秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

小浜逸郎

0584/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その2

 二 月刊正論8月号(2008、産経新聞社)の小浜逸郎「死に急ぐ二十代女性の見る『世界』」は若い女性の自殺率の高まりの原因等を分析するものだが、最後の文章は次のとおり(p.285)。
 「人間は一人では生きられない。戦後、日本人は欧米との戦争の敗北をふまえて、『欧米並みの近代的な個の確立』という課題をやかましく叫んできた。しかし、気づいてみると、そういう心構えの問題を通り越して、社会(ことに企業社会)の構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった。若い女性の一部にそのことの無理を示す兆候が顕著になってきた」のかもしれない。/
 そうだとすれば、「私たちは、個の単なる集合として社会を捉えるのではなく、あくまでもネットワークとしてこの社会が成り立っているのだということを、もう一度根底から捉え直す必要があるのではないのだろうか」。以上。
 <欧米並みの近代的な個の確立>を説く樋口陽一において、企業・法人は国家とともに「個人」を抑圧するものとして位置づけられていた。
 しかるに小浜逸郎は「企業社会」の「構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった」という。これを樋口陽一は当然視して歓迎しても不思議ではないのだが、樋口本人はどう理解・評価するのか。
 いずれにせよ、<欧米並みの近代的な個の確立>などという(日本の進歩的文化人・「左翼」知識人が唱えてきた)お説教が日本と日本人にとって適切なものだったかどうか自体を、小浜の指摘のとおり、「根底から捉え直す必要がある」だろう。<欧州近代>を普遍的なもの(どの国も経る必要があり、かつ経るはずの段階)と理解する必要があるか否か、という問題でもある。
 また、自信をなくしての自殺も自尊心を損なっての行きずり(無差別)殺人も、戦後日本の<個人(の自由)主義>の強調・重視と無関係ではない、と感じている(仮説で、面倒な検証と議論が必要だろうが)。
 (この項、つづく。)

0556/サピオ6/11・6/25の小林よしのり、1998年の小浜逸郎の本-沖縄・大江健三郎。

 〇やや遅いが、サピオ6/11号(小学館)。小林よしのりは、私は見ていない(その予定もない)映画「靖国」を観て書いて(+描いて)いる(p.55-)。
 靖国神社のご神体を知らず、かつ「剣」と「(日本)刀」の区別もついていない、要するに<神道>一般に関する知識のない中国人監督の作ったものものだから、その「作品」のレベルも容易に想像がつく。もっとも、恥ずかしくも、三種の神器の一つでもある「剣」(諸刃でまっすぐ)と「日本刀」(片刃で反っている)の区別を私も知らなかったのだが。
 そういえば、胡錦涛がちょうど来日していて東京宿泊中の夜に、NHKの「クローズアップ現代」は、<表現の自由>への圧迫問題として、この映画問題を取り上げたのだった。司会者・国谷裕子が一生懸命、上映中止圧力は<表現の自由>への圧迫ですよね、とコメンテイターに質問していたが、希望にそった回答ではなかったことを記憶している。
 ネットで調べてみると、コメンテイターは吉岡忍。この人は、少なくとも、<単純な左翼>ではなさそうだ。
 また、この放送(5/07)の意図は、「去年末の週刊誌記事で"反日的"と指摘されたことをきっかけに、国会議員向けの試写会、右翼の街宣活動、さらにネットでの抗議活動などの"見えない圧力"へと波紋が拡大。映画館は相次いで上映中止を決定し、「表現の自由」をめぐる議論が巻き起こった。その後名乗りをあげた映画館も妨害活動などを警戒し、緊張した空気の中で準備を進めている。なぜ中止は広がったのか、公開までに何を乗り越えなければならなかったのか、関係者の証言や配給会社の密着取材などをもとに検証。『靖国』をめぐる波紋が、いまの社会に何を問いかけているのか、考えていく」と書かれている(NHKのウェブサイト内。現在時点で読めた)。
 NHKは下請けに相当程度任せているのだろうが、国費による助成の当否には全く触れていないこのような制作「意図」は、中立的・客観的と言えるだろうか。
 〇同じくサピオ6/25号(小学館)。小林よしのりは、沖縄集団自決訴訟や大江健三郎に触れている。
 ①私は大阪地裁判決の全文を読んでいないが、小林は読んだのだろう。同感できるところが、少なくない。
 とくに、大江が岩波新書・沖縄ノートを初めて刊行した時点では、日本軍(隊長)による「命令」があったと信じた合理的根拠がかりにあったとしても、その後30年以上の間、反証も出てきたり実際に訂正・削除した本もあったりしたのにそのまま刊行し続けた合理的根拠こそがさらに問われる必要があった旨の指摘はそのとおりだ。しかし、小林によると「裁判長は、今後の出版について、何も触れなかった」のだという。
 ②小林によると、15000超の大江支持の署名が沖縄から(大阪地方)裁判所に届けられた、という(p.58)。法的判断の枠組みの中での心証形成過程にこうした「外圧」は影響を与える可能性がある(それを実証するのはほぼ不可能だが)。それ以上に、結論それ自体に早々に影響を与えていたのだとすると、この訴訟の地裁の裁判官たちは自ら、憲法上保障された「独立」を放棄していることになる。
 第二次大戦や沖縄問題について、戦後教育の<優等生>の裁判官たちがまともに(幅広く)勉強している筈がない。裁判官たちの殆どは<何となく左翼>の心性から仕事の経歴を歩んでいると見てほぼ間違いない。この人たちが明瞭な<左翼>、そして<アジア諸国や沖縄地域への贖罪意識>の持ち主ならば、いくらまともな法的議論をしても無駄になるだけだろう。控訴審を担当する裁判官たちがまともであることを期待する。
 ③小林によると、岩波書店は、判決後に大江・沖縄ノートを増刷したのだ、という(p.59)。岩波は大江とともに被告だったが、名誉毀損等の疑いがかけられている(但し、基本的には損害賠償請求の要件の一つとして)というのに、無神経で傲慢なものだ。この岩波書店に<良心的>などという形容詞を絶対に使ってはならない
 ④小林は、大江・沖縄ノートを「究極の差別ブンガク」だと規定する。「土民」・「屠殺」といった語が平気に使われているということもある。
 小林いわく-「すでに大江は日本人ではないところの何かになっている!」(p.61)。
 現在73歳の大江健三郎は<晩節を汚しまくっている>のだが、そうとも知らずにいずれ死んでいくのだろう…。
 〇もう1カ月ほど前に読んだ部分だが、小浜逸郎・いまどきの思想、ここが問題。(PHP、1998)の第二章にあたる、「自虐するあいまいな私―現象としての大江健三郎批判」(p.36-61、初出・月刊正論1995年5月号(産経新聞社))は、読み応えがあり、大江という人物の理解・分析のために参照されてよい、と思う。
 要約はしない。印象に残った文章を一部省略しつつ、列挙しておく。
 ①「晦渋な文体と教養主義的な観念の連鎖によって埋めつくされた、驚くべき饒舌の合い間にいつも露出しているのは、…押しつけがましくかつ単純な、サヨクの政治主題以外のものではなかった」(p.42-43)。
 ②ノーベル賞という「より普遍的な」賞は受け、文化勲章という「村落的」栄誉を拒否することで、「自分が『日本国家』という村落よりも優位なところに立っていることを示そうとした」(p.46)。
 ③大江は、「日本人は原爆を投下させるような戦争を起こした国の人間としての反省」を行うべきだが、していない、と言った(p.54。岩波新書・あいまいな日本の私所収の講演録にあるようだ)。〔何という自虐!、あの戦争についての何という対米批判意識のなさ!〕
 ④「内に向かっては…無責任に日本国家を批判して自分の反体制的スタンス」を示す一方で、中国・韓国からの日本非難に対しては「たちまち日本国家の罪を自分の罪であるかのようにひっかぶってみせること」により、「少しも自分が日本国家から自立していないことを暴露している」(p.55-56)。
 ⑤大江はある時期から、「核や障害者やエコロジーといった倫理的主題」によるしか「文学的活路」を見いだせなくなり、彼の「天才的な空想力は、これらの主題の奴隷として酷使」された。かくして、大江作品は「物語としても面白くなくなり、表現や文体も、みずみずしい初発の文学的感性の欠落をただ教養主義と饒舌で覆い隠すためだけのようなこけおどしの性格をますます深めていった」(p.59-60)。
 以上。なお、小浜逸郎の姓はオバマではなくコハマ。上記の本のタイトルの末尾の「。」は、原書のまま。

-0029/「国内の左翼の策動」。あてはまるのは朝日新聞と誰々?

 米国は1日に模擬弾道ミサイル迎撃実験をして成功し、2日に北朝鮮は自国攻撃目的等と非難した。北朝鮮が核実験に成功し日本に向けて4、5発を誤りなく発射すれば、迎撃しないかぎり、日本と日本人はなくなる。かかる情勢への関心を全く示さず、「平和ボケ」の、ありきたり議論を展開していたのが、立花隆だった。
 読売1-2面の岡崎久彦寄稿は立花や大江とは違う「リアル」な認識が背景にある。靖国「問題」は「国内の左翼反体制運動から端を発し」た、消えた問題が再燃した「発端は例外なくすべて国内の左翼の策動である」とズバリ指摘している。朝日新聞社等の、と具体例を挙げないと意味不明の読者がいるのではと心配するが、朝日新聞等の「策動」者、高橋哲哉氏等の「策動」加担者はどう読んだだろう。
 かつては新聞社は報道機関と考えていたが、安倍晋三総裁・総理阻止の明瞭な姿勢とそのための布石等々を見ても(教科書、従軍慰安婦、NHKへの政治家圧力「問題」もそうだが)、少なくとも朝日新聞だけは「策動」団体(「謀略」団体と言う人もいる)と言ってよいと思う。正面から「安倍総裁の実現に反対する」、「福田総裁の実現を希望する」とかの見出しの社説を堂々と書けばまだましだが、皮肉・あて擦り・暗示が多いのが「卑劣」でもある。言い古されたことかもしれないが。
 荷宮和子・若者はなぜ怒らなくなったのか(中公新書ラクレ、2003)は「団塊と団塊ジュニアの溝」との副題が気を引いたが、「あとがき」を先ず読んで、この人自身の表現を借りると、この人は「アホである」(p.245)

 多少中身を見ても概念定義・論理構成不十分。
 同・なぜフェミニズムは没落したのか(同前、2004)を既所持で第一章まで読んでいたが、この人自身の表現を借りると、この人は「アホである」(p.277)。活字文化のレベルはここまで落ちている。何の学問的基礎・専門知識もなく、喫茶店のダベリを少し体系化しただけのような本が出ている。
 そんな傾向を全否定はしないが、中公ラクレ編集部の黒田剛司氏は自社の名誉・伝統のためにも執筆者の再検討を。2冊ともたぶん100~300円で買った古書なので大した打撃ではないが、読んだ多少の時間が惜しい。小浜逸郎・やっぱりバカが増えている(洋泉社、2003)の証左かも。が、「バカがこれ以上増えませんように」(前者最末尾)だとさ。

-0023/上野千鶴子にとって日本社会は居心地がいいはず。

 26日付朝日の続き。保阪正康は「無機質なファシズム体制」が今年8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えているが、「無機質なファシズム体制」の説明はまるでない。解らない読者は放っておけというつもりか。編集者もこの部分を「…を憂う」と見出しに使っている。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かってる(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか? 訳のわからぬ概念を使うな。使うなら少しくらい説明したまえ。
 今年のいつか、喫茶店で朝日新聞をめくりながら今日は何もないなと思っていたら、後半にちゃんと?大江健三郎登場の記事があったことがあった。26日付も期待に背かない。別冊e5面の「虫食い川柳」なるクイズの一つは、「産んだ子に〇紙来ないならば産む」(〇を答えさせる)。
 月刊WiLL10月号で勝谷誠彦が朝日新聞の投書欄に言及し、同様の傾向は一般の歌壇にもあるらしいが、「築地をどり」の所作は周到にクイズにも目配りしているのだ。
 小浜逸郎・ニッポン思想の首領たち(1994、宝島社)の上野千鶴子の部分を読了。小浜の別の複数の本も含めて、関心の乏しかったフェミニズムに関する知見が増えた。
 詳しく感想を述べないが、一つは上野の唯一?の、小浜が酷評する理論書(1990)でマルクスが使われていることが印象的だ。マルクス主義(この欄ではコミュニズムとも言っている)やその概念等の悪弊が上野そしてたぶんフェミニズム全般に及んでいる。今日ではマルクス主義は学問的にもほぼ無効に近いことを悟るべきだ。
 1990年本の執筆時点ではまだソ連もチェコスロバキアもあったのかもしれないが。
 二つは戦後のいわば男女平等教育の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。
 フェミニズムなるものも「戦後民主主義」教育の不可避の所産でないか。一般人の支持は少ないだろうが、現実政治・行政への影響は残存していそうなので注意要。フェミニストたちには尋ねてみたい。「搾取」・「抑圧」をなくし人間を「解放」しようとしているはずの中国・ベトナムで(又は旧ソ連等で)女性は「解放」へ近づいている(いた)のか、と。

-0021/旅をして日本と大江健三郎を考える。

 25日夕方に旅に出た。往復の列車の車窓から見ると、山の樹々の緑は深く、まだまだ日本の自然は美しい。朝鮮戦争の際のゲリラ活動のために朝鮮半島の山は樹木が少ないと某ソウル市民からかつて聞いたことを思い出した。都市部と地方・農村部の「格差」が言われているようだが、邸宅といってよい大きな農家風住宅をしばしばみると、住宅は都市部の方が貧困、「格差」があっても中国や北朝鮮のそれとは質・レベルが大幅に異なるはず、と感じる。
  出立する直前に届いて目次を見て持参した小浜逸郎『いまどきの思想、ここが問題』(1998、PHP)を旅行中に読了した。この中の大江健三郎批判(分析)は秀逸ではないか。大江についてはこの欄で今後何かを書くだろう。上野千鶴子については、小浜が別に本格的に論じているという本を読んでからやはり(再び)何か書こう。小浜は、シタリ顔で論じ、字数を稼いでいるような箇所は別として、予想どおり<面白い>論者だ(たしか24日に、同『男という不安』(2001、PHP)も読了)。
 ただ、一番最後の国家論のうちの「ユートピア」の叙述は批判の対象になりうる。それを予期した「ユートピア」という語なのかと今ふと思ったが、「個の身体が実感しうる範囲の小さな共同体」と国家=「超越的な調整機構」の関係は、日本の戦国時代の一時期又は一地方や「くに」のない縄文式時代を想定すると一般化できないが、前者がつねに論理的に先に成立しているものではなく、後者の(機能・情念としての)「国家」があってこそ前者も平穏かつ秩序をもって成立しうるのであって、前者の存在を論理的につねに先行させるとすれば正しくないようにみえる。

-0013/塩崎外務副大臣モスクワへ。筑紫ニュースは見たくない。

 一昨日に安さと目次見出しを見て古書で買った小浜逸郎・「男」という不安(PHP新書、2001)の第三章をその日の夜に読んでいると歯切れもよく面白いので、昨日行った軍艦、イヤ船舶のような形の巨大施設内の書店で同・やっぱりバカが増えている(洋泉社新書、2003)を買い、上野千鶴子批判の全部と立花隆批判の中途まで読んだ。初めての著者だがもっと買い込む予感がする。楽しませる文章が書ける人で、「自由」そうなので歴史・社会の見方についても示唆を得られるだろう。いったい何冊を平行して読んでいるのか、と自問すると恐いが。
 TBS・某氏の番組については、出版後すみやかに読んだ中宮崇・天晴れ!筑紫哲也…(文春新書、2006.02)は超ド級に面白く(ある意味では超気持ち悪く)、一気に読み終えた。TBS・某氏のニュース23はまず観ないので、1年に1度くらい、かかるウォッチング本を貴重な歴史的記録として、文春は(でなくてもよいが)中宮崇によって(でなくてもよいが)発行してほしいものだ。全ての月刊雑誌を読めないのと同様、全てのニュース番組なんて見られないのだから。また、実際に視聴するよりもあとから本で読む方が精神衛生にはまだよさそうだ。中宮崇(でなくてもよいが)と文春さん(でなくてもよいが)、よろしく。
 靖国参拝問題でふと思う。個々の首相の個人的判断で可変的なものであってよいのか。東京裁判、「戦犯」、合祀、憲法等々の意味・関係等々を国・国家として整理し統一させておくのが本来だ。小泉首相の釈明・理由づけも完璧とは思えない。内閣法制局・外務省等々、本来なら行政官僚・外務-・法制-が首相をサポートすべきだ。一政治家・一個人のときどきの判断に重要な事項の決定が委ねられるのは好ましくなく、ときには危険だ。内閣法制局は首相靖国参拝の合憲性につき統一解釈を示せ。
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