〇戒告等の懲戒処分がのちに伴った国歌斉唱職務命令が教育委員会によって出されたのは東京都が最初で、昨年および今年(1月)の最高裁判決も、東京都教員を第一審原告とする、職務命令違反・懲戒処分(・再雇用拒否)にかかるものだ。
その職務命令(通達)は2003.10.23(平成15年)に出され、後記の小森陽一の文章によると「10・23通達」と呼ばれ、翌年4月号の岩波・月刊世界は「『日の丸・君が代』戒厳令」というタイトルで特集を組んだらしい。もちろん岩波書店のことだから、反石原慎太郎・反君が代等の立場でだ。
編集委員会編・「日の丸・君が代」処分(高文研、2004)の中で小森陽一は、職務命令そして「『日の丸・君が代』戒厳令」の目的を、つぎのように書いている。
なお、小森陽一とは、東京大学教授だが研究者ではなく活動家・運動家・オーガナイザーとしての能力の方が上回ると思えるほどに、もちろん<九条の会>運動を含めて、しばしば岩波の本や冊子に名前を出している人物だ。
「『日の丸・君が代』戒厳令」は公立学校を「教育の場ではなく、国民を統治・管理する、国家意思を貫徹する場」に、「軍隊と同じ、『人格』を破壊し、国策人材を作る組織」にすることを「最終的ねらい」としている。「『軍隊』の一員として、国家のために人殺しを正当化する洗脳を、子どもたちにかけるために、公立学校を軍事組織化する」ことにねらいがある。「『日の丸・君が代』戒厳令」は、東京都立学校の教職員だけではなく、「この列島に生きるすべての人々を戦時体制に組み込んでいくための攻撃」だ(p.196-7)。
日の丸掲揚・君が代斉唱職務命令に、おどろおどろしくも、こういう意図を感じ取るのだから、その妄想的感覚は異常に発達している、と言ってよい。
また、「左翼」教条主義者が何かにつけて繰り返すように、かつての「戦時」体制に戻そうとしているとか、新しい「戦争」を準備しているとかと、小森や上の本の中の(当時の)現役教員たちの文章は書いている。
<反君が代(・日の丸)運動>には(むろん「反・天皇制」と結合して)このような意識・感覚があることは、知っておいてよいだろう。
〇5/08朝の大阪市役所での<囲み取材>の場で、毎日放送の斉加尚代は「一番訊きたかったこと」だとして、「卒業式・入学式で君が代を歌うということは何の目的ですか」、「教員、先生が歌わなければいけないのはどういう理由」か、と橋下徹に尋ねている。
こんな質問を大阪市長(大阪府君が代斉唱条例を提案したかつての大阪府知事)にするのは、それこそ「何のため」なのかと、奇妙な感じも受けた。
橋下が実際に答えたように、国歌だから(公立学校の儀式で歌う)、という回答が返ってくることくらい通常は予測できるだろう。それを敢えて訊くのは、よほど<反・君が代>で凝り固まった「左翼」なのだろうと思ったのだが、上に紹介した小森陽一の文章を読んで、なるほどと得心するところがあった。
斉加尚代が上の本を読んでいるという証拠はないし、読んでいないかもしれない。しかし、<反・君が代(斉唱命令)>の立場の雑誌や書物では、上の小森のような主張が繰り返し語られていると見られ、間違いなく斉加尚代はそのような主張を読み、そしてそのように理解し、賛同していると思われる。
つまり、斉加尚代は、おそらく間違いなく、公立学校教職員への「国歌(君が代)斉唱職務命令」は、戦前と同様に天皇を称え、戦前と同様の「軍国主義」の時代にするために、子どもたちを「軍隊の一員」とし、子どもたちに「人殺しを正当化する洗脳」をかける意図をもって、発せられている、と理解しているのだと考えられる。
たんに漠然と<分からない>から橋下に訊いているのではなく、(表現の仕方は同じではないにしても)自らは上のように明確に「理由」・「目的」を理解して(理解したつもりになって)、橋下徹が何と答えるのか、ひょっとすれば(上のようには表向きは答えられないために)答えに窮するのではないか、とでも思って、あえて(幼稚とも感じられる)質問をしたのではないだろうか。
斉加尚代はフェミニズム・ジェンダーフリー(「男女共同参画」?)の集会に参加して放送記者の肩書きで発言したりもしているようだが、おそらく間違いなく、松井やよりと同じく、固い「左翼」信条・心情の人物のように思われる。
「左翼」文献ばかり読んでいると、特定の<右翼・保守>以外の者は自分と同様の考え方のはずだ、自分を理解してくけるはずだ、などという、大きな勘違いをする可能性がある。
そのように理解すれば、一人で長々と(30分程度も)質問し続けた背景も分かる。市政記者たちによる<囲み取材>の「空気」が読めていないのだ。
そしてまた、当日の橋下徹の回答いかんにかかわらず、<反・君が代(斉唱命令)>の立場で、基本的にはそれまでに準備し予定していたとおりに、毎日放送「ヴォイス」の特集を編成し、放映した理由・背景も分かる。
一テレビ局(しかも関西ローカルの)の放送とはいえ、数百万人は視聴していただろう。
「君が代斉唱命令」によって最終的には公立学校を「軍事組織」化し、子どもたちを<国家のために死ぬことのできる>兵士へと育てようとしている、と考えているような「左翼」活動家がテレビ局内に番組製作担当者として(毎日放送に限らず)存在しているだろうという現実を、深刻に受けとめる必要がある。
前後したが、斉加尚代が「子どもたち」にどう教えたら(答えたら)よいのか、という質問の仕方をしているのも、上記の小森陽一の文章を読んでみると、理由がきちんとあることが分かる。
国歌斉唱
大阪のキー局の一つ・毎日放送(MBS)で5/11の夕方、君が代斉唱条例・職務命令と「口元チェック」(とりわけ最後の職務命令順守の確認のための方法)について、<特集>が放送された。
いくつかの点で、<政治的偏向>を感じざるをえない。
第一。<口元チェックはやりすぎとする校長が26人で過半数にのぼった>との語り(ナレーション)があり、円グラフの赤色部分で「過半数」ぶりが紹介されている。
もともと「府下の学校長の声を特集」との前振りで始まっていたのだが、「口元チェック」という方法について府下学校長(高校長かと思われる)164名に対してアンケートを取ったところ、44名から回答を得たのだ、という。
そうすると、回答率は44/164で、約27%(弱)。このようなアンケート回収結果でもって、校長の「揺れ動く声」(女性アナの言葉)について、何がしかのことを語れるのだろうか??
回答しなかった120名の中には、この問題に関して何も感じていない校長の他、毎日放送によるアンケート調査の意図そのものを疑問視した校長もいたかと思われる。
そのような<声なき>校長(73%)を無視して、いったいいかほどのことを語りうるのか。この点がそもそも疑問だ。
「26人で過半数にのぼった」と明瞭に述べていたが、総数の164名に対する割合は約16%(弱)にすぎない。
おおよそ6人に1人なので、それでも多いかなという印象はあるが、少なくとも、「過半数(の校長)が」チェック方法を「やり過ぎ」だと考えている、と報道するのは、3/4ほどが回答していないことからすれば、強引すぎるし、すでに何がしかの<意図>を感じても不思議ではないだろう。
第二。学校での日の丸・君が代問題の<歴史>について、次のような説明が(昔の映像とともに)ナレーションで語られた。
「…軍国教育を反省する気運が教師たちの間で高まった。…〔文部省学習指導要領による国歌化等のあとも〕多くの教員が戦争の記憶を刻む君が代・日の丸が再び教育現場に持ち込まれることに抵抗感を示してきた。…」。
現在の日本の中学校や高校の教科書には、戦後史の一部について、このように書かれているのだろうか。
こうした説明・叙述は、歴史の一つの見方にすぎないと思われる。にもかかわらず、まるで客観的な事実のごとく紹介されている。
いずれにせよ、「…気運が教師たちの間で高まった」、「多くの教員が…抵抗感を示してきた」ことに共感する立場で、この特集が作られたことが明確になっている。
言うまでもなく、製作担当者の、毎日放送労働組合書記次長・斉加尚代の<歴史認識>、そして<(先の)戦争観>が示されているに他ならないだろう。
第三。今年1月に出た最高裁判決(東京都での君が代斉唱職務命令合憲、制裁としての懲戒処分の程度は一定程度に制限)のうち、一裁判官の、次の意見の部分を取り出して、語りととともに、画面上に文章を大書した。
「憲法学などの学説及び日本弁護士連合会等の法律家団体においては,君が代を起立して斉唱することを職務命令により強制することは憲法19条等に違反するという見解が大多数を占めていると思われる。確かに,この点に関して最高裁は異なる判断を示したが,こうした議論状況は一朝には変化しないであろう」。
このMBSの特集は、そして斉加尚代は、この意見に共感ないし賛成し、あるいは勇気づけられて、この部分をとくに紹介したのだろう。
上の部分は一部省略されていて、原文の当該箇所全体ではない。それはともかくとしても、番組では何ら紹介されなかったが、上の部分は、そもそも職務命令自体も違憲だとして5名中1名だけの反対意見を書いた、弁護士出身の裁判官・宮川光治のものだ。
「君が代を起立して斉唱することを職務命令により強制することは憲法19条等に違反するという見解が大多数を占めている」のか否か、「こうした議論状況は一朝には変化しない」のかどうか、私には即断できない。
だが、少なくとも、上のような見方は宮川光治という一裁判官の見方にすぎないのであり、これがまるで正しいもしくは適切だという保障は何もない。
番組では「ある裁判官はむつかしさを指摘」しているとして上の部分を紹介したが、「むつかしさを指摘」しているのではなく、<国歌斉唱職務命令の強制は憲法19条等違反だとするのが法学界等では大多数だ>という認識が述べられており、それが法学界等では常識(大多数の見解)だとの印象を与えるものになっている。
このあたりには、おそらくは斉加尚代の、巧妙なゴマカシがある。五名中四名は、つまり最高裁の裁判官という<法律の世界>の重要な人物たちは、国歌斉唱職務命令を合憲だとしたという重要な事実を、まるで忘れさせようとするかのごときものになっている。
巧妙な、そしてじつにいやらしい、偏向した番組作りだと思われる。
さらに、(あらためて録画を見てみると)宮川裁判官の意見は「反対意見」であるにもかかわらず、画面には「補足意見」と書かれていた。明らかな間違いだ。この二つは、まるで意味が違う。
5/08朝に橋下徹に質問されても国歌起立斉唱職務命令の発布機関を答えることができず、「教員委員長」などという、存在しない行政機関名まで出していた斉加尚代は、肝心の判決すらきちんと読んでおらず、誰かの紹介した要約的なものをそのまま安直に使ったのだろう。
なお、上のように「反対意見」中に書いた、おそらくは日弁連推薦によると思われる最高裁裁判官、元弁護士の宮川光治は、名古屋大学法学部出身で、経歴からして、学生時代に憲法学を長谷川正安に学んでいる。そして、長谷川正安(現在は故人)は日本共産党員学者だったと見られ、マルクシズム法学入門(理論社、1952年)、憲法とマルクス主義法学(日本評論社、1985年)といった著書もあった。
宮川光治は政治的活動団体でもある日弁連のほか、もともと長谷川正安等の日本共産党またはマルクス主義的学者の影響を受けていたのではないか、とも想定される。
そのような宮川の「反対意見」の一部を、特集では、宮川の個人名も出さず、少数の(一名だけの)「反対意見」中のものだとも明瞭にしないまま放映したのだ。杜撰であるとともに、意図して<偏向させた>ものになっているようだ。
第四。大阪府教育委員会が、某一校長の口元チェックを同委員会の職務命令の範囲内、または校長が行いうる職務命令順守のチェック方法として許容される範囲内であることを確認する場面が映し出された。この私の文章も不鮮明であるように、いったい何を教育委員会が許容したのだったのか、分かりづらい、曖昧な放送(放映)内容になっていた。
このあたりにも、何らかの意図が働いている可能性がないとは言えないだろう。
第五。橋下徹は教員の(上司による)職務命令順守の問題に焦点を当てようとしており、<思想良心の自由とは別々だ>と主張している、と司会者たちは紹介した。
私は、斉加尚代との間の5/08朝のやりとりの映像も見たが、橋下徹は<思想良心の自由とは別だ>とか<思想良心の自由とは無関係だ>とは一言も明言していない。
そのように解釈できるのかもしれないが、それはあくまで<解釈>にすぎず、橋下徹が明確にそう言ったかのごとき印象を与えており、虚偽の報道ぶりではないだろうか。ここにも、何らかの意図をもった<政治的偏向>が感じられる。
第六。上の前に、口元チェックを当然とする校長一人と批判視する校長二人の発言または文章を紹介した。前者は文章も短く、後者は長い。明らかに後者に好意的に、後者に重点を置いて、番組作りがなされていた。
第七。上(第五で言及した部分)の後に、職務命令と内心の自由または思想良心の自由とは切り離すことはできない旨の、高橋和之(明治大学。前東京大学)、山西義明(大阪弁護士会副会長)の発言をインタビュー画面とともに放映した。
橋下徹は切り離そうとしている、という紹介のあとだから、当然に、二人は橋下徹の主張を批判した、という構成になっている。
そのような構成になることに高橋らが事前に知っていたかも疑わしいが、その点はともかくとしても、高橋和之、山西美明とは異なる見解の持ち主も登場させないと、公平さを欠いているだろう。知るかぎりでは、国歌斉唱職務命令と「内心の自由」の関係について、百地章はこの二人とは異なる旨を産経新聞紙上に書いていた
もともと、橋下徹が、斉唱職務命令と憲法19条等とが無関係(完全に別々のもの)と主張している、という番組の前提自体がおかしいとも言えるのだが。橋下徹は、斉加尚代との間の5/08朝のやりとりでは、憲法との関係は府教育委員会に訊いてほしい、と応答していたと記憶する。
以上。
斉加尚代と毎日放送は、橋下徹批判を意図して番組(特集)を作ろうとしたが、最後の本人のコメント取材のところで、斉加尚代の勉強不足・知識不足が露呈したものの、そして、何とか橋下徹との(同僚らとの間での)事前確認事項をぎりぎり守ろうとししつつも、その結果としてある程度は抑えつつも、基本的な部分では当初の企図どおりの番組にしたのではないか、と思われる。
5/08の橋下徹への質問の前にすでに描いていたストーリーと取材・作成済みの映像等をおそらくは基本的には利用できたのではないか、と想像される。
女性アナ(髙井美紀)が最後に「…今一度立ち戻ってみなさんと考える機会になればと思いとり上げた」とか述べたのは、白々しい。偽善丸出しのマスコミの現在を象徴している、とも言える。
斉加尚代、およびこのような政治活動家を「飼っている」毎日放送(MBS)については、なお別に言及する機会を持ちたい。
斉加尚代も有名になったものだ。朝日新聞の本多勝、松井やより(故人)、本田雅和、NHKの長井暁らに次ぐ、大阪から出たマスコミ界のスターになるだろうか。
この記事によると、同中学の「教頭」は、「君が代は天皇を称える歌で思想的に問題があるという考え方を教えると同時に…」うんぬんと答えたらしい。「どちらか一方だけということはありません」と結んで、<公平中立な>教育をしています(してきました)と言っている如くだが、、「君が代は天皇を称える歌で思想的に問題があるという考え方を教える」ということ自体(そういう考え方「も」ある、ということであっても)、公立(あるいは日本の)中学校の教育として適切なことなのだろうか。
日本国と国民の統合である世襲の(以上すべて日本国憲法)天皇を「称える歌」がなぜ「思想的に問題がある」のか、この<教頭>先生には答えてほしいものだが、それよりも、法律によって国歌と定められた歌について、かかる「批判」があることを教えること自体が、すでに異様であり、適切ではなく、あまり使いたくない言葉だが<偏向>しているのではないか。組合・教員運動が強いと言われる大阪府、その<空気>の中でこの<教頭>も棲息しているようだ。
上の記事でも言及されてはいるが、産経新聞4/02は、明確に、門真市立第三中学校の卒業学年(昨年度の三年生)の担任全員(5人)が「君たちには内心の自由がある。君が代を歌わなくてもいい」などと「指導」したと認めている、と報道している。その結果が、出席卒業生160人のうち着席したままで不斉唱159人、起立斉唱が1人だったわけだ。
異様な事態だ。担任たちは「指導」の<成果>を誇っているかもしれないが。
さて、「内心の自由がある。君が代を歌わなくてもいい」という「指導」は適切か。「起立や斉唱をしない自由もあるといっただけで、強要はしていない」などという担任たちの<釈明>は適切か。
いずれれも適切とは思えない。
「内心の自由」が持ち出されると憲法上の思想・信条の自由の問題になるので簡単には論じ切れない。教育委員会(・教育長)又は校長からの職務命令を受けた教員と生徒・児童とは区別されなければならない。ただ、一点だけ述べると、それは、「指導」される相手は<まだ中学生>だ、ということだ。(公立)小学校でも君が代(国歌)は歌われているのだろうが、6~7歳の子どもの「内心の自由」とは何かが問題になるのと同様に15歳くらいの中学生の「内心の自由」なるものの意味が問題にされなければならない。要するに、成人した、一人前の大人と同様の「内心の自由」を語ってはならない、ということだ。彼ら中学生はまだ、「心」も含めて、<教育>される過程にあるのではないのか。
担任たちは「強要はしていない」、<不起立は指導してない>などと言っているらしいが、その「指導」の効果・結果は上記のとおり。
上のうち、<不斉唱でもいい(歌わない自由もある)と言っただけで、不起立は指導してない>というのはヘリクツであり、詭弁だ。不斉唱でもいいと「指導」したのなら、斉唱が起立して行われるかぎり、<起立しなくてもよい(不起立の自由もある)>と「指導」したのと同じことだ。
つぎに、担任たちが主観的には「強要」ではない、と思っていても、生徒たちがどのように受けとるかはまた別の問題だ。この件での今回の「指導」は、状況関係的に把握すると、明らかに、<歌わなくてよい>という<誘導>的効果をもっている。そして、その<誘導>的効果は、「強要」(あるいは「強制」)の効果に相当に近いものになりうる。
朝日新聞は「広義の強制」という概念を使うのが得意だった。また、「関与」という概念も、そうだった。
こうした朝日新聞の論法・概念用法を採用すれば、今回の担任たちの「指導」は<広義の>又は<事実上の>「強制」ではないのか。そして生徒たちの不起立・不斉唱に、担任たちの「指導」は(先日の朝日新聞社説の一文章を真似れば)「深くかかわっていた」のではないのか。
かかる<広義の強制>性あるいは<関与>を、論理的には、朝日新聞記者も、朝日新聞を講読しているかもしれない今回の事件の学級担任たちも、素直に肯定すべきだと思われる。
そして、<広義の強制>性あるいは<関与>が認められるとすれば、それは同時に、生徒たちの「内心の自由」を侵害していることを強調しておきたい。
すなわち、<左派>教員たちが「内心の自由」でもって自分たちの主張を貫徹し又は自分たちを防御しようとしていることをふまえて、「内心の自由」を持ち出してあえて言えば、生徒たちには歌おうという意思を形成する「内心の自由」もあった筈なのに、担任たちの「指導」は、「歌いたい」・「歌おう」という「内心」を形成することを妨害しており、「内心の自由」を侵害している、と考える。
「内心の自由」については、別に考える機会をなお持ちたい。
1.「日の丸、君が代は明治時代以降、第二次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられたことがあることは…歴史的事実であ」る、
2.法律上の国旗・国家となった現在でも「価値中立的なものと認められるに至っていない」、
という2点を、掲揚・斉唱への反対者を保護すべきとする論拠にしていることだ。
これらは裁判官のいわば「歴史認識」を示している。
だが、前者については、イギリス、アメリカ、スペイン、フランス等々によるかつてのアジア・アフリカ「侵略」の際に各国の国旗等が用いられたが、これら諸国の公的行事でこうした歴史のゆえに国旗等を忌避する「自由」は認められているのだろうか。
後者は国会制定法よりも現実を優先する発想だ。
かかる判決を見るにつけ、裁判官にも「占領軍史観」とか「東京裁判史観」とか「日教組史観」とかいわれる原告たちと同じ「史観」が入り込んでいることに気づく。裁判官たちは、戦後日本の教育のある意味では最も優秀な生徒なのだ。法律(と現実との関係)を勉強ばかりしていれば、日本の戦争・戦後史・国歌・国旗に関する知識が教科書レベルのものにとどまり、常識的感覚からは奇妙な判決も出てしまう。私的生活の範囲内なら別として、公立学校の公的行事に教育公務員の「思想・良心の自由」を認めれば場合によっては掲揚・斉唱の際に教師全員が起立しないことがあってもよいことになるが、それで生徒たちへの公教育責任を果たしたことになるのか、生徒たちに悪影響を与えないと言い切れるのか。
みの判決は、はしなくも日本の規律と秩序の崩壊傾向、タガのはずれ進行を示す判決になった。むろん、別異に解する判決もある。
読売は社説で判決に反対、秦郁彦・保阪正康の反対意見、マルクス主義歴史学者・大江志乃夫の賛成意見を掲載。
産経は「これでは公教育が成り立たない」等と社説で反対。
朝日は賛成、毎日は「解説」も併せて読むと賛成。この問題でも<国論>は分裂している。
公立学校の入学式等での国家斉唱の際座り込んだままの入学生がいた場合に「注意」もできないのか。教員の中に起立しない者がいたとして「注意」もできないのか。義務づけと指導では拘束力の有無という差違はあるが、「内心の自由」への介入という点では同じで、「注意」すら本判決だと違憲になりうる。
何と日本は「自由」で「個人」が尊重された国なのだろう。
子細は知らないが「2ちゃんねる」もいわば玉石混淆で、数の上では少なくとも「玉」はある。一般に「ゴミため」などと言うべきでない。また、ネット社会で発言し(書き込みし)不特定多数の者に自分の感情や見解を知ってもらう可能性ができたことは、かつては書物を出版できる人、新聞・テレビで発言できる人、ビラを撒ける人等に実質的には限られていた「表現の自由」の保障を何人・国民にも実質的に認めることに等しく、じつに画期的なことだ。鳥越にはネットの意義についての時代錯誤があるのでないか。
その鳥越がOhmyNewsなるサイトを「編集」しているようだが、鳥越は憲法9条改正に反対であることを公言しておくべきだ。
憲法改正を具体的視野に入れるとする首相が誕生しそうな今後数年、改憲は政治上の重要なイシューだろう。「マスコミ9条の会」呼びかけ人であることを隠して「編集」・運営しようとすることは欺瞞に等しい。改憲反対の立場で「記者」が選ばれているかもしれないからだ。宅建業法でいうと「重要事項説明」違反にあたるだろう。主催者・「編集者」でなければ公言の必要はないだろうし、テレビ等の直接関係のないテーマの発言の際に「私は9条維持論者ですが…」と逐一言う必要もないだろうが。いずれにせよ、OhmyNewsなるものを9条改正反対のために「利用」するな。
二 遅れて<足立16中>事件・増田都子分限免職事件を知った。
この元女性教諭は韓国・盧武鉉大統領に過去の日本の仕業につき謝罪の手紙を書き、釜山では自己に対する「分限免職処分」取消訴訟への「連帯」を求めたらしい。懲戒権者の適正な裁量の範囲内かという法的問題は別としても、この人の授業内容・保護者等への対応はやはり「異常」と思える。
テレビで聞いただけだが、君が代起立斉唱に加わらなかった教員への懲戒処分を取消す地裁・一審判決が出たようだ。重すぎるという判断はありうるところだが、裁判官自身の「思想の自由、良心の自由」を押しつけている判決のごとくにも感じた。
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