秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

国家と謝罪

2937/西尾幹二批判083—全集未完結②。

  「全集未完結」と題した昨2024年11月の投稿のとき、当初は西尾幹二全集は結局未完結で終わるのだろうという認識で書き始めた。参照、→No.2786/2024.11.10。
 ところが、そのとき未完だった第22巻Bは刊行される予定があると、書き進めるうちに気づいた。
 冒頭の写真のさらに裏側の写真の下につぎの注記があったからだ。
 「いよいよ全集は完結が近づいた。大型の議論をしている余裕はもうなく、手早く仕事を処理してくれる人材を著者が選んで『三人委員会』に委嘱した。2023年4月1日撮影」
 これで、未完結でないことが分かった。
 同時に、既述のように、この文章に関しては、奇妙・不可解なことがあった。
 第一に、上の文章は誰が書いたのか。
 委嘱した「著者」というのは、西尾幹二のことだろう。また、執筆者は「三人委員会」の委員の一人でもなさそうだ。
 とすると、刊行出版社である国書刊行部の(西尾全集担当の)編集者による文章だとほぼ断定せざるを得ない。
 これは異常なことだ。この第22巻Aまで、こういう形で国書刊行会の編集者が「表に」登場することはなかった
 第二に、「三人委員会」を構成しているはずの三人の顔・姿は「写真」に写されているが、氏名の表記が全くない
 これも異常だろう。写真で顔・姿を示しながら、重要なはずの「三人委員会」の三人の氏名をなぜ明らかにしていないのか。
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  思い出すと、迂闊にも忘れていたが、第22巻Aの「オビ」には、2024年(または「本年」)「12月」に完結予定と書かれていたような気がする。
 この記憶が正確でないとしても、翌年3月頃、つまり今年・2025年の3月頃には最後の第22巻Bが刊行される(・されるらしい)という情報が、複数の文章で伝えられていた。以下は、例。
 宮崎正弘「西尾幹二の沈黙」月刊正論2025年1月号/追悼特集、p.150。
 「あと一巻で完結する直前に訃報に接した(…)。ただし、編集は終わっており、年譜を作成中だった。版元の担当者に訊ねると、『春には出せると思います』」。
 なお、上よりも前の時期だろう、同じ宮崎は、その書評ブログで「次の配本予定の巻22Bは…師走刊行予定だ」とも記していた(同<辛口コラム>)。
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  現在、2025年の8月。「春」は明らかに過ぎてしまい、3月末・4月初めから明らかに4ヶ月、1年の三分の一が過ぎた。
 しかし、西尾幹二全集22巻Bはまだ刊行されていない。未完結のままだ。
 今後どうなるのか、どうする予定なのか、「版元」の国書刊行会のウェブサイトには何の情報も掲載されていない。「版元の編集者」(上記)、「三人委員会」はどうしているのだろうか。
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  未完結のままだと決めつけるわけにはいかないだろうが、かりにそうなっているとすると、以下の感想が生じる。
 第一に、もともと「西尾幹二全集」は種々の点で異様な、そしてグロテスクな「全集」だった。
 基本的には生存中の著者が「自分で」編集した(しようとした)ことに奇妙さの根源があっただろう。
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 個人「全集」というのは、各巻のいわゆる「月報」を除いて、その著者の書物や文章だけが収載される、というイメージがある。それはイメージだから順守する必要はないとも言えるが、西尾全集の場合、本人以外の別の者の文章を(月報にではなく)<本巻>に載せる何らかの「基準」はなかった、西尾のそのときどきの感覚に依っていた、と思われる。そして、その第三者が執筆された時期も、過去のものがほとんどだったが、「全集」刊行時点のもの、つまりその第三者の「書き下ろし」もあった、と記憶する。
 この意味でも、不思議な個人「全集」だ(だった)。
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 何度も書いたように、「全集」に収載される各巻の文章が元々はいつどこに執筆されたかが、相当に分かりにくかった(巻にもよる)
 時期的にいうと、多くはつぎの三段階を経ただろう(但し、厄介なことに、aやbなしで、直接にc「全集」に登場したと見られる、「本人の墓探し」等の文章、ウェブサイト上だけの文章等(例、第22巻A)もあり、「怪奇さ」が増す)。
 a-雑誌や新聞等への初出の文章、b-aを時期別または主題別にまとめた書物の文章、c-全集に掲載される文章。
 bの書物がいわゆる「書き下ろし」である場合は(2-3冊の場合も全てがそうである場合は)問題は少ない。しかし、a がある場合には、b にまとめる段階ですでに西尾による「編集」が入っていて、a を「加筆修正した」と明記されていたものもあり、その時点での西尾による「はしがき」や「後記(類)」がすでに執筆されていたものもあり、さらに西尾以外の者による「書評」的なものや「解説」が付いていたものもあった。
 上の「加筆修正」があった場合、c「全集」でa の「初出」とb の「加筆修正」後のいずれを採用したかが(後者が全部またはほとんどだったとしても)明記されておかなければならなかったはずだ。
 つぎに、b に本人による「前記」・「後記」類、第三者による「解説」・「書評」類がある場合、c 「全集」ではこれらをどう処理したかが明記されておくべきだっただろう。全てが排除されたのではなく「全集」の「後記」に再掲載されたものもあったはずだが、既述のように再掲載する・しないの基準ははっきりしない。
 これらは本来は出版元の編集者が配慮すべきものだったかもしれないが、西尾「全集」の場合、本人が一貫して取り仕切り、かつ上に書いたような細かな「配慮」を、西尾はほとんどできなかったように見える。
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 <本人編集>による問題の直接の帰結は、かつてはb の段階で一冊の書物にまとめられた諸文章が、c「全集」では別々の諸巻に分けられて収載される、という現象が生じたことだ(なお、b の段階で、同じ文章が二つ以上の書物に二重に収載されていたかもしれない。この場合、問題はさらに複雑になる)。
 さらに、別々の諸巻に分けられて収載されていればまだよいが(?)、どの巻にも収録されない文章もある(あった)はずだ。これも、西尾幹二の、「全集」刊行時点での判断によるに違いない(そして、その基準・理由は分からない)。西尾の<本人編集>の帰結だ。
 「文章」どころか、b の時点での書物そのものが(つまり全体が)、「全集」では再録されていないものがあると見られる。西尾の本人編集の帰結だ。
 (その他、明記なしでの本巻中での「書き換え」すらもあった。例、→No.2796「欺瞞の人」)。
 個別論考で「全集」のどこにも収載されていないと見られるものに、例えば、以下がある。
 「保守思想の一部の左翼返り—立花隆氏なら仕方がないが西部邁氏よ、おおブルータス、お前もか—」月刊正論2002年3月号。
 「臆病者の『思想』を排す—小林よしのりを論ず」月刊正論2002年6月号。
 個別の書物で「全集」のどの巻にも収載されていないのでないかと思われるものに、例えば、以下がある。
 西尾幹二『国家と謝罪』(徳間書店、2007年)
 西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』(ワック、2008)
 (西尾幹二=平田文昭『保守の怒り』(草思社、2012)。)
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 これでなぜ、<西尾幹二全集>と言えるのか
 この指弾はもちろん、第一には西尾幹二に対して向けられる。第二は、国書刊行会という出版会社に対してだ。
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 第二に、西尾幹二が「保守」論壇の「最後の大物」で、その「思想(・哲学)」、「歴史等への見方」等を後世に残しておくべき、貴重で偉大な人物だったとすれば、「版元」を含む関係者は、是非とも「全集」を残しておこう、22巻(実質的に24巻)全部を刊行しておこうと考え、「使命感」さえもつのでないか。
 だが当初の予定よりも少なくとも四ヶ月遅れて何の「音沙汰」もないことは、つぎのことを意味しているのではないか。
 西尾幹二という人間が生きて存在しているうちはまだしも、そうでなくなってみると、「全集」を完結させる意欲が大きく削がれた。西尾幹二本人がいなくなっては、「全集」完結に拘泥する意味がどこにあるのかと疑問を感じ始めた。
 西尾幹二は、人間関係上「別れの会」に出席しようとだけは思わせても、詰まるところは、その程度の人物だったのだ。
 この世からいなくなれば、どんな恫喝も、文句も、注文も、いっさい気にする必要がない。「年譜」、さらには「書誌」作成という面倒なことをする意味が、いかほどあるのか?
 以上は、西尾幹二の「仕事」(と言っても、基本的に<文章執筆請負業>)全体の評価に関係するので、これ以上は踏み込まない。
 なお、四が一定の前提に立っての叙述であることは、上に明記している。
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2289/西尾幹二批判013。

 前回に取り上げた遠藤浩一を聞き手とする西尾幹二の発言をあらためて読んでいると、面白い(=興味深い)箇所がある。
 月刊WiLL2011年12月号(ワック)、p.247。
 西尾幹二の他の人物論評の仕方として、別の点も、とり上げてみよう。
  西尾は上で言う。大江健三郎の「文学の根源的なところ」には「私小説的自我の幻想肥大かある」、と33歳のときに書いた、と。
 興味深いのは、つぎだ。
 「幻想的な自我は石原慎太郎氏も同じ」と書いた。
 石原慎太郎はどちらかと言うと<保守>派とされるが、こういう批判・揶揄?は、西尾幹二において<保守>派に対しても向けられていたわけだ。
 ついでの記載ということになるが、「幻想的な自我」をもつという石原慎太郎は、西尾幹二よりもはるかに、注目されるべきで、将来もまた注目されつづけるだろう、と秋月瑛二は評価している。
 石原慎太郎=曽野綾子・死という最後の未来(幻冬社、2020)。
 昨年秋には、この欄で言及していないが、上の曽野綾子との対談書を購入して読んだ。
 石原慎太郎(1932〜)。国会議員、複数の大臣、東京都知事、政党(日本維新の会)代表。
 これだけで西尾幹二とは全く異なる。政治的・社会的「実践」の質・程度は、<つくる会>会長程度の西尾の比ではない。
 さらに加えて、作家・小説家、芥川賞受賞者。これまた、西尾幹二が及びもつかない分野だ。
 さらに、量・数だけではあるいは西尾の方が多いかもしれないが、石原慎太郎には、政治・社会評論もある(全7巻の全集もある)。
 加えて、<宗教>への傾斜を隠しておらず、<法華経>に関する書物まである。読んでいるが、いちいち記さない。
 異なるのは、出身大学・学部のほか、石原慎太郎には、産経新聞・月刊正論グループへの「擦り寄り」など全くない、ということだろう。
 アメリカで西尾は無名だが、石原慎太郎はある程度は知られているだろう。かりに同じ反米自立派だとしても、西尾とは比較にならない。
 石原慎太郎は、全ての広い活動分野について、<左派>側からも含めて、その人物が総合的に研究・論評されるべきだろう。
 ところで、「私小説的自我の幻想肥大」は、西尾幹二に(も?)見られはしないか? 既に見たように、2011年に西尾自ら「私小説的自我のあり方で生きてきた」と明言し、遠藤浩一は「私小説的な自我の表現こそ、西尾幹二という表現者の本質ではないか」、と語ったのだ。
  出典をいちいち探さないので正確な引用はできないが、西尾幹二は、古い順に、明らかに以下の旨を書いた。記憶に間違いはない。
 ①<(この時代は)左翼でないと知識人にはなれなかった、と言われますが、…>。
 ②<保守派のN氏(原文ママ—秋月)は、左翼でないと知識人とは言われなかったのです、と言っていた(言っていましたが、…)。>
 ③<西部邁氏は、左翼でないと知識人とは見なされなかったのです、と言ったことがある
 ③は西部邁の死後に追想を求められて、発言(執筆)したもの。 
 「左翼でないと知識人にはなれなかった」とは西部邁が大学入学直後に日本共産党(当時)に入党し、<左翼>全学連活動家となったことについて西部自身が言っていたことのようだが、西尾幹二に個人的・私的に言ったかどうかは別として(その点も気にはなるが)、のちに<保守>派に転じた?西部邁にとって、少なくともどちらかと言えば、触れられたくはない点だったように推察される。
 そして、彼の生前にはせいぜい「N氏」でとどめていたのを、西尾はその死後に、この発言主の名を明瞭にした、暴露したわけだ。
 これはいったい、西尾の、どのような<心境>・<心もち>のゆえにだろうか。
 西尾は、西部邁、渡部昇三らに対するライバル心を、<左派>論者に対する以上に持っていた、と推測できる。端的に言って、<同じような読者市場>の競争相手になったからだ。そして、その<ライバル心>を、ときに明らかにしているのだ。
 なお、櫻井よしこに対してすら、その<ライバル心>を示していることがある。櫻井よしこ批判には的確なところがあることも否定はできないけれども。
  2019年6月〜7月にこの欄で「西尾幹二著2007年著—『つくる会』問題」と題して何回か「西尾幹二著2007年著」=『国家と謝罪』(徳間書店、2007年)の一部を紹介したのは、明記しなかったが、つぎの理由があつた。
 それはすでに刊行されていた『西尾幹二全集17・歴史教科書問題』(2018年)が、西尾が「つくる会」結成後の会長時代の文章に限って収載していることを奇妙に(批判的に)感じたからで、実質的な分裂やその理由・背景に関するこの人の文章を、とくに『国家と謝罪』の中にまとめられている文章の一部を、この欄に掲載して残しておこうと感じたからだ。
 <個人>全集であるにもかかわらず、設立前から「会長」時代のものに限る、という、西尾個人の<個人編集>の奇妙奇天烈さには、つまり『国家と謝罪』等に収録したものは無視し、実質的分裂の背景・原因にかかる歴史的記録にとなり得るものは除外する、という<個人編集>方針に見られる異常さには、別にまとめて触れなければならない。
 <つくる会>運動については、きちんとした総括が必要であって、西尾は立派なことだけをしました、という『全集』編集方針は、「歴史」関係者の(そのつもりならば)姿勢としても、間違っているだろう。現在の<運動>関係者(とくに実務補助者の方)は気の毒に思っているが、割愛する。
 上のことはともあれ、今回指摘しておきたいのは、八木秀次に対する批判の「仕方」だ。八木秀次の側に立つわけでも、彼を擁護したいわけでもない。
 西尾は、No.1994で引用・紹介のとおり、こう八木を批判する。 
 ①「現代は礼節ある紳士面の悖徳漢が罷り通る時代」だ。「高学歴でもあり、専門職において能力もある人々が」社会的善悪の「区別の基本」を知らない。「自分が自分でなくなるようなことをして、…その自覚がまるでない性格障害者がむしろ増えている」。「直観が言葉に乖離している」。「体験と表現が剥離している」。「直観、ものを正しく見ることと無関係に、言葉だけが勝手にふくれ上って増殖している」。「私が性格障害者と呼ぶのはこうした言葉に支配されて、言葉は達者だが、言葉を失っている人々」だ。
 ・「私は八木秀次氏にも一つの典型を見る」。
 この①は、「性格障害者」という言葉と<レッテル貼り>がひどいが、まだマシかもしれない。では、つぎはどうか。
 ②「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。
 言葉の向こうから語り掛けてくるもの、言葉を超えて、そこにいる人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す」。
 以上の②のような人物批判「方法」は、特定の人物についての本質分析論かつ本質還元論と言ってもよいもので、<本質的に〜だ>、そして<本質的に〜の人間だから、〜という過ちをおかしている>という批判の「論法」・「方法」だ。
 これではいけないし、八木秀次は、のちの人生を通じて、西尾と「和解」する気には決してならなかっただろう。
 今回に書いたのは、西尾幹二という人間の「本質」、「個性」、「人柄」に垣間見える<異常さ>・<歪み>と言ってもよいものだ。
 そうだから、という論証の仕方を、あるいは<人間本質分析論>かつ<本質還元論>的叙述を一般的にする気はない。但し、一回だけ参考材料とてして紹介しておくことにした。
 ——
 追記しておくと、<右翼的・保守的>だから「敵」(味方)だ、逆に<左派的・リベラル的>だから「敵」(味方)だ、というのは、上に記したよりもはるかに単純または純粋に、徹底して、<本質>あるいは基本的立場(・立ち位置)を理由として(それを見究めたつもりになって)、脊髄反射的に、論評・評価(敵か味方か)・結論を決めてしまうようなもので、アホらしいことだ。
 このような発想・推論しかできない人々が、なぜある程度は生じるのか?
 それは、<自分で考えて立ち入って判断するのは面倒くさい>、<簡単に回答を得たい>、<楽をしたい>という、「脳細胞の劣化」・「自分の脳に負担をかけたくない」という、それなりに合理的な?理由があるものと思われる。
 人間には、少なくともある程度の範囲の人々にとっては、問題・論点にもよるが、<簡単なほどよい>、<少しでも自分自身の判断過程を省略したい>という「本能」が備わっている。
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