佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社)を読んでいる。掲載してメモ化しておきたい整理が一点出てきたが、その前に、「ナショナリズム」に関する論述を要約して記す。
朝日新聞・若宮啓文は<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>と言い放った。「ナショナリズム」の箇所に「左翼リベラリズム」・「進歩主義」・「地球市民主義」等のいずれを挿入してもよい筈なのだが、彼はなぜか、「ナショナリズム」だけを持ち出して、その<道具じゃないんだ>と書いたのだ。この若宮啓文は佐伯著をじっくりと読むがよい。
佐伯は上の本のp.275-6で、次のように述べる。
1.「国家」とは「ひとつの主権をもつ政治社会」という一つの事実をいう。「ナショナリズム」と呼ばれるものは(「国家主義」ではなく)「国民主義」で、「国民形成についてのイデオロギーや神話を含み」もつ。国民は「言語、文化、価値観を共有した集団」だというのは「神話」で、ルナンが言う如く、「国民」を作り上げるのは「国民であろうとする」「日々の国民投票」だ。それ以上の「国民」観念はフィクションだが、「国民国家」成立のためには何らかのフィクションが必要だった。
2.「国民」は自生的には形成されず、「主権国家」の形成とともに又はその後で作られたフィクションだ。だが、どのようにしてこのフィクションが作られるかは「国と歴史状況によって」大きく異なる。「同質性」と「多様性」のいずれを強調するかも「状況によって異なっている」。だから、「かりに『国民』というフィクションを固定化したものとして強調するナショナリズムが危険かどうかも、実は、状況によって異なっている」。「ナショナリズム一般が常に危険極まりないなどということは言えないはず」だ。
前段に少しわかりにくい箇所はあるが、「ナショナリズム」に関する至極常識的な論述ではないか。
朝日新聞・若宮啓文は、「ナショナリズム」に「国家」の蔭を見て、「戦後日本の知識人の良心と見なされた」「反国家主義」(p.258)の立場又は「隠された」イデオロギーにもとづいて上のような反「ナショナリズム」の言辞を吐いたのだろう。佐伯啓思が指摘するとおり、「反国家主義」・「反権力主義」は<戦後民主主義>思潮の重要な内容だった。
国民国家
かつて司馬遼太郎の幕末・維新の時期の小説を読むようにしてフランス革命の経過を楽しみながら知ることはできないかと思って、マリー・アントワネットに関する小説を買ったりしたが、読むに至らず、結局は世界の歴史21・アメリカとフランスの革命(中央公論社、1998)の後半(フランス革命の部分=福井憲彦執筆)を読もうと思い立った。
その本には月報の小パンフが入っていて、2名の著者と鶴見俊輔の三名の座談会が載っている。そこでの鶴見俊輔の発言内容がまずは印象に残った。
鶴見俊輔(1922-)の本など読んだことなく、小田実や日高六郎に近いような、非政党の「市民派的左翼」というイメージしかない。
ひょっとしたらと思って今確認したら、何と九条の会の呼びかけ人9人の一人だった(そんなに大物なのかね?)。九条の会のサイトには、彼自身の文かどうかは分からないが、「日常性に依拠した柔軟な思想を展開」と紹介してある。
さて、フランス革命後のナポレオンが世界で初めて国民皆兵制(徴兵制)を導入したらしい。
たぶんこのことにも関連して、上の座談会中で鶴見は次のように言う。ナポレオンは偉大な個人だったが、「ここで国民国家ができる…。この国民国家の枷がいまもある…。この枷は、ファシズムのときにものすごい力を発揮した。国民国家が打って一丸とするかたちで、均質に兵役を強制してしまう」等。
ここまでなら何気なく読み飛ばしていたかもしれないが、つづく次の文章には目が止まった。
「ここに現在の日本の問題がある…・偶然、アメリカの力によって憲法に不戦条項をもっているけれど、これが「普通の国家」になるなんてことになったら、「普通の国家」とは国民国家だから、個人としてこの戦争はまちがっているなどという場所はなくなる」等。
1998年の座談会だが、こんなふうに「国民国家」概念が使われるのだとは知らなかった。正しい用法かどうかは分からない。
それはともかく、この鶴見の発言によると、現在の日本は「憲法に不戦条項をもっている」がゆえに、「普通の国家」=「国民国家」ではないのだ。しかも、鶴見の発言には、「国民国家」の(少なくとも重要な側面・要素)を毛嫌う気持ちがこもっている。さらに言うと、けっこう重要だと考えられる問題を、よくも簡単に片付けるものだ、という感想も湧く。
推測になるが、この人は、近代諸国で成立したとされる「国民国家」に批判的で、それに同質化されたくないという心性のもち主のようだ。
また、ひょっとすると<国民国家>の国民ではなく<地球市民>でいたいのではないか。九条の会の呼びかけ人の一人に名乗りを上げている心情も、理解できそうな気がする。
その本には月報の小パンフが入っていて、2名の著者と鶴見俊輔の三名の座談会が載っている。そこでの鶴見俊輔の発言内容がまずは印象に残った。
鶴見俊輔(1922-)の本など読んだことなく、小田実や日高六郎に近いような、非政党の「市民派的左翼」というイメージしかない。
ひょっとしたらと思って今確認したら、何と九条の会の呼びかけ人9人の一人だった(そんなに大物なのかね?)。九条の会のサイトには、彼自身の文かどうかは分からないが、「日常性に依拠した柔軟な思想を展開」と紹介してある。
さて、フランス革命後のナポレオンが世界で初めて国民皆兵制(徴兵制)を導入したらしい。
たぶんこのことにも関連して、上の座談会中で鶴見は次のように言う。ナポレオンは偉大な個人だったが、「ここで国民国家ができる…。この国民国家の枷がいまもある…。この枷は、ファシズムのときにものすごい力を発揮した。国民国家が打って一丸とするかたちで、均質に兵役を強制してしまう」等。
ここまでなら何気なく読み飛ばしていたかもしれないが、つづく次の文章には目が止まった。
「ここに現在の日本の問題がある…・偶然、アメリカの力によって憲法に不戦条項をもっているけれど、これが「普通の国家」になるなんてことになったら、「普通の国家」とは国民国家だから、個人としてこの戦争はまちがっているなどという場所はなくなる」等。
1998年の座談会だが、こんなふうに「国民国家」概念が使われるのだとは知らなかった。正しい用法かどうかは分からない。
それはともかく、この鶴見の発言によると、現在の日本は「憲法に不戦条項をもっている」がゆえに、「普通の国家」=「国民国家」ではないのだ。しかも、鶴見の発言には、「国民国家」の(少なくとも重要な側面・要素)を毛嫌う気持ちがこもっている。さらに言うと、けっこう重要だと考えられる問題を、よくも簡単に片付けるものだ、という感想も湧く。
推測になるが、この人は、近代諸国で成立したとされる「国民国家」に批判的で、それに同質化されたくないという心性のもち主のようだ。
また、ひょっとすると<国民国家>の国民ではなく<地球市民>でいたいのではないか。九条の会の呼びかけ人の一人に名乗りを上げている心情も、理解できそうな気がする。
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