秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

園部逸夫

1058/中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒(2011)に再び言及。

 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒(オークラ出版、2011)は、かなり前に読了している。
 いつか既述のように、小林よしのり批判が全編にあるのではなく、小林の天皇論・皇位継承論の由来・根拠となっていると中川が見ている論者、あるいは<民族系>保守への批判が主な内容だ。
 目次(章以上)から引用すると、田中卓は「逆臣」、高森明勅は「民族系コミュニスト」、小堀桂一郎は「極左思想」家・「畸型の共産主義者」、平泉澄「史学」は「変形コミュニズム」(最後は?付き)。
 本文によると、一部にすぎないが、吉川弘之が「共産党のマルクス主義者」とは「合理的推定」(p.177)、園部逸夫は「教条的な天皇制廃止論者のコミュニスト」(p.192)で「共産党員」(p.194)、園部逸夫・皇室法概論は共産党本部で「急ぎとりまとめられ」、「園部は著者名を貸しただけ」(p.197)、園部逸夫を皇室問題専門家として「擁護」した小堀桂一郎や、小堀に「唱和」した大原康男・櫻井よしこは「共産党の別働隊」(p.192)。小堀は共産主義者を防衛する「共産党シンジケートに所属している可能性が高い」(p.193)、小堀は「正真正銘のコミュニスト」(p.207)。宮沢俊義・杉村章三郎は「コミュニスト」(p.199)、中西輝政は「過激な天皇制廃止論者」(p.278)、小塩和人・御厨貴は「共産党員」(p.287)、杉原泰雄は「共産党員」(p.298)。
 これらの断定(一部は推定)には(西尾幹二批判はp.287、p.310)、ただちには同意しかねる。「コミュニスト」等についての厳密な意味は問題になるが。
 但し、永原慶二(p.213)と長谷川正安(p.298)を「共産党員」としているのは、当たっていると思われる。
 また、中川八洋のような、反米自立を強調・重視しているかにも見える西部邁らとは異なる、<英米>に信頼を寄せる保守派または「保守思想」家もあってよいものと思われる。かなり乱暴な?断定もあるが、<反共産主義>のきわめて明瞭な書き手でもある。反中国、反北朝鮮等の「保守」派論者は多くいても、「思想」レベルで明確な<反共>を語る論者は少なくないように思われ、その意味では貴重な存在だ、と見なしておくべきだろう。
 中川八洋の他の本でも見られるが、中川のルソー批判は厳しく、鋭い。ルソーの「人間不平等起原論」は「王制廃止/王殺しの『悪魔の煽動書』」であり(p.255-)、この本は「家族は不要、男女の関係はレイプが一番よい形態」とする「家族解体論」でもある(p.263)、また、中川は、ルソー→仏ジャコバン党〔ロベスピエールら〕→日本共産党→<男女共同参画><〔皇室典範〕有識者会議>という系譜を語りもする(p.259-)。
 さらに、つぎの二点の指摘はかなり妥当ではないかと思っている。
 一つは、「男女共同参画」政策・同法律に対する保守派の反対・批判が弱い(弱かった)、という旨の批判だ。「民族系」という語はなじみが薄いが、以下のごとし(p.268)
 「民族系の日本会議も、櫻井よしこの『国家基本問題研究所』も、共産革命のドグマ『ジェンダー・フリー社会』を非難・排撃する本を出版しようとの、問題意識も能力もない。民族系は、フェミニズム批判など朝飯前の、ハイレベルな知を豊潤に具備する英米系保守主義を排除する」が、それは「自らの知的下降と劣化を不可避にしている」。
 急激な少子化という国家衰退の一徴表は、(とくにマルクス主義的)フェミニズム(「男女共同参画」論を含む)に起因するのではないか。若年女性等の性的紊乱、堕胎(人工中絶)の多さ、若い親の幼児殺し等々につき、<保守>派はいったいいかなる分析をし、いかなる議論をしてきたのか、という疑問も持っている。別に書くことがあるだろう。
 もう一つは、憲法学界に関する、以下の叙述だ(p.298)
 「日本の大学におけるコークやバークやアクトンの研究と教育の欠如が、…、天皇制廃止の狂った学説が猖獗する極左革命状況に追い込んだ…。女性天皇/女性宮家など、今に至るも残る強い影響力をもつ、宮澤らの学説を日本から一掃するには、コーク/バーク/アクトン/ハイエクの学説をぶつける以外に手はない」。
 なお、1952年の日本の主権回復後の「約六十年、日本人は米国から歴史解釈を強制された事実は一つもない。問題は、歴史の解釈権が、日本人の共産党系歴史学者や日本の国籍をもつ北朝鮮人に占有された現実の方である」との叙述がある(p.288)。後半(第二文)はよいとしても、前者のように言えるだろうか、という疑問は生じる。「強制」という語の意味にもよるが、「共産党系」等でなくとも、日本人の<歴史認識>の内実・その変化等に対して、米国は一貫して注意・警戒の目を向けてきた、とも思われるからだ。

0911/反日声明署名者リストと最高裁の「劣化」?

 〇前々回に掲載した、2010.05.10「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/日本側署名者のリストを見ていて、種々の感想がわく(※付きは発起人)。
 大江健三郎鶴見俊輔という、歴史・日韓関係や国際法の専門家でも何でもない者が<日韓併合条約>無効と断じる声明に加わっている。二人は<九条の会>呼びかけ人として共通する。小田実、井上ひさしも、存命であれば加わっていたのだろう。

 東京大学教授・同名誉教授という肩書きが大学教授たちの中では目立つようだ。和田春樹※を始めとして、荒井献(名誉教授・聖書学)、石田雄(名誉教授・政治学)、板垣雄(名誉教授・イスラム学)、姜尚中(教授・政治学)、小森陽一※(教授・日本文学)、坂本義和※(名誉教授・国際政治)、高橋哲哉(教授・哲学)、外村大(准教授・朝鮮史)、宮地正人(名誉教授・日本史)。姜尚中も高橋哲哉もちゃんと(?)いた。大江健三郎等々をはじめ、出身大学を調べれば、東京大学関係者はさらに多いに違いない。

 東京大学所属だから、こういう声明にその<権威>を利用されるのか、それとも、東京大学所属(・出身者)には、他大学に比べて、この声明にも見られるような、一見良心的・「進歩的」な、<左翼・反日>主義者が多いのか?

 新聞・放送関係者で名を出しているのは、さすがに朝日新聞とNHKのみ。今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、小田川興※(元朝日新聞編集委員)、山室英男※(元NHK解説委員長)。
 それに、かつて「T・K生」というまるで在韓国の韓国人からの通信文かの如きニセ記事を連載し続けていた岩波書店の「世界」の現役編集長が発起人として堂々と名を出していることも特記されるべきだろう。岡本厚※(雑誌『世界』編集長)。

 その他、佐高信、吉見義明(中央大学教授・日本史)等々の「有名な」者たち。井筒和幸(映画監督)が<左傾>していることは知っていたが、これに名を出すとはエラくなったものだ。

 〇前回に書いたことの、余滴。

 参政権の所在・参政権者の範囲といった国家の基本問題について、司法権の頂点・最高裁判所の憲法「解釈」が誤っていれば、いったいその国家はどうなるのか。現行憲法・法制度上、最も<権威>または<現実的通用力>のある「解釈」を示すことができるのは、最高裁判所だ(日本ではこう呼ばれる。国によっては憲法裁判所)。いくらでも自由に批判し、判例変更を求めることはできるが、現行憲法・法制度上、最高裁の判決には誰も法的には異議申立てができない。否定も含めて変更をできるのは、最高裁判所自ら(但し、大法廷)に限られる(是正するための訴訟・主張方法等をも井上は書いているが省略)。

 井上薫は園部逸夫が関与した平成7年最高裁判決の「第二段落」に対して「裁判史上永遠に残る大失敗」と最大級の批難の言葉を投げつけているが、そのように批判しても、いかに井上らの「禁止説」の方が憲法「解釈」として正当であったとしても、最高裁が採用した「解釈」がいわゆる<有権的>解釈になってしまう。

 政治性をも帯びた重要な問題につき、最高裁が<道を外せば>、是正には相当の、あるいはきわめて厳しい困難さが残ってしまう。裁判所・裁判官の頂点にいる最高裁判所(・裁判官)の<劣化>をも、心ある国民は懸念し、怖れなければならないのではないか。

0910/井上薫・ここがおかしい外国人参政権(2010)読了。

 10/09に、井上薫・ここがおかしい外国人参政権(2010、文春新書)を一気に全読了。
 大きな注意を惹いておきたいことが一点、基本的な疑問点が一点ある。

 第一。傍論でいわゆる「許容説」を採ったと(ふつうは)理解されている最高裁1995年(平成07年)02.28判決につき、百地章らの保守派らしき論者の中には、<傍論にすぎず>、全体として「許容説」ではなく「禁止説」に立っていると理解すべき旨の主張がある。櫻井よしこも百地章らの影響を受けている。

 井上薫の上の本は、ごく常識的に、素直な日本語文の読み方として、上の最高裁判決は「許容説」=法律によって一定の外国人に地方参政権を付与することは憲法上許容されている(付与しないことも許容される=違憲ではない)という説に立つものと理解している(そしてそれを批判し、井上は「禁止説」に立つ)。
 憲法ではなく上記最高裁判決の「解釈」のレベルでの議論として、百地章の読み方(判決の「解釈」)や櫻井よしこの「読み」方にしばしば疑問を呈してきた。

 自らの憲法解釈に添うように憲法に関する最高裁判決を「解釈」したいという気持ちは分からなくはないが、そして上記最高裁判決が<推進派>の「錦の御旗」(井上p.67)になることを阻止したいという気持ちも理解できるが、法的議論としては、無理をしてはいけない。

 井上薫は書く。例えば、①上記最高裁判決の「中核」は「『定住外国人の地方参政権が憲法上禁止されていない』という点にあります」(p.80)。②上記最高裁判決は三段落からなり、「第二段落」は「外国人のうち…〔中略〕に対し、法律により選挙権を付与することは憲法上禁止されていない」という意味だ。「推進派の錦の御旗」は「憲法理論における『許容説』を採用した、第二段落の部分です」(p.89-90)(『』部分も判決の直接引用ではなく、井上による要約)。

 百地章らは(井上のいう)第一段落と第二段落とは「矛盾」しているとし、かつ第二段落は「傍論」として、全体としては、第一段落を重視して<禁止説>に立つ、と最高裁判決を「解釈」するが、同旨をこの欄ですでに述べているとおり、井上の読み方(理解・「解釈」)の方が素直で、常識的だ。

 従って、最高裁判決も<禁止説>だ、と(無理をして)主張するよりも、上記最高裁判決自体を批判すべきだ、ということになる。

 また、上記判決の「第二段落」=いわゆる「傍論」部分を主導したとされる園部逸夫裁判官(当時)の退官後の「証言(?)」を引き合いに出して上記判決の権威を事実上貶めようとすることも政治運動的には結構なことだが、何を当時の裁判官が喋ったところで、かつての最高裁判決の法的意味が消滅したり変化するわけでもない(このこともいつか書いた)。

 第二。井上薫は憲法解釈として「禁止説」を採り、上記最高裁判決を批判する。その結論自体に賛同はするが、論旨・議論の過程には疑問もある。

 井上は、他のこの人の本にすでに書いていることだが、判決理由中の(判決の)「主文を導く関係にない部分」を(関係のある「要部」に対して)「蛇足」と呼び、そのような蛇足を含む判決を「蛇足判決」と称する(p.103)。そして、これこそが重要だが、「蛇足」(を付けること)は「実は違法」で、「蛇足判決は先例にも判例にもならない」、という「蛇足判決理論」なるものを主張する(p.119)。

 そのうえで、上記最高裁判決の「第二段落は蛇足だ」(p.126の小見出し)とし、第二段落は「裁判所の違法行為の産物」で、「後世の人が先例と見なしたり、判例として尊重するということは、許されない」と断じる(p.130)。

 上の結論的部分に全面的には賛同できないのだが、それはさて措くとかりにしても、例えば次の一文は自己の「理論」に対する<買いかぶり>ではないだろうか?

 「こうして〔外国人地方参政権付与〕推進派の根拠は、蛇足判決理論によって完膚なきまでに破壊されました」(p.137)。

 外国人参政権付与法案の上程かという切羽詰まった時期になって、あらためて関係最高裁判決の「読み方」に関する議論やその最高裁判決も一つとする憲法「解釈」論の展開があったりして、外国人地方参政権付与推進派が勢いを減じていることは確かだろうが、推進派の「根拠」が「完膚なきまでに破壊され」ているとはとても思えない。

 また、かりに勢いが大きく減じているとしても、そのことが井上の「蛇足判決理論」による、とはとても思われない。

 以上が、読後に感じた、重要な二点だ。

 「蛇足」をさらに二点。第一に、井上は上記最高裁判決の「第二段落」を「裁判史上永遠に残る大失敗」と断じ、「園部裁判官の空しい弁解」との見出しも付ける(p.129、p.130)。

 すでに述べたことだが、客観的には、園部逸夫は<晩節を汚した>と言ってよいだろう。「韓国や朝鮮から強制連行してきた人たち」を「なだめる意味」、「政治的配慮があった」、日韓関係についての「思い入れ」があった、等と述べたようだが(p.133-4)、判決後にこんなことを(いくら内心で思っていても)口外してしまうこと自体が異様・異常だ。なお、1929年生まれで、私のいう<特殊な世代(1930~1935年生)>(最も強く占領期の「平和・民主主義」・「反日〔>反日本軍国主義〕・自虐」教育を受けた世代)にもほとんど近い。
 第二。判決理由中の「蛇足」部分は(あるいはそれを付けることは)「違法」で、「先例、判例」として無意味だ、と言い切れるのか?

 井上はいくつかの例を挙げており、その趣旨はかなりよく分かるが、しかし、例えば、議員選挙の無効訴訟における請求棄却判決が、理由中で定数配分規定をいったん違憲=憲法14条違反だと述べることは(請求棄却という結論とは無関係だから)「違法」で、<判例>としての意味はないのだろうか?

 「蛇足判決理論」についての、井上以外の他の専門家の意見も知りたいものだ。

0864/外国人(地方)参政権問題-あらためて、その1。

 1 外国人参政権に関する最高裁平成7年2月28日判決に関与した元最高裁裁判官の園部逸夫、および園部を批判している百地章の議論については、すでに一度だけ触れた(3月14日エントリー)。

 このときは日本会議・月刊「日本の息吹」3月号というマイナーな(?)雑誌又は冊子に載っていた百地章の文章を手がかりに、産経新聞2/19の記事と絡めて書いた。

 月刊WiLL3月号(ワック)に、百地章「外国人参政権・園部元最高裁判事の俗論」がある(p.203)。こちらの方が、長く、より正確な百地の論考のようだ。
 月刊「日本の息吹」3月号では園部見解の典拠の一つは「日本自治体法務研究」とされていたが、正確には、「自治体法務研究」という雑誌(9号、2007夏)。
 2 あらためての感想の第一は、やはり園部逸夫という人物の<いかがわしさ>になる。裁判官時代は優れた、まともな人だったのかもしれない。だが、あくまで百地章による紹介・引用を信頼して感じるのだが、少なくとも自分が関与した上記最高裁判決に関するその後の園部の発言ぶりは、異様だ。

 前回(3/14)、百地が紹介しているとおりならば、「そのような『法の世界から離れた俗論』にすぎないとされる『傍論』を含む判決理由の作成に参画し合意したのは園部自身ではないか、という奇怪なことになる」と書いた。かつての自分を批判することになることを元最高裁裁判官が言うのだろうか、という思いが、<奇怪なこと>という表現になっていて、まさか…という気分が全くないではなかった。

 しかし、今回の百地章の文章を読んで、まさにその<奇怪なこと>を園部逸夫はしている、と断定してよいものと思われる。

 関心の高い人にはすでに無意味・無駄かもしれないが、整理・確認の意味を含めて、百地の文章から、園部逸夫発言を抜き出す。

 ①朝日新聞1999年6月24日-上記最高裁判決で「傍論を述べて立法に期待した」。

 ②自治体法務研究2007夏号-所謂傍論部分を「傍論…としたり、重視したりするのは、主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である」。
 ③A・産経新聞2010年2月19日-所謂傍論部分には「政治的配慮があった」。

  B・阿比留瑠比ブログ2010年2月19日-所謂傍論部分は「確かに本筋の意見ではないですよね。つけなくても良かったかもしれません」、「なくてもいいんだ」。

 筆者(秋月)が直接に確認できるのは③A・Bだけだが、とりわけ、①と②の間には、私の理解ではより正確には、最高裁判決そのものと②の間には、異常な懸隔、この上もない奇怪さがある。自分が関与した(しかも「主導した」とすら言われる)判決部分について、「傍論…としたり、重視」するのは「法の世界から離れた俗論である」と言ってしまえる感覚・神経は尋常のものではない。

 3 私は上記最高裁判決の論理は成り立ちうるもので、「矛盾」しているとまでは言えない、と理解している。この点につき、百地章は「論理的に矛盾」している旨を詳論している。

 同趣旨のことは別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本がなくなる日(宝島社、2010.04)の「百地章先生に聞く! いちからわかる憲法違反の外国人参政権」でも、「…傍論だし、しかも本論と傍論は矛盾している」(p.72)と述べられている。

 潮匡人に対する批判的コメントをしたりもしたが(その前には渡部昇一をとり挙げた)、広くは<仲間>だと主観的・個人的には考えている者の述べていることに(<仲間うちの喧嘩>のごとく)逐一反論しない方がよいのかもしれない。しかし、私のような理解(判例解釈)も成り立つとなお考えているので、簡単に述べておく。

 上記最高裁判決の、百地のいう「本論」(理由づけ)は、そのままに全文を引用すると次のとおり。①・②…は秋月による挿入。

 <〔①〕憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。〔②〕そして、地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年(オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。」
 そしてこのあと、「〔③〕このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、…」と冒頭でまとめたあとで、所謂<傍論>へとつなげている。

 百地章も認めているように(月刊WiLL5月号p.205)、上のとくに②・③は、「外国人への参政権付与は、たとえ地方選挙権であっても認められない(禁止される)」とは「明言していない」。

 それを百地は、上の前段の「」内のように最高裁判決(本論)を<解釈>しているのだ。百地がp.210で「」付きでまとめている「本論」は、判決文そのものの引用ではなく、百地の<解釈>を経たものにすぎない。そして、これは成り立つかもしれない一つの(最高裁判決の)<解釈>なのかもしれない。

 しかしながら、少なくとも、絶対的にそのような内容の解釈しか出てこない、という文章ではない、と私は読んで(解釈して)いる。

 最高裁の上の文章で明確に述べられているのは、憲法93条2項は「我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」(②)、同じことだが、「我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえない」(③)ということだけだ。

 これを、憲法(93条2項)は積極的に(地方参政権を)付与していない、とだけ<解釈>し、法律でもって付与することは憲法上「禁止されているものではない」(許容されている)〔所謂<傍論>中〕とつなげることは、決して<論理矛盾>ではない、と思われる。
 つまり百地章はすでに特定の解釈を加えて<本論>を理解し、そのうえで<傍論>と「論理的に矛盾」している、と主張しているわけだ。

 上のような<特定の解釈>を採用すれば、たしかに「矛盾」している。しかし、そもそもそのような前提に立たなければ、「矛盾」しているとは言えないだろう。

 本来は些細な問題かもしれない。あるいは、<政治的には>百地見解に従っておけばよいのかもしれない。だが、日本文の読み方として、いずれが適切な、または自然なものなのか、百地先生の教えをあらためて乞いたいものだ。 

0844/外国人(地方)参政権問題・その2。

 一 産経新聞2/19朝刊一面トップは「参政権付与は在日想定」等の見出しで、一定の外国人への地方参政権付与は違憲ではない(付与しなくても違憲でもなく法律レベルで判断できる)旨の「傍論」を明記した平成07.02.28最高裁判決の際の最高裁裁判官の一人だった園部逸夫への取材(インタビュー?)結果を紹介した。そして、園部見解は「外国人参政権推進派にとっては、大きな打撃」になるとの評価を強調しているように読める(署名は小島優)。
 また、かつて上記最高裁判決「傍論」の論旨にあたるいわゆる「部分的許容説」を採っていた憲法学者(中央大学・長尾一紘)が反省しているらしいことも含めて挙げて、翌2/20の産経新聞社説はあらためて<外国人参政権付与>反対を述べた。見出しは「付与の法的根拠が崩れた」。
 こういう報道や主張自体を問題視するつもりは、むろんない。
 但し、厳密には、「付与の法的根拠が崩れた」とまでは言えないだろう。
 なぜなら、平成7年最高裁判決は何ら変更されていないし、その「傍論」部分を否定する新しい最高裁判決は出ていないからだ。
 かりに園部逸夫が「主導的役割を果たしたとされる」(2/19)のが事実だとしても、その園部がのちに何と発言しようと、最高裁判決自体(「傍論」を含む)が取消されるわけではない。問題の最高裁判決の理由(「傍論」を含む)は5名の裁判官が一致した見解として書かれたもので、その内容を修正・限定するいかなる法的権能も、現在は私人にすぎない園部にあるはずがない。
 それにしても、1929年生まれで、私のいう<特殊な世代>(占領期の「特殊な」教育を少年・青年期に注入された、1930-35年生まれの世代。大江健三郎等々を含む)にほとんど近い園部逸夫とはいかなる人物なのか。
 問題の「傍論」部分には「(在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的配慮があった」と明言したらしい。
 5人の裁判官の合意の上で書かれたはずの文章部分について、当時の裁判長でもない一人の裁判官だったはずなのに(裁判長であっても許されないが)あとからその趣旨・意図を解説してみせる、というのは、取材記者による誘導があったかもしれないが、かなり異常だ。
 判決理由中で書かれた文章が客観的に社会に残されたすべてであるはずなのに、他の4人に相談することもなく(?)一人で勝手に注釈をつけるのはどうかしているし、その内容も異様だ。
 この点では、テレビ中継は見ていないが、産経新聞3/6によると枝野幸男(行政刷新相)が参院予算委員会で語ったという、「政治的配慮に基づいて判決したのは最高裁判事としてあるまじき行為だ」との批判は当たっている。
 「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法76条3項)という裁判官の職責に抵触していない、「良心」と<政治的>配慮は区別し難い場合もあるから、という反論・釈明は可能かもしれないし、もともと園部逸夫の発言の趣旨が厳密に正確に報道されたのか、という問題もあるかもしれない。
 しかし、紙面によるかぎりは、園部逸夫という人が、最高裁裁判官だった者としてふさわしくない発言をしているのは確かだ。
 そして、最高裁裁判官になった人ですら、ひいては最高裁判決ですら<政治的>配慮をすることがある、ということを(あらためて?)一般に知らしめた、ということでも興味深い。
 園部逸夫の歴史認識には正確でないところがあるようだが、いずれにせよ、朝鮮人・韓国人に対する<贖罪意識>が基礎にあるように推察される。そして、かかる<贖罪意識>は、上に触れた<特殊な世代>のみならず、そのような世代の意識を継承した、またはそのような世代によって教育を受けた、より若い世代にも―裁判官を含む専門法曹の中にも―広く蔓延している、と見られる。
 この(中国人に対するものも含む)<贖罪意識>と、日本「国」民ではない多様な文化を背景とする人々との「共生」、<多文化共生社会>を目指そうという一種のイデオロギー-後者は「ナショナルなもの」の無視・否定という戦後の大きな<思潮>に含まれる、またはそこから派生している―が、外国人(地方)参政権付与「運動」の心理的・精神的支柱に他ならないだろう。
 二 某神社(神宮)のグッズ販売所(?)のカウンターに、日本会議という団体発行の月刊「日本の息吹」3月号というのが自由にお取り下さいという感じで置かれてあったので、初めて見たこの雑誌(冊子)を持ち帰り、少し読んだ(ひょっとして有料だったのか?)。
 百地章が「提唱者も否定した外国人参政権」という一文を寄せている(p.12-13)。
 提唱者=長尾一紘も改説して「否定」し、当事者として「主導したと思われる」園部逸夫元裁判官もいわゆる「傍論」を「批判」している、という。
 百地章によると、園部逸夫は三年前の某雑誌(日本自治体法務研究9号、2007年)で、「この傍論を重視するのは俗論である」と「批判」したらしい。百地は「園部氏もさすがに傍論が一人歩きしているのはまずいと多少は責任を感じられたのでしょうか」、「となれば…傍論の当事者たる裁判官によっても否定されたことになります」と続けている。
 二つの感想が湧く。まず第一に、叙上のとおり、いったん書かれた判決理由がすべてであって、裁判官を退いてから、あとで何らかの修正・限定をしようとしているとすれば、そのような文章を書いた園部逸夫は異様だ。それに、百地引用部分のかぎりでは、「傍論を重視する」、「俗論」の意味がいずれも明瞭ではない。前者は要するに<程度>問題だと思われるし、後者の「俗論」とはいかなる意味の言葉なのかもはっきりしない。傍論は「法の世界から離れた俗論」だと言うならば、また、園部は「主観的な批評に過ぎず…」とも書いているらしいが、このような「傍論」の理解は奇妙だと考えられるし、そもそもそのような「法の世界から離れた俗論」にすぎないとされる「傍論」を含む判決理由の作成に参画し合意したのは園部自身ではないか、という奇怪なことになる。
 つぎに、百地章は「したがって部分的許容説はもはや崩壊したも同然です」とまとめているが、ここで「崩壊したも同然」とだけ書かれ、「崩壊した」と断定されていないことに、(少なくとも法的には)注目される必要がある。
 百地章も認めるだろうように、平成7年最高裁判決は変更・否定されずにまだ「生きて」いるのだ。
 提唱学者が改説し、当事者裁判官の一人がその意味を減じさせようとするかのごとき発言をした、と書いて、あるいは報道して、その<政治的>意味をなくそう(または減じさせよう)とすることに反対するつもりはない。だが、平成7年最高裁判決が法律による参政権付与を許容する「一定の在日外国人」の範囲は同判決の文言に照らして厳密に検討する必要があるとしても、「法的」(あるいは「判例」としての)意味が完全になくならないかぎりは、それはなおも<政治的>意味を完全には失わないだろう。
 心ある法学者または憲法研究者がなすべきことは、<傍論>にすぎないとか、提唱者や当事者裁判官も否定・批判(疑問視)しているとかと言い募ることではなく、憲法解釈論としていわゆる「傍論」部分を正面から批判し、判例変更を堂々と主張し要求することではないか、と思われる。
 平成7年最高裁判決について、主文に直接につながる部分と「傍論」とは<矛盾>している、と批判する<保守派>の論調もあるようだ(百地章も上の文章の中で「この奇妙で矛盾した傍論」と書いている)。
 だが、憲法上は権利として保障(付与)されていないが法律で付与することは違憲ではない(法律で付与しなくても違憲ではない)という論理は一般論としては成り立つものだ。憲法上の「人権」等として保障されていなくとも、法律レベルで具体的権利が付与されている例はいくらでもある。
 憲法15条のみの問題として把握するのではなく、国政と地方政治(地方行政)は同一ではないことを持ち出して、憲法92条(「地方自治の本旨」)・93条(「住民」)上のいわば白紙部分を法律で補充することを容認する、という憲法解釈を採用することがまったく不可能とは思えない(そして、そのような旨をいわゆる「傍論」は明言したことになる)。
 このことをふまえたうえで、国政と地方政治(地方行政)は同一ではないが、いずれも広義には「国家」の統治作用であり、明瞭に区別することはできない(=地方政治・行政も狭義の「国」政と無関係ではなく、影響を与える)、等々の議論をして、平成7年最高裁判決のいわゆる「傍論」部分を正面から問題視することの方が、よりまっとうでまともな議論の仕方だろう。
 遅ればせながらの、かつ傍流(?)的感想として。

0690/中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007)による日本の憲法学界批判。

 中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007.01)は、中川の皇室問題三部作の三冊め。ほぼ読了した。
 皇室問題・皇室典範の改正の方向に関する議論もさることながら、現憲法の天皇条項に関する園部逸夫・宮沢俊義の解釈批判に関連して多く語られている、現在の憲法学界に対する「怨嗟」とでもいうべき批判の仕方はすさまじい。
 例えば、p.110-「共産党であることを隠し続けた(憲法ではなく行政法だが)園部逸夫タイプも多いが、杉原泰雄長谷川正安奥平康弘横田耕一辻村みよ子…などのように、自分が共産党であることを隠そうとしないものもいる」。「後者の一群の中でも、いっさいのアカデミズムをかなぐり捨てて、フランス革命期の革命家気取りは、何といっても、横田と辻村の右に出るものはいない。自分を『ルソーの高弟』とか『ヴォルテールの愛弟子』と妄想しているのが横田耕一。自分を”大量殺人鬼”ロベスピエールの革命を助けている『ロベスピエールの愛人』だと毎夜夢想し恍惚に耽るのが辻村みよ子」。
 組織(日本共産党)所属問題は俄には信頼できないが(長谷川正安のように間違いないと見られる者もいるが)、舌鋒の激しさ、鋭さはスゴい。
 批判のための表現・言葉の問題は別としても、中川八洋は重要な問題提起をしていることは疑いえない。とりあえず挙げれば、例えば-。
 ①<国民主権>原理は(イスラム圏については知らないが)普遍的にどの国でも現在では憲法上採用されているように思ってしまっているが、そうではない、米国憲法は<国民主権>を意識的に排斥した、とする。宮沢俊義がアメリカ独立宣言やその当時の諸州の憲法が「国民主権主義」を明文で定めたと書いている(1955)のは「嘘宣伝(プロパガンダ)」だという(p.208)。また、英国もこの原理を採用していないとされる。
 「国民が主人公」とやらの日本の民主党のかつての?スローガンは<国民主権>の言い換えのつもりなのだろうが、日本国憲法における「国民主権」の厳密な意味は「民主主義」(・「民意」)とともにあらためて問われる必要がある(「国民主権」か「人民主権」かという辻村みよ子の好きな論点以前の問題として)。むろんこれは、<天皇制度>にもかかわる。
 ②「法の支配」の意味の正確な理解。中川によると「正しく知る」ものが「日本に一人でも存在するか」疑問だ(p.248)。中川は前東京大学教授(憲法)・高橋和之の<法の支配>に関する叙述の一部を引用して、「中学生レベルの抱腹絶倒の珍説で、論評する気が失せる」とまで述べる(p.253)。
 中川によれば、(ボッブズやロックではなく)英国のコウク卿(英国法提要・判例集)、ブラックストーン(イギリス法釈義)の流れの「法の支配」を採用しているのがアメリカ憲法で、「デモクラシーの暴走を、未然に防」ぐことにその基本的要素の一つがある。
 ③「立憲主義」の意味(「国民主権」との関係)。中川によると、「立憲主義」と「国民主権」とは両立しない。<憲法>が全ての機関・人間を拘束するのが<立憲主義>なので、「最高の権力」の意味での「主権」概念は(「国民主権」も含めて)当然に否定される(p.288)。
 「日本の憲法学は、本心では、確信犯的に、”立憲主義”を否定・排除するイデオロギーに立脚している。…フランス革命から生まれた革命スローガン『国民主権』と『憲法制定権力』を全否定しない説は、”立憲主義を殺す”反憲法の教理である。日本の憲法学は、恐ろしいことに、この反憲法の教理に基づいている。/『国民主権』や『憲法制定権力』を神格化して、”立憲主義を殺す”反憲法学の極みとなった、逆立ちする日本の憲法学は、『憲法=立法者の絶対命令』とする、異様な命令法学に畸形化している」(p.289)。
 「命令法学」の意味に立ち入らない。何とも挑発的で刺激的な本だ。もっとも、憲法学アカデミズム以外の者による批判として、日本の憲法学者たちは、かりに中川のこの本とその内容を知っても、おそらく完全に無視し続けるのだろう

0565/佐藤優における皇室に関する「設計主義」、「構築主義」、「合理主義」とは?

 佐藤優は、月刊・正論7月号(文藝春秋)に、―②の最後の「南朝精神」を取り戻せ旨の主張は私には理解不能だが(反対との趣旨ではない)―こんなことを書いている(p.214)。
 ①「女帝論という形で皇統を内側から壊す危険性がある人権思想、近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試みなどの背景には、人間の理性に対する全面的信頼を基礎として、皇室を『設計』し、『構築』しようとする思想が存在する。このような設計主義、構築主義が日本国家を内側から蝕んでいる」。
 ②「皇室を人知によって改革するなどという 合理主義に冒された発想を捨て」、「南朝精神を有識者がとりもどすことが喫緊の課題」だ。
 ①の中にある、「近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試み」とは八木秀次のそれを指しているだろう(なお、神武天皇や2代~8代天皇実在説に立っても、神武天皇から今上天皇まで「万世一系」かどうかは、安本美典の関心の外にあるテーマだが、別の議論が必要だ)。
 他に、園部逸夫らが委員として関与した、皇室の将来に関する有識者懇談会の報告書(正式名称を確認していない)を批判しているだろうことは、たぶん間違いない。
 皇太子妃問題(?)に関する最近の一部の有識者の発言も、「設計主義」、「構築主義」、「合理主義」として批判の対象としているのか(又はそうなるのか)否かを、訊ねてみたいものだ。
 なお、佐藤優が引用する南朝側の北畠親房の文章の一部は次のとおり。
 「人はとかく過去を忘れがち」だが、「天は決して正理をふみはずしていないことに気づくだろう」。何故天は現実を「正しい姿」にしないのかとの疑問を持つ者もいようが、「人の幸・不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一時の災難ともいうべきものである」。「天も神も」いかんともし難いことはあるが、「悪人は短時日のうちに滅び、乱世もいつしか正しき姿にかえる」。これは「昔も今も変わることなき真理」だ(「神皇正統記」日本の名著9(中央公論社、1971)p.445)。

0496/幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か-再述。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11、伊勢神宮崇敬会叢書1)に言及した昨日同時刻の書き込みには、この本の文章の位置づけ等に関して一部不正確なところがあった。第二の方に関係する。
 神鏡は伊勢神宮に在り、それは天皇(家)の私有財産であることを「前提として」とこの書の一部を引用したが、「神宮制度是正問題」(p.13~)を読んでいて、「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」との感想・疑問・主張は、昭和32年度に発生した「神宮制度是正問題」の当初の頃のものだと判った。順番は逆で、このような問いかけの結果、独立後8年以上も経って!、神鏡は「皇位」とともに存在する、天皇の(私有)財産であることを政府が認めた、のだった。
 そしてまた、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」というのもその当時の当初の態度で、下記のとおり、国会での正式な回答を池田勇人内閣が行っている。
 上記書のうち「神宮制度是正問題」(p.13~)の本文はこの問題の経緯概要をまとめた14頁半で、計63頁のうち48頁半は<関係資料>の掲載に充てられている。
 まず上の感想・疑問・主張に該当する国会議員(三重県選出・浜地民平)の質問書(1960.10.8)は要約すると以下のとおり(p.59~p.60)。
 ①伊勢神宮に「奉祀」されている神鏡は天皇と宗教法人のいずれの所有か、が曖昧では困る。「天皇の御位と不可分の関係」にあると信じるが政府の解釈いかん。
 ②「天皇の御鏡」だとすると神宮が「お預かりする」状態だが、法的には「お預かりする」とはいかなる関係か(「寄託」との学説もある)。
 ③どう法的に解しようと伊勢神宮が「お預かり」していることに間違いない。とすると、政府は「神宮当局者に対して、心得なり条件なりを明示しておくべきだと思う」が、いかに考えるか。
 この質問書に対して、当時の首相・池田勇人は答弁書を作成した(1960.10.24官報号外・衆議院会議録)。ここで示された理解が、おそらく今日まで生きているものと思われる。やや長くなるかもしれないが、できるだけ引用しておく(p.61-62、①~③は上に対応する)。
 ①「伊勢の神宮に奉祀されている神鏡は、皇祖が皇孫にお授けになった八咫鏡であって、…五十鈴川上に奉祀せしめられた沿革を有するものであって、天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである。したがって、皇室経済法第七条の規定にいう『皇位とともに伝わるべき由緒ある物』として、皇居内に奉安されている形式の宝鏡とともに、その御本体である伊勢の神鏡も、皇位とともに伝わるものと解すべきであると思う」。
 ②「伊勢の神鏡は、その起源、沿革等にかんがみ神宮にその所有権があると解し得ないことは明らかであると思う」が、「民法上の寄託等」と解するかどうかは「なお慎重に検討を要する」。「要するに、神宮がその御本質を無視して、自由に処置するごときのできない特殊な御存在だと思う」。
 ③「神鏡の御本質、沿革等については、神宮当局の十分承知しているところであり、神宮は、従来その歴史的伝統を尊重してきたが、新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている次第もあり、現状において特にあらためて心得等を指示される必要はないと思う」。
 さて、第一に、かかる政府見解が、1945年の<神道指令>以降ほぼ15年、主権回復後8年以上を経てようやく出されていること自体が、まず驚くべきことだろう。何とも曖昧な状態のまま、よくぞ10数年も持ちこたえたものだと妙に感心しさえする。
 第二に、天皇の財産を伊勢の神宮が「お預かり」していることの根拠、神宮に格別の「心得等」を指示する必要のないことの根拠を、政府自体が、「神鏡」の「本質」・「起源、沿革等」という歴史的・伝統的なものに求めている、ということに注目したい。なぜ伊勢の神宮が?と「合理的(理性的)」な問いを発しても無駄なのだ。<古(いにしえ)からそうなっている>としか答えようがないものと思われる。
 第三に、「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ということを、政府が公的に確認していることも重要だ。
 第四に、上の政府見解(1960年池田見解)は、「神鏡」の所有権の帰属、その<管理>の仕方に関するもので、神宮での<祭祀>、それと密接に関係する皇居内での<祭祀>の法的性格や費用負担の問題に触れるものではないことを確認しておく必要があるだろう。
 上に第三点として述べたことの反復だが、政府も「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ことを知っており、かつ肯定している、と言ってよい。しかるに、この「連絡協議」にかかわる天皇・皇族の行為の<性格>はいったいいかなるものなのか? 現在の実務ではすべて「私的」行為として扱っているのだろうが、<奇妙>に思えることは既に何度も書いた。
 が、いずれにせよ、伊勢の神宮が、天皇(・皇室)との関係において、神社の中でも<特別の>位置を占めていることは明らかだ。その神宮を一私的法人(宗教法人)としてしか観念できないのは、天皇(・皇室)の神宮への行為を「私的」行為としてしか捉えないことの延長にある。そしてまた、憲法上採用されている<天皇制度>はかくも厳格に天皇(・皇室)の「公」的地位・「公」的立場と神道・神宮等にかかわる「私的」行為とを峻別することを要求されなければならないのか、そのような憲法解釈は憲法第一章を憲法20条に一方的に従属させるもので、<総合的で合理的な憲法解釈>とは言えないのではないか、との疑問が(すでに書いているが)生じる。
 ついでに、資料中に載っている(p.32-33)、昭和20年7月31日の「木戸日記」の中に見える昭和天皇の発言も興味深いものがある。
 木戸によると、上の月日に昭和天皇は「大要」次のように語られた、という(カタカナをひらがなに変えている)。
 <伊勢大神宮のことは、誠に重大なことと思ひ、種々考えていたが、伊勢と熱田の神器は、結局自分の身近に御移して、御守りするのが一番よいと思ふ。(中略)度々御移するのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で、考えてはどうかと思ふ。(中略)万一の場合には、自分が御守りして、運命を共にする外ないと思ふ。
 昭和20年7月31日という<時期>が正確に理解できないとこの発言の正確な趣旨も理解できないだろうが、昭和天皇が連綿と継承されてきた「伊勢と熱田の神器」のことを深く憂慮し
、「自分の身近に御移して、御守りする」意向を示していたことは明らかだ。
 
「万一の場合には、自分が御守りして、運命を共ににする外ないと思ふ。」における「万一の場合」はいろいろに想像できる。いずれにせよ、そのように「伊勢と熱田の神器」について語っていた昭和天皇にもつながる<天皇制度>自体は、現憲法のもとでも解体・廃止されておらず、「世襲」との(血統に意味を認め平等原則とも矛盾する)<不合理な(非理性的な)>言葉も憲法に明記されつつ、現に存続していることに留意しておく必要があろう。
 なお、幡掛正浩は、執筆当時、伊勢神宮崇敬会理事長。昭和32年頃は「さんざんに東京と伊勢で二挺櫓を漕がされ、くたくたになって敗退した〔神社本庁の?〕庶務課長」だった、という(p.9)。園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)は多数の関係文献を巻末に掲載しているが、この幡掛の本を記載していないのは、些か不思議だ。 

0494/日本にとって伊勢神宮とは何か。三種の神器が私(宗教)法人に在ってよいのか。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11)という計80頁の小さな本がある。「はしがき」実質3頁、「日本国家にとって『神宮』とは何か」実質5頁、「神宮制度是正問題」実質63頁、「あとがき」実質3頁。
 最も長い「神宮制度是正問題」を未読だが、その前の書名と同名の章の中に、私にはすでに刺激的な文章がある。
 第一。そもそも「式年遷宮」について、日本国民の何%が知っているだろうか。若い世代ほど知らないに違いない。かく言う私もいつ知ったのかを書くことが憚られる。
 上の本p.6-7は前回・1993年の「式年遷宮」のうち内宮の遷御について書く。-「実況をするのは三重テレビだけで、NHKほか民放はニュースですませ、実況を映すのは、…消灯した十一時台だという。/…これでは国民的関心といふ点からは『無視』に近い――と言えば言ひ過ぎだろうか」。
 (伊勢)神宮の「式年遷宮」は一宗教法人(一私人)の行為で長時間の生中継などすれば<政教分離原則>に反して公平でないし、また神道以外の宗教関係者や「左翼」的立場から天皇制度(と伊勢神宮の関係)に批判的な者たちからのクレームが多数寄せられそうだ、というようなマスコミ(・テレビ)関係者の<思考>・<思惑>を推測することができる。
 だが、伊勢神宮の「式年遷宮」は一宗教法人の「私的」行為なのか? いつぞやも書いたように正確には天皇(・皇室)の祭祀行為の一つと考えられ、少なくとも天皇(・皇室)と密接不可分の行事(祭事)であることは明らかだ。そして、現憲法上も、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の<象徴>ではないのか。とすると、一宗教法人の「私的」行為の如き扱いをするのは決定的に間違っているのではないのか、という問題関心が再び強く蘇ってくる。
 第二。既述のことだが、三種の神器のうち「鏡」(宝鏡・神鏡)の本体(本物)は伊勢神宮に存置されている(「剣」は熱田神宮)。そして、これも園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)に主として即して既に記したが、皇室経済法により、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の代表的又は最も貴重な?物として、三種の神器は天皇(家)の「私物」=「私有財産」とされている。
 これらを前提として、上の本p.8-9は以下の旨を書く。-そのような貴重な天皇(家)の財産の一つを、伊勢神宮という一宗教法人に<預けて>よいのか? より正確に引用すると-「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」。
 たしかにこれはもっともな感想・疑問・主張だ。基本的な問題の出発点は、<天皇制度>と密接不可分の神道が他の宗教と同レベルの<宗教>と見なされつつ、一方で憲法上も<天皇制度>は厳としてなお存続している、ということにある。
 なお、上の問いを伊勢神宮・式年遷宮奉賛会・神社本庁の三者名義で宮内庁に正式に発しようとしたところ、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」という(p.9)。この本は初版が1995年だが、現在の2008年でも、問題は何ら解決・改善されておらず、宮内庁の態度も上のようなものではないかと推察される。
 このような状態でよいのか。憲法学者の殆どが、現在の自衛隊の装備・「戦力」や東アジアの軍事情勢を知らないままで憲法九条を論じているように、憲法学者の殆どは、天皇(・皇室)と伊勢神宮(等)との間の密接不可分さの歴史・現況の詳細を知らないままで、憲法20条・政教分離を論じているのではないか。
 次回の式年遷宮は2013年であと5年後。鎮地祭(一般の地鎮祭にあたるもの)が行われた、という小さな記事が載っているのを、産経新聞では見た。

0480/天皇・神道・政教分離-つづき4。園部逸夫・皇室制度(2007)。

 皇室・神道・政教分離の関係の問題(・現況)のいくつかにつき、以下、園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007)による。園部逸夫(1929~)は元大学(法学部)教授・下級裁判所裁判官・大学教授・最高裁裁判官・大学教授といった経歴で、女系天皇容認の旨の<皇室典範有識者会議>の重要メンバーだったことで評判を悪くした面はあるが、皇室にかかわる現行(法)制度の説明や関係議論・学説の整理という点では少なくとも信頼できると考えられる。
 〇皇室の「財産」 敗戦前又は新憲法以前には天皇(・皇族)は皇居も含めて広く<私有財産>を有していたようだが、GHQの方針や新憲法施行の結果、天皇(・皇室)の①「公的活動」にかかわる財産や②「生活」にかかわる財産、③「皇室とともに伝えられてきた」財産はほとんど国有財産とされる。より正確には、国有財産は「行政財産」と「普通財産」に二分されるが、前者「行政財産」の一種としての「皇室用財産」として、天皇・皇室の利用に供されている(国有財産法による。「行政財産」には他に「公共用財産」・「公用財産」等の種別がある)。
 園部によると、①・②として皇居・御所・御用邸・御用地があり、「宮殿」は①に、「京都御所、桂離宮・修学院離宮、正倉院、陵墓」等は③に位置づけられる。天皇・皇室の利用の仕方に制限がない、という訳ではもちろん、ない。
 一方、天皇又は皇族の「純然たる私産」がなおある。①「ご由緒物」と②「お身の廻り品」だ(他に③現金もある)。前者の①に、「三種の神器、壺切りの御剣、宮中三殿、東山御文庫、皇后陛下のの宝冠類、…ご肖像画、屏風類」等がある。処分(とくに①についてだろう)には憲法8条による法的制約がある(以上、園部p.277-281、p.274)。
 ここでコメントを挿む。「三種の神器」と「宮中三殿」、とくに後者が天皇(等?)の<私有財産>とされていることは重要なポイントだ。「宮中三殿」の三殿の再述はしないが、いずれも<ご神体>が存置された<祭祀>の場所だ。そしてこれが国有財産(>皇室用財産)とされていないのは、その<宗教的>性格によるものと推察される(園部による明記はない)。政教分離原則により、神道(という<宗教>)関係施設を直接に国有にはできない、ということなのだろう。
 だが、仔細は知らないが、皇居の中に、そして「宮殿」の内部又は直近に「宮中三殿」はある筈だ(だからこそ「宮中…」と称するのだろう)。だとすれば、国有財産に囲まれて、それに保護されるように天皇(等?)の<私有財産>があることになる。
 さらに厳密に考えると「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産なのか「私産」なのか不明なのだが、敷地(土地)も<私有財産>だとすると、そのような<宗教用>の土地が戦後に天皇(・皇室)に無償で払い下げられたことになるが、それは特定の<宗教>を優遇したことにならないのか?
 また、「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産で建造物(上物)だけが<私有財産>なのだとすると、天皇(・皇室)は何らかの権原がなければその敷地(土地)を利用できない筈で、国有財産たる土地を無償で利用できる権利(無償の借地権(賃借権又は地上権))??、それとも国有財産の「占用(又は使用)許可」??)が国から付与されていることになる。その利用が<宗教>儀礼(=祭祀)だとすると、そのような優遇は、やはり特定の<宗教>を優遇していることになり、政教分離原則に反しないのか?
 <大ウソ>が基本にあると<細かなウソ>に分解されていくもので、「宮中三殿」(かりに建造物だけでも)は天皇(・皇室)の私有財産だと割り切ることによって、政教分離原則との抵触をすっきりと回避できるとは、とても考えられない。やはり、現憲法では国家・国民統合の象徴とされる天皇(・皇室)が歴史的・伝統的に10数世紀を超えて長らく行ってきた祭祀のための施設だ、という点を考慮し、強調しないかぎりは、圧倒的に広い国有財産たる区域の中に私有財産の存在を認める根拠を、あるいは(土地も国有財産の場合は)国有財産たる土地を「特権」的に利用して、その上に建つ<宗教>施設で祭祀を行えることの根拠を、説明できないのではないか。
 どこかにウソ(あるいは「無理」)がある。現行の制度・考え方はどこか奇妙だ、と感じるのだが…。なおも、別の回に続ける。<4/28に一部加筆・修正した。>
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