一 西尾幹二が2005年初めに、面白いことを書いていた。
このとき、首相は小泉純一郎、「つくる会」はまだ分裂していなかった。
同「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」諸君!2005年2月号(文藝春秋)196頁以下。
2004年11月の講演「福田恆存の哲学」(福田没後10年記念講演)を「大幅に加筆した」ものらしい。
2017年になって西尾が福田恆存には「反共」だけがあって「反米」がなかった、と語ったこととの関係等には今回は立ち入らない。関連部分はあるが、この2004-5年時点では、この旨の明記はいっさい存在しない。福田の晩年から西尾は福田から<離れた>、という旨は書いている。
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二 興味深いのは、「知識人」論だ。
1 福田恆存の「知識人」批判を肯定的に評価し、かつ西尾自身の言葉で敷衍しているのだが、福田の「知識人」批判を、ーある論考からーこう簡単にまとめる。
福田は、「日本の知識階級の政治的権力から外された精神主義の歪み、政治の悪を自ら犯せない立場にある教養人の卑屈な自尊の心のなかに潜む反体制、反政府心理に、弱者の宗教の見果てぬ夢と同じものを見届けました」。
2 上も福田の引用ではなく西尾の文章だが、直後に、西尾自身の見解のごとく、つぎのように書いている。一文ごとに改行する。
「知識人は日本の社会のなかで選ばれた民ー選民でありました。
文士や学者は自己表現という欲望を満たす特権を与えられて来ました。
これは大事なポイントになりますからよく聞いてください。
自己表現とは権力欲の一面です。
その自己表現にそこはかとなく漂う自己英雄視に『知識人』は気がついているのか。
実行よりも芸術を、政治よりも文学を主張する、閉ざされた精神をつくって、大衆を見下し、政治権力にひたすら悪の烙印を押して、自らを中間に置いて純潔と見る一種の自己神聖化。
日本の純文学意識や学者知識人の教養主義は、このような精神に毒されていなかったでしょうか。」
3 そして、このような「知識人」の時代は「今もなおそう」だが、「完全に終わったと」福田は「告げ知らせている」ようだ、とする。
「『知識人』の社会的関心とは要するに日本の現状をいつもシニカルに批判することと同義であり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感情を持っていません。
『知識人』はつねに弱者のねじくれた卑屈な復讐心理につき動かされてきています。
そして閉ざされた自己英雄視の内部で鬱屈し、健全な一般社会に毒ある言葉を偉そうに上からまき散らしてきましたし、今もなおそうです。
もうその時代は完全に終わった、と福田氏の批判は告げ知らせているように思います。」
4 このあと、「今の日本」について語られるが、まとめて引用したり要約的叙述を見出すのは困難だ。「保守」への言及もある長い文章から、気のつく断片を抜粋しよう。
「ふと気がつくと、今の日本において、福田氏が指弾した知識人の自己欺瞞は、もはやすでに、知識人の自己欺瞞ではなくて、国民一般大衆の自己欺瞞となってしまいました」。
福田が「知識人に当てはめた思考の枠は、もはや存在しません。なぜなら特権を持った知識人など今どこにも存在しないからです」。
福田の予言は当たった。「誰もが氏と同じ現実戦略を気楽に語るようになりました。同じような保守的思想が世に溢れ、言葉だけ気やすく語って、現実を変えようとする激しい意思がない点においても、あの当時と何にも変わっておりません」。
「昭和35年の当時、福田氏が」「嘲った進歩的知識人とは、たしかに違った世界観を今の多くの学者知識人、読書階級は言葉にしている」。しかし、「気休めの希望の見取り図を作成して、現実を改変しようとする意思のないこと、…ことにおいて、今日の保守的言論人の言葉もまた『お呪い』か『呪文』めいたものであって、言葉のための言葉、その無意味さ、ナンセンスさ、無力さ、これはあの当時の進歩的知識人と何も変わっていないのであります」。
「…、保守的言論は世を風靡しておりますが、それでいて平和、民主主義、平等、自由への安易な信仰が政治や教育を現実に歪めている程度は、福田氏の生きていた時代よりもはるかに悪化しているということが起こっている」。
以上、p.217-p.220.
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三 さて、西尾幹二は福田恆存が批判した「特権を持った知識人」は「今どこにも存在しない」、と明記している。
しかし、西尾自身の言葉として、「今の多くの学者知識人、読書階級」とか、「保守的言論人」とかを用いている。
言葉の用い方の問題ではあるが、西尾自身が「学者知識人」、「言論人」、少なくとも<知識人の末裔>という「階層」にいることを、かりに潜在的にせよ自覚し意識していることは、明白だと思われる。
西尾の多数の文章にみられるニーチェ的?<反大衆>性には今回も触れない。上の文章の中には、「弱者の宗教の見果てぬ夢」、「弱者のねじくれた復讐心理」という言葉はある。
すこぶる興味深く、面白いのは、かつての?「知識人」を叙述するその内容、形容は、西尾幹二自身に、そのまま当てはまると考えられる、ということだ。以下、列挙する。なお、西尾は小泉純一郎を「狂気の宰相」と称し、安倍晋三首相も批判した(例えば、その改憲案は安倍が出したからいけないんです旨を書いた)〈反政権〉的評論家でもあった。
①「(日本の知識階級の)政治的権力から外された精神主義の歪み」。
②「政治の悪を自ら犯せない立場にある教養人の卑屈な自尊の心のなかに潜む反体制、反政府心理」。
③「権力欲の一面」である「その自己表現にそこはかとなく漂う自己英雄視」。
④「実行よりも芸術を、政治よりも文学を主張する、閉ざされた精神をつくって、大衆を見下し、政治権力にひたすら悪の烙印を押して、自らを中間に置いて純潔と見る一種の自己神聖化」。
⑤そのような「精神に毒され」た、「日本の純文学意識や学者知識人の教養主義」。
⑥「社会的関心」は「要するに日本の現状をいつもシニカルに批判することと同義であり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感情を持ってい」ない。
⑦「閉ざされた自己英雄視の内部で鬱屈し、健全な一般社会に毒ある言葉を偉そうに上からまき散らしてき」ている。
⑧「気休めの希望の見取り図を作成して、現実を改変しようとする意思のない」点で、(今日の保守的言論人の言葉も)「『お呪い』か『呪文』めいたものであって、言葉のための言葉、その無意味さ、ナンセンスさ、無力さ、これはあの当時の進歩的知識人と何も変わっていない」。
以上、西尾幹二自身それ自体に(も〉、きわめてよくあてはまっているのではないか。
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四 今回の最初に記したように、福田恆存には「反米」がなかったが、自分には「反共」に加えて「反米」もある、という2017年になって初めて?述べた旨は書かれていない。
但し、つぎの文章は、関連性のある西尾の<時代認識>を示しているので、今後のためにメモしておく。中国も、北朝鮮もここには出てこない。p.222.
「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけられました。
おかしくなったのは、西側諸国で革命の恐怖が去って、余裕が生じたからで、さらに一段とおかしくなったのは西側が最終的にソ連に勝利を収め、反共ではもう国家目標を維持できなくなって以来です。
日本が毀れ始めたのは冷戦の終結以降です。」
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このとき、首相は小泉純一郎、「つくる会」はまだ分裂していなかった。
同「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」諸君!2005年2月号(文藝春秋)196頁以下。
2004年11月の講演「福田恆存の哲学」(福田没後10年記念講演)を「大幅に加筆した」ものらしい。
2017年になって西尾が福田恆存には「反共」だけがあって「反米」がなかった、と語ったこととの関係等には今回は立ち入らない。関連部分はあるが、この2004-5年時点では、この旨の明記はいっさい存在しない。福田の晩年から西尾は福田から<離れた>、という旨は書いている。
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二 興味深いのは、「知識人」論だ。
1 福田恆存の「知識人」批判を肯定的に評価し、かつ西尾自身の言葉で敷衍しているのだが、福田の「知識人」批判を、ーある論考からーこう簡単にまとめる。
福田は、「日本の知識階級の政治的権力から外された精神主義の歪み、政治の悪を自ら犯せない立場にある教養人の卑屈な自尊の心のなかに潜む反体制、反政府心理に、弱者の宗教の見果てぬ夢と同じものを見届けました」。
2 上も福田の引用ではなく西尾の文章だが、直後に、西尾自身の見解のごとく、つぎのように書いている。一文ごとに改行する。
「知識人は日本の社会のなかで選ばれた民ー選民でありました。
文士や学者は自己表現という欲望を満たす特権を与えられて来ました。
これは大事なポイントになりますからよく聞いてください。
自己表現とは権力欲の一面です。
その自己表現にそこはかとなく漂う自己英雄視に『知識人』は気がついているのか。
実行よりも芸術を、政治よりも文学を主張する、閉ざされた精神をつくって、大衆を見下し、政治権力にひたすら悪の烙印を押して、自らを中間に置いて純潔と見る一種の自己神聖化。
日本の純文学意識や学者知識人の教養主義は、このような精神に毒されていなかったでしょうか。」
3 そして、このような「知識人」の時代は「今もなおそう」だが、「完全に終わったと」福田は「告げ知らせている」ようだ、とする。
「『知識人』の社会的関心とは要するに日本の現状をいつもシニカルに批判することと同義であり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感情を持っていません。
『知識人』はつねに弱者のねじくれた卑屈な復讐心理につき動かされてきています。
そして閉ざされた自己英雄視の内部で鬱屈し、健全な一般社会に毒ある言葉を偉そうに上からまき散らしてきましたし、今もなおそうです。
もうその時代は完全に終わった、と福田氏の批判は告げ知らせているように思います。」
4 このあと、「今の日本」について語られるが、まとめて引用したり要約的叙述を見出すのは困難だ。「保守」への言及もある長い文章から、気のつく断片を抜粋しよう。
「ふと気がつくと、今の日本において、福田氏が指弾した知識人の自己欺瞞は、もはやすでに、知識人の自己欺瞞ではなくて、国民一般大衆の自己欺瞞となってしまいました」。
福田が「知識人に当てはめた思考の枠は、もはや存在しません。なぜなら特権を持った知識人など今どこにも存在しないからです」。
福田の予言は当たった。「誰もが氏と同じ現実戦略を気楽に語るようになりました。同じような保守的思想が世に溢れ、言葉だけ気やすく語って、現実を変えようとする激しい意思がない点においても、あの当時と何にも変わっておりません」。
「昭和35年の当時、福田氏が」「嘲った進歩的知識人とは、たしかに違った世界観を今の多くの学者知識人、読書階級は言葉にしている」。しかし、「気休めの希望の見取り図を作成して、現実を改変しようとする意思のないこと、…ことにおいて、今日の保守的言論人の言葉もまた『お呪い』か『呪文』めいたものであって、言葉のための言葉、その無意味さ、ナンセンスさ、無力さ、これはあの当時の進歩的知識人と何も変わっていないのであります」。
「…、保守的言論は世を風靡しておりますが、それでいて平和、民主主義、平等、自由への安易な信仰が政治や教育を現実に歪めている程度は、福田氏の生きていた時代よりもはるかに悪化しているということが起こっている」。
以上、p.217-p.220.
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三 さて、西尾幹二は福田恆存が批判した「特権を持った知識人」は「今どこにも存在しない」、と明記している。
しかし、西尾自身の言葉として、「今の多くの学者知識人、読書階級」とか、「保守的言論人」とかを用いている。
言葉の用い方の問題ではあるが、西尾自身が「学者知識人」、「言論人」、少なくとも<知識人の末裔>という「階層」にいることを、かりに潜在的にせよ自覚し意識していることは、明白だと思われる。
西尾の多数の文章にみられるニーチェ的?<反大衆>性には今回も触れない。上の文章の中には、「弱者の宗教の見果てぬ夢」、「弱者のねじくれた復讐心理」という言葉はある。
すこぶる興味深く、面白いのは、かつての?「知識人」を叙述するその内容、形容は、西尾幹二自身に、そのまま当てはまると考えられる、ということだ。以下、列挙する。なお、西尾は小泉純一郎を「狂気の宰相」と称し、安倍晋三首相も批判した(例えば、その改憲案は安倍が出したからいけないんです旨を書いた)〈反政権〉的評論家でもあった。
①「(日本の知識階級の)政治的権力から外された精神主義の歪み」。
②「政治の悪を自ら犯せない立場にある教養人の卑屈な自尊の心のなかに潜む反体制、反政府心理」。
③「権力欲の一面」である「その自己表現にそこはかとなく漂う自己英雄視」。
④「実行よりも芸術を、政治よりも文学を主張する、閉ざされた精神をつくって、大衆を見下し、政治権力にひたすら悪の烙印を押して、自らを中間に置いて純潔と見る一種の自己神聖化」。
⑤そのような「精神に毒され」た、「日本の純文学意識や学者知識人の教養主義」。
⑥「社会的関心」は「要するに日本の現状をいつもシニカルに批判することと同義であり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感情を持ってい」ない。
⑦「閉ざされた自己英雄視の内部で鬱屈し、健全な一般社会に毒ある言葉を偉そうに上からまき散らしてき」ている。
⑧「気休めの希望の見取り図を作成して、現実を改変しようとする意思のない」点で、(今日の保守的言論人の言葉も)「『お呪い』か『呪文』めいたものであって、言葉のための言葉、その無意味さ、ナンセンスさ、無力さ、これはあの当時の進歩的知識人と何も変わっていない」。
以上、西尾幹二自身それ自体に(も〉、きわめてよくあてはまっているのではないか。
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四 今回の最初に記したように、福田恆存には「反米」がなかったが、自分には「反共」に加えて「反米」もある、という2017年になって初めて?述べた旨は書かれていない。
但し、つぎの文章は、関連性のある西尾の<時代認識>を示しているので、今後のためにメモしておく。中国も、北朝鮮もここには出てこない。p.222.
「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけられました。
おかしくなったのは、西側諸国で革命の恐怖が去って、余裕が生じたからで、さらに一段とおかしくなったのは西側が最終的にソ連に勝利を収め、反共ではもう国家目標を維持できなくなって以来です。
日本が毀れ始めたのは冷戦の終結以降です。」
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