一昨年に(少なくとも一部を)読み、感想もすでにメモしたことがあるが、この欄にも若干の修正を加えて掲載しておく。
山下悦子・女を幸せにしない「男女共同参画社会」(洋泉社新書、2006.07)は、一章まで(~p.72)を読んだだけだが、なかなか面白かった。上野千鶴子や大沢真理等の「フェミニスト」の議論は大多数のより「ふつうの」女性の利益に反する<エリート女性シングル>のための議論だとして、強く批判しているからだ。大沢真理が関係法律(男女共同参画法)の成立に審議会委員として貢献したという知識を得たのはこの本によってが初めてだった。また、「ジェンダー・フリー」とは誤読にもとづく和製英語で、「性別にかかわりなく」という意味を本来は持っていないとされていることも初めて知った。東京大学教授の二人の英語の知識が問われている(但し、上野千鶴子が<戦略的に>作った概念だとの話もあることはいつぞや触れた)。
上野は明確な「団塊」世代で大沢は下だがほぼ準じる。そして、上野や大沢を代表とするような女性と彼女たちのような議論を生み出したのも、戦後の-とりわけ1970年以降の?-教育を含む日本社会に他ならないだろう。
それにしても、繰り言の反復になるが、東京大学は、正確には又は実質的には文学部及び文学研究科・社会学専攻にたぶんなるが、上野・大沢をよくも採用したものだ。
荷宮和子・若者はなぜ怒らなくなったのか(中公新書ラクレ、2003)は「団塊と団塊ジュニアの溝」との副題が気を引いて、読んだ。だが、「あとがき」を先ず読んで、この人自身の表現を借りると、この人は「アホである」(p.245)と感じた。
多少中身を見ても概念定義・論理構成が全く不十分だ。同・なぜフェミニズムは没落したのか(同前、2004)も既所持で第一章まで読んでいたが、この人自身の表現を借りると、やはり、この人は「アホである」(p.277)。活字文化のレベルはここまで落ちている。
何の学問的基礎・専門知識もなく、喫茶店のダベリを少し体系化しただけのような本が出ている。そんな傾向を全否定はしないが、中公ラクレ編集部の黒田剛司は自社の名誉・伝統のためにも執筆者の再検討をした方がよい。
2冊ともたぶん100~300円で買った古書なので大した打撃ではないが、読んだ多少の時間が惜しい。小浜逸郎・やっぱりバカが増えている(洋泉社、2003)というタイトルどおりの証左かもしれない。が、その本人が「バカがこれ以上増えませんように」(荷宮の前者最末尾)と書いてあるから、ひっくり返った。
山下悦子
私にとって散歩というのは、自転車による散策の場合も同様だが、書店=本屋又は/及び喫茶店に入ることをたいてい伴っている。昨日、散歩のほぼ最終地点の小さな書店で1冊だけ買った山下悦子『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』(洋泉社新書、2006.07)は、一章まで(~p.72)を読んだだけだが、なかなか面白い。上野千鶴子や(この本で名前を憶えた)大沢真理等の「フェミニスト」の議論を大多数のより「ふつうの」女性の利益に反する<エリート女性シングル>のための議論として、強く批判しているからだ。大沢真理が関係法律の成立に審議会委員として貢献?したという知識を得たし、「ジェンダー・フリー」とは誤読にもとづく和製英語で、「性別にかかわりなく」という意味を本来は持っていないとされていることを知って苦笑してもしまった(東京大学教授の英語の知識が問われておる。上の二人はこの大学に在籍だ)。
1970年代に結婚し、子どもを生み、育てていった者たちが多いはずのわが(若干広義の)「団塊」世代は男女平等を一つの理念とする「戦後民主主義」教育を受けていたのだったが、それは「子育て」・「しつけ」の仕方にも影響を与えただろうことはおそらく疑いなく、そして「団塊」ジュニアと呼ばれる世代の意識にも影響を与えたはずだ。上野は明確な「団塊」世代で大沢は下だがほぼ準じる。そして、上野・大沢二人を代表とするような女性と彼女たちのような議論を生み出したのも、戦後の-とりわけ1970年以降の?-教育を含む日本社会に他ならない。
「団塊」世代に責任がないとはいえない、日本社会のとりわけ1970年以降の変化は、国民にとって、あるいは日本に住む者にとって、はたして「よかった」のかどうか。来し方を振り返り、行く末を想って、多少は懸念と憂いを感じる。
それにしても、東京大学は、正確には又は実質的には文学部及び社会科学研究所になるが、上野・大沢をよくも採用したものだ。学問の客観的評価が困難であるのはわかるが、珍しいから・威勢がいいからでは困る(まさかとは思うが)。それに、この二人に限らず、東京大学の中に「左翼」的な教授が多いのはなぜだろう。この大学だからこそ目立っているのだろうが、京都大学の方がまだマシのようにも見える。もっとも、大学は特別な、「左翼」がヌクヌクと安住できる世界のようなので、一部の大学を除いて似たような状況かもしれない。
1970年代に結婚し、子どもを生み、育てていった者たちが多いはずのわが(若干広義の)「団塊」世代は男女平等を一つの理念とする「戦後民主主義」教育を受けていたのだったが、それは「子育て」・「しつけ」の仕方にも影響を与えただろうことはおそらく疑いなく、そして「団塊」ジュニアと呼ばれる世代の意識にも影響を与えたはずだ。上野は明確な「団塊」世代で大沢は下だがほぼ準じる。そして、上野・大沢二人を代表とするような女性と彼女たちのような議論を生み出したのも、戦後の-とりわけ1970年以降の?-教育を含む日本社会に他ならない。
「団塊」世代に責任がないとはいえない、日本社会のとりわけ1970年以降の変化は、国民にとって、あるいは日本に住む者にとって、はたして「よかった」のかどうか。来し方を振り返り、行く末を想って、多少は懸念と憂いを感じる。
それにしても、東京大学は、正確には又は実質的には文学部及び社会科学研究所になるが、上野・大沢をよくも採用したものだ。学問の客観的評価が困難であるのはわかるが、珍しいから・威勢がいいからでは困る(まさかとは思うが)。それに、この二人に限らず、東京大学の中に「左翼」的な教授が多いのはなぜだろう。この大学だからこそ目立っているのだろうが、京都大学の方がまだマシのようにも見える。もっとも、大学は特別な、「左翼」がヌクヌクと安住できる世界のようなので、一部の大学を除いて似たような状況かもしれない。
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