一 基本的論点の一つは、日本の天皇(の歴史)をどう見るかだろう。
<摂政活用>派または生前譲位否定論は、これを根拠にしているからだ。
しかし、前回も触れたように、この論を<歴史>でもって正当化することはできない。
また、「観念保守」派の多くが-たぶん産経新聞社の菅原慎太郎も桑原聡も-抱いてるようにみえる、つぎのような<権力・権威>論も日本の歴史の事実に即していない、と考えられる。
櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号。
「鎌倉幕府も徳川幕府も、時の権力者といえども、皇室の権威には服せざるをえませんでした。俗世の権力は常に皇室の権威の下にあり、……は実権を握りながらも、究極の権威は彼らの手にはありませんでした。一方、皇室には権威はあっても権力はなかったのです」。p.86。
よくぞこんなに簡単に言えるものだ。しかも「常に」と断定しているのは、相当にアホだと言える。
ここにあるのは、<思い込み>であり、<観念>だ。
勝手に思い込むのはよいが、歴史の事実であるかのような書き方をしてはいけない。あるいは、<こうであってほしい>という願望や<こうであったはずだ>というはず・べき論と歴史的事実を混同してはいけない。少なくとも、自らの言明の「真実」性・事実性を疑ってみる謙虚さが必要だ。
すでに前回に本郷和人著に言及した。
既読だが、本郷和人「天皇を知れば日本史がわかる」文藝春秋スペシャル2017冬・皇室と日本人の運命(2017)もある。なお、本郷は、黒田俊雄のような<マルクス主義史観>のもち主ではない。
○「権門体制論」は形式はともかく実態を示さず、後鳥羽の承久の変以降「次の天皇を誰にするか」を朝廷の一存で決められず「鎌倉幕府の承認」が要った。
○四条天皇後、朝廷の意向とは違った後継者を鎌倉幕府は立てた(後嵯峨天皇)。
○鎌倉幕府は後鳥羽本流の皇子の即位を「認めなかった」。
○天皇・朝廷は「鎌倉幕府を利用するどころか、それに依存して」いた。
○元寇の際に戦ったのは幕府で、「何もしてい」ない朝廷が「国家権力を担っていると言える」のか。
なお厳密な議論を要するのだろうが(<権門体制論>等について)、世俗権力と天皇の関係は、櫻井よしこが単純に描く上のようなものではないことを、示しているだろう。
鎌倉時代の<例外>ということはできない。前回した紹介でも上でも本郷は江戸時代にも触れている。
問題はそもそもは「権力」・「権威」という概念の意味なのだが、櫻井よしこは、これを明らかにした上で、少なくとも、平安時代および鎌倉時代以降幕末までの、上の理解の適正さを歴史的に論証・実証すべきだ。
また、明治憲法下の天皇・政府関係についても、<権力と権威>如何・これの関係をどう理解すべきかの問題はある。櫻井よしこはこれに厳密に論及はしていない。例えば、戦前の昭和天皇に「権力」は(全く)なかったのか。例えば、<ご聖断>とは何なのか。
二 つぎに、引用を省略するが、アホ4人組の多くは、生前譲位を認めると、新天皇と前天皇の二つの<権威>の並立・衝突が生じるので、避けるべきだ、と主張して、根拠づけている。
しかし、こんなバカバカしい、いやアホらしい議論・論拠はない。
すなわち、では<摂政>を置けば、これを回避できるのか。
天皇在位のままでいる現天皇と「摂政」就任者との間で、二つの<権威>の並立・衝突もまた生じうる。
いや、現皇室典範上の摂政就位の要件ならばまだよいが、<摂政制度活用派>はこの要件を緩和することを明示的に主張・提案しているので、(現皇室典範が想定していると解される)ほとんど意思表明能力を失った天皇ではなく、まだなお(意思表明はもちろん)ある程度の行為・活動の能力のある現天皇と新設置される摂政との間に、現実的な<権威>の並立・衝突がより発生する可能性がある。
また、「上皇」=前天皇の存在を認めると、制度的・財政的手当ての問題が生じるなどと立論する者もいるが、同じ問題は、摂政を置いた場合でも全く同じように生じる。
現憲法・現皇室典範のもとでは摂政設置の例はなく、そのための具体的な制度的・財政的しくみは、きちんと詰められては全くいないのだ。
アホな<脅迫>は、しない方がよい。
三 あまりつきあいたくないが、明らかに書き残しがあるので、回を改める。