL3月号。

 〇 山際澄夫が産経新聞を批判している、または産経新聞に注文をつけている。月刊WiLL3月号(ワック)の山際「朝日と産経"角度"のつけ方」だ(p.98-)。第一次的には朝日批判の文章の中で、山際は次のように産経にも論及する。
 ・「産経新聞にも朝日新聞に劣らず角度のついた記事が多い」。産経新聞のOBで産経を購読していない者が言うには、「読まなくても何を書いているのか分かる」、「民主党を叩くのはいいのだが、記者の思いが前面に出過ぎてニュースなのか、記者の主張なのかが分からないこともある」。
 ・産経新聞を称賛して余りあるが、「報道が単色」との批判もある。例えば、「安倍政権について批判的なニュースはほとんどない」。
 ・自民党は選挙公約から竹島の日式典政府主催等を削り、安倍首相は一昨年末以降靖国参拝をせず、村山談話・河野談話を継承するとしている。これらに自民「党内や支持層に動揺や批判はないのだろうか。批判がないとしたらそれはなぜなのか」。産経新聞にはこうした疑問に答える記事がほとんどない。
 ・「安倍政権を支持することとキチンと批判することは、別なはずだ」。
 ・産経新聞の経営体質は「古くて弱い」。フジテレビの支援が不可欠らしいし、幹部が政治部出身者で固められているのも「どうかと思う」。誤報についての責任のとり方も、威張れたものではないことがある。
 山際澄夫のような<保守派>論客が<保守派>産経新聞について上のように書くのは、けっこう勇気のいることだと推察される。但し、その内容には同感する点が多い。私自身、2007年参議院選挙前に朝日新聞等による内閣打倒・安倍バッシングのキャンペーンが始まるまでは、アメリカでの「慰安婦」決議等々に対する第一次安倍内閣の姿勢・不作為について、この欄で疑問を書いたことがある。
 私も安倍政権を支持し、久しぶりに宰相らしい首相が日本にも出てきたと感じているが、山際の言うように「安倍政権を支持することとキチンと批判することは、別なはずだ」。安倍政権のしていることを100%支持し賛同しないと<保守派>ではない、とでもいうような<教条主義>に陥ってはいけない。<反共>は当然に「自由」を尊重する。個々の「自由」を圧殺するような雰囲気を作ることは<反共>(=「自由封殺」の<共産主義>に断固として反対すること)の考え方とは相容れないものだ。
 〇 上に指摘されているような、「安倍政権について批判的」な記事がほとんどないこと、安倍政権擁護ぶりは、産経新聞社刊の月刊正論にもあると見られる。例えば、月刊正論1月号(産経)の末尾には、次のような読者の「編集者へ」の意見と編集部の「編集者から」と題する回答?(コメント)がある(p.366-7)。
 ・読者の意見-産経新聞を読んで安倍政権が河野談話を撤回しないのはアメリカに遠慮しているためだと分かった。米国への遠慮は「歴史修正主義」と受け止められることを怖れてのことらしい。それでも、疑問が残る。撤回はなぜ「歴史修正」なのか。さらに、「歴史修正主義」と見られないように取り繕うことは正しい姿勢か。「歴史修正主義」でないように装うことは「戦後レジームからの脱却」の大義を放擲することで、安倍政権の自己否定ではないか。
 これは編集部に回答を求める性質のものではないとも思われるが、編集部はあえて次のように書いて「説得」?している。編集部の誰が書いているかは不明だが、編集長・小島新一は了承しているのだろう。
 ・編集部の見解-歴史観の修正の必要はそのとおりだが、欧米各国から「歴史修正主義者」と見なされることは「避けなければならないということは強調させて下さい」。「歴史修正主義者」とはたんに歴史の修正意図者ではなく「ナチスやその種の思想や行動を肯定しようとする者という語感を持つ言葉だそうです」。日本の指導者がそのような者だと受取れられれば日本は国際社会から敵視され孤立する。「国際社会が欧米中心の秩序で成り立っている限り」、その中でどう誤解を解くのかを考えざるを得ない。以上。
 あらためて書けば、上の読者の意見はもっともだ。これに対して、まるで安倍内閣を代表して、いや「代わって」回答しているかのごとき編集部の文章の方に疑問が多い。
 まず、「歴史修正主義」なるものの意味について、読者-「先の大戦を『ファシズムと民主主義の戦い』ととらえ、大戦の責任を全て日本に負わせ、日韓合邦も朝鮮への不当な支配とみなす歴史認識」、編集部-「ナチスやその種の思想や行動を肯定しようとする者という語感を持つ言葉」、という違いがある。この語の意味をまともに考えたことはないが、編集部が「だそうです」などと曖昧に述べているかなり狭い意味での捉え方よりも、読者の理解の方が的確だと思われる。後者<前者、という関係になるだろう。また、フランス革命を従来のように美化せず、問題も多かったことを認める考え方がそのフランスでも出てきていて「歴史修正主義」というらしいと何かで読んだが、そこでの「歴史修正主義」はナチスとはむろん関係がない。基本的に言って、これまでの通説的または支配的な<欧米近代>を起点・中心とする歴史観を疑うのが「歴史修正主義」で、どちらが適切かは今後数十年後か100年後には変化している可能性がある、と思う。月刊正論編集部は、安倍政権を擁護したいあまり、不正確な、又は狭すぎる「歴史修正主義」の理解を持ち出しているのではないか。
 編集部の最後の文章は、その卑屈さに驚く。「国際社会が欧米中心の秩序で成り立っている」ので、じっと我慢せよ、と言いたいかの如くだ。
 争点は、河野談話を撤回すべきか否かだ。産経新聞をきちんと読んではいないが、上記のようなやりとりがあることからすると、産経新聞は河野談話を撤回せよ、と主張してはいないようだ。月刊正論編集部によれば、それは安倍内閣が「歴史修正主義」に立っていないことを示すためのようだが、さほどに大袈裟な問題ではないだろう。言うまでもなく「慰安婦」問題に関する談話なのであり、先の大戦全体の認識・評価に直接は関係がない。すなわち、「歴史修正主義」に立たなくとも、河野談話を否定・撤回することができる(そうはいかず、深刻なのは村山談話だ)。
 具体的な問題は、とくにアメリカとの関係で(韓国や中国とも関係はするが)どのような<外交>戦術をとるべきか、だ。ここで、中西輝政の言う<保守原理主義>か<戦略的現実主義>のいずれを、この案件について、とるべきか、の問題が生じるのかもしれない。この観点から、後者に立って安倍政権を擁護するならばまだよいが、「歴史修正主義」や「欧米中心の秩序」を持ち出して擁護するのは、安倍晋三首相の本意ともおそらくは違っているように考えられる。
 <保守派>の代表らしき月刊雑誌の編集者が(いや、代表は月刊WiLLに変わっただろうか)上のようなことを書いて、それ自体はまともだと考えられる読者の意見を<切り捨て>、<説教>しているのは、多少は情けなく感じてしまう。

1239/朝日新聞による「倒閣」運動としての特定秘密保護法反対キャンペーン。

 〇「政治結社」朝日新聞のヒドさは何度も書いたことで、それは、そもそもこのブログサイト開設の動機の重要な一つだった。
 月刊WiLL2月号(ワック)の山際澄夫「『秘密保護法反対』朝日のデマ報道」は近時の朝日新聞(正確には朝日新聞「等」)の「デマ報道」ぶりを社説等(大野博人の論説を含む)を引用しつつ具体的に指摘しており、資料的価値も高い。いくつか、紹介またはコメントする。
 ・山際も書くように、「一般人が特定秘密であることを知らないで情報を受け取っても処罰されることはない。暴行、脅迫。不法侵入、有線傍受などによって特定秘密を不正に取得した場合に限り、罪になる」(p.248)。しかるに、山際に依拠しておけば、朝日新聞10/26社説は「国民の知る権利」・「報道の自由」を制約し「その影響は市民社会にも広く及ぶ」と、同11/08社説は米軍基地・原発等の情報を得ようと「誰かと話し合っただけでも、一般市民が処罰されかねない」と書いた。
 処罰対象に「特定秘密」を知る(政府から業務委託を受けた会社従業員等の)民間人や上記のような態様でそれを不正に取得した民間人が含まれるのは確かだが、朝日新聞が書くように「影響は市民社会にも広く及ぶ」ことはないし、特定秘密に関心をもった「一般市民」がそれだけで刑罰を課されることはない。
 上のような朝日新聞社説は、意見・主張ではなく「デマ」の撒き散らしに他ならない。
 ・この欄でも既に書いたが、民主党政権時代の尖閣中国船衝突事件のビデオの「公開」に関する意見・姿勢と今次の朝日新聞のそれはまるっきり違う。山際が見出しとするように、「朝日、いつもの二重基準(ダブルスタンダード)」なのだ(p.248)。
 ・朝日新聞12/07社説は(私もデータ保存している可能性があるが山際に従って書くと)、12/06に成立した特定秘密保護法をかつてのドイツの全権委任法や日本の国家総動員法になぞらえ、この法律によって日本が「戦前」に戻るかのごとき主張をしている。
 また、朝日12/08の「天声人語」いわく-「国の行く末がどうなるか、考えるよすがもないまま戦争に駆り立てられる。何の心当たりもないまま罪をでっち上げられる。戦前の日本に逆戻りすることはないか」。これまた、「デマ」の撒き散らしだ。そして、悪質の<被害妄想>症に罹患している。あるいは、このような<被害妄想>をかりに一部でも本当に持っているとすれば、それだけの<やましさ>を朝日新聞が感じているのではないか、と推測することもできる。
 朝日新聞は日本の防衛・安全保障等に関する情報(特定秘密)を取得して、日本のそれらを害するように報道して「公開」したい、そして積極的にか結果としてか、「共産党」中国や北朝鮮に知らせたいのではなかろうか。いちおう疑問形で書いたが、<反日・売国>の政治結社・朝日新聞ならば、これらの疑いは肯定される可能性が十分にある。
 ・上のコラムはまた、この法律は日本版NSC設置と併せ、「その先」の武器輸出三原則の見直し・集団的自衛権行使容認という「安倍政権の野望」が成就すれば、「平和国家という戦後体制(レジーム)は終わる」と書いたようだ。
 「平和国家」なるものの厳密な意味を知りたいところだが、それはともかく、このような基本的な「思想・思考フレーム」は、戦前は悪、日本国憲法九条二項等をもつ「平和と民主主義」の戦後は善、その好ましい「戦後体制」を<保守・反動・好戦>勢力が終わらせ(そして悪しき戦前に逆戻りさせ)ようとしており、その先頭に安倍内閣・安倍晋三首相がいる、という、最近に紹介した刑事法学者・憲法学者等の声明等も抱いている、共通のものだろうと考えられる。
 いいかげんに覚醒せよ、と言いたい。そして、そのような「思想・思考フレーム」の種は元来はアメリカが作ったものであり、今日では客観的には「共産主義」中国の利益になる、あるいは中国共産党が喜ぶものであることを、知らなければならない。日本共産党(員)や朝日新聞社説子のごとき確信者または「嵌まった人々」以外のまだまっとうな「思想フレーム」に立ち戻ることのできる可能性がある人々はじっくりと、自らの現在の基礎的な<思想・思考フレーム>が適切なものであるかを疑ってみてほしいものだ。
 〇月刊WiLL同号の青山繁晴「『秘密保護法』全否定論に欺されるな」(p.76-)にも言及する予定だったが、割愛する。
 なお、青山繁晴が生出演してコメント等をする水曜日夕方の番組は毎回録画している。青山は、今年(2013年)の8月末にはその番組で、特定秘密保護法案の概要を紹介し、コメントしていた。8月末にすでに少なくとも自民党内において原案がほぼ確定していたのだとすると、10月末または11月初めに発売される月刊雑誌12月号において、スパイ防止法の機能もある程度はもちうるこの法律(案)の重要性・必要性について特集を組むか、そうでなくとも詳細な論考を掲載できたのではないか、と思われる。
 しかるに、10月末・11月初めに発売の月刊WiLLや月刊正論(産経新聞社)12月号は(そして翌月の1月号も)秘密保護法についてほとんど何も掲載しなかったのではないか。朝日新聞等による<大騒ぎ>を許し、安倍内閣の支持率を一時にせよ10%ほども減らした原因の一つは、<保守>メディア(および<保守>論者)のだらしなさにもある、と言ったら、言いすぎだろうか。

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

0976/民主党は「騙し取った政権を国民に返せ」。かつての朝日新聞社説・月刊WiLL3月号。

 一 昨年(2010年)の6/02と6/28の二回にわたって言及しているが、鳩山由紀夫前首相の退陣表明前の6/02の朝日新聞社説は、次のように主張していた。あえて反復して記録しておく。番号はこの欄の執筆者。
 ①民主党内等にある「首相退陣論」は「目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない」。この論では「逆風はかわせない」。
 ②「昨年の政権交代の大義は、……首相の座を『たらい回し』してきた自民党政治との決別」だった、「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
 朝日新聞社説は、とくに上の②、すなわち総選挙を経ない首相交代=「たらい回し」は「政権交代の大義」と矛盾し、「民主党の自己否定」だ、と主張していた、ということをしっかりと記憶しておくべきだ。
 その6/02(新聞朝刊発行後)に鳩山由紀夫は退陣表明した。ついでに書いておけば、退陣表明前の鳩山・小沢一郎・輿石東の三人の<談合>において、後任は菅直人になるだろうということが想定されていたと見られる。実際に菅直人はすみやかに次期代表選に立候補の意思を表明し、実際にも新代表となり、そして新首相になった。これを「たらい回し」と称して誤りではない。

 さて、6/03の朝日新聞社説はどう書いたか。これまた反復して記録しておく。
 ①「歴史的な政権交代の意義を無駄にはできない。今回のダブル辞任が『平成維新』の出直しに資するなら、必要な通過点だと考えるべきだろう。/問題はすべてこれからである」。
 前日の社説を忘れたかのごとく、「問題はすべてこれからである」と開き直ったのだ。批判・皮肉は繰り返さない。だが、次のように書いていたことも記憶されておくべきだろう。

 ②「…一定の判断材料を国民に示したうえ、なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋である」。

 さて、昨年にも書いたことだが、「なるべく早く」とはいかほどの時期を想定していたのだろうか。
 ともあれ、昨年6月初め、朝日新聞は、「なるべく早く」解散・総選挙をすべし、と主張していたのだ。

 この主張を、年も新たになった現時点で、朝日新聞の社説子(論説委員)はなおも維持しているのか、それともうやむやにしているのか、どこかで(私は気づいていないが)明瞭に否定したのか?
 朝日新聞の節操のなさを詰っても無意味で、カエルの面に何とかだろう。この新聞社の酷さをあらためて確認しておきたい。

 二 月刊WiLL3月号(ワック)に、表紙・目次の最初の方の数本を除いて、かなり目を通した。
 山際澄夫「騙し取った政権を国民に返せ!」(p.218-)が、タイトルも内容も、さしあたり最もしっくりくる(気分に合っている)。

 最後の一段落の文章は次のとおり(そのままの全文引用)。
 「負けることを承知でやる解散だけは避けたいというのが民主党の本音だろうが、これ以上、政権のたらい回しは許されない。民主党政権がやらなければならないことは、国民を欺いて奪い取った政権を国民に返すこと、つまり衆院の解散総選挙に踏み切ることしかない」(p.225)。
 全くの同感だ。
 だが、上にいう「民主党の本音」を実質的に擁護し、結果として解散・総選挙を要求することなく、相変わらず民主党を叱咤激励しているのは屋山太郎だ。屋山は上掲誌巻頭コラムで言う。
 「…総選挙をやって、自民党が政権を取れば、ましな政府ができるのか。…自民党は国民から見離されて大敗し、野党に転落したのである。一年四ヶ月の間に、大いに反省して生まれ変わったという証拠もない。/一方、『解散しろ』という建前論に従って、民主党が大敗必至の総選挙に打って出るわけがない。…」(p.22)。
 前段について言えば、<よりましな>政府にはなるだろうというのが私の理解・見解だ。民主党政権と「谷垣自民党」の<同根同類>論または<同質性が高い>論は、内容的にも、戦略的にも、誤っている、と考える。<左翼・売国>政権をできるだけ早く打倒すべきだ。今回の内閣改造によっても、本質は変わっていない。江田五月らは旧社会党の「左翼」であり、仙谷由人は民主党の代表代行に居座っている。

 後段についていえば、屋山太郎の、総選挙をやって民主党を負けさせたくない(民主党内閣を崩壊させたくない)という感情が混じっているようだ。

 だが、解散・総選挙は、さほどに非現実的なものなのかどうか。大連立(大連合)等よりも解散・総選挙を望む意見の方が多いとの世論調査もいくつか出ているようだ。また、上の山際澄夫「騙し取った政権を国民に返せ!」は、こうも書いている。
 予算は通過しても「予算関連法案の通過は困難」という国会の議席状況にある。「となると、政権はたちまち立ち往生し、総辞職か解散を引き換えに関連法案の通過を認めてもらうといった事態も充分予想される」(p.225)。
 2013年の8月の衆議院議員の任期満了まで(あと2年半余!)、菅直人政権が、あるいは民主党内による「たらい回し」政権が続くはずはないし、続かせてもいけない。

 今年2011年3月ですでに菅直人政権は行き詰まるだろうとの予測も、ほぼ同旨と思われる上の山際のごとく、十分に成り立つ。

 鳩山由紀夫と小沢一郎を「恥を知れ」と罵倒する(上掲誌p.23)資格をもっているのか疑われる屋山太郎が何といおうと、それと関係なく事態は推移するだろう(屋山は「恥を知る」べき予測や主張をしてきている)。

 朝日新聞もまた、多少は正気が残っているならば、あらためて、「なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋」だと主張してみたらどうか。

0920/久しぶりに月刊WiLL(ワック)を見る-遠藤浩一・山際澄夫・屋山太郎。

 〇 前回に言及した遠藤浩一の2001年の著書には、遠藤自身が、月刊WiLL8月号(2010、ワック)「『菅直人総理』という亡霊―第三の道か破壊主義か」(p.44-)で論及し、部分的には2001年の本よりも詳しい批判的分析も加えている。この今年の遠藤論考を読んだ者にはあまり意味がなかったかもしれないが、これが言及していない部分も記載しておいたので(私のエントリーは)資料的価値くらいはあるだろう。

 私は最後に簡単にコメントしただけだったが、月刊WiLLの上の論考で、遠藤は私と似たようなことを(も)書いている。

 遠藤によると、2001年時点で、①菅直人の「国家観、否、脱国家観」が「ほの見えて」きた、②歴史的「日本」国家への帰属は「宿命」なのに、「自立した市民」により国家を「作る」というのは「左翼革命思想」に他ならない(月刊WiLL8月号p.52)。また、遠藤は、③「日本人に対する不信感」との小見出しのもとで、菅直人は「日本人に対する根本的な不信感」を表明し、「日本人を変えたい」と考えている、とも書いている(同p.51、p.52)。
 「自立した市民が共生する社会」なるものについては、私も再び触れるだろう。

 〇敬意を表して、月刊WiLL12月号(ワック)。

 山際澄夫「日本のメディアは中国の御用機関か」(p.201-)が、テレビメディア等の現在の日本の(主流的または大勢的な)マスコミ・マスメディアの<異様さ>をとみに感じている者にとっては、まず目を惹いた。

 10/02の東京・渋谷での対中国抗議デモを産経新聞を除いていっさい無視した日本のメディアは、10/16の同旨の(規模は上回る)デモについては報道した、という。「これは、もうお笑いというしかない」。山際によると、その後に頻発している中国での「反日」デモが日本での対中国抗議運動に対抗する狙いをもつため、日本のメディアも、中国でのデモを報道する際に日本での二回のデモに触れざるをえなくなった、という(p.203)。

 但し、山際によれば、「大半は中国デモのついでに触れただけ」(p.204)。日本のデモについては、読売の10/17付1面は8行だけ、2面では「ささやかな」記事のみ、同日付朝日新聞は1面の最後に約100文字(これは私が大まかに計算。月刊WiLLでは3段組のほぼ7行)だけ。

 NHKは酷くて、午後7時のニュースで中国のデモはトップで報道しつつ日本でのデモは「完全に無視」。その後のニュースで日本人のデモの映像を流したが「右翼デモ」と印象づけるかのように中国サイトの「日本右翼」との文字を長い間「どアップ」。深夜のニュースでは「日本右翼」との文字はそのままにしてデモの映像は映さず、田母神俊雄らによる中国大使館への抗議姿を報じた。さらに、TBSは同日夜のニュースで中国の「反日」デモを長々と映したが、日本のデモは「完全にスルー」(無視)(以上、p.204-5)。

 山際もさすがに全メディアの報道振りを確認してはいないだろうが、上によると、<酷い>・<異様な(・狂った)>順に、TBS、NHK、朝日新聞、読売、ということになるだろうか。

 中国の「反日」デモを大きくとり揚げるのは、<そんなに日本に抵抗感があるのか。日本人はやはり、もっと(過去を)反省し、謝罪しなければならないな>とでも感じる日本人が増えることを意図してだろうか。

 ともあれ、今さらながら、尖閣中国船舶<突撃>事件以来の経緯からする日本の数千人のデモを無視または軽視し、その背景・理由を分析することもない日本のメディアは一部を除いて異様きわまりない。山際によると、中国以外の外国のメディアの方がきちんと報道・分析していた、というから尚更だ(p.205)。

 いま一つ。今さらながらだが、山際も言うように、中国に<世論>があるはずがない。中国(政府または共産党)が<世論>に押されて、とか、<世論>の動向に注視しながら、とかして行動することはありえない。

 外国政府または外国資本法人の所有物(その他財産権の対象物)を破壊することは中国でも<犯罪>のはずだろう。なぜ、中国の警察は中国人デモ隊の乱暴・狼藉を<放置>しているのか? 中国政府・共産党の意向が働いており、中国の種々の「デモ」とやらも(その沈静化も)ほぼ政府・共産党のコントロール下にある、と認識しておくのがまっとうなものの見方であることは言うまでもない。

 〇やはり、屋山太郎はおかしい。屋山の月刊WiLL12月号の巻頭コラムは「民主党が踏み出した政権党の第一歩」というタイトルをもち、「国家戦略室」の設置に「踏み切った」ことなど(?)をもって、「実に際どい一年間だったが、民主党はようやく政権党の一歩を踏み出したように見える」と評している(p.22)。

 昨年総選挙での民主党勝利につき<大衆は賢明な選択をした>と明記したのは、屋山太郎だった。民主党に対する批判的なことも述べつつも、なおも、この政党、そして民主党政権に<期待>をつないでいるらしい。

 アホらしくて、批判する気もおきない。櫻井よしこに問いたいものだ。屋山太郎のような人物を理事とする国家基本問題研究所とはいったいいかなる団体なのか?、と。

 ついでに、些細なことと思って書いてこなかったが、<行政>や<公務員(制度)>に関する専門家らしく(少なくともこれらに詳しい評論家のごとく)振る舞っているようである屋山太郎だが、それはきちんとした学識にもとづくものではなく、<やっつけ勉強>と審議会委員等の<経験>に頼っているものでしかないように見える。

 一例は、今は(どの雑誌のどの欄だったかか)確認しないが、「内閣の規則」などという言葉を使っていたことでも明らかだ。内閣が定めるのは、法律に準じた<政令>と、法令と同一視はできない<閣議決定>・<閣議了解>等に限られ、「内閣の規則」なるものは存在しない。それとも、屋山は、<内閣府令>と混同していたのだろうか? だが、内閣府令は内閣が定めるものではない。(内閣ではなく)内閣府の長としての内閣総理大臣が定める。

 要するに、公務員制度を含めて行政一般についても論じる屋山太郎を信頼してはいけない。

 第一に、なおもって民主党に一抹の(?)希望を寄せ、あるいは期待していること、第二に、「行政」に関する学識・経験は大したものではないと見られること、これらだけでも月刊WiLLという雑誌の巻頭を飾る(?)一文を寄せる資格はないように思われる。この点に関する質問は、櫻井よしこではなく花田紀凱に対して向けておこう。

0662/月刊諸君!3月号(文藝春秋)を一部読む。

 久しぶりに月刊諸君!3月号(文藝春秋)を買う。以下、読んだもの。順不同。
 ・西尾幹二「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」
 西尾幹二は皇室論以外では、至極まともだし、視野が広く、鋭い。
 ・佐伯啓思(聞き手・片山修)「<アメリカ型=自動車文明>の終焉」
 上の西尾論考と併せて、昨今に始まったことではないが、大きな変化の時期にあることを感じる。そこから何がしかの希望も出てくる筈なのだが、本質的・基礎的なところに立ち入らないマスメディア等に冒された人々が大多数では、日本の未来は決して明るくない。
 ・山村明義「いま、神社神道が危ない」
 由々しきことだ。中国による日本占領又は日本の中国の属国化により(「天皇」制度とともに)神道・神社が否定され、物的にも神社の施設が(チベットにおけるチベット仏教のように)破壊されるという<悪夢>を空想したことがある。それよりも先に、自壊してもらっては困る。
 ・山際澄夫「宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください」
 宮崎駿が「左翼」らしいことはすでに他の何かで読んだ。この人の年齢くらいのインテリ又はインデリぶった人や芸術関係者には、新聞は朝日という人、そして単純素朴な「左翼」(・護憲主義者)が多いようだ。
 ・竹内洋「革新幻想の戦後史16/剽窃まがいは福田恆存か清水幾太郎か」
 標題の福田・清水問題は2月号を読んでいないため、やや分かりにくい。
 福田恆存は月刊・中央公論1954年12月号に「平和論の進め方についての疑問」を書いた。当時の<進歩主義>言説の「思考様式と行為様式をえぐった」もの(p.240)。これに対する批判的反応の大きさが興味深い。<論壇>がまだ成立していた時代なのだろう。
 福田論考を批判・攻撃したのは、竹内の言及によると、平野義太郎、新村猛、花田清輝、中島健蔵、佐々木甚一、(推測で)中野好夫。佐々木を除き、少なくとも氏名は知っている。また、この論考のあと、「民藝と俳優座」という二つの劇団との「交流も途絶えた」。福田恆存支持=「右翼」で、竹内ら当時の大学院生の間ではそれは「バカ」に近い意味だったとか。戦後いつまで、かかる<左翼・進歩主義>知識人・文化人の「論壇」支配は続いたのだろう。
 今日でもそうだろうが、月刊の<論壇>誌を読むような者がエラいとは限らない(私も含めて)。とくに月刊・世界(岩波)の読者であることを「インテリ」・「良心的知識人」の一つの証拠と思っているような者たちは、本当は<バカ>に違いない。
 その他は、余裕と気まぐれいかんによって読むかも(保阪正康の連載を除く)。

0437/佐伯啓思・<現代文明論・上>のメモのつづき。

 佐伯啓思・<現代文明論・上>(PHP新書、2003)からの要約的引用のつづき。
 ・フランス革命の同時代の英国人、「保守主義の生みの親」とされるエドマンド・バークは1790年の著で、国家権力・「政府」は「社会契約などという合理主義でつくり出すことはできない」と述べ、フランス国王・王妃殺害の前、むろん「ジャコバン独裁」とその崩壊の前に、フランス革命は「大混乱に陥るだろうと予測した」。(p.162-3)
 ・バークによれば、フランス革命の「誤り」は「抽象的で普遍的な」「人間の権利」を掲げた点にある。「人間が生まれながらに自然に普遍的にもっている」人権などは「存在しない」、存在するのは抽象的な「人間の権利」ではなく、「イギリス人の権利」や「フランス人の権利」であり、これらは英国やフランスの「歴史伝統と切り離すことはできない」として、まさにフランス「人権宣言が出された直後に『人権』観念を批判した」。(p.166)
 ・バークによれば、「緩やかな特権の中にこそ、統治の知恵や社会の秩序をつくる秘訣がある」。彼は、「特権、伝統、偏見」、これらの「合理的でないもの」には「先人の経験が蓄積されている」ので、「合理的でない」という理由で「破壊、排除すべきではない」。それを敢行したフランス革命は「大混乱と残虐に陥るだろう」と述べた。(p.167-8)
 今回は以上。
 「合理的でないもの」として、世襲を当然視する日本の「天皇」制度がある。これを「破壊、排除すべきではない」、と援用したくなった。
 それよりも、<ヨーロッパ近代>といっても決して唯一の大きなかつ「普遍的な」思想潮流があったわけではない、ということを、あらためて想起する。
 しかるに、日本国憲法はこう書いていることに注意しておいてよい。
 前文「……<前略>。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
 第97条「……基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、…、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 もちろん、客観的に「普遍の原理」にもとづいているのではなく(正確には、そんなものはなかったと思われる)、<制定者が「普遍的」だと主観的には理解した>原理が採用されている、と理解しなければならない。「生まれながらの」(生来の)とか「自然的な」自由・権利という表現の仕方も、一種のイデオロギーだろう。
 話題を変える。月刊WiLL5月号の山際澄夫論稿(前回に触れた)の中に、「(朝日新聞にそういうことを求めるのは)八百屋で魚を求める類であろうか」との表現がある(p.213)。
 上掲誌上の潮匡人「小沢民主党の暴走が止まらない!」を読んでいたら、(民主党のガセネタ騒動の後に生じたことは)「木の葉が沈み、石が浮くような話ではないか」との表現があった。
 さすがに文筆家は(全員ではないにせよ)巧い表現、修辞方法を知っている、と妙な点に(も)感心した。潮匡人は兵頭二十八よりも信頼できるが、本来の内容には立ち入らない。民主党や現在の政治状況について書いているとキリがないし、虚しくなりそうだから。

0436/月刊WiLL5月号(ワック)に見る最近の朝日新聞。

 月刊WiLL5月号(ワック)には、朝日新聞を主対象とする記事(論稿)が三つもある。
 1.海上自衛隊イージス艦漁船衝突事故について、さぞや朝日新聞は大きくかつ自衛隊に厳しく報道しているだろうと思っていたが、山際澄夫「イージス艦事故があぶりだす朝日と福田は似たもの同士」(p.208)によると、想像以上だ。
 すなわち、事故発生を伝えた2/19夕刊から27日頃まで「数日を除いて連日のように朝夕刊トップという、それこそ洪水のような」報道を続けた、という(p.210)。もとより初めから自衛隊側を「悪者」扱いで、日本共産党・志位和夫と同じく「自衛隊を悪魔視して国民と対立」させようとしている(p.212)。
 想像以上だが、朝日新聞のことだから分からなくはない。よく分からないのは、紹介・引用されている2/22社説の一部だ-「海上自衛隊が目の前の漁船すらよけられないのなら、どうやって日本を守るのか」(p.211)。
 朝日新聞(社)は本当に自衛隊に「日本を守る」ことを期待しているのだろうか(このことを前提として上の文がある筈だが)。それにしては、山際によると、自衛隊に対する「敬意」がない文章表現で、むしろ「嘲弄」の感がある(p.211-212)。

 こんな文章を綴っていると精神衛生に悪い。朝日新聞のような新聞のない地域・国へ行きたくなる。
 2.本郷美則「今月の朝日新聞・第14回」(p.140-)は、若宮啓文論説主幹が4/01付で退任、同社コラムニストになるということから、若宮の社内での<出世街道>?の経緯を中心に書いている。
 「朝日新聞社コラムニスト」とは何のことやらよくは解らないが、定年後も朝日の紙面に登場し、朝日新聞社から金を貰い続けるわけだ。本郷は若宮の<有名な>記事をいくつか取り上げている。本欄でいく度か言及した、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>(コラム・風考計)もけっこう重要な名?文なので、紹介してほしかった。
 ところで、本郷によると、キャノン・御手洗富士夫と朝日新聞が1年半”冷戦”状態で、キャノンは朝日新聞への広告出稿を絞ったらしい(全面広告が2006年は36本、2007年は7本、2008年は若宮退任報道後に最初の1本)。
 恥ずかしくも、”冷戦”の原因も含めて知らなかったのだが、キャノンは勇気がある。立派だ(関係ないが、わがプリンタは歴代、キャノンだ)。「1本数千万円」の広告減収をもたらすのだから、朝日新聞を気嫌う経営者たちは、朝日新聞に広告を出すな、と呼びかけたいものだ。同じことは、朝日新聞系のテレビ放送局や(毎日系の)TBSへの広告フィルム(CF)の掲出についても言える。
 テレビ朝日にせよTBSにせよ、あれだけヒドい報道ぶりをしたり、ときどきは目立った<事件>も起こしているのに、何故に所謂コマーシャルが減らないのだろうか、と不思議に思っている。言葉による精神的・理念的な批判よりも、経営基盤自体にかかわる広告取り止めの方を(広告収入に大きく依存している)マスメディアは実際には懼れているはずなのだが…。
 3.創刊号から連載の勝谷誠彦「あっぱれ!築地をどり」(p.130-)は、イージス艦事故によって朝日新聞が「盆と正月が一度に来たような大騒ぎ」、「築地をどり」は「大臨時興行」、「いやもうはしゃぐことはしゃぐこと」と皮肉っている。
 また、勝谷によると、朝日新聞内の「天声人語」子と「素粒子」子は「宿命のライバル」で、上の事故に関して俳人<所作>や「駄洒落の所作」を競い合っているらしい。
 勝谷誠彦は、この程度の短い文章(2頁程度)だと、なかなか冴える。
 再度いうが、朝日新聞に関して何か書くのは、なぜか鬱陶しい。しかし、ときどきは触れないわけにはいかない。

0419/イージス艦衝突事故、毒入り餃子事件。

 最近の<事件>の一つはイージス艦と漁船の衝突事故。マスメディアのほとんどは、3/13のNHKの「クローズアップ」(午後7時30分~)も含めて、海上自衛隊の側に<責任>があるとの姿勢で一貫して報道している。
 強く大きい船体と組織対弱く小さい漁船で、しかも漁船(民間側)にのみ被害者が出たとあっては、防衛省・海上自衛隊を批判する格好の材料になるのだろう。
 しかし、冷静に考えれば、<事故>の責任の所在、過失の割合・程度については<権威ある>又は<(とりあえず)正式の>決定又は報告は殆どなされておらず。今のところはほとんどが推測にすぎないのではないのだろうか。
 上の旨を産経新聞3/05湯浅博の「世界読解」は述べており、その隣には、「海上自衛隊は、理性的に評価されるべきだ。原因が完全にはまだ分からないのだから」で終える米国元軍人(ジム・アワー)の寄稿が載っている。
 むろん自衛隊側に100%の責任(・過失)があった可能性はあるのだろうが、早々の<防衛省・海上自衛隊バッシング>は戦後日本を-マスメディアも重要部分として-覆う<反国家主義>・<反軍事主義>を背景としているように思われる。
 産経新聞2/29の「正論」欄で西尾幹二は「軍艦側の横暴だときめつけ、非難のことばを浴びせかけるのは、悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈しただけのこと」と言い切っている。この指摘には共感を覚える。
 それにしても、西尾も言及しているように海上自衛隊のイージス艦(西尾は「軍艦」と明記)が法的には-海上衝突予防法等だと思われる-「一般の船舶」と同じ扱いを受けるというのは、<有事>の場合は別の法制がおそらく適用されるのだとしても-確認していない-、奇妙なことだ。日本防衛の重要な役割を与えるのだとすれば、<有事>の場合に限らず、その役割にふさわしい法的処遇を与えるべきではないのか。
 前後するが、<福田首相が行方不明者の家族を訪問するのが遅すぎた>とか騒いで報道していたテレビ放送局は、まともな報道機関なのか。
 毒入りギョーザ事件については、月刊WiLL4月号(ワック)の山際澄夫「毒餃子、朝日は中国メディアか」が有益だった。朝日新聞の定期購読者でないので、この問題(事件)についても朝日新聞が徹底的に<親中国>であることがよく分かる。
 いちいち書くほどのことではないし、この欄でも殆ど具体的には触れていないが、中国と北朝鮮はまともな理屈や常識が通用するような国ではない。
 産経新聞3/13櫻井よしこ「福田首相に申す」(月一連載)は、中国を「実に言葉の正しい意味で、異形の国家」と形容している。<異形>・<異常>・<異様>・…、他にも同旨の言葉はあるだろう。
 その中国は昨年5月に米国に対して、太平洋の東西をハワイを基点に米中で「分割管理」することを打診したとか(産経新聞3/13)。日本周辺の海域は当然に中国の<管理>とする案だ。
 最近書いたように、東アジアではいわゆる<自由主義国>といわゆる<社会主義国>の<冷戦>は続いている、と認識しておくべきだ。この冷戦に米国がどの程度コミットするか、できるかも日本の将来とむろん無関係ではない。
 佐伯啓思や樋口陽一等の本のみを読んで、現実の<世相>を知らないわけでは全くない。いちいち言及するのが煩わしいし時間的余裕の問題もある。だが、むろん、今後もできるだけ論及して、自分自身による記録ともしておきたい。

0362/朝日新聞-日本共産党とともに陰鬱にさせる最たるもの。

 朝日新聞若宮啓文が<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との奇妙な叫び声を紙上に載せたのはほぼ一年前だった(2006年の12/25)。
 これについて、全文を紹介をしつつすでにコメントしたことがある。
 自分の文ながら、一部を引用すると、「日本人ではない「無国籍」者であることの宣言だ」。この「言明が適切だとしても、次のようにも語って貰いたい。『ジャーナリズムは左翼運動の道具ではないのだ』、『マルクス主義及びその亜流の道具ではないのだ』、『空想的・観念的平和主義の道具ではないのだ』、『国家を忘れた地球環境主義の道具ではないのだ』、『フェミニズム(又はジェンダー・フリー運動)の道具ではないのだ』。これらのどこに誤りがあるだろうか。若宮さんは、何故、なぜ「ナショナリズム」のみを問題にするのか。返答できるなら返答してみなさい」。
 むろん返答はなく、若宮啓文らはその後、安倍「右派」政権打倒のために狂奔した。
 さて、山際澄夫・これでも朝日新聞を読みますか?(ワック、2007.12)。
 読了はしていないが、たぶんほとんどのことは知っており、かつほとんどの指摘・主張に異論はないだろう。
 まえがきp.2にこうある。
 「全面講和論の主張に始まって、非武装中立、日米安保反対、毛沢東の文化大革命礼賛、湾岸戦争時への後方支援妨害、自衛隊のPKO派遣反対、教科書改ざん協力、靖国参拝の政治問題化、北朝鮮拉致の無視――等々、戦後のマスメディアの誤謬を一社で代表してきた観さえある」。
 月刊Will2008年2月号(2007.12発売)の本郷美則による朝日ウォッチの連載記事にはこうある(p.141)。
 「…「ねじれ国会」によって国際公約を頓挫させ、国会に機能不全をもたらした」のは、戦後「レジームの恩恵を貪って、数多の利権をほしいままにしてきた新聞界と役人集団」、そして「国外では、日本の弱体化をしつこく画策している『ネオコミンテルン』の勢力」だ。
 「人権を顧みぬ全体主義と、独裁が支えの『革命』を夢見続けて、特定の国際勢力に呼応し、読者を誤らせてきた朝日『社説』の罪は極めて重い」。
 そして、朝日新聞なるものが何故まだ存在しているのかと訝る気分はむろん強いが、こう書いていても空しい。
 こんな文章に影響をうける人は読者の中にはおらず、それでも朝日新聞を読みます、という人が世の中には数多(あまた)いるだろうことを考えると、歯がゆいというよりも、げんなりとなり、陰鬱になる。大江健三郎、佐高信、本多勝一、福島瑞穂、自民党の加藤某等々々々、熱心な朝日の読者はたくさんいるのだろう。こういう人たちが、今さら、山際澄夫や本郷美則等の言論の影響を受けるはずがない。
 日本国内に、したがって日本人の間に、大きな「国論」の対立、基本的考え方の違い、があることは歴然としている。この対立の中で、いずれかが勝利し、<安定>することは近い将来にあるのだろうか。
 朝日新聞が代表する「戦後民主主義」勢力の決定的勝利は、「日本」という国家を消失させる可能性がある。それは「日本」という独特の意味とも無関係に、主権を失って某国日本省に変わるという形で、「日本」国家を文字通り消滅させる可能性すらあるだろう(その場合、公用語は日本語ではなくなるだろう。あるいは、少なくとも別の言語が第一の公用語になるだろう)。
 このような戦慄すべき事態を想定しなくとも、大きな「国論」の対立・分裂が国家を弱体化させることがあることは、近代のアジアの某国を見ても明らかだ。
 対立も闘いもむろん必要な場合があるのだが、無駄な混乱と対立を通過する必要もない。一方の極に立って、空想的観念論によって国家・国政に、国民の間に、不毛な対立を持ち込んでいる(だ)のは、朝日新聞・とくにこの新聞社の歴代の政治記者たちではない(なかった)か。朝日新聞の言論、この新聞社の政治記者の動きこそ、日本を弱体化し外国の一部<不純>勢力を喜ばせることに(少なくとも客観的には)つながっていることに、もっと多数の人が気づく必要があるのだが……。

0340/「アサヒる。」-山際澄夫の定義。

 アサヒる=「歴史的事実やニュースを捏造し、あとでそれが間違いであることが明らかになってもきちんと謝罪することなく、論点をすり替えたり、居直ったり、知らんふりをしたりすること」(の総称)。
 -山際澄夫・月刊Will2007年12月号p.84.

0188/安倍晋三現首相は朝日新聞と何度も闘ってきた。

 安倍晋三首相と朝日新聞社の闘いは今後も続くだろうが、北朝鮮の拉致被害者問題に関して、安倍首相による朝日新聞批判が活字になっているのを二つ見つけた。古書で入手した諸君!2003年02月号(文藝春秋)と山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)の中でだ。
 記憶をたどれば、2002.09.17の首脳会談で金正日が拉致を認め生存者5名・死亡者8名(・あとは不知)と伝え、同年10.15に5人が羽田空港に帰国した。10.24に政府は5人を日本に永住させる(北朝鮮に戻さない)、家族の早期帰国を求める等を決定した。
 もともと朝日新聞は親北朝鮮の姿勢で拉致問題解決よりも国交回復を急げとの主張が基本だったが(今回はその詳細は省略)、朝日は政府決定のあと「5人の言動からはいったん北朝鮮に戻るという気持ちがうかがえた。…北朝鮮にやはり戻りたいということもあるかもしれない」との部分を含む10/26社説で混ぜ返した(5人はそんな気持ちでなかったとの証言がのちにあるが省略)。
 家族が離れた状態になったのだが(4人=2夫妻の子供たちの帰国は04.05.22、1人の夫・子供たちの帰国は同07.18)、北朝鮮は5人を戻さなければ交渉しないと(約束違反だとか言って)態度を「硬化」させたのだった。
 そんな北朝鮮の態度を知って(それを配慮したのか?)、朝日新聞は、拉致被害者の「居住の自由は?」、「家族離散の強制では」等の投書を多数載せつつ12/26社説体制変換望めばこそ/北朝鮮との国交交渉」で、5人の家族の帰国問題につき「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではない。感情論に乗るだけでは真の国益を踏まえた外交にはならない」と述べた。
 この朝日新聞社説を厳しく批判したのは、当時官房副長官で政府内で重要な役割を果たしていた安倍現首相だった。次のように述べた。
 「これを読んで、私は非常に落胆しました。記事は…暴発の可能性を示唆しつつ、拉致問題については、双方の原則やメンツにこだわるのはよくない、「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではないということだ」と、主張しています。国家的犯罪を犯した立場の国と、被害者のわが国を同列におくという、論理の基本がそもそも間違っているのです。/いったい、「朝日」は、どういう妥協をしろといっているのでしょうか」。
 「…「死亡」とされた8人の方々の安否について、あれは北朝鮮側の通りでした、といって納得すればいいのでしょうか。5人の帰国者たちの家族についてはもう諦めました、とでもいえばいいのか。あるいはもう戻りたくないといっている5人を、無理やり平壌へ送還すればいいのか」。
 「はこれほど無責任な提言は見たことがありません。「真の国益を踏まえた外交」を展開せよ、と記事はいうが、9月の台風のさなかに海水浴をしていて溺死しました、というような報告を鵜呑みにしたうえで実現しなければならない「国益」とは一体、何なのでしょうか」。(諸君!2003年02月号p.68-9)
 朝日新聞はその後2003年元旦の社説でも基本的態度を変えなかったようだ。安倍は2003年1月下旬の某講演会で次のように述べて朝日を「敢然と批判した」(山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)p.169-170による)。
 「いま大切なことは国民の声をひとつにしていくことです。…今年の元旦の(朝日新聞の)社説の場合、拉致問題では「強硬論を言うだけでなく、落としどころを考えろ」という趣旨の論調があったわけです。拉致問題そのものに妥協なんてありません。「5人の子供たちは帰ってこなくていい」「5人を向こうに戻す」なんてしません。また、5人の子供たちが帰ってきたら後の人たちは忘れてもいいのでしょうか。…そういうわけにはいかない。私たちは私たちの手で安否を確認しなければならない。…朝日新聞は「8人を忘れてしまえ」というのと同じことをいっているといっても差し支えないでしょう。こういう論調が交渉をうまく進めさせない、われわれの主張を通すことができない障害になっていると強く懸念しています」。
 山崎行太郎という無名と思われる文芸評論家によると、こうした安倍氏の発言は全て朝日への<言論弾圧>であり<恫喝と恐喝>ということになるのだろう。文芸評論家と名乗るからには、言葉は正確に使って欲しいものだ。
 政治家にも言論の自由があり、それを行使し、広義には「権力」団体に他ならない朝日の謬見を正当に指摘し、批判しているにすぎない。
 なお、読売論説委編・読売VS朝日-北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002.12)の最後には、「同時に大局を失ってもならない。ためらわず、正常化交渉を再開させることである」との朝日02.09.22社説と「国交正常化を急ぐことはない」と題する読売02.10.10社説が対比して掲載されている(p.198-)。

0111/朝日新聞は拉致問題を慰安婦問題でチャラにする。

 朝日新聞3/28付夕刊の「ニッポン人脈記」連載・安倍政権の空気16の大きな見出しの一つは「少女に甘言「拉致と同じ」」だ。
 本文では、吉見義明(中央大学教授)が、<拉致被害者も…「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。朝鮮人の少女が業者から…と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、「甘言」による「拉致」ではないか>、「安倍さんが拉致問題に熱心に取り組むのは正当だけれど、従軍慰安婦にも同じ態度で臨まないと国際的に理解されないんじゃないか」、と述べている。むろん、朝日新聞の見解とも共通するものと考えられ、この記事の全体は早野透が書いている。
 以上のような考え方が、北朝鮮当局の主張をサポートするものであり、拉致被害家族会の人びとの神経を逆なでするものであることは、論を俟たない。
 なぜこの問題をとり上げたかというと、サピオ5/09号(小学館)で井沢元彦がこの記事を紹介しつつ批判・反論し(上の叙述は主としてこれによる、p.35以下)、月刊WiLL6月号(ワック)でも山際澄夫が「朝日新聞こそ「従軍慰安婦」捏造を批判せよ」の中でやはりこの記事を取り上げて批判・反論しているからだ(p.80以下)。
 二つの雑誌(他の雑誌にもあったかもしれない)で二人の論客が共通に同様の批判を加えているのだから、よほど目立った「朝日らしい」ヒドい記事だった、と言える。
 批判・反論の詳細を繰り返さないが、国家によるテロと言える現在も続いている拉致と、上の文章でも「業者」の「甘言」によるとされている過去の慰安婦「連行」とを<同じ犯罪だ>とし、そして最後には安倍首相批判につなげる手口は、さすがに朝日新聞だ。2007年3/28(夕刊)は、朝日の「恥辱と愚劣の歴史」に項目を一つ加えることになったに違いない。
 なお、 金正日が拉致の事実を認めたあとの、社民党・辻元清美の言葉はこうだった。
 「9人や10人の拉致がナンボのもんじゃい。日本は北朝鮮に仰山迷惑かけた。それを謝罪も補償もようせんと、返せ返せというのはフェアじない」(月刊WiLL4月号で堤堯氏が「」付きで紹介していた)。
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