秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宮崎正弘

2073/孝明天皇暗殺(非自然死)説-中村彰彦。

 京都・泉涌寺-孝明天皇陵といえば、ただちに連想するのは孝明天皇「暗殺」説だ。
 のちの伊藤博文に対する狙撃犯・安重根も「噂」を知っていた、というくらいだから、(伊藤の関与の程度は別として)明治の「元勲たち」の誰かによる孝明天皇「暗殺」の風聞はかなり広く伝搬していたのだろう。
 公武合体・攘夷論者の孝明天皇の死により、攘夷論は「臆面もなく」放棄されて倒幕・開国への政治情勢へと大きく転換した(と秋月には感じられる)。次期天皇・明治天皇の母・中山慶子の父親(明治天皇の実の祖父)は岩倉具視等々とともにいわゆる<過激派>公家だった。
 「暗殺」と称さなくとも、自然死ではなかった、病気自体を感染させられた、あるいはその治療が適切には行われてなかった等々の主張・見解あるいは推測・憶測の類は、明確ないずれかの「物証」が出てこない限りは、今後も継続するような気がする。
 中村彰彦・幕末維新史の定説を斬る(講談社、2011/文庫2015)。
 この中に、中村彰彦が1992年、2008年にすでに書いていた孝明天皇の「毒殺」・「暗殺」に関する「小論」を詳細にした、または発展させた、「孝明天皇は『病死』したのか」が収められている。小説ではない。
 内容もそうだが、別の点である意味ではきわめて興味深い叙述が、最初の方にある。文庫版、p.153。
 2008年の小論が発表されたあと、こういうことがあった、という。一文ごとに改行する。
 「ある会合で評論家の宮崎正弘氏に会うと、かれは声を潜めて告げた。
 『ある右寄りの人が中村さんの歴史読物を読んで、天皇暗殺を論じること自体が尊王の態度に反するといっているそうです。
 気をつけた方がいいですよ』。
 この忠告を受け、中村は「天皇暗殺を論じること自体が尊王の態度に反する」と批判・立腹されていると考えたようだ。そして、「官撰国史」の日本書記もまた二人の天皇(安康・崇峻)が「弑逆」されたことを明記している、として、天皇「弑逆」事件を記述するのは決して「反・尊王」ではない、と反論?している。
 この反批判または釈明は、必ずしも的を射ていないように思われる。
 「ある右寄りの人」が怒っている対象は特定の孝明天皇についての「暗殺」事件の記述であり、かつその加害者がのちの明治新政権の中に入った者たちの中にいる、というほとんど明示的な指摘・推測がなされていることだろう、と考えられる。
 そして「ある右寄りの人」は明治維新あるいは「明治の元勲たち」が批判されている(または批判されているようである)ことを苦々しく感じたのだろう。
 上によると、宮崎正弘は「声を潜めて」、「気をつけた方がいいですよ」と言った。
 気味が悪い、話だ。
 「気をつけた方がいい」、というのは、身体または生命に対する危険が(多少とも)ある、ということを告げた言葉だろう。
 しかして、「ある右寄り」の人はどういう人物で、属しているとすれば、どういう団体・組織または運動団体だったのだろうか。「右寄り」は「右翼」とも表現することができる。
 ----
 泉涌寺-孝明天皇の死-孝明天皇陵という連関は、さらにつぎのように辿ることできる。
 孝明天皇陵-御陵衛士-伊東甲子太郎-新撰組-「油小路の変」(京都・七条油小路での伊東らの「暗殺」)。
 また、つぎのような連想も可能だ。
 孝明天皇-京都守護職-会津藩主・松平容保(・黒谷金戒光明寺)-新撰組。 
 ----
 「狂熱的」・「狂信的」な人は、たぶん「尊王・右翼」の人の中には、いるものだ。安本美典のある著書に対して、某ネット上の書籍販売サイト上に、こんな「書き込み」(レビュー)があった。今でも残っているかもしれない。
 <神功皇后を実在だとするのはよいが、同皇后を「不義密通」した女性だとするのは「許せない」。>
 この「許せない」、というのが、なかなかに「気味が悪い」。
 同じ団体・組織の事務方の長(事務長・事務総長)を20年以上も同一人物が続けていることとは、別の次元のものだとしても。
 上の「不義密通」というのは、応神天皇は神功皇后の子だとしても(胎中天皇)、父親は仲哀天皇ではない、ということを意味する。安本美典のほか、井沢元彦も、その可能性を強く示唆している。
 この秋月の書き込みも「気をつけた方がいい」内容なのかもしれない。不気味だ。

0906/三島由紀夫1970年7月エッセイを読んで-月刊正論11月号。

 月刊正論11月号(産経、2010)が1970年7月7日付サンケイ新聞夕刊に掲載された三島由紀夫の「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」と題する(「私は口をきく気にもなれなくなっているのである」で終わる、有名な)寄稿に対する6人の感想文的なものを載せている。なかなかよい企画だ。
 三島由紀夫の文章自体はむろん、今回の各氏の文章に対するコメントをさらにすることも避けて、印象に残った文・表現のみメモしておく。

 長谷川三千子-「日本人がとことん戦い抜いて全滅」して「焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っている」光景こそが「あるべきかたちだったのだ、という戦慄すべき考えに恐れ、おののきながら、その風の音を聞く」、「そこから出発するのでなければ、日本の再生などありえないということを、三島由紀夫はよく知っていた」(p.123-4)。

 井上豊夫-三島が自衛隊に体験入隊をした頃財界人と接触したが、「資本家たちは一見『天皇主義者』のように見えますが、利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそう」だ(そして、「盾の会」等への財界の資金援助をいっさい受けなかった)(p.125)。

 渡辺京二-「現代において肝要なのは、死んでみせることではなく、生きのびてみせることなのである。生きのびることは、時代への嫌悪に耐え、自分の課題を最後まで追究しつつ中道で斃れることである」(p.127)。

 宮崎正弘-「『日本が日本でなくなる』はあちこちに出現し、未来は漆黒のように暗い。果たし得ない約束を、しかし残された時間にどうやって実現できるか」(p.129)。

 田母神俊雄-「自主憲法の制定と国家の完全独立を忘れたことが高度経済成長の陰で次第に日本を蝕んで行った」。「三島の警鐘」を「受け入れる」感性が日本の「政治家」にあれば、「総理大臣などにもっと洞察力」があれば、「我が国の政治が今日のような惨状を呈することはなかったであろう」(p.129)。

 竹本忠雄-「真の敵は『戦後民主主義とそこから生じる偽善』である、と見据えた明察が、一文の精神である」。/ソ連崩壊後も「日本を呪詛した唯物論者たちは、転向するどころか、哲学者、宗教評論家として、のうのうと託宣を垂れている」。/ロシア系仏作家某は、「ナチズムの犯罪は無慮数千万、共産主義の犯罪は無慮数億であり、前者は裁かれたのに、後者は一人として裁かれず、社会各層にふんぞり返っているのはなぜか」と問うた(p.131-2)。

0224/一部の日本人は李登輝のように日本を「愛せ」ないのか。

 週刊新潮6/21号の連載コラムで櫻井よしこも扱っているが、台湾の李登輝前総統が5/30に訪日し6/09まで東北地方や東京・靖国神社を訪れた。
 彼が言ってくれていることを読むと、嫌日・反日・侮日の新聞や人びとが、日本国民のくせをして日本を、日本の政治家も含めて、悪し様に言っていることが恥ずかしくなる
 有楽町の日本外国特派員協会で9日に行われた李登輝・台湾前総統の講演要旨は次のとおりだ。記録に残しておきたい。なお、ソースは「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成19年(2007年)6月10日(日曜日)通巻第1830号(臨時増刊)であること、私がさらに一部省略して簡略している部分があること、をお断りしておく。
 <▽人間とは何か、日本の若人に問うた。/  10泊11日の訪日の旅を終えて、きょう、台湾へ帰る。/学術、文化、「奥の細道」の探訪が目的で、成功したと思う。/6月1日、「後藤新平賞」の第一回受賞者となる光栄に浴した。その時に「後藤新平と私」という講演のなかでも述べたが、後藤新平の偉大な人間像が150年後の今になって認識されるようになったことは、強い精神的なものが国家、社会にとって必要なものとなったということだ。/この旅は、今までで最高のものとなり、奥の細道は半分だけだが探訪し、日本文化の特徴である自然との調和を実感した。/芭蕉の足跡を全て辿ることができず、深川・千住・平泉・山寺・象潟のみで新潟以降は次回となった。
 秋田国際教養大学では、「日本の教育と台湾、私の歩んできた道」というテーマで特別講義を若い大学生たちにし、日本的教育を受けて得た経験を話した。/それは人間とは何ぞや、私は誰だとの問いに答えを得たということだ。専門的教育以外に教養として人間のあるべき姿、私は私でない私であるという人生の結論を得られた。/人生の価値観への理解と、種々の問題に直面した時にも自我の思想を排除して客観的な立場で正確な解決策を考える事が出来た。
 6月7日早朝、靖国神社を参拝した。/日本・中国・韓国で、政治問題・歴史問題として大きく取り上げているが、私は第二次世界大戦で亡くなった兄の冥福を祈るだけだ。/62年間会っていない、位牌・墓もなくどうしているか分からない親しかった兄だ。東京に来る困難もあり、慰霊・冥福を祈れて、生涯忘れない思い出となった。/その夜、学術的な講演をした。私なりの研究を述べる事が出来、世界の情勢に対する客観的な私の知っている限りの学術的な話をした。政治的だとは思わない。
 ▽アジアは大きく動くだろう。/世界、東アジア、両岸台湾海峡について次のように述べた。/2007年のロシアと中国の重要度は、アメリカがイスラム世界で巻き起こした衝突、世界の反テロ戦に劣らない。/アメリカとイランの対立は一方が勝利を得ることなく、政治的な解決に向かう可能性を有している。/世界のリーダーであるアメリカの政治的機能の麻痺:外交でのイラク問題、内政でのブッシュ政権の弱体化、これらに乗じてベネズエラ~ソマリア~アジアに至る国々の中で、アメリカに挑発的な国が侵略的行動に出るように思われる。
 2007年の東アジアは政治の一年になる。日本・韓国・豪州・台湾・比国で選挙がある。中国・越国・北朝鮮の三国も党内人事の大異動がある。これにより内部権力の再分配が起こる。その間2007年の国際政治は比較的安定する。/アメリカは一時的にアジアにおける主導権を失う。/一変するのはアメリカが新たな政治的周期、次の大統領選挙後に新政権が出来るまで待たなければならない。
 アジアは第二次世界大戦前に戻ったようだ。東アジアは地域内に限定される権力抗争の主軸が日本と中国だ。/2007年と8年、中国が東アジアを主導することが出来たなら2008年5月に就任する台湾総統は中国から一段と厳しい挑戦を受けるだろう。
 さて旅の感想を言えば、前回は一年半前だったが、東京には来れず、日本を一週間訪問・観光し、名古屋・金沢・京都を回った。今回は奥の細道だけでなく東京に来られて多種多様なかたちで展開できた。
 前回と今回の旅行で強く感じたことは、戦後60年で日本が大変な経済発展を遂げていることだ。私は昭和21年、新橋の焼け野原に建っていた家に住んでいた。その時の有楽町と今を比べると天地の差だ。/焦土から立ち上がり、世界第二位の経済大国を作り上げた国民の努力と指導者の正確な指導に敬意を表する
 もうひとつは、日本文化が進歩した社会で失われていなかったことだ。/失われた面もあるが、ほとんどは失われていなかった。大戦の結果、耐え忍ぶしか道はなかった。忍耐するしかなかった。経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされた。そうした中にあっても伝統や文化を失わずに日本は来た
 ▽日本人のすばらしさが復活していた。/日本の旅行で強く記憶に残っているのは、さまざまな産業におけるサービスのすばらしさだ。/戦前の日本人が持っていたまじめさ、こまやかさがはっきりと感じられた。今の日本人がダメだということも聞くが、私は決してそうは思わない。日本人は戦前の日本人同様、日本人の美徳をきちんと保持している。社会が全部秩序よく訓練されて人民の生活が秩序よく守られている
 たしかに外見的には弛んだ面もあるだろう。それはかつての社会的な束縛が解放されたからで、日本人の多くは社会の規則に従って行動している
 東京から仙台、日光へと移動する間、よく観察していると日本人は本当に社会の規則に従ってみんな正しく行動しているということだ。他国ではなかなか見つからない
 社会的な秩序がきちんと守られ、公共の場所では最高のサービスを提供している、清浄に保たれている。高速道路を走ってみるとチリ一つない。/ここまで出来るのは日本だけだろう。
 かつて日本の若い人に会ったときは、自分だけよければいい、国なんか必要ないという考え方が強かったようだが、社会・国家への考えた方が、大きく変わり始めた
 戦後60年の忍耐の時を経て、経済発展を追求するだけでなく、アジアの一員として自覚を持つようになった武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始めた。日本文化の高い精神面が高く評価されている。/日本文化は大陸から西から滔々と流れ込んだ大波の中で驚異的な進歩を遂げ続けてきた。/結局、一度としてそれらの奔流に嚥み込まれることなく、日本独自の伝統をりっぱに築き上げてきた
 日本人には古来稀な力と精神が備わっている。/外来の文化をたくみに取り入れながら自分にとってより便利で受け入れやすいものに作り変えてゆく。このような新しい文化の創造というのは一国の成長・発展という未来への道にとって非常に大切なものだと思う。/天賦の才に恵まれた日本人が、簡単に日本的精神といった貴重な遺産や伝統を捨て去るはずが無いと堅く信じている。
 日本文化とは何か?/私は高い精神と美を尊ぶ、いわゆる美学的な考えを生活の中に織り込む心の混合体こそが日本人の生活であり、日本の文化そのものであると言わざるを得ない。
 次に日本を訪問する機会があれば、日本は歴史的にもっと創造的な生命力を持った国に生まれ変っているものと信じている。(講話はここで終了。以下質疑応答の中での李登輝氏のコメント)。
 ▽台湾は我々のモノである!/靖国神社への参拝が外国の人や政府によって批判されるが、これは何の理由もない。/自分の国のために亡くなった若い人をお祀りするのは当たり前のことだ。総統だった12年間の春夏、忠烈祠にお参りした。/この人たちは正直に言うと台湾と無関係な人たちばかりだ。台湾のために血を流した人々ではない。人間として、ひろく人類愛の考え方で慰霊した。
 中国に挑戦はしていない。/内戦状態を続けてきたのであり、その内戦を停止した。北京政府へ互いによく付き合っていこうと、大陸委員会、海峡委員会で王道函と辜振甫が話し合ってきた。国と国の間における静かな安定した状態をつくることが大事だ。
 日本人は中国人を余り知らない。/60年間の中国生活が何を私に教えたか。中国人になって中国人と話をしなければならないということだ。日本的な日本人の立場で中国人と話しても話は合わない
 安倍首相を褒めることになるが、日本人がアジアの自主的な力を持った国家になるには、まず先に中国を訪問し信頼関係をつくりましょうとは上等な布石であったと信じる。/布石がなければ定石にならない。こうして国と国の関係を作り上げてゆくのは正しいやり方だと思う。
 サンフランシスコ条約で日本は台湾を誰に返還したのか?/マッカーサーの指令第一号で日本は蒋介石に対して降伏しただけで、主権の存在は不明瞭のままだ。/中国人は台湾を中国のものと考え、アメリカ人もそう考えているかもしれない。しかし台湾人2300万人が主権を握っているはずだ。/だから台湾はすでに存在する独立した一つの国だ。/独立するという必要は無い!/中国は反国家分裂法を制定して逆に頭痛の種になっていると思う。/ドイツの放送局に言った(99年7月)が、台湾の地位は非常に複雑な状況に置かれている。判決の無い特殊な状態だ(「二国論」)。/台湾の住民が自分の国だと言わなければ、誰も助けてくれない。/将来の台湾海峡の問題は二つだ。台湾問題とアメリカ問題だ。
 台湾は我々のものである。/すでに独立した、自由で、平和な、 民主的な国だと主張すること。アイデンティティを持つことだ。/WHO AM I?より WHO ARE WE?だ。

 上の太字にした部分の中には、涙が滲みそうになる部分もある。22歳まで日本人だったという外国人が、日本を、日本人を、日本の文化を褒め、讃えてくれているのだ。一部の日本人に掻き混ぜされたり、「日本」が破壊されたりしては、この李登輝のような人に対して、まことに申し訳ない。

ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー