一 奈良県の桜井市教委が、纒向遺跡内から大規模建物跡が発見された、と発表したらしい。
産経新聞11/11は「卑弥呼の居館か」との大見出しを打って邪馬台国=近畿説の石野博信(香芝市二上山博物館長・元奈良県立橿原考古学研究所副所長兼附属博物館館長・関西大院卒)の「…卑弥呼の館の可能性はある」との言葉を伝え、辰巳和弘(同志社大教授)は「高床式建物はまさに卑弥呼の居室」と「明言」したと報道する一方で、邪馬台国=九州説の高島忠平(佐賀女子短大学長、元佐賀県教育委員会)は「大型建物跡は4世紀で卑弥呼の時代より50年以上も新しい」として「邪馬台国との関連を否定」した、と伝える。
(なお、石野博信コメントは「可能性はある」というだけで断定するものではない。辰巳和弘コメントも「高床式建物」は「卑弥呼の居室」という一般論を示すだけで、今回発掘された建物跡の建物が「卑弥呼の居室」だったという趣旨ではないと解される)。
産経新聞11/12は邪馬台国=近畿説の白石太一郎(大阪府近つ飛鳥博物館長、元奈良県立橿原考古学研究所所員、同志社大院卒)は邪馬台国所在地論争は「だんだん決着に近づいてきた」と「強調」した、と伝え、かつ赤塚次郎(愛知県埋蔵文化財センター調査課長、白石太一郎らとの共著あり)は「畿内説が有利になった」と「指摘」した、とする。
同新聞は11/14から<卑弥呼いずこに・激論、邪馬台国>の連載を始めるが、第一回(上)に登場の、邪馬台国=近畿説だと思われる寺沢薫(橿原考古学研究所総務企画部長)は、「卑弥呼の宮殿として問題ないか」との先走った(幼稚な)質問に対して、単純な回答を避け、「卑弥呼が調査した辺りにいた可能性は高い」とだけ述べる。この部分を、記事は寺沢の顔写真の下にも引用している。
11/15(日)に登場の七田忠昭(佐賀県教育・文化財課参事)は、邪馬台国=九州説の立場から「有明海沿岸が最有力」とし、纒向遺跡が示すのは「魏志倭人伝には登場しない別の勢力」ではないか、としている。
11/16の第三回(下)はまだ読んでいない。
二 以上、比較的長々と引用したのは、11/14の産経新聞「土曜日に書く/纒向遺跡と国家誕生」を書いた、産経新聞論説副委員長なる肩書きの渡部裕明の文章を奇異に感じたからだ。
渡部裕明はこの文章(記事)の最後の方で「邪馬台国は大和で決着」との小見出しを付け、こう書いている。
「邪馬台国九州説を唱える人はまだいる。しかし、それは学問的な発言ではなく、もはや『お国自慢』のレベルでしかないと筆者は感じている」。
どのように「感じて」いようと勝手だし、それを全くの個人的・私的見解として公にするのも目くじらを立てることではないだろう。
だが、産経新聞論説副委員長と明記したうえで、このようなことを書いてよいのか。内心で「感じる」ことや個人的・私的に語ることと、このような肩書きを付けて公式に活字にすることとの間には大きな懸隔がある。渡部裕明は、そう思わないか?
第一に、自らの産経新聞に登場させている、邪馬台国九州説論者、すなわち、高島忠平や七田忠昭に対して失礼ではないか。「学問的な発言ではなく、もはや『お国自慢』のレベルでしかない」などと書いてしまうのは。
なるほどこの二人は佐賀県に所縁があるのかもしれないが、それを言うならば、産経新聞が登場させている邪馬台国=近畿(畿内)説論者は、赤塚次郎を除く全員が「近畿」地域で仕事をしてきた者たちだ。
第二に、この「産経新聞論説副委員長」氏は、いったいどの程度、所謂邪馬台国論争についての知識・素養があるのだろうか。
同じ産経新聞社発行の月刊正論12月号は珍しく邪馬台国問題を取り上げ、黒岩徹「皆既日蝕が明かす卑弥呼の正体」を掲載しているが(p.232~)、この黒岩の文章は明確に邪馬台国=九州説を前提としている。そして、卑弥呼=天照大御神説でもある。
まさかとは思うが、渡部裕明・産経新聞論説副委員長は、この月刊正論12月号の文章すら知らないまま、読まないままで、堂々と自信たっぷりに新聞紙上で邪馬台国=九州説は「学問的な発言ではなく、もはや『お国自慢』のレベルでしかないと…感じている」などと傲慢不遜な言葉を活字にしてしまったのではないか。
長年の議論の蓄積があり、多様な論点がある問題について、いくら大(?)新聞の論説副委員長だとしても、上のように簡単に「決着」を付ける能力・資格などありはしない、と考える。
三 素人の私ですら感じるのだが、産経新聞の11/12の一般記事が書く、纒向遺跡の中の「箸墓古墳」は「かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代測定法の成果などによって、3世紀の邪馬台国時代にさかのぼる可能性が高まった」、かかる研究により「今回の大型建物跡で出土した土器も、3世紀とほぼ特定できたという」こと自体が、まだ確立した学説にはなっておらず、争い・疑問があるところだろう。
上の記事の文章すら正確には、「可能性が高まった」、「ほぼ特定できた」と叙述しているのであり、高まる「可能性」や「ほぼ…」というだけでは、何ら学問的に確立した考え方・認識にはなっていないことを認めた書き方だ。
渡部自身も箸墓「築造の時期は、土器の編年や放射性炭素による年代測定などから3世紀半ばから後半と考えられるようになった。卑弥呼の没年と限りなく近づいた」と(こちらは断定的に)書く。
しかし、これまた何ら学問的に確立した考え方・認識ではない。たしか国立歴史民俗博物館の研究者が見出したとかいう「放射性炭素による年代測定」方法なるものも、いかほどに科学的で信頼がおけるものかについて、専門家の間でも争いがあるはずだ。
こんな曖昧な自社の記事や研究成果の影響を受けて、渡部裕明・産経新聞論説副委員長が、「箸墓」=卑弥呼の墓、今回遺跡出土の建物=卑弥呼の宮殿と「ほぼ」理解して、「邪馬台国は大和で決着」などという小見出しをつけたのだとすれば、大いにそそっかしいし、後世に、専門家でもないのに日本古代史上の問題に口を出して「結論」まで書いてしまった愚かなジャーナリストとして嗤われ続けるだろう。
四 渡部裕明が書くように、纒向遺跡の地域=奈良盆地の東南地域が「ヤマト王権発祥の地」だったことは疑いなく、渡部が「もはや動かしがたいだろう」と書くまでもない。
問題はそのあとに続けて、「邪馬台国(倭国連合)から古墳時代への移行はこの地〔纒向遺跡の地域=奈良盆地の東南地域〕で、直接的に行われたのである」と断定して書いたことだ。そのあとの一段落の文章(省略)では、こう言うための十分に説得的な根拠には全くならない。立ち入らないが、例えば、渡部は、記紀上の神話の記述、<神武東遷>伝承等、との関係をどう理解しているのだろう??
五 箸墓=卑弥呼の墓説を有力視?させた、国立歴史民俗博物館の研究発表後に、安本美典・「邪馬台国=畿内説」・「箸墓=卑弥呼の墓」説の虚妄を衝く!(宝島社新書)は刊行されている(2009.09)。同・「邪馬台国畿内説」徹底批判(勉誠社、2008.04)もある。
月刊正論12月号の黒岩徹「皆既日蝕が明かす卑弥呼の正体」は、安本美典の著作等を参考にしており、安本から「貴重な助言」を受けた、と明記している(p.239)。
渡部裕明・産経新聞論説副委員長は大(?)新聞紙上に傲慢不遜な文章を書くのならば、安本美典の著作等も「参考」にしたらどうか(きっと一度も一冊も読んでいないだろう)。あるいは、安本美典の「貴重な助言」を受けて記事を執筆したらどうか。
なお、安本は京都大学文学部・院卒、出身も九州ではない。<「お国自慢」のレベルでしかない>などと渡部が書けば、渡部自身が恥を掻くだけだ。
六 日本史上の大問題に(箸墓=卑弥呼の墓説に関する朝日新聞と同様に)乏しい知識のみで簡単に決着をつけたつもりでいるのが「論説副委員長」なのだから、産経新聞紙上の「論説」のレベルの高さ(=低さ)も分かろうというものだ。何ともヒドく、情けない。
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