秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

山本雄史

1176/朝日新聞5/3のデマ社説。朝日の「謀略」にご用心。

 6年前の5月初め、第一次安倍内閣のころ、まだ「消えた年金」問題も「事務所経費」問題もマスコミでは大きくはとり挙げられていなかった。現役農水大臣の自殺もまだなかった。
 5月に入ってから、間違いなく7月参院選挙を見越して、「左翼」マスコミは、安倍晋三・自民党に不利になるような報道をし続けた。当時の雰囲気をまだ憶えているが、産経新聞が「何たる選挙戦」と銘打つ連載をするほどの<謀略的>な報道が朝日新聞を筆頭になされた(産経新聞記者の中にも山本雄史のように、選挙後に、自社の報道姿勢に疑問を示し、明らかに当時の主流派マスコミの影響を受けた記者ブログを書いていた者もいた)。
 現時点において、朝日系のマスメディアは何とか安倍晋三又は安倍内閣の問題点を必死に探しているように見える。そして、国内や外交にかかる新内閣の新しい政策運営も、できるだけ<褒めない>・<粗探しをする>、あるいはまだ結果は分からないと<冷笑する>といった姿勢・感覚で対応しているようだ(報道ステ-ションもそういう観点から観る面白い)。

 もとより朝日新聞は「護憲」派・憲法9条2項削除大反対派の代表だが、この憲法問題、正確には安倍・自民党がとりあえず提唱している現憲法96条・憲法改正条項の改正の是非に焦点をあてて、来る参議院選挙の争点化し、この点を強調して少なくとも自民党等の「右派」勢力の伸張を阻止する、という「政治」運動方針を固めたかに見える。もとより、別途のスキャンダル探しは執拗になされると思われるが、この憲法改正条項改正問題に適切に対応しないと、6年前と同様に朝日新聞らの「左翼」マスメディアの<謀略>に負けてしまう怖れなしとしない、という恐さがある。
 朝日新聞の5/3社説「憲法を考える/変えていいこと、悪いこと」は誤り・デマに満ちており、朝日新聞の<謀略的>情報戦略の重要な一つだと思われる。
 あまりにヒドいものなのだが、憲法問題をよく知らない読者を<騙す(ダマす)>可能性が十分にある。以下、しごく当然のことを書いて、ウソ・デマの存在を指摘しておく。
 第一。①冒頭に「国民主権や基本的人権の尊重、平和主義など」は憲法上の「決して変えてはならない」もので、これらの「普遍の原理は守り続けなければならない」、とある。②途中の4段目に同趣旨で、基本的人権の保障のほか「国民主権と平和主義を加えた『三つの原理』の根幹は、改正手続によっても変えられないというのが学界の多数説だ」、ともある。
 朝日新聞の社説子よ、バカも休み休み言いたまえ。

 1.「平和主義」の定義または説明がない。具体的に現憲法のどの条項に表現されているのかをおそらくは意識的に曖昧にしている。

 2.そしてまるで安倍晋三・自民党らの改憲派が「平和主義」を<変えよう>としているかのごとき印象を与えようとしているようだが、そのための正確なまたは実証的な根拠の提示・説明はどこにもない。自民党憲法改正案は現9条1項は現行のままそのまま残そうとしているのであり、そのかぎりで、十分になお「平和主義」を遵守している。改憲派が「平和主義」を壊そうとしている、というのは悪質なデマだ。
 3.そもそもが現憲法の「原理」を上記の三つに整理するというまとめ方自体が決して「学界の多数説」ではないし(そのように単純に書いている樋口陽一の概説書もあるが、彼の著作のすべてに見られるわけでもない)、ましてこの三原理は改正できないというのは(「平和主義」の具体的意味内容を明確にしていない重大な欠陥があることは上記のとおりだが、それを別としても)「学界の多数説」では決してない。これら二点ともにこの欄でかつてかなり詳しく言及したことがある。9条1項だけではなく9条2項もまた「変えてはいけない」、すなわち憲法改正権の限界の一つだとする学説は一部にあるのはたしかだが、決して通説または多数説ではない。朝日新聞社説子は憲法学研究者なのか、そうでなければ一体誰の本を読んで、上のような
「デマ」を平気で堂々と書いているのだろう。
 第二。途中に、「自民党などの改正論」は現96条の「3分の2」を「過半数」に引き下げようというものだが、「これでは一般の法改正と同様に発議でき、権力の歯止めの用をなさない」、とある。
 朝日新聞の社説子よ、バカも休み休み言いたまえ。
 96条が要求している国会議員の「3分の2」以上は国民に対する<発議>の要件であり、(天皇の公布行為を別にすれば)国民投票による国民の「過半数」の承認によって初めて憲法改正が成立する。
 これに対して「一般の法〔法律〕改正」の場合は国会議員の「過半数」のいわば承認だけで「一般の法〔法律〕」として成立してしまう。法律制定や改正の場合は国民投票は必要がない。
 このような重要な決定的な違いをおそらくは意識的に曖昧にしたまま、憲法を法律と同じように扱うものだ、という批判を96条改正派に対して加えているわけで、容易に知りうる違いを無視した、悪質なデマだ。
 なお、付け加えれば、一般的な法律の場合は各議院議員の「出席議員」の過半数の賛成で成立するが、96条による憲法改正「発議」の場合は各議院の「総議員」数が母数になる。
 こんな違いは簡単に分かるものだ。にもかかわらず、朝日新聞社説子は、完全に無視して、改正派は<憲法を法律なみに引き下げようとしている>と論難している。これを<デマ>と言わずして何と言おうか。
 朝日新聞が「政治」結社に他ならないことはとっくに分かっている。そうであったとしても、デマによらず、もう少しはまともな議論をしたらどうか。
 なお、ついでに、朝日新聞5/3の第一面の「座標軸」は欧州では国家「主権」の一部を欧州連合に譲渡しようとしているのに、国家「主権」になおこだわる日本は遅れている、といった趣旨の「論説主幹・大野博人」の文章がある(匿名でない点は「社説」よりはよい)。これは欧州と東アジアの歴史的経緯や文化的背景の差異を無視した謬論だ。
 もともと「国家(主権)」を軽視したい「左翼」朝日新聞論説委員ならではの記述とも言えるが、<自主憲法なくして真の主権回復はない>とする改憲派の主張を批判または揶揄するために欧州の例を持ち出すのは、スジが悪い、あるいは的外れだ。
 以上で今回は終えるが、朝日新聞を筆頭とする「左翼」=親コミュニズム(だからこそ親中国でもある)の、日本を(<右傾化>ではなく)「正常化」、「健全化」しようとする勢力・人々に対する<謀略的>攻撃・<デマ宣伝>にはくれぐれも用心しなければならない。6年前のことを決して忘れてはならない。

0318/産経・山本雄史記者について・5-呆然とするほどの論理欠如。

 もはや新鮮味のないテーマになってきたが、産経の山本雄史記者が<安倍首相は空気を読めていない>→<空気を読んで退陣すべきだ>と主張した、その根拠は一体何だったのだろう。
 単純には、参院選挙で与党が過半数を取れなかったから、あるいは自民党が惨敗(大敗)したから、ということなのだろう。しかし、もはや論じないでおくが、政治的に安倍退陣はありえたとしても、安倍退陣という論理的帰結が不可避的に出てくるわけではない。このことは、現実の政治・政界の動き、現実の各新聞や識者の論調からもすでに明らかだ。
 にもかかわらず、7/30の段階で山本雄史は上のような主張を簡単に行ったのだろう。
 できるだけ、この人の書いていることをフォローしてみる。とは言っても、論理・理論・論拠・理屈らしきものが見あたらないので困る。
 冒頭の<>→<>が何の論理的裏付けもないことは言うまでもない。
 8/01の山本氏のブログに書いてあることが、結局この人の言いたいことを簡潔に示していると思われる。いわく、自民党活動家たちに「共通しているのは、国民の声を受け止めようという、真摯な姿勢である」、「現場の自民党関係者も皆、今回の結果を深刻に受け止め、…」、「
国民の審判を真摯に受け止めることが、今の自民党に最も必要だと思う」。
 このブログは7/30ブログへの大きな反発に対して、あらためて、自民党関係者の<現場の声>を素材にして反論しているかのようだ。
 だが、自民党活動家たった3人の声では迫力がないし、「現場の自民党関係者も皆」と書かれてもそうかな?と感じてしまうのだが、何よりも、この人たちは「国民の声を受け止めようという、真摯な姿勢」をもち、「今回の結果を深刻に受け止め」ているのであって、これらのことは安倍首相退陣を決して意味していない、ということが重要だ。自民党関係者は「国民の審判を真摯に受け止める」ことが必要だろう。そのとおりだ。だが、なぜ、そのことが安倍退陣の必要性を意味するのか。
 
<真摯に受けとめること>と<安倍退陣>との間にはどのような論理的関係があるのか。前者の一つが後者かもしれないが、他の可能性は全くないのか。両者はなぜ=で結ばれなくてはならないのか。書くのがバカバカしくなってきる。耐えられないほどの幼稚さだ。
 この両者の媒介項が、山本雄史の頭の中には全くないのだ。
 同旨のことは諸コメントへの対応コメントの中でも延々と反復されている。以下で、できるだけ多数の引用を試みるが、別のコメント者に対する返信内の文の一部だ。
 ①選挙民が「ノー」を言っていることを、もう少し真剣に受け止めないと本当にマズイですよ、という意味…」。選挙民がノーと言っている、とは具体的にいかなる意味なのか。なぜそれが、安倍首相は退陣せよ、という意味になる又はつながるのか? ここでも「真剣に受け止め…」という語がある。これが何故、安倍退陣とイコールになるのか。
 ②「国民の審判という事実を、メディアも政治家ももっと真摯に受け止めないといけないな、という気も…」。そもそも「国民の審判という事実」を「真摯に受け止め」る、とは一体どういう具体的意味なのか? このことの具体的意味を全く明示しないで、どうやら安倍首相退陣のことと理解しているようなのが山本雄史なのだ。致命的な説明不足、「思い込み」による単純な結論づけ。
 国民をナメてはいけないと思います。なぜ「美しい国」が届かないのか。そこのところをきちんと考えないと今後、傷は深まるとのは必至ではないか」。やや別の論点だが、のちに論じる点と関係があるので引用しておいた。
 ④首相が簡単に辞任すれば国益に反しないかとのコメントへの、「
そういう側面もあるかと思いますが、国民は「ノー」を突きつけているのも事実です」。①と同じ。選挙民がノーと言っている、とは具体的にいかなる意味なのか。なぜそれが、安倍首相は退陣せよ、という意味になる又はつながるのか? バカバカしい。
 ⑤「不信任とみられても仕方がない負け方だと思う」。「不信任」ということが首相退陣要求という意味だとすれば、何故、参院選の結果をそう「みる」のかどうか。見解・分析の相違だろう。そして、山本のそれは朝日新聞と全く同じ。
 ⑥マスコミが「仮に強引に空気をつくっていたとしても、国民の審判、判断は尊重するべきだと思いますが
…」。「国民の審判、判断は尊重するべきだ」とは、具体的にどういう意味なのか。なぜ、これが安倍退陣の必要性に論理的につながるのか。本当にバカバカしい。それとここでは、「仮に」と条件付きながら、「強引に作り上げられた空気」であっても<国民の審判、判断は尊重するべき>と主張している部分に、別の論点との関係で注意しておきたい。
 ⑦「王道を行っているのであれば、惨敗結果をもう少し真摯に受け止めた気もする
」。「惨敗結果をもう少し真摯に受け止め」るとは具体的にどういう意味なのか。なぜ、これが安倍退陣の必要性に論理的につながるのか。既述。
 ⑧「国民の審判を尊重するのは基本だと思います。無党派層はマスコミに踊らされるほど、無知ではない」。前半については
、「国民の審判を尊重する」とは具体的にどういう意味なのか。なぜ、これが安倍退陣の必要性に論理的につながるのか。既述。後半は、マスコミ信仰・国民信仰で別の論点に関係する。
 ⑨「昨今の国民のメディアリテラシーは高いと感じています。ネットの登場で、賢明な国民はさらに自分の頭で考えていると思うのですが…」。他マスコミ(とくに朝日)批判をしないこの人の特徴として便宜的に引用しておいた。
 ⑩「国民がノーを突きつけているという事実をこの人はわかっているのかなあ?と思わせるような発言が多かったので…」。①・④と同じ。
 ⑪「国民の審判が下ったにもかかわらず、会見などの受け答えをみていると、安倍首相自身が現在の状況を把握されていないのではないか?という疑問を私は持ち…」。⑥・⑧と同じ。バカバカしい。
 ⑫「国民の審判を安倍首相は本当に受け止めているのか、会見の受け答えをみていて、シンプルにそう思った」。上と同じ。「シンプルに」=単純に思った、と<自白>している
 ⑬「安倍首相自身が、自身の置かれている状況を正確に把握しているように思えなかった」。これはいかなる意味か。まさか<退陣(辞任)すべき状況>の意味ではないと思うが。ちなみに私も、安倍首相の続投記者会見をテレビで観ていた。
 ⑭「国民に伝わらなかった、という事実をもう少し安倍首相は理解した方がいいのでは…」。問題は「理解した」上でどうするかで、むろん退陣につながりはしない。
 ⑮「国民の審判が仮に間違っていても、それを重く受け止めるというのは民主主義の基本だ」、「「民意」はきまぐれですが、それでも安倍首相の理念がなぜ国民に伝わらなかったのか、メディアだけの責任ではない…」。私の簡単なコメントへの返答の一部。前半は別の論点に関係するので引用した。後半は、⑧・⑨と同趣旨の反復。
 ⑯「論理的には政権選択選挙ではありませんが、3年に1度行われ、さらに過去に政局を動かしてきた例の多い国政選挙ということで、「現政権に対する評価を見る選挙」的な位置づけにあります…」。いちおう肯定しておこう。だが、かりに
「現政権に対する評価を見る選挙的」なものだったとしても、そのことが何故不可避的又は論理的に安倍首相退陣の必要性とつながるのか、さっぱり分からない。
 以上、少し余計なところも引用したが、安倍首相が空気を読めず退陣しないことを批判する論理として山本雄史という新聞記者が持ち出しているのは、参院選挙における<国民の審判の結果>を<尊重すべき>・<真摯に受けとめるべき>という、冒頭にすでに書いたことに尽きる。同じことを何度もオウムのように繰り返すだけだ。
 これでは話にならない。返信ではなく、山本ではないコメント者の方にむしろ、引用したい・聞くべきものが多かった。
 <国民の審判の結果>を<尊重>し<真摯に受けとめる>ということは安倍首相も語っていることで、こんなことが同首相が辞任すべき理由にならないことは明らかだ。
 今回はいささか無駄足を踏んだ感もあるが、この人が前提としている「民主主義」観も問題があると思われるので、さらに別の回に扱う。
 なお、選挙結果を真摯に受けとめる気持ちがあろうとなかろうと、選挙結果によって各政党の議席配分が決まり、参院では野党が多数となったために、衆院を通過した法律案も参院では通過せず法律として成立しない可能性が制度的に出てきた。このことこそがまさに、<国民の審判の結果>の制度的効果なのだ(他にも参院議長職等々があるが)。それ以外のことは、すべて、<政治>の世界のこと。参院選敗北で首相が退陣した(そして同じ自民党による別の政権ができた-見方によれば自民党内での「たらい回し」だった-)例がこれまでに二度あったが、今回の事例は、「大敗」と言われる敗北だったにもかかわらず首相が退陣しなかった新しい先例ができたにすぎない。
 山本雄史よ、どこに法的又は政治的な問題があるというのか。
 立ち入らないが、山本の8/01ブログに対する「自民党下野論」の方が山本氏の論よりは筋が通っている。自民党(総裁は安倍だが)が敗北したのであって、山本の言うように<国民の審判の結果>を<尊重すべき>・<真摯に受けとめるべき>ならば、山本の言うように今回の選挙が「現政権に対する評価を見る選挙的」なものだったとすれば、<民意>は民主党を選択していることになり、自民党は野党になって、第一党の民主党に政権を譲らなければならないのではないか。内閣の組成を民主党はしなければならないのではないか。
 <国民の審判>が下った対象、<国民がノーとつきつけた>対象をなぜ山本雄史氏は安倍内閣・安倍首相に限定するのだろう。それらの対象は自民党それ自体とも十分に解釈できる。とすると、山本は、<民意>を尊重して自民党は下野して民主党に政権を明け渡せ、と主張しなければならない筈なのに、何故しないのか。一年半前の衆院選時よりも今回の方が<新しい(従ってより正確な現在の)民意>だという論拠で補強することすらできるではないか。
 じつはここにも私は、とくに朝日新聞の主張(策略)の影響を山本雄史にも見る。4月の都知事選挙の前、それもおそらくは安倍内閣成立直後から、朝日新聞は7月参院選・自民党敗北→安倍退陣を企図していた。4月の都知事選挙の前に民主党は菅直人を立てよと朝日新聞が主張した際、はっきりと、<参院選に向けて勢いをつけるためにも>という旨を社説で書いていた。朝日新聞の狙いは自民党下野ではなく(これは政治的にはじつは困難なことを朝日新聞も分かっている)、安倍首相退陣だったのだ。だからこそ、今でもそうだろうと思うが(もう諦めた?)、安倍・自民党敗北のための<政治ビラ>をまき続けたのち、<安倍辞めよ>と大キャンペーンを張っているのだ。その影響が山本にも現れて、<安倍は辞めるか>・<安倍首相は辞めるべきか>というとくに朝日新聞によって意図的に作られた争点問題への強い関心をこの人に持たせたのだと思われる。前々回に書いたが、山本自身が多数派の他マスコミの起こした「風」に巻き込まれてしまったのではないか。

0317/産経・山本雄史記者への質問と助言・4。

 一 産経・山本雄史のブログ上にはまだ、<秋月氏に答える>、<…に反論する>というタイトル又は内容の文章は掲載されていない。但し、コメントに対して8/06付で「返信」はしているようだ(私の質問等1は8/4夜)。私もこれまでのものも含めて「コメント」欄に記述してみようか? そうすれば「返信」を頂戴できるだろうか?
 二 山本自身の発言(記述)内容を補足しておく。
 安倍首相につき-⑧会見のやりとりを見て「安倍首相はあまりにもズレているように思」った、⑨「国民の審判を安倍首相は本当に受け止めているのか、会見の受け答えをみていて…そう思った」。⑩「地位と権力にしがみついている印象、安倍首相の一連の発言や態度などから十分に感じられると思う」。
 他マスコミの報道および産経新聞の紙面につき-⑤「産経紙面は、赤城大臣の事務所費問題、発覚2~3日は驚くほど報道量は少なかった…。選挙前にこういう問題が発覚すること自体は、十分ニュースであると私は思っていたので、もう少し産経も報道した方が良かったのでは」と感じた、⑥「安倍首相の理念がなぜ国民に伝わらなかったのか、メディアだけの責任ではない」。
 前回小沢一郎について触れた部分を①として、小沢につき-②「小沢氏のどぶ板っぷりは見事だったと思います」。
 三 ところで、山本はまだ入社6年余りの20歳代の記者らしい。経験も経験の抽象化・理論化も基礎的な文献等による勉強も不十分であるに違いない。
 大学を卒業して就職した人々の中の一部にありがちなのは、大学を卒業したくらいでは、そして就職試験に合格したくらいでは社会人として実際に生活し仕事をするいかほどの能力も資格もないにもかかかわらず、<一人前>の社会人になったように<錯覚>してしまうことだ。この<錯覚>がマスコミ人の中に出てくると、大変なことになる。
 山本のブログ文やコメントへの返答を読んでいても感じる。この人は、大きな錯覚をしているのではないか?、政治(も)担当の記者になって一般人・平均的国民よりも適切に<政治>を語れる資格・能力があると、<傲慢>にも<錯覚>しているのではないか?、と。入社6年余程度で一体何が語れるというのだ。そして既に質問もした中に含意させたつもりだが、<政治>に関して、いかほどの知識・見識があり批判・分析能力(を生んだ経験・勉強の蓄積)があるというのだ
 そもそもの問題は、大した力量もない「若造の」政治(も)担当記者が、首相の出所進退という大きな政治問題について、<感覚>または<思いつき>程度で、諸問題を十分に考慮することなく、結論的なことを書いてしまった(少なくとも示唆した)ということにある、と思われる。今回のような内容の<感想>程度のものは本来はいくら個人的に感じたことでも<記者ブログ>に適当に書くのは適切ではなかった(少なくとも、まだ山本には早すぎた)、と私は思う。そのことによって、この私の一文もその一つだが、かなり多くの人に余計な(反発を含む)エネルギーをかけさせている。
 叙述の内容・結論自体よりも前に、日本政治上の重要なかつ現実的だった争点について、<感想>程度のものを<適当に>書いてしまったこと自体にまず問題があり、そのことを職業人・山本雄史はまず反省すべきだろう。
 書いたときは産経読者やイザ!読者はともかく、一般国民レベルでは圧倒的に支持される筈の思い・感想・主張だと感じていたかもしれないが、その後の反応を知ってこの人はようやく自らの軽率ぶりを少しは反省しているのではなかろうか(と期待する)。自民党敗戦の責任は安倍首相にはないとの意見の方が多いという世論調査結果を示している新聞もあるのだ。(山本の本意とは異なる主張らしい)産経のみならず、読売も日経も続投を明瞭に支持したのだ。ネット上で、この人は一種の「ピエロ」になっている。恥ずかしく感じているだろう(と期待する)。
 四 以上のように書くとやや筆致も鈍るが、予定どおり、前回につづく第四点に入る。
 第四に、山本雄史記者は7/30のブログ文で(安倍政権が?)「労働組合批判を繰り返すのは得策ではない」との「見解も示してきた」、と簡単に書いている。この「労働組合」とは社会保険庁の労働組合のことだろう。
 さて、まず瑣末で技術的な知識の問題かもしれないが、1.非現業公務員らには労組法上の「労働組合」はなく職員団体しかない、2.社会保険庁の職員はかつて都道府県に置かれた機構に勤務しながらも身分は「国家公務員」とされた(所謂「地方事務官」制度)、3.分権改革関連法令によって同制度は廃止されたにもかかわらず、職員団体(世間で不正確にいう労組)は2007年4月までは都道府県のそれに属するとされ、上部団体は所謂「自治労」(かつては日本社会党系。今は民主党系らしい)だった。
 上の3.に関して、読売8/06朝刊には興味深い記事がある。すなわち、2000年の分権改革法令施行後も2007年まで国の機関である筈の社会保険庁職員1万人を都道府県職員と同じく自治労傘下にすることを2000年の分権改革関連法令で認めたことについて、1999年に当時の社民党・村山富市元首相から「自治労が困っている…」と言われたので自民党・自由党に働きかけた結果だ、と公明党の草川昭三(今回、比例区で落選)が明らかにし、「内心忸怩たるものがある」と「悔や」んでいる、という。
 私も書いたことがあるのだが、社会保険庁職員(団体)の労働慣行のヒドさは、「地方事務官」制度とその廃止(=正規の国家公務員化)にもかかわらず職員団体は「自治労」加入を認めたことと無関係ではないだろう、と理解している。
 さて、今日の草川昭三のコメントはともあれ、その上の段に1.2.3.と記述したようなことを、「労働組合批判を繰り返すのは得策ではない」と何気なく書いた山本雄史は知っていたのだろうか。そんな知識はなかっただろうと想像するのだが、いちおう質問しておく。イェスかノーかで答えていただきたい。
 こういう細かな?ことよりも問題にしたいのは、山本雄史は、労働組合というもの、その上部団体の「自治労」、そしてそうした上部連合組織を指導した<労働運動>理論について、山本氏はどの程度理解し、どのように評価しているのか、ということだ。
 現在は民主党支持の労組・労組全国組織の幹部は今はもはや、内心でも日本をソ連のような社会主義国にしようとは思っていないだろう。ソ連はもはや存在しないからだ。また、存在する社会主義国(中国・ベトナム等)のように…ともさすがに公言はできなくなっているだろう。
 だが、詳細は知らないが、かつて「自治労」等が支持した、逆にいえば「自治労」等が<指導>を受けた日本社会党には(欧州の社会民主主義政党とは異なり)マルクス主義者(・社会主義者)が有力なグループとして存在しており、一時期は明瞭に日本の「社会主義」化を本気で狙っていた。むろんそうした社会党左派をさらに理論指導する知識人・大学教授もいた。
 かかるかつての時代と現在はむろんだいぶ異なっているだろう。だが、「社会主義」化を公然と標榜しないにせよ、反「資本主義」感覚、反「自由主義」感覚さらには-適当な言葉がないので困るのだが-<反日・自虐的>感覚は、一部の職員団体・労働組合やその上部団体の幹部には脈々とまだ受け継がれている、と私は考えている。自治労とは関係ないかもしれないが、今回も当選した民主党の岡崎トミ子の行動、かつて社民党にいた田嶋陽子のアホらしい(ピエロ役の)発言内容等を思い起こせばわかるだろう。
 そこで、憲法九条改正には賛成らしい山本雄史に質問する。労組の一部をかつて決定的に支配し、かつ現在もその可能性のあるコミュニズム(マルクス主義・社会主義)の<問題点と怖さ>をどのように認識しているのか。たんにもはや古い、支持しない、という回答だけでは困る。<問題点と怖さ>をできるだけ長く叙述してご回答いただきたい。
 この質問は、前回に述べた第二点とも関係している。
 山本雄史は安倍首相や安倍内閣にはなぜか厳しく、朝日新聞等や労組にはなぜか「甘い」のだ。簡単に表現すれば-再び適当な概念がないので困るのだが-この人はなぜか、<左に甘い>のだ。
 こういう心情は珍しくもないが、産経の記者としては珍しいのではなかろうか。だからこそ関心が涌く、何故にこんな心情が形成されたのだろうか、<左翼>の核心に(亜流・亜種も含めれば現在も)あるマルクス主義の<問題点と怖さ>をこの人はきちんと理解しているのだろうか、という関心が。
 ぜひ、質問に答えていただきたく、せつにお願い申しあげる。まだ触れていない重要なテーマは次回に。

0316/産経・山本雄史記者への質問・3。

 再述すれば、産経・山本雄史は自らのブログ7/30上で、最後に「安倍首相は引き続き政権を維持する決意を固めている。政権にとどまることで、さらなる国民の反発が予想されるのだが、…。安倍首相は空気を読めているのだろうか」と結ぶ一文を書いたコメントに対して「「退陣しろ」とまでは書いてません。におわせるような部分はありますが…」と逃げている文章もあるが、退陣すべきだった(続投すべきでなかった)と考えており、そう主張したのは実質的に明瞭なことだ。
 なお、以下はすべて、同氏の書いたものの引用だ。①「国民に「首相が居座っている」という印象を持たれても仕方がないような発言が多い」、②「不信任とみられても仕方がない負け方だ」、③「国民がノーを突きつけているという事実をこの人〔首相〕にはわかっているのかなあ?と思わせるような発言が多かった」、④「国民の審判が下ったにもかかわらず、…現在の状況を把握されていないのではないか?という疑問」を持った、⑤「自民党の最高責任者は安倍首相なので、責任が問われるのは筋としておかしくない」、⑥「首相自身が、自身の置かれている状況を正確に把握しているように思えなかった」、⑦首相発言は「民意なるものを軽視しているとしか思えない」。
 上のブログ本文を中心にして、いくつかの疑問も湧き、質問もし批判もしているのだが、山本雄史のブログ上にはまだ、<秋月氏に答える>、<…に反論する>というタイトル又は内容の文章は掲載されていない。
 ネット上に新しい言論空間の可能性があるというなら、頬かむりしないで何らかの反応をネット上で示したらどうだろうか。私は一個人としての山本氏ではなく、産経新聞記者としての山本雄史氏に向かって発言している。
 さて、依然として、この人はなぜこんな皮相で単純なことしか書けず、主張できないのだろうか、とその理由・背景について思いめぐらしている。いくつかそれらを推測するとともに、あらためて質問をしておこう。
 第一に、山本は安倍首相は退陣すべき旨を主張したとき、内閣総理大臣の地位に関する衆議院と参議院の位置づけの違いを少しでも考慮しただろうか。
 政治(も)担当する新聞記者ならば、国会法・公職選挙法・政治資金規正法等の基本的概要を熟知しておく(少なくとも簡単に確認・調査できる状態にしておく)べきなのは当然だが、現憲法上の関係規定を知っておくべきことは当然のこと、言わずもがな、のことだろう。
 安倍首相は憲法の定めにもとづき衆院・参院両院の議決によって内閣総理大臣の地位に就いた。これ以上は既述のことでもあるので反復しない。
 山本は、衆院の内閣不信任議決→総辞職か解散、に対して参院にはかかる手段又は制度はない、ということくらいはきちんと理解した上で問題の一文を書いたのだろうか。
 むろん参院選の結果について党首に<政治的責任>の問題が発生しうることは一般論として否定しない。だが、かりに、こうしたあたり(憲法制度・憲法諸規定)について何の知識もなく、何の考慮することもなく、安倍首相は退陣すべきとの一文を書いたのだとすれば、もうそれだけで政治(も)担当記者として失格だと思われる。
 質問したい。山本雄史記者は、内閣総理大臣の選任、内閣総理大臣の地位に対する参議院の権限に関する憲法上の諸規定を知ったうえで、又は考慮したうえで上のような主張をしたのかどうか。
 なお、参院選挙の位置づけに関する参考となる論述を含み、かつ安倍首相続投を支持するものとして、以下がある。<リンク削除>
 第二に、朝日新聞等のマスコミの選挙報道の仕方についての認識が、少なくとも私とは異なっている。少なくとも私、と書いたが、同様の認識・理解は決して少なくはない。例えば、それぞれ私のブログで取り上げたのだが、産経の古森義久は7/11ブログ「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」で、このタイトルどおりのことを批判的に指摘・主張していた。
 週刊新潮7/26号も「「安倍憎し」に燃える朝日の「異様すぎる選挙報道」」との見出しの特集的記事を書いた。
 また、稲垣武は8/02に「今回の参院選での選挙報道は疑問だらけ」とし、選挙結果について「戦後レジームからの脱却を唱えた安倍首相と対立する朝日新聞の「反安倍キャンペーン」が功を奏した」と簡潔に言い切っている。
 さらに、そもそも山本雄史が所属する産経新聞自体が「何たる選挙戦」という他マスコミ批判をかなり含む特集記事を投票日直前に連載したのだ。 
 ところが山本は、驚くべきことに、産経新聞、古森、稲垣(そして私等)のような認識を全く又は殆ど持っておらず、むしろ他マスコミを擁護する言葉を発している。
 例えば、①「安倍氏の志も業績もなにひとつ伝えず、すべて悪意に解釈する報道を日々執拗に繰り返して強引に作り出された空気ではないか」との山本ブログ文へのコメント(発信者の名は省略させていただく)に対する、「うーん、少なくとも産経新聞は安倍政権の良さ、魅力を徹底的に報道していたと思いますが…」。ここでは、他マスコミには言及しないで逃げている。
 ②「産経は一貫して、安倍政権支持を明確にしてきました。公平さの面で言うと、首相サイドの記事が選挙期間中も多かったです。産経が公平な報道をしてきたか、というと何ともいえません」。ここでは何と、安倍首相支持を明確にしてきた(という)産経新聞の「公平さ」を問題にしている(!)。安倍首相を批判した朝日新聞等の方が「公平」だったと主張していると理解されてもやむをえない文章だ。
 ③「野党の失言や不祥事について、マスコミは意図的に無視していた…。うーん、そういう印象はあまりない」。
 ④「確かに、一部メディアは「安倍叩き」に奔走してました。ただ、軽薄かどうかは、国民は意外にシビアに見ていると思います」。ここでは一部メディアの「安倍叩き」奔走の事実は承認しながら、それを「軽薄」だとは言っていない。むしろ、「安倍叩き」奔走は決して「軽薄」ではなかった、と擁護しているニュアンスの方が強いことは明らかだ。
 以上の言葉は、一般の人が書いているならば読み流す類のものかもしれないが、新聞記者、しかも産経の記者の言葉となると、驚かざるをえない。
 山本雄史氏は、自らが帰属する産経新聞の主張・判断よりも他マスコミのそれらをむしろ支持しているようだ。産経の記者が産経新聞の「公平さ」を疑問視した部分は、歴史的にも記録、記憶されてよいものになるだろう。
 さて、推測になるが、山本は産経以外の各紙を読み(例えば私と違って全紙に容易にアクセスでき容易に読めるに違いない)、諸テレビ局の報道ぶりを見て、数の上では多かったかもしれない<反安倍>ムードの方の影響を受けてしまったのではなかろうか。あるいは朝日等の他紙の記者と接して語り合ったりしているうちにその影響を受けて、自社(産経)よりも他紙の主張の方に魅力?を感じたのではあるまいか。稲垣のいう朝日新聞の「反安倍キャンペーン」の効果は、あるいは同氏のいうマスコミの「狂風」は、マスコミ内にいる産経・山本の心理・考え方にまですら及び、巻き込んだのではなかろうか。
 あらためて質問したい。朝日新聞に便宜的に又は代表させて限定しておくが、朝日新聞の今回の選挙報道ぶりに問題(批判されるべき点)はなかったのかどうか。かりにあったとすれば、それはどの程度のもので、貴氏はそれをどう批判するのか(「問題はなかった」と言うなら、その旨答えてほしい)。
 関連して言及するが、山本雄史ははたして、朝日新聞という新聞社がどういう主張をし又はどういう虚報(捏造報道)を発してきたか等についての十分な知識を持っているのだろうか。昨年末の若宮啓文論説主幹の(私には滑稽至極な)コラムを読んだことがあるのだろうか。読んだとして、どういう感想を持ったのだろうか。あるいは、朝日新聞のみを批判する単行本、朝日新聞批判を含む単行本は何冊も出版されているのだが、この人はいったい、どの程度読んでいるのだろうか。
 そこで端的に質問する。1.最近10年間についてでもよいが、朝日新聞の論説・主張の「傾向」をどのように評価しているか。2.上のような単行本のうち何冊、かついずれの本を読んだことがあるのか(全くないなら、その旨答えてほしい)。
 なお、質問ではないが、北朝鮮当局は安倍首相の辞任を要求した、という。
別の国家の人事に介入してくるとは噴飯ものだが、北朝鮮は朝日新聞と同じ主張をしたことになる。いや、朝日新聞が先立って北朝鮮と同じ主張をしていた、と見るべきものだろう。
 第三に、山本雄史は安倍首相よりも小沢一郎を積極的に評価しているようだ。例えば言う-「小沢一郎が地味に地方や事務所回りに精を出した。一部メディアは小沢の作戦を冷ややかに受けとめていたが、小沢のやっていることは選挙の王道で、何ら奇をてらったものではない。そもそも、遊説で票が取れると思ってはいけない」。
 上の「一部メディア」とはどのメディアを指すのかよく分からないが(産経新聞だとしたら、再び驚愕だ。ネット上で自社の報道ぶりを再び公然と批判していることになる)、上の記述内容自体を問題にしようとは思わない。適切な指摘だと思われる部分があるからだ。
 だが、山本のかなり固い<安倍嫌い>を読まされると、小沢一郎についての、この山本という人の知識・認識の程度・内容を知りたくなる。
 90年代の政界の中心にいて<掻き混ぜた>のは小沢一郎その人だった。細川連立政権を生んだのは実質的に小沢一郎だったと言ってよいが、日本社会党を政権内に入れさせ、官僚を<社会党(社会民主主義)>に慣れさせ(例えば、文部官僚と日教組の接近→「ゆとり教育」)、細川首相の先の戦争は<侵略戦争だった>との単純な歴史認識の表明も生んだ。その後の村山・自社さ連立政権も、小沢一郎(新生党)と社会党・さきがけの自衛隊国際貢献等に関する対立と細川政権下での小沢の露骨な社会党外しにそもそもの原因あったのだとすると、小沢こそが社会党を自民党の方に追いやり(社民主義に甘かった当時の)自民党が受け入れたことによって成立した、ということもできる。そして村山政権は戦後50年国会議決(当時の安倍晋三議員は退席したと記憶する)や同村山談話をも生んだ。とくに後者は「自虐的」と評しうるものだった。小沢一郎が生んだともいえる一連の細川・(羽田)・村山政権は、―呼称はむつかしいが―親中国(・北朝鮮)「自虐的」政権だった、と言えなくもない(そのように論評する人もいる)。
 一方、新進党瓦解後、小沢一郎は自由党を結成していて、一時期自民党と連立与党を構成した。過半数獲得のために自民党が自由党を必要とした事情があったが、小沢は政権与党内での自らの地位の向上を狙っていただろう。公明党の連立参加により自由党がいなくとも与党は過半数を取れるようになり、自由党は小沢自由党と保守党に分裂して前者は野党に転じた。その直前に小沢・小渕首相会談があり、会談後に小渕首相は脳梗塞で倒れたのだが、会談において小沢一郎は、小渕首相に対して、自己の政府内要職(首相を含む)の地位の保障を要求したのではないか、と私は想像している。
 前後するが、小沢一郎らが新生党を結成して自民党を離党したとき、立花隆は<何が改革派だ、ちゃんちゃらおかしい>旨述べて朝日新聞紙上で酷評した(とっくに朝日読者でなかったので当日は読んでいないが、のちに有名になって別の本で読んだ)。小沢一郎は田中角栄-金丸信の直系の「金権」政治家(新しそうでじつは古い政治家)だという少なくともイメージはあったのだ。
 余計なことを私の推測も交えて長々と書いたが、問題にしたいのは、山本雄史記者が上に一端を示したような90年以降の政界改編の状況・歴史、小沢一郎という政治家について、どの程度の知識・見識を持っているのか、ということだ。20年もまだ経っていない近年の日本の政治状況・歴史や重要な政治家の一人について、十分な知識と見識なくして、小沢氏等について十分に適確な記述・論評ができるのだろうか。政治(も)担当の新聞記者なら、書物を通じてであれ、基本的な概要は知り、理解して何らかの見識は持っておくべきだろう。
 はたして、山本雄史記者は、上のような十分な知識と見識を持っているのかどうか。
 そこで、質問したい。90年以降の政界(政党改編等)の状況・歴史、小沢一郎という政治家について、何という書物を読んで知識・見識を得たのか(小沢一郎の著書を含む)。これらに関する知識・見識が不十分のままでは政治(も)担当の新聞記者の資格はないと考えるので、あえて問う。
 なお、私がすでに書いた以下も参照。<リンク削除>
 もう一つ、第四点を予定していたが、長くなったので、「民主主義」・「民意」論とともに次回に回す。
 いくら何でも<完全沈黙>はないだろう。

0315/産経・山本雄史記者への質問と助言・2。

 一 産経山本雄史記者は安倍首相は辞職すべきであったと主張している。この点は、政治的見解・主張の分かれで、結論の当否のみを一般的に論じるのは必ずしも適切ではないかもしれない。
 私は開票前から、退陣すべきではないと主張してきたし、結果判明後も続投支持、退陣不要の旨をこのブログでも書いてきたので繰り返さない。一つの政治的主張だ。
 そして重要なのは、私のような見解・主張はごく一部のものではない、逆にいうと山本雄史のような見解・主張が国民の大多数のそれと同じであるということはない、ということだ。
 たまたま気づいたのだが、他ならぬ山本が所属する産経新聞上の<週刊誌ウォッチング>で花田紀凱は、「朝日新聞の異常な安倍叩きがまだ続いている。朝日自身による参院選後の緊急調査でも「首相は辞任を」47%、「続けてほしい」40%とそれほど差がないし、自民大敗については「原因が安倍首相にある」34%、「そうは思わない」59%という数字なのに「首相の続投 国民はあぜんとしている」(7月31日社説)」と安倍退陣を狙う朝日新聞を皮肉っている。
 山本も、自分の(朝日新聞と結果としては同じ)感覚が決して国民大多数にも共通するするものとは思ってはならない。
 二 問題は、又は関心をもつのは、前回の繰り返しだが、なぜ山本記者は「私は安倍政権について、距離を置いてきた」と書いているのだろうか、ということだ。
 そうした<心情>からは、安倍首相に対して厳しい見方が生まれても不思議ではない。
 そして論点を変えると、じつは上の部分にも、この人が「悪しき戦後教育の影響」を受けてきたことの証左といえるものが潜在していると思われる。
 やや強引な論理づけになるかもしれないが、安倍内閣は教育基本法を改正させ教育再生関連法案も成立させたが、それは「悪しき戦後教育」を是正する・改めるという目的のためだった。戦後教育が100%否定されるべきだとは私も思わないが問題点が多々あったことはたしかだと思われる。そして、そのような問題意識を持っていた人々は、八木秀次をはじめとして安倍内閣を高く評価している。
 しかるに、山本は<安倍政権から距離を置いた>、という。ここの意味はむろん厳密には把握できないが、上記のような<教育改革>にも特段の賛意を持たなかった、ということをも含んでいると理解できる。とすると、まさに山本は従前の<戦後教育>のままでよかった、と考えていることになる。そして、それが<悪しき>部分を含むとすれば、<悪しき戦後教育の影響>をモロに受けているからこそ、安倍内閣の教育改革を評価できないのだろう。
 上記のとおり、やや強引な論理づけであることは自覚しているが、平然と<安倍政権から距離を置いた>旨を書く山本が、<悪しき戦後教育の影響>を受けていない筈はない。また、<悪しき戦後教育>を伴っていたのが<戦後レジーム>だったが、<戦後レジームの権化>と称しうる朝日新聞の主張と同じ又は類似の叙述や主張を山本がしている部分があることも看取でき、その意味でも、山本は<悪しき戦後教育の影響>を受けているのだ。
 上の部分は、<悪しき>の意味を明瞭にさせないと適切な議論にならないかもしれない。
 具体的に<悪しき戦後教育の影響>が見られると考えられるのは、その選挙観・民主主義観だ。殆ど<民意を尊重すべき>としか理由づけることのできない幼稚さ・単純さは、私には<悪しき戦後教育の影響>そのものだと思える。次回に書き続ける。
 三 今回も山本雄史記者に対して、質問をしておこう。
 何故<安倍政権から距離を置いた>かを知りたいためであり、何故少なくとも結果としては朝日新聞と同じ主張をしているかの背景を知りたいためだ。
 ①2005年の朝日新聞対NHK・安倍氏問題についてどう認識、評価しているのかを書いてお教えいただきたい。もしすでにどこかに書かれていれば、その所在を教示いただきたい。
 ②2000年の松井やより等の<国際女性戦犯法廷>という行事そのものをどう認識し、評価しているのかを書いてお教えいただきたい。もしすでにどこかに書かれていれば、その所在を教示いただきたい。
 ③「慰安婦」問題についてどういう認識・評価をされているのか、を書いてお教えいただきたい。もしすでにどこかに書かれていれば、その所在を教示いただきたい。
 産経新聞の主張の基調ならば理解できるが、山本の認識・見解はどうやら産経新聞の論調とは必ずしも同じではないようなので、是非伺ってみたい。
 四 山本は、今回の選挙結果についてこうも言っている-「国民は、安倍首相のやろうとしていることに自民大敗という結果で、ブレーキをかけた気がします」。そしてそれを肯定的に見ている。彼のいう「民意」だからだ。ということはもちろん、<ブレーキがかかってよかった>又は少なくとも<ブレーキがかかってもやむをえない>ということを意味するだろう。この人は、選挙で示された「民意」を「重く受けとめて」尊重する人だからだ。
 かかる考え方は選挙結果=安倍内閣不信任と捉える朝日新聞と同じだ。
 あるいは、朝日は<反自民3点セット>(年金・カネ・失言)を選挙の争点にして煽ったのであり、私自身が既述のように、じつは今回の選挙結果によって安倍改革・安倍路線が否定されたことにはならない、と分析することは十分にできる(櫻井よしこ、岡崎久彦等、同旨の論調も少なくない。上記の花田コラムの中の安倍首相に責任34%・なし59%との数字も参照)。そして、朝日新聞の論説委員たちはこのことに気づいている可能性も十分にある、と思っている。
 とすれば、産経の山本雄史は能天気にも、朝日新聞以上に今回の選挙結果を安倍首相・安倍内閣に不利に理解していることになる。産経新聞の記者様は、上のようなことを世間一般が読める媒体に平気で書いてしまわない方がよろしいのではないか。

0314/産経・山本雄史記者への質問と忠告・1。

 産経山本雄史という記者はなかなか面白い人だ。面白い、というのは関心を惹く、という意味で、積極的・肯定的に評価する言葉として用いてはいない。
 この人はこのイザ!内に記者ブログを持ち、7/30に「安倍首相はなぜ空気が読めないのか」という一文を書いている。やや遅れて読んですぐに、やや感情混じりのコメントを書いてしまったのだが、本文はもちろんその私に対する反コメントやその他の多くの対応コメントをあらためて読んでみると、その皮相さ・単純さには呆れる(多数の対応コメントの内容は殆ど同じことの繰り返しだ)。
 山本は「安倍首相は空気を読めているのだろうか」と本文を終えているが、上のタイトル自体も含めて、<安倍首相は空気を読めていない>と理解又は主張していることは、対応コメント等を読んでも明らかだ。
 また、<空気を読めていない>とはどうやら次の意味のようだ。すなわち、<参院選で自民党大敗という「国民の審判」結果が下ったのに、続投しようとするとは、敗因の理解も含めて、「空気を読めていない」>ということだ。つまり、彼は、安倍首相は退陣すべきだった、と主張していることになる。
 見解の相違ということになってしまう部分もあるので、まずは大きな又は基本的な問題・論点から叙述してみよう。
 私は「貴氏の書いていることが全部誤っているとは言わない。/しかし、些細・瑣末な問題に関心を持ちすぎている」とまずコメントしたのだったが、じつは山本氏はこの部分には何らの反論も対応コメントも書いていない(そのことを批判するつもりはない。自由だ)。
 上の私の言葉は瞬時に感じた印象だったのだが、この人の精神構造・発想・考え方といったものに直接関係していると思われる。
 話を大きくさせる。この人の学歴を一切知らないで書くが、新聞社に入社し政治関係の(少なくともこれも扱う)部署・支局にいるとすれば、政治・政治史・政治思想(民主主義を含む)・政治思想史・政治学・選挙・日本政治・現代政治等に関する書物を少しは読み、関係する月刊誌や週刊誌も読んで、一般人又は平均的国民以上の知識・見識を持っていると、すなわち私のような政治又は政治学の「しろうと」とは違って、基礎的な素養を十分に身に付けている(または年齢からみて少なくともその過程にある)ものと推測して当然だろう。何しろ「プロ」の政治(も)担当の新聞記者という文章の書き手なのだから。
 しかし、見事にそのことを感じることができないのが山本雄史という人の文章とその内容だ。
 山本記者よ。上の指摘に反論したいならば、学生時代以降現在までに読了している上に列挙した学問分野に関する書物のリストをブログ上で明らかにしていただきたい。また、近年定期的に講読し(精読とはいかなくとも普通程度に)読んでいる月刊雑誌のリストもブログ上で明らかにしていただきたい。
 こんなことを書くのも、この人の考え方の幼稚さ・単純さに新聞記者としての「ただならぬ」ものを感じるからだ。
 関連して書くと、この人が社員である産経新聞社は正論エクストラをたしか8号まで出し、正論という月刊雑誌も出しているのだが、この山本雄史という人は、自社のこれらの出版物をどの程度読んでいるのだろうか(上の質問と一部重なる)。
 むろん社員だからといって自社の出版物を全て読む義務はない。だが、「政治」(も)担当なら、これに関係する論稿等々が掲載されている月刊正論(や正論エクストラ)等を他新聞社の出版物よりも少しは多く読んでいても不思議ではないのではないか、と世間の通常人の一人と思っている私は想像する。
 しかるに、こうした出版物(むろん執筆者・論者によって論調等が一様ではないが)が基本的なところでは一致しているのではないか、と私は感じるところのある、<時代認識>、<歴史認識>そして<政治認識>と、この山本雄史という人の持っているこれらは異なっている、と断言できる。
 また、産経新聞の基本的な論調(古森義久や阿比留瑠比の書く内容はこの中に含まれているだろう)とこの人の考えは違っているようだ。
 このことは山本自らが認めている。例えばいわく-
 「私は安倍政権について、距離を置いてきた。労働組合批判を繰り返すのは得策ではない、などと産経の論調とは異なる見解も示してきた」、「私のような記者は存在そのものが許されないようです・(苦笑)」。
 あるいは、「本日の朝刊各紙のメーン見出しをみると、「自民歴史的大敗」「自民歴史的惨敗」といった見出しが踊っている。私も「歴史的惨敗」という要素こそが、最も大きなニュースと思うのだが、産経だけは「安倍首相 改革へ続投表明」の見出しが目立つようになっていた。」等。
 私が関心をもつのは、なぜかかる意識・見解が形成されたのか、という点だ。少し言い換えれば、産経発行の出版物や産経新聞をきちんと読んでいれば、かかる<反安倍>心情は生まれなかったのではないか、ということだ。
 山本記者よ。ほぼ繰り返しだが、月刊正論や正論エクストラをどの程度<真摯に>読んでいるか、貴氏のブログ上で明らかに又は説明していただきたい。
 さて、山本はおそらくは業務命令によってイザ!上にブログを開いているのであり、自由意思にもとづくものではないと思われる。しかるに明確に産経新聞の記者と名乗りつつ、産経新聞の基調と反する主張をしている。「産経がより支持を得るためにも、多様な見方は必要だ」と明記して現在とは異なる「多様な見方」も紙面化するべき旨をも述べている。勇気はあるのだろうが、しかし、個人的に上の如く考えるのとブログ上でそれを公にするのとは質・性格が全く異なる。
 産経新聞社内部の問題を話題にしようとしているのではない。私は、なぜそこまでの、自社の新聞の基本的論調と矛盾する考え方・認識を公に示すことができるだけの<基本的な歴史観>・<基本的な時代観>そして<基本的な安倍政権観>ができあがっているのだろう、と不思議に感じているのだ。
 また、全く余計だろうが、この人は帰属会社との同一性感覚が乏しいか失われているために何らかのストレス又は抑圧的心理を持っているのではないか、と心配しもする。
 ここまでで第一回としたい。
 次回に書きたいことを少しだけ。第一、「産経新聞を10代のころから愛読している」ことが「悪しき戦後教育の影響」がないことの根拠・論拠になる筈がない。コメントとはいえ、新聞記者なら、もう少し論理的に考えたらどうか。
 第二、「国民を信じることから民主主義は始まる」「私は日本人の民意を愚直に信じ」る-同旨で反復されているこのような部分にこそ、基本的な誤謬がある。民主主義(多数者の勝利)とその結果の<正しさ・合理性>は別の次元の問題だと、いつぞやすでに書いた。
 また、この人の言う「国民の審判」という言葉の意味は不明確だ。かつ、その「国民の審判」結果から特定の結論(具体的には、退陣すべき)を導く論理も杜撰だ。新聞記者なら、より緻密に論理的に書いたらどうか。
 さらに、「国民の審判」=選挙結果を「重く受け止める」ことは当然で、私も肯定するし、安倍首相も明言している。問題は、「重く受け止め」て、どうするか、だ。この二つの問題の論理的区別が、山本氏にはきちんとついているのだろうか。
 反論したければ、とりあえずにでもどうぞ。また、とりあえずにでも、質問に答えていてただきたい。
 一般ブロガーの書いていることに逐一反応しようとは思わないし、例えば朝日新聞記者のプログ内容がやはり朝日らしく奇妙であっても逐一はとりあげないだろう(朝日記者のブログがあるか否かは知らないが)。産経の記者のブログだからこそ、多少の関心をもつのだ。

0312/安倍首相続投と世論-朝日新聞の策略は完遂ならず。

 安倍首相続投に関する各社の世論調査の結果を、産経・阿比留瑠比の8/01ブログが紹介しており、全紙を読まない(読めない)者にとっては有り難く、有益だ。
 それによると、支持(評価)する・支持(評価)しないの順での%は次のとおり。
 読売-44%・45%。
 東京-44%・50%(コンマ以下四捨五入)。
 朝日-40%・47%。
 日経-36%・50%。
 自民党支持者に限っての続投支持率は、読売で74%、朝日で77%、日経73%
 テレビでは続投疑問視のコメントが完全な多数派の印象だったし、朝日新聞の社説は「安倍続投・国民はあぜんとしている」とのタイトルまで打ったのだが、阿比留も指摘するように、世論は続投批判が多数派では必ずしもない。少なくとも大多数派ではない。
 朝日新聞は上の数字に関しては特段の見出しをつけなかったようだが、きっとガッカリしているだろう。30%対70%、悪くても40%対60%くらいの数字が出るだろうと想定(期待)していたのではないか。不支持が47%では、「過半数が…」との大きな見出しをつけるわけにもいかない。残念ながら、朝日新聞・若宮啓文らの<策略>は、最終的には挫折した。彼らは最終目的を達成することはできなかった。
 そして朝日には、野党が過半数取っても国会は混乱せず大丈夫、むしろ「正常化」だ、などと社説でいったん書いた重みが今後のしかかることになるだろう。
 自民党支持者の数字もほぼ3/4が支持で、自民党支持者が安倍首相を決定的に見離しているわけでもない。
 これらの数字は、民主党に勝たせ過ぎたという感想にもよるのかもしれないが、自民党支持者に限らず、(朝日新聞にとっては極めて残念なことだろうが)もともと安倍首相に自民党敗北の責任の過半があるとほぼ一致しては考えられていない、そういう印象は大多数にはもたれていない、ということを示しているのではなかろうか。
 だが、上の数字のような世論の「空気」を自分は「読め」ず、安倍首相は空気を読めるか>と問題にしている新聞記者がいる。産経の、山本雄史という、政治部所属らしい記者だ。この人の書いていることはかなりの問題点を含むので、別に(本格的に)扱う。

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