秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宮内庁

1195/西尾幹二=竹田恒泰と小川榮太郎の本、全読了。

 8月中に読了した書物に、少なくとも次の二つがある。いつ読み始めたかは憶えていない。感想、伴う意見等を逐一記しておく余裕はない。以下は、断片的な紹介またはコメントにすぎない。
 第一、西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)。

 1.第三部は「雅子妃問題の核心」。かつて対談者の二人はこの問題に関して対立していて、私は西尾幹二の議論に反対していた(ということはたぶん竹田と同様の見方をしていた)。この本では、正面からの喧嘩にならずに平和的にそれぞれが言いたいことを言っている。
 離れるが、①皇太子妃に「公務」などはありえない。皇后についても同様だ。②美智子皇后が立派すぎるのであり、皇后陛下を標準として考えてはいけない。かつての時代を広く見れば、模範的な皇族を基準とすれば、異様な皇族など、いくらでもいたはずだ、皇太子妃であっても。また、おおっぴらに語られることはなくとも、異様な天皇もいたであろう。それでも皇統は続いてきた。皇族が「尊い」理由は各人の人格・人柄等にあるのではなく「血統」にある。皇太子妃は皇太子の配偶者であるというだけで、「尊い」と感じられるべきだろう。

 2.本件当時に「怒り」のような感情を抱いたものだが、2012年4月に羽毛田宮内庁長官は今上天皇・皇后の薨去後の方法についての希望ごを記者会見で発表したことがあった。
 今上天皇が何らかの意見をお持ちになることはありうるだろうが、天皇の「死」を前提にする具体的なことを平気で宮内庁長官がマスコミに対して話題にすること自体に大きな違和感を覚えた。

 よろしくない場合もあるが、日本と日本人は井沢元彦の言うように「言霊」の国なのではないか。一般人についてすらその将来の「死」に触れることが憚られる場合もある。ましてや天皇や皇族についてをや。

 また、この本p.148によると、羽毛田は皇后陛下のご本意と異なることを発表したらしい。ひどいものだ。竹田は宮内庁ではなく皇居域内に建物はあっても「宮外庁」だと言っていたが、その通りのようだ。羽毛田は元厚生労働省の官僚。憲法改正の必要はないとしても、皇室に関係する組織のあり方は行政機関も含めて、検討の必要がある。
 3.第四部の「原発問題」では二人の意見は基本的に一致しているようだが、私は賛同していない。竹田の最初の論考に原発労働者の実態が詳しく書いてあった記憶があるが、それを読んだとき(この欄には何も書かなかったはずだが)、それなら労働環境を改善すればいいだけのことで、原発自体に反対する理由にはならない、と感じたことがある。その他、二人の<反原発>文献は読んでいない。

 第二、小川榮太郎・国家の命運-安倍政権・奇跡のドキュメント(幻冬舎、2013)。
 1.p.143-4、昨年末の総選挙についてのマスコミ報道-マスコミは二大政党からの選択という「文脈を敢えて無視するかのように、『第三極』をクローズアップした。民主党三年三カ月の検証番組はなかった。自民党に政権復帰能力があるかどうかの検証もなされなかった。第三極や多党化という泡沫的な現象を追うばかりだった」。「日本のマスコミのこの二十年に及ぶ、度重なる浅薄な選挙誘導の罪、日本を毀損する深刻度において民主党政権と同格だ」。以上、基本的に同感。
 朝日新聞等の「左翼」マスコミは民主党政権に対して何と「甘く」、優しかったことだろうか。批判するにしても<叱咤激励>にあたるものがほとんどだっただろう。そして思う、いかに「政治的」新聞社・報道機関であっても<報道>業者であると自称しているかぎり、「事実」についてはさすがに真っ赤なウソは書けない。あれこれの論評でもって庇おうとしたところで、「事実」自体を変更することは(あくまで通常はだが)朝日新聞であってもできない。民主党政権にかかわる「事実」こそが、同党政権を敗北に導き、同党の解党の可能性を生じさせている。

 2.つぎの文章は、しっかりと噛みしめて読まれるべきだろう。-安倍晋三の「微妙な戦いは、我々国民一人一人が、安倍政治の軌道を絶えず正し、強い追い風で安倍の背中を押し続けない限り、不発に終わる。そして、もしそれが不発に終われば、日本は、中国の属国となってその前に這いつくばり、歴史と伝統を失い、日本人ではなく単に日本列島に生息する匿名の黄色人種になり下がるであろう。/その危機への戦慄なきあらゆる政策論は、どんな立場のものであれ、所詮平和呆けに過ぎない」(p.203)。

 3.知らなかった(大きくは報道されなかった)ので戦慄すべきことが書かれている。p.234以下。

 「事実上の発射準備」である「射撃管制用レーダーの照射」を中国海軍艦艇が行ったのは1/30で、翌月に小野寺防衛相が明らかにし抗議した。「最早挑発ではない。歴とした武力による威嚇」であることに注目すべきことは言うまでもない。問題は、以下だ。
 「
民主党政権時代にも、レーダーの照射は少なくとも二回あったが、中国を刺激するとの理由で公表しなかった」。

 小川が書くように(p.235以下)、民主党政権が続いて「その極端な対中譲歩が続いて」いれば、尖閣諸島はすでに「実効支配されていた可能性が高いのではないか」。

 小川はその理由を言う。-中国が「軍事」衝突なく施政権を奪えば、尖閣に日米安保は適用されない。「もし民主党政権が『中国を刺激するな』を合い言葉に、軍事行動なしに中国に施政権を譲ってしまえば。その段階でアメリカには防衛義務はなくなる」。
 ここでの「施政権」とは、「事実上の支配」とおそらくほぼ同義だろう。民主党政権が中国による何らかの形での尖閣上陸と実力・武力・軍事力による「実効支配」を、日本の実力組織(さしあたり、海上保安庁、自衛隊)を使って妨げようとしなかったら、かかる事態は生じていたかと思われる。小川はさらに、次のように書いている(p.237)。

 「勿論、民主党政権は口先で抗議を続けただろう。型通りの抗議を続けながら泣き寝入りを…。しかし現在の国力の差では、中国に実効支配を許したものを日本が取り返すことは至難だ」、日本は「世界の笑い者になる」。この点だけでも、「安倍政権の誕生は、間一髪だった」。

 さて、中国が強い意思をもって尖閣に上陸し「支配」しようとする状況であることが明らかになったとき、朝日新聞は、あるいは吉永小百合を含む「左翼」文化人は何と言い出すだろうか。<戦争絶対反対。上陸と一時支配を許しても、その後で中国政府に強く抗議し原状回復を求めるとともに、中国の不当性を国際世論に広く(言葉を使って)訴えればよい。ともかく、日本は武力を用いるな>、という大合唱をし始めるのではないか。かかる「売国奴」が「左翼」という輩たちでもある。

 4.この本は安倍晋三支持の立場からのもので、そうでない者には異論もあるかもしれない。だが、悲観的、絶望的気分が生じることの多い昨今では(今年に入っても程度は質的に異なるが、似たようなことはある)、奇妙に安心・楽観的気分・希望を生じさせる本だ。  

0435/伊勢神宮「式年遷宮」等と天皇(家)。

 伊勢神宮(正式名称はたんに「神宮」)の内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)はともに、20年ごとに本殿を隣接地に新しく建築し直す。これを「式年遷宮」といい、前回は平成5年・1993年の10月に行われた。これが第61回で、次回・第62回の「式年遷宮」は平成25年・2013年に行われる。20年ごとだから、単純に計算して1220余年前から行われていることになるが、一時期途絶えたことがある。が、ともあれ、奈良時代の持統天皇の時代という、現代人から見れば、はろけくも昔に始まり、現代まで続いている。
 この行事(むしろ「祭事」か)は現在では形式的には一宗教法人のもののはずだが、前回の「式年遷宮」については昭和59年・1984年に、当時の天皇(昭和天皇)が実質的にいってこれの準備を開始することを「許す」旨の意思を伝えた。これを「聴許」というらしい。
 その意思は宮内庁長官の文書に示されている。
 「宮内庁長官官房官発第一六六号/昭和五九年四月四日/宮内庁長官 富田朝彦
 神宮大宮司 二條弼基 殿
 回答/三月二十二日付け造庶発第三号により御上申の第六十一回神宮式年遷宮の儀につきましては、本日御聴許になりました。/この旨お伝えします。
」(/は改行)
 (以上、主として、神宮司庁企画(DVD)・第六十一回神宮式年遷宮/伊勢の遷宮-総集編-による。)
 伊勢神宮の「遷宮」につき天皇の「聴許」があらかじめある。次回・第62回についてもすでに現(今上)天皇の「聴許」がなされていると思われる。
 ところで、憲法にはこうある。
 「第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 「第20条 1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 宮内庁という紛れもない国家行政機関の長官が上の如き文書を発している。これは「公」文書ではないのだろうか。そして、天皇も憲法上「日本国の象徴」・「日本国民統合の象徴」とされる国家の(戦前の天皇機関説を持ち出すまでもなく)重要な「機関」と称してよいものだとすれば(「機関」が適切でないならば別の概念でもよい。ともかくも、国家機構の一部を占めるものと理解して誤りではないと考えられる)、天皇が、伊勢神宮という一宗教法人の活動に直接に「関与」していると言えないのだろうか
 そしてさらに、上掲の憲法20条3項で禁止されている「国及びその機関」の「宗教的活動」に該当しないのだろうか。
 あるいは、伊勢神宮から見ると、当該「宗教団体」は20条1項で禁止されている「国から特権を受け」ることをしているのではないのだろうか(なお、式年遷宮の費用は募金による。だが、確認していないものの、天皇及びその他の皇族によっても費用の一部は負担されている筈だ)。
 しかし、憲法20条の<政教分離>規定にかかわらず、天皇による「神宮式年遷宮」への関与や天皇その他の皇族による費用負担(天皇等が支払う「金銭」はすべて国が法律に基づき支出しているもので、かりに「私事」・「私生活」というものがあってそれらに使われるものであっても、出所から見るとすべて「公金」だ)が憲法に違反しているという議論は(私は)聞いた又は読んだことがない
 戦後になってからも、1953年、1973年と「式年遷宮」は行われてきており、当時は日本社会党(またはその前身の左・右社会党)が存在した。1993年というのは日本社会党を含む連立政権が誕生した年だった。にもかかわらず、日本社会党が天皇・皇室の伊勢神宮への関与等を法的に疑問視したという記憶は全くない
 憲法の規定を離れて言えば、伊勢神宮に天皇家がかかわるのは異様でも何でもない。何よりも、内宮の祭神は天照大神(アマテラスオオミカミ)で、天皇(家)の先祖(むしろ「始祖」に近い?)とされる(神話上であれ)人物だ(外宮の祭神は天照大神の食事を担当していたとされる)。歴史的に見れば、伊勢神宮は天皇(家)・皇室の祖先を祀る最大・最高の神社だったのだ。現在でもそうだろう(なお、奈良県・橿原神宮-祭神は神武天皇-は明治期に造営されたと記憶する)。
 そのような歴史的経緯を無視して憲法20条を解釈することはできず、憲法1条により「天皇」の存在が正式に承認されていることとも合わせた、総合的な解釈が必要になる。
 先日、天皇・皇室と神社の関係に触れ、両者の関係を憲法20条・「政教分離」の形式的解釈で論じてはならない旨を書いたのは、上記の「式年遷宮」のことを知っていたからでもある(それだけではないが)。
 さらに付記すれば、天皇・皇族に限らず、毎年正月、日本国の内閣総理大臣は伊勢神宮に参拝している。今年は野党第一党党首・小沢一郎も参拝した。福田首相の東京からの交通費はどこから出ていたのか?。福田首相に随行した秘書官等はいかなる性格の仕事をしたのか?。
 にもかかわらず、朝日新聞すら、上のことを問題視・疑問視しなかった筈だ。公人としてか私人としてか、などというような質問をしたマスメディアの記者もいなかった筈だ。
 明らかに、表面的・形式的には伊勢神宮は国政担当者から「特権的」扱いを受けている、と言ってよい、と思われる。だが、そのことに(現在の野党第一党はもとより)朝日新聞すら目くじらを立ててこなかった、という厳然たる事実がある、ということはきちんと記憶されておいてよいだろう。将来、状況に何らかの変化があると、朝日新聞や一部の者たちががそれを<憲法違反>だと言いかねない、と思われるからだ。
 なお、神道、神社に限らず、いちいち正確には確認していないが、皇室に縁のある寺院は、現在でも皇室と何らかの(他の寺院とは異なる)特別の関係があるだろう。皇族を離脱した者の子孫が住職(法主?、貫首?)をしているような寺院だ(いわゆる「門跡」。例、京都市・曼殊院)。
 また、京都市の泉涌寺(せんにゅうじ)のように、奈良時代の天皇を除く全ての天皇を祀っている寺院もあり、そこでは毎日朝夕、過去の多数の天皇の位牌(御尊牌)を前にして読経が行われている筈だ。そして、現在の天皇(家)からも、この寺院に対してはいくばくかの金銭(手当、お礼。正式には「御下賜金」か?)が出費されていると推測される。
 このような「特別の」関係をもって「政教分離」条項に反するとは言えないだろう。そして、おそらくは憲法学者も含めて誰も、違憲とは指摘・主張してきていないと思われる。このこともきちんと記憶されておいてよいだろう。将来、こうした皇室と寺院の関係も「法的に」問題にする新聞や論者が出現してくる可能性があるからだ。

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