秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

小泉純一郎

2489/西尾幹二批判049—根本的間違い(4-3)。

 六 3 00 <反共よりもむしろ反米を>という、政治状況または国際情勢についての西尾幹二の「根本的間違い」の原因・背景を述べてきている。
 この人の、より本質的な部分には論及していない。先走りはするが、この人にとって、「反米」でも「親米」でも、本質的にはどうでもよかったのではないか。
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 01 とは言え、叙述の流れというものがある。
 既述の誤りの指摘の追記でもあるが、西尾幹二の政治状況・国際情勢にかかる認識の間違いは、つぎの文章でも明瞭だ。
 2005年/月刊諸君!2月号、p.222。
 「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけました。
 おかしくなったのは、西側諸国で革命の恐怖が去って、余裕が生じたからで、さらに一段とおかしくなったのは西側が最終的に勝利を収め、反共ではもう国家目標を維持できなくなって以来です。
 日本が壊れ始めたのは冷戦の終結以降です。」
 西尾が1999年『国民の歴史』で、私たちは「共産主義体制と張り合っていた時代を、なつかしく思い出すときが来るかもしれない」、「否定すべきいかなる対象さえもはや持たない」と書いた線上に、上の文章もある。そして、現在まで、この基本的認識・主張は継続しているようだ。
 これは、グローバリズムからナショナリズムへという、〈日本会議〉公認の、日本の「保守」(の主流派:多数派)を覆った考え方でもあった。
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 02 その点はここではもう論及しないこととして、上の文章には若干の基本的な疑問がある。
 第一に、西尾のいう「冷戦の終結」以前の日本の「国家目標」は「反共」だったのか?
 「全面講和」ではなく単独(または多数)講和を選択してアメリカ・西欧陣営に入った(1951年)こと自体が「反共」だった、とは言える。継続的な「国家目標」性はうたがわしいとしても。
 かりにそうだとしても、関連して第二に、つぎの認識は適確か?
 「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけました」。
 「反共」という国家目標のもとで、日本は「ある意味で安定し」、「国家権力は堅実」だったのか。
 秋月瑛二は、全くそう思わない。
 例えば、ベトナム戦争があり沖縄の基地から米軍機は飛び立っていった。カンボジアに中国に援助された数年間の「共産主義」的支配があった(ポル・ポト、赤いクメール)。後年に明らかになったが、1977年に「めぐみ」ちゃんは北朝鮮の国家的「人さらい」の犠牲者となった(他にも多数いる)。国内では社会党・共産党が「統一」して推す候補が京都に続いて東京や大阪でも知事になった(横浜市でも。その他省略)。また、日本共産党も国会での議席を増やして<70年代の遅くないうちに民主連合政府を!>とか呼号していた。田中角栄元首相の収賄事件もあった。ソ連空軍兵士が函館空港に着陸して亡命したのは、1976年だった。ソ連軍機による「大韓航空機撃墜事件」が日本近海で起きたのは、1983年だった。小中学校での<学級崩壊>は1980年頃には語られ始めていた。以上は、例。
 いったいどこに、日本は「ある意味で安定し」ていたとする根拠があるのか。
 じつは西尾幹二の「主観的」状況は「安定」していたのかもしれない。西尾は2000年にこう言っている。
 1970年の<三島事件>の後、私は「三島について論じることをやめ、政治論からも離れました。そして、 ニーチェとショーペンハウアーの研究に打ち込むことになります」。
 三島没後30周年記念講演、西尾・日本の根本問題(新潮社(編集担当は冨澤祥郎)、2003)、p.285。
 根拠文献をいちいち記さないが、以下も参照。
 1966年、ニーチェ『悲劇の誕生』翻訳書(中央公論社)。
 1969年、「文芸評論」を書き始める。
 1977年、ニーチェの(よく言って前半期だけの「評伝文学」の)『ニーチェ』(第一部・第二部)刊行。北朝鮮による「拉致」が始まった年。
 1979年、上記書により文学博士号(審査委員の一人は、同学年で当時は東京大学助教授だった柴田翔)。
 1987年、ニーチェ『この人を見よ』・『偶像の黄昏』・『反キリスト』翻訳書(白水社)。
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 03 1990年近くまでこんな調子だと、文芸評論や、政治評論家ではない「文芸評論家」としての遊覧視察旅行にもとづくソ連関係本や「古巣」の感覚に依拠したドイツ関係本の刊行をしていても、日本の政治状況や国際情勢、日米関係に強い関心が向かわなかったとしても、やむをえないだろう。
 主観的・心理的・精神的に、西尾幹二個人は1989-91年以降よりも「安定」していたのだ。
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 04 「安定」したままでなく、状況が変化した(と西尾は感じた)のは、1996.12/1997.01の〈新しい歴史教科書をつくる会〉発足と会長就任だっただろう。それまでよりも「著名人」となり、社会・政治に関する発言も求められるようになった。
 そして、橋本龍太郎(1996-98)、小渕恵三(1998-2000)、森喜郎(2000)の各首相時代には特段の政治的発言をしていないようだが(自社さ連立での村山富市首相と同内閣(1994-96)・戦後50年談話についても同じ)、小泉純一郎内閣が誕生して(2001年)以降、突如として?<政治評論家>をも兼ねるようになる。小泉を「狂人」、「左翼ファシスト」と称し、いわゆる郵政解散選挙では反対(元)自民党候補を応援するという「政治的実践活動」まで行なった
 政治状況、国際情勢の把握も必要だから、大急ぎで、付け焼き刃的に?「勉強」したのだろう。ニーチェやドイツに関する素養、観念的「自由の悲劇」論では足りない。
 そして、今回の冒頭で言及したのは、1999年と2005年の文章だ(「つくる会」設立後、分裂前)。
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 05 さて、日本の政治状況、国際的状況を把握しようとした際、容易に参照し得たのは、〈日本会議〉史観だっただろう。つまり、グローバリズムからナショナリズムへ、「反共」だけでなく「日本」重視と「反米」がむしろ重要だ、という時代感覚だ。
 その際に、どの程度強くかは不明だが、西尾幹二が潜在的に意識したのは、ニーチェが生きた時代、そして従来の価値観はもはや通じず、「新しい」価値・哲学等が必要だ、というニーチェの基本的主張だったと思われる。
 西尾幹二は、自分をある程度は、ニーチェに擬(なぞら)えていたのだ。
 ニーチェの一部しか知らないままで、ニーチェを「ドイツ文学」的にではなく、構造的・歴史的・「哲学」的に理解することのないままで。
 誰でも、あるいは多くのとくに政治活動家や政治評論家たちは、自分の生きている時代は将来にとってきわめて重要な、分岐点にある時代だ、と思いたがるものだ。
 ニーチェにもおそらく、そういう意識・感覚があっただろう。
 西尾幹二にとっても、1989-1991年の前と後は、質的に異ならなければならなかった。「新しい」時代なのだ、「反共」だけを唱えてはいけないのだ。
 2010年に、こう書いた。
 1990年頃の「冷戦の終焉」までの「日本の保守の概念」は日本の「歴史や伝統に根差したものではなく、『共産主義の防波堤』にすぎなかった」
 月刊正論2010年10月号「左翼ファシズムに奪われた日本」、p.45。
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 06 これで、政治・国際情勢に関する西尾幹二の「根本的間違い」の原因・背景の叙述を終える。今回書いたのが、その第三点だ。
 その他、西尾幹二に関して指摘ておきたいことは、ニーチェに関係することも含めて、「山ほど」ある。
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1149/適菜収は「B層」国民は投票するな、と主張する。

 「B層」哲学者・適菜収は相変わらず橋下徹を攻撃しているようで、新潮45(新潮社)の今年10月号の冒頭近くの適菜「民主の次は維新? いつまでも懲りない人々」も、その一つだ。
 内容は容易に想像できることで、立ち入らない。(小泉改革→)民主党→維新の会の「大衆迎合」ぶりの連続を批判的またはシニカルに観ている佐伯啓思とも似た論調だ。
 興味をもつのは、では、適菜収はいったいどのような政治勢力を支持しているのか、適菜収は有権者国民に対してどのような投票行動をとるように求めているか又は期待しているか、だ。
 この点、じつに興味深いことを上の文章の最後に適菜収は述べている。以下のとおり。
 「前回民主党に投票し、そのことに少しでも良心の呵責を感じている人は、次の選挙には行かないことです」。「選択」に不向きの人が「選択をしようとするから道を誤るのです」(p.33)。
 なんと、(どの党にも)投票するな、棄権せよ、と言っているのだ。
 適菜収は橋下徹・維新の会を批判しつつも、橋下・維新ではなくどの政党が(相対的にであれ)好ましいかを明らかにすることができていない。

 また、上の文からは適菜収の、そのいう「B層」国民に対する激しい侮蔑の感情が窺える。適切に候補者の中からの適格者を「選択」できないような者は、投票するな、と述べているのだ。
 適菜収のこの論の行き着くところは、一定年齢以上の国民の全員が選挙権・投票権をもつ、いわゆる<普通選挙>制度の否定に他ならないだろう。
 「A層」哲学者だと自らを位置づけているに違いない適菜収は、彼のいう<B層>=バカな国民(=「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQが低い人たち」)には選挙権を認めないという、<普通選挙>制度否定論を真面目に主張してみたらどうか。

0919/菅直人の政治「心情」はいかに-遠藤浩一の2001年著に見る。

 遠藤浩一・消費される権力者-小沢一郎から小泉純一郞へ(中央公論新社、2001)は、「かくいう筆者自身も…『無党派』の一人である」(p.149、p.150)と述べつつ、刊行の2001年頃の時点での、菅直人(現首相)の発言・考え方を紹介している。

 原則的に、紹介にとどめる。以下は原則として、菅直人の言葉。

 ①(当時の)野党により国会が空転すると金融システム自体の崩壊の危険があるがよいのか?→「それでもかまわない。日本は焼け野原になって、再び”八月十五日”からやり直せばいい」(p.155-6)。

 ②あなたは織田信長のような独裁者になるのでは?→「民主主義というのは、交代可能な独裁なんです。選挙で政治家や政党を選んだ以上、任期いっぱい、その政治家や政党の判断に任せるべきだ」(p.156)。
 ③「…官僚中心の政治、行政を変えたい。…自民党政治も含めて、官僚中心のシステムはもはや機能しなくなった。だからそれを憲法に書いてある国民主権国家の内閣に変えていこうということ」だ(p.170)。

 ④日米関係という「基軸は基本的に維持していく。と同時に、日本がアジアの一員であることを重視していかなければならない。五十年かかってもクリアしていない問題があるので、それをクリアして日中関係、日韓関係を構築していく」(p.171)。

 ⑤中国から「政治的にある種の圧迫感を受けるということはあるだろうけど、日米、日中、米中のトライアングル関係がきちんと構築されれば、軍事的脅威は心配ないと思う。確かに尖閣列島の問題もあるけれども、リアルに見れば純軍事的な脅威はそれほどでもない」(p.171)。

 ⑥戦後という時代を「丸呑み」は、「うーん、できない」。「どこまでの深い覚悟があって非武装中立なんて言ったのか、大いに疑問」。「戦後の日本人は覚悟を忘れてしまった」(p.172)。

 ⑦覚悟なき日本人を法的に支えたのは日本国憲法では?→「日本人は、この百三十年というもの、一度だって自分の力で憲法を変えていない。…きわめて政治的に未熟だよね。…日本人は、憲法を変えることについて自分を信用できないという思いがある。だから、多少解釈を変えてお茶を濁している」(p.173)。
 ⑧日本人を信じるか?→「基本的には信じる」が「リスクがあるだろうな。…日本というのは結局水戸黄門型の国ですよ。お上とか偉い人とか、何かに依存している。その裏返しとして反対のための反対をする。だから自立した市民が共生する社会を作りたいと私は考えている」(p.173)。

 ⑨なぜ「市民」なのか?→「市民」とは「職業的価値から独立した普遍的価値を重要視するタイプの人間」だ。医者・農民・労組といった「所属的価値を超えた人々」という意味。「国民というのは人間の思考タイプを示す言葉ではありませんね」。「市民」と「国民」は「全然、対立はナシ」(p.173-4)。

 ⑩「自立した市民」とは「公への責任感の回復」だとすると「国民」という語を使うべきでは?→「日本人ほど日本に対する所属意識が強い人間はいない…。日本人は日本人の中に閉じこもっています。だから愛国心がないというのも大嘘…。日本人は意識の深い部分で、しっかり国家に帰属している…。むしろ足らないのは市民意識」だ(p.174)。

 ⑪では日本人を信じている?→「逆だよ。そういう無意識的な所属意識しかないというのは問題だと思っている。国家というものがアプリオリにあって、そこに国民がいて、それで国家を大事にするという発想が、僕の中ではちょっと違和感があるんだ」(p.174)。

 ⑫「天皇制」は「歴史的なものとしてまさに尊重すべき」で、「僕のイメージの中の国家とはまったく別だ」。「国家というのはアプリオリにあるものではなく、自立した市民によって作られるべきものなんだ。そのとき国家に対する潜在的な帰属意識は、むしろそれを妨げる働きをする」(p.175)。

 ⑬「国家という形での価値」には「抵抗」がある。「必ずしも戦後革新的な抵抗感」ではなく「何か薄っぺらな感じ」。「もちろん国家という枠組みは厳然としてある」。それは非常に重要だが、「主体者」は「結局人間なんだ」。「主体である人間が当事者意識をもって存在していなければ、極端に言えば、何のために国を守るのかという話に」なる(p.175)。

 とりあえず、以上。
 菅直人自身による著書中での記述または発言ではないことに留意しておくべきだが、簡単には、菅直人の<反「国家(・国民)」心情>、戦後憲法教育の影響大と思われる<個人主義(「自立した市民」の強調)>という立脚点は明らかだ、と感じられる。また、<親中・親韓感情>も示されており、一種の<大衆=「日本人」蔑視(自分は「自立した個人」だとの距離感)>も感じられる。この程度にしておく。

 すでに遠藤浩一もコメントしているのだが、とくに、<自立した市民が共生する社会というキー概念については、十分に検討し議論する余地があるだろう。「国家」は「自立した市民によって作られるべき」とのテーゼについても同様で、すでに日本「国家」はある以上、これは<革命>が必要とする<思想(・イデオロギー)>だと思われる。 

0590/西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)を読む-つづき。

 一 西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)は「つくる会」問題でのみ八木秀次を批判しているわけではなく、安倍内閣の「教育再生会議」に対応した民間版応援団体?「教育再生機構」の理事長に八木秀次が就いたことについても、政治(家)と民間人(ブレイン)の関係等に注意を促し、「八木氏は知識人や言論人であるには余りに矜持がなさすぎ、独自性がなさすぎ、羞恥心がなさすぎる」(p.150)などと批判したりしている。
 そういえば、福田内閣になり<教育>が大きな政治的争点でなくなった後、この「日本教育再生機構」はいったい何をしているのだろう。
 月刊正論9月号(産経新聞社)によると、「日本教育再生機構」は某シンポの主催団体「教科書改善の会」の「事務局」を担当しているらしい(p.272の八木発言)。「教科書改善の会」という団体の「事務局」が「日本教育再生機構」という団体だというのは、わかりにくい。組織関係はどのように<透明>になっているのだろうか(ついでに、このシンポは、あの竹田恒泰とあの中西輝政・八木秀次が同席して「日本文明のこころとかたち」を仲よく?語っているのでそれだけでも興味深い)。
 二 西尾幹二対八木秀次等という問題よりも本質的で重要なのは、西尾が「あとがき」の副題としている「保守論壇は二つに割れた」ということだろう。
 何を争点・対立軸にして「割れた」かというと、小泉内閣が進めて安倍内閣も継承した<構造改革>の評価にあるようだ。これはむろん、アメリカの世界(経済)戦略をどう評価し、日本の経済政策をどう舵とるべきか、という問題と同じだ。この点で、小泉内閣等に対して厳しく、アメリカに批判的だったのが西尾幹二で、小泉内閣・安倍内閣、とくに後者にくっつき?、そのかぎりで<より親米的>でもあったのが八木秀次等だ、ということになる。
 西尾幹二と八木秀次はどうやら、西尾が小泉純一郎についての『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を出版した頃から折り合いが悪くなったようだ(上掲書p.82-83)。
 西尾によると八木秀次は「権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人」で、八木は、安倍晋三が後継者として有力になっていた時期での小泉批判を気に食わなかった(戦略的に拙いと思った?)らしく思われる。
 個人的な対立はともあれ、上記の問題に関する議論は重要だ。「保守論壇は二つに割れ」て、<保守>派支持の一般国民が迷い、方向性を失いかけるのも当然だろう。
 八木秀次は<より親米>の筈なのだが、中西輝政との対談本では中西輝政の<反米>論に適当に相槌を打っている。もともと、佐伯啓思が論じてきたような<アメリカニズム>あるいは<グローバリズム>についての問題意識自体が、おそらくはきわめて乏しかった、と思われる(法学者とはそんなものだ)。
 今日の混迷、見通しの悪さも上記の問題について「保守論壇」に一致がないことを一因としている。はたして「保守」とは何か。あるいは<より適切な保守>とは、現実の政策判断(とくに経済・社会政策)について、<アメリカ>とどう向き合うべきなのか? 日本の<自主性・国益(ナショナリズム)>と対米同盟(友好)関係の維持(反中国・反北朝鮮というナショナリズムのためにも必要)はどのように調整されるべきなのか。

0515/中西輝政・日本の「岐路」-自滅からの脱却は可能か(文藝春秋、2008.05)を読む。

 中西輝政・日本の「岐路」-自滅からの脱却は可能か(文藝春秋、2008.05)新刊。といっても、計13の個別論考は2005.07~2008.05に文藝春秋(月刊)、諸君!(文藝春秋)、月刊・正論(産経新聞社)にいったん掲載されたものだ。但し、「まえがき」によると各稿について「尚若干の補筆」をしているらしい。たぶん殆どを既に読んだことがあるように思うが、「補筆」の内容、初出論文との違いを逐一確認する暇はない。
 1 「まえがき」の中で中西輝政は、「本音」・「理性」では(日本は)「正直言って、『もうここまで来たら……〔原文ママ〕』という結論めいた所」に落ちつく、「理性では、もう殆ど結論に達している」と述べている。これは、<今のままでは日本は「自滅」する>あるいは<いずれ日本は「日本」でなくなってしまう>という趣旨だろう。
 だがこんな本を出版するのは「私も『日本を信じている』からである」、と中西はいう。
 中西輝政にこんな弱音?と「ぎりぎり『日本を信じる』ことの大切さ」という精神論を語られると、率直に言って<気が滅入る>。
 だが、安倍晋三内閣の崩壊という「第三の敗戦」(上掲書p.74)のあと、明るい見通しを得る特段の材料もなく、このままズルズルと<何となく左翼>・<何となく反権力>の勢力(むろん中核には日本共産党、「政治謀略」朝日新聞、「左翼」学者・文化人らがいる)が日本全体を覆ってしまいそうで、怒り・憤懣を通り越した静かな諦念を感じるほどだから、中西の言葉に反対するわけにもいかない。私も「日本を信じる」ほかはないか?
 2 文藝春秋2007.11の「小泉純一郎が福田を倒す日」が「誰が『安倍晋三』を辞任に追い込んだのか」というタイトルに改められて収載されている(p.55~)。
 初出とどう変わったかを確認しないままたぶん再び読んでみると、新しいタイトルの問いの答えは次のようだ。
 ・安倍首相は小泉純一郎の如き「闘技(ゲーム)」ではなく「本当の戦い」を口に出したため、「国民のサディズム」によって倒され、「わが身を血に飢えた観衆」に差し出した。「政治を楽しみたい人々」には「憲法改正や教育基本法改正」は「抹香臭く、余りにも『場違い』」で、「しかも、年金という名の『パン』さえ、ろくに配られないことが発覚すると、大衆の怒りは頂点に達した」(p.57-58)。
 まず第一に「国民」・「大衆」・「観衆」・「政治を楽しみたい人々」が挙げられているのだろう。
 中西はこの箇所では書いていないが、「剣闘士の血みどろの闘い」に喝采する(「劇場型」から進化?した)「コロシアム型政治」の「大観衆(p.56)を特定方向へのムードへと煽り、酔わせたのは、主権者「国民」(=大観衆)に最も寄り添うことを自負する「政治謀略」朝日新聞を筆頭とする(反安倍で一致した)<左翼>マスメディアだった。別の箇所には次のようにある。
 ・「小泉クーポン選挙の大いなる負の遺産である『血に飢えた観衆が待ち構えて」いたし、「『朝日新聞』を先頭にメディアの大半は団塊左派の『反安倍世代』が牛耳っている。これではとても長期政権は望めない」(p.68)。
 「団塊左派」という言葉は誰がいつから使い始めたのだろう。些か分かりにくいが、とりあえず第二は、「朝日新聞」等のメディアだ。
 ・郵政民営化を否定する平沼赳夫の自民党復党を許そうとした安倍首相・麻生太郎幹事長は、小泉純一郎にとって「許すべからざる叛徒」になった。小泉が自分の後継者・安倍の「首をとらせてもよい」との「最終的な決断」をしたのは、この平沼復党問題が大きい(p.60)。
 第三は小泉。この中西の指摘どおりだとして、小泉はいつその「最終的な決断」をしたのだろうか。すでに2007参院選の前なのか、もっとあとでか?
 ・「最大の反安倍勢力であり、勝者となったのは、霞が関の官僚」だろう。安倍首相は公務員制度改革に乗り出し、「天下り」問題という「虎の尾を踏んだ」(p.66-67)。
 第四に(順番は影響力の大きさの順ではなさそうだ)、<霞が関の官僚>。
 要約的引用はしないが、第五に挙げられているのは、「ワシントンとくに国務省周辺の意図」だ(p.69)。テロ支援国家指定解除・国交正常化の可能性を追求するアメリカ(の一部勢力)にとって「北朝鮮強硬派の安倍」は邪魔だった、というわけだ。
 以上。タイトルが変えられているように、中西のこの論文は他にいろいろなことを書いており、とくに「小泉純一郎の再登場」の必然性を強調しているのが目につく。
 ブログらしきものを書き始めたのは、安倍晋三が小泉後の首相の有力候補になった頃だった。あれから2年は経つ。その間に安倍内閣が成立し、崩壊した。安倍晋三が復活(復権?)するかどうか、中西は「すべては今後の身の処し方にかかっている」、という(p.72)。

0369/保阪正康は何故、諸君!に書けるのだろう。

 過去に書いたことの繰り返しがほとんどになるが、保阪正康について。
 保阪は首相の靖国参拝反対論者だ。朝日新聞の昨年8/26に登場してその旨を述べ、<靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」>と理由づけた。そして、この朝日上の一文を<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>との(趣旨不明の)情緒的表現で終えていた。
 また、保阪は文藝春秋の昨年9月号にも原稿を書いて、<講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自らが紹介している松平永芳靖国神社宮司の見方を、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ>、と「かなり エキセントリックな」言葉遣いで批判していた。
 10/02に書いたように、今年の諸君!11月号(10月初旬発売)の一文はひどいものだった。呆れてほとんど引用しなかったのだが、いま少しは詳しく紹介してみよう。
 まずタイトルが「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」で、「安倍政権の歴史観」なるものを俎上に上げて批判しようとする。そして、逐一の長い引用は避けるが、例えばつぎのような文章・表現で安倍内閣または安倍首相を批判していた。
 ①「丁寧に論じれば論じるほど、安倍首相が社会的現実や歴史的事実の一面しか見ていないことを世間に知らしめてしまったのだ。/とくに歴史観や歴史認識で、それが露骨にあらわれていた。」(p.58)
 ②「このような言葉の軽さは、安倍首相が社会的現実や歴史的事実を俯瞰する目をもっていないことを示している。そうした歴史を語るときの言葉の軽さが、国民に信頼されないという結果につながったのだ。」(p.59)
 ③「『政治とカネ』や『年金問題』、さらに『都市と地方の格差』といった生活に直結する問題だけで敗れたというより、安倍首相のもっている歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのものが国民の信頼を勝ち〔ママ〕得なかったと分析する論の方が説得力を持っている。」(p.60)
 ④「つまり、安倍首相の言説はきわめてご都合主義の論であり、歴史的事実の側面だけをつぎはぎしただけの、あまりにも軽い歴史認識ということになってしまう。」(p.61)
 ⑤「安倍首相の片面しか見ない、いわば都合の悪い事実には目をつぶる、あるいは自らが酔う言語を口にし、それを他者に押しつけるという性格は、…」(p.61)
 ⑥「安倍首相は、現代社会の首相としての資質に欠けていただけでなく、その歴史認識そのものが歪みを伴っていたのである。にもかかわらず首相になれたところに、現代日本社会が内包しているブラックホールがある」(p.61~62)
 ⑦「だが安倍首相のように、常にある一面だけしか見つめず、そこからしか論を引き出せないとするなら、せめて…などといった大仰なスローガンを口走るべきではない。」(p.62)。
 ⑧「安倍首相には非礼な言い方」だが、「独裁者的な独りよがりの体質、そして反時代な言語感覚が世間にには受け容れられないことを証拠だてたという意味で、日本社会はある健全さを示したというのが、私の実感」だ。(p.62)
 上の⑧は最末尾の文章で、7月参院選の自民党敗北を喜んでいることを示している。
 さて、第一に、上の③は7月参院選・自民党敗北の原因分析だが、こんな分析をしていた新聞・論壇・評論家はいた(あった)のだろうか。そもそも「安倍首相の歴史認識(>それにもとづく言語感覚)」は、どの程度、選挙の争点になっていた、というのか。
 保阪は、自分が得意とする<歴史認識>・<歴史的事実>の分野で議論をしたいという目的のためにのみ、不得意な社保庁・年金問題、経済的「格差」問題等を避けて、上の③のようなことを言っているにすぎないのではないか。
 この人にかかると、「歴史」を語る又は「歴史」に関連する行動をするおそらくすべての首相が、小泉もそうだったように、<歴史認識>不十分・不正確とかの理由で批判されるのだろう。そんな自信をもてるほど、自分は<現実・将来を見据えての歴史的知識・歴史認識をもっている>と、保阪は鼻高々に言えるのだろうか。
 第二に、上以外に保阪が言っているアレコレも全然説得力がないのは何故だろうか。
 「社会的現実や歴史的事実の一面しか見ていない」、「社会的現実や歴史的事実を俯瞰する目をもっていない」、「きわめてご都合主義の論」・「歴史的事実の側面だけをつぎはぎしただけの、あまりにも軽い歴史認識」、「片面しか見ない、いわば都合の悪い事実には目をつぶる、あるいは自らが酔う言語を口にし、それを他者に押しつける」、「歴史認識そのものが歪みを伴っていた」、「常にある一面だけしか見つめず、そこからしか論を引き出せない」、「独裁者的な独りよがりの体質、そして反時代な言語感覚」。これらは当時の現役首相に向けられたものだが、言葉だけが浮いている感じがあり、少なくとも私の腑には全く落ちない。
 何故だろうと考えるに、要するに説明が足りない、あるいは、具体的・実証的な根拠・理由を説得的に示すことができていないからだ。
 例えば、詳細に論じるのは阿呆らしいので簡潔にするが、④の前には「戦後レジームからの脱却」という語を問題にする部分がある。だが、この言葉・概念の意味について<保守派>に一致がないだろうことは認めるとしても、保阪は特定の意味に理解して、自分が批判しやすいように対象を措定しておいてから「ご都合主義」等と批判する、という論理を採用している。
 これ以外の部分にはまるで又はほとんど、理由・根拠の提示が欠けている。少なくとも私には、いかなる理由・根拠が示されているとも読めない。
 この人は一定の結論を予めもって、歴史家又は歴史評論家らしくもなく、実証的・具体的・詳細な事実の提示を省略したまま、<政治評論家>ぶった文章を書いている。
 ついでながら、批判対象が安倍首相(当時)でなかったら、つまり、歴史・政治等に関する学者・研究者・評論家個人を批判する原稿であれば、保阪はこんな一面的で、実証性を欠く、杜撰な文章を書いただろうか。安倍が反論などしてこないだろうことに甘えて、適当に、感情混じりで、字数を埋めたとしか思えない。
 この保阪正康は諸君!に毎号昭和史に関する連載をしているようなのだが、新聞広告によると、現在発売中の諸君!では、それとは別の原稿をまた書いているらしい(「昭和天皇、秘められし『言語空間』」)。
 佐藤優、竹内洋、秦郁彦ら、読みたい人々の文章が多々あるようだ。しかし、保阪正康の文を掲載しているという一点で、諸君!2月号(文藝春秋、発行人・内田博人)を購入することを逡巡している(タダなら喜んで頂くが)。
 追記-アクセス数は12/27の木曜日に累計19万を超えた。14日間で10000余増えたことになる。

0304/中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ)を読む。

 7/23に通読し終えていたのだが、中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ07、2007所収p.52以下)はなかなか(いや、たぶん極めて)スゴい、優れた論文だ。
 巷の選挙戦論議における政党の主張のレベル、各新聞社の政治記者の記事のレベル、そして月刊現代に駄文を掲載している立花隆の議論レベルと比べて、これらがアホくさくなるほどに、視野が広く、分析が深く、歴史を丁寧に見ている
 立花隆の議論は要するに、<日本の戦後の「繁栄」(経済大国化)は軽武装主義の憲法(九条)のおかげ>ということに尽きる。上の中西論文を読むと、立花隆のように2007年までの戦後を全てひっくるめて議論している(冷戦崩壊にもバブル崩壊にもまともに言及していない)のが、まるで、大学研究者と幼稚園児の違いのように感じるほどだ。少しでも立花隆の議論に傾聴し、少しでも立花隆に敬意を払っている者は、上の中西輝政論文(その他の同氏の論文・著書)と比べてみるとよいと思われる。立花隆の衰え・鈍さ・粗雑さを看取できるに違いない。
 と書きつつも、中西氏の思考・分析を正確に論評・評価できる能力・資格が私にあるはずもない。上の論文の副題又はリードは「世界は「思慮深い保守」の時代に入った。改革の痛みを克服し自立した国をめざせ」で、これが論旨・主張の要点だろう。以下、途中から要約的に紹介する。
 1.欧州での冷戦終了後、大幅対米黒字を背景に「日米構造協議」交渉が始まり、米国は日本に市場開放・大幅規制緩和を求めた。しかし、日本人の関心は「三つのあらぬ方向」に向いていた。一つは85年以降の<バブル景気>、二つは日本経済の世界一化、三つは<グローバリゼーション>というのみの国際経済動向認識。
 2.そのとき、バブルが崩壊しはじめ、「91年の湾岸戦争で、バブル崩壊がはっきりする」。この二つは、「「軽武装・経済繁栄」と言われた戦後日本の「国家戦略」の敗北を意味」した。
 この敗北は文字通り「第二の敗戦」だった。このとき、「不可避の戦後処理」課題が二つ生じた。「構造改革」と「憲法改正」だ。
 3.にもかかわらず、安保政策も経済政策も変わらず、竹下・海部・宮沢内閣の時代に「内需拡大策、四百数十兆円の国内投資」を対米公約にさせられた。
 4.ケインズ主義的景気刺激策としての公共投資・需要創造によっても景気は回復しなかった。戸惑っているうちに、経済の<戦後ドリーム>の崩壊は「政治危機に発展」し、細川内閣・村山内閣誕生という「混乱した事態」となり、国内的な「政治的意思決定が全くできない政権が橋本内閣の前まで続いた」。
 5.バブル崩壊の影響は深刻で「日本の金融システムを危機に陥れ、日本経済の「戦後レジーム」を崩壊させて行った」。
 そこで日本経済の自主的な「構造改革」の必要性が明確に認識された。「金融ビッグバン」の完成は、2001年・小泉政権誕生の年だった。
 6.英米から始まった経済改革(サッチャー・レーガン)は大きな世界的潮流だったが、日本は認識が遅れ、国内は<戦後体制>のままで凌げるという「無知と楽観」が「バブルの発生と崩壊」をもたらした。日本経済のどん底化を経験して初めて「構造改革」の必要性に気づいた。
 日本人は視野狭窄で、「構造改革」が<大きな政府から小さな政府へ>への転換という「資本主義の本質的問題と結びついている」ことが理解できなかった。21世紀を前に、日本は「決定的な出遅れ」をした。全ての原因は「世界を見る眼とそこでの国家戦略の欠如」だった。
 7.グローバル化・ボーダーレス化は経済次元のことで、個別国家の消失を意味しない。多くの国は国際経済の変化を自国の国力の向上に利用しようとした。日本もまた、「この潮流に抗して何が出来るか、遅くとも九〇年代始めに詰めて考えて置くべきだった」。経済とともに「安保つまり憲法改正と「国防の自立」も同時に着手しておくべきだった」。
 しかし、日本は古い経済システムの中では先頭にいたために認識が遅れた。「いまだに「国防の自立」が…世界で重要か、目覚めようとしない」のと同様だった。経済についての覚醒は橋本内閣以降で、明確な自覚は小泉内閣になってからだ。
 8.小泉内閣登場までの「失われた十年」に「国家の競争力にとって非常にまずい」ことがあったが、それは「「第二の敗戦」のまごうことなき結果」だ。しかし、その責任の議論や総括は全くなされていない。
 小渕内閣・森内閣でもまだ「財政出動」による「景気回復」という議論と政策を続け、「ドブに金を捨てる」ことになったが、財政赤字が最大になった宮沢内閣、小渕内閣の宮沢蔵相、ということからして、財政積極論者・アメリカ「タダ乗り」論者・「「大きな政府」の体現者」だった宮沢喜一は、「第二の敗戦の「A級戦犯」の筆頭」に他ならない。
 9.グローバル化もマクロ的には終わろうとし、欧米では活性化とともに生じたカオスを調整する段階に入っている。それが「新・新保守」・「ネオ・ネオコンサーバティブ」ともいうべきフランスのサルコジ、ドイツのメルケル等の政権だ。日本では小泉政権がサッチャーの役割を果たしたとすれば、安倍政権のすべきことは「小さな政府」(構造改革)が引き起こした大波、小波を日本独自のやり方で克服していく作業」だ。
 10.小泉構造改革により景気は全体として顕著に回復した。その過程での「陰」・「負」の部分のみを指摘するのは正しくない。
 雇用の問題は重要だ。一方、「「官の支配」の打破」も重要で、安倍首相は公務員制度改革の入口・「天下り」規制に取り組んだが、「徹底的にやらないと、日本経済のさらなる潜在力は発揮できない」。それこそ「戦後レジームからの脱却」で、「官の支配」という日本の根本的構造を変えないと他の一切の構造改革は進まない。「「官の構造」に大きなメスを入れる」ことは「安倍改革の大きなテーマ」だ。
 以上。
 1990年前後に日本は大きな転機を遂げた。中西は「第二の敗戦」と位置づける。それから20年近くも経つのだが、立花隆は相変わらず日本が「繁栄」しているという前提でモノを書いている。彼の本が一番売れた頃と時代自体が相当に変わっていることが、立花隆には全く見えていない。
 それはともかく、むろん上述のとおり、中西の議論の妥当性を証することはできないが、世界の中での日本の位置と日本独自の課題、小泉内閣や安倍内閣の性格・課題等について、示唆に富むと言えるだろう。
 中西は政治学者の一人の筈だが、財政・経済問題にも関心を持っており、詳しそうだ。そしてやはり、それこそ人びとの<生活>に最終的には直結する経済・財政政策こそが政治にとっては最重要又は最も基礎的だと感じる。
 7党党首討論会で安倍首相は<自分は財政主義者ではない、経済主義者だ>と発言したのだったが、理解した政治部記者や国民はどれほどいただろうか(私には解る)。
 また、安倍首相は<改革か逆行か、成長か逆行か>と訴えているが、これの意味を理解できる政治部記者や国民はどれほどいるだろうか(私には解る)。
 安倍首相がハード・イシューを取り上げ、国民にわかりやすく説明していないという批判は十分にありうると思うが、彼の主張が誤っているわけではない。経済成長があってこそ借金を返せるし、福祉・社会保障にも金を回せるのだ。
 中西が最後に指摘する<官の支配の打破>もなるほどと思わせる。OBを含む上級官僚も含めて、安倍に批判的な官僚がいるのも解るような気がする。
 たぶん前の日曜日の午前八時台のトーク番組で、元大蔵省の榊原英資がしたり顔で安倍内閣には<ガヴァナビリティ(Governability)>(統治能力)という点で問題がある旨を言い、安倍の指揮能力を疑問視したいふうだったが、彼自身が<第二の敗戦>の責任を負うべき大蔵省の有力官僚の一人だったのではなかろうか。そしてまた、彼は、日本全体、日本の将来のことよりも、後輩たちを含む「官僚」世界の既得権的地位の保持に関心を持っているのではなかろうか。そういう人物が、客観的に安倍政権を理解・論評できるはずがない。
 中西は安倍政権が参院選後も継続するという前提で、この論文を執筆しただろう。「官の打破」を含む「安倍改革」を継続・推進するためにも、安倍首相や彼を支える自民党は頑張ってほしいものだ

0296/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その2。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)p.59によれば、小沢・日本改造計画(講談社、1993)は<「新保守」の立場を鮮明にした>もので、その主張の中には、1.地元利益・職業利益によらない「党中心の集票」、2.「ネオ・リベラリズム」も含まれていた(7/17参照)。この2.の方に焦点を当ててみよう。
 小沢・日本改造計画p.4-5は、世界を含む時代と日本社会の変化に対応した「変革」の目標として「政治のリーダーシプの確立」、「地方分権」につぐ第三として「規制の撤廃」と明記し、「経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする」と書く。そして、次のように連ねる。
 「これらの究極の目標は、個人の自立である。個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできない…。国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。そのためには…個人に自己責任の自覚を求めることである。
 十数年前に小沢はこのように主張していた。現在の彼は、国民・有権者に「個人の自立」・「自己責任の自覚」を訴え、国民に<意識改革>を求めているだろうか
 国家(政府)と国民(個人)の関係にかかわり、上の本p.185-6は、「個人を解放することを提案」して個人の「五つの自由」の最後に「規制からの自由」を挙げ、次のような叙述をしている。
 「個人に自由が与えられれば、結果的に選択肢の多い社会になる。多様な生き方が可能になる……不要な規制は一刻も早く撤廃すべきである。…要するに、まず国民を保育器から解放することである。もちろん、それによって国民は自己責任を要求される。しかし、それでよいと私は思う。自己責任のないところに、自由な選択など存在しない。…政治が個人の選択に口をはさむべきではない。政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない。…障害を取り除き、環境を整備することだ」(p.186-7)。
 また、次のような文章もある。
 「自由主義社会では基本的に自由放任であるべきだ。そのうえで、どうしても必要なところに必要最小限の規制があればよい」(p.244)。金融機関の「利用者にもある程度の自己責任原則を要求する。…自分の判断で選び、その結果に責任を負うようにするのである」(p.248)。「民間の知恵とアイディアと活力を生かすために、民営化努力は今後も続けていかなければならない」(p.249)。
 以上のような考え方は、大嶽の指摘のとおり、<ネオ・リベラル>=<新自由主義>と称してもよいものだ。そして、<空白の~年>のあとの橋本内閣以降、規制緩和・民営化という<ネオ・リベラル>志向が基本的な政策課題になってきた、と言ってよいだろう(厳密な議論はしない)。<規制緩和>・<民でできるものは民で>は小泉純一郎首相のキャッチコピーの如くですらあった。<構造改革>と言われることもある。
 具体的に日本における<規制緩和>・<構造改革>の問題・評価に立ち入ることはしない。問題は、上のように書いていた小沢一郎は、いま何を言っているかだ。
 小沢は、この選挙戦中に、<小泉改革のおかげで「格差」が拡大した>と明確に述べて批判していた。それを聞いて、私はかつての小沢の主張の基本的なところは知っていたので、奇異に感じ、<ウソをつくな>と思ったものだ。
 なるほど、小沢の1993年の著書には<格差拡大容認>とは書いていない。しかし、規制緩和・自己責任領域の拡大とはじつは、「格差」の発生・拡大に他ならないことは常識的に考えても明らかなことだ。
 小沢一郎は、「国民を保育器から解放」すべきと明言していたのだ。また、「政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」とも明言していたのだ。
 国民を「保育器」から解放するとは(規制緩和等により)自己責任領域を拡大し、<国家の保護>を縮小させることだ。当然に既得権益は少なくなり、<格差>も発生する。そのような<格差>を埋めるのがごく簡単には社会保障政策ということになるが、小沢はかつて、政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していた。
 私は1993年の著書の考え方が小沢一郎の本音だろう、と推測している。彼の考え方はじつは、彼が逃げ出した自民党与党政権によって少しは実現されてきているのだ。
 しかし、小沢は民主党の代表だからこそ自民党を批判するために<格差の拡大>なんていうことを問題にしているのだ(<格差拡大>か否かの客観的認識の正しさを私は知らない)。選挙対策として、言葉だけの主張をしているわけで、私には何とも奇妙に、かつ小沢一郎を可哀想にすら思う。
 小沢はかつて主として外交・軍事面で<普通の国家に>と主張し(上の本第二部p.101以下のタイトルは「普通の国になれ」だ)、新党さきがけの武村正義が「小さくともキラリと光る国に」と応じたりしていたが(当時も今も、前者・小沢の方がまともだと考える)、あの頃は彼はまだ輝いていた。
 現在は民主党代表という「役割」を演劇・芝居の如く演じているだけではなかろうか。民主党の議席数の増加だけを自らの「役目」として、彼の元来の理念・主張と無関係に、精一杯頑張ろうとしているだけではないのか。
 もう彼も六〇歳代半ばで、心臓に疾患があるという<噂>もある。小沢の心境を想像するとき、ある程度は憐憫の情も、じつは生じる。
 しかし、小沢一郎は、本能的な<選挙>観にもとづいて、国民に自分の本来の理念・主張とは異なる<ウソ>をついていることは間違いない。
 何が<小泉改革による格差…>だ。何が<生活が第一>だ。笑わせるな、と言いたい。自らこそ、かつては<ネオ・リベラル>な主張をし、かつ政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していたではないか。さらに普通の国家」としての自立を強調していたではないか。
 ついでに言えば、彼の本来の「民営化」論は、民主党の支持基盤の重要な一つの公務員(労働組合)の利益と衝突するものだ。
 選挙戦術としての小沢一郎の発言に、この<政略家>の言葉に、騙されてはいけない。この<政略家>が率いる政党を支持し勝利させれば、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

0119/保阪正康氏とはいかなる「主義」のもち主か。

 保阪正康とはどういう主義・主張の人物なのか、よく分からない。
 昭和史関係の本を数多く書き、雑誌や新聞に登場しているの周知のとおりだ。昭和天皇「靖国発言メモ」が明らかになった後の文藝春秋の昨年9月号にも、秦郁彦、半藤一利との三人の座談会に出ている。
 保阪はまた、扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 だからと言って、「信頼」できるのかどうか。私にはそうは思えない。
 上の文藝春秋昨年9月号で、保阪は、講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自らが紹介している松平永芳靖国神社宮司の見方を、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ、と批判している。これは、妙な例示も含めて、「かなり エキセントリックな」言葉遣いによる批判だ。
 だが、秦郁彦も発言しているように、「そういう〔松平靖国神社宮司のような〕考え方もある」。占領自体が広くは「戦争」政策の継続で、東京裁判もその一環だった、という見方が完全な誤りとは思えない。
 保阪は読売新聞8/16でも、松平永芳靖国神社宮司について、A級戦犯合祀の根拠を「特異な歴史認識」と批判している。しかし、上に書きかけたように、東京裁判も「戦闘状態」の中でのものという理解は、講和条約発効まで米国等は日本を「敵国」視していることになるので十分に成り立ちうる。東京裁判の検察側証人は利敵行為をしていたことになるとか、吉田内閣は占領軍の傀儡だったことになるとかの批判は、批判の仕方として適切ではないだろう。
 つまるところ、a物理的な戦闘終了=降伏文書交付まで、b「占領」期、c独立(といっても日米安保条約付きだったが)以降、の三期があるわけで、bを前後のどちらに近いものと見るかの問題なのだ。
 そして、bはcよりはaに近いとの見方は十分に成立しうると思われ、「特異な」とかの批判はややエキセントリックだ。保阪はA級戦犯合祀に反対で、その「理論的」根拠を否定したいのだろうが、 A級戦犯等を国内法的には「犯罪者」扱いしなくなったこととの関係はどう説明するのだろうか。
 さらに繰り返せば、1952年4/28発効のサンフランシスコ講和条約の1条aは「日本国と各連合国との間の戦争状態は、…この条約が…効力を生ずる日に終了する」と定めている。同条約は1952年04月28日までは「戦争状態」と明記しているのだ。とすると、東京裁判等(中国での「戦犯」裁判を含む)はまさに「戦争状態」のさ中でなされた「裁判」に他ならず、刑死者は「戦死者」と言っても誤りではない(少なくともそのような見方は十分に成り立つ)。にもかかわらず、昭和史に関する知識が占領・再独立期も含めて豊富な筈の保阪氏は、何故執拗に靖国神社宮司を批判するのだろうか。
 保阪氏はかつて、自衛隊のイラク派遣に反対した。その見解自体の適否をここでは問題にしないが、その理由として、1.小泉首相(当時)が「昭和史」を知らない・学んでいない、2.日本はまだ軍事行動をする体制等をもたないことを挙げていた(同・昭和戦後史の死角p.306-)のは説得的でないと思われる。
 保阪氏はよほど自らの「昭和史」に関する知識に矜持がおありのようだが、上の1.は<結論はいいが理由付け・背景知識が不十分だとして反対する愚論>とどう違うのかと問われかねないだろう。2.についても、日本が軍事行動をする体制等をもてばよいのか、保阪氏は軍事行動をする体制等の整備のために積極的に発言しているのか、との横ヤリ的疑問を誘発しうる。
 朝日新聞の昨年8/26に保阪は登場して、昨年8月15日の靖国参拝者は増えたようだが物見遊山派も少なくないと参拝者増の意義を薄めたのち?、小泉首相靖国参拝に「反対である」と明言し、その理由として靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」と言う。
 初めて同氏の見解を知った感じがした。しかし、この理由づけはいけない。
 すなわち、かりに靖国神社に関する説明が正確だとしても(この点も検証が必要だが)、参拝がなぜ「こうした歴史観を追認することになる」のか、の説明が欠落している。
 また、靖国神社が「旧体制の歴史観」を温存していなければ反対しないのか、温存していないと認めるための要件・条件は何なのかには言及がない。
 あるいは、神社は明治以降に軍国主義のために設立されたものだからすでに反対なのか、国家神道の大元だったから反対なのか、神道の宗教施設で憲法違反だから反対なのか、要するにどのような条件・要素がなくなれば「反対しない」のかよくわからない(この紙面のかぎりだと A級戦犯合祀問題とは無関係の理由づけのようだ)。
 また、この朝日上の一文を、保阪は、「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えている。だが、「無機質なファシズム体制」という一般的ではない語句の説明はまるでない。朝日の編集者はこの部分を用いて「無機質なファシズム体制を憂う」との見出しにしている。解らない読者は放っておけというつもりか。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かっている(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか、と邪推?すらしてしまう。
 よく分からないが、保阪正康とは、昭和に関する豊富な知識を売り物にしつつ、自衛隊のイラク派遣に反対し、靖国神社への「A級戦犯」合祀に反対し、首相の靖国参拝に反対し、朝日紙上で首相参拝が「無機質なファシズム体制」の端緒にならないように願う、という人物なのだ。
 幅広く?多様な出版社の本・雑誌に登場しており、注文主の意向に沿った原稿を書くのに長けた文筆<芸者>的部分のある人かとも思ったが、それは失礼で、上のようにかなり一貫した<反権力・親朝日>あるいは立花隆と同様に<戦後的価値>を全面肯定している人物のように見える。
 というわけで、今年になってからも彼は、文春新書も含めて多数の本を出しているが、一冊も購入していない(安い古書があれば考えよう)。

0017/民主主義は本質的に、民衆とメディアを俗悪化させ、政治を腐敗させる。

 「民主主義」に特段の大きな疑問を持たなかった頃は、選挙の際の投票率は民主主義の成熟度、日本人の政治的成熟度を示すもので、例えばドイツと比べてのその低さは日本人の「未熟さ」を示していると思えて、嘆きたい気分があった。だが、昨日も言及した中川八洋の本を読んで、少しは変わった。長谷川三千子の新書・民主主義とは何なのか(文春新書、2001)でも知ったのだったが、民主主義はもともとは悪いイメージの言葉だった。すなわち、デモ・クラツィアとは<正しい判断のできない愚弄な大衆の支配>が元来の語義で、排斥されるべきものだった(中川は「民主主義」との訳は誤りで、イズム=主義ではなく「民主制」又は「民衆参加政治」が正しい旨を書いているが恐らくその通りだ)。だが、良きものとして民主主義が採用された以上、「衆愚政治」になる可能性があるのはその本質上明らかなことだ(単なる危険・逸脱ではなく、民主主義の理念そのものが内包している)。
 可能性どころか、現実にすでにそうなっているともいえる。私は小泉純一郎に好悪いずれの感情も持たないのだが(むろん宮本顕治・不破哲三よりは好感をもつが)、一昨年の小泉自民党圧勝は「正しい判断のできない愚弄な大衆」の感情をたまたま?巧く掴んだ者たちの勝利だった、というのは完全な間違いだろうか。
 中川八洋の本p.312-3は平等主義と結合している民主主義は本質的に、大衆を、そして大衆を相手とする「ジャーナリズム界」を「俗悪化」させる、と説く。全面的に誤った指摘では少なくともないだろう。
 もう少し詳しく正確に引用するとこうだ。-「デモクラシーは平等な教育と門地による差別の完全撤廃を伴うから(大学などの)高等教育機関や(新聞・テレビの)ジャーナリズム界につねに「大衆」そのものの疑似知識層を大量に輩出させる」。「これにより…国民全体の精神を野卑の方向に大幅に低下させる教育と煽動がさらに行われるので、俗悪化はますますひどくなる」。「これらの疑似知識層は「大衆」の精神を昂めず逆に卑しくさもしい欲望のみを刺激し、煽動する」。「これらの疑似知識層こそ…あたかも向上の道を説くかの演技(スタイル)をしつつ、心底ではみずから個人の利己一点張りで…、政治の品格をより下降せしめる。また、彼らには公共心は欠如して存在しておらず、現に彼らの「主張」は、…政治を、必ず腐敗に導く働きしかしていない」。
 確認しておけば、ここでの「大衆」から生まれた「疑似知識層」とは、大学等や新聞・テレビ等に「巣くっている」教員やジャーナリストだ。
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